千年樹に栄光を   作:アグナ

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注がれる最後の決意

 ──ふと、気づくと。夜に立っていた。

 

 夜。暗闇。暗黒。

 周囲に広がるのは月の光も注がぬ黒の只中。

 不気味に響く鴉の鳴き声(こえ)とポタポタと滴り落ちる気色の悪い水音。時折吹き抜ける風はやけに生暖かく、静まり返った闇の中にごうごうと薄気味悪い音楽を奏でている。

 

 ……人間というものは本能的に暗闇を恐怖する。

 これは平常であれば視覚を頼りに多くの情報を入手する人間は、視覚が利かない状況下において情報を取得できない分、想像力を利かせて状況を考察する本能があるため、不安を助長させるからだという。

 未知は恐怖である。予測不可能の事態、想定外の状況。

 とても知性では理解できない、行為。

 

 そういったものを前にして人は恐怖する。

 

「なんだ、これは?」

 

 声は闇に送るものだった。

 闇の中に在るものに対してのモノだった。

 

「なんだ、これは?」

 

 呆然とするのは頭部に布を巻いた男。

 ターバンという主に中東地域で見られる宗教的衣装に身を包む男が再び同じ言葉を吐く。彼の後ろには武装した数千人にも及ぶ兵士たち。帝国が誇る極めて優秀な精鋭戦士一団。それを率いるこの男は帝国が誇る稀代の将軍であった。

 

「なんだ、これは?」

 

 彼はかのコンスタンティノープルを陥落させた男である。

 世界帝国の後継、最期のローマを滅ぼした男である。

 今に続く帝国の繁栄を作り上げた男であり、ヨーロッパを震撼させた男であり、イスカンダルの再来と讃えられた男であり、十字教最大の敵と評された男である。

 

 征服者(ファーティフ)──数多の地獄(戦場)を見て来た英雄である。

 

 だが、これは知らない。これは見たことがない。

 こんな地獄は聞いたことがない。

 

 地面から伸びる無数の柱、何千にも及ぶ杭の森。

 そこに突き刺さる肉塊……夥しいほどの、人間の、死体。

 徹底した、皆殺し。

 

 敵の戦意を挫くために、残虐な処刑行為を見せるという手段は間々ある。憎悪を、怒りを、或いは闇の悦楽を満たすために「残酷な殺し方」を目的とした処刑があることは彼とて知っている。

 

 けれども。これほどの数、これほどの規模で行われる鬼畜の所業は理解の外だ。

 恐怖に歪む死人たち、恐怖に歪む背後の兵士たち。

 恐怖を覚える、己自身。

 

 串刺しにされた数千の死骸を前に震える声で思わず、呟く。

 

吸血鬼(モンスター)──」

 

 闇の向こうで輝く一対の眼光。

 朱く光る鬼の眼光、聞いたことも見たこともない恐怖を前に、英雄はそう言った──。

 

 

「……────」

 

 

 ……気づけば“黒”のランサー、ヴラド三世は椅子に座って、“歴史(それ)”を見ていた。安っぽい壇上に投影される信じがたいほど現実感(リアリティ)に溢れる歌劇。まるでヴラド三世の記憶をそのまま再現したような映画を彼は見ていた。

 

「……これが貴様の能力かね、“赤”のキャスター」

 

「然り! これぞ我が歌劇にございます!」

 

 “映像”を闊歩するように、場違いの装束に身を包んだ男が笑い、仰々しく礼をする。正しく道化の類であり、恐らくはヴラド三世がこの世で最も嫌悪する類の男である。

 

「初めまして。お会いできて光栄です、吸血鬼公(・・・・)。吾輩は“赤”のキャスター、真名をウィリアム・シェイクスピアと申します。この宝具(当劇場)の館長であり、この聖杯大戦の脚本を愉しむものであり、しがない作家(・・)でございます」

 

「貴様……」

 

「はははははははは、これは失礼! 偉大なる吸血鬼(ドラキュラ)の祖であり、その逸話を以て世界中を恐怖させた怪物(主役)に対して傲岸不遜が過ぎましたかな?」

 

「余は吸血鬼などではない……!」

 

 逆鱗に触る、どころか地雷を全力で踏み抜くような道化の言動にヴラド三世が吼える。激情のまま殺意を向ける。

 しかし、発動させたはずの極刑王(カズィクル・ベイ)は姿を見せず、道化を刺し貫くはずの無慈悲な恐怖は全くと言っていいほど効果を見せない。

 

「おっと、ご観覧中は静粛に。まあ尤も、我が歌劇その最中において、戦闘行為などは行えないのですがね!」

 

「成程……道化らしい猪口才な宝具だ」

 

「ふふふ、『人生は、二度繰り返されるように退屈だ(Life is as tedious as a twice-told tale.)』と言いますからね。しかし暫しのご観覧を。我が歌劇、その終幕までお付き合いいただきたい」

 

「フン──」

 

 付き合いいただきたい──などとは言うが、これは強制だろう。

 曰く世界的劇作家(シェイクスピア)を名乗る男の物語(・・)は考えるまでもなく宝具だ。何をするつもりなのかは知らないが、既に“攻撃”は始まっているということだろう。

 

“ダーニックとは……分断されたか”

 

 固有結界か、幻覚か、或いは異界に取り込まれたか。

 主であるダーニックの気配が探れない。

 

 令呪召喚に際してはマスターの窮地を把握していたので、そちらの状況が不安ではあるが、ともあれ自力で打破できる状況ではない以上、大人しくあの道化に付き合うほかないようだ。

 

「人を享楽に弄ぶ道化め、下らぬ文字書き風情が何のつもりかは知らぬが無駄だ。貴様は余を吸血鬼にしたいようだが、余は──」

 

「吸血鬼だ──」

 

「ッ!!」

 

 

 ……場面が変わる。気づけば道化の姿はなく、血に濡れた鎧武者がワラキアの街を闊歩していた。知っている、知っている。

 アレこそは戦時中の己。かの帝国の侵攻を跳ね除けるため、鬼となって戦った英雄の姿。

 

 それを──守るべき民は怯え、遠巻きに眺めていた。

 

「……シッ、見ちゃダメ、殺されるわ」

 

「血を吸われる、魂を弄ばれる……!」

 

串刺し刑(あんなこと)をするなんて、とても人間のやることじゃない」

 

「化け物だ、化け物だ。近づいてはならん」

 

「お父さん、怖いよ……」

 

「悍ましや……あんな鬼畜が君主など……」

 

「帝国の英雄すら恐怖で逃げ出しちまったんだろう……なんてことだ」

 

「きっと私たちも串刺しにして嗤うつもりなんだわ、ひいい」

 

 ──庇護者が向ける視線ではなかった。

 民が王に向けてみる視線ではなかった。

 

 恐怖、絶望、嫌悪、忌避──誰一人として奉るものなどいない。

 王として讃え、敬服し、敬愛するものはいない。

 

 怯え、竦む彼らは狂い血に濡れた王に恐怖していた。

 いずれ自分たちも殺されると震えあがっていた。

 

「……──やめろ」

 

 幻術、妄想、虚構──知った上で口にした声は震えていた。

 分かっている、分かっている。

 これは宝具だ、敵の攻撃だ、ふざけた物語だ。

 こんなものは空想だ。不出来な脚本だ。

 

 このくだらない物語さえ終わればすぐに終わる。

 嘘偽りを面白おかしく語る道化など一瞬のうちに殺してやれる。

 

 そうだ、己の愉悦でこのようなものを見せつける道化など、すぐに殺して串刺して吊るし上げて恐怖と絶望の中、苦しみ嘆いて──。

 

血を吸うのであろう(・・・・・・・・・)?」

 

 

 ……場面が変わる。紅、赤、朱。

 支配者の力を示すために豪奢に彩られる紅赤朱。

 本来、派手を意味するその色は王宮を彩るにはあまりにも生々しい(グロテスクだ)

 その中で、鎧姿の鬼のような男が語る。

 

「我が領地、我が城塞、我が領土、我が領民──吾輩の贄(・・・・)たる食糧に手を出したる不信人もの! 彼奴等を裁き、捌き、暴くために我は立ち上がったのだ。夜の支配者! 恐怖の象徴! 誇りある吸血鬼(ヴァンパイア)として!!」

 

 違う。違う。違う。違う。

 ワラキアの王はそんなものではない。

 十字教の盾はそんなものではない。

 

 彼は本気で国の民と未来を案じ、だからこそ心を鬼にして立ち上がり、帝国を退けんと戦ったのだ。歴史は彼を英雄として讃えたし、その恩を忘れていないからこそ民は今も彼を英雄として語り継いできたのだ。

 

「──本当に(・・・)?」

 

 鎧の男が首を傾げる。

 八重歯を覗かせ、心を見透かすように問いかける。

 

「国を案じた? 心を鬼にして? 帝国と戦うために? それだけか? それが理由か? お前は本当にそれだけのために戦ったのか? ──本当は、ただ愉しかっただけではないのか?」

 

「……──やめろ」

 

「憎い仇を踏み躙るのは愉しいだろう? 恐怖に歪む人間の貌は面白いよなあ? 力で以てありとあらゆるものを平伏せ、蹂躙し、支配するのは堪らなく気持ちがよいだろう? そうだとも心を鬼にしたのではない。吾輩は、()なのだ」

 

「──やめろ」

 

「そう、これは愉悦(・・)だ。吾輩にだけ許された享楽(・・)だ。人間を殺して刺して吊るして弄ぶ、吾輩のみ許された権利(・・)だ。王たるものにのみ許された吾輩が、吾輩たる証明だ」

 

「やめろッ!!!」

 

 突き付ける否。鎧の男の言葉にヴラド三世は絶叫する。

 その顔には武人として、王としての誇りある支配者の自信はなく、ただ恐怖に歪んでいた。あまりにも英雄ヴラド三世らしからぬその表情。

 恐れ、怯える様はただの人間のそれと変わらなかった。

 

 ──もはや、彼の思考に宝具も、敵の存在も、聖杯大戦も消え去った。

 あるのはただ恐怖。

 向き合う自分の心に彼は恐怖していた。

 

 ()の言葉は偽りだ。()の言葉は嘘の歴史だ。

 信じるに値しない、考えるに値しない物語だ。

 

 だが──その感情を抱かなかったかと言えば嘘になる。

 

 善を成す悪人、悪を成す善人。

 人間は総じて矛盾する生き物だ。

 

 大義名分の裏に混ざる功名欲。

 献身貢献の裏に混ざる快感欲。

 

 徹頭徹尾全てを薪にくべることが出来るのは狂人の所業。

 人間である限り、あらゆる行為には表と裏が存在する。

 そのどちらも本音であり、本性であり、嘘偽りのない真実だ。

 

 だからこそ、それ(・・)を否定することはできない。

 それ(・・)を切り離すことはできない。

 

 故に──物語(ペン)は、時として剣よりも強靭に人を傷つける。

 

「違う! 違う! 余は本当に国を、民を憂いたのだ! そのために立ち上がったのだ! そのために戦ったのだ! そんな、そんな、断じてそんなことのために戦ったのではない! そんな理由で血に塗れたのではない! 余は、余は、吸血鬼などでは……!」

 

吸血鬼だよ(・・・・・)兄上は(・・・)

 

「──────」

 

 

 ……そうして、場面が変わる。

 気づけば自分は玉座に座っていた。赤い王宮に君臨していた。

 それを、真っ向から見返す一人の青年。

 

 ヴラド三世に似た──それでいて金色に輝く若き美貌。

 血と灰に塗れた男とは対極の……誇りと気品に溢れる貴族。

 

「ラドゥ……!」

 

 その面貌、忘れるはずがない。

 ラドゥ美男公、ヴラド三世の実弟その人である。

 

「貴方はあまりにも多くの血を流しすぎた、貴方はあまりにも多くの死を作りすぎた。これを見よ、彼女を見よ。これが貴方の罪の象徴だ」

 

 青年が手を向ける。王宮のテラスから見る塔の上。

 一人の女が泣きながら、一歩、一歩とその淵に歩を進める。

 そして──。

 

 ポエナリ城──帝国の侵略を防いだ難攻不落の城塞にして、かの“伝説”の伝承地。物語に曰く、“彼女”の死こそがヴラド三世が吸血鬼に転じた理由だという。

 そう、彼女こそが始まりの女。

 愛した妻(エリザベータ)の死によって“伝説”は始まるのだ。

 

「ぁ……」

 

 ──女の影は、谷の底へと消えていった。

 

「貴方のせいで彼女は死んだ。貴方の罪が彼女を殺した。貴方がまことに英雄だというのならば彼女は何故身を投げた? 貴方は何故に幽閉された? ……貴方は確かに王だ。支配者だ。だが、その生は断じて誇りに溢れた護国の将などではない」

 

 青年の腕が上がる。氷のような冷酷な眼光。

 身内のそれに向ける者ではない、見下す無情の眼。

 

 糾弾する様に指さし、睨みつけ、青年は真実(・・)を突き付ける。

 

「貴方は誇りある貴族(ドラクル)などではない! 血を好き、血を望み、血に酔った吸血鬼だ!! 夜を支配し、殺戮に愉悦し、人間の命を弄ぶ、恐怖と狂気で君臨する怪物に他ならない!!」

 

「あ、ああ」

 

 矜持が砕かれた。

 

「ア、アア」

 

 誇りが砕かれた。

 

「A、AA」

 

 英霊としての、在り方を、木っ端みじんに砕かれた。

 以て──。

 

「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA──!!」

 

 嘆きと絶望を以てして──“鮮血の伝承(レジェンド・オブ・ドラキュリア)”が完成した。

 

 

………

………………。

 

 

「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA──!!」

 

 地獄の底から響き渡るような絶叫。

 夜の帳を思わせるように広がる暗黒。

 

 発動した膨大な魔力と鬼気を前にダーニックは驚愕と戦慄を叫ぶ。

 

「馬鹿な! 鮮血の伝承(レジェンド・オブ・ドラキュリア)だと!? “黒”のランサーが宝具を使ったのか!? ありえん──何をした!?」

 

「さて──何をしたんです? キャスター?」

 

「ははは、何、少しばかり“劇”を興じただけですよ。少しばかり恣意的な誘導はしましたが、それはそれ、物語を彩るための演出です。『悪魔も自分の目的の(The devil can cite)ためなら聖書だって利用できる(Scripture for his purpose.)』」

 

 

「くっ──!」

 

 白々しいやり取りをする神父と“赤”のキャスター。

 考えるまでもなく“黒”のランサーに対して何か仕掛けたのは明白だ。

 恐らくは先ほど発動した“赤”のキャスターの宝具。

 

 令呪によって“黒”のランサーを呼び出した直後に発動した、あの宝具が何らかの悪影響を“黒”のランサーに与えたのだ。

 

「ランサー! 聞こえるか! ランサー!!」

 

「Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」

 

「チィ、駄目かッ!」

 

 当然であろう。過程はともかくダーニックはアレがどのような宝具か知っている。

 

 ──つまり。その宝具を使わせるということは、余に唾吐くも当然だ。仮例(たとえ)死ぬとしても余はそれを絶対に使わぬ──

 

 召喚直後の“黒”のランサーがダーニックに告げた警告、命令。

 “黒”のランサー自身が禁忌とした第二宝具『鮮血の伝承(レジェンド・オブ・ドラキュリア)』。

 その効果はヴラド三世にまつわる伝説、吸血鬼という怪物の側面をそのままに現世に再現することである。

 

 かの小説家が伝承せしめたその逸話を何よりの屈辱とし、聖杯に願ってまで破棄したいと考える“黒”のランサーにとって、その第二宝具は屈辱の象徴とも言える宝具なのだ。令呪によって命令されれば消滅してでも術者を殺す──そうとまで言わしめた宝具をあろうことか“黒”のランサー自身によって発動するという凶行。

 

 正気を失っているのはあまりにも明白だ。

 こうなっては狂戦士(バーサーカー)と変わらない。

 

「──どうします? ユグドミレニア?」

 

「ッ……!」

 

 余裕に微笑む神父──間違いない。この男、ダーニックが令呪を切ることを読んでいた。いや、“黒”のランサーに対して罠を仕込んでいた。

 ダーニックが窮地に際し、“黒”のランサーの助力を乞う場面を想定した上で──“黒”のランサーを暴走させる算段を付けていたのだ。

 

 読み負けた──こうなっては既に敵の術中。

 ならばせめて、方向性を定める。

 

 鮮血の伝承(レジェンド・オブ・ドラキュリア)は“黒”のランサーにとっては禁忌だが、その性能を単純に英霊の宝具として見た時、非常に強力だ。

 まず吸血鬼化──これはいわゆる魔術社会における死徒や真祖のそれではない。

 物語に綴られる血を吸い、身体を変化させ、夜に君臨する怪物、吸血鬼(ドラキュラ)の空想を現実に起こしたもの。

 

 そのため怪物としての側面を強調された“黒”のランサーのステータスは大幅に強化される上、動物や霧への形態変化、治癒能力、魅了の魔眼といった特殊能力も発現する。伝承通りの陽光や聖印に弱いという弱点も発生するが、それを加味しても非常に強力だ。

 

 制御不能とはいえ、ぶつければ敵に甚大な損害を齎すことだろう。

 そしてその手段をダーニックは持ち合わせていた。

 

「令呪を以て命ずる! “黒”のランサーよ、奴らを────ッ!?」

 

「AAAAAAaaaaaaaaa──!!」

 

 赤く輝くダーニックの令呪。たとえ正気を失っていようとも刻むサーヴァントに対する絶対命令権。血に濡れた吸血鬼(バケモノ)を“赤”の陣営に叩きつけようと、ダーニックはその権利を発動しようと腕を掲げ──一瞬にして現れた“黒”のランサーにその権利を剥奪される。

 

 誘蛾灯に引き寄せられる虫のようにその輝きに引き寄せられる“黒”のランサー。怪物と化した男は、かの伝説を再現する様に血に濡れた口を開き、その牙を──。

 

「があああああああああああ──!?」

 

 ──己がマスターに突き立てた。

 

「おお! アレぞ吸血鬼だ!! 見ておられますかなマスター! 吾輩の作でないのは無念ですが、正に人々が思い描く、英雄(バケモノ)の雄姿を!」

 

「楽しそうですね、キャスター。彼については流石の私も同情を覚えますが──いえ、その権利は我々にはありませんね。此処は敢えて『傑作』と評するべきなのでしょうね」

 

「然り! 『人間はなんて美しいのだ(How beauteous mankind is)!』」

 

 外野で交わされる嫌味か皮肉にしか聞こえぬ会話。

 しかし、それに対して悪態をつく余裕などダーニックにも“黒”のランサーにも残っていない。

 意識が霞み欠ける中、ダーニックは脳内に最善を模索する。

 

“クソ──アインツベルンのサーヴァントめ……!”

 

 状況は極めて最悪。勝敗は決したも同然だろう。

 “黒”のランサーが暴走し、自分がその凶刃に掛かったというのも問題だが、それ以上に吸血鬼に咬まれたという事実が不味い。

 今の“黒”のランサーは伝承通りの吸血鬼。なればこそ、吸血鬼に咬まれれば吸血鬼になるという迷信はそのまま現実になってしまう。

 

 事実、ダーニックは自身の変異を自覚する。

 鈍化していく思考、内から生じる吸血衝動、肉体の死人(グール)化。

 ダーニックが優れた魔術師かつ、己が魂に干渉して延命し続けて来たお陰か、浸食は一瞬のモノではないが、それでも致命的なのは変わらない。

 

 この思考も、あと一分と持たずに断絶するだろう。

 その前に何とかして“赤”の陣営を止めなければならない。

 聖杯は、ユグドミレニアにこそ捧げられるもの。

 

 断じてあんな奴らに譲っていいものではない。

 

“かくなる上は──”

 

 逆転の手段は一つだけ残っている。

 残された二画の令呪。これを使って、“黒”のランサーに方向性を持たせる。先ほどの敵への攻撃命令などではない。この令呪を使い、“黒”のランサーに己自身を刻み付けるのだ。

 

 吸血の本質とは血ではなく魂の略奪。

 サーヴァントが人間から魔力を取り込むように、吸血鬼もまた血を媒体にしてその生気を取り込む。故に、略奪に乗じて己自身の魂を、情報を、“黒”のランサーに流し込むのだ。

 無論、堕ちたとはいえ相手は英霊の魂。たかだか人間の命など取り込んだところでただの魔力に変換するだけだろう。だが、ダーニックは魂の分野の研究者だ。

 自身全てを賭せば英霊と一体化することは不可能でも、『衝動』として、英霊の活動に干渉することは出来よう。

 

 魔術師として培ってきた自分の知識と、魔法に等しい奇跡すら瞬間的に発動可能な令呪の組み合わせ、これを使えばきっと──醜悪な怪物と化したとしても“赤”の陣営に一矢報いることが可能だ。

 

「“黒”の、ランサーに、令呪を以て、命ずる……ランサーよ──」

 

 断末魔にも似た令呪の輝き。

 ダーニックは、己が存在を賭しても勝利せんと残された最後の手段に手を伸ばす。

 

 

「────ダーニックッッ!!」

 

「ッ!! 自害せよ(・・・・)!! ランサー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──我ながら、自分でも驚いた。

 

「────ダーニックッッ!!」

 

 “黒”のアサシンに告げられた言葉、そして事ここに至るまでの道のりでそういう展開もあるだろうと予期していた。

 だというのに──如何なる状況でも剥がれなかった鋼の貌が歪んだ。

 やるべきこと、成すべきこと、それら一瞬がこの光景を前に消し飛び、あらゆる全てを救命に優先していた。

 

「ッ!! 自害せよ、ランサー!!」

 

 舞い込んだ私の姿に、叔父は驚愕の表情を浮かべ、次いで何の躊躇も逡巡もなく、即断即決で己がサーヴァントに令呪を叩きつける。

 刹那、実行されるは絶対命令権。不死であるはずの吸血鬼は自らの心臓を杭で以て抉り出し、破壊し、徹底的に刺し貫いた。

 こんな時だというのに、魔術師としての知識が下らない知識を引っ張り出す。

 

 曰く、吸血鬼は己が心臓に杭を打つと死ぬ──。

 

 霧と化して消えゆく“黒”のランサー。

 鬼気迫ったその表情に、一瞬安らぎが浮かんだのは気のせいだろうか。

 誇り高き護国の英雄は、その狂気を自らの手で幕引いた。

 

 消え去った英霊、その墓標を示すように、ダーニックは霧の中に倒れ伏す。

 

「くっ──ダーニック! 今、治療を──」

 

 そこまで言ってふと気づく。今の自分は魔術を使えない。

 この瞬間、私が有しているのは神の代行者としての英霊に匹敵する身体能力と、神としての性能を代行する神剣。

 徹頭徹尾、敵を殺すことに特化した神兵。

 断じて人を救う者ではない。

 

「────」

 

 『愛すべき光の君』は使えない。

 アレは世界が私自身(バルドル)を祝福するもの、私自身(バルドル)に向けられた盟約、誰かのために使用することは不可能だ。

 ──魔術師であれば、人として残れば、或いは出来たかもしれない“もしも”は他ならぬ私自身の手で破棄されている。

 

「アルドル……」

 

 固まる私の肩に手が掛かる。

 ダーニック──血に塗れた千年樹(ユグドミレニア)の魔術師は自身を襲う痛みも喪失感も意に介することなく、ただ燃えるような執念を瞳に、アルドルを映している。

 

 

「ユグドミレニアを──私の願望(ユメ)を──頼む──!」

 

「……──」

 

 

 そうだ──この程度の損失で止まるな、引かれるな、情を揺らすな。

 何のために此処まで来たのか、何のために此処まで至ったのか。

 その誓いと約束と想いを思い出せ。

 

 やるべきことはただ一つ──私は。

 

「──任せろ(・・・)

 

「──────ああ」

 

 魔術師が笑う。

 ようやく、重い荷が降ろせたとでもいうかのように。

 長い長い旅を歩いてきた老人は力なく倒れ伏す。

 

 それを、受け止めるでも支えるでもなく私は見ていた。

 ……今にして思うと。

 私にとって始まりは“彼”だった。

 “彼”の期待が文字に生きていた私を揺らした。

 

 ただ、『特別(ものがたり)』に憧れた──。

 そんな私が明確な目的を以て歩き出したのは“彼”が原因だった。

 

 つまるところ──魔術師(わたし)にとって、“彼”こそが師であり、一族の長であり、そして、“親”だったのだ。

 

 ──立ち上がる。

 

「──意外ですね。泣いているのですか?」

 

 不倶戴天たる“赤”の首魁。

 決戦の地に再び見えた神父が言葉を投げかける。

 

 律儀にも離別の時に、何をするわけでもなく待っていたらしい神父は本当に意外そうにアルドルへと話しかけた。

 言われたままに頬に手を掛ける。

 左目──人間であった頃の名残から一筋の涙が流れていることを自覚した。

 

「──その、ようだな」

 

 確かに意外だと含み笑う。

 人間らしさなど鋼の誓いに投げ込んだと思っていたが、それはそれとして残されたものもあったらしい。

 

「だが、別段悲しいわけではない、魔術師だからな。その辺の倫理は麻痺している。これは手向けだ。一人の住民としてこの世界にあった私自身が送る、礼のようなものだろう」

 

「礼──成程、その考えは、予想していませんでした」

 

「だろうな、島原の聖人。(これ)は今を生きる我々にだけ許された権利だ。所詮、高尚な目的がため、全ての情を捨て去った聖人には遠いものだろうよ」

 

「……──貴様」

 

「安心しろ。憎悪も怒りもお前には使わない。情のために此処まで辿り着いたわけではないからな。私の目的はただ一つ──」

 

 剣を抜く──身構える。

 激戦に次ぐ激戦、無謀に次ぐ無謀。

 身体は疾うに限界を迎えているはずなのに、問題なく移行する戦闘態勢。

 

 思考は冴えわたっている。肉体に活力が満ちている。

 然るに、絶好調とも評せる全盛。

 残された魂に最後の薪が投じられたかのように私の魂は燃焼している。

 ──誓いは此処に。

 私は私自身が課したただ一つの冠位指定(オーダー)を謳う。

 

 

「千年樹に栄光を──さあ、幕引きの時だ。覚悟は良いか、救世主」

 

 

 有頂天外せしめる魂──今やこの身は、英雄と化した。

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