異次元の寂しがり屋   作:逆しま茶

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弥生の何でもない日常

 

 

 

 

 

 

『――――はい』

 

 

 

 

 

 ドバイシーマクラシックの後の告白。僅かに涙を浮かべつつも笑顔で頷いてくれたスズカ、けれどもトレーナーと生徒という関係は変わっておらず――――帰国した俺たちは普段と変わらない日常を過ごしていた。

 

 自分しかいないベッド。

 部屋に人の気配はなく、一緒に寝させてと駄々をこねるスズカもいない。

 

 なんとなく物足りなさを感じながら顔を洗い、歯を磨き、朝食を用意する。

 二人分取り出したパンをあらかた戻し(当然ながらスズカ用の方が量は多い)、無言でバターを塗りながらスマホを確認。

 

 

 

 テイオーから『皐月賞見に行くの? グラスとも予定合わせる? 二人で行きたいなら先に教えといてよね』とのメッセージが来ていたので、リギルメンバーで集まっていくと返信。

 

 一応、今回の皐月賞にはグラスは出ない。NHKマイルでグラス対エルコンドルパサーというリギル(〇外)最強決定戦のようなものが起きるのだが。それでもクラシック一冠目ということもあり、偵察はする。中山なので京都や阪神ほど遠くないし。

 

 よって史実通りスペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイローが中心にはなるだろう。ダービーが史実になるかアニメ基準になるかは分からないが。

 

 

 

 

 なんとなくスズカにメッセージを送ろうとして、今までほとんど送ったことがないことに気づく。なんといっても常に一緒にいたわけで。

 

 

 

 

「……いやでも、一応婚約者ってことになる……んだよな」

 

 

 

 指輪まだ渡してないけど。流石に告白もしてないのに生徒に渡す指輪とかどうなの、と思った結果だが、もしかして指輪がないから怒ってる…?

 音信不通、というわけではないけれど。何故か寄ってくる気配のないスズカにちょっと焦りが募る。そんな馬鹿な。まだちょっと半日くらい離れただけなのに。

 

 

 

 

「彼女でも、メッセージくらいは送るよな」

 

 

 

 スズカなら多分喜ぶ、はず……だけど。朝から上がり込んでこないスズカというのがそもそも異常事態なので、何が正しいのか分かりそうもない。

 

 悩みに悩んだ末、とりあえず直接話そうと決心。 

 朝飯を掻っ込んで、着替えて外へ。

 

 

 

 

 

………

 

 

 

 

 ウマ娘の朝は早い。

 ウマソウルの影響なのかは分からないが、スズカの場合はだいたい日が昇る前にはランニングを始める。アプリOPだと寝坊寸前のスズカがいるが、少なくともワキちゃんは早起きである。

 

 

 

 

 のだが。

 いつもなら二人で早々に乗り込んで準備していたトレーナー室は電気も点いておらず。独りで電気ケトルなどの用意を整えてコーヒーを淹れた。

 

 

 

 

「……避けられてね?」

 

 

 

 

 こと此処に至り、流石に『嬉しくて寝不足になっちゃったんだろ』などと楽観的なことを考えられる性格はしていない。だがしかし、メッセージで理由は聞きにくいし、呼び出すのも………。

 

 

 

 仕方ないので仕事して待とう。

 というわけでパソコンを取り出して起動。スズカとグラスの走った距離から今日のメニューと負荷量を設定し、ついでに消費カロリーから取るべき栄養を専用のソフトにぶち込んで計算。いつもお願いしている食堂の管理栄養士さんに送信。

 

 後は今日使うスポーツドリンクを調合し、これまでの消費量と、スズカたちの主観的疲労度のデータをレポートにしてタキオンに送信。

 練習で使う設備の使用申請、備品の消耗から補充の申請、レースの登録、ライバルたちのレースデータの収集……と仕事をしている間に始業時間になった。

 

 

 

「……スズカ、来ないな」

 

 

 

 まさか休み…!? い、いやいやそんな。

 とぐるぐるトレーナー室を左旋回するが、スズカが来る気配はない。

 体調は大丈夫かメッセージ送って確認―――いや、授業中かもしれない。

 

 

 

 

 

 よろよろとソファに倒れこみ――――スズカの匂いがするな、と明後日の方向にカッ飛んだ思考を引き戻す。

 

 

 

 

 もう一度、スズカを怒らせるようなことが無かったか思い返す。が、せいぜい心当たりは指輪がないことくらい。スズカがそのくらいで怒るかというと、そんな気はしない。ということは、体調不良の可能性の方が高そうなのだが――――あのワキちゃんが、体調不良程度で会いに来ないし連絡もしないというのはおかしい。

 

 ので、何かしらで避けられているのではと思うのだが。

 

 

 

 

 

「………とりあえず、指輪買うか……」

 

 

 

 

 渡すかどうかはさておいて、買っておいた方がいいだろう。

 実のところ、スズカの誕生石でもありシンボルカラーでもあるエメラルドが使われているのにしようかなと考えていたりはする。

 

 もちろん、平日なので(休日でも働いているが)普通に仕事してからになるが。

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで必死に仕事を終わらせて、昼休みになった瞬間に車に乗って都内の宝石店に向かい―――――。

 

 たまたま店長がレースのファンだったので顔バレしており、スズカへのプレゼントだと即バレ。話があれよあれよという間に大きくなって、店長の知り合いの老舗の店からかなり珍しいエメラルドを良心的すぎる価格で譲ってもらい――――帰ってきたころには昼休み終わりギリギリだった。

 

 

 

 

 

 ちょっと学生に渡すには高価すぎるような気もしないでもないのだが、世界最強(かもしれない)ウマ娘に渡すのがしょぼい宝石でいいのか、と言われると頷くしかなかった。

 レースの賞金額のうち、80%は本人。10%はトレーナー、5%はチーム、あとはその他という仕組みになっている。一応、リギルのサブトレだがスズカ専属でもあるので10%適用に(おハナさんが)してくれた。

 

 

 ので、スズカがレース賞金で稼いだお金は約12億、俺も1億5千万くらいは貰っている計算になる。当然、税金で差っ引かれるわけだが。額が高額になると半分くらい税金でもっていかれるので、手元に残ったのが8千万くらい。スズカは7億くらい。

 

 

 スズカはCM出演で軽く億は稼いでいるが、更にグッズ売り上げもある。

 あのオグリキャップはグッズで100億円稼いだとされるが、URAの収入は主にライブとグッズで賄われているので、そこの手取りは1割程度。

 

 グッズだけで無敗の六冠ウマ娘の稼ぎを上回るオグリキャップ…。

 とはいえスズカも大逃げという脚質もあり凄まじい勢いで稼いでいるので、海外戦績次第では追いつくかもしれないが。現状では数十億くらいだろう。

 なので、全部込みで手取りが10億くらいか?

 

 

 

 

 

『サイレンススズカ圧勝! 世界レコードで海外勢を封殺し、無敗のままGⅠ6勝! 凱旋門賞なるか!?』

 

 

 新聞を見ても大々的に――――例の勝負服のスズカの写真が載っているし、ニュースでも持ち切り。タイキシャトルと合わせて“二強”として、今後の海外挑戦継続も予想されていたりする。

 

 

 

 

 

 つまり俺の軽く10倍くらい稼いでいるのに、まだ先がある。別にスズカを養いたいなんて言わないが、少なくとも気を使われないくらいの収入がほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、クラシック一冠のトレーナー手当が吹っ飛ぶくらいのお値段の指輪を用意してしまったわけなのだが。……やばい。スズカに避けられていることに動揺してヤバイものを買ってしまったかもしれない。

 

 普段は手につけられないので、首から下げてネックレスにできるようにもしてくれたが。普段無駄遣いしないので、これがどの程度の浪費なのかイマイチ分からん。

 

 

 

 

「……まあ、いいか」

 

 

 

 お金を使うとしても、スズカのトレーニング関係とか食費とかだし。家とか、車とか、そのへんの貯蓄はしないとだが……。

 今更ながらスズカがいないと特にお金を使う予定も、他の趣味もない。がっつりスズカに依存した生活になっていた。

 

 

 

 

 とにかくスズカを甘やかしたい。

 避けられてるけど。

 

 

 

 

 朝は一緒に食べるし、朝のランニングを見て、スズカの走りを支えるために働いて、一緒にお昼を食べて、一緒にトレーニングして、二人で買い出しに行って、交代で晩御飯を作って、場合によっては一緒に寝る。

 

 起きている時間のほとんどを一緒に過ごしていたせいで俺もスズカがいないと張り合いが無い。

 

 

 

 

 脳裏で悪魔が「もうアイツが離れられないようにしとけよ」と囁くが、せめてスズカの幸せのためなら身を引けるくらいの……こんなクソ重いプレゼント用意してそれはないな。まあスズカの賞金由来なので、嫌なら売り飛ばしてくれても構わないのだが。

 

 

 

 

 

 ……よし、覚悟を決めよう。

 こっちから攻めてみるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「――――あのー、スズカさん……?」

 

 

 

 スマホでお兄さんとのツーショット写真を見ながら、ぽけーっとしているのはつい昨日ドバイシーマクラシックでレコード大差勝ちし、世界芝最強ウマ娘の称号を手に入れたスズカさん。

 

 いつもより近く、ウエディングドレス姿でお兄さんに抱きしめられたスズカさんの顔は本当に幸せそうで。今の干からびた魚みたいになってしまったスズカさんは見るに堪えなかった。

 

 

 

 何を思ったのか、愛用の枕と布団を隅に押し込み。普段ならお兄さんに突撃している時間もこうして干物になっていたのである。

 

 

 

「……スぺちゃん。私、思ったの」

「な、何をですか?」

 

 

 

「お兄さんにくっつくと迷惑になるなら……お嫁さんになるまで我慢しないと、って」

「ああ……」

 

 

 

 スペシャルウィークも決して男女のアレに詳しくはないが、男の人は発散しないと辛いし欲も強いらしい。スズカさんはそういう経験無いらしいですけど。

 結婚を申し込まれて――――告白してもらって、ようやく安心したスズカさんは、これを機に自分も頑張りたいらしかった。

 

 

 

「……お兄さんも我慢してるんだもの。私だって……」

 

 

 

 とはいうものの、泣きながら幸せな時(昨日)の写真を見て鼻を啜るスズカさんは既に引き離されて限界が近いようにしか見えない。これで数時間しか経過してないのはスズカさんじゃないけれどウソでしょ……という感じだ。

 

 

 

 

「あの、スズカさん。なら電話とか……」

「電話……! ……あ。でもお兄さんもう寝てるかも……」

 

 

 

「じゃあもう私たちも寝ましょう! 朝起きたらお兄さんとのランニングがあるんですよね!?」

「うん、そうね……」

 

 

 

 

 

 やっぱり泣き止まないスズカさんに、枕を押し付けて布団を被せる。

 もうこの対処も慣れたもので、お兄さん断ちを掲げるスズカさんも即座に敗北して枕と布団を装備。と、ここで普段と違いスズカさんがひょっこり布団から顔を出した。上目遣いの、不安そうな表情で。

 

 こういう時、的確に心を抉る表情をするスズカさんはお兄さんに鍛えられているのか、あるいは天然なのか。そんな埒も無い思考が脳裏を過った。

 

 

 

 

「……スぺちゃん、寂しいから一緒に寝て…?」

「――――……ですね!」

 

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

 

 

「―――――…ちゃん。――――スぺちゃん」

「うぅ~ん……スズカさん、ご結婚おめでとうございます……」

 

 

「スぺちゃん!? ……ま、まだ結婚はしていないから……」

「……ぇへへ、結婚式のご飯って美味しいですね~」

 

 

 

 夢の中では、スズカさんが幸せそうな顔でお兄さんに抱き着いていて。

 見たことも無いような光るご馳走を食べて、スズカさんに嗜められて。

 

 

 

 

「スぺちゃん、起きて。遅刻しちゃうから…」

 

 

 

『やっほー、お先に~!』

『スぺちゃん、遅刻ですよ~』

『エルが日本一デース!』

『ちょっと、早くしないと本当に遅れるわよ!?』

 

 

 

「みんな~、置いてかないでぇ……―――えっ、遅刻ぅ!?」

 

 

 

 

 目が覚めると、困った顔のスズカさん。

 私が抱き着いていたせいで起きるに起きられなかったらしい。ということは、お兄さんとの時間も思いっきり妨害してしまったわけで。

 

 

 

「ご、ごめんなさい~!?」

「ふふっ、いいのよ。……お兄さんと子どもができたら、こんな気持ちなのかなって」

 

 

 

 

 なんかとんでもないことを口走るスズカさんだけれど、二人で急いで着替えてパンを口に押し込み、スズカさんが栄養補助ドリンクなる謎の液体を真顔で飲み干し、歯磨きと専用の液体でのうがいをしたところでスタート。教室まで制限時間付きタイムアタック。

 

 

 

 

 なんとか授業に間に合った。

 ギリギリすぎる、とキングちゃんには怒られちゃったけど。

 

 

 

 

 

 そんなわけで授業は真面目に――――寝すぎてちょっと眠かったけれど―――受けて。お昼になったのでウキウキで食堂に向かった私が見たのは、謎の人だかりで。いや、人だかりというよりは、遠巻きにしている感じだったけれど。

 

 

 

 近づくと、マチカネフクキタルさんとメジロドーベルさんが机に突っ伏して泣いているスズカさんを必死に宥めているところだった。

 

 

 

 

 

「――――スズカさん!?」

 

「スぺちゃん……お兄さん、お兄さんいないの……。何処にも……車も無いの……」

 

 

 

 

 完全に泣き崩れる様子は、どう見ても恋人に逃げられた人という感じだが。

 ちらりとドーベルさんに目を向けると小さく首を横に振られた。

 

 

 

「つまり、お昼になって会えると思ってウキウキでトレーナー室に行ったら誰もいなくて――――なんとなく見捨てられた気持ちになった、と」

「……ひっく。ぅぇぇぇ……」

 

 

 

 現実を突きつけられた迷子の女の子のようにボロボロ泣き出すスズカさんに、寝坊した影響があるかもとかなり居たたまれない気分になる。というかスズカさん的には朝練寝坊してお兄さんを怒らせた印象なのでは。

 

 

 

「ああもう泣かないの! ただの急用でしょう!? メールでも電話でもいいから、早く連絡取るの!」

「……ぐすっ、でも、急用なのにメールなんて……」

 

 

 

「じゃあ電話!」

「でも、車の運転……」

 

 

 

 確かに運転中は電話に出られないですよね…。

 

 

 

「スズカさん、大丈夫です! シラオキ様によると運勢は大吉! 会えなかった分だけ良いことがあるとのことです!」

 

「………ホント?」

 

 

 

 

 希望と疑惑が半々くらいのスズカさんだが、ともかく泣き止んでくれた。

 ……スズカさんに子どもができたらきっと可愛いだろうけど――――お兄さんはものすごい大変だろうなぁ、なんて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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