リコリス・リベリオン 作:千束の笑顔が大好き
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六月に入って、どうにも雨が降るのが多くなってきたように感じる。
今日も、だ。
東京を出発した特急が何度目かのトンネルを抜けた時、突然の雨が窓に叩きつけられてきた。
周囲を山地や丘陵に囲まれた、盆地である。ひと際大きな山の麓に背の低い住宅が広がる構造で、都会の喧騒とは完璧に切り離されたこの町の眺めが、千束は好きだった。
本部に行くのは面倒くさいことこの上ないが。
「楠木さんに何て言うの?」
頬杖をついて、窓に流れる雨滴とその向こうに広がる
「今、考えてます」
応える少女は千束の正面に向かい合って座るたきなである。メモ帳を広げて、手にしたペンで色々と書き込んでいるようだ。
……どうしよう。
会話が続かないな。
思いついたように、千束はポケットに手を突っ込む。
「たきな! 飴いる?」
「けっこうです」
即答されてしまった。
まあ、だよね、とは思いながらも、千束は飴の包み紙を解く。イチゴ味だ。
口に運ぼうとしたところで、視界の横から黒い腕が入り込んできた。
そのまま、器用に千束がつまんだ飴を引ったくってしまう。
「ああ!?」
声をあげて振り向けば、飴を手に隣に座る大暉が呆れた視線を寄越していた。
「ちょっと、それ私の~!」
「お前は健康診断だろが。終わるまで我慢しろ」
「いいでしょ~? 一個だけなんだしぃ」
「糖分の摂取は、血糖、中性脂肪、肝機能他の数値に影響を与えます」
「たきなまで!? ……うぅ……はぁい……」
二人に言いくるめられて、たまらず千束は身を縮こまらせる。
「んじゃ、こいつは俺がもらいまーす」
言うが早いか、ぱくり、と口に放り込んでしまった。
「ちょーい!?」
「おお、うん……あ、旨いなこれ」
ころころと口の中で飴を転がしながらの大暉に、たきなが顔を上げて彼の方を向く。
「
「いや、俺は
「同じ意味では……?」
「ああ、大暉のは……」
言いかける千束を、
「広い意味じゃ、そうかもな」
大暉が遮る。
こちらを向く彼の瞳は、余計なことは言うな、そう伝えているように見えた。
「まあ組織に就かなくなったとは言え、俺もこいつと同じで多少は本部の仕事を手伝わなきゃならなくてよ」
でなければ、ライセンスを剥奪されて銃刀法違反でポリスメンにドナドナされる。
「そういう時に、わりと躯に無理させることが多いんだよ。そいつを放っとくと、下手すりゃ故障に繋がるからな」
『故障』という単語を使ったことに、思わず千束は彼の方を向いた。
驚きに。
彼の身に起きたことについて知る者は限られている。千束をはじめ、ミカやミズキと言ったリコリコ創業当初からの面子を除けば、それこそ楠木司令といったごくわずかな上層部の人間のみだ。
ゆえにその行動は、彼の言葉の真意を知らないたきなには不自然に見えただろう。
だが、彼女はどうやら別の意味で捉えたらしい。
「故障ですか……たしかに、予期せぬ怪我で任務に支障が出るのは避けたいですね」
アスリートの故障と同義だと解釈したのだ。
大暉は苦笑しつつ、そうだ、と応えた。
「そのためのメンテナンスというわけですか」
「そゆこと」
「ずいぶんと手厚い歓迎をしてくれるんですね、本部は」
「はばかりながら、有名人だったんでな」
そうこうしているうちに、列車は目的の駅に到着した。
人の気配を感じない寂れた駅に、三人は降り立つ。
改札を通って外に出ると、そこには一台の車が停まっていた。
黒いワゴン車である。
降りしきる雨の中、後部ドアの脇に一人の女性が立って待っている。
「お待ちしておりました。錦木さま、石蕗さま、井ノ上さま」
傘に隠れて顔までは判らないが、しかし彼女がまとう制服は、まごうことなきDA職員のものだ。
三人が乗り込むと、ワゴンは滑るように走り出した。
どろりとした空が、鉛色の渦を巻いている。
雨はまだやみそうになかった。
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政府とは協力関係にありながら、しかしその指揮下には置かれず独立した強い特権を有している。
有事の際には政府よりもその権利の行使が優先されるのだ。これは、その前身が明治維新に結成された治安維持組織『
その特権は、実働部隊であるリコリスやリリベルといったエージェントにも、限定的ながら行使が認められている。すなわち車両の運転と、銃の携行である。
その最たるものが、テロや犯罪を未然に防ぐための暗殺を是とするマーダー・ライセンスだろう。
厳密に言えば、大暉はリリベルそのものを辞めたわけではない。組織に縛られない存在になった、と言った方が正確なのだ。そのため、彼もまた千束やたきなといったリコリスと同じく、リリベル当時に受け取ったマーダー・ライセンスを所持している。
ただ、その所属がリリベルならびにリコリス本部ではなく喫茶店を兼ねた支部のリコリコである、というだけの話なのだ。
要するに……と大暉は思う。
こうした定期的な本部への出頭は、俺のワガママの交換条件というわけだな。
樹木に囲まれた山間部を、一台の乗用車が走り抜ける。
駅を出発してから、かれこれ三〇分ほど車に揺られている計算だ。
具体的な地名は、しかし大暉も知らされていない。ただ、運転手だけが『知って』いるのだ。
ゆっくりと斜面を回り込むと、そこが第一ゲートだ。
金属製のフェンスが、行く手を阻んでいる。その脇に立つ看板には『この先 国有地につき 立ち入り禁止』の表示があった。
速度を落とし、ゲートの手前で停車する。こちらは特に何かするわけでもないが、この間にゲートの周囲に設置されたセキュリティ・カメラが車両を走査している。
「べぇ」
窓の外を向いた千束が、あからさまな不機嫌を顔に浮かべて舌を出す。彼女の視線の先は、おそらくチェック中のセキュリティ・カメラだろう。
そして、その奥でこちらを見ているだろう誰かへ向けて。
がしゃん、と重い音をたててゲートが開いてゆく。問題ないようだ。
再び車が動き出す。
両側を緑に覆われた細い道を走るうちに、木々の間から、高速道路の料金所を思わせる金属製の箱のようなものが見える。第二ゲートである。
通過して、さらに直進する。
すぐに、前方に建物らしきものが見えてきた。
近づくと、奥に長い建造物である。
広いロータリーを回り込んで、車が停まったのはガラス張りのエントランスの前だった。
大型の公民館を思わせる、それがDAの本部だった。
四段ばかりの階段を上がった先の自動ドアをくぐると、待ち受けているのは金属探知機と顔認証だ。自分のトランクと千束達の鞄をコンベア式の探知機に放り込んで、認証システムの前に立つ。これも難なく通過した。
「ほいよ」
「てんきゅー」
「どうも」
二人の鞄を渡してから、自分も銀色のトランクを手に取る。
自動ドアを抜けて、左右に細長い通路に出る。天井は大きなアーチ状で、外の光を取り込むべく全面がガラス張りである。
受付カウンターはドアの正面、通路の中央にあった。壁の一部をくり抜いて嵌め込んだ、デパートの案内カウンターみたいなやつだ。
カウンターに収まった二人の若い受付嬢が、こちらの姿を見るなり会釈を投げてくる。
「LC2808、錦木千束でっす」
「LC3023、井ノ上たきなです」
先行する二人に追いついて、大暉も名乗る。
「LC2034、石蕗大暉です」
受付嬢が、手元の端末を操作する。三人の名前がデータにあるかどうか照合しているのだ。
端末から顔を上げると、
「確認出来ました」
にっこり、だ。
「錦木さんと石蕗さんは、それぞれ体力測定と定期メンテナンスがありますので、隣の医療棟へ向かってください」
カウンターのスケジュール表にも記載されていたのだろう。受付嬢の言葉にはよどみがない。
だが、彼女の視線がたきなの方を向くと、初めて言葉を詰まらせた。
「井ノ上さんは……?」
来館予定が入っていないのだ。
だが、黒髪の少女は臆することなく自身の目的を告げた。
「楠木司令にお逢いしたいのですが」
「司令は現在会議中です。お戻りになるのは二時間後ですが……」
受付嬢がそこまで言った時だ。
「あれ……ほら、味方殺しの」
「DAから追い出されたんでしょ?」
「組んだ子、みんな病院送りにするんだって。おっそろし」
ひそひそと、しかしわざわざこちらに聴かせるくらいの大きさで話す声が聞こえてきた。
明らかな嘲笑を浮かべながら。
ちらり、と視線を向ければ、そこには三人組のリコリスがしきりにこちらを……たきなを見ながら背後を通過してゆくのが判る。サードが二人と、セカンドが一人だ。
「ずいぶん捻じ曲げられてるな」
事実が、だ。
ミカに聞いた話では、銃取引があったとされた日、たきなは人質になったリコリスを殺すどころか救っているのである。
結果的に武器商人を殺すことになったとはいえ、だ。
そのことに、千束が怒らないはずもなく。
「何だ、あいつらぁ」
拳を握り、普段は柔和な笑顔を浮かべている顔を険しくさせて、鋭い視線を三人の少女達の背中へと向けていた。
大暉は千束の方を見ることなく、彼女の手首を掴む。
「抑えろよ。暴れたら後が面倒だ」
囁きに、
「それくらい判ってるっての」
囁きで応えつつ、拳を握る彼女の腕から、徐々に力が抜けてゆく。手を放した時、受付嬢がたきなに問いかけた。
「お待ちになりますか?」
「あ……はい」
応えるたきなの、その言葉は細い。
それもそうだ。
悪意に晒されて平気な者などいないのだから。
感情のない機械でないのならば。
「私……訓練所に行ってますから」
「あ。ちょ、ちょっとたきな!?」
力なくそう言うと、彼女は訓練棟へと続く廊下を走ってゆく。
この場から逃げるように。
彼女の背中に深い哀しみが見えたのは、気のせいだろうか。
その時だ。
「ん?」
ふいに、背後に気配を感じた。
振り返ると、そこには一人のリコリスが立っていた。
紺色の制服……ランクはセカンドだ。
そんな少女が、こちらを……というより、たきなが走って行った先の通路を見つめていた。
眉の上で切り揃えられたオンレジブラウンの髪の下に、今にも泣き出しそうな顔を浮かべて。
こちらの視線に気づいたのか、少女は慌ててエントランスを去ってゆく。
「ねえ」
言いながら、千束の手が大暉のジャケットの袖口を引っ張る。
「たきな、大丈夫かな」
「さあな」
そう答えることしか出来なかった。
「ただ……」
だが、これだけは言える。
「腫れ物扱いってのは、ちと気に入らねぇな」
エレベーター・ホールで、千束と別れた。
大暉は一人乗り込むと、胸ポケットから取り出したライセンス・カードを行先階ボタンの上部に設置されたリーダーのスリットに通す。
認証を受けたエレベーターは、下降を始めた。
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甲高いブザーは、終了の合図だ。
全ての標的が、床のスリットに収納された。
「ふぃ~」
額の汗を拭うと、スピーカーから女性の声が飛んで来る。
制御室に立つ人物の声だ。
「レベルC、終了。お疲れさま」
本部地下に造られた、それは数あるシューティング・レンジの一つを改造したトレーニング・ルームである。
四角いトンネルのような構造だ。横幅と奥行きが広く、そのため天井が低いように感じるが、高さはたっぷり三メートルばかり確保されている。
打ちっぱなしのコンクリートの床と天井に切られた格子状のスリットを、低温レーザーを装備した標的が移動する仕組みである。
攻撃に失敗すれば撃たれる、というわけだ。
だが、
「被弾ゼロ。相変わらずね、莫迦げた動体視力は」
「そりゃどうも」
額の汗を拭いながら、打ちっ放しのコンクリ―トの床を、制御室に繋がるドアへ向かって歩く。
分厚い鋼鉄のドアを開けて、階段を上がる。
制御室に入ると、制御卓の相手が振り返った。
赤毛をアップにまとめた女性である。
大暉のメンテナンスおよび調整後の身体能力テストの監督を担当しているのだ。
「調子はどう?」
「悪くねえ」
肩をぐるぐると回して見せる。首も回すと、ごきり、と音が鳴った。
「そっちは?」
「うん。こっちも問題なし」
そう言う彼女は、卓に並んだモニターのうち一つを指す。
「数値も安定してるわね」
ぱっと見には、生身の人体の透視図にも見える映像だ。各関節部から延びる線に表示された数字は、大暉が身につけたぴっちりとした黒いトレーニング・スーツに内蔵されたセンサーから送られた、各部位にかかる負担度の割合である。
肩、肘、手首、腰、股関節、膝、足首……表示された数字はどれも基準値内を表す青色で、過負荷を意味する赤いものは見受けられない。
「なら、もう終わりでいいか?」
「そうね……調子もよさそうだし、今回はこのくらいでいいでしょう」
ほう、と息を吐いて、アヤメが大きな椅子に背をあずける。
いつもどおり、それが終了の合図だった。
「じゃ、先生お疲れさんでした」
着替えるために制御室を後にしようとする大暉の背中に、
「あら、もう行っちゃうの?」
アヤメの声が引き止める。
「あたしもこの後は時間あるし、コーヒーでもどう?」
「悪いが」
振り向きざまに、大暉は応える。
「ちょっと忙しいんでね。思い出話は、また今度に」
「もう、つれないわね」
「気になることがあるもんで」
「それって、たきなちゃんのこと?」
ぎくり、とした。
「……さすが『地獄耳のアヤメ』先生だな。地下に籠ってばかりのくせによく知ってらっしゃる」
「まあね~。……あの子も大変ね」
「その様子だと、あいつがうちに左遷させられた本当の理由も知ってるみたいだな」
「当然」
にんまり、とアヤメは笑みを浮かべる。
「地獄耳ですから」
「ほう」
組織の職員の中でも、彼女は古株である。
大暉がリリベルとして任務に就いていた当時から、アヤメは技術開発部の職員として勤務していたのだ。
そして三年前、ついに彼女は技術開発部の主任の座を掴み取った。
「貧乏くじ引かされたみたいよ」
そしてあっさりと、彼女は言ってのける。
「は?」
「だから、貧乏くじ。失態やらかした組織を護るために、作戦失敗の原因を現場にいたリコリスの単独行動のせいにしたってわけ」
それがつまり、たきなの機銃掃射である。
だが、大暉はそれよりももう一つの単語に引っ掛かった。
「失態?」
DAが?
「ああ、偽の取引時間掴まされたんだっけか」
千丁の銃が消えた、あの銃取引事件のことである。
ところが、
「それだけじゃないのよ」
「なに?」
「本部がハッキング受けたの」
はあ!?
「なんだそりゃ!?」
「ラジアータってあるでしょ? うちのAI」
「ああ」
「あそこがハッキング受けたせいで、本部と現場のリコリスとの間の回線が一時的に遮断されちゃったの。通信障害よ通信障害」
開いた口が塞がらない、とはこのことだろう。
DAの機密性を担うラジアータの性能は、大暉も知っている。たしかにAIの中では『
「そんな一大事を、莫迦正直に上に報告するわけにいかないでしょ? だから、全部の責任をたきなちゃんにおっ被せたってわけ。判った?」
「それにしちゃ、あの噂は悪意が過ぎるだろ」
「あたしに言わないでよ」
「それもそうか」
太い溜め息が漏れた。
これだから『組織』ってのは嫌いなんだ。
だから距離を置くことにしたのだが。
「そんなこと、俺に話しちまって平気なのか?」
「大丈夫なんじゃない? 私が言わなくたって、どうせあんた、フリージアで調べる気だったでしょ? あの子なら本部の端末に潜り込むなんて朝飯前だし。おんなじおんなじ」
「そんなもんか」
「そんなもんよ。だって、そーゆーふうにあたしが組んだシステムだもん」
白衣の腕を組んで、その笑みはやけに得意気である。
「言っときますけどね、フリージアはあたしとあいつの最高傑作なの。世界中のネット・ワークを一つの脳神経組織に見立てて、その中の一つの記憶として、フリージアを組み込んだわけ。サイバネティクスと大脳生理学の応用でね」
何のことだか、さっぱり判らない。
だが、肝心なところは理解出来た。
「世界中の全ての端末から同時にハッキングかけても、ネットから切り離すことは不可能よ。世界中の回線を物理的に、それも完璧に同時に切断する以外に方法はないわね」
つまり、ラジアータなんかメじゃない、ということだ。
「ああ、でも一応上層部と司令ぐらいしかさっきの話は知らないから、言いふらしちゃ駄目だからね?」
「はいはい」
ともかく、と大暉は手を叩く。
「またよろしく頼んますよ、先生」
言ってから、彼女に背中を向ける。
かつての執刀医が、その背中に手を振ったが、彼は気づかなかった。