千年樹に栄光を   作:アグナ

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英雄の陥穽、賢者の陥穽

 “赤”のライダーの宝具『宙駆ける星の穂先(ディアトレコーン・アステール・ロンケーイ)

 

 生前の宿敵たるトロイアの王子、兜輝くヘクトールを打倒するために編み出したこの奥義は端的に言えば敵との一対一を強制する決闘宝具である。

 固有結界に類似した世界の上書きによって強制される一対一の決闘空間は、第三者の介入は疎か、宝具の使用は封じられ、神の祝福や幸運といったもの、いわゆる「まぐれ」を打ち消し、完全に純粋なる実力勝負に持ち込むことが出来る。

 

 武器の使用までは可能だが、言ってしまえばそれだけで、この空間に取り込まれたが最後、あの大英雄アキレウスを相手に完全な決闘勝負を要求されるのだ。

 “赤”のライダー自体が並外れて強いからこそ成立する極めて強力な切り札の一つ。“赤”のライダー自身が相当の強者にのみしか使わない、生前の誓いで女性に対しては使用できない等の欠点があるにはあるが、基本的には使われてしまえば防ぐ手立てのない宝具である。

 

 ……よって、この空間に取り込まれた時点で“黒”のセイバーの命運は決していたといえよう。

 確かに“黒”のセイバーことジークフリートは竜を殺した大英雄。その実力はトップサーヴァントと呼ばれる英霊たちと遜色はなく、たとえ決闘に持ち込まれようとも早々に敗れることは無い。

 事実、“赤”のライダーに取り込まれて尚、彼は半日近く奮戦し、“赤”のライダーを決死の覚悟で抑えつけていた。

 

 だが、その決死の覚悟も現実には記録されない。

 時間の静止している決闘空間においては時間は流れず、現実においてその結果は刹那にも満たない。故に残酷にも彼の奮戦を誰も認知することはなく、ただミレニア城塞の崩壊とともに現実に帰還した“赤”のライダーだけが戦いの激しさを覚えていた。

 

「──あー……疲れた(しんど)

 

 ふらりと現実に立ち戻った“赤”のライダーは気だるげに呟くと地面に大の字で倒れこみ、そのまま何をするでもなくぼうっと青空を見上げ、浅く呼吸する。

 先の三対一で受けた手傷に加え、全身には激しい斬痕が残っており、もはや出血多量で死んでいないことの方が奇跡という満身創痍振りだ。

 その中でも特に目立つ手傷は彼の右腕……いわゆる上腕部から先の部分が存在していなかった。鋭い刃物によって切断されただろう凄絶な傷跡が、敵の抵抗が齎した確かな戦果をまざまざと見せつけていた。

 

「全く……あの野郎、完全に背中を取ったはずなのに最後の最後で斬り返してくるとは、やれやれ真名を知っていた状態じゃなければどっちが勝って──いや、それでも俺が勝つな。間違いない」

 

 たらればなど無意味な思考だ。そも万全で臨める戦場などほぼほぼ存在していない。たとえ自らの宝具のように限りなく公平さを強制する宝具とて、ほぼ完全であって、完全には至らない。

 事前の情報、前戦による手傷、得物の差に空間内の地形。

 様々な要素が有利不利の天秤を傾ける。

 

 今回に限って言うのであれば、荒野を土壌にして発動した“赤”のライダーの宝具は視界を遮るもののない極めて視野の広い有視界の戦場。それだけで既に最速と渾名される“赤”のライダーに対し、“黒”のセイバーは相当の不利を被るが、それに加えて真名開示によって暴露された“背中”という弱点が明確な状態だ。

 

 魔剣を封じられた以上、戦域は近距離。攻め込もうにも弱点が明確である以上、返し技で逆に討たれかねないような状況はおよそ最悪であったと言っていい。

 さらに宝具封印は魔剣に限らず、本来は弱点の代わりに最大の恩恵であった竜の血による鎧を剥がし、素の肉体を露にしていた。

 こうなっては自慢の耐久性能は意味をなさず、大英雄を相手に慣れない不利な戦いを演じることとなった。

 

 それでも尚、“赤”のライダーの片腕を切り飛ばしたことこそ、最後の意地。

 不屈を謳い、最後の最後まで諦めない竜殺しとしての矜持であった。

 

「……姐さんと俺で(・・・・・・)、二騎。ま、些か武功は足らんが、最低限の意地は見せられたか」

 

 霊基が解けていくのを“赤”のライダーは自覚しつつ、呟く。

 元々、魔力に余裕はない。そんな中でこれほどの激戦に、これほどの手傷を負ったのだ。当然の帰結として英霊としての仮初の器が持つわけがない。

 否、そもそも既に解けていても不思議ではないのだ。何とか青息吐息の状態でも維持できているのはひとえに意地。これに限る。

 

 ただ気力のみで“赤”のライダーは瀬戸際で命を繋ぎ止めていた。

 

「我ながら生き汚い……が、自害自殺などもっての他、生き残る術があるなら食らいついてでも生き残る。英雄を名乗る者が容易に死んでたまるかよっと」

 

 残った左手を支えに息を吐きながら再び“赤”のライダーは立ち上がる。

 小休止は済んだ。

 傷は自動修復が効く段階を超過しているため治りはしないが、激戦を経て乱れた呼吸自体は多少収まった。

 

 どのような状態であれ、生き残った。

 それが現実であるならば英雄として“赤”のライダーがやることは一つだ。

 すなわち──。

 

「よし、最期だ──せいぜい暴れてやるか!」

 

 死期を悟るカラッとした大笑。

 命燃え尽きるその瞬間に盛大な花火を上げてやると尚も大英雄は不敵。

 そう命尽きぬ限り“赤”のライダーの疾走は止まらない。

 満身創痍を通り越して衰えぬ神速は徹底して“黒”の陣営の足を引くだろう。

 

「──であれば、これ以上暴れられないためにも誰かが止めを刺す必要があるでしょう」

 

「! 誰だッ!!」

 

 耳朶の不意を打つ声に“赤”のライダーは鋭い檄を飛ばしながら後方へと飛ぶ。

 その左手に短槍を呼び出し、身を低く構える。

 片腕の欠損がため重心がズレるので両足を広く取り、短槍はおおよそ腹の横に抱えられるぐらいの位置に。

 一瞬にして自らの現状で可能な最善の臨戦態勢を確立させる。

 

「ふむ、その状態でその身のこなし、いやはや我が弟子(・・・・)ながら恐れ入る。その状態でも万全な“赤”のセイバー辺りなら五分を維持できるでしょうね、貴方なら」

 

「なっ……! おまえ──いや、貴方はッ!?」

 

 悠然と“赤”のライダーに歩み寄ってくる人影。

 文字通り知人に話しかけるような戦場に見合わぬ気軽さ。

 

 一見して隙だらけの相手に、しかして“赤”のライダーはこれ以上ないくらいに動揺する。

 何故なら──何故ならそれは確かに知人(・・)なのだから。

 いや、知人などと形容すら生温い。

 

 顔を見せたその相手は、紛れもなく自分にとって恩師(・・)である──。

 

ケイローン先生(・・・・・・・)!? 何故──!?」

 

「それこそ愚問でしょう。この場にこうして居合わせる。それ自体が、物語っています」

 

 言いながらケイローン──アキレウスにとっての恩師は手に持った弓を“赤”のライダーに見せつけるよう、持ち上げる。

 

「“黒”の、アーチャー……」

 

「その通り。“黒”のアーチャー改め、真名をケイローン。この度はユグドミレニアを代表する英霊として、現世に呼び出されたサーヴァントです。貴方と同じように、ね」

 

 そう言って微笑むケイローンこと“黒”のアーチャー。

 アキレウスは、“赤”のライダーは、その言葉と意味をひとしきり噛み締めた後に、笑った。

 

「──なんだよ、人が悪い。いるならいるって最初っから言ってくれりゃあ良いのにさ」

 

「それは失礼。ただ貴方と顔を合わせてしまえばそれだけで名前が割れてしまいますから。私としても接触には慎重になりますよ」

 

「先生は俺のことを一方的に知っていたってのにか?」

 

「そこはそれ。知略を凝らすのも戦場の妙でしょう。腕を研ぎ澄ますことは悪いことではありませんが、頭もきちんと鍛えなさいと、そう教えたはずでしょう」

 

「……ちぇ、物は言いようって奴だろ、それ」

 

「はははは」

 

「適当にごまかしやがった……」

 

 敵愾心もなく懐かしい会話に耽る両者。

 陣営は違えど、生前は師弟関係にあった二人だ。

 戦場とはいえ、こうして顔を合わせたからには言葉を交わすことに忌避感はない。

 その上で。

 

「成程ねェ──先生が“黒”の陣営に……ハッ、そりゃあ良い」

 

「おや?」

 

 和やかな会話もそこそこに“赤”のライダーは獰猛な笑みを浮かべ、再び槍を構えなおす。それを見て、“黒”のアーチャーは白々しい様で眉を顰め、言葉を投げかける。

 

「まだ戦うおつもりで?」

 

「当然──相手が先生なら尚の事。一切の不足なし。全力で暴れられるってもんだ」

 

「ほう、逃げるなら見逃すつもりだったのですが……」

 

「馬鹿言うなよ先生、敵に背を向けてあっさり逃げる英雄がいるかよ。ってか、先生のことだから逃げたら逃げたで容赦なく俺の背中射るつもりだろ」

 

「ふうむ──よくお分かりで。まあ、尤も逃げようが逃げまいが貴方の背中は射るつもりなのですがね」

 

「へぇ……そりゃあ俺の背中を取れるって事かい? アンタ(・・・)が?」

 

「ええ、今の貴方が相手なら、十分に」

 

 空気が変わる。

 知己同士の和やかな会話そのままに、意思が、戦意が衝突する。

 ──背中を取れる、即ちは追いつけるという宣言。

 それは世界最速を背負う“赤”のライダーにとって最高の挑発だ。

 

「俺のことを昔の俺のまんまだと思ってんなら……そりゃあ驕りが過ぎるってモンだぜ。“黒”のアーチャー?」

 

「別に、驕りの類ではありませんよ。私は事実を告げるのみ……たとえ今のように満身創痍ではない、万全の状態であろうとも──今の貴方が相手であれば、私の方が早い(・・・・・・)

 

「────面白い」

 

 “赤”のライダーの両足が、沈む。

 いつでも飛び出せるよう装填される弾丸。

 合図が成った次の瞬間に、その瞬足は驕る弓兵の懐に達するだろう。

 

 だが、その脅威──知った上で“黒”のアーチャーの笑みは揺ぎ無い。

 身構える“赤”のライダーを悠然と見守り続ける。

 ……それに、流石の“赤”のライダーも怪訝を覚えた。

 

「……おい、構えないのか?」

 

「むしろ来ないのですか? こうして、貴方の得意な早打ち勝負の土台に立ってあげたというのに」

 

「…………」

 

 罠臭せぇ──“赤”のライダーはそう感じた。

 悟られぬよう周囲の気配を探る──反応なし。

 少なくとも“赤”のライダーが認知する範囲に敵は居ない。

 

“アサシンでも仕込んでるのか? それとも別の何かを?”

 

「ふ……」

 

 疑念に足を止める“赤”のライダーに“黒”のアーチャーは何も言わない。

 ただゆるりとした動作で片手に矢を呼び出すと、そのまま弓に装填するでもなく、ただ弦に指をかけて備えている……まるで“赤”のライダーとの早打ち勝負に興ずるように。

 

「──……すぅぅぅぅぅ」

 

 ──それを見て腹は決まった。

 そもそも戦士に過ぎない自分に頭脳戦で師を出し抜けるわけが無し。

 だが同時に戦場でなら師に劣らない確信も“赤”のライダーは持っている。

 

 目視で見て取れる間合いはおよそ五十メートル。

 足を傷つけられた今の自分でも一秒を切る間合いだ。

 

 たとえ銃弾に迫る亜音速の矢であろうとも初手を上回る自信がある。

 

 そもそも──知略、智謀を凝らすは英雄の本分に非ず。

 それ(・・)ごと踏み砕いて、踏破するが、英雄の所業。

 

 ならば──敬愛する師との一対一、これに挑まずして何が英雄か。

 これが誘いであるならば、それごと師を超えて見せる。

 

「一発勝負か──せっかくなら先生とは思う存分やりたかったぜ」

 

「ええ、それに関しては私も同意見です。……私情を優先してよいのなら、成長した弟子と思う存分戦うのもそれはそれで良いものだったのかもしれません。ですが、今の私は主に仕える“黒”のサーヴァント──そういうわけにもいきません」

 

「確かに──死して尚、お互いしがらみだらけだ。でも……」

 

 真っ向から“赤”のライダーは眼前の脅威を見据える。

 穏やかな顔、風に靡く穂波のような茶色の長髪。

 記憶のそれと何ら相違ない、偉大なる師の姿。

 

「感謝する──どのような形であれ、師と戦う機会を与えたもうこの運命に」

 

 そう言って、“赤”のライダーは此処に至るまでのあらゆる全てに対して、厳粛に礼を告げた。

 ──“黒”のアーチャーが頷く。

 

「──来なさい」

 

「応ッ!」

 

 すっ──と“赤”のライダーの呼吸が止まる。全身の筋肉が硬直する。

 槍を握る左手に、力がこもる。

 意識を引き締め、死線に立つ覚悟を決める。

 そして──。

 

「この一瞬で、アンタを踏破す(こえ)る──!!」

 

 宣戦布告の言葉を置き去りに、“赤”のライダーは疾風と化した。

 必要とするは僅かに三歩、それだけで全ての間合いを踏み潰す。

 引き延ばされた時間の中で、確かに“赤”のライダーは敵の動きを見切っていた。

 

 一歩──師の面貌に微かに厳しさが宿る。

 

 この速度域であれ、目で追い切れる辺りは流石の師。

 されど反応からして予想以上に早かったことは間違いない。

 

 二歩──弓がこちらを照準し、矢が番えられてくのを見る。

 

 短槍の間合いはまだ遠い。

 迎撃するならばここで振るべきだが、止まれば二の矢三の矢と狙い撃ちにされるだろう。だから選ぶのはなお前進。三歩目を穿つ敵の早撃ちを認識しながら、それでも尚、死地へと飛び込んでいく。

 

 三歩──矢が飛ぶ。

 

 それは絶好必死の神業。“赤”のライダーが短槍を突き通すため、僅かに肩を下げたゼロコンマにも満たぬ本当に僅かな隙に狙いを定め、弓兵の矢が飛ぶ。

 防御不可能、迎撃不能──文句なし。世界最速を上回る究極の早撃ち!

 

“見事──!!”

 

 罠でも驕りでも何でもない──真実、弟子を上回る早業に流石は我が師だと“赤”のライダーは歓喜を内心に抱える。

 その上で──“まだだ”と奮起する絶叫を張り上げた。

 

「むっ──!?」

 

 師の貌に驚嘆が影を覆う。

 放った矢──“赤”のライダーの心臓を穿つはずの矢が止まる。

 これ以上ない絶好のタイミングで放たれた矢を、しかし“赤”のライダーは噛みついて止めて見せたのだ。

 流石の“黒”のアーチャーも、これは予想だにしなかったのだろう。驚きで二の矢を構える暇を忘れる。

 よもや、この土壇場で回避でも迎撃でもなく──矢を受け止める、などという選択を取ろうなどと。

 

 止まる師に対し、弟子は矢を吐き捨てながら進む。

 ──叫ぶ。

 

「受け取れ──ッ! ケイロォォォンッ!!」

 

「──ッ!!」

 

 これが我が拳、我が剣、我が槍、我が打撃。

 我が、信念……!

 

 斯くて放たれる最速、最高、最強の一撃。

 持てる全てを賭して放つ一切合切全力が振るわれる。

 

 ──鮮血が宙を舞う。

 ──爆ぜた心臓がその鼓動を止める。

 ──胸を穿つ、致命の一撃。

 

 以て──。

 

 

「……か、はッ──何、故────!?」

 

 

 アキレウスは(・・・・・・)膝を突いた。

 死神の手から逃れ続けた最速が遂に置き去りの死に追いつかれる。

 

「……見事でした、アキレウス。師として、貴方を教え導いたものとしてこれ程喜ばしいことはありません。貴方の技、貴方の研鑽、貴方の成長は、確かにこの私の術理を上回った。それ即ち我が経験を貴方が超えたことに他なりません。ええ──本当に、見事でした」

 

「────」

 

 感慨を噛み締める師の言葉。

 されど死にゆく弟子に返す言葉はない。

 死期に際して過るのは讃える言葉への感謝ではなく疑問。

 

 何故──何故──何故、確かに超えたはずの己の一撃は届かなかったのか。

 

 言葉にせずとも悟っているのか、その疑問に師が応える。

 

「──ですが始めに言ったはずですよ。これは私闘ではないと。私はユグドミレニアに属する“黒”のアーチャーゆえに、申し訳ないが、勝ちに徹させていただきました」

 

 そういって“黒”のアーチャーは空を指さして続ける。

 

「弓兵ですから。私もそれなりの“目”を持っています。貴方の前に姿を現す前に矢を放っておき、貴方を着弾地点に誘導して、射殺す──その程度は造作もありません。忘れましたか、アキレウス。先手を取っているのは私の方ですよ」

 

「────」

 

 あっさりと告げられる種明かしに思わず“赤”のライダーは絶句する。

 時間差攻撃──それ自体は何の不思議もない。

 師であれば、星座にまで押し上げられた英雄ケイローンであれば出来るだろう。

 或いは“赤”のアーチャーだって、それは出来たかもしれない。

 

 だが、時間差攻撃にしても普通は戦の中での話。

 通常攻撃に混ぜる数秒、多くても一分そこらの短期的なものだろう。

 なのに“黒”のアーチャーは悠々と会話しつつ、武器を交わす猶予まで与え、最後の最後──“赤”のライダーが止めに至るその瞬間に合わせて矢を潜ませていたという。

 

 ──そんなものは時間差攻撃などではない。

 それは未来視の領域だ。

 

「────クソ、何だよ。俺もまだまだ、じゃ、ねえか……」

 

 師の背中は未だ高く、その歩みは遠い。

 種が分かってしまえば、先の賞賛など子供の成果に頭を撫でる親のそれと変わらない。

 全霊を賭して尚、届かない先達の背中。

 

 その雄姿に悔しがりながら、大英雄は黎明に消え去った。

 

「……貴方らしい言葉だ。ですがアキレウス、満身創痍の貴方に対し、このような策略を用いなければ勝ち筋を作り上げられなかった時点で、やはり貴方の勝ちなのですよ」

 

 虚空に消えた弟子を見送りながら“黒”のアーチャーは少しだけ未練を残したような言葉をポツリと呟く。

 弟子は言ってもきっと信じないだろうが──あの瞬間、あの早撃ちで“黒”のアーチャーは本気で殺しにいった。誘導した地点に置いた矢など待たず、初めから自らの手でケリを付けるつもりだった。

 

 しかし超えられた。弟子の速度は、踏み込みは、師の予想を凌駕してさらに前へと踏み込んだ。

 あの時、“黒”のアーチャーとして万全を期すために置き矢を仕込んでおくという選択をしていなければ、死んでいたのは自分の方。

 先手を取り、矢を置いておき、言葉で誘導し、こちらの用意した舞台に誘い込む──そんな敵の性格と状態を徹底的に利用した策略を用いなければ弟子を仕留められなかった時点で、一人の戦士として、“黒”のアーチャーは敗北していたのだ。

 

「もしも次があったら今度こそは心行くまで戦いましょう、アキレウス。貴方となら──そうですね、パンクラチオンで殴り合うのも悪くはない」

 

 次は同じ条件、対等の状況で殴り合(たたか)いましょう。

 そんな、もう届かないであろう約束を手向けに、“黒”のアーチャーは意識を切り替えた。

 

「さて──」

 

 フィオレの下に戻る前に済ませなければならなかった用事は終わった。

 後は彼女の下に戻り、自陣営最強の魔術師を何とか止めねばならないわけだが──。

 

「む──?」

 

 不意に顔を上げる。黎明の空、太陽の光に照らされていく青い空に黒い影を視認する。

 二対の鳥であった。

 何の魔力も感じない二対の黒い身体を持つ鳥、カラス。

 

 英霊同士の激突を経て、疾うに野生動物の類は逃げ去っているだろう無謬の空にカラスが飛んでいた。逃げ遅れたようでもなく、何かを見るように、或いは何かを観察するように。

 円を描いて飛んでいる。

 そして──その眼下を行く、人影の姿。

 荒野には似合わないドレスを揺らして、一人の女性が駆けていく。

 

「あれは──」

 

 その影を“黒”のアーチャーは知っている。

 何故ならお互いに同じ陣営として顔を合わせ、会話をしあったのだから。

 人影──“黒”のアサシンとは。

 

「……カラスに、“黒”のアサシン、であれば、やはり彼はまだ──」

 

 どうする? 討つか──今ここで、“黒”のアサシンを。

 マスターとサーヴァントという関係においてあの二人の連携は完璧だ。何処まで話しているのか、知っているかは不明だが、要所要所で“黒”のアサシンが活動している節を見るに、彼と彼女は完全に目的を共有して行動している。つまり、これから彼女のマスターと敵対しようとしているフィオレと“黒”のアーチャーにとって敵である。

 相手はアサシン。真正面からの戦となれば、まず間違いなく負けないが、隠れ潜まれ、背中を突かれる場合に限って言えばその限りではない。元より彼女のマスターが英霊並みに前に出られる主であることを考えれば、彼と戦っている間に隙を打たれて主を刺される──そんな展開もあり得るかもしれない。

 

 であれば、今のうちに討つ。

 幸いにしてあの様子を見るに合流する道中、といった所だろう。

 距離があるお陰でこちらに気づかれている様子もない。

 今なら倒せる──一方的に。だが……。

 

「ふぅ──弟子と戦って少し気が立っているようですね」

 

 一瞬の逡巡、しかし“黒”のアーチャーは弓を収める選択をした。

 理由は単純で今ここで彼女を討つことにメリットを感じなかったから。

 

 相手はアサシン、しかも観察してきた身のこなしや当人との会話、彼女の真名から察するに、こと戦闘に関してはあのアサシンは無能である。無論、それを以て侮る理由には断じてならないが、戦闘能力面でも頭脳面においても、あらゆる面で“黒”のアサシンは最底辺の存在。

 脅威とならないからこそ、脅威となる──敵の警戒心を抜けることが唯一の強み、そんな存在だ。

 

 ならば……あらかじめ知っていれば、対応は難しくない。

 たとえ不意を突かれようとも、急所さえ避ければどうとでも対応できる。

 心臓や脳ならともかく、ナイフ一つで膝を突くほど“黒”のアーチャーは柔くないのだから。

 

 それよりも彼女を此処で討つことで彼女のマスターに、アルドルに意識される方が厄介だ。

 彼に対して既にフィオレは敵対宣言をしているものの、何処で、どのタイミングで実行されるかを彼は知らない。少なくとも“赤”を討ち倒すまでは共闘関係にあるのだから。

 

 いずれ裏切り者になるにせよ、まだ裏切りはされていない。

 そんな状況では彼はフィオレと敵対する名分を持たない。

 敵対宣言をされて尚、ダーニックなどから処断をされていない辺り、きっとフィオレの言葉をアルドルは誰にも明かしていない筈だ。ということは恐らく、この件に関してアルドルは内々にケリを付けたいと考えているはずだ。その後(・・・)を考えている彼にとって、ユグドミレニアでも優駿なフィオレは手放したくない人材の一人であろうから。

 

 故に──明確に敵意を示すその瞬間まで、アルドルは自ら仕掛けてこない。

 なればこそ此処で一方的に“黒”のアサシンを討つことは、明確な敵対宣言。

 大義名分を得たアルドルはいよいよ以て全力でフィオレらを叩きつぶしに来るだろう。

 

 真っ向勝負で競うには──あの魔術師は怖すぎる(・・・・)

 横やりを入れるならば、彼の意識が逸れた瞬間でなければならない。

 

「……私もまずはマスターとの合流を優先するとしましょう」

 

 英霊同士、決着を付けるのはその後に。

 そう言い残して“黒”のアーチャーは戦線を離脱した。

 

 ……“黒”のアーチャーは気づかない。

 認知していれば対応できる? 先手を打たれても切り返せる?

 否、否、否──そもそも、その思考自体破綻している。

 

 敵は賢者自ら警戒心をすり抜けることが最大の強みと評した相手だ。

 そんな相手が姿を現し、言葉を交わし、真名を“黒”のアーチャーに開示している──。

 ──今まで自陣営からも離れ、正体をあやふやにしていた相手が、である。

 

 まして彼女のマスターはあの(・・)アルドル。

 彼であれば“黒”のアサシンを最大運用しうる魔術師だ。

 ならば合流させるなど以ての外。

 英霊の警戒心を容易にすり抜け、不意を打つ英霊と英霊の想定を遥かに上回る魔術師の組み合わせなど凶悪の極みだろう。リスクを取ってでも、此処で討つ。最良の選択肢はまずそれだ。

 

 そして──そんなことに思い至らない時点ですでに術中。

 

 “黒”のアーチャーは思い至らない──身内の裏切りなどハナから想定されている可能性に。

 

 “黒”のアーチャーは思い至らない──不意を穿つその一撃が、それこそ一撃必殺になる可能性に。

 

 “黒”のアーチャーは思い至らない──既に、敵の“攻撃”が始まっているという、その可能性に。

 

 知っていれば? 警戒していれば?

 何を愚かな。

 相手はユグドミレニアの“最強”が手ずから選んだ英霊。

 “最強”が召喚した、暗殺者。

 

 暗殺という土俵で戦えるという判断をした時点で──既に想定は破綻している。

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