リコリス・リベリオン   作:千束の笑顔が大好き

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 忘れたころに(以下略)。


The frog in the well knows nothing of the great ocean

 ──────────────

 

 

 駅前は思っていたよりも人通りが多かった。

 お昼時だからだろうか、午前中を闘い抜いた胃袋に燃料を補給するべくオフィスから出てきたサラリーマンやOLをはじめ、駅直結の商業施設に繰り出しに来ている若者の姿もよく目にする。

 同僚、上司と部下、カップル、友達どうし、あるいは親子連れ……さまざまな年齢層の人々が、さまざまな目的を持ってやって来ている、そんな感じだ。

 

「ねえ大暉」

 

 待ち合わせの時間まで、あと一五分ほど。地下鉄の駅入り口の壁に寄りかかって、ふいに千束が手元の携帯から目線を上げてきた。ショート・スリーブの赤いサマー・コートに黒のトップスを着て、足元は茶色いショート・ブーツだ。白いショート・パンツから伸びる脚は健康的なしなやかさを備えている。

 いつもは着けない黒いヘアリボンも結んで、それは彼女自身も気に入っている組み合わせのコーデだった。

 

「どした」

「たきな、何着て来ると思う?」

「そうさなあ……」

 

 応える大暉もまた、当然ながら私服である。ミリタリーブランドのロゴが抜かれた白地のTシャツに黒のカーゴ・パンツ、黒いスニーカーに薄手のアウターは首元や袖口、そして裾のリブを緑にカスタムした濃紺のフライト・ジャケットだ。

 

「あれだけ『私服』って念押ししてんだから、私服で来るんじゃねぇの?」

「ちがぁう。そうじゃなくて、どんな私服で来るか、ってハナシ」

「いや、わっかんね。Tシャツとか?」

「うわテキトー」

「だって俺、たきなじゃねぇし? あれでお前みたいな感じで来るとは思えないし?……つか、そっちの予想はどうなんだよ?」

「んー、無難にワンピースとか?」

「お前も大概だな、おい」

「だってセンセに言われるがままにトランクス履いちゃう()だからねぇ」

「ザ・仕事人だからなぁ……」

 

 効率性と実用性を重視するたきならしいと言えばらしいのだが、少しばかり自分のことに無頓着過ぎやしないかと、正直大暉は心配している。そしてその懸念は、千束もうっすらと抱いているようだった。

 

「大暉、今日はいーっぱい荷物持ってもらうから、覚悟してよ~」

「はいはい、判ってますって。だから今日は車で来たんじゃねえか」

 

 普段は機動性に優れたバイクでの移動が多いため、基本的にセーフハウスの駐車場に停めている国産車のSUVである。たまの休日に遠出する時や、大量の買い物を見越しての一時的な荷物入れとして使っている。

 要するに、千束のショッピングに付き合う時の必需品、というわけだ。

 駅近くの駐車場に置いてあるから、千束達が莫迦(ばか)げた量を買い込まなければ問題なく積み込めるだろう。

 

「……あの、お待たせしました」

 

 様子をうかがうような遠慮がちな声が聞こえたのは、まさにその時だった。

 

「おう、おはようさ……んん?」

「あ、たきな! 来たのね……」

 

 大暉に少し遅れて気づいた千束がたきなのほうを振り返り、

 

「……お、おぅ……」

 

 そしてフリーズした。

 無論、大暉もまた待ち人の出で立ちを見て呆然とするしかない。

 

 なにせ、千束はもとより大暉もたきなのプライベートはほとんど知らない。彼女が普段どんな服を着ているのか、まったく見当もつかなかったのだ。

 だからこそ、

 

「なんか新鮮だな」

 

 千束の言うとおり、その装いはある意味で新鮮で、そして斬新であった。

 

 水色のTシャツに白いラインが入った黒のジャージ。

 まるで家から近くのコンビニに買い物に行きます、とでも言わんばかりのラフ過ぎるファッションである。

 二人の懸念は、見事的中してしまった。

 

「問題はないと思いますが……大暉さんはどう思いますか?」

「俺?」

 

 いちおう私服というレギュレーションには即しているし、これなら彼女がリコリスであることが露呈することはまずないはずだ。ゆえに問題があるかどうかで言えば……ない。

 だが、コーディネートという意味合いで回答するなら、話は別だ。

 

「……変ではあるな」

 

 困ったように眉を寄せ、ぽりぽりと頭を掻きながら。

 

「変、ですか……?」

「こら大暉」

「いでっ」

 

 千束に脇腹を肘で小突かれた。

 

「それはそうと……たきな」

 

 そのまま千束が引き取る。その目線は、どうやらたきなが背負っているものに向かっているようだった。

 

「銃持って来たなキサマ」

「……は?」

 

 言われて、大暉もあらためてたきなを見やる。鞄を背負っているからか、たしかに茶色いストラップは見えていた。だがそれがリコリスのサッチェル・バッグだとは露ほども疑わなかったのだ。

 

「駄目でしたか?」

「駄目に決まってんだろ」

 

 思わず突っ込んでしまった。

 リコリス達は、都市迷彩としての意味を持つ特殊な制服を着用していなければ銃の所持は許されていない。一般人と同じく、銃刀法違反が適用されるのである。

 

「絶対に抜くんじゃねぇぞ」

 

 念を押す千束の、その顔は『笑っている』ようで『笑っていない』。だが当のたきなは、なぜ銃の所持を咎められているのか本当に判っていないようだった。

 それから、たきなの視線が千束と大暉を交互に見やる。

 

「二人とも、その衣装は自分で?」

「衣装じゃねぇ」

「まぁまぁ」

 

 頬を引き攣らせる千束を大暉がなだめつつ、ひとまず三人は歩き始めた。

 千束の両脇に大暉とたきなが並んで、挟み込む格好で。

 目的地は、近場で一番大きなショッピング・センターである。

 

「一枚も持ってないの、スカート?」

「制服だけ、ですね。普通そうでしょ」

「んーまあ、リコリスはそうだね。ねぇ大暉、やっぱたきなの服も買おうよ~、絶対似合うもん! いいでしょ!?」

「俺は別に構わないけど、たきなは? いいか?」

「私にはよく判りませんし、お二人が選んでくれたら……」

「え、いいの!? おっほー! やったー! テンション上がるわ~!!」

 

 ひゃっほーい、と感情のままに駆け出す千束の背中を、たきなが呆然と見つめている。

 そんな姿に、思わず大暉は苦笑をこぼした。

 

「千束、なんであんなに嬉しそうなんです?」

「たきなの服選べるからじゃねーの」

「……それであそこまではしゃぎますか?」

「それは俺もそう思う」

 

 でも、と大暉はたきなの肩に手を置く。

 

「あいつはそういう奴なんだ。風の吹くまま気の向くまま、自分が『やりたい』と思ったことを真っ直ぐやる。だから楽しい時は楽しそうに笑うし、哀しい時は心から泣く」

「やりたいこと最優先、でしたね」

「そうだ。だからコロコロ表情が変わるあいつは、いっしょにいて退屈しない。知らず知らずのうちにあいつの空気に巻き込まれるんだ。たきなも気をつけろよ? スタイリスト・千束のファッション・ショーは長いぞ」

「前にも経験が?」

「季節の変わり目になるとな。この『熱血刑事(デカ)』コーデも、刑事モノの映画を見た影響なんだと」

 

 卓抜した推理力を持つが時おり配慮に欠けた言動をすることがある堅物警部と、直情型ながら人間味のある熱血巡査部長という凸凹コンビのバディものである。連続ドラマとして二五年以上シリーズを重ねた超人気番組で、千束はその記念すべき劇場一作目のBDを見た後、大暉に宣言したのだ。

 

 フライトジャケット買いに行こう!

 

 思い立ったが何とやら、だ。

 

「あ、大暉さんのそれも千束が選んだんですね」

「変か?」

「いえ、特には」

「よかった。そういうわけで多少振り回されるだろうが、そのうち慣れる。安心しな」

「えぇ……」

 

 何をどう安心すればいいのだろう。

 そう、彼女の目が訴えていたような気がした。

 

 

 

 ───────────────

 

 

 

 旧電波塔事件。

 一〇年前、都市の象徴として聳えていた塔はテロリスト達によって襲撃され、無惨にもその根元から崩れ落ちた。

 

 当時の映像は、今でも史料として残っている。

 白昼の空を引き裂く爆音。

 傾き、折れ、煙に呑まれてゆく鉄骨の巨体。

 だがそれは『現代日本最後の大事件』としてその後も解体されることなく戒めとして残され続け、今や平和の象徴として語られている。

 

 低階層に広がる複合型商業施設が営業を再開したのは、事件から実に二年の月日が経ってからだった。

 

「どっちがいいー?」

 

 婦人服を取り扱っているテナントが多く集まっている三階フロアの一角である。千束はラックからいくつかスカートを見繕うと、気になったものを次から次へとたきなに宛がってゆく。

 だが、忘れてはいけない。相手はあの無頓着たきななのだ。千束の曖昧な問いに答えられるわけもなく、ただ茫然と自身に宛がわれたスカートに視線を落としている。

 仕方なく、千束はもう一人の相棒に顔を向ける。

 

「……大暉はどう思う?」

「俺に訊いてどうすんの」

 

 答える相棒は、腕を組んで苦笑する。

 

「まぁどっちも似合うとは思うけど、とりあえず試着してみりゃええんでないの?」

「……せやな。じゃたきなー、試着室へレッツらゴー!」

「わ、判りました」

 

 へいへーい、とたきなの背を押し込み、ついでとばかりにトップスも何着かいっしょに試着室へ放り込んでカーテンを閉める。

 

「着替え終わったら出ておいで〜」

 

 返事はない。だがカーテンの向こうでがさがさと衣擦れの音が聞こえてくるから、ちゃんと着替えてはいるのだろう。

 がさがさ。

 ごそごそ。

 

 しばらくして、試着室のカーテンが開かれる。

 

「うっほぉ……」

 

 思わず、肺から漏れた息が変な音へ変換された。

 中から現れたのは、たきなであってたきなではなかった。

 そこにいたのは、先ほどまでの地味なナリからは想像も出来ないほどの変貌を遂げた一人の大和撫子だったのだ。

 

 一着め、赤のノースリーブにベージュのパンツスタイル。

 

「……いい!」

 

 二着め、袖口と首元にフリルがついたオレンジのトップスにデニム・スカート。

 

「お……じゃあ次はこっちで!」

 

 三着め、緑を基調としたワンピース。

 

「いいねぇ、似合う似合う!!」

 

 次から次へとたきなを着替えさせては、モデルを撮影するカメラマンのように賛辞を送ってゆく。

 再びカーテンが閉まり、たきなが次のコーディネートへと着替え始めた時、千束はすでにほくほくと顔を綻ばせていた。

 

「いやぁ〜眼福眼福。やはり美しい女子(おなご)には何を着せても似合ってしまうの~。おぬしもそう思わんかね?」

「お前はいつの時代のお代官だよ」

「でもさでもさ、冗談抜きにしても……ちょっとたきなさん可愛過ぎやしません? ありゃもう原石ですよ原石」

「まぁ劇的ビフォーアフターが過ぎるのは認めるけども」

「だしょ〜? どうよ、私の第・六・感!」

 

 ふんす、と千束が胸を張って見せたところで、試着室のカーテンが再び開かれる。たきなの着替えが終わったのだ。

 

「終わりました」

 

 四着めは薄い灰色を基調にした半袖のシャツに、紺色の生地をサイドに織り込んだ白のロング・スカートだ。

 

「いかがでしょう?」

「む……」

 

 控えめに言って、めっちゃ可愛い、と千束は思った。

 だが同時に、

 

「なぁんか足りないんだよね~」

 

 とも。

 

「足りない?」

 

 こてん、とたきなが首をかしげる。

 

「千束に渡されたのはこれで全部ですが」

「あぁいや、そうじゃなくてさ。コーデとしてはめっちゃ決まっててめっちゃ可愛いんだけど、こう……プラスアルファ的なサムシングがないかな~って」

「だったらよ」

 

 大暉である。

 

「たきな」

「はい?」

「こっち来な」

「ちょいちょい、大暉?」

 

 こちら側へと手招きする大暉に、たきなは着替えた服のまま靴を履いて試着室を出る。大暉の意図が分からず呆然とその挙動を目で追っていると、大暉はたきなを売り場にある姿見の前まで案内した。

 それから一度その場を離れたかと思うと、大暉は帽子類があるエリアへと歩いていく。少しして戻って来た彼の手には、一個の帽子が握られていた。

 

「こういうのじゃ駄目かい?」

 

 大暉が持って来たのは、夏の定番・麦わら帽子である。

 ……麦わら帽子!?

 

「あーっ!」

 

 思い出したように、ぴしゃり、と千束は自分の額を掌で叩いた。

 すっかり忘れてた!

 

「駄目じゃない駄目じゃない! そうだよ、なぁんで思いつかなかったの私! 一生の不覚だわぁ」

「こんなんで不覚とってたら人生不覚だらけだがな」

 

 苦笑しながら、大暉は手にした麦わら帽子をぽふんとたきなに被せる。

 頭にワンポイント加わったことでより夏らしさと爽やかさが演出され、結果として井ノ上たきなという少女の魅力を最大限に引き出すことに成功している。

 それを自らの手でしてやれなかった悔しさこそあるものの、千束としても大暉の選択には太鼓判を押すしかなかった。

 

「めっちゃ可愛いよたきなー! 帽子被るだけで印象凄い変わって見える!」

「そんなものでしょうか?」

「そんなもんよ! やっぱり女子たるものお洒落には気を遣わないと!」

「……大暉さんはどう思いますか?」

 

 鏡越しに、たきなは傍らに立つ大暉と目を合わせる。大暉はたきなに帽子を被せた格好のまま、その手を彼女の頭に乗せていた。

 彼もここで改めて意見を聞かれるとは思わなかったのか、数秒ほどたきなの装いを改めてするように見やってから、笑みになる。

 

「似合ってると思うぜ。正直言って、見違えたよ」

「……どうも」

 

 鏡越しとはいえ面と向かって褒められたことに、たきなは大暉からわずかに視線を逸らした。

 その時、彼女の頬にわずかながら赤みが差したことを、千束の目は見逃さなかった。

 

「あれぇ〜? たきなさん、ひょっとして照れてらっしゃる?」

「照れてないです」

「うっそだ〜! ほら、自分のほっぺた見てみんしゃい! 赤かろうて赤かろうて〜!」

「ちょっ、人の頬をむにむにしないでください! オモチャじゃないんですよ!? 大暉さんも千束を止めてください!」

「いやなんか面白いからこのままで」

「そんなっ!?」

「ほぉらほら、早く認めないともっとむにむにしてやるからなー。ほれほれ~!」

 

 鏡の前でたきなの背後から頬をむにむにし続ける千束に、ちーがーいーまーす、ととうとうその手を振り払われた。

 だが、

 

「た、ただ……あまり歳の近い男性に容姿について言われたことがなかったので、反応に困っただけです……」

 

 少しずつ消え入りそうな声でつぶやく、そのたきなの頬は明らかに赤らんで見えた。

 またしても初めて見るたきなの表情に、千束は呆然と言った。

 

「え……なにこの可愛い生き物」

 

 試着した夏服は、靴も含めて全部買うことにした。

 

 

 

 

 

 最後の一着だけは着たままにして、それ以外ともともと着ていた服は紙袋に分けて入れてもらう。あとはその紙袋達を大暉に渡せば、第一のミッション完了だ。

 

 ブティックを後にし、そのまま流れるようにコスメ・フロアへと足を運ぶ。

 いわゆるプチプラ・ブランドを多く取り扱っているショップだが、中々どうして侮れない。千束が普段使っているリップも香水もベースメイクも、そのほとんどはこの店で買っているのだ。

 わざわざハイ・ブランドを選ばなくても、望むオシャレは手に出来る。

 

 せっかくなら、千束のオススメをたきなにも使ってもらいたい。

 

「たきなー、リップ・グロスって持ってるー?」

 

 陳列されている化粧品達を眺めながら、千束はそう問いかける。

 対象を口紅にしなかったのは、おそらく今のたきなが口紅を持っている可能性が限りなくゼロであることと、唇に立体感と透明感を与えてくれるリップ・グロスの方が『お化粧さん初めまして』にはちょうどいいと思ったからだ。

 だが、

 

「千束……」

 

 返ってくる応えは、千束が思っていたものとは違っていて。

 それはまるで、おもちゃを前にはしゃぐ子供をたしなめる母親のような色をまとわせていた。

 

「ん?」

「そろそろ、本来の目的を」

「……へぁ?」

 

 本来の目的?

 服は買った。

 でもその前に、一番買わなきゃいけないものってなんだったっけ?

 

「……あ、そうだった」

 

 思い出した。

 

「下着買いに来たんだった」

「忘れてんなよ」

 

 ランジェリー・ショップはコスメ・フロアと反対側……先ほどのブティックの近くにテナントが入っている。

 小走りで来た道を戻り、レディース専門のランジェリー・ショップ『PEACH』の看板が見えるところまで来たところで、大暉が声を上げた。

 

「じゃあ、そっちがモノ選んでる間は適当に時間潰してるか」

「な~に、またフィギュア見るの?」

「そんなとこだ。いいのがありゃ買う」

「うっきー。じゃあこっちも終わったら連絡するね~」

「あいよぅ」

 

 んじゃまたな、と奥のエスカレーターへと消えてゆく大暉の背中を見送ったところで、たきながこちらを振り向いた。

 

「あの」

「どしたん?」

「大暉さんは来ないんですか?」

「ふつーは入らないねぇ」

「何か問題でも?」

「下着売り場だからねぇ」

 

 むしろ遠慮なくずかずかと来られたらそれはそれで奇異の目で見られること間違いなしだろう。無論、大暉が、だ。

 

 フロアを回りながら、あれでもないこれでもないと千束が唸りながら、やがて突き当たりの壁に並べられたブラジャーのコーナーへとたどり着く。

 色とりどりのレースと布で織られた肌着を前にして、けれどたきなは立ち尽くしたまま、特に何を選ぶわけでもないようすだった。

 メカ・たきな、完全停止である。

 

「どう、好きなのあった?」

 

 だからそれは千束なりの助け舟のつもりだったのだが、当の本人はいたって真剣な顔のまま応える。

 

「好きなの……を選ばなきゃいけないんですか?」

「へ?」

「強いて言えば、仕事に向いているものが欲しいですね」

「あー、銃撃戦用のランジェリーですか~?……ってンなもんあるかぁ!」

 

 結論、そんなものあるわけがない。

 しかしたきなは一瞬考え込んでから、自分の腰元を指して見せる。

 

「これ、悪くないんですけどね、通気性もよくて動きやすいし。さすが店長だなと」

「いや、センセも別にそんなこと考えてるわけないだろ。だいたい、トランクスなんて人に見せられたもんじゃないでしょ?」

「……パンツって見せるものじゃなくないですか?」

「いざって時どうすんのよ」

「いざ?」

 

 たきなが首を傾げた。

 

「いざってどんな時です?」

 

 純粋無垢なたきなの質問に、思わず千束は言葉に詰まってしまった。

 

 パンツを他人に見せるという行為。

 それが成り立つシチュエーション。

 

 いざ。

 つまり。

 その。

 そういう。

 

 抽象的な言葉であるはずの『いざ』が形を持ち、明確なイメージとして千束の脳内に映し出された時、なぜかそこに立っていたのは大暉で。

 

 ちがっ、な、なんで!?

 

「……知るか!」

 

 一気に顔へ集まった熱を放とうと投げやりに言った直後、突然たきなに腕を掴まれた。

 

「へ!?」

 

 何が何やら理解する間もなく、ランジェリー・ショップの試着室の前まで連れて来られた。

 そのまま、ぐい、と中に引き込まれる。

 カーテンを閉じてしまえば、そこは薄膜に隔たれた閉鎖的な二人だけの空間である。

 

「ぇ……あ、な……なに?」

 

 千束の背後には、大きな鏡がある。つまり、これ以上後退することは出来ない。

 逃げ場がない、ということだ。

 それでもなお、井ノ上たきなはじっとこちらを見つめてくる。

 そして、言った。

 

「千束のを見せてください」

「は!?」

「見られて大丈夫なパンツか゚知りたいんです」

 

 理屈が通っているようで、ぜんぜん通っていない。

 

「いや、待って待って待って!」

「早く!!」

 

 有無を言わさぬ勢いで、ぐい、とたきなが千束の下腹部に顔を寄せる。

 至近距離で。

 しゃがみ込んでまで。

 それは、見る人が見ればとんでもない光景である。

 完全に主導権を握られてしまっていた。

 

「……もう、ほんとに知らないからね!」

 

 自分でも何を言っているのか意味が判らないままに、ベルトを解き、ショートパンツを下ろしてゆく。

 なぜか、たきなが見やすいようにと片手でシャツの裾をヘソまでまくり上げて。

 

 どうしてこうなったんだろう。

 何をしているんだろう。

 ……いや、ほんと何をしてるんだろ、私。

 

 ボトムスの下に秘められた下着を言われたとおりに見せながら、ぼんやりと千束はそう考えていた。

 

「んー……」

 

 たきなは目の前の下着を黙って見つめ、しばらく考え込むように唸りながら、やがてその口を開く。

 

「これが私に似合うって言うと違いますよね」

「そのとおりだよ!」

 

 思わず反応した声が完全に裏返った。

 

「だからさ! なんで見せたの私!!」

 

 同性とはいえ他人に自分の下着を見せつけている状況への羞恥も、混乱も……それから自業自得も……全部まとめて投げつけるように叫ぶしかなかった。

 

 

 

 ──────────────

 

 

 

 水温は四〇度。

 熱過ぎず温過ぎない、ちょうどいい温度だ。

 

 クルミは湯船につかりながら、浴槽に渡された蓋の上でタブレットをいじっていた。

 画面に表示されているのは、いくつもの銃の画像とその名称、型番、口径、重さ、そして金額が羅列されたウィンドウ。

 ただの匿名掲示板の皮を被った、それは武器商人達の市場である。

 一般人はまずたどり着く事の出来ないインターネットの『裏』。仮にたどり着けたとしても、素人が踏み込めば即座に迷子になるだろう。

 

 しかしクルミの手にかかれば、どんなサイトも勝手知ったる裏道に過ぎない。ログを残すことなく闇サイトにアクセスすることなど造作もなかった。

 

 だが、状況は芳しいとは言えなかった。

 

「武器相場に変化なし、か」

 

 独り言が、湯気に溶ける。

 

 奪われた銃は約千挺。

 それだけの数が消えたというのに、いまだ闇市場は平静を保ったままだ。

 それが意味することは、一つしかなかった。

 

「おい」

 

 その時だ。

 突然風呂場のドアが開かれ、若干酒焼けした声が後ろから降ってきた。

 

「……てめー、何してんだ?」

「見て判らんか、風呂だ」

「阿保か! 営業中だぞ!!」

 

 すぐさまミズキに引きずり出された。

 

 

 

 

「……つまり?」

 

 一連の話を聞いたミズキが、腕を組んで口を開く。

 

「相場に変化ないから何なのよ?」

 

 バックヤードの居間で扇風機の風にあたりながら、ワンピースタイプのインナーだけに着替えたクルミはのんびりとミズキのそんな質問を受け付ける。

 

「闇市場に撒かれてないってことだよ」

 

 あれだけの数が流れていれば、どんなに隠していても必ず『歪み』が出るはずだ。

 それがない以上、

 

「このスジでは追えないな」

「千挺も銃をガメてどうすんだ?」

 

 ミズキが呆れたように鼻を鳴らす。

 

「腕は二本しかないのよ」

「五〇〇人兵隊がいるんじゃないか?」

「軍隊か! そんなのDAが見つけないはずないっしょ」

 

 たしかに。

 

「ぅおーい、キミ達~」

 

 いつまでやってるんだ、とばかりに、店の方からミカの声が飛んで来た。

 

「手が足りないぞ~」

「あー、はいはーい」

 

 ほら、とミズキが手を叩く。

 

「あんたも早く着替えて手伝いなさい。あの三人は夕方まで帰って来ないんだから」

「はいよ」

 

 ミズキが店へと戻ってゆく音を聞きながら、クルミは座卓の上に置いたタブレットへと目をやる。

 

 そこには、銃取引の様子が収められた画像が映し出されていた。

 千束達が護衛した女性が彼氏と撮った写真に、偶然写り込んでいたのだという。

 

「やっぱり、こっちから洗うしかないか」

 

 打ち捨てられたビルで、ツナギの作業服を着た男達が木箱を挟み込んで立っている。中央には黒いコートの人物が一人いるが、ちょうど窓枠に隠れて顔は判らない。髪の色も判別は不能だ。

 

「お前は誰だ……?」

 

 その問いかけは誰に届くでもなく、静かに画面の中へ沈んで行った。

 

 

 ───────────────

 

 

 関節の作り込み、

 筋肉のライン、

 アンダー・スーツの『シワ』まで、きちんと『動き』を想定して造られている。

 それは骨格から模型を作り、肉付けをし、さらにそこからアーマーを着用した際の全身のバランスを調整した、かなり手の込んだアクション・フィギュアだ。

 

「すげぇな、これ……」

 

 思わず、声が漏れる。

 

 大暉はショウ・ケースに顔を近づけ、角度を変えて眺めた。

 決して広い売り場面積ではない。奥に向かって細長いショップで、客どうしのすれ違いも満足に出来ないほど窮屈な通路を挟んで、数えきれないほどのアクション・フィギュア達が所狭しと並べられている。おまけにきちんとそれぞれのヒーローに合ったポージングをわざわざとらせ、それが倒れないようにきちんとスタンドで支えている始末だ。

 尋常じゃないこだわりである。

 

 自分でも、子供じみた趣味だとは思っている。

 だが千束と同じように新しい映画やドラマを開拓している途中に出会った作品が、やけに大暉には刺さったのだ。

 初めて観たのは、火星から持ち替えられた箱の力によって日本が三つに分断された世界で、己の過去と向き合いながら闘う物理学者と筋肉莫迦の物語だったか……。

 ともあれ、大暉が今眺めているのは、作品の大詰めで公開された映画に登場した、限定フォームのフィギュアである。

 正直、欲しい。

 

「限定生産、か……」

 

 フィギュアの足元に置かれた値札を見て、少しだけ唇の端が歪む。

 買えない額ではない。

 問題は、どこに置くか、だ。

 

 少し冷静になって考えるためにショウ・ケースから距離を取ろうと後ろへ退がった時、

 

「ぅおっと」

 

 背中が、ちょうどショップの前を横切ろうとしていた男とぶつかった。

 

「あ、すみません」

 

 すぐに謝って、接触した相手を見る。

 

「怪我とかないですか?」

「ああ、大丈夫だ」

 

 三〇代くらいだろうか、派手な髪色が目を引く、不思議な男だった。インナーはアロハシャツだが、アウターは季節外れの黒いロング・コート。

 パーマのかかった髪は目のあたりまで伸びていて、その表情はうかがい知れない。

 だが男はしばらく立ち止まったまま、じっとこちらを『見つめて』いる。

 値踏みするように。

 何かを確かめるように。

 真意は判らないが、あまり『よくない視線』であることだけは、何となく判った。

 

「あの、俺に何か?」

「……いや、何でもない。ま、歩く時は後ろにも気をつけろよ、兄ちゃん」

 

 それだけ言って、男は踵を返して駅の方へ歩き去ってゆく。

 歩幅も一歩を踏み出すタイミングも、全てが整然とした足音を響かせて。

 その背を、大暉はしばらく目で追っていた。

 言い知れぬ違和感が、頭の片隅に引っ掛かったのである。

 

「……?」

 

 なぜだ?

 なぜ初めて会うはずの人間に、既視感を憶えている?

 

 理由は判らない。

 敵意でも、殺気でもない。

 ただ、引っかかる。

 どこかで。

 なにかで。

 あの距離感を知っている気がした。

 

 ぶる、とポケットの中で震えたスマートフォンが、大暉を一瞬で現実へと引き戻す。

 画面を見れば、そこには見慣れた名前があった。

 

《千束:買い物終わったよ~。今どこ?》

 

 相棒からのメッセージだ。

 

「……はいはい」

 

 短く返事を打ちながら、大暉はもう一度だけ駅へと続く通路を見やった。

 

 男の姿は、もうなかった。

 

 

 ───────────────

 

 

 エントランスは相変わらず人の流れが絶えず、買い物袋を提げた客達の声があちこちで聞こえてくる。

 エスカレーター脇で合流した三人のうち、真っ先に口を開いたのは千束だった。

 

「大暉は何かいいのあったの?」

 

 軽い調子で訊かれて、大暉は肩をすくめて目を大きく見開いて見せて応える。

 

「限定版、見事に買い損ねたよ」

「あー、連絡するタイミング悪かった? ごめんね」

「いーよ。そっちは?」

 

 その問いに、千束はにやりと笑った。

 

「しっかり買いましたとも!」

 

 がさっ、と音を立てて紙袋を掲げる。

 

「たきなも、これでトランクスとはおさらば! 男物のパンツはぜんぶ処理するからね!」

「判りました」

 

 あまりに素直な即答に、宣言した千束の方が一瞬だけたじろいだ。

 

「……ほんとに未練ないんだ」

「不要と判断されたので」

「判断って……」

 

 大暉は苦笑して、二人の間に視線を往復させた。

 

「ま、似合うの選んでもらったんならいいんじゃねぇの」

「でしょでしょ! 今までで一番ちゃんとしてるから!」

 

 胸を張る千束に、たきなは小さく首をかしげる。

 

「自分では、まだよく判りませんが」

「そのうち判るようになるって!」

 

 そこで千束は、ぱん、と手を叩いた。

 

「さあて。買い物も終わったことだしぃ~。次は千束さんお待ちかねのおやつタイムだ~!」

「目的は完遂したのでは?」

「完遂って、仕事じゃないんだからー!」

 

 眉を寄せるたきなに、ぶう、と千束は頬を膨らませる。

 

「しかし……」

 

 言いかけたたきなの言葉を、大暉が横から拾う。

 

「こいつのお決まりコースなんだ。今日くらい付き合ってやってくれ」

 

 たきなは一瞬だけ考えるそぶりを見せてから、静かに頷いた。

 

「……大暉さんがそう言うのなら」

「えー!?」

 

 その一言に、千束がぴしっと反応する。

 

「ちょっと待って! 何それ! 私と大暉で対応違くなぁい!?」

「普段の行いでしょうか」

「ぐはっ」

 

 クリティカル・ヒットである。

 

「はるきぃー! たきながいじめるよう!!」

 

 わざとらしく声をあげて、大暉の腕にしがみつく。彼女の大仰な泣き真似は、周囲の視線を少しだけ集めた。

 

「はいはい」

 

 大暉は慣れた手つきでその頭を軽く押し返し、彼女の襟首を引っ掴んだ。

 

「ほら行くぞ。お前は歩きながら騒げ」

「雑ぅ!」

 

 文句を言いながらも、引きずられる形で大暉に連れていかれる千束。

 その後ろを、紙袋を提げたたきなが少し距離を置いて続いた。

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