リコリス・リベリオン   作:千束の笑顔が大好き

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 お待たせしました。
 原作第二話、始まります。


Look before you leap.

 ────────────

 

 

 東京都、墨田区。似たような縦長の共同住宅が、肩を寄せ合うように並ぶ一角に、そのマンションはある。

 

 立地そのものは、決して悪くない。

 街の中心部に近く、バイト先まではバイクで二〇分ほどだし、徒歩圏内にコンビニエンス・ストアが二軒と、レンタルDVDショップもある。地下鉄の駅も、近いとは言えないが歩いても苦痛を感じるほどではない。

 

 しかし大暉(はるき)が何より気に入っているのは、そのマンションじたいが、裏の仕事に通じる彼らに充てがわれた専用のセーフ・ハウスであるということだった。

 もっとも、

 

「すぴー、すぴー……」

 

 同居人の奔放さには呆れるが。

 

 熱いシャワーを浴び、スウェットに着替えてリビングに出てきた時、すでに同居人はソファーで夢の世界へと旅立っていた。

 思わず溜め息をついてしまったのは、相手がテレビを付けっぱにしていたからではなかった。

 

「なんちゅーカッコで寝てんだよ」

 

 ソファーでぐっすり眠っている同居人は、パジャマでなく開放的な下着姿のままだったのだ。

 しかも、幸せそうに(よだれ)まで垂らして。

 

「ったく、目のやり場に困るっての」

 

 おおかた、テレビでも見たまま寝落ちたのだろう。その証拠に、マグカップが置かれたガラステーブルにも床にも、何枚ものアクション映画のDVDが散乱しているのだ。

 見ると、マグカップの隣には小振りな紙袋が置かれていた。

 紙袋には、書置きが貼ってある。

 

『たきなへ♡/オススメ映画“厳選!” ~千束(ちさと)セレクション~』

 

 おそらく、その中身のほとんどがアクションものだろう。

 

 千束(ちさと)といっしょに暮らすようになったのは、八年ほど前だ。

 もともと千束のセーフ・ハウスとして用意されていたこの家に、彼女の希望もあって大暉が住み込む形になったのだ。

 幸い、部屋は余っていたので、そこを使わせてもらっている。

 

 とは言え、眠りこけている彼女にパジャマを着させてやれるほどの気力は、もう残っていなかった。なにしろ、もう夜中の二時を回っているのだ。

 仕方なく、彼女の自室からブランケットを持ってきて、掛けてやることにした。

 

「俺もいるんだから、その辺もうちょっと気ぃ遣ってくれてもいいだろうに」

 

 大暉が腕時計型のデバイスからの通知に気づいたのは、

 

「……ん?」

 

 テレビとリビングの照明を消して、キッチンの冷蔵庫からミネラル・ウォーターのペットボトルを取り出した時だった。

 

「なんだ?」

 

 リビングの千束を起こしてしまわないよう、声をひそめて。

 デバイスのモニターに、白い封筒のアイコンと小さな文字が並ぶ。

 

<新着:1件>

 

「メール……?」

 

 ミネラル・ウォーターを片手に、寝室に向かう。廊下に出て最初のドアである。

 暗い部屋の奥へ進んでゆく。執務デスクは、ベッドと反対側の壁際だ。

 デスクの上のパソコンを起動させてから、思い出したように踵を返すとドア脇のスイッチを入れる。

 ミネラル・ウォーターを喉に流し込んで、ボトルをデスクの隅に置く。椅子に着くと、パソコンは起動を終了していた。

 

「珍しいな」

 

 彼が言うのは、こんな時間にメールを寄越すなんて、ということではない。

 この端末にメールが来るなんて、という意味だ。

 仕事柄、このメールアドレスを知っている者はそう多くない。しかもそのほとんどはリコリコのメンバーで、後はリコリス達を擁するDA本部の司令官が一人と、現在も親交のある過去のクライアントが何名かいるだけである。

 

「依頼か?」

 

 メールソフトを立ち上げて、新着メールを探す。

 差出人の名前を見た大暉は、

 

「……おやまあ、こりゃ懐かしい」

 

 またしても声をあげた。

 たしかに、仕事の連絡ではあった。

 だがそのメールを寄越してきた相手は、まずこんな足がつくようなやり方をしないはずの人物だったのだ。

 モニターの別タブに、新たなページが表示される。

 一通り目を通してから、もう一度メールに戻った。

 

「こいつぁ、また面倒なことになりそうだな」

 

 言いながら、組んだ両手を頭の後ろに回して、背もたれに背をあずける。

 そのままドアの方を振り返るのは、向こうのリビングで眠る千束の方を『見』ているのだ。

 

「バレたら、千束にどやされるなあ」

 

 それは、いささか特殊な護衛の依頼だった。

 

 差出人は、ウォールナット。

 

 世界最高峰の実力を持つ、ハッカーである。

 

 

 

 ────────────

 

 

 記憶が跳んでいる。

 自分がどこにいるのか判らない。

 

「おう。やっと起きたか」

 

 微笑んでで覗き込むのは、やや目尻のあがった野性的な顔だ。

 だが、その瞳はどこまでも暖かくて、優しい。

 

「大暉?」

「おう。もう朝だぞ。そろそろ起きないと、遅刻しちまう」

「ほんと……?」

 

 半ば寝惚けたまま応えて、千束は躯を起こす。

 その時になってようやく、彼女は自分がソファーの上にいることに気がついた。

 ブランケットがかけられていたことも。

 そして、その下が下着姿のままだったことも。

 途端に、意識の覚醒とともに顔が真っ赤になる。

 

「わわっ、ごめん!」

 

 はだけたブランケットを引ったくって、慌てて躯を隠す。

 ソファーの上で、両足を抱え込んで。

 ガラステーブルの上を見たのは、無意識だ。

 マグカップが一つと、きちんと整理されたDVDのパッケージの数々。それに中身の詰まった紙袋を目にした途端に、記憶が蹴り戻されてくる。

 

 自分の部屋だった。

 いや、自分と彼の部屋だ。

 広いリビングの中で、大暉は千束が眠るソファーの背もたれ側に回り込んで、覗き込んでいたのである。

 リコリスの制服に似た、いつもの黒い上下で。

 

「……見た?」

 

 一応の、それは確認だ。

 意味のない質問だと頭では理解していても、思わず口から出てしまっていたのだ。

 

「あー、まあ……その……」

 

 訊かれた大暉は、困ったように眉を寄せて、ぽりぽりと頭を掻く。

 それから天井を見上げて、やがて決心したかのように大きく頷くと、大暉は言った。

 

「見た。つか、見えた」

 

 その答えに、千束はみるみる自分の頬が熱くなるのが判った。

 それを押し隠そうと顔を俯かせて、何か言ってやろうと思って言葉を探すが、何も思いつかない。

 かろうじて、ただ一言だけ。

 

「……えっち」

 

 だが続く大暉の言葉に、思わず千束も言い返すことになる。

 

「いやでも、ありゃお前が無防備過ぎるのが悪いだろ」

「えー!? ちょいちょいちょい! 人の下着見といて何ですかその言い訳は!!」

「何年いっしょに暮らしてると思ってんだ! 流石に慣れたわ!!」

 

 それよか仕事だ仕事、早口気味にそう言って自室に戻ってゆく背中を見送ってから、千束はブランケットで隠した躯を縮こまらせる。

 

「なんだよ、大暉の奴……あんなこと言っちゃって……」

 

 自分が年頃の女の子だという自覚は、ある。

 仮にもジュウシチの女の子なのだ。成長期を経て発育した肢体にはそれなりに自信があるし、『そういうこと』にも、全く興味がないわけではなかった。

 それどころか『そういうこと』を考えた時、真っ先に思い浮かぶのはいつも大暉の顔だったのだ。

 だが、

 

「魅力ないのかなあ、私……」

 

 慣れた、なんて言われると、たとえそれが強がりだと判っていても、ちょっと調子が狂う。

 私は、と千束は思う。

 慣れたことなんてないのに。

 そこまで考えて、慌てて千束は頭をぶんぶんと振った。思い浮かんだのは、大暉の鍛え上げられた肉体だったのだ。

 

 何の気なしに、壁の時計を見上げた。

 さっきまで熱かった顔が、一気に青ざめた。

 

 午前七時二四分。

 完全に寝坊だ!

 

「……やっば!!」

 

 跳ね起きて、大急ぎで着替えを取りに向かった。

 

 店までは自分のスクーターではなく、大暉のバイクでいっしょに行くことにした。

 それでも、遅刻ギリギリだった。

 

 

 

 ─────────────

 

 

 

「すまん! 遅くなった!」

「お待たせー! 千束と大暉が来ましたー!」

 

 二人がリコリコに着いた時、カウンターにはすでに一人の客が座っていた。

 

 上等そうな濃紺のスーツに、きっちりセットされた髪。下がり気味の目尻と眉が、彼の温厚さを際立たせる。

 何より大暉の目に留まるのは、ジャケットの襟に付いた、フクロウのバッジである。

 アラン機関の人間なのだ。

 

「おー、ヨシさんいらっしゃい!」

 

 そう言って千束が駆け寄る、それが彼の名である。

 吉松シンジ。

 常連客である。

 もっとも、ここ最近の。

 とは言え、仕事柄海外を飛び回っていることが多く、なかなか日本に留まることが少ないらしい。実際、こうして店で見かけるのも久しぶりだ。

 

「おはよう。千束ちゃん」

 

 それから吉松の視線が動いて、こちらを向く。

 

「大暉くんも」

「ああ、ども。ご無沙汰してます」

 

 会釈を介して、大暉は店の奥へと向かった。

 厨房を通り抜ける時、ちょうどこちらを振り返ったミカと目が合う。

 彼の頷きに、大暉も頷きで返した。

 

「ひと月ぶりくらいじゃないですか?」

「覚えていてくれたんだね」

「まー、お客さん少ないお店だから……なーんて嘘嘘! たきなの初めてのお客さんだもん。忘れませんよ!」

 

 そんな二人のやり取りを耳にしながら居間の押し入れに手をかけると、中から銀色のトランクを取り出した。

 蓋を開けた中に収まっているのは、大振りな二丁の拳銃である。

 

「今度はどの国行ってたの? アメリカ? ヨーロッパ? ……あ! 中国でしょ?」

「ざぁんねん。ロシアだよ。はい、これお土産」

「あっはは、何これ!」

 

 流れるような動作でマガジンを取り出し、慣れた手つきで弾倉に弾丸を込めてゆく。

 

「ねえ、先生と出逢ったのもロシア?」

「千束、早く支度しなさい」

「えー。教えてよ~!」

「はっはっは。それはまた今度」

 

 一三発ずつの弾丸全ての装填を終えてもう一度ホールに出た時には、

 

「それでは、これで失礼するよ」

 

 ちょうど、吉松が席を立って会計を済ませるところだった。

 

「ああ、大暉くん」

「もう行くんですか? ロクに話せなくてすみません」

「気にしないでいいよ。また来るから」

「そっすか。んじゃ、お気をつけて」

 

 大暉の背後から、紺色の制服を着込んだたきなが姿を見せた。どうやら頬のパッドは取れたらしい。

 それに気づいて、吉松の視線が大暉からたきなへと移る。

 

「たきなちゃんも、またね」

 

 こくり、と頷くたきなに満足そうな笑みを浮かべて、吉松は踵を返した。

 

「お土産ありがとーございましたー!」

 

 店を出て行く吉松の背に、千束が手にしたロシア土産をからからと振って見送る。

 

「ん? 何だそれ?」

「ああこれ? クローチカだって。ロシアのお土産~」

「ほーん」

「へへーん、いいだろー。欲しいって言ってもあげないよ~?」

「別に要らん」

「そーお? 私は結構好きだけどな~」

「千束」

 

 そうして客人の姿が完全に見えなくなったところで、ミカが黒いアタッシュ・ケースをカウンターの上に乗せた。

 ほいほーい、とケースを手に取る千束は、座敷に腰を下ろすと中身を広げた。

 

「で? どんくらい急ぎ?」

「現在、武装集団に追われている」

「おー、それは大変」

 

 言いながら、さっき大暉がやっていたように、千束も自身の拳銃から抜いた弾倉に弾丸を込めてゆく。特徴的な赤い弾頭の、ゴム弾である。

 

「たきな、仕事の話もう聞いてる?」

「はい、ひと通り」

「おっけー。あ、そうだ! 昨日話してたブツ、そこに置いてあるから帰りに持って帰ってね~」

 

 言われて見ると、リビングで見かけた例の紙袋がカウンターの上に乗っかっていた。

 

「わざわざ持って来たのか」

「だってー、今日持って来るって言っちゃったしー。頑張って夜通し選んだんだから。……まあ、途中で寝ちゃったけど」

「そのせいで遅れたけどな」

「それは言わない!」

 

 がばっ、とこちらに顔を向けて、思い出したように千束は声を漏らした。

 

「あれ、ミズキは?」

「もう逃走ルート確保に行ったってさ。今JOINが来た。……うお、マジか」

「ん? どったの?」

「報酬が相場の三倍、しかも一括前払いだとさ」

「わぁお! 道理で張り切ってるわけだ!」

「危機的状況、ということなのだろう。敵は五人から一〇人程度。プロよりのアマだ。ライフルも確認した。気をつけろ?」

「りょーかい! 行こ、二人とも」

「おう」

「はい」

 

 準備を終えた千束が立ち上がると、応えるように大暉も更衣室のドアの脇に置いておいたトランクを手に取る。

 三人そろって店を出てからすぐに、千束が口を開いた。

 

「ところで、お腹空いてるんだけど~?」

「時間、ないですよ」

「誰のせいで喰いっぱぐれたと思ってんだよ」

「えー! そんなこと言わずにぃ~!」

 

 両手を合わせて頼み込む彼女に、大暉はやれやれとばかりに呆れるしかなかった。

 

 

 

 ────────────

 

 

「逃走手順は以上です」

 

 向き合って座るたきなが、携帯を手にそうまとめる。

 大型のリクライニング・シートを向かい合わせに、三人はそれぞれ腰を下ろしていた。

 窓際は千束に譲ってやって、大暉が座っているのは通路側の席だ。千束達の鞄はたきなの隣の空席に、大暉のトランクは荷物棚の方に載せておいた。

 

「羽田でゲートを潜ったところでミズキさんに交代……って、聞いてますか?」

「んー。いらいぬし……すごうでハッカーでしょぉ?」

 

 応える千束は、もごもごと口を動かしている。それもそうだ。彼女は今、揃えた両膝の上に駅弁を広げて、絶賛箸を付けている最中なのだ。

 

「どんなひとかなあ?」

「おいおい、せめて飲み込んでから喋れよ。舌噛むぞ」

「わはったよぉ。んぐ……でもやっぱり、眼鏡で……痩せて小柄な男とかかな? こう、カタカタ、ターンッ! て感じで!」

 

 箸を持った手でキーを叩くジェスチャーをする千束に、たきなと大暉は溜め息混じりに肩をすくめた。

 

「映画の見過ぎですね」

「だな」

 

 さて、と大暉は足元に置いていた紙袋に手をかける。たきなは隣の席に置いたレジ袋の中身を取り出した。

 

「え、何それ?」

「ゼリー飲料です」

「ハンバーガー」

 

 言いながら大暉が手に取るのは、自身の拳ほどもありそうなハンバーガーだ。包み紙には大きくデフォルメされたアルファベットの『M』がプリントされ、その下には『MAXIMUM BURGER』という文字が並んでいる。

 特急に乗る前、近くのバーガー・ショップで買ってきたのだ。紙袋には、Mサイズのコーラのカップもある。

 だが千束の方は、二人の回答に納得いっていないらしい。

 

「いやいやお二人さん。今の状況判ってるのかなあ?」

「依頼人に逢うために特急に乗ってます」

「そう! その前にお昼食べとかないと!」

「だからこれから喰うんだってば」

「えー? それがぁ? ……まあ百歩譲ってハンバーガーはいいとしてもだよ。特急なんだよ? 駅弁食べようよ~! ……ちょっと食べる?」

「結構です」

「俺もパス」

 

 ストローを挿したコーラをすすって即答する。

 だが、千束は退かなかった。

 

「まーまぁまぁ、そう言わないで! 煮卵、美味しいよ?」

 

 箸でつまんだ半分この煮卵の一つを、たきなに差し出す。

 

「はい、あーん!」

「あー……ん、む……」

「美味しい?」

「……美味しいです」

「はあい! 『美味しい』いただきました~ッ!!」

 

 千束の押しに根負けしたたきなが、とうとう渡された煮卵を一つ食べてしまった。

 味の感想に満足げな千束を横目に、大暉はハンバーガーの包み紙を開ける。

 

「楽しそうだな」

 

 言って、かぶりついた。

 シンプルなチーズ・バーガーだが、ふんわりとしたバンズに挟まれたパティととろけるチーズ、それに彩りを添えるレタスが実に旨い。

 すると、千束はもう一つ煮卵をつまんだかと思うと、

 

「……なんだよ」

 

 今度はこちらに差し出してきた。

 

「煮卵、あと二つあるからさ。大暉もどぞ?」

「いや、だからいいって」

「いいから、ほーら! あーん、て!」

「……はぐっ」

「あー! こら大暉! ハンバーガーで口の中満たさないで!!」

 

 せっかくこちらがとろけるチーズのバーガーを頬張っても、諦めることなく千束は煮卵をつまむ箸を半ば押しつけるように大暉の口へと運ぼうとする。

 千束の攻撃から逃げようにも、席は隣同士。だが公共の場とあって編に立ち上がるわけにもいかないから、大暉に出来るのは精一杯通路側に背を仰け反らせることだけだ。

 やがて、それも限界が来た。

 

「チャンス!」

「んむっ!?」

 

 咀嚼したハンバーガーを飲み下した一瞬の隙を突いて、千束が煮卵を大暉の口に突っ込んだのだ。

 

「ど~お? 旨いだろ?」

 

 言われて、不覚にも迎え入れてしまった煮卵を渋々味わう。

 半熟の黄身と味の染みたタレがいい塩梅で、だから彼女が人に勧めたがる理由も、何となく判るような気がした。

 

「……まあ、別に嫌いじゃないしな」

「だったら何で頑なに食べなかったのさ~?」

 

 だが、

 

「……TPOを考えろってことだよ」

「へ?」

 

 こちらを見つめる千束の無垢な瞳にたまらずそっぽを向いた大暉の言葉に、疑問符が浮かぶ千束。

 彼女がその意味を理解するまで、たっぷり三秒、かかった。

 ちらり、と見ると、その顔がみるみるうちに紅くなってゆく。

 ようやく、彼女も判ったようだった。

 異性への『あーん』。その意味を知らない彼女ではなかった。

 

「あ! いや、これは~その……そういった意味じゃなくてですね! ただ単純に美味しいものを二人と共有したかっただけってゆーか! なんとゆーかその……やっだなあ、もう! 大暉ったらなに想像してんのさ~!?」

 

 必死に言葉を探す、それはたった今自分が取った行動への釈明である。

 真っ赤っかな顔のままで。

 

「はいはい、判ったから。一旦ちょっと落ち着けって」

「うぅううぅ……嘘じゃないもん。ほんとだもん!」

「わーってるって! 子供か!!」

 

 弁当に視線を落として、こくり、と頷く千束に、

 

「あの……」

 

 ゼリー飲料を飲み終えたたきなが、キャップを閉めてから。

 

「お二人は、いつもそんな感じなんですか?」

「へ?」

「あ?」

 

 二人そろって、間抜けな声を漏らしてしまう。

 

「いえ、何だかお二人が夫婦……と言うか、父娘(おやこ)みたいに見えたものですから」

「私と大暉が……ふ、夫婦ぅ!?」

「俺と千束が……お、父娘ぉ!?」

 

 思わず目をかっぴらいて声をあげてしまう二人に、次の停車駅を告げるアナウンスが流れる。

 

『ご乗車、ありがとうございました。まもなく、北千住(きたせんじゅ)、北千住です』

「降りますよ」

「……は? え、あ、もうそんな時間か」

 

 応えて、一足早く我に返った大暉は、急いで残りのハンバーガーを平らげる。Mサイズのコーラも、一気に飲み干した。

 

「え~っ!?」

 

 驚きの声をあげるのは、真っ赤っかの千束である。手にした弁当は、まだ半分も食べ終えていない。

 

「もう!?」

「一〇分足らずで乗り換えなので、ゼリーを選んだだけです」

「俺も手早く済ませたかったからハンバーガーにしただけ」

「そ、そうなの~!?」

「やっぱり聞いてないじゃないですか……」

「あ~! ちょちょちょ、二人とも置いてかないでよ~!」

 

 千束が駅弁を食べ終えたのは、改札を出てJR線に乗り、そこからさらに綾瀬で地下鉄に乗り換えたころだった。

 

 

 

 ─────────────

 

 

 

 乗り継ぎを経て北綾瀬(きたあやせ)で下車した三人は、そのままたきなの先導で市街地を歩いてゆく。

 

「ねえ」

 

 大暉と並んで歩きながら声をかけた千束に、

 

「なんですか」

 

 応えるたきなは、こちらを振り返ることなく。

 

「そのウォールナットってハッカさんと合流した後、どうやって羽田まで行くの?」

 

 途端に、隣で水を飲んでいた大暉が盛大にむせた。

 

「うぇいっ!? ちょ、大暉だいじょぶ!?」

「げほっ、ごほっ……千束、おま、お前ほんと……飯に夢中で何にも聞いてないんだな! そんな気はしてたけどよ!」

「あれぇ!? ごめ~ん! もっかいお願いします!!」

 

 呆れた大暉に同意するように、前方を歩くたきなが溜め息をついた。

 

「店長が駐車場に車を用意してくれてるようです」

 

 それから依頼人を拾って羽田空港まで移動し、ゲート通過後に待機しているミズキへ交代、という算段だ。

 特急の車内で、たきなが話してくれていたという内容である。

 ごめん。

 全然聞いてませんでした。

 それでも、

 

「ええっ! マジ!? はいはいはーい! 千束が運転しまーすッ!!」

 

 久々に車の運転が出来るかもという期待は、千束のテンションを引き上げるには充分過ぎる材料だった。

 しかし、勢いよく上げた右腕は、大暉の手によって強引に下ろされてしまう。

 

「やだね。お前にゃ意地でもハンドルは握らせん」

「ちょいちょいちょい! 何でよ!?」

「お前が運転すると酔うの! 空港着くころにゃ、俺も依頼人もグロッキーになっちまうぞ!?」

 

 むう。

 そこまで言われると、ちょっと傷つくかも。

 これでも頑張ってるんだけどなあ、なんて思いながら。

 

「……じゃあ大暉が運転すんの?」

 

 質問に、しかし大暉は首を振る。

 それからたきなの背を見やって、言った。

 

「たきなだよ」

 

 今回の運転手(ドライバー)が、だ。

 

「ま、俺達ゃおとなしく護衛に専念してろってことだな」

「そんなぁ」

「着きました」

 

 先を行くたきなが、はた、と足を止めたのは、その時だ。

 

「あの駐車場ですね」

 

 指差す先に広がるのは、二〇台以上は停まれそうな、都内としてはなかなか広い駐車場である。

 まばらに停められた自動車の中に、一際目を惹かれる車体があった。

 

「あれって……」

 

 美しい流線型の車体に、鮮やかな赤い塗装。

 そして、何より速そう!

 

「スーパーカーじゃ~ん! すっげー!!」

 

 気がついた時には、千束は喜色満面の笑みを浮かべながら目の前のフェンスを握りしめていた。

 そんな彼女と対照的に、たきなと大暉の表情はどこか困惑気味だ。

 

「目立ちますね……」

「あの見た目じゃさすがにな……、うわ」

「どうしました?」

「調べたらあの車、世界に五〇〇台しかない限定モデルだってよ。海外のオークションじゃ五億は下らないプレミアが付いてるみたいだ。てか、そんなもん用意したのか……? どっから金出てんだよ、いったい」

「……もしかして、前払いされた報酬を注ぎ込んだとか?」

「ないと信じたいが……どうだろうなあ。けど絶対チョイス間違えてるよ」

「同感です」

「そんなことどうだっていいの!」

 

 がばっ、と二人の方を向いて、千束は息巻く。

 

「やっぱり私に運転させてよ! ねえいいでしょ大暉!?」

 

 その時だ。

 大暉の口が、駄ぁ目、と言いそうになったタイミングで、遠くから轟々たるエンジン音が響いて来たのだ。

 それも、どんどんこちらへと近づいて来る。

 道路を挟んだ反対側……公園の方からだ。

 それだけではない。

 

「……ん?」

 

 いっしょになって、めきめきと木々のへし折れる音が聴こえるのである。

 次の瞬間、公園を『横断』してきた白い軽自動車が、力任せとばかりにこちら側へと飛び出してきた。

 ホンダの旧型車である。

 空中で器用に車体のバランスをとりながらド派手に着地、一度三人の目の前を通り過ぎたそれは、急制動とともにバックで再びこちらまで戻って来ると、ぴたり、と停車する。

 助手席側の窓が降ろされた。

 

「ウォール!」

 

 運転席からそう言葉を投げてくる人物の、その声は変声機を使っているのか、機械混じりの音声だ。

 おまけに、どういうわけか動物の着ぐるみを着込んでいる。

 千束にしてみれば、どこからどう見ても怪しい人物にしか見えないし、何より言葉の意味が判らなかった。

 だが、彼女の相棒はそうではないようだった。

 

「ナット!」

 

 すかさず、そう応える。相手にはそれで伝わったようだった。

 

「早く乗れ! 追手が来るぞ!!」

 

 運転手に急かされて、たきなが車に乗り込む。

 そこでようやく、千束も理解した。

 

 ウォール。

 ナット。

 ……ウォールナットか!

 合言葉、ダサっ!!

 

「後ろ開けるぞ!」

 

 言いながら、すでに大暉は車体の後ろに回り込み、バック・ドアを開けていた。

 荷室に手持ちのトランクを無理くり押し込んでから、たきなと同じく助手席側から後部座席に乗り込もうとする。

 ドア枠を掴んだ手を、

 

「ちょっと、スーパーカーじゃないの!?」

 

 千束が掴む。

 

「そうらしいな。ほれ、お前も乗った乗った!」

「うぇっ!? ちょっ、ちょっと待って!?」

 

 だが逆に腕を掴み返され、車内に引きずり込まれる格好になってしまった。

 

「スーパーカーがいいんだけど~っ!?」

 

 千束の叫びもむなしく、三人を乗せた軽自動車はすさまじい勢いのバックで大通りに出ると、そのまま川の手通りを南下し始めた。




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