『――――さあ、いよいよ始まります。GⅡ弥生賞! 今年もクラシック一冠目の皐月賞を目指し、新進気鋭のウマ娘達が集います! 注目はやはりサイレンススズカ、今日勝つようであればクラシック大本命と言って良いと思われます』
『メイクデビューでは凄まじい大逃げを見せましたが……マイルから2000mに延びて、しかも力のいる中山で勝つようであれば本物でしょう』
『さあ、各ウマ娘ゲートに入っていきます。――――おおっと!?』
『ゲートの下を潜りましたね。……サイレンススズカです。どうしたんでしょうか。何か探しているようですが。今、慌ててトレーナーが駆け寄っていきますね』
「…………あっ、お兄さん」
「スズカ……」
もともと白い顔を更に青白くして、ゲートを潜って落ち着かない様子のスズカに声をかける。その目元にははっきりとクマがあり――――。
「………すみません、レースなのに」
「いや、いい。こっちの管理不足だ」
完全に『寝不足気味』となったスズカは、寝ぼけた状態で誰もいないゲートにいることに気づき、寂しくなって出てきて、そこでレースだったことを思い出したらしかった。
原因は明らかであり、慣れない寮生活で寂しがり屋を爆発させたスズカが、しかも同室のウマ娘がレースを引退して一人部屋になったので眠れなくなったのであった。
「お兄さんのにおい……」
すぅー、と穏やかな呼吸でそのまま立ち寝に入ろうとするスズカ。
チラリと振り返るとおハナさんはどうにもならないと首を横に振っている。
「一応、一つ試してみていいですか」
少し声を張れば、おハナさんの隣にいたタイキシャトルがウマ娘の聴覚で聞き取って通訳。そのまま大きく手でマルを作ってくれた。
「なぁ、スズカ。ご褒美」
ピクリ、と耳が動いた。
「なんでもいいぞ」
「………いいんですか?」
馬と違って鞭を入れるわけにもいかないので、飴。
スズカは爛々と輝くような目で、弾むように言った。
「じゃあ、今夜からトレーナーさんの部屋で――――」
「俺を(社会的に)抹殺する気か!?」
寮生活前は入り浸っていたけれども。
というか完全にそれが原因で一人寝ができていないような気がする。
せっかく目覚めたスズカの目がスンッ、と落ち込む。というか瞼が半分落ちた。どんだけ一緒に寝たいんだ。
「……今、なんでもいいって」
「社会通念上問題のあるご褒美は受け付けておりません」
「………一週間でもいいですよ」
「寝かしつけてやるから部屋は駄目。せめて部室な」
人目があるところならギリセーフ……セーフか?
まあ部屋に連れ込むよりはセーフなはず。
「じゃあ添い寝してください」
「…………添い寝は、頑張った時だけな。今日はこれで負けたら無し」
こうでも言えば発奮するかな、と思ったのだが。
無言で耳を絞ったスズカは、まるで絶対勝つと誓ったGⅠレースに赴くかのような気迫で大外(ゲート潜ったので大外になった)に入る。
「――――勝ってきます」
「ゴールで待ってる」
………
……
…
『さあ、今度こそ出走の準備が整いました――――GⅡ弥生賞……スタートです!』
『ポンと飛び出したのはサイレンススズカ! 大外出走もなんのその、ぐんぐんと速度を上げて早くも先頭! 続いてスーパーマック、ポールブライアン。サイレンススズカに競りかけていこうというところか――――』
寝ぼけたスズカでは大幅に出遅れていただろうが、幸いにも気合は入ったらしい。
しっかりとスタートを切り、そしてサイレンススズカが自由に走った結果圧勝したメイクデビューをチェックしたらしい他のウマ娘が好きにはさせじと競りかけて――――スズカがキレた。
「譲らない――――――
ズドン、と踏み込みの音が聞こえるような錯覚すらある。
軽やかなフォームが唸りを上げ、しなるように振り下ろす脚は無駄を感じさせない動きでスズカの身体を押し出していく。
「「む、無理ィ~!?」」
「掛かったわね」
「スイッチ入りましたね…」
おハナさんから見ても掛かってるようにしか見えないらしい。
鬼が宿ったライスってあんな感じなのかな、という気迫での爆走ぶりのスズカにみるみる距離を離されていく競りかけた二人。単純に掛かったというより、スズカにとっては一応馬なりの範疇なのが恐ろしいところである。エンジンが掛かったとでも言うべきか。
速度は普通の大逃げから、他ウマ娘を潰すレベルの超ハイペースに。
なまじ前走で逃げて差すレースをしているだけに、不安に駆られた後続集団もペースが乱れている。
『速い速い!? サイレンススズカ、後続をグングン引き離していく! これはハイペース、間違いなく超ハイペースと言っていいでしょう! これは掛かってしまっているか! 本当に最後まで持つのか!? しかしこれは後続もペースが乱れているか!?』
どう見てもハイペースで飛ばしまくっているようにしか見えないのだが、あれで一応息を入れているようなのである。異次元の逃亡者と天才ジョッキーの面目躍如というか、芸術的すぎて未だによくわからないのだが。
「あれ、本当に持つ?」
「一応そのはずです」
『さあ第四コーナーに入って後続との差は――――十バ身以上あるか!? 二番手と後方の差は詰まってきていますが、サイレンススズカは悠々の一人旅! 中山の直線は短いぞ、後ろの娘たちは間に合うのか!?』
さすがに顔色の悪い(ような気がする)スズカが最後の直線に入り。
なんとなくスズカと目が合ったような気がした。
で、なんかこっちに向かってきた。
すごい勢いで。
『―――――おおっと、サイレンススズカ大きく外にヨレながら坂を登る!』
「戻れ、戻れーッ!」
酸欠で思考能力が低下しているのか、大声で呼びかけてもスルーして大外に突っ込んでくるが、一応速度は落ちず。
『サイレンススズカ、更に加速した! これは決まったか!? 圧勝、大楽勝です! サイレンススズカ、今――――ゴールしました!』
―――――――――――――――――――――
「………あら?」
「起きたか」
なんとなく落ち着く匂いとぬくもり。
最近色々と理由をつけて引き離されていたそれに遠慮なく顔をうずめると、擽るように温かな手が耳に触れた。
「……!? ウソでしょ、寝てる間に添い寝されてる……」
「そりゃ添い寝なら寝てるだろうな」
そんな……これは最近のお兄さんのいじわるなパターン…? これで知らぬ間にご褒美終了!?
断固反対の意志を込めてしがみつくと、苦笑の気配を感じる。
「添い寝は眠るまでが大事だと思います」
「いやスズカが勝手に抱き着いたまま寝始めたから。あとウイニングライブ、もうちょっとで始まるからな」
「…………ライブ」
「スズカの重賞初勝利のライブ、楽しみにしてるからな」
……そんなことを言われたら、流石に断れない。
もちろん、寝不足くらいでもライブはしっかりやれるけれども。お兄さんに、元気ももらったし。
「………ズルいです」
「大人だからな」
「ほら、さっさと着替えて係の人に化粧直してもらえ」
「着替えさせてください」
スッと手を挙げてアピールすると、頭をはたかれる。
「スズカ、いいか。淑女には恥じらいが必要なんだ」
「一人で着替えるの、寂しいです」
これは本当。
お母さんが急に倒れた時みたいに、自分の見ていないところで何か悪いことがあるんじゃないかという不安。気が付くと独りぼっちになってしまっているのではないかという恐怖。
恥ずかしくないわけではないのだけれど、それでも傍にいてほしいだけ。
寂しい気持ちを伝えたら、お兄さんが優しくしてくれるからついつい甘えてしまっているのも無くはないけれど。
「………さっきの添い寝、ノーカンにしておくから」
「重賞初勝利……ですよね?」
実際のところ、重賞を勝てるウマ娘は一握りだ。
なんとなくGⅠが神格化?されている影響でGⅡは軽く見られがちだが、決して軽く見れる勝利ではないのである。
ついでにメイクデビューからいきなり重賞、それもGⅡに殴りこみ。そして勝利するのはけっこう凄いことのはず。
「…………うん。そうだな、サイレンススズカが弥生賞に勝つのは正直凄い」
「???」
なんとなく含みのある言い方に、小首をかしげつつも素直な気持ちを言葉にしていく。
「なら、トレーナーさんのお陰です。いつもありがとうございます」
「………あーもう、分かったよ! 何か考えておくから、ライブの準備しろ!」
「……照れましたか?」
「照れるわ! 正直、俺がサイレンススズカのトレーナーなんて力不足もいいところ――――」
「えいっ」
「なんで脱ぐ!?」
「なんとなく腹が立ったので」
「なんとなくで脱ぐな!」
だって、そんな悲しそうな顔なんてしてほしくない。
体操着を脱いで、ライブ用の衣装に着替えていく。
即座に出て行こうとして、扉を開けるわけにもいかず。仕方なく扉に張り付いているお兄さんをなんとなく勝ち誇った気持ちで眺めながら着替えを終えて。
慌てているのを見るとちょっぴり申し訳なくはあるけれど、やっぱりお兄さんが悪い。
一番最初に今のわたしを見つけてくれたのはお兄さんなのだから、このわたしにとっての一番はお兄さんなのだ。それを貶めるのは、お兄さんでもちょっと怒る。
「終わりましたよ、トレーナーさん」
「………お前さ、危険意識ってものが無いよな」
そんなことを疲れた顔で言うお兄さんだけれど、別にみられても減るものはないって聞く気がするし。心拍数は増えそうだけれど。
「………トレーナーさんなら、いいですよ?」
「良くないっ! ライブ楽しみにしてるからな、ちゃんと準備万端にしてから来い!」
顔を赤くして慌てるお兄さんを見ていると、胸に暖かいものがこみあげてくる。
これで抱きしめてくれたらいいのにな、なんてことを考えて。そんな積極的なお兄さんを想像してなんとなく顔が熱くなる。
「……お嫁さんになったら、してくれるんでしょうか」
そんな益体もない考えは、流石にちょっと直接伝えるには恥ずかしかった。