千年樹に栄光を   作:アグナ

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物語は終わりがあるからこそ美しい。

それは物語を好む私の感性だった。

素晴らしい物語ほど、

心揺さぶる物語ほど、

人は終わってほしくないと永遠を望む。

だが、起こり()け転じて()める。

この完成した流れがあってこそ、

物語は美しく映えると思うのだ。


反逆の赤雷

 深夜のトゥリファス。

 魔術世界に新秩序を築き上げんとする野心家の魔術師たちが根を張るその城塞都市はまるで嵐の前を予見するように静まり返っていた。

 

 現在時刻は深夜の二時。

 極東における丑の刻と呼ばれる時間帯である。

 

 人々は死んだように眠りにつき、普段は街で見かけるはずの野良猫や野鳥たちですら何処かに消えてしまっている。

 そんな街を不気味な月明りだけが、いっそ無音を際立たせるように青白く映えさせる。

 風もなく、音もなく、広がる静寂と生温く肌に付く不気味な気配。

 

 さながら死の都市(ネクロポリス)

 夜の城塞都市は昼の光景とは打って変わってまるで別世界だった。

 

「……嫌な気配だ」

 

 そんな空気を敏感に感じ取り、獅子劫はポツリと言葉を漏らす。

 

 ──ブカレストで“赤”の陣営と合流することが叶わなかった獅子劫は結局彼ら自陣営との合流を諦め、此度の聖杯大戦勃発の地にして戦地となる城塞都市。

 千年樹(ユグドミレニア)が根を張るトゥリファスへ踏み入った。

 既に『工房』となる拠点も手に入れた。

 そのため獅子劫は早速、トゥリファスでの活動を開始した。

 

 幸い敵の居所は明確である。

 ミレニア城塞。

 彼ら“黒”の陣営がそこに巣くっているのは事前情報からも知られている確実な情報だ。

 故に通常の聖杯戦争のように敵の居場所を探るといった索敵行為は不要。

 いつ襲ってくるかの危険性は街全体が既に敵の領地であることを考えれば通常の聖杯戦争に比べれば格段に高いだろうが居場所が分からない状態で一方的に仕掛けてこられるよりかは遥かにマシである。

 

 油断を殺し、警戒しつつ、獅子劫は街を闊歩する。

 酒に飲まれた破落戸(ごろつき)も夜の職務を行う水商売人もいない。

 示し合わせたように静まり返った街の雰囲気。

 人払いか、または彼ら一般人も空気が違う不気味な夜を感覚で感じ取り、息を潜めることにしたのか。

 

 なんであれ、良いことが起こる前兆ではない。

 寧ろその逆、これから始まる騒乱を予期するような、そんな静寂。

 

「ハッ、良いじゃねえか。人目が無いのは都合がいい。仕掛けてくるってんなら迎え撃つだけだ」

 

 獅子劫の独り言に言葉を返したのは全身を鎧に包んだ騎士。

 言うまでもなく獅子劫のサーヴァントである“赤”のセイバーだ。

 夜間であること、そして何より既に敵地であることから普段の霊体化を解き、いつでも戦えるように武装していた。

 

「……セイバー、一応言っておくが今夜は偵察だからな? あくまで目的は城の仕掛け所を探ることだ。サーヴァントの襲撃があるかもしれんが、深追いだけはくれぐれもしないでくれよ?」

 

 状態は単騎駆け。そんな状態で一人敵城に突っ込むほど獅子劫は愚かではない。何せ城には七騎のサーヴァントに加え、ユグドミレニア一族の魔術師たちに彼らが『工房』として防衛力を高めた罠や結界が多数存在しているのだ。

 無策で突撃するのは余りにも無謀である。

 だからこそ獅子劫は手始めにまず仕掛け所……敵の守りが薄そうな場所を見極めるためこうして敵の拠点を観察するための偵察に乗り出したのだ。

 

「わぁってるよ。……でもまあ敵が()ろうとしてくんなら、別に()り返しても別に構わんだろう? マスター。正当防衛って奴だ」

 

「ハァ……過剰防衛は止してくれよ。頼むから」

 

 鎧越しでも分かる闘気(やる気)満々のセイバーの雰囲気に獅子劫は本当にわかっているのだろうかと思わず、ため息を吐く。

 ──とはいえ、これから始まることを考えれば弱気なのよりも良いだろう。

 目的は敵情視察とはいえ、既に敵地。

 場合によっては今日日いきなり仕掛けてきても可笑しくないのだ。

 魔術は一般には秘匿されるものだが、此処はユグドミレニアが領主(セカンドオーナー)を務める彼らの街だ。

 万が一目撃者が生まれたとしても、それを消す程度の根回しは簡単に済ますことができるだろう。

 

 まして連中は昼のブカレストで仕掛けてきた疑惑がある者たち。本拠である此処でならいきなり弓兵(アーチャー)による狙撃や暗殺者(アサシン)による不意打ちがあっても何ら可笑しくはあるまい。

 

「ん?」

 

 不意にバサリという音を聞き、獅子劫は上を見上げる。

 家屋の屋根。

 月の光を背景に一匹の烏がこちらを観察していた。

 こちらと目が合った烏はカァと一鳴きして飛び去る。

 

“使い魔……か?”

 

 しかし魔力は感じない。

 使い魔ではなく、野生と考えるべきだろう。

 街の機微に関して過剰に反応してしまうのは敵地ということで気を張りすぎているのかもしれない。

 ふぅ、と心落ち着かせるように息を吐く。

 

「しかしブカレストと違って時計塔や尖塔の類の高台が少ないな。こりゃあ、高い場所から城を観察するってのは無理そうだな」

 

 緊張を解すのも兼ねて、軽く肩を回しつつ獅子劫は街を見渡して言う。

 “黒”の拠点、ミレニア城塞は街の北東に位置するが、その周辺には三ヘクタールほどの森林地帯が城を覆うように囲んでおり、さらには街自体もミレニア城塞に対して上り坂となるような台地の地形。

 結果として街一番の高所となるミレニア城塞は都市全体を見渡すことが可能な一方こちらからは城塞の詳しい様子を観察することが難しくなっている。

 

 考えるもなく、狙った都市設計である。

 街の支配者であるがゆえに、魔術を置いても彼らは彼らにとって都合の良いように街の作りに手を入れているのだ。

 

「どうしたもんかね」

 

 城までの距離自体は視覚強化の魔術で何とでもなるが、城を観察するに適した場所はどうにも見つからなさそうである。

 街に手を入れられる以上、敵に優位となりうるものは極力弾くのは合理的な発想ではあるものの、実際やられるとこちらから打つ手は少ない。

 一層、使い魔でも飛ばしてみるかと獅子劫が考えていると、不意にセイバーが声をあげる。

 

「マスター、アレなんかどうだ? 城を監視するのに丁度いいと思うが」

 

 セイバーが指さす先。

 そこにあったのは築百年以上を数えるトゥリファス市庁舎だ。

 時の権力を象徴する歴史ある建築物とだけあってか周囲の家屋と比べれば歴然なほどに背が高い。

 ミレニア城塞を観察するのに不足は無いだろう。

 

「いいな。行って、上ってみるか」

 

 セイバーの提案に獅子劫は頷いた。

 そして約五百メートルほどの道の先にある市庁舎目指し、一歩踏み出したが不意に踏み出す獅子劫の襟首をセイバーが掴む。

 

「なんだよ?」

 

「わざわざ歩いていくのは面倒だろ? 一気に行くぞ」

 

「はっ?」

 

 何処か楽し気な様子で言うセイバー。

 嫌な予感を覚えた獅子劫は思わず身じろぎをして抵抗しようとするが、幸い獅子劫の嫌な予感が的中することは無かった。

 いや──より正確には実現することは無かったというべきだろう。

 ……街に似合わない獰猛な獣の唸り声が二人の耳に届く。

 

「──マスター」

 

「ああ、分かってる」

 

 セイバーが獅子劫の襟首を放して前に出る。

 逆に獅子劫は数歩引きながら胸元に手を伸ばした。

 

 闇の向こう。

 二人が睨む視線の先に影が落ちていた。

 

 チャッチャっと踏み出すごとに爪音を立て、低い唸り声を上げる存在。

 街中で見かけるはずもない、狼がいた。

 先ほどの見かけた烏とは明確に異なる濃密な魔力の気配。

 もはや言うまでもない。

 敵の使い魔である。

 

「一、二……六頭か」

 

「大したこたぁねぇな。マスターは下がってろ。オレが一気に片付ける」

 

 そう言ってセイバーが剣を構える。

 セイバーの戦気を感じ取ってか狼の方も前足を伸ばして、身を低くし、飛び掛かるような構えを取る。

 

「……援護する。気を付けろよ」

 

「ハッ、あんなんに手こずるかよ」

 

 セイバーの背後で獅子劫が自身の獲物──無銘の水平二連式の切り詰め型ショットガンを構えながら言う。

 正に一触即発の気配。

 “赤”のセイバーはまるで自陣の名の通りを示すように赤雷を鎧越しにバチバチと放ち始め、狼たちは身構えたまま三頭ずつ“赤”のセイバーを取り囲むよう左右へと動き出す。

 

 そして深く“赤”のセイバーが仕掛けんと踏み込んだ時だった。

 

「ッ……!? マスターッ!」

 

「うぉおおお!!?」

 

 一閃。仕掛けは予想だにしない方向からだった。

 先ほどまで見上げていた市庁舎の方面。

 そこから一本の弓矢がまるで“赤”のセイバーと狼たちとが激突する刹那を見極めて飛来する。

 狙いは“赤”のセイバーの背後に立つ獅子劫。

 頭蓋を撃ち抜かんと放たれたそれは、しかし“赤”のセイバーの檄を受けて咄嗟に身を翻した獅子劫に当たることは無かった。

 

 そして“赤”のセイバーと獅子劫の注意が逸れた一瞬の隙を突き、獣の狩人たちが動き出す。

 前後の足で以て地面を蹴り飛ばし、左右から時速八十キロの速度で二頭が先行し、一拍遅れて二頭が時間差を付けるように駆ける。

 残る二頭は正面から周囲の家屋の路地に紛れて姿を消す。気配から察するに恐らくは回り込んだのだろう。

 森の狩人、森林において生態系の頂点に君臨する獣たちはその頭脳を駆使し、獲物を仕留めるために最も適した狩りを敢行する。

 

「犬畜生が、小賢しいッ!」

 

 だが、迎撃するは歴戦の騎士。

 人類史に刻まれし、英雄である。

 ましてやアーサー王の伝説に由来する赤き騎士は生前から獣は愚か、魔獣と言われる存在とさえ剣を交わした存在。

 たかだか森林に生きる獣に手こずるほど、甘い存在ではなかった。

 

 赤雷を纏った剣を暴力的に振るい、先行してきた二頭を纏めて叩き切るや否や、跳躍し、空中でクルリと回転。そのまま地上にいる時間差で迫ってきていた二頭に向けて剣を振るうと、剣から飛び出した赤雷がまるで落雷のように二頭の狼に襲い掛かり、絶叫を上げる間もなく全身を丸焦げにした。

 

「セイバー、狙撃だ!」

 

 獣たちの戦力の七割を一瞬に絶滅させた“赤”のセイバーに獅子劫の注意が飛ぶ。空中で身動きの取れないと思われた“赤”のセイバー目掛けて、先ほど獅子劫を狙ったと思われる存在が再び弓矢による狙撃を行ったのだ。

 

「は、効くかよ!」

 

 だが矢は鎧を掠めることすらなく、バチンと生じた“赤”のセイバーの纏う赤雷によって戦果を上げることなく、粉砕された。

 

 ──『魔力放出』。

 それが先ほどから“赤”のセイバーが発する赤雷の正体であった。

 基本的には魔力を一気に放出することで踏み込みを加速させたり、剣に威力を乗せたりとセイバークラスが自己の身体能力強化のために多く用いる攻防ないしは移動に用いるスキルの一種であるが、“赤”のセイバーの放つ魔力放出はこのように赤雷を伴う特性を有しているのだ。

 

 それに伴う攻撃威力は見ての通り。

 中距離間での剣に代わる攻撃手段は元より、身に纏うことで迫る攻撃を撃墜することも可能。

 通常の魔力放出と比べてより攻撃的な“赤”のセイバーの魔力放出はスキル評価にしてAランク。威力だけなら下手なサーヴァントの宝具をも上回る。

 

「らぁあッ!!」

 

 裂帛の気合を上げて“赤”のセイバーは魔力を放出。

 空中を蹴るようにして弾丸のように加速すると赤雷を伴い、そのまま市庁舎の方に着弾。約五百メートルもの間合いを僅か一秒で踏みつぶし、先ほどからこちらを狙ってきた存在へと肉薄する。

 

「ッッ!?」

 

 驚愕の気配。敵の正体を“赤”のセイバーは視界に収めた。

 両手には古い長弓に矢。

 真っ白な髪に、真っ白な礼服。

 血と見紛う程に赤い瞳を持つ女性。

 

 白皮症(アルビノ)──などという言葉が過りかけるが違う。

 人型でありながら何処か作り物めいた気配。

 気配に反して表情の変化の薄さ。

 その身に覚えのある様は正しく……。

 

「ッ、ホムンクルス……か」

 

 魔術的に鋳造される人工生命体。

 それが敵の正体だった。

 

 僅かに“赤”のセイバーの手が止まる。

 その隙を見て、ホムンクルスの女性は副武装として持っていたであろうナイフを取り出し、“赤”のセイバーへと飛び掛かった。

 

「関係ねえ……敵なら殺すだけだ」

 

 だが不意を打ったと思われるホムンクルスの攻撃は“赤”のセイバーが手を払うだけで簡単に阻止された。

 赤雷を伴った動作で払った“赤”のセイバーの手はナイフを彼方へと飛ばし、さらに女性のホムンクルスの手をも焦がす。

 

「っ……あ!」

 

 小さく悲鳴を漏らし、たたらを踏む女性のホムンクルス。

 “赤”のセイバーを前に、それは余りにも致命的だった。

 

「じゃあな」

 

 何処かつまらなさげに、或いは苦虫を噛み潰したような不快感と共に“赤”のセイバーが無造作に剣を振るう。

 しかし、女性のホムンクルスを仕留めようとした一刀は、女性のホムンクルスに届く前に動きを止めた。

 

 ガキン、という金属と金属がぶつかり合う音。

 果たして“赤”のセイバーの剣を防いだのは……。

 

「なんだ──こいつ?」

 

 獅子のような顔をしながら犬の矮躯の異質な存在だった。

 先ほどの狼のような、或いは眼前のホムンクルスの女性とも異なる生命の気配を感じさせない無機物。

 人形──そうとしか思えないモノが“赤”のセイバーの一刀をその身で防いでいるのだ。

 

 そして次の瞬間、予想だにしない出来事が起こった。

 

「なッ……ハァ!?」

 

 異形の存在……その犬のような体がガガガッという生体にはあり得ない異音を発しながら高速で回転しだしたのである。

 さながらローラーじみた動きで回転駆動する身体は、触れる“赤”のセイバーが持つ剣を弾き、衝撃で“赤”のセイバーを後退させた。

 さらに異形な機構が連続する。ガキンと何かが外れるような音と共に四本足を直立させたまま犬型の異形はまるで独楽(こま)のように今度はその全身を水平方向に回転させ、やがて回転速度は造形が視認出来なくなるほどの超高速回転にまで達した。

 

 そのまま異形はトゥリファス市庁舎から“赤”のセイバーを弾き出すように回転しながら迫り、不意打ちに踏みとどまろうとした“赤”のセイバーを簡単に吹き飛ばした。

 

「ヅ、うぉおおおお!?」

 

 驚愕の叫びは二重の意味を伴っていた。

 一つは非常識を司る神秘の常識を鑑みても余りにも奇天烈なモノに対して。

 もう一つは如何に矮躯とはいえ、サーヴァントたる“赤”のセイバーを簡単に吹き飛ばしてみせたその威力。

 

 強制的に地上にまで突き落とされた“赤”のセイバーは見事な身のこなしで完璧な着地を決めたため、無傷ではあったものの、不意打ちだったにしろ力勝負で“赤”のセイバーに競り勝ったという現実が“赤”のセイバーに警戒を生じさせた。──異形の躯体が“赤”のセイバーを追って地上に降りてくる。

 

「テメェ……なんだ?」

 

「…………」

 

 返答はない。いいや、そもそも生命の気配さえ感じ取れない。

 先ほどから感じる無機物感といい、恐らくは魔術的な礼装か何かなのだろう。獅子顔の異形は“赤”のセイバーの言葉に何ら反応を示さず、今度はゼンマイでも回すかのようなカチリという駆動音を立てる。

 

 そして異形が何らかの行動を起こそうとした瞬間、乾いた破裂音のようなものが辺り一帯に響き渡る。

 漂う火薬特有の刺激臭と仰け反る異形の存在。

 誰が何をしたのかは明確だった。

 

「セイバー、無事か?」

 

「見ての通り、問題ない。それよかアンタの方も無事みたいで良かったぜマスター。あの犬畜生どもの始末は終わったみたいだな」

 

「あのなぁ……分かってたなら全部仕留めてから別行動を開始してくれ。お陰で対応するのに時間を取られただろうが」

 

「何、オレはマスターを信じていたからな。オレを呼び出した魔術師なんだ、あの程度の畜生にやられるほど弱くはないってな」

 

「調子が良い言い分だな、おい。……で? ありゃあ何だセイバー。見たところ狛犬、か?」

 

「あぁ? あー、極東の守り神ってやつか。言われてみりゃあ確かにそれっぽいな」

 

 合流した獅子劫の言葉に“赤”のセイバーは聖杯より与えられた知識を適当に精査し、呼び出す。

 狛犬、それは確か日本の神社などに門番として据えられる石像だったはずだ。基本的には神の社を守る門番ないしは神の使いとされるが、所によって守り神としてそれ自体が信仰されたりとすることもある存在である。

 

 西洋の英霊である“赤”のセイバーは即座に見分けることが出来なかったが、日本人である獅子劫はその馴染み深い造形を見て即座に正体を看破した。

 尤も狛犬と称すにしても些か異形なのには違いあるまい。

 

「生意気にもオレの剣を弾きやがった。あの狛犬とやらは何だか分かるかマスター? “黒”のキャスターか何かのモンか?」

 

「いや、多分そりゃあないだろ。冬木の聖杯は魔術基盤を西洋に由来している都合上、東洋に由来する英雄は呼べないはずだ。聖杯そのものに由来する英霊であれば例外もあるだろうが……少なくとも俺が知る限り狛犬が聖杯に関係あるなんて話は聞いたことがねえ、第一……」

 

 すっと獅子劫はサングラス越しに目を細める。

 魔術師として獅子劫があの狛犬の人形に受ける印象は、近代的、というものだった。

 “赤”のセイバーの剣を弾いたという話から頑丈ではあるのだろう。

 実際、不意打ちの援護射撃……獅子劫が会敵と同時に放った弾丸は狛犬に炸裂したにも拘わらず、何の成果も挙げていない。

 装甲に弾かれたのだろう。或いは神秘の年代に圧されたとも考えられるが、狛犬から発せられる雰囲気はどんなに見積もっても百年そこら。

 年代品(ヴィンテージ)であっても、骨董品(アンティーク)とは言えない。

 

「恐らくは“黒”のキャスターのモンじゃなくて、“黒”のマスターの誰かが作った作品だろうよ。……にしてはやたらと完成度が高いが」

 

 いわゆる人形を用いる魔術は半ば廃れて久しい魔術基盤。

 本来であれば現代魔術師が製作する人形兵器などサーヴァントである“赤”のセイバーに対して何の脅威ともなり得ないはずなのだが……。

 そう言い切るにはあの狛犬人形の質は高すぎる。かなりの腕利きの人形師が作った作品とみてまず間違いあるまい。

 

「油断するなセイバー。サーヴァントほどではないにせよ、そこそこ厄介な代物っぽいぞ、アレ」

 

「ハッ、上等。あの犬畜生やホムンクルスよりは噛み応えがありそうだ」

 

 そう言って“赤”のセイバーが剣を構えて身構える。

 同時に狛犬が動いた。

 先の狼たちと比べて幾らか緩慢な疾走を開始したと思うや否や、ドリルのように獅子面の頭蓋が回転しだし、狛犬の足首がグルンと内側に回転して内側から車輪が姿を現した。さらに狛犬の尻尾に当たる部分からは無色の魔力が噴出する。

 

「おいおいおいおい、なんじゃそりゃあ!?」

 

 思わず唖然として驚愕を言葉にする獅子劫。

 幾ら非常識な魔術とはいえ、人形というよりもはやロボットか何かのような余りにも複雑な変形機構は少々常軌を逸している。

 しかもやたらと回転に拘っているのが要所要所に見える辺り、製作者は相当な変態だろう。

 狛と独楽を掛けてでもいるのか、などと呆れた感想を漏らす獅子劫。

 

 だが獅子劫をして変態的な作りの狛犬は性能もまた現代魔術師の基準からすればあり得なかった。

 掘削するかの如く頭蓋を回転させながら“赤”のセイバー目掛けて突進する狛犬の速度は優に二百キロを超える。

 螺旋状の回転が空気抵抗を減らし、足元の車輪が両足で駆け抜けるよりも効率的な加速を生む。

 加えて“赤”のセイバーの魔力放出には遥かに劣るものの、加速を増長させる魔力放出が狼たちの健脚以上の速力を生んでいるのだ。

 

玩具(おもちゃ)が、二度目はねえ!」

 

 狼をも上回る狛犬の突進。

 仮に生身の魔術師であれば、まず狛犬の質量を前に轢かれて粉砕され、それに踏み耐えたとしても頭蓋の回転により削り殺される。

 しかし膨大な魔力と神秘に覆われた“赤”のセイバーの耐久力がその程度の物理的な破壊力に屈するわけもなく、剣を振り真正面から受け止める。

 ギャリギャリと金属の擦れる不快音が響き渡るが、剣も“赤”のセイバーも狛犬の突撃を前に健在だ。

 

 “赤”のセイバーは剣で狛犬を受け止めたままにバチバチと膨大な量の赤雷を放ち始める。そして一気呵成にその魔力を放出し、

 

廃物行き(スクラップ)だ……砕け散りやがれぇ!!」

 

 赤雷を伴い、狛犬の突進を押し返すように剣を振るう。

 受ければ並のサーヴァントですら粉砕するAランク相当の一撃。

 ましてや赤雷を伴った高熱の攻撃を現代魔術師が作ったであろう作品が耐えきれるはずもなく、狛犬は一瞬にして粉砕──。

 

「なんだと……?」

 

 否、だった。

 恐るべきことに狛犬の加速が跳ね上がる。

 それに、驚愕して“赤”のセイバーは目を見開く。

 

 そう狛犬は壊れるどころか巨大な魔力の放出を螺旋回転の突撃に巻き込み、さらには受け流しながら身に纏うことで自身の加速エネルギーへと転換したのである。

 通常、これだけの魔力放出を、しかも赤雷を纏った攻撃性の強いものを受ければ損壊して然るべきである。

 しかし、狛犬の全身に組み込まれた回転という機構が、正面から襲い来る魔力の波を後方へと受け流し、赤雷に伴う衝撃をも捌き切ったのだ。

 流石に剣の一撃で頭部に傷を抱えたものの、概ね無傷……どころか自らに“赤”のセイバーのエネルギーを転換したお陰でその突進は威力を増してゆき。

 

「ぐおおおおお!!」

 

 相乗効果で二倍の、およそ時速四百キロの速度で以てして“赤”のセイバーを石造りの家屋に叩きつけた。

 

「セイバー!」

 

 予想だにしない敵の戦果に獅子劫が思わず声を上げる。

 

 ──つい先ほど獅子劫は狛犬と独楽と掛けたなどと冗句を言ったが、実のところその冗談は間違っていない。

 この狛犬はコンセプトに独楽を盛り込んだ人形であった。

 しかし、それに加えて製作者は持ち前の作りこむ性格を用いて、もう一つ言葉を掛けていた。

 それは狛犬の由来が一つとされている、拒魔(こま)犬という特性である。

 伝承に曰く、魔除けを成すとされる狛犬の由来を取り込み、人形の体内に真言(マントラ)を刻むという処置の下、呪いや魔力を弾くという性能を有していた。

 

 元々、神社や寺院に飾られる狛犬の表情、口を閉じた様、口を開けた様はそれぞれ仏教の阿と吽……サンスクリット語における言葉を発し、終える様に由来する。

 そんな仏教的な価値観を反映したこの架空生物は梵字との親和性が非常に高く、そのため刻んだ真言(マントラ)はたとえ魔除けの一字であっても相応の効果を発揮する。

 

 加えて独楽というモノ自体、日本特有の言葉遊びにより「物事が円滑に回る」と言った縁起のある意味も込められた玩具だ。正月に独楽で遊ぶという文化は嘗ては宮廷儀式にも取り上げられるほどの由緒正しき遊び。

 

 即ちこの人形は『狛』と『独楽』と『拒魔』という三重に意味がかかった作品なのだ。

 この人形を制作した人物にアルドルが発した「俺は猫より犬派だな」というどうでもいい話題に端を発して片手間に仕上げられた人形は、しかし製作者の拘りもあって、魔力を弾くというただ一点においては驚異的な域にまで引き上げられているのである。

 それこそ、一級のサーヴァントの魔力すら受け流すほどに。

 

「クソ、玩具(おもちゃ)風情がよくもやってくれたな……!」

 

 予想以上の衝撃を受け、“赤”のセイバーをして痛みを覚える程度のダメージを負ったが、それ以上に自身が一撃を返されたことに“赤”のセイバーは怒りを覚えていた。

 “赤”のセイバーを吹き飛ばした件の狛犬はただ“赤”のセイバーを睥睨するように立ち尽くしている。流石にあれだけの魔力放出を受け流しきれなかったのか微かに赤雷で帯電しているが、それも胴部の回転機構が回転することによって徐々に散らされていく。

 負荷は掛かったが機能停止するほどのダメージは無いようだ。

 

「大丈夫か、セイバー」

 

「問題ねえよ。それよか下がってなマスター。仕組みはわかった、後はぶっ壊してやるだけだ」

 

 思わぬ反撃を受けたサーヴァントを心配し、声を掛ける獅子劫に返ってきたのは怒りに濡れた声。

 獅子劫は一瞬、短気に飲まれていないかと心配するが、立ち上がり剣を構え、深く息を吐いた自分のサーヴァントの姿を見て、止める。

 

 ……確かに人形の完成度は高い。それこそ現代魔術師としては凄腕の部類に属する作品であろう。これが並の魔術師であれば簡単に殺しうるほどに。

 だがしかし、此処にいるのは歴戦の英霊である。

 初見殺しは確かに“赤”のセイバーに一杯食わせたが、それだけだ。

 そしてそれだけで押し切れるほど、英霊は甘い存在ではない。

 

 再び狛犬が回転しだす。

 “赤”のセイバーが振るう魔力の一撃をさえ受け流す狛犬の機構。

 現代の魔術師が生んだ巧みな人形兵器は再び“赤”のセイバーに目掛けて突進を行い……。

 

「三度目は、ねえ」

 

 直撃寸前、その目標を見失った。

 目標を再度その視界に収めるより早く狛犬は不意に異常を自覚する。

 回転する頭蓋の機構、それがまるで何かに引っかかったようにガキンと異音を奏でたのである。

 

 そして狛犬は自己の状態を自覚した。

 突進が当たる寸前、狛犬の背後に回り込んだ“赤”のセイバーが狛犬の頭に腕を回して抑え込み、さながらチョークリーパーを掛けるようにして全ての動きを封じていた。

 魔力をむやみやたらに放出するのではなく、筋力に転換したその力は狛犬の魔力を受け流す機構を完全に封印した。

 

 狛犬は即座に“赤”のセイバーを振り払うため、自由の利く両足の機構を用いて水平に回転しようとするがそれよりも早く、首元の可動部に“赤”のセイバーの剣が突き立てられる。

 

「今度こそ廃棄処分(スクラップ)だ、くたばりやがれ」

 

 先の一撃に匹敵する赤雷が今度は外部からではなく剣を通して、狛犬の内部にて荒れ狂う。回転を用い、外からの魔力干渉に強い狛犬であったが、数々の機構が仕込まれた内部は違った。

 そもそも回転というものが強みのこの人形がそれを奪われて、抵抗できるはずもなく、内部に流された爆発する赤雷魔力を受け流すこと叶わず、内側から狛犬は爆散した。

 

「チッ、存外手こずらせてくれやがったが、これで終わりだな」

 

 石畳の上に剣を突き立てながら“赤”のセイバーは吐き捨てた。

 周囲にはネジやゼンマイ、バネなどが無数に散らばっている。

 もはや首だけになった狛犬の顔がキリキリと僅かに断末魔の音を鳴らし──。

 

 やがて沈黙した。




「ん? 早いわねプレストーンさん。
 荒耶さんもコルネリウスさんもまだ来てないわよ? 
 この猫?
 ああ、最近思いついた人形よ。……え?
 猫よりも犬派? 

 (眼鏡外し)

 ──聞き捨てならんな、それは。
 二人が来るまで時間がある。
 少し──語り合おうじゃないか」


──時計塔にて、とある学生の会話

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