「―――――で、何飲んでるのよ」
「えー、さっきスズカに貰って……」
「精力剤じゃない」
「精力剤ですねぇ……」
気づいてなかったみたいです、と目で訴えると理解してくれたのかため息を一つ。
「とりあえずその謎ドリンクもあるし窓開けるわよ」
「あ、はい。開けます開けます」
そんなこんなでパソコンに向き合うが、背後の布団のふくらみ(大人しい)が気になる。よくよく見るとちょっぴり尻尾の毛がはみ出していることに気づいて心臓が早鐘を打つが、お陰で頭は冷えた。
「とりあえず今日のタイムはこんな感じです。グラスのタイムも良くなってますが」
「そうね。なら、今度は坂かしら」
「坂?」
「まず砂を掘って坂路を作って、それを走る感じね」
「……変わった練習ですね」
足腰を鍛えた上、走りにくい砂の坂路であればより効率的な走りを身に着けられる…ということだろう。
なんというか、沖野さんが好きそうなような。もっと言えばリギルっぽくない。
と、おハナさんは露骨に目を逸らした。
「足腰も鍛えられるし、坂路もできるし合理的なのよ!」
「あ、はい」
多分なんかしらのエピソードがありそうだったが、地雷だろう。
「まあいいわ。とりあえず明日はこっちチームとも合流して坂路を作ってから練習しましょう」
「了解です。同時に使うよりは別メニューと交互に…?」
多分、全員で使うほどの坂路を作るのは大変すぎる。
「そうね、例年通りなら遠泳と交代ね。距離とコースは纏めておいたわ」
「なるほど……」
手渡されたメニューを有難く頂戴し、頭の中でスズカたちの体調と合わせて負荷量を考えるが問題なさそうである。
「さてと、今日は私ももう戻るけれど――――節度は守るように」
「うっ」
そう言うおハナさんの目線の先には、どう見てもスズカの尻尾。
「大方、消灯時間まで残って粘られたんでしょう? なんとなく予想つくわよ、あの場所にいて話は聞いていたから。それで話し合いの場所を消灯時間直後のこっちにしたわけだし」
「………お、御見それしました」
布団を引っぺがされたスズカは、特に抵抗することもなく。
チラチラとこっちを見ながらも大人しく連行されていった。顔は真っ赤だったが。
「………ちょっと待て、なんか俺が押し倒したみたいになってるじゃん」
いや、押し倒して布団に入れたんだが。
完全に慌て損というか、なんというか……。
え、ウソでしょ…。俺どんな顔してスズカに会えばいいの?
「うおおお………寝るか」
無駄に目がさえてなかなか眠れなかったが。
なんとか、眠りに―――ねむ……。
『お兄さん』
ふと気が付くと、スズカがいた。
というか、ギッチリと抱きしめられていた。
腕どころか脚も動かない、そんな状態でスズカの顔が目の前にあり―――。
『……す、スズカ?』
『好きです。お兄さん――――』
え。いや、ちょっと待って。
莫迦な。人恋しさと走ることしか頭にないワキちゃんがそんな告白とかしてくるわけが。
『ずっと、私と一緒にいてくれますか?』
『いや、あの――――』
それは言いそうだけど、いや待て。これは罠だ。
というか夢――――。
そのままスズカの顔が近づいて――――。
「うおおおああああ!?」
目が覚めた。
……いや、まあ。押し倒してる夢とかじゃなくて良かったが。
「自己嫌悪だ……」
ただでさえ夢を見させてもらっているんだ。これ以上押し付けるべきではないし、そもそもそういう関係でもない。
結局のところトレーナーになれるのはトゥインクルシリーズと関係がある家ばかりで、中央に入るウマ娘もオグリキャップなんかの例外を除けば大体そうだ。
トレーナーはあまりにも狭き門で、そこらのウマ娘と関わりがあったところで大半のウマ娘は中央に入れないし、入れたところで勝てはしない。
いわゆる名家のウマ娘たちがトゥインクルシリーズを、重賞の勝利を独占し、その家と関わりのあるトレーナーが勝てるウマ娘を育てる。
ある意味当然だ。ノウハウが限られているのだから、それを持っているトレーナーにウマ娘は託される。
だから、トレーナーは狭き門なのだ。
普通に入ろうとすれば最難関の国立大学よりも難しい。が、既にトレーナーとしてのノウハウを人脈から得ている名家のトレーナーにそんなことは関係ない。筆記試験はまあ難しいが。
強いウマ娘との関わりなくトレーナーライセンスを取れるのはほんの一握りの天才だけで、そうでない人間がもしトレーナーになっても普通のウマ娘たちと涙を呑むだけの日々。
だから、俺を信じてくれたあの子にどうしても応えたい。
トレーナーとして必要な伝手も、経験もない。ただのトレーナー志望の凡人を信じてくれた。疑わず、ともに駆け抜けた。ずっと、誰よりも先頭を走るために。
あの日君に感じた、夢を信じてここまで来た。
あの子に、望み得る最大の栄光を授けたい。
「無敗の三冠、そして世界最強の称号を」
夢だ。あの子の走りなら、日本どころか世界すら追いつけないという夢。
世界の全てのトゥインクルシリーズファンに、『唯一抜きんでて並ぶものなし』と認めさせる。彼女が求める『景色』は、きっとそこにある。
皐月賞、日本ダービー。
ようやく自分だけの走る意味を見出しつつある彼女なら、きっと。
――――――――――――――――――
「ほら、飲みなさい」
差し出されたのは、ハーブティー。
なんとなくおハナさんはそんなことしないイメージだったけれど、丁寧にティーカップから淹れてくれるあたり実は育ちがいいのかもしれない。
「……あの」
「別に怒ってないわよ。惚れた腫れたなんてトレーナーとして経験を積んでいけば嫌でも味わうもの。まあ、スズカは見る目はあるみたいだし」
レースだけに情熱を注いできたお嬢様が、街で出会ったちょいワルな不良と仲良くなって色々あって引退、なんて悪夢でしかない。
その点、スズカのために控える判断ができるサブトレーナーはかなりマトモな方だ。という話を聞かされながらハーブティーを飲んでいく。
「………私、お兄さんが一緒に寝てくれなくなって。寂しくて……」
「そういうものよ、大人になるって。やるべきことだけが積みあがって、やりたいことはできなくなって。……しがらみだったり、世間体だったり、お金だったり時間だったり」
お兄さんが困っているのは分かっていた。
別に、嫌われているわけではないことも。
でも寂しかった。いつも一緒にいてくれたのに、我儘だって許してくれたのに。
「大人になると、どうして一緒に寝れないんですか?」
「………そ、そうね。子どもができたら困るから、とか」
「………子ども」
お兄さんとの子ども。
お兄さんに似た小さいウマ娘と一緒に走り回って、三人で並んで眠る姿を思い浮かべる。なんとなく頬が緩んだ。
「あー、あとアレよ。そう、こっちの方が大事だったわ。教師は生徒を導く立場だからそういうのは禁止なの。――――つまり、ドリームトロフィーリーグよ」
「???」
「アレは一応トレセン学園の生徒ではあるけど社会人みたいなものだから、トレーナーと結婚するのが割とよくあるわ。タマモクロスとか」
「社会人になったら、大人なんですか?」
「……まあ、そうね。少なくとも文句を言われる筋合いは無いわね」
「……………お兄さんも、そうでしょうか」
本当は、我儘ばかりで嫌われているんじゃないかと思うことがある。
そんな私を、おハナさんはそっと抱きしめた。
「まあ、好きなだけなら一緒に寝ることもあるかもしれないわね。けど、貴方達は色々なものを積み重ねて来たから、それを守りたいから……少し足踏みしてるのよ」
「おハナさんも、そうなんですか?」
「……私は別に――――いや、まあ。腐れ縁ってやつだけど」
「お兄さんに、一緒にいてほしいんです」
「ええ」
「抱きしめてほしいんです」
「そうね」
「一緒に、景色を見たいんです」
「どんな景色を?」
「………お兄さんが、誇りに思えるような」
寂しかったあの日、感じた優しさを。
走りたいだけだった私に寄り添ってくれた。勝つための走りじゃなく、私が楽しいと思える走りで勝つために必死で頑張ってくれたのを知っている。
いつだって傍で見てきた。
レースを見に行った日、数少ないトレセン学園に入れる日は必死に練習を覗いて、専門書を読み漁り、偶然出会った名家のトレーナー……桐生院さんに頼み込んで知識を得ていたりもした。
勝つためなら、普通の作戦がいい。
それが一番安易な道だ。先行が駄目なら逃げで。自分で言うのもあれだけれど、逃げならばそこそこに勝てただろう。
その先に何があるかも分からない大逃げに賭けたのは、結局私がそうしたかったから。
『ワキちゃん。その先に何が待っていても、それでも見てみたい?』
頷いた私に、ちょっと困った顔で。それでも力強く頷いてくれたのを今でもはっきりと思い出せる。
『分かった。なら、俺も全力で支える――――君が、栄光を迎えられるように』
あの日、貴方に感じた何かに名前はまだないけれど。
ただ、誓った。この人に、私が見ている景色と同じものを感じて欲しい。サイレンススズカの走りが好きだと言ってくれたこの人に、最高の走りを。
―――――――――――――――――――――
過酷なトレーニングは続いていた。
リギルが、シンボリルドルフまで動員してシャベルで海岸に坂路を造営しているのはなかなかシュールな光景だった。
「シャベルを動かしながらしゃべるのは、少し辛いな」
「では会長、代わりましょうか」
エアグルーヴがダジャレに気づかず、少し後でやる気を下げたり。
「あら~、意外と扱いやすいですね……」
グラスの構えたスコップが凶器にしか見えなかったり。
タイキの胸の凶器が弾んでいたり。
そんな苦労して造った坂路は、走るのも一苦労だった。
なにせ砂だから崩れる。上手く正確に力を籠めなければ滑り落ちるその高低差2mくらいありそうな坂を必死になって登り。修理して、また登る。
ついでに休憩中に呼吸筋を鍛える器具を渡して普段鍛えにくい筋肉まで苛め抜く。
午後は遠泳。この日のために練習した水上バイクで監督しつつ、全身の筋を使わせてスタミナを鍛える。
もちろんスズカとタイキ、グラスを競わせることで更に効果を押し上げるのも忘れない。
そうして全身くたくたになった三人はしかし、スイーツを元気に食べると浴衣に着替えて夏祭りに繰り出すのだった。
「お兄さん、どうですか?」
そう言ってウイニングライブ仕込みのターンを決めるのは白と緑、いつものカラーを基調にした浴衣のスズカ。線が細いからか、浴衣は良く似合っていた。結わえた髪の下から覗く白いうなじがどこか艶めかしい。
「ああ、可愛いな」
「転んじゃいそうなので、貸してください」
すっ、と引かれた手を差し出すと腕ごと抱き寄せられる。
胸が当たっているかは定かでないが、なんとなく柔らかいような気がする。
「……あの、ワキちゃん?」
「ダメ、ですか?」
ダメだけど。
寂しそうな顔を見ていると、なんとなくこっちが悪い気がしてくる。
歩きにくいし、周囲の視線は痛いし。
「トレーナーさん、私。勝ちますね」
「相手が誰でも、どんな距離でも。私たちの走りが一番だって、証明してみせますから」
「――――だから、温泉。楽しみにしておいて下さいね」
夜空に大輪の花火が咲く。
ほんの刹那の輝き。人の心だけ色鮮やかに残り続ける光。
そのどれよりも綺麗に輝くこの子の笑顔のために。多くの夢が夢のままになった運命の日までに、まだ俺に何かできることがあるのだろうか。