レースは終始順調だった。
結局のところ、スタミナと根性の勝負になれば勝てるという自信があったから。
サニーブライアンがどれだけのトレーニングをしたとしても、10年以上のトレーニングを積んだ私たちには届かない。
だから、極端なオーバーペースにならないように抑えて走る。
ハナを奪っている以上、サニーブライアンも終盤まではペースをある程度抑えて走るしかない。共倒れを狙った走りをすれば話は別かもしれないけれど、彼女も勝ちに来ている。
と、頭の冷静な部分は考えているが関係ない。
好きなように走れば、それが誰も届かない私たちだけの走りだと知っているから焦らないし、焦る必要もない。
――――だからそれは、不幸が重なった偶然だった。
偶々、バ場の内側が荒れていて。
ちょうどサニーブライアンが外から抜きに行ったタイミングで外に出るわけにもいかず。
僅かにできていた窪みに、たまたま足が引っかかった。
(――――っ!?)
捻った左足に、崩れそうになる体勢を辛うじて立て直す。
それでも大幅な減速は逃れられず――――。
(――――ダメ。負けたくない)
『怪我をしたら、絶対に無理はするなよ』
いつかのお兄さんの言葉が脳裏を過った。
躊躇いが、左足を押しとどめようとする。
それでも足を振りぬいたのは、意地だった。
失望されたくない。いつだって、最高の走りを見せていたい。情けない走りなんて、絶対に見せたくない。
――――この程度で、私たちの走りは負けない!
「――――――ぁぁァアアアッ!」
左足が痛む。けど、まだ走れる。
走れるのなら、大丈夫。
左足にかける力を最小限に、右の脚で飛ぶように駆ける。
今まで怪我をして走ったことなんてなかったから、痛みがフォームを狂わせる。
それでも、勝負服に込められた想いは背中を押してくれているような気がした。
知っているようで、知らない私。
大きな身体で、でもやっぱり寂しがり屋で、走るのが大好きな―――。
―――――たとえ脚が一本使えなくても、倒れたりなんてしない。絶対に、届けるから。
(―――――見えた! “
―――――『
「先頭の景色は――――譲らない!」
脚は二つしかないのだから、片方を怪我したら走れない。
そんなことは関係ないのだと言わんばかりの、まるで脚が四本あるかのような不思議な感覚とともに左足を地面に叩きつけて。
――――― 一緒なら、きっと誰にだって負けはしない。
きっと、もう届かない誰かへの想いを受け取る。
その願いはもう叶わないのかもしれないけれど――――絶対にたどり着いて見せるから。ゴールへ。その先の、あの人が待っている場所まで。
――――――――――――――――
最終コーナーでスズカが体勢を崩して、すぐに飛び出しそうになる身体をルドルフが止める。力づくで振りほどこうとして、落ち着いたルドルフの声が響いた。
「まだだ。まだ、レースは終わっていない」
「そんなもの――――!」
「まだ彼女は諦めていないぞ」
どうでもいい、と叫びそうになって歯を食いしばって走るスズカを前に沈黙する。
「テイオー」
「うん、救急車ね!」
「ブライアン」
「確かあの荷物だったな」
「トレーナー君」
レースが終わればすぐに駆け付けるのがキミの役目だ、とその深い落ち着きと悲しみを湛えた瞳が言っていた。
誰よりも走るウマ娘の幸せを願う会長が苦しくないはずはなかった。それでもレースで走っている子たちの気持ちを考えて、できることだけをしている会長に、仕方なくいつでもレース場に出れるようゴール付近に移動する。
『今、サイレンススズカがゴール! 執念のゴールです! 最終コーナーで失速しましたが、内からサニーブライアンを差し返しました! 半バ身差で2着、サニーブライアン! 3着に入ったのはシルクジャスト!』
レースを終え、ゆっくりと速度を落としたスズカに駆け寄る。
僅かに庇うように左足を浮かせるスズカだが、とにかくまず左足を地面に付けないようにしなくては。
「あっ、お兄さ――――」
「動くなバカ! 左足は地面に付けるな!」
脚を庇う仕草を見るだけで、胸が苦しい。
が、本人は呑気そうにちょっとだけ耳を萎れさせた。
「あの、多分軽傷で――――」
「五月蠅い!」
仕方ないので無理やり抱き上げ、静かになったスズカをコース脇に止めてある救急車に向けて運ぶ。テイオーが話を通してくれたらしく、あっさりと救急車に乗ることができたのでそのまま病院へ。
乗り慣れない救急車に、スズカを抱いたまま座り、扉が閉まる前にブライアンが投げてよこした応急処置キットでとにかく患部を冷やす。
「痛みは?」
「……えっと、動かさなければ無いです」
「足首だよな? 他の場所は?」
「……なんともないです」
これはもしかして……捻挫なのでは?
いや待て、スズカだぞ。左足だぞ。骨が砕けててもおかしくない。
落ち着け、落ち着くんだ。クールになれ。
とりあえず勝負服のタイツを引っこ抜き――――。
「お、お兄さんっ!?」
「足は――――少し腫れてるか? 直接冷やすぞ」
慌ててスカートを抑えるスズカはスルーして直接患部と思われる場所に氷嚢を当てる。
「……はい」
「スズカ、顔が赤いぞ!? 熱が――――」
「……ないですよ?」
「よし血圧計もある、流石ブライアン。とりあえずバイタル取るからな!」
「あの、捻挫……」
「くっ、この勝負服じゃ血圧測れない―――――脱げ」
「ウソでしょ!? お兄さん、ちょっと待っ――――」
「待たない! お前に何かあったら俺は――――」
「あのさ、トレーナー。ボクもいるんだけど?」
半目で呆れているテイオーに、上着を脱がせようと取っ組み合いをしていたのを止める。
「テイオー、お兄さんを止めて下さい!?」
「テイオー、お前からも何か言ってくれ!?」
「普通、捻挫で血圧測る?」
そりゃまあ、測らないが。折れてるかもしれないし。
「もし折れてたとして、血圧いる?」
「……いらないです」
じゃあなんで測るのさー、と呆れるテイオーに頷き、脱がされそうになった上着を庇うように抱きしめているスズカに土下座……しようと思ったがスズカを抱きかかえているので無理だった。
「ごめんなさい許してください……」
「………えっと」
「ダメだよ、簡単に許しちゃ。落ち着いてから好きなお詫び貰った方がいいよ」
うっ……。まあ今回はどう考えても俺が悪い。こんな状況じゃなかったら蹴っ飛ばしてるよー、というテイオーの呆れた視線が痛い…。少し錯乱していたんだ。
と、そこでちょうど近場の病院に到着。
嫌がられなかったので、横抱きにしたまま診察室へ。
軽い診察の後、とにかくレントゲンを撮ってみることになり。スズカをレントゲン室に置いていくと凄い訴えるような目で見られたがそれもやむなし。
そして――――。
「―――――軽い捻挫ですね」
結局、膝の上に落ち着いたスズカとしっかり抱きしめている俺を生暖かい目で見ながらどっかで見たような先生は言った。正直「折れてますね」からの注射の流れかと思った。テイオーは白衣が怖いのか後ろで挙動不審になっている。
「レースの映像を見た感じではもっと靭帯を痛めているかと思いましたが、丈夫な足首ですね。これなら安静にして10日もすれば良くなるでしょう。年末を挟んでしまうので、年が明けたらまた来てください。サポーターとか要りますか?」
「あ、自前のがあるので……」
レース見てたのか……いやアニメでも見てたか。
奇跡の復活の時とか。
「ではとりあえず湿布だけ張っておきます。湿布の方は出しますか?」
「お願いします」
「では、待合室でお待ちください」
「……あ、はい」
…………良かった。
やっと落ち着いたような、なんとなくまだ夢でも見ているような。
徹底的に足周りの柔軟性と、関節の安定性に必要な筋力を鍛えたのは無駄じゃなかったらしい。
生きた心地がしないとは、こういうことか。
と、不意にニコニコ笑顔で両腕を広げたスズカが言った。
「お兄さん、動けないので運んでください」
「松葉杖借りてやろうか」
「………勝負服」
「すみませんでした」
すぐさま抱き上げると、腕を首に絡めてくる。お前元気じゃねーか……!?
いや、そういえば最初から軽傷だと思うって言ってたけど……けどさ! あんなの心配になるじゃん! 何かあったらどうしていいのか分からないじゃん!?
と、何故か病院の待合室に戻ると拍手で迎えられる。
なんとなくスズカの怪我が大したことないのを察したのだろう。……テレビでもなんかスズカが怪我でウイニングライブ中止の速報が流れているので、申し訳ない限りである。
「あ、お兄さんタイツ返して下さい」
「はい」
持ったままだったので、丁寧に穿かせる。
「お兄さん。ジュース飲ませてください」
「はい」
自販機にダッシュ、は病院なのでダメだが、急いで買ったオレンジジュースを渡し……何故か介助を要求されたので、クソ飲みにくそうなのは置いといて丁寧に飲ませる。
「お兄さん……えっと。何か甘やかしてください」
「要求雑だな……」
なんとなく頭を擦りつけてくるスズカの耳元を撫でる。
もうなんか疲れた……とぐったりしていると、不意にスズカに頭を撫でられた。
「ごめんなさい、心配かけて」
「……ほんとだよ」
「だから――――泣かないでください」
「………うれし涙だよ」
嘘である。
落ち着いたら安心したやら、今更ながら怖くなるやら、勝手に涙が出てきて止まらなかった。
この阿呆、いつも無事に帰ってきてくれればいいとだけ言ってるのに無茶しやがって。自分のためだけに走るなら怒るところだが。
コイツのことなので俺のため……なんだろうなぁ。自惚れでなければ。
「……もう、怪我するなよ」
「はい」
「………無茶は駄目だからな」
「気を付けます」
「なあ、スズカ……」
「はい?」
無事に帰ってきて欲しい
その気持ちを伝えるのに、何が一番いいのだろう。
お前がいてくれないとダメなんだ、と素直な気持ちを伝えればいいのか?
でも、もう走らないで欲しいなんて俺のエゴで、コイツの走りを――――俺たちが夢見た最高の走りを止めたくはなかった。
「…………おかえり」
「はい。……ただいまです」
俺は日和った。
――――――――――――――――――――――――
クリスマスイブの街は色とりどりのイルミネーションに覆われて、普段とは別の世界のようだった。
前にスズカが行きたいと言っていた、お高いホテルのレストランをあらかじめ予約していたのだがなんとドレスコードがある。
「お兄さん、お待たせしました」
「お、おう」
良く似合う緑のドレス(もともと年度代表ウマ娘の表彰式用に作った)の上からコートを羽織ったスズカはなんというか美人だ。普段つけているカチューシャも外し、大人っぽい姿はなんというかワキちゃんではなくスズカさんである。
「その、美人……じゃなくて。似合ってるぞ、そのドレス。綺麗だ」
「……は、はい」
肝心の服装じゃなくてスズカ単体で褒めてどうするのか。
なんとなく頬を赤くしたスズカに手を差し出すと、そっと握り返される。……しおらしくされると調子が狂うんだが。
とりあえず車までは横抱きで移動し(手を繋いだ意味はなかった)、そこからなんとなく緊張した空気のままレストランへ。
ウマ娘にも人気だというそのレストランは、量も多いし味も良いのだとか。なんかルドルフのサインすら飾ってあるのが見える。
一番見晴らしの良い席に通され、贅を凝らしたコース料理が運ばれてきた。
ちゃんとヒト用、ウマ娘用で量を分けてくれているあたりとてもありがたい。
と、ぼーっと、こちらを見ているスズカになんとなく不安を覚える。
「どうした、スズカ。調子悪いのか?」
ひょっとして走れていないからストレスが溜まっているのかもしれない。一応、歩行の許可は出ているのだが。
と、スズカは少し困ったような顔で耳を萎れさせた。
「いえ、その………少し、お兄さんを見ていただけです」
「そ、そっか」
そういわれて、なんとなくこちらもスズカを見る。
露出の最低限なドレスはこちらの趣味のゴリ押しだが、ボディラインが細くて綺麗なスズカには良く似合っている。
なんとなく二人で見つめ合い、運ばれてきた料理を無言で食べる。
残念ながら満足な女性経験もないので、気の利いた言葉なんて無く。美味しい料理に頬を緩めたり、外の景色を見て楽しそうに耳を動かしたり、目が合って嬉しそうにはにかむスズカを見ているといつの間にか料理はデザートに差し掛かっていた。
「こちら、オーナーからのサービスでございます」
「あ、どうも」
「ありがとうございます」
5つの星―――恐らく三冠、ジャパンカップ、有マの五冠を表現しているのだろうそれは、サービスで出てくるにはクオリティが高すぎた。もしかしなくてもトゥインクルシリーズのファンだなオーナー…。
ついでに、砂糖菓子らしきスズカと……何故か俺の人形まであり。
目を輝かせたスズカが珍しくスマホで自撮り(店員さんに許可を取ったら笑顔で許可をくれた。まあ宣伝になるわな)を連打するくらいである。
「お兄さん、食べていいですか…?」
「なんで俺に許可を取るんだよ……」
「だ、だって! こんなに可愛いお兄さん……食べていいんですか?」
「食べろよ。食べられるのがそいつも本望だろ」
まあ俺に食われるよりは、スズカに食われる方が本望だろう。
あー、とかうー、とか散々悩みに悩んだ末、スズカは目を閉じて口を開けた。
「……お兄さん、食べさせてください」
「雛鳥かお前は」
面倒なのでスプーンでさっさと口に入れてやると、一瞬とても悲し気な顔をしたスズカだったが、すぐふにゃりとだらしのない表情になる。美味しかったらしい。
そのままスプーンを咥えたまましばらく味わっていたスズカだが、しばらくすると残ったスズカ人形に目を付け。スプーンでそれを掬うと差し出してきた。
「……はい、あーん」
「いや食えよ」
「でも、お兄さんに食べられた方が嬉しいと思いますし」
「………」
なんで二人して似たようなことを考えているのか。
この笑顔はなんとなく菊花賞の時のかな、なんてことを思いながらデフォルメされても胸はない、などと現実逃避してみる。
「『お兄さん、食べてください~』」
「変な声出すな……」
謎に上手い子どもの時のスズカの声真似(ご本人)なのはともかく、なんかこう……アレだ。スズカの声でそういうことを言われると変な気分になる。
恥ずかしがって妙に意識してると思われるのも癪なので、無駄に可愛いスズカ人形を食べる。………甘い。
「私の味、どうですか…?」
「………美味いよ?」
スズカをかみ砕くわけにもいかず、仕方なく舐めてなんとかしようとするのだがそれはそれでなんかアレである。
口の中に居座ったスズカをなんとかしようと悪戦苦闘する間に、本人は満足げな顔でケーキの大部分を蹴散らし。
オーナーにサインと写真を求められたスズカ(とついでに俺)は快く応じるのだった。