千年樹に栄光を   作:アグナ

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全に救済を、個に栄光を

 天の杯──アインツベルンが追い求めし、第三魔法その依り代。

 全ての“悪”を根絶せんと御三家が祈り、願い、創り上げた奇跡の器の前に最後のマスターたちが対峙する。

 

 アルドル・プレストーン・ユグドミレニアと天草四郎時貞。

 片や一族の栄光のために、片や全人類の救済がために。

 決して譲れない、その願望。

 叶えるためには聖杯を手にする他ない。

 

 最後の勝者にのみ聖杯は顕現する──。

 なればこそ。

 

「「殺すッ!」」

 

 叫んだ言葉は共に同じ。

 踏み込むと同時に振るった剣と黒鍵が火花を散らす。

 以て──最後の戦いの幕が上がる。

 

「ッ──ぐ、重い……!」

 

「……やはり、性能は今の私の方が上のようだな」

 

 開戦の一合。魔術師とサーヴァントという通常の聖杯戦争ではまずあり得ぬ光景の結末はやはりあり得ぬ方へと天秤が傾く。

 不完全とはいえ仮にも英霊、仮にもサーヴァント。

 本来であればシロウの方が優位であるはずだ。

 

 しかし黒鍵を破壊され、圧し込まれ、たたらを踏んだのはシロウの方。

 素の性能(スペック)だけでシロウは圧し負けたのだ。

 理由は簡単。ひとえに今のアルドルの状態にある。

 

 アルドル──かつて魔術師であった青年は今や神の名を語り、その身を神の依り代として変化させつつある。元々、人間にしては大きかったその霊基は今や英霊、それもハイ・サーヴァントに匹敵する規模にまで膨れ上がっている。

 しかもアルドルの自我を引き換えに膨張はまだ続いているのだ。

 初体面の頃から技量の水準が並みの英霊ほどに備わっていた人物である。それが相当の霊基まで得たというのならばこの結果は当然の事。

 

 搦手を用いずとも、今の実力勝負ならば順当に勝つのはアルドルだ。

 

「その程度──ッ!!」

 

 そんな現実を歯噛みしながら受け入れ、それでも尚とシロウは吼える。

 懐から取り出し投擲する十の黒鍵。

 魔力を回す奇跡の両腕。

 四方に向けて規則的に配置した鍵を意識の中に、念じた。

 

告げる(セット)──」

 

 ……大聖杯が安置される此処はユグドミレニアが支配するトゥリファスの霊脈、その最も『濃い』部分である。

 長年かけて大聖杯をこの土地に順応させるべくダーニックが用意したこの場は、いわば土地の霊脈にとって大動脈。

 この膨大な魔力流動、転用しない手はないだろう。

 元よりシロウは此度の襲撃に際して土地の支配権を奪い取っているのだ。

 敵地にあって、主導権はシロウの手の中に。

 

「建造──大聖堂(カテドラル)!」

 

「これは……!」

 

 黒鍵を起点に薄青い光が四方の陣の内側に立つアルドルの姿を囲う。

 朧気に陰る聖堂の輪郭。

 儚そうな見た目は、しかし見た目のみ。

 内と外とを隔絶する霊脈をも活用した大結界は内部にいるアルドルに対して尋常ならざる圧力を与える。

 巨人の手が上から叩き潰してくるような圧力に耐えかねてアルドルは片膝を屈した。

 

「モドキとはいえ代行者程度が大聖堂(ゴチックフォート)を名乗るか。原理血戒(イデアブラッド)も無しによくやる」

 

 鼻を鳴らしながらぼそりと呟くアルドル。

 魔力をも聖絶するこの空間は魔術師にとって真空だ。

 流石に基盤を完全に隔絶したり、魔力を断絶するほどの領域には至っていないものの、深海の環境下で地上と同じように魔術を操れるものなどそうはいない。

 

 アルドルでなければこの空間に押し込まれた時点で、封じられた魔術と高所にも似た低濃度の魔力と酸素に耐えかね窒息死していることだろう。

 だが……幸いなことにこれは未知(・・)ではない。そして未知でないなら当然、破り方も知っている。

 

「さて──除外されるほどではないが、こちらの生命圏も中々に厳しいぞ?」

 

「!」

 

 脇腹に抱えるよう構える神剣。

 アルドルは不敵に笑うと銃に弾丸を込めるように、その刀身を指でなぞる。

 

「神権、装填……」

 

 瞬間、聖光を弾く青白い極光。

 吹雪のように渦巻く膨大な魔力がアルドルを中心に吹き荒れる。

 斯くて実行される力業。

 大聖堂を凌ぐ膨大な魔力で以て結界を強引に打ち破る。

 

権利実行(セットアップ)──貪り喰らう冬の災い(フローズヴィトニル)!」

 

「な……く、おおおおおッ!?」

 

 ガラスが砕けるような音とともに破られる信仰の場。

 内より出でた猛吹雪が諸共全てを飲み込みに掛かる。

 

 神父は咄嗟に飛び退いて、防壁を築き自分の身を庇うことに成功するが、脱出した神の使徒は容赦しない。守勢に回るシロウをそのまま圧し殺しに掛かる。

 

「謳え、神剣(ティルフィング)!」

 

「ガッ──!」

 

 振るわれる宝具としての基本性能。

 三度瞬く斬神魔剣。

 直撃すれば必死も同然。シロウは何とか躱そうと身を捩るが、それで凌いだのは二つまで。太腿を掠める最後の一撃がシロウの持つ機動力を奪い取る。

 

「これで引けんな。さあ、どうする神父?」

 

「……元より逃げるつもりなどない!!」

 

 無情を囁く魔術師に、不屈を返す神父。

 牽制に式典を添えた黒鍵を投擲しながら、脇目も振らずに叫ぶ。

 

「キャスター! 刀を!」

 

「承知──ではマスター、最後のご助力を」

 

 マスターの命にサーヴァントが応じる。

 “赤”のキャスターは虚空から刀を呼び出すと、それをそのままシロウの方へと投げる。受け取ったシロウは居合切りの要領で刀を抜き放つと、斬りかかるアルドルの太刀筋を受け止めた。

 

「受け止められた……?」

 

「シィ──!!」

 

 そのまま五度繰り返す剣撃。

 衝突し合った剣と刀に視線を往来させながらアルドルは困惑を囁いた。

 

 斬神魔剣(ティルフィング)はその特性上、受けるのが極めて難しい宝具だ。神話の時代より在ったことによる経年劣化と本来の持ち主でないことを加味しても、この魔剣は未だに神権を託すに相応しい触媒となるほどに、その切れ味を残している。

 

 英霊の持つ聖剣魔剣ならばいざ知らず、三池典太──名工が打ったとはいえ所詮は曰く付きの古刀に過ぎないシロウの刀で受け切れるはずがない。

 チラリとアルドルは“赤”のキャスターへと視線を送る。

 

「貴様の仕事か? 劇作家?」

 

「ええ! とはいえ提案は我がマスターより。『運命は星が決めるのではない。(It is not in the stars to hold)我々の思いが決めるのだ(our destiny but in ourselves.)』」

 

 意味深に告げる“赤”のキャスター。

 それを横目に、アルドルを正面に神父自身が由来を明かす。

 

「……再強化に際して、この刀には聖餐を執り行いました。今の状態ならば貴方の剣とも打ち合えます」

 

「聖餐──ハッ、思い切ったな神父。その不敬、地獄に落ちるぞ?」

 

「承知の上だ。元より地獄など見慣れている。それで世界が救えるなら、私は焼かれようとも構わない……ッ!!」

 

 壮絶な覚悟を明かすと同時、今度は神父の方から斬りかかる。

 袈裟切りからさらに返す刀で腕を狙い、流れるような動作でアルドルの右目目掛けて突きを打ち放つ。

 連撃を軽く往なしつつ、アルドルは内心舌を巻いていた。

 

“異端とはいえ仮にも聖人──それが聖体秘儀(エウカリスト)に手を出すか”

 

 聖餐──聖体秘儀(エウカリスト)とは、聖堂教会における聖書の記述「最後の晩餐」を模した秘跡である。救世主が弟子たちの食事に際してパンと杯を手に取り「これは私の身体であり、血である」といって弟子たちに食事を与えた逸話になぞり、救世主ないしはそれに匹敵する聖人の肉体、本来的な意味合いでの聖遺物を捧げることによって信仰を増大させる大儀式。

 

 古くは二世紀半ばの聖人崇拝に端を発する聖堂教会の秘跡であるが、よもやそれを私用(・・)するなど暴挙も暴挙だ。

 アルドルはその幅広い見識から、過去には仏舎利を片腕に埋め込んだ魔術師などもいたことを知ってはいるが、それとこれとは全く違う。

 

 相手は天草四郎時貞。日本史においては時の政権に反乱を起こした反乱分子程度の者で、とても聖人とは言い難い人物だが、それでも信仰それ自体は本物だ。

 神秘をモノとして扱う魔術師とは異なり、神秘を信仰として扱う信仰者。

 だからこそ聖杯戦争に勝利するためだとは言え、聖人の聖体を刀に捧げるなど想像だにしなかった。

 

 その覚悟、その執念。

 決して甘く見たわけではないが、それでも熱量を見誤った。

 

「侮っていたよ、お前──本気で世界を救うつもりらしい」

 

「当然だッ!」

 

 言葉と共に弾ける剣撃。

 真っ向勝負が奏でる調べの中、神父は熱に浮かされたように朗々と語る。

 

天の杯(ヘヴンズフィール)──第三魔法に至れば全てが救われる! 全人類に真の不老不死を与えることでこの世のあらゆる闘争を根絶させ、人々に真の意味での平和を授ける!」

 

「……闘争の大半は資源を巡る争い、生存権を賭けた戦いだ。確かに貴様のいう様に平和は訪れるだろうな」

 

 アインツベルンが追い求めた第三魔法──魂の物質化。

 真の不老不死を確立させるこの法が成立すれば確かに人類は不老不死となる。世界は劇的に変化する。人類は生存権を巡る争いをする理由を失い、必然的に復讐の連鎖は断ち切られる。

 訪れるのは恒久的平和に繋がる道筋。

 涅槃に至る聖者の如く、我欲の意義を無くした人類は永遠の安定という揺り籠の中に揺蕩うことだろう。

 

 正に善の世界。誰もが夢見る理想郷(エリュシオン)

 

「万人を受け入れる奇跡の器──これを救いと言わずに何という! そうだとも、流した血に、涙に、命に報いるためにも、私は必ずこれを成す! 我欲塗れの魔術師に、譲ってなどなるものかッ!!」

 

 永久の命、変化のない安定した社会、苦しみの無い恒久平和。

 善か悪かで語るならば間違いなく善だろう。

 少なくとも栄誉のために聖杯を用いるよりはよっぽど素晴らしい大義だ。

 

 人類全てが等しく平和で幸福に満ちていますように──。

 

 有史以来、数多の犠牲を構造(システム)であると肯定し、平和を傲慢であると嘲笑ってきた正しい現実とやらに比べればきっと救いがあるに違いない。戦乱と暴虐と略奪の中に生きて来た聖人君子が捧げるに相応しい切実な祈り。

 その願いを否定できるものなど居はしない。

 

 ──ああ全く、聖人らしい、実に綺麗な願い(・・・・・)だとも。

 

「…………」

 

 祈りを叫びながら渾身を叩きつけるシロウ。

 絶え間ない剣の猛撃。それを無言で捌く魔術師。

 

 ……聖女であれば、或いは感化されたのかもしれない。

 ……少年であれば、或いは一理を認めたのかもしれない。

 

 だが、聖人君子ほどに──魔術師は現実に期待していない。

 『特別』に夢見ていたが故に現実に冷めていた青年は神父の祈りを冷酷に突き放す。

 

「確かにお前たちの願いに、祈りに間違いはない。平和であることは良いことだ。損失も消失も決して肯定されてはならぬもの。現実がどれほど冷たくとも、理想を追い求めることそれ自体は間違ってなどいないとも。露悪にせせら笑うよりよっぽどいい」

 

 所詮、理想は理想……そう嘲笑うことをアルドルは肯定しない。

 現実が決して平和にならないにせよ、目指すことに意義があるのだと思うから。

 神父の祈りも理想も間違いではない。

 そも一理ありと認めたからこそ、“赤”のランサーも、“赤”のライダーも、“赤”のアーチャーも裏切りに憤りつつも、神父の旗下に入った。

 

 英霊までもが認めたその理想に口を出すつもりはない。

 だから──突き付けるのは否定ではなく現実。

 底冷えした失望と共に救いのない現実をアルドルは語る。

 

「そしてやはり──だれがどう言おうと貴様は聖人(・・)だよ。天草四郎時貞。理想を可能とする手段を前に、あまりにも理想に盲いる」

 

「なにを──クッ、づぅ……!」

 

 受けに回っていたアルドルが斬り返す。

 咄嗟に庇ったシロウだが弾ける剣撃の火花はこれまで受けて来た比ではない。刀越しに芯まで響く様な衝撃と手の痺れに思わず神父は苦悶を上げ、一歩下がる。

 それに、一歩踏み込む神話の魔術師。

 神託を授けるように神の代行者は貴き言葉を神父に告げる。

 

「貴様が語る様に第三魔法が実現した暁には大半の戦が消えるだろう。資源を巡る争い、国土を巡る争い。これらは基本的に生存権を賭けた戦い、生きるための戦いだ。命の安全が確保されれば争う理由を無くした人類は平和を作るだろう──一時の(・・・)平和をな」

 

「……ッ!!」

 

 大義のために情を殺した聖人の目に激情が宿る。

 やめろ、言うな、どうかその先を聞かせないでくれ。

 これ以上、人間に絶望したくない(・・・・・・・・・・)と泣き叫び出しそうな神父にされど魔術師は言葉を続ける。

 

 理想は所詮、理想──あまりにも聞き飽きた、下らない現実を。

 

「不老不死になったところで人間は変わらないだろうよ。争う理由を無くした人類は一時の理想を甘受した後──どうせ、次の争う理由を探す(・・・・・・・・・)。そうして次の地獄を作る。それが、貴様の理想の結末だよ」

 

「違う!!」

 

 魔術師の指摘に神父が叫んだ。

 冷徹に悟った人間の言葉を聖者は拒絶する。

 

「あらゆる欠乏は満たされ、命の危機は拭い去った! 断絶した争いの連鎖は復讐の連鎖を断ち切り、憎み合う理由も思想も濾過するはずだ! そうすれば人類はきっと永遠の平和を……!」

 

「──創ると、信じられるのか? 本当に(・・・)? だとするならば貴様はやはり聖人君子だ。貴様は島原で何を見て来た?」

 

「──貴様ァ!!!」

 

 認められぬと振るう刀を受け止めるアルドル。

 泰然と受ける剣はもはや揺るがない。

 千年を生きた大樹の如く、理想の炎を跳ね返す。

 

「今を見ろ。現実(これ)を見ろ。争う私と貴様を見るがいい。これが人間だ。これが人類だ。祈りと願い、立場と責任、私とお前──極論、『相違』で争えるのが人類だ。人間という生き物なのだ。資源、領土……そんな上等な理由がなくとも争えるのが我々という救いのない生命体だ」

 

 ……生きるために限られた資源を求める戦士たち。

 ……守るために国を背負って他国と争う軍人たち。

 そんなものは上澄み(・・・)だ。大義など無くとも人は簡単に争えてしまう。

 

「例えば、肌の色が違う。例えば、祈る神の名が違う。例えば、掲げる主義が違う」

 

 人種差別。

 宗教対立。

 主義冷戦。

 

「例えば、性別の差異。例えば、貧富の差。例えば、世代間格差」

 

 男女対立。

 貧富貴賤。

 老若不和。

 

「アイツの方が優れている、アイツの方が恵まれている。アイツの方が満たされている。羨ましい妬ましい恨めしい、どうして、アイツは私と違うのだ(・・・・・・・・・・)──」

 

 人間が殴り合うことに大した理由など初めから必要ない。

 自分より優れた容姿を持つ者、自分より恵まれた立場にある者、自分より充実した人生を歩む者。

 極端な話──自分より楽しそうな相手。

 それ(・・)が気に食わないというだけで、殴り合えるのが人間だ。

 

 戦争やら社会病理だと宣って──真実はそんな下らない理由に帰結する争いをアルドルは何度も何度も何度も見て来た。

 なまじ歴史に綺羅星の如く輝く『特別』に憧れて来たから。

 そういう『特別』が足を引かれる事例もまた無数に見て来た。

 

 だからこそ分かる。

 大義名分を胸に戦える人間というのは例外なのだ。

 国のために、未来のためと思って戦える大人物など早々いない。

 争いの大半は、考えなしの人間たちの暴走によって始まる。

 

 そこに誇りも誓いも決意もありはしない。

 あるのはただ、あまりにも救い難い我欲のみ。

 人間を総体として見た時、人類は、獣以上に獣なのだ。

 

 欲の充実に生きる生命体に、救いなど訪れるはずがない。

 

「受け入れろ、未だ現実を認めぬ青二才(・・・)。我々に永遠はあまりにも遠い。個人はともかく、総体としての我々に救いなど存在していない。何故なら罪の意識も、自覚も、存在していないのだから。好き勝手に生きている現実に、初めから救いなど必要ない」

 

「ふざけるな! 我々は多くの血の、涙の、犠牲の上に此処に立っているのだ! 悲劇も惨劇も多くの罪を積み上げて此処まで来たのだ! その何もかもが、平和のためでも理想のためでもなく、ただ無意味な犠牲であったなどと──そんな結末が認められるか! 地獄を知らない若造(・・)が! 知った口で悟るな!」

 

 泣き叫ぶように刀を振るう聖人少年。

 だが、それでも敵は揺るぎはしない。

 冷たい現実を見せつけるように泰然と構えている。

 

「貴様の理想は破綻している。不老不死程度の胡乱な手段で人類は救えないし、何よりも……たかが人類程度(・・・・)のために私の願いは渡さない」

 

 我一人の願いで砕ける世界などいっそ諸共砕けてしまえ──。

 人類の総意(抑止力)を敵に回してまで聖杯に手を伸ばす魔術師は謳う。

 

 我欲に生きるが人ならば、誰よりもそれに殉じよう。

 己のために、己を取り巻いた者たちのために。

 全て、全て、全てを飲み込み下し、凌駕する。

 

 それこそが原初の誓い。

 願望のために何もかもを捧げると決めている。

 

「理想の終点は此処だ。天草四郎時貞。報われぬ過去に目を向け続けている貴様では私には届かない。誰かに理想を託すことを選べず、自らの手で救済を願った時点で、その絶望は超えられない」

 

「──────」

 

 刀が折れる。神剣が聖者の剣を叩き切る。

 

 最後の指摘が止めだった。

 苦悩の果てに至った人類救済への道筋。

 ようやく手にしたと確信した“答え”に対して、魔術師の言葉によって疑念が生じてしまった時点で、天草四郎時貞は負けてしまったのだ。

 

 人間は嫌いだが、人類を深く愛する──そうすることで胸に抱いた憎悪と怒りを克服したがゆえに、不信を捨てきれなかった。

 自分の願いに迷いを覚えたからこそ、欠片も迷わず突き進み続ける光の使徒には及ばない。

 

「……──でも」

 

「……何?」

 

それ(・・)でも(・・)……だとしても(・・・・・)、私は、世界を救う……!」

 

「これは……!!」

 

 半ば折れた刀でシロウは片腕を自らの手で斬り飛ばす。

 噴き出す鮮血。血濡れる神父の横顔。

 凄絶な決意を浮かべ、神父は尚も神の使徒へと挑みかかる。

 

「たとえ我が願いの果てに平和が訪れずとも、理想の未来が訪れずとも! 進み続ける止まりはしない! ただひたすらに考え続ける! 平和を、理想を実現するために願い祈り続ける! そうだとも! 万年かかっても私は歩き続けよう!」

 

 いつか、いつか、いつか──必ず希望の明日は訪れる。

 どうしようもなく人を信じられないとしてもその理想だけは正しいと信じられる。なればこそ実現した理想が、たとえ理想に満たない地獄であっても。

 涙を拭って何度でも何度でもシロウは荒野を進み続ける。

 

 あの日に、憎悪と怒りを捨て去るその日に決めたのだ。

 みんなの無念を犠牲に私は──必ず世界を救うのだと。

 

「誰に言われようとも諦めるものか! 『右腕・空間遮断(ライトハンド・セーフティシャットダウン)』!『左腕・縮退駆動(レフトハンド・フォールトトレラント)』! 希望の明日は渡さない! 堕ちろ魔術師! 『右腕・零次集束(ライトハンド・ビッグクランチ)』!!」

 

 切り離されたシロウの右腕が虚無を作る。

 形成される黒天体(ブラックホール)。込められた暴走寸前の魔力をそのまま爆発ではなく集束に魔力を消費させ、次元ごと裏返す。

 

 何もかもを引き込む超重力を前に、アルドルの身体が引き寄せられていく。

 

「……まさか聖杯を得たわけでもなしにこれを使ってくるとはな。いいや、霊脈を再び利用したのか。黒鍵ではなく、今度は自分の身体を回路に見立てて。生身に霊脈の魔力を直接通すなど、弾け飛んでも可笑しく無かろうに」

 

 原理を一瞬で看破する。その上でアルドルは感嘆を示す。

 奥の手があること自体は知ってはいたものの、まさか使用に踏み切るとは思わなかった上、この土壇場で成功させて来るのは想定外だ。

 

 アルドルが知る限り、聖女の振るう聖火さえ飲み切って見せた虚無の具現。

 この執念を超えるのは至難だろう。

 

「……これだけ言って折れんか。まあ、言葉で折れるなら私も此処まで苦労はしていないか。やはり聖杯を獲るためには、貴様を押し通る他ないらしい──」

 

 息を吐く、剣を指でなぞる。

 結局のところ、聖杯を巡る争いは此処に帰結する。

 願いは千差万別で、譲れるものでは決してない。

 

 なればこそ聖杯はただ一つの最強を求める。

 願いの価値ではなく、願う強さを推し量るのだ。

 

 その視点において、眼前の相手は間違いなく“赤”のランサーをも超える最強。

 この聖杯大戦において乗り越えなければならぬ敵だ。

 

「神権、装填──光、あれ」

 

 刀身に極光が宿る。星が描いた原始の光。

 アルドルが描いて見せた勝利を約束する聖剣。

 智慧を再現(起こ)す神の剣にアルドルは想いを乗せた。

 

 魔力、概念、神秘の原理──魔術師として描く理論の一切をこの一瞬に寸断した。右目に映すのは願いを前に力尽きた叔父の姿。

 ──十分だ。

 必要な要素はこれだけでいい。この一刀に己が人生を示す。

 

 

「我が手に勝利を! ──『我が夢見る勝利の剣(ラグナロク・ヴェグタムルエッダ)』ッ!!」

 

 

 吼えよ我が夢、一族の願い。

 聖人の理想を──この一刀で両断する。

 

「くっ……負けるものか、負けるものかッ!! 俺は、みんなのために……!!」

 

「亡者の夢で私の光は陰らない! 私は、託されたのだから──!!」

 

 光を飲み込む虚無に、虚無を晴らす光。

 創世の日も斯くやと言わんばかりの光と闇の衝突する地平に両者の思いが拮抗する。

 譲れないのは互いに同じ、負けられないのは互いに同じ。

 両者の願いに貴賤はなく、背負う覚悟は共に同じ。

 

 その上で──決めるのは、無情な現実だった。

 

「な──ぜ────ッ!?」

 

 圧し負ける──出力を上げ続ける極光の光。

 それを前に虚無の穴が軋みを上げて搔き消されていく。

 

 ……理由はとても残酷なまでに単純だ。

 アルドルの性能が、シロウのそれを上回っているからに他ならない。

 先の一撃で三池典太が折られたのが何よりの証拠だ。

 

 アレは別段、シロウがアルドルに気圧されたから折られたわけではない。純粋に、神として成りつつあるアルドルの振るう神剣を前に耐えきれなくなったからである。

 この戦いにおいて時間は常にアルドルの方へと傾く。

 限られた魔力で顕現するがゆえに時間と共に死に迫るほどに英霊としての強さを失っていくシロウに対し、死によって完成するアルドルは死に迫るほどにその出力を増していく。

 

 つまりは──決死の戦い(・・・・・)になった時点でシロウに勝ち目など存在していないのだ。

 

 それでも一対一を演じて見せたことは正に並外れた執念が成す偉業ではあったものの、熱意を持つのは相手も同じこと。

 同じ土台に在る以上、後に比較されるのは極めて純粋な存在としての性能だ。

 

「悪いな──今回はこちらが押し通らせてもらう」

 

「──畜……生……!」

 

 迫る光に無念を口ずさむ神父。

 誰に向けたわけでもないらしからぬ罵倒は少年として死んだ残滓か。

 理想のために生き続けた聖人は光の中に消えていく。

 

 以て此処に──最後の敵は消滅し、ユグドミレニアによる聖杯大戦の勝利が決定した。

 

 

………

………………。

 

 

 ──戦乱の終焉を告げるように沈黙が満ちていく。

 立っているのは魔術師の青年。

 千年樹の一族に生まれ出で、一族のために走り続け、一族のために戦い続け、一族のために此処まで至った男。

 

 自分の命も、未来も投げ打って、一族の未来のために一族へと全てを託す選択をした神の代行者は大聖杯へと顔を上げる。

 

 最後の敵は此処に排斥した。残るはこの身を捧げ、千年樹を次代の世界の在り様として完成させること。

 大神が如く、自らの手で、自らの時代を幕引くのだ。

 

「……決着はついた。お前はどうする? “赤”のキャスター。やるというならば今すぐにその首を断つが?」

 

「おお、それはご勘弁! どうせ消えるならば吾輩も自らの手で幕引きたい!」

 

 視線を向けることなく告げたアルドルの言葉に道化が返す。

 主を無くした英霊──最後に残った“赤”の陣営のキャスター。

 ウィリアム・シェイクスピアは相変わらず芝居がかった態度で宣う。

 

「ふむ──そんな矜持を持ち合わせているとはとても思えないが、大方、痛いのは嫌だという理由かな?」

 

「ははははははは! よくお分かりで!! 戦うともなれば、正直恥も外聞も捨てて助命を乞うていたかもしれませんな!!」

 

 アルドルの問いに如何にもその通りと返す“赤”のキャスター。

 英霊としての矜持など全く感じられない腑抜けた言動に、しかしアルドルは愚弄することも見下げ果てることもない。

 戦いたくない、とは一つの真実であるが、彼にも彼なりの矜持があることをアルドルは知っていた。

 

 だから──主を失い、消えゆく“赤”のキャスターに贈る言葉は一つだけ。

 

「此度の脚本は……満足したかね?」

 

「────はは」

 

 視線をやらないアルドルに“赤”のキャスターの顔は見えない。

 その真意を汲み取ることはできない。

 理解できたのは、アルドルの言葉に彼が苦笑したこと。

 そして──。

 

 

この世は舞台、(All the world's a stage,)人はみな役者(And all the men and women merely players)──想定していた脚本とは異なりますが、これはこれで悪くない。結局悲劇になったのは、マスターに申し訳ないですがね!」

 

 

 ──その言葉を最後に偉大なる劇作家の気配が消える。

 彼の消滅を以て“赤”の陣営は此処に全滅。

 時計塔が率いるこれに──“黒”の陣営は完全勝利した。

 

「無傷の完勝とは、とてもいかないが……これでいいかね? ダーニック?」

 

 返事はない──だが、独りでに満足したようにアルドルは笑うと視線の先にある聖杯に向けて歩みを始める。

 意識は解けかけている、記憶は曖昧になりつつある。

 死に迫ることで他人ごとになっていく己の生。

 

 人としての人生が物語へと書き換わっていく中、回想する。

 

 無念が無いと言えば嘘になる。

 死にたいか、と問われれば死にたくないと答えよう。

 だが、自分の人生に換えてでも優先したい願いがある。

 全てを捧げても後悔しない願望がある。

 

 故に──この歩みは決して止まらない。

 ささやかな未練を胸に──私は未来への礎となる。

 

 ……だから、もし。

 この歩みを止める者がいるとするならば。

 

「…………」

 

 大聖杯とアルドル──両者を分かつ境界に矢が刺さる。

 そうして、アルドルはようやく振り返った。

 

 

 

「やはり来たか、フィオレ」

 

「──はい、貴方を止めに」

 

 

 

 全ての敵は排斥した。

 なればこそ、残る障害はただ一つ。

 掲げる大義に真っ向返す身内の情。

 

 神に至るための最後の儀式がアルドルの前に立ちはだかった。

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