ワイルド・ローズ・シューティングスター。人呼んで『荊の流星』。
貴方はこの最も邪悪な凶器をきっと知っている事だろう。
もし知らないとしたら、忘れているだけだろう。それに関する鮮烈過ぎる記憶は、動物の本能として貴方の脳味噌に刻み込まれているからだ。

かつて球界を震撼させたその凶器が、今度は日常に放たれて成すのは善行か、悪行か、はたまたそんな価値基準だって粉々に粉砕する。

そんな話を貴方の記憶が戻るまでたっぷりと聞かせよう。

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魔法少女ワイルド・ローズ・シューティングスター

「うん、ヒット。」

 

人通りのない道端に、年齢に不相応なロリータに身を包んだ少女が立っていた。手に持っていたバットを軽く一振り、纏わりついていた血を落とす。

彼女の前には男が倒れて死んでいた。その死に様は異様で、辺りには鮮血が有らん限りにぶちまけられ、首から上が跡形もなく消し飛んでいた。

 

***

 

そう。正に貴方のご存じの通り。

彼女が弄び振り回すその凶器の名前は148cmの鬼神。『荊の流星』、ワイルド・ローズ・シューティングスター。

 

言わずと知れた一振りである。

そしてこの阿鼻叫喚の殺戮兵器の根源は何か?

かつてバットには限りない魅力と欠点があった。それは金属を取るか、釘を取るかの二者択一である。

 

1960年代、アメリカの名バッター、ロジャースはこの二択に非常に悩んだ。ロジャースの生きた時代、野球界のバットは金属派が席巻していた。しかし、彼に言わせれば金属など下賤の、貧乏精神が生み出したつまらない産物である。

 

過去の、20年代の栄光を思い出してみよ。かつてのバッター達を。ジャスミンも、ロバートも釘バットを使ってホームランを飛ばしていたではないか!

最も飛ばしていたのはホームランだけではない!血飛沫や嬌声も飛び交っていた!もういくら探しても打ち込める場所がない。というくらい釘を刺された木製のバットに染み付いて二度と消えない真っ赤な血を吸わせる感覚。そしてそのパフォーマンス。

 

そしてその20年代の血湧き肉踊る血みどろのの闘争こそがロジャースの望んだそのものである。

 

そうして鬼神が生まれた。

 

彼は金属と釘、両方選んだのである。

これ程傲慢な選択をした者はかつての野球界には存在しなかった。

60年代の超新星。破壊神。そう、破壊である。破壊の奔流の体現者こそが、ロジャースである。

ワイルド・ローズ・シューティングスターが誇るのはその欲望と傲慢の塊のような針山、そして硬度である。

 

1963年のメジャーリーグ、球速600km級の投手、マイケルの放った豪速球をロジャースの眼光が捉え、鬼神・ワイルド・ローズ・シューテングスターに着弾する。

瞬間。球は弾け飛んだ。粉々に。跡形もなく。

 

そうだ。野球に詳しい貴方の考える通り、600kmの豪速球など常人にはひとたまりもない。彼とその手に持つ鬼神が普通のそれであったならば、ロジャースは胸には穴が開き、今頃彼は深い眠りについていたであろう。

 

しかし、鬼神の肌は核爆弾の衝撃をも耐えうるアダマンチウム製である。

そうして容赦なくマイケルの放った幼稚で哀れな球は傲慢な針山の処女(アイアン・メイデン)の餌食となったのである。

 

結果、スタジアムは騒然。マイケルは恐怖で蹲り失禁し、1963年度大会は史上唯一の点差を顧みないコールドゲームとなった。

これが1963年の衝撃である。

 

その威風、そして恐れられる様は奇しくも、数千年も前の神話に登場するあの『最悪の女王』にそっくりであった。

 

 

 

第一話・魔法少女になりたくない?

 

 

 

「おじさん。あれ。」

「どうした?ボーイ。」

 

二人連れの、一人は年端も行かない子供。もう一人は恐らくその保護者であろう壮年の男がそこにはいた。

場所は駅の改札。ここでは一日の間にものすごい数の人々が行き来する。その中で子供が見つけたものは、しな垂れたサラリーマンであった。

 

「あのひと、すごくつらそうだよ。

なにかあったのかな。」

「ああ、きっと何かあったんだろうな、ボーイ。」

 

男は少年の質問に丁寧に、慈愛をもって答える。それがこの男の責務であるかの様に。

 

「ねえおじさん!あのひとを助けてよ!おじさんのちからで!」

 

子供は無邪気に笑い、単なる善でそのサラリーマンに手を差し伸べようと言う。

なんと言うことか。手を差し伸べる人間の癖に!下手な魂胆も!気持ち悪い偽善の精神もないのだから!

 

「いいのか?君のために使える力は限られているよ?ボーイ。」

「いいの。だってあんなにつらそうなんだよ?そんなの助けなきゃだめだよ。」

「そうか。君は他人のために自らの力を使える人間なんだね。

それもまたアメリカンドリームの使い道かも知れない。

いいだろう。君の願いを叶えよう。」

 

男はサラリーマンに歩み寄っていく。

サラリーマンはようやくその俯いた顔を上げ、意味がわからない、と言った様子で男の顔を見る。

 

「君の名前は?」

「ん?どうしてあなたにそんな事を言わなきゃならないんですか?」

当然だ。知らない人間に無闇に個人情報を話す訳がない。

「じゃあボーイ、今日から君はゴクウだ。ミーの知っている数少ない日本人の一人の名前だ。」

「悟空?西遊記の?」

「サイユーキ?まあいい。ゴクウ。君に力を与えよう。

今の君は路頭に迷っているみたいだが、それならミーの力が役に立つ。」

 

男が傅き、ゴクウの手を取り、祈る時の手の位置へ持ってくる。

しかし、返ってきた答えは芳しくない。

 

「いらないです。そんなの。」

「どうして?怪しいものじゃない。」

「どうせお前も俺をだますんだろ?もううんざりなんだよ。早くどっか行ってくれ。」

 

男は誘いを断られ、おどけて口をへの字に曲げる。

 

「そうか、残念だ。もう力の譲渡は完了したよ。」

 

その一言だけは聞きたくなかった。とばかりにゴクウの顔はみるみる悲惨に歪んでいく。

 

「そんな!!おれは何にも払えませんよ!

俺には何にもないんだ!結婚するはずの彼女にも振られて!さっき会社もやめてきた!もう俺から奪えるものなんて何もない!」

 

そうか、そうなのか。日本にはこんな人間がいるのか。抵抗する力もなく、奪われ尽くされた無辜の人間。

大丈夫。それならば君に抵抗する力を与えよう。その意志の力を授けよう。

 

「君はなんにも払う必要はない。施しだよ。考え尽くされた神の、無償の愛でもない。

だからきっと不可思議な因果も存在しないんだよ、ボーイ。」

「それは・・・」

「アメリカンドリームだよ。ボーイ。皆に持つ権利がある。でも大きくなると忘れてしまうものだ。悲しいことだがね。

それじゃあ元気で。」

 

男はやがて立ち上がり、背中を向けながら手を振り、帰っていった。

後ろ姿から男の恰幅の良さが窺える。

 

「何だったんだ。」

 

「おじさん!あの人はこの後どうなるの?」

「ああ、それはゴクウ、彼次第だよ。」

 

男は顔を上げ、天井を見上げる。

駅の天井だって言うのに、こんなにも天井が高いのは何故だろうか。

 

「だが、彼の物語の歯車は再び動き出したのさ。君のおかげでね。

さあ、たのしみだ。この後彼がどんな運命を辿るのか。それは誰も知らない。知らなくて良いように出来ている。それがアメリカンドリームなんだから。」

 

心なしか、男の口角が上がった。

 

「それよりもボーイ、ミーは早く東京観光がしたいんだ、アメリカから窮屈な飛行機に乗せられる事丸二日、もうミーのわくわくはとめられないぞ。

先ずは浅草か?新宿?渋谷も捨てがたい。池袋という選択肢も当然ぬかりのないミーは用意している。さてどうする?早く行こう。ユーが家に帰らない内に。」

「もういいんだよ。お父さんとお母さんの事は。それよりもさ、僕は新宿に行ってみたいなあ。」

 

二人の前に風を切って電車が現れる。さあ、楽しい旅行の始まりだ。

 

未だ知らぬ、その女王に殺される日まで。

 

 

***

 

 

今日はスーパーの品出しのバイトと、コンビニの夜勤か。少女はいつものように教室の隅の席を立ち、いつものように扉へ向かう。

 

「おい。コケ。」

「聞いてんのか。」

 

廊下に向かう少女に罵声がかかる。

これもまた、日常の一場面である。彼女らが少女を僻んでいるのは少女の顔立ちや体つきから明らかだった。

 

少女の顔立ちは美しすぎた。それが故にこの教室にいる女子たちは男から全く相手にされないという虐げを受け続けているのだ。

しかし、少女は、その美しい顔の代償か、両親にも、友人にも恵まれなかった。両親の何かの間違えで産まれてしまった少女は少しでも家族の生活に貢献するため日々働くのだった。

 

少女の名前は希羅鬼落々(キラ キララ)。

姓は先祖から受け継いだ伝統あるもの。名前は産まれた時に付いていたテレビでやっていた少女向けアニメの主人公の名前だ。

 

 

校門をでて、バイト先に向かう道を十分程歩いた所で信号が赤になり、足止めを食らった。

 

キララはこういう時、何を考えるのかというと、家計の事である。

親は金がないくせにやたらと金遣いが荒い。だが、不幸中の幸いか、彼らには本来主体性が無いためか、彼女が綿密に家計を立てれば二人はそれを守ってくれる。

向かい側には一人、スーツをだらしなく着た社会人らしき男が立っている。

 

良い気なものだ。

私が下校する時刻にこんな所にいて。大方仕事が嫌になったか、そういった所であろう。

彼女は許せない。自分が学生にも関わらず毎日アルバイトをこなしているのに、仕事が嫌になったら辞められる環境にいる社会人の事が。

実際、彼女は家族最後の柱である。彼女が崩れればたちまち家族は崩壊して、行き場を失うだろう。

 

鳥の囀る声が聞こえる。

信号が青になった。

横断歩道へ一歩、一歩と踏み出す。

辛いだとか、いつになったら終わるんだとか、そういった感情はとうに忘れてしまった。

ただ黙々と作業をこなす。

 

人は一キロ歩くのに千四百回も踏み出さなければならないと聞くが、意識し出したら彼女はそんな些細な事でさえ気の遠くなるような絶望感に苛まれるに違いないのだ。

 

 

***

 

 

僕は今、横断歩道を挟んで美女と対峙している。これは運命に違いない。

聞いて驚くなよ?僕の辞書にはこんな言葉がある。

『魔法少女には金属バット』!

なんて甘美で蠱惑的な言葉なんだ!

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。容姿端麗眉目秀麗沈魚落雁、仙姿玉質。美しい女性を表現する美辞麗句はいくらでもある。

 

下らん。

全て唾棄すべきガラクタみたいな言葉でしかない。

少女には魔法少女が、魔法少女には金属バットがよく似合う。それ以外何もない。

それが全て。それがこれ以上なく単純化された世界の真理だ。

でも皆知らない。誰もこの事を知ろうともしない。

 

 

なんと!!愚かな!!

 

 

どいつもこいつもふざけてやがって。

だから僕は探していた。金属バットに似合う少女を。

亜麻辺爺太(アマ ベジイタ)。それが僕の名前。姓は先祖から授かった大事な物。名前は親から野菜好きの子供に育って欲しいという願いを込めて付けられた。

これは明らかな作為である。

 

姓にはそれぞれれっきとした起源がある。かつての豪族の名前であったり、とある地名であったり、もしかしたら田んぼが周りにたくさんあったから田中になった人もいるかもしれない。

だが、色の名前が姓の人間はいないだろう?

 

これは作為だ。

 

そしてそこから一つ気付きを得た。

 

これの名前に明らかな起源があるとするのならば。なんの脈絡もなく名付けられていないのだとしたら。それは紛れもなくこの世界が「作られた物」で、その事を知っている僕こそその主人公に違いないと。

 

つまり、僕の人生は一つの語り継がれる物語であって、僕以外の人間はみんな脇役で、僕の物語に花を添えるため、そのために創造主からあてがわれたノンプレイヤーキャラクターに違いないと。

素晴らしい。これでこの世界に僕より偉い人間はいなくなった。

さて、話を横断歩道の向こう側の美女に戻そう。

制服を着ているという点を鑑みて恐らく高校生だろう。年齢も丁度いい。そして相変わらず素晴らしい観察眼だ。僕。

 

君に決めた。

君にこそ相応しい。

金属バットを握る魔法少女になるのは君しかいない。

 

行動するのなら早い方がいい。今すぐにでも魔法少女になって貰おう。

とはいえだ。僕は初対面の人間に話しかけるというのが凄く苦手だ。しかも女で、未成年で、とんでもなく美人だときたもんだから。

ああ、ちょっと怖いなあ。

怖い。あのお淑やかで切れ長の瞳に、冷たく睨まれたらどうしよう。

あの鮮やかなピンクの唇から酷い言葉を吐かれたらどうしよう。

 

頑張れ僕!!勇気を出して!見つけたからには僕がやらなきゃいけないことなんだ。

『魔法少女に金属バット』!

この言葉を知っている人間が他にこの世にどれ程いるんだ。

やらなきゃ、僕がやらないと。

先ずは落ち着け。

僕はポケットに左手を突っ込んで少し弄る。

そうしてやがて握り締める事が出来た。ああ、冷たい。金属の感触だ。人肌より硬く、冷徹に簡単に人間を傷付ける事が出来る道具。僕が何より信頼できる物。メリケンサックを握りしめる。

 

ポケットにその左手を隠しながら。

 

***

 

 

「魔法少女になりたくはないか?」

道を歩く少女、キララとそれを引き留め妄言を吐くサラリーマン風の男、亜麻。

その絵面は犯行現場そのもの。

「いや、いいです。それじゃあ…」

 

私は首を揺らした。

これは頷きでは無い。似ているが違う。これは頷きを繰り返す行為。どうしてか、頷きを繰り返すことにより断るという意思表示になるのだ。

 

最近の女子高生は特に断るという行為をせざるを得ない場合が多い。

だから彼女も当然、僧帽筋にバイブレーション機能を搭載している。

だから彼女は難なくこの行為をする事が出来る。

男の発言を意識して無視し、私はその場を後にしようとした。

しかし、男はガッチリと彼女の肩を掴み、反復する。

 

「おおお、おい。逃げんなよ?ま魔法少女になりたいかって聞いてんだよ。」

 

 男は緊張からか、声が震えている。それが彼自身の不気味さを増幅させ、より不審者であることを際立たせる。

 

「ん?いや、だから知らないです。」

「ほっほっ本当は?」

「え?え?そんなのにはなりたくないですよ。」

 

沈黙が落ちた。しばらく二人は見つめ合う。

再びこの気狂いから逃げようと、彼女が踏み出した時。

 

「ねねねえ、だから本当は?」

「いや、本当とかないですから。そのま…なんちゃらにはなりたくないです。すいません。失礼しました。」

 

駄目だ。この人絶対関わっちゃいけない人だ。逃げろ。逃げないと!

 

「うううううう・・・素直になれよ!!」

言うないなやすぐに走り出した彼女の意識が一瞬宙を舞う。

一体何が起きたのか?

 

キララが目を開けると男の常にポケットに入れていた左手からストレートが炸裂していた。しかもあろうことか、その手にはメリケンサックが嵌められていた。流血沙汰になってもおかしくないだろう。

彼女はよろけ、尻餅をついた。

「ももう一度、答えを聞こうか。」

「ひっ。」

「ねえ、お願いだから素直になってよ。魔法少女になりたいだろ?

 

 君しかいないんだよ。

 

 君しかいない!

 

 君しか!!いない!!

 

わかるだろ?」

 

震えながら私は首を振った。

 

「わ、分かりません。

ほ、他でもいいじゃないですか!!私以外でもっと女の子なんて沢山いるでしょ!?」

「き、君が可愛いからだよ。」

 

彼女は尻餅をついたまま訳の分からない様子で。

 

「あーあ。震えてるね。

しょ、しょうがないからさ?取り敢えず道具だけ渡しておくから。

覚悟を決めておいておくれ。」

「そ、そんな・・いやです私はこれからどうなるんです?」

男はどうやら落ち着いたようで、またポケットを弄り、ポケットから可愛らしいトークンを取り出した。

どうして二十にもなる男がこんなものを持っているのだ。やっぱり変態なんだ。変態。

 

「気になるかい?こここれはね、け、結構昔に骨董品を扱うお店から盗んで来た物なんだ。そりや死に物狂いでね。」

 

もう一つ、手に持っているものがある。

棍棒だ。

 

「お前今さ、これ棍棒だって思っただろ。」

 

「え?あ、はい。」

「これはバット。まあ君は女の子だから。野球なんか興味ないと思うんだけど。でもなあ、これは結構有名だと思うんだけどなあ。

ねえ?いくら見た目が良いからってさ、ある程度常識は知っとこうよ。ねえ?」

 

いやどう見ても棍棒なんだけど。

 

「さあ。これから君には災難が降りかかる。だが君が覚悟を決めればいつでもその災難を振り払うことができるだろう。」

男はこれまた何処からか取り出した手錠で、その棍棒と私の手を固定した。

 

「あ、あの、私はこの後どうなるんですか…」

「それはもちろん」

「あの!私まだ彼氏とか出来たことなくて・・・その・・体だけは・・・」

 こんな状態で最早空しくなる程叶わぬ願いだけど、こんな気狂いには指一本私に触れて欲しくない。

「はあ?それじゃあ僕が犯罪者になっちゃうだろ!」

「え?」

 

なに?殴っておいてそこは奥手なんだ。意外だけどすごい安心した。唯一の救いと言ってもいい。本当に安心したわ。

 

「お前はこの後、ただ一言、叫ぶんだ。

 

ヘンシン!!キュアピンク!!」

 

なに?なになに?今何が起きているの?変態?変態だ。

 

「ほら、叫べ。」

 

どうやらさっきのを私にやれとのこと。多分だけど、変身の呪文みたいなものなんだろう。

 

「ホラ、やれよ。」

 

男はまた、左手をポケットから出した。

 

「へ、へんしん。きゅあー・・んく。」

「なあ?やる気あんのかよ!本当に!本当さあ!!!魔法少女になりたいのになりたくないのどっちだよ!?!?」

「な、なりたくな・・・・」

「ああ!!」

「ひっ」

殴られる!反射的にそう思ってしまった。この男に場を支配されている。恐怖によって。

こんな時、どうしようも出来ないのはわかっているけれど、私は毎日こんな気持ちだったのを思い出した。

「ああ!とれない!!」

 

なんだこれ!ただのバットだと思ったら全然持ち上がらない!ていうか触れた途端コンクリートをかち割って地面にめり込んだんだけど。

どうしてそんなに重いものをこいつは軽々しく持てたんだ。

 

「どうしよう。こんなのどうしたらいいの?」

 

このまま手錠に繋がれて、のがれられないまま、こんな男に餓死させられるの?

 

「変身と、一言叫べ。」

 

いやだよ。馬鹿馬鹿しい。お前みたいなクズの言いなりになんかなるもんですか。

なんで?ねえ何で?どうしてここまで私が虐げられなければならないの?私なんかよりもっとそうなるべき人がいくらでも居るじゃない。

 

「ねえ、どうしてわたしなの・・・もっと他にいるでしょう?私がか弱いから?」

男は一言に真摯に答えた。そうしなくては駄目だと思ったから。『魔法少女に金属バット』。その言葉に似合う少女はお前しか居なかったから。

それだけなんだ。それだけあれば十分なんだ。これ以上の理由なんて必要ない。

 

「おおお前が、うつくしかったから。」

「それこそ私以外に・・・」

「とにかく、叫べ。それだけでいい。それだけで君は降りかかる厄災を払い除けることが出来る。いいな?

じゃあ、君が試練をこなしたらまたここに戻ってくるから。あと、ぼ僕の名前は亜麻辺爺太。そのバットは鬼神ワイルド・ローズ・シューティングスター。和名は『荊の流星』。かっこいいだろ?くくく。それじゃあね。」

 

亜麻と名乗った男はそう言い残し、消えて行った。叫ぶだけ?そんな簡単な事で物事が解決した事なんて一回もない。

 

 

***

 

「あああああくそくそくそ。仕事仕事しごと。うううううう」

 

何処からか声が聞こえる。地獄から響くような唸り声が。

それは現代社会の怨念が煮詰められた怨嗟の声。救いようのない声達。

システム化され、加速し、やがて大きくなっていく社会からあぶれた、そんな声だ。

声の主は背広を着ていた。彼はシステムを身にまとい、未だに苦しんでいるのだ。

苦しみながら互いに互いを、同族を傷つけている。

だが、それももう限界だった。今の彼はただの人の形をした暴力装置に過ぎない。

 

彼に力を与えられ、抵抗する意思を手に入れたから。

人を殴りたい。めちゃくちゃになるまで殴ってやりたい。

今まで自分を縛り続けてきた人という存在が憎い。今から自分と同じ対価を払わせてやるのだ。

 

「くそ。くそ。早く殴らせてくれ早く早く。ああああ!!宮崎!!宮崎武彦!!早くてめえを殴らせろ!!たけひこぉ〜〜・・・出てこい出てこい出てこい」

 

ドン!!と、大きな音が鳴り響いた。男の殴った音だ。恐る恐る男の方を見ると、男の傍にあったガードレールが歪に形を変えられていた。

その中心には拳の形がくっきりと残っている。

いやだ。来るな。

こんなのが私に襲いかかってきた暁にはぐちゃぐちゃに殺される。

なんで?なんでこんなに今日はついてないの?おかしいよ。私このままじゃ殺されるじゃん。

 

「来ないで・・・私を殺さないで・・・」

 

言うやいなやギロリ、とその男の眼光が私を捉えた。当然と言えば当然である。彼女は路上で拘束され、無防備な姿でポツリといるのだから。

怪物の目は明らかに殺意を持っている。殺せるならなんでもいいと、暴力をぶつけられるのなら何でもいいと、その風貌と行動が物語っている。

少女の柔らかな肉は格好の獲物である。

 

「ひぃ。」

変身だ!!変身だ!!ヘンシンと、そう叫べ!

 

「へ・・・」

 

もしかしてこれがあの男が言っていた試練って事なの?

悔しい。こんな馬鹿げた事に縋るしかないなんて。少しの希望に賭けるしかない。

「変身・・・・!!」

 

賞賛を送ろう。彼女の勇気と覚悟に。そして祝おう。旧き闇の女王の再誕を。

 

彼女の体は虹色の光に包まれ、いつの間にか裸体になっている彼女の各部位に光が収束していく。

 

腕に、足に、胸に、腰に、臀部に、髪に、唇に。

たちまち派手なピンク色の前衛的すぎる衣装に包まれる。

でも、可憐で、美しくて、少女らしい衣装だ。

 

その残酷過ぎる実像とは裏腹に。

 

「ちょちょちょちょ!ちょっと待って!何よこの恥ずかしい格好!あっ!あああああああ・・・・ん?」

 

なんで私は叫んでいたんだろう。これが私に一番馴染みのある衣装じゃないか。

あとは、他に、他に何か忘れている事があるような。そんな歯に異物が挟まった様な違和感がある。まあでも、今は取り敢えず私に纏わりついている脅威を振り払わなきゃ。

 

「そ、それじゃあ始めようかしら?」

「ううううううう!!うあああああ!!早くしろ!!早く!!出てこいいい俺の、昔の俺の女でもいい誰でもいいだから早く、早くしてくれはやくだれかを殴らせろ!!」

「そうだ。野球。野球がしたいんだった私。」

 

 

***

 

 

野球をしなければ。野球をしなければならないと、彼女の脳味噌は唐突にそう主張を始めた。

 

野球だ。まず、バッター、ピッチャー、そして判定する審判が必要だ。

 

「おい!亜麻!どーせ見てるんだろ!隠れていないで出てこい。」

 

 建物の影から、ひょっこりと亜麻が顔を出した。

 

「良かった君!魔法少女になったんだね!」

「あんた、審判やってくれる?」

 

どうやら彼にはその資質が十分に備わっていると判断したようだ。

そうだ、彼に審判をやって貰う前に聞いておかなければならない事がある。大事な事だ。

 

「お前、知っているよな?本当の野球を。」

 

亜麻は顎に手を当てて暫く考えた。

 

「本当の野球。つまりは世間一般に膾炙していない方の野球って事だね。」

「許し難い事に。」

 

本当の野球とは何だろう。

貴方は知っているか?そもそも野球とはどんな起源を持つのか、貴方はご存じだろうか。野球とは、本来『野』生的な『魂』という意味だった。それが転じて野球という言葉になった。

 

その実態は数千年も昔の神話の時代から存在した、最も古く、新鮮なスポーツである。

決してアメリカ人が改悪した、下世話な娯楽とは違う。野球とはすなわち命のやり取り、命を捧げなければ始まらない。

 

複雑なルールより、ダイアモンドベース、打順、球団、そんなものより大事なものがある。

必要なのは三人だけ、あるのは幾つかのルール。

例えば開幕の合図はこう呼ぼう。

 

「おいお前。野球しようぜ。」

 

そのルーツは三千年程前に遡る。

『マンガ』とは、日本に伝わる神話群を後世へ残すために日本人が作った伝承の形態である。

代表的な神話に「鉄腕アトム」などがあるが、開幕のルールに関して明記されているのは『ドラえもん』においてである。

 

日本野球協会の見解では、この神話はゴンドワナ神話群に分類され、特に東南アジア系の神話、逸話と大いに関係があると言う。

 

 

『ドラえもん』は巨人の名を冠する哀しき暴力装置に翻弄される一人の小市民と、それを救う青い狸を描く、まあありがちな英雄譚の一つであるが、そこで巨人が放ったある言葉が後世に語り継がれる不変のルールとなる。

 

「おいのび太、野球しようぜ。」

 

これは生温い誘い文句などではない。その実は有無を言わさぬゲームへの強制参加である。

 

小市民はその場で巨人の誘いを断ることが出来るが、その顛末は押して知るべし。兎にも角にも『野球の誘いを断ってはいけない』。

それがこの「ドラえもん」に記された野球のルールの一つなのである。

 

「あーあ、待ちくたびれたぜ。じゃあさっさと始めよっか。おっさん。」

「いや待て、野球なんてする訳ねえだろ。俺はただこの有り余る力で、思いっきり人を殴りたいだけなんだからよお!」

 

審判とバッターの二人がやる気に満ち満ちている中、背広の男だけはやはり状況が掴めず怒りを露わにしている。

 

「なによ。あんたは本当の野球をしらないんだ。

じゃあ一つ教えてあげる。先ずピッチャーは何かを投げるんだよ。それをバッターは迎え撃つ。取り敢えずそれだけ。」

「あ?」

「ホラ。何でもいいんだよ。早く投げなよ。」

「だったら!拳骨でも飛ばしてやるよ!」

 

いいぜ。やってやるよ。

お前のその綺麗な顔面、ぐちゃぐちゃにしてやるからな。

力を込めて腕の筋肉を動かすと、いつもの何十倍もの力をもって自分の腕が動かされているのが分かる。

 

「ストラーイク。」

 

静まり返ったマウンドに気の抜けた男の声が響く。

一回表、第一球はストライクの判定となった。

男の放った拳骨はものすごい勢いで少女の顔面にめり込んだ。

 

少女のつんとした鼻も、ぷるりとした唇も、全てを蔑ろにせんとばかりの拳骨であった。

しかし少女は倒れない。

 

「一ストライクだって。良かったね。」

 

ああ、やっと、やっと人を思いっきり殴れた。

ああ、でも満足なんて到底出来るわけがない。

こんなに、こんなに力を込めて殴ったのに。なのにコイツの顔面には傷ひとつついていないからだ。

 

「馬鹿だなあ。二球目以降がまだ残っているんだから、そんなにバッターに近づいたら駄目でしょ。君の負けだよ。」

 

男は先の、ガードレールを自分の拳で軽く歪めた事を思い出した。

どう言う事だ?この女の顔面は、ガードレールよりも硬いって事か?

 

「なんだ?その困惑した顔は。お前はまだストライクを一つしか取ってないんだぞ?

なあ、お前の『魂』はどこにあると思う?脳みそか?手前の心臓か?右胸か?大切にしていた物にこそ心は宿るのか?」

 

 男は腕をがっしりと掴まれた。

頑張って振りほどこうにも、彼女の圧倒的な腕力の前に全く歯が立たない。

鬼神の黒光りする身体が冷たい音を立てて地面を擦る音が聞こえる。

ああ、この音が止んだ時俺は死ぬんだ。

 

「やめろ!やめろやめろやだやだやだやだ!!死にたくない!おねがいおねがいおねがい、殺さないで!!」

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 びしゃり。

 

「うん。ヒット。」

 

審判の声が上がる。少女は頑張った。スイングは間違えなくホームラン級である。しかし如何せんホームランにするには相手の格が低すぎた。

何より三球目を投げる前に死ぬピッチャーなどピッチャー失格である。

 

 

 

第二話・魔法少女VS某有名野球選手

 

 

 

気が付けばもう三ヶ月。私は未だに魔法少女を続けていた。

 

「ホラ、アバズレがまた窓際でなんか黄昏てるよ。」

「あはは!」

 

彼女らは別に私に関わるでもなく、遠くから私に罵倒の言葉を投げかけるだけ。

なんとも思わない。

三ヶ月前までは。

ガガガガガと、音を立てて椅子が動く。私は教室を後にしようと机から立ち、出入り口にたむろしている彼女らに向かって歩き出した。

 

「な、なによ!あんた最近社会人とつるんでるそうじゃない!」

「どうなのよ!?そいつに体で貢がせてるんじゃないの!?」

「アバズレ!!」

 

 口々に、彼女らから罵声が吐き出される。

コイツらが言ってるのはきっと亜麻のクソヤローの事だ。あいつとなんかあるとか思われていると思うとなんだか癪だけれど、別にコイツらとは何の関わりもないし。どうでもいい。

「アバズレ!!」

「どんっ!!」

握り拳を二つ縦に繋げ空想のバットを作る、私はこいつらに向けて素振りをしてやった。

 

「なによ!?」

「ふふふ。ふふふふふ。はは!はははは!!」

 

 コイツ等の脳味噌をぶちまけたらどんな風になるのかな!

灰色には飽き飽きだ!

赤色が好き!

雁首揃えて、ボーリングのピンみたいに並べて、纏めて刈り取ってやりたい!

 

 

***

 

 

アメリカンドリームを分け与えた者たちが次々姿を消している。

数々の推察の結果この答えに辿り着いたのがつい七日前、そしてその元凶がどうやらスーツを着た男と、ロリータの少女の二人組である事が分かったのが三日前、そろそろ憂いの芽は摘んでおかねばならない。

 

そう言ってミーが動き出したのが今日だ。

 

「おじさん。今日はどこにいくの?」

「ああ、ボーイ。今日はね、八王子だ。」

 

東京を観光するという目的で来た日本。

ここ三ヶ月でもうほとんど東京はしゃぶり尽くしたと言って良いだろう。いくら東京といえども、こんな田舎には何も無いだろう。

 

まあ他の目的もある。他でも無い、あの憎き二人組がどうやらこの八王子にいるようなのだ。ミーの与えたアメリカンドリームの残滓を見れば分かる。

 

「おじさん。それで八王子で何するの?」

「ああ、まあ、うん。何をしようか。観光するにも何も無いな。

だがなボーイ、さりげない道を歩くだけでも旅行にはなるさ。取り敢えず入れるレストランを探そうか。」

 

少年が無自覚に、ミーに牙を剥いた。

 

「おじさん。僕達が救ってあげたひとたち、いましあわせかな?」

 

なっていない。だが子供にそんな辛い事実を伝える訳にはいかないだろう。

 

「ああ。そうだろうとも。彼らはアメリカンドリームを手に入れたんだからね。」

 

彼らの結末はそれは残酷で、ミーの力をもらった者どもはミーの力に耐えられないで、暴走した挙句、最後に得体の知れないプリチーガールに殺される始末だ。

どうやら日本に来てから幸先が悪い。

 

「どうしたのおじさん。黙っちゃって。」

「ああ。なんでもないよ。」

 

とにかく、あのプリチーガールが元凶なんだ。早く彼女をどうにかしないと。

 

 

暫く歩き、何かを感じ取った。

 

香しい匂いがする。それは狩りをする者が醸し出す、甘ったるい匂いだ。

 

「おじさん。道に骨が落ちてるよ。犬さん、落としちゃったのかな。」

 

歩く道の先には確かに骨が落ちている。でもこれはただの骨じゃない。ゴクウの腕の骨だ。間違いない。

骨にはかすかにミーの力の残滓が残っているのだから。

よもやこのミーに罠を張る存在が出てくるとはな。

好都合だ。

 

この時期にこの罠。プリチーガールと無関係なんてことはないだろう。

 

「ボーイ、少し脇道に逸れるが、いいか?」

 

 

***

 

 

「来たか。黒幕さん。」

「初めまして。プリチーガール。」

 

匂いを探るまま、路地裏に入り、やがて人気のない公園に着いた。

そこにはロリータの少女と冴えないサラリーマン風の男が二人立っていた。

 

しかし、それだけではない。彼女から迸る闇の闘気は何だ。

ミーはその可愛らしい恰好に、直感的に寒気がした。

一体なんだ?この感覚は。

 

「じゃあ早速、始めようぜ。」

 

卓越した強者同士の戦いに言葉はいらない。

ただ二人が相対し、男がピッチャーズプレートを踏み、少女がホームベースに立つ。

しかしその足は着実に土を踏み締めて、向き合う。強者同士の戦いに、試合開始の合図は最早無粋だろう。

 

「ガール、ミーの名前を知っているか?ミーの名前はロジャースと言う。」

 

かつてその名を聞いた観衆は熱狂し、対戦相手は戦慄した。ユーはこの名前を知っているか?

 

「ロジャースだって。キララちゃん知ってる?」サラリーマン風の男が少女に問いかける。

「いいや、知らない。」

「昔有名だった野球選手だよ。百戦百勝。向かう敵を悉く打ち砕いてきた『荊の流星』。」

「ふうん。」

 

興味なさげに少女が相槌する。

 

「なんであれ、私は殺しができればそれでいいや。」

 

キララは目を瞑り、心を沈めた。それはこの三ヶ月で編み出した新たな境地。

 

「八幡大菩薩様。私に力を下さい。」

 

目を閉じたままWRSSを両手で上に掲げた。

 

「ガール。なんだその構えは。」

「上段。」

「なんだそれは?野球を舐めるな。そんなのは打者の構えではない。」

 

彼女は黙ったまま。それ以降何も動こうとしない。しかしなぜか彼女の立ち姿には躍動が感じられる。

 

「ガール。返事をしろ。このまま死合を始めてしまうぞ?」

「舐めてるのはあんたよ。アメリカ人。日本にだって野球はあるから。それも愚かなアメリカ人のヘボ野球とは違う、数百年の伝統ある物がな。」

 

「じゃあそのままいくぞ。」

 

ボールをミットへ。やがて後ろへ。腕の筋肉は躍動し、血管は浮き出て踊り出す。これぞアメリカといった風情である。

そうしてまるで全てを破壊してしまうような、そんな破壊の弾丸がロジャースの掌から放たれる。

 

「   一球入魂ッッっ!!!    」

ミーはアメリカだ。ミーはアメリカそのものだった。

千年前、あの広大な土地を島伝いに進んで発見したのもミー。

そのあと八百年後、明白なる天明を掲げてインディアン共を追いやったのもミーだ。

 

愚かにも私に逆らった背の低いアジア人に対して、リメンバー・パールハーバーと言い、皆を導いたのもミーだ。

最近でも、ミーのツインタワーに飛行機で突っ込んだ馬鹿共がいたな?返り討ちだ。

 

豪速球で投げられた球はそのまま少女の心臓を貫くかに見えた。

しかし。彼のボールはもう消えて、どこにも見当たらなかった。というよりも、消えて無くなったと言った方がいいのか。

 

「なんだと?ミーの一球が止められた?」

一刀両断。その構えから繰り出される一閃は確実に万物を粉々に粉砕しうる力が篭っていた。

 

鬼神。彼女のその手に持つ得物ではなくて、彼女そのものが、その姿が熱と自分の震えで揺らいで見える。

そうしてロジャースが感じたものは彼には今まで全く覚えの無いものであった。

恐怖。

圧倒的なまでの実力差。

この場面には見覚えがある。

 

世界に生れ落ちてから勝者であり続けた彼が、今回は彼が敗者としてこの場に立ち会っている。彼の股からゆっくりと熱い液体が流れ出す。かつてホームベース越しに見たあの惨めな投手の如く。

 為す術もなく、その場に崩れ落ちた。

 

「おじさん。

おじさん立ってよ。おじさん!まだみんなを助けたいのに!どうして倒れるの?あめりかは?あめりかがなくなっちゃったの?

ねえおじさん!」

「ボーイ。アメリカンドリームが何で成り立っているか分かるか?」

「なに?」

 

遠くで座って見ている子供に老兵は問いかける。子供は何も知らないその笑顔で聞き返した。

 

「それはね。君の思いだ。君の何かになりたいっていう思いがそこらじゅうから集まって、そんな所からアメリカンドリームは生まれるんだ。」

 

英雄のように躍進する人々、それを羨望の眼差しで見る人々、その中からまた新たな英雄が生まれる。その連鎖がアメリカンドリームなんだ。

どうだい?

 

知っているかい。この連鎖がとんでもなく美しいんだよ。

 

「僕、おじさんのいってること、むずかしくて分からないよ。」

「ボーイ、半端な覚悟でならこの場に顔を突っ込むな。」

 

でも君は君の思うままに生きろ。人に何かを施す事に生きるなら、それを貫いた時、君に憧れる人が必ず出来るだろう。

 

「ねえおじさん!ぼく、おじさんみたいになりたい!

誰かに迷いなく、手を差し伸べられる人になりたい!」

 

 老兵は知っていた。少年のその考えが間違っているのは明白だった。

 

「そうか。」

 

 富豪がエゴを満たすため、少しの金を貧乏人に分け与えるのと同じ。

力が有り余り過ぎていたから分けてやっただけだ。

少年の抱く甘ったるい理想なんかとは眩しくて、目を背けたくなるくらい違う。

ああ、だが久しぶりに真面目にやれそうだ。ボーイ、見ていてくれよ。羨望を集める英雄の姿。

「リメンバー・パールハーバー」

 

アジア人の、それも少女に、ここまでされて引き下がれる訳がない。立ち上がろうか。

私が、どれ程の選手生命をこの腕で粉砕してきたと思っているんだ。

 

「プリチーガールよ。ミーは今、あの時のロスのドジャー・スタジアムの土を踏みしめている気分だ。」

「知らねえ。

だが漸く立ち上がったみたいだな。そうだ。そうじゃなきゃなあ。じゃなきゃWRSSの名が泣くぜ。」

「君みたいな年端のいかない少女に。

そんな事を言われる覚えはないね。

しかし、さっきのスイングは良かったよ。ジャパンにもなかなか骨のある奴が居るじゃないか。お陰でミーのパンツはびしょびしょだよ。」

少女はただ、綺麗な歯を見せて笑った。

そして言う。

 

 

「野球しようぜ。」

「特例中の特例。バッター同士、一対一の試合を申し込む。」

「てめえの頭蓋、俺がぶち撒けるのが先か、俺の頭蓋をてめえがぶち撒けるのが先か、互いに互いの命を賭けろ。」

「野球しようぜ。観衆が望んでいるのは何か?生温いおもちゃ遊びを無駄に複雑なルールで誤魔化した馬鹿みたいな野球か?

そうじゃねえだろ?

殺し合わなきゃ意味がねえ。」

「血湧き肉躍る最高の娯楽をしようじゃねえか。

本当の野球をしようじゃねえか。」

 

「おい亜麻。特例用の、持ってきた物を用意しろ。」

「はいはい。」

 

そう言って亜麻は彼女の言われるがまま、二つの無骨な棒を二人に投げた。

 

「これは、アダマンチウムか。」

 

WRSSと同じ素材。この世で最も硬いとされる金属。その真っ黒な光沢が、眩しい陽の光を反射してロジャースの頬を照らす。

 

「この握り心地、この質感、温度感。・・・おかえり。あと一試合だけ、付き合ってくれないか。」

 

二人は全く同じ瞬間、同じ動きで、棒を持った腕を一旦曲げて、そして互いに向かって突き出す。

 

「試合、開始だ。」

 

 

***

 

 

ぼくは、おとうさんにりっぱな人間になれ、おかあさんにはぐずな人間にはなるなって言われて育ってきました。

 

ぼくはおかあさんと、おとうさんも、大好きだから、言う通りにして生きてきました。

それでいいの?なんて言われたら正直なところ分かりません。

 

子供はふつうは、大きな夢をもって生きているものだってみんな言うけれど。

でも僕ががんばっているのは二人が大好きだから。それだけで理由は十分じゃないの?

 

ねえ、おじさん。教えてよ。『アメリカンドリーム』って何?

おじさんがそれを分けてあげたあの大人の人たちは本当に今幸せなの?

もしかしてそうじゃないとしたら?僕のした事って一体どんなものになるのかな?

 

「決めた。僕、お姉ちゃんみたいな野球選手になる!!」

 

なんて美しい。狂ったような殺し様。

少年の抱いていた憧れは粉々に砕けた。

 

この血に塗れた戦場で、地面に転がったおじさんの頭を尻目に、少年は花のような笑顔を浮かべた。

それは理性を忘れた猛獣ですら憐れむ程幼気で、賢者を泣かせる程に無垢で、それでいて、このぶっ壊れた世界が最も欲していた笑顔だった。

 

                  終わり

 

 




先ずは読了頂き、ありがとうございます。

短編という事に一応してあるのですが、続きの構想も考えてあるので、3話以降は連載という形をとって投稿させて頂きます。

それとは別にジャンル問わず小説を投稿しようと考えているので、暇な時にでも覗きにきて頂けると幸いです。

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