リコリス・リベリオン   作:千束の笑顔が大好き

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 これからも、拙作をよろしくお願いいたします。


An eye for an eye, a tooth for a tooth.

 ────────────

 

 

 ホンダ・トゥデイは、ある意味において、異端のマシンである。

 

 まず、その基本設計だ。

 軽商用車として開発された車体は、ホンダ独自の『人間-最大限(M)()機械-最小(M)思想』に基づく斬新なパーツ配置により、低い車高ながら広い居住スペースと安定した乗り心地の確保に成功している。

 

 だがトゥデイが異端である最大の理由は、それが商用車でありながらモーター・スポーツ界でカルト的な人気を誇っている、という事実だった。低い車体と長いホイールベースによってもたらされる安定性の高さが、抜群の操縦性とコーナリング性能を誇っているのである。

 中には、鬼のような速度でサーキットを駆け抜けるスペシャル・チューニング・マシンも存在するという。ターボで武装したカスタム車のことだ。

 つまり、

 逃走用の車両としては、充分採用に足るマシンなのである。

 

 たきな達が乗り込んだのは、そんなトゥデイの最初期モデルだった。

 もっとも、その中身は座席を除いて総取っ替えされていたが。

 フル・ディスプレイのダッシュ・ボードは、ナヴィから音楽の再生まで、全ての操作がタッチ・パネルで出来るようになっている。

 空調脇に取り付けられたキーボードは、やはりハッカーゆえに入力操作に慣れた機材だからだろうか。

 

「なるほどな。こういうのもあったか」

「なるほど、って……なぁんで護られる側が颯爽と車で現れるのよ。普通逆でしょ?」

 

 大暉の呟きに、しかし千束は不満げに声を上げた。

 彼の膝の上で。

 

 はじめ大暉は、千束とたきなを後部座席にやって、自身は助手席に乗り込むつもりでいたらしい。

 だが、それが出来なかった。

 助手席には、すでに先客がいた。

 いや、正確に言えば、それは『客』ではない。

 目にも鮮やかな黄色いスーツケースが、シートベルトでしっかりと固定されていたのである。

 すぐに事情を理解した彼は、仕方なしに後部座席へ座ることにした。

 

 だが、ここで一つ問題が発生する。

 いくら広い居住スペースを持つトゥデイとは言え、その設計は女性二人と男性一人が横並びで座れるようには出来ていなかったのだ。

 その結果、シートに腰を下ろした自身の両膝の上に、やむを得ず千束を乗せる格好になったのである。

 シートベルトは付けられないので、両腕を彼女の腰に回してやることで万が一に備えている。

 

「予定と違ってすまない。ウォールナットだ」

 

 ハンドルを握る着ぐるみから、機械じみた『声』が飛んで来る。

 

「はいはーい、千束ですぅ。彼女がたきなで、こっちが大暉」

 

 応える千束は、さっきのスーパー・カーに乗れなかったのがよっぽど悔しいのか、あからさまに覇気がない。

 一応、彼女からの紹介に合わせてたきなは会釈しておいた。

 

「なんか、イメージしてたハッカさんとは違いますね~」

「底意地の悪い痩せた眼鏡小僧とでも? だとしたら映画の見過ぎだよ」

「ほら、やっぱり」

 

 特急でたきなが千束に言ってやったことと同じことを本人の口から聞けたので、思わず唇の端に笑みが浮かぶ。

 千束の椅子と化してしまった大暉も、同様に皮肉な笑みを浮かべていた。

 

「それ見たことか」

「いやいやいや、だとしても着ぐるみじゃないでしょ」

 

 赤信号の交差点で、白い軽はゆるやかに停車する。

 目の前の横断歩道を歩行者が通り過ぎて行くのを眺めていると、とてもじゃないが、追われている、というふうには感じられない。

 

「ハッカーは顔を隠した方が長生き出来るってだけさ」

 

 それが、どうやら着ぐるみを着込んでいる理由らしい。

 

 情報化社会と呼ばれる昨今、いつどのような理由で個人情報が流出するか判らない。

 ましてや、それが世界最高峰の腕を持つ伝説のハッカー・ウォールナットであれば、顔を晒すリスクはとてつもないはずだ。

 

「JKの殺し屋の方が異常だよ、リコリス」

「クマのハッカーよりは合理的ですよ」

 

 たきなの言う、それは運転手の着ぐるみのことだ。

 バック・ミラーごしに見える着ぐるみの顔だちが、なんとなくクマに似ている気がするのだ。

 だが、千束はそうは見えないようだった。

 

「たきな、イヌだよ」

「いや、リスだな」

 

 大暉までが、全く違う動物の名を口にする。

 しかし、

 

「大暉と言ったか? よく判ったな、正解だ」

 

 どうやら、リスのようだった。

 言われてみれば、両方の頬が脹らんでいるのは、中に木の実を詰めているリスの姿を彷彿とさせる。

 

「ま、俺の勘はよく当たるからな」

「えー? 大暉の『勘』ってほとんどズルじゃんか~」

 

 腰をひねって器用に大暉の方を向く千束との、その顔はほとんど鼻が触れ合いそうなくらいに近い。

 

「ズルじゃねえよ、これも立派な『才能』だっての」

「騒がしいのは嫌いじゃないが、夫婦喧嘩はほどほどにしてくれよ」

「だから夫婦じゃないってば!」

 

 むすっ、とウォールナットの言葉に揃って反論する様子は、やはりたきなからすれば『そう』としか見えない。

 信号が青に変わる。

 発進とともに大きく右折し、平和橋通りに合流した。

 ウォールナットが次に口を開いたのは、カー・オーディオから流れる演歌が終わって少ししてからだった。

 

「で? どう合理的なんだ?」

「はい?」

「リコリスのことだ。JKの制服であることの理由だよ」

「ああ、それは……」

 

 言いかけて、

 

「日本で一番警戒されない姿だ、ってことですよ、これ」

 

 千束が説明を引ったくった。

 

「JKの制服は都会の迷彩服というわけか……」

 

 だったら、と着ぐるみの頭がわずかに動く。バック・ミラーごしに、こちらを見たようだ。

 

「男のキミはどうなんだ?」

「ああ?」

 

 突然話を振られた大暉は、千束の肩から運転席を覗き見るように顔を出した。

 

「似たデザインのようだが、リコリスではないんだろう?」

「まあな。いちおう、リリベルって呼ばれてる。リコリスの男版って言や判りやすいか」

「ほう……しかし、見ない色だな。データにない」

 

 リコリスにはそれぞれに三つの階級があり、それらは制服の色によって視覚的に識別出来るようになっている。たきなの紺はセカンド、千束の赤はファーストである。一番下のサードはベージュだ。

 しかし、大暉が身にまとうものは、そのどれにも当てはまらない。

 黒いのだ。

 ズボンであることとネクタイであることを除けば、たしかに、全体的な意匠はたきな達のそれと大差ない。その見た目はさながら学生服かサラリーマン、あるいは以前警察署で逢ったような刑事に見えなくもない。

 都市迷彩としてのリコリスの制服と、どうやら用途は同じらしい。

 ジャケットの両袖を肘までまくり上げているのは気になるが。

 

「特注か?」

「そんなとこだ。ずいぶん調べてるんだな」

「自分の命を預けるんだ、それぐらいの下調べはして当然じゃないか?」

「言えてる」

「しかし、あのトランクはどうにかならないのか? キミ達を乗せる時に思ったが、あれは違和感しかないぞ」

「しょうがねえだろ」

 

 背後の荷室にヨコに置かれた銀色のトランクを振り返って、大暉がボヤく。助手席のスーツケースよりわずかに小さいていどの、こちらも大型だ。中に二丁の拳銃が仕込まれていることを考えると、『仕掛け』も含めてどうしてもこのサイズになってしまうのだろう。

 

「あれが商売道具なんだから。鞄じゃ小さいんだよ」

 

 たきな達が背負っているもののことだ。一目には普通の学生鞄のようにも見えるが、その中身はホルスターとマガジン・ポーチを兼ねたリコリスの標準装備である。

 

「まあ、いいんじゃない?」

 

 引き取るのは千束である。

 

「大暉、もうリリベルじゃないんだしさ」

「……え?」

 

 思わず、たきなは声をあげた。

 大暉の方を向いて、問いかけてしまう。

 

「リリベルじゃないって、どういうことですか?」

 

 そのままの意味だ、と彼は言った。

 

「組織を離反した反逆者(リベリオン)。それが今の俺だ」

 

 そんな、

 まさか。

 

「でも……伝説のリリベルなんですよね? だって司令が……」

「だぁから、昔の話だって言ったろ? 俺もコロシの毎日に嫌気がさしたんだ。ミズキと似たようなもんさ」

「なら、どうして制服を?」

「そりゃあ、そっちと同じ理由だよ」

 

 それが、大暉の答えだった。

 

 リコリス達は、その存在の特性上、制服着用時以外の拳銃の携行は許められていない。必然的に、任務では制服の着用が義務づけられているのである。

 仮に制服未着用の状態で銃を使用した場合、銃刀法違反に則って警察に逮捕されることになる。

 つまりたきな達が着る制服は、DAに所属するエージェントであることを証明するとともに、拳銃携行の許可証でもあるのだ。

 つまり、大暉はそう言っているのである。

 もっとも、証明する相手は一般社会ではないが。

 

 しかし、これはあくまでリコリスを擁するDA機関における話である。

 たきな達とは異なる組織構造を持つと言われるリリベルのことは、ほとんど何も知らないと言ってもいい。事実、京都から本部、そして現在の支部の異動までで、たきなが遭遇したリリベルはただ一人……石蕗(つわぶき)大暉だけである。

 いや、だった、と言うべきだろうか。

 

「ま、その辺はうちの雇い主が上手いことやってくれてるってんで、こっちとしちゃ助かってるのさ」

「キミも大変なんだな」

「お互いさまだ。それより、こっちからも質問、いいか?」

「なんだ?」

「トランクで思い出したんだが……あんたのそりゃ、何なんだ?」

 

 言いながら大暉が目で指す、それは助手席に置かれたスーツケースのことだ。

 きちんとシート・ベルトで固定された。

 

「ボクの全て」

 

 ウォールナットは言った。

 

「国外逃亡には、身軽な方がいいだろ?」

「いや、あんたの姿が身軽じゃないですけどね!」

 

 これは千束である。

 

「でも、いいな~……」

 

 言いながら、大暉の方へと寄っかかった。彼の肩に、頭を乗せる格好だ。

 

「……私も海外行ってみたい」

「いっしょに行くかい?」

 

 ウォールナットの、それは提案である。

 だが、千束は首を振った。

 

「私達、戸籍がないからパスポート作れないんですよ」

「いっそのこと、一式偽造して旅行でも行くか?」

 

 大暉だ。その顔に浮かぶ笑みは皮肉なそれではなく、まるで抱き上げた我が子に向けるような穏やかなものだ。

 

「いや、それはいいかな~」

「ボクは別に構わないぞ」

 

 ウォールナットの言葉は、つまり頼まれればそのくらい造作もない、ということだろう。

 しかし、

 

「んーん、私がヤなの。ズルしてまで行きたくないだけ」

 

 それに、と彼女は笑みを浮かべる。

 

「大暉といっしょなら、どこ行ったって楽しいから」

 

 彼女の言葉に、千束を乗せた大暉が窓の外へ顔をそむける。

 その頬が若干紅く見えたのは、気のせいだろうか。

 

「……やっぱり夫婦じゃないか」

 

 ウォールナットが呆れるのも、判るような気がした。

 

「にしても……」

 

 大暉だ。首だけを背後に向けて、リア・ウィンドウから後続車両のようすを確認しているらしい。

 だが、

 

「来ねえな」

 

 その言葉に、つられてたきなも振り返った。

 次々と建物が後ろへ流れてゆくだけで、尾けてくるような車は一台も見受けられない。

 

「来てませんね」

「わお、ほんとだ」

「ハッカーさんよ、俺達はあんたの護衛を任されちゃいるが、けっきょくのところ誰があんたの命狙ってんだ?」

「そうだよ、追手来てるようすないけど……心当たりはあるんでしょ?」

「ボクの以前の依頼主(クライアント)と、同業者だ」

「同業者? 同じハッカーってことか?」

「そうだ、奴がボクを売った。一度めはダミーで誤魔化したが、次もそう上手くいくとは限らない」

 

 だから、命を狙われている。ウォールナットは、そう言っているのだ。

 

「そいつの腕は?」

 

 大暉の訊ねるそれは、ハッカーとしての、だ。

 

「ボクには遠く及ばないが、なかなか悪くない」

「そうか」

「ねえ、どうするの? このまま(ちょく)で羽田へ?」

「いえ」

 

 千束の質問に、たきなは首を振る。

 

「車を替えるよう言われています」

 

 攪乱(かくらん)のためだ、とミカは言っていた。

 たきなは携帯を操作して、地図を表示させる。点滅する赤い光点は、逃走車両の乗り換え地点である。

 助手席のヘッド・レストに手をかけて身を乗り出して、その画面を着ぐるみの『目』のあたりへと持って行った。

 

「ウォールナットさん、ここへ向かってください」

「判った」

 

 応えて、着ぐるみの太い指で器用にダッシュボードのマップに目的地を入力した、その時だ。

 

「……マズいな」

 

 後方を確認していた大暉が弾かれたように正面を向いたと思うと、そう言った。

 その直後、

 

「……ん?」

 

 ハンドルを握る着ぐるみの様子が、変わった。

 

「どうしたんですか?」

 

 たきなの問いに応えるように、ウォールナットはゆっくりとハンドルから手を放す。

 アクセル・ペダルからも。

 だが、車は速度を落とすどころか、ゆるやかに上がっているのである。

 小菅(こすげ)から首都高速へ乗るはずだったが、車線を変えることなく一般道のままだ。

 異状が起こっているのは明らかだった。

 ひとりでに動くハンドルを呆然と見つめたかと思うと、

 

「……車を乗っ取られたか」

 

 まさかのハッキング宣言である。

 

「えぇええぇえっ!? ちょっとちょっとちょっと!」

「あっ、おい莫迦! 勝手に動くなって!」

 

 喚きながら身を乗り出そうとする千束を、大暉が腰に回した腕の力であわてて引き戻す。

 

「わぶっ!?」

 

 同時に車が一気に急加速して、だからその反動で千束は勢いよく後部座席に叩きつけられそうになった。

 ぶつからなかったのは、その寸前で大暉が彼女の躯を受け止めたからだ。

 いくらか変な体勢になっているが。

 

「平気か!?」

「ごめん、ありがと……ッ!」

 

 体勢の崩れた千束を抱き抱えながら、大暉は声を荒げる。

 

「乗っ取られたって言ったな! 例の同業者か!?」

「そうだ。……ロボ太の奴、腕を上げたな」

「感心してる場合じゃないでしょー!?」

 

 あっさりと言ってのけるリスの着ぐるみに、引っ繰り返りかけの千束が抗議の声をあげる。

 

「これ、どこに向かってるの?」

「このまま海に突っ込むつもりだな」

 

 応えて、ウォールナットの指が速度計を指す。

 

「見ろ。どんどん加速している」

 

 天才ハッカーの言うとおりだった。すでに法定速度を超え、車体は時速八〇キロにまで達しようとしている。窓から見える景色も、どんどん横殴りになってゆく。

 なら、とたきなはすぐさま提案した。

 

「回線の切断を!」

「無駄だ。制御を取り戻しても、すぐにロボ太に上書きされるだろう」

「えー!? じゃあ、どうすれば……」

「こちらの作業完了と同時に、ネットを物理的に切れればいいんだが」

 

 言いながら、すでにウォールナットは車両のコントロールを取り戻すべく対応していた。

 ダッシュボードに、コントロール・システムのアップデートを知らせるプログレス・バーが表示されている。これが一〇〇パーセントになった時、車両の制御を奪還出来るのだろう。

 だが、そのためには相手からの電波ジャックを遮断する必要がある。

 

「そんなこと言っても、ルーターどこよ?」

「知らん。ボクの車じゃない」

 

 だとしたら、とたきなは考える。

 車側をどうにかするのは無理だ。どこかから送信されてくる外部の中継器……ルーターを探し出して、そいつを叩くしかない。

 その時だ。

 バックミラーごしに、トゥデイの背後を飛び回る何かが見えた。

 

「二人とも、あれを……」

 

 鋭い、しかし囁きで、隣に座る千束達に合図を送る。

 三人が、一つのバックミラーを覗き込む格好になった。

 

「ははぁん……あいつか」

「なるほどなあ」

 

 車体の背後に、こちらを追尾してくる一機にドローンがあった。

 車の操作権を奪っているのは、あれなのだ。

 

「バレると逃げられます」

 

 囁きなのは、車内の会話も筒抜けであると踏んだからだ。

 そして実際、そうであるに違いない。

 二人も、その事実を理解しているようだった。

 

「あれだけか?」

「おそらく。千束さん、いけますか?」

「いやあ、ありゃ自信ないよ。そっちはたきなに」

「判りました」

 

 だが、

 

「マズいな」

 

 突然、ウォールナットが声をあげた。

 ここへきて初めて、その声音には焦りの色が浮かんだように聞こえた。

 

「制御を取り戻すためのプログラムが停められた。これじゃルーターを壊したところで、制御は戻らない」

「えっ!? それってもしかしてもしかしなくてもヤバいやつじゃ!?」

「ああ、ヤバい」

「いや」

 

 大暉だ。

 

「心配ない。このまま決行するぞ」

 

 つまり、ルーターへの反撃を、だ。

 

「制御は俺が取り戻す。たきなはあいつを」

 

 目でドローンを指す大暉に、たきなは一度千束を見てから、頷いた。

 射撃には自信がある。どんな不安定な姿勢からでも狙いどおりに撃ち抜けるだけの技術を、日々磨いて来たからだ。

 

「千束さん、これ、お願いします」

 

 顎で脇の窓ガラスを指すたきなに、千束は頷きで返す。

 

「任せて!……って、この姿勢じゃ無理か。大暉、下で寝れる?」

「あいよ」

 

 応えて、二人が器用に体勢を変える。

 フラットな足元のくぼみに大暉が仰向けになり、その上に拳銃を引き抜いた千束が腰を下ろす。

 彼女の姿勢を支えるために腰に回されている両腕は、さっきより強く抱き寄せているようだ。

 

 空いた後部座席のシートに、たきなは寝そべる格好になった。

 

「準備はいいか?」

 

 言いながら、大暉は千束の躯に回した両腕で何やら操作している。どうやら、左手首に巻いた腕時計型のデバイスをいじっているようだ。

 途端に、車体が大きく上下に揺れた。

 舗装された公道を飛び出し、傾斜のある土手に乗り上げたのだ。

 シートベルトを付けていない三人は、衝撃で跳ねた。

 

「ひゃあっ!?」

 

 驚くような悲鳴は、千束だ。彼女を抱きしめる大暉の両腕が衝撃で上下に動いて、豊かな胸元を下から押し上げる格好になったのである。

 

「ちょい大暉! 腕、当たってるんだけど!?」

「すまん! けど我慢しろ!!」

「そんなご無体(むたい)な!?」

「ともかく、制御を取り戻すぞ!」

 

 3……、

 2……、

 1……、

 

「今だ!」

 

 言うが早いか、大暉はデバイスのディスプレイをタップする。

 千束も同時に、手にした拳銃で窓ガラスに照準を合わせ、立て続けに発砲した。

 耳をつんざく銃声が車内に響き渡り、放たれた弾丸がガラスへ次々と放射状の亀裂を生んでゆく。それでも千束が反動で引っ繰り返らないのは、その射撃姿勢に由来する。

 斜めに傾けた銃を可能な限り顔に近づけ、銃口と目線を直線上に一致させる。また左手は銃を握る右手を包み込むように持ち、安全装置(セーフティ)の脇で両方の親指の腹を合わせている。これにより連射時の命中率が上がり、同時に発砲時の反動(リコイル)を軽減することが出来るのだ。

 

 たきなは、じっと待った。

 そして五発めが撃ち込まれたタイミングで起き上がると、精一杯の体当たりをかます。

 千束のおかげで脆くなっていたガラスは飴細工のように外側に飛び散り、たきなの躯を車体の外へと躍らせる。

 直後、再び車体が大きく揺れた。堤防の傾斜を登っていた車両が、下り坂を飛び下りたからだ。

 空中で、バランスを失った車両が傾く。それでも器用に姿勢を維持しながら、たきなは銀色の拳銃を握りしめた。

 狙いは、すぐ目の前。

 車体後部を飛ぶ、緑色のドローン。

 

 全神経を指先に集中させる。

 引鉄を引いた。

 三回。

 

 マズル・フラッシュとともに撃ち出された三発の弾丸は、彼女の狙いと寸分違わず、吸い込まれるように目標のドローンへと命中した。

 

「よしっ! 制御を奪い返した!」

 

 快哉を叫ぶ大暉に呼応して、運転席のウォールナットが旋回して落下していた車体を器用に着地させると、今度はブレーキ・ペダルを思いっきり蹴り込んだ。

 

「捕まってろ!」

 

 同時にハンドルを切ったウォールナットに、

 

「へぶっ!?」

「ぅお、ちょっ!?」

「……っ!!」

 

 わずかに反応が遅れた後部座席の三人が驚きの声をあげた。

 

 白い車体が、進行方向に対し真横に滑る。盛大なドリフトである。

 コンクリートに擦りつけられたタイヤのゴムが焼ける臭いが、割られた窓から鼻につく。甲高い悲鳴は、急激な減速によるタイヤのスキール音だ。

 ようやく暴走したトゥデイが停まった時、その車体は半身を堤防の外……海へと投げ出していた。

 

「いっつつ……みんな、無事?」

「はい……」

「な、何とかな……」

 

 身をひねってドアノブに手をかける千束に、器用に体勢を維持したたきなと、千束の下敷きになって両足を天井を突き出した大暉が応える。

 

「ちょ、お尻がくすぐったくなるから、大暉喋んないで!」

「だったら早く動いてくんねーかな。この体勢じゃ、さすがに苦しい」

「だから喋んないでってば!」

 

 途端に、ぎしり、と車体が軋んだ。わずかに、海側へと傾いたのだ。

 

「二人とも黙ってください!!」

 

 すかさず、たきなは二人を制した。

 

「下手に動けば全員海に落ちますよ」

「ごめーん、そうだった。とりあえず、せーの、で降りますよ」

「ス、スーツケースを~……」

 

 ウォールナットだ。両腕を上げ両膝を抱え込んだ、奇妙な姿勢である。

 

「私が持ちます」

 

 その発言を、たきなはたちまち後悔した。ウォールナットを降ろした後にスーツケースに手をかけた時、想像以上の重さに思わず腰を痛めそうになったからだ。

 ずっしりと中身の詰まったスーツケースだった。

 小さな子供くらいなら、すっぽりと収まってしまいそうなサイズだ。

 ともあれ、二人に続いて千束と大暉が車を降りてすぐに、白いトゥデイはその車体を大きく傾けて海へと落ちていった。

 

「にしても、よく車の制御を取り戻せたな」

 

 たきなの隣で、ウォールナットが心からの感嘆をもらす。

 

「いったいどうやったんだ?」

「こいつさ」

 

 応えて、大暉がかかげて見せるのは腕時計型のデバイスである。

 ディスプレイには、横を向いたオオカミをモチーフにした紫色のアイコンが浮かび上がっていた。

 

「こんにちは、ウォールナット。こうして『逢う』のは初めましてね」

 

 小型のスピーカーから聴こえてくるのは、凛とした艶やかな女性の声である。

 機械混じりな、けれど肉声とほとんど遜色ない高度な調声だ。

 何よりたきなが驚いたのは、

 

「なるほど、人工知能(AI)か?」

「さぁすが天才ハッカー、ご明察だ」

「フリージアです。以後、お見知りおきを」

「自律思考型とは……かなりデキた個体なんだな」

「ネット黎明期から活躍するあなたにそう言ってもらえるとは、光栄ね」

 

 ウォールナットの質問に対する応え方が、あまりにも人間臭いことだった。

 ここまで人間らしい応答をするAIなど、たきなは知らないし聞いたこともない。

 その時だ。

 

「あぁん! フリージアァ~!!」

 

 喜色満面の笑みで飛び込んできた千束が、デバイスを装着した大暉の腕に抱きついた。

 

「ひっさしぶりぃ~!! 元気してた~!? どのくらいぶりかな! 半年? 一年!?」

「チサト、喜ぶのはかまわないけれど、あまり揺らさないでもらえるかしら? それと、三ヶ月よ」

「え!? まだそんなしか経ってないの!?」

「間違いないわ。あなたがハルキと闇金事務所に乗り込んだのが最後だから」

「うっそでー!」

「嘘を言って何になるのかしら?」

 

 これが?

 これがAI!?

 

「千束、その辺にしてくれ。まあともかく、セキュリティに侵入するのはこいつの得意技でな。先に入り込んでた邪魔者を追い出して、強引に制御を明け渡してもらったのさ」

 

 大暉の言う『邪魔者』はつまり、たきなが破壊したドローンを介して電波ジャックをしかけていた奴のことだろう。

 

「興味深いな。ボクですら知らないシステムがあるとは」

「開発者が言うには、スレイヴ・プログラム、とか言ってたな」

 

 あらゆる情報防壁を無効化する特殊プログラムだ、と彼は言った。

 事実上、オン・ラインされているコンピューターは、電源が切られていない限り『彼女』の命令に逆らうことが出来ないというのである。

 あまりの規格外っぷりに、

 

「……マジか」

 

 さすがのウォールナットも呆然と声を漏らすが、それはたきなも同じ気持ちだった。

 

「マジだ。おかげで助かったぜ」

「毎度のことながら、いつもぎりぎりに呼ぶわね。三ヶ月前も、それで危うく防犯カメラに写りかけたじゃない。もう少し余裕を持って行動して欲しいところね」

「いや、あれはなあ……」

 

 身に覚えがあるのか、いたたまれない表情でぼりぼりと頬を掻く大暉だったが、

 

「……ああぁあぁあぁああ!?」

 

 突然、弾かれたように背後の海を振り返った。

 

「やっべ! やっちまった!!」

 

 すぐさま、足場ぎりぎりまで海に駆け寄る。見つめる先は海の底に沈んで行った車だろうか。

 

「どったの?」

 

 訊ねる千束に、大暉は血相を変えて振り返った。

 

「トランクだよ! 俺のトランク!」

 

 思い出した。

 たしかに、頭を抱えている彼の足元には、見覚えのある銀色のトランクの姿はない。

 

「さっきのに積みっ放しのままだったんだ……!」

 

 トゥデイの荷室に、である。

 

「任務が終わってから取りにくればいいじゃん」

 

 ちくしょう、とうなだれる大暉の頭を、よしよし、とばかりに千束が撫でてやる。

 その手が急に止まったかと思うと、

 

「……ん?」

 

 ふいに、千束の視線が動いた。

 首都高の高架線へ。

 つられて、たきなも見上げる。

 車通りの少ないそこに、一台の車が停まっていた。

 大型の、白いバンである。

 そこから、じっとこちらを見つめる複数人の男達の姿があったのだ。

 ただの男達ではない。サングラスにタクティカル・ベストの、見るからに怪しい集団である。

 こちらの視線に気づいたのか、連中はバンに乗り込むと急いでその場を後にする。

 おそらく彼らが、ウォールナットの言う『追手』なのだろう。

 

「とりあえず、場所を変えよう」

 

 千束の提言に、異論を唱える者はいなかった。




 本当は今回で第二話の内容を消化したかったんですが、次回に持ち越しに。

 車のシーンだけでここまで長くなるとは思わなかったんだ……。


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