「――――スズカ、出遅れしないためにはどうすればいいかな」
「………その、私の場合は一番前に出たいなーと思っていると自然と……」
まあ確かに。
スズカの凄いところはスタートが抜群に上手いところか。
仮にあの脚があってもスタート下手だと逃げられないだろうし。
……ツインターボとかも加速が遅いので徐々に加速していくタイプだったりするが、スズカはそんなこともないし。
「グラスのなー、出遅れがなくなると助かるんだけどなー」
「………」
チラッ、とスズカを見るとスズカは眉根を寄せて少し考えている様子。
「多分ですけど、無理なんじゃ…?」
「……まあね」
そう簡単に欠点が治るなら苦労はない。
ゴルシもそうだが、ゲート難はゲート難。そのせいで脚質が限定されることもままあるので、長所を伸ばした方が確実なんだが……。
しかし、エルコンドルパサーに勝つにはそれしかない。
あのレベルの戦いになってしまうと、出遅れが致命的になる。
「頼む、スズカ。ダメ元でもいいから一回見てくれ」
「………私、教えるのはあまり……」
……だろうね!
嫌というより純粋に不安そうなスズカである。
「でもスズカが俺の知る限りでは一番スタート上手いし……」
「…そ、そうですか…? でも……」
ちょっと嬉しそうなスズカだが、それでも頷いてはくれない。
……仕方ないか。
「じゃあグラスがダービーで出遅れしなかったらご褒美一回で」
「―――! じゃ、じゃあこの前のチュー……してください」
……フレンチキスしろと!?
もうなんか鋼の意志(笑)みたいになっているのでやめて欲しいのだが。グラスのダービーのため……半分くらいそれを言い訳に俺がしたいだけのような気もするけれど。
「出遅れなかったらな」
「………とりあえず、ゲートの貸し出し手続きお願いします」
そんなわけで、スズカによるスタート講座が始まったのだった。
……
…
「――――間違っているかもしれないですけど、グラスはやっぱりその……闘志がありすぎるような?」
「それは……そうかもしれません」
何度かゲートをやってみて、スズカの出した結論はそれだった。
興奮状態のウマ娘の視野が狭くなったり、注意が向かなくなるのは割とよくある話。
「なので、まず頭をからっぽにします」
「………えーと、どうしましょうか…?」
「私の場合は、お兄さんの匂いを感じたりとか……」
流石にそれはグラスには真似できないだろ…。
と、思ったのでスズカの提案でグラスの好きそうなもの――――抹茶をとりあえず用意。
ゲートで茶をしばくというゴルシばりの奇天烈な練習になってしまったが、とりあえず落ち着きは得られた。
「じゃあ、今度はこれで領域を出します」
「…………すみません、もう一度お願いします」
「今度はお茶で領域を出しましょう」
「………???」
あっ、そういえばこの子天才肌だったわ……。
スタート、できる。雪に突っ込んだら薙ぎ払うパワーもある。そもそものスピードも速いしスタミナもあるし、根性もある。息の入れ方も芸術的だし、苦手なのは掛からないことくらいで、それも大逃げしてる分には折り合いがつけられる。
「そもそも、私の一番目の領域は誰もいない私だけの景色への想いを力にしているんですが………二つ目の領域は、お兄さんへの想いを力にしています」
「………」
真面目な話のはずなのにどんな顔すればいいんだこれ…。
グラスも完全に困惑顔である。
「一番にお兄さんのところまでたどり着けるようにスタートしますし、お兄さんとの景色を邪魔されないように引き離すための領域です」
誰よりも速く走りたいし、それに重ねて勝ちたい理由があるからもっと速い、ということらしい。真顔で大好きアピールされると流石に照れ臭いんだけど。
「グラスの今の領域は未完成ですが薙刀なので……強敵に……ライバルに勝ちたい……とか?」
「―――…そう、ですね。きっと、そうだと思います」
「では、勝負の前にはお茶を飲んで心を落ち着けてください」
「…………は、い?」
なんとなく理解できてそうなような、いないような…。
スズカはちょっと悩んだ末、グラスにゲートに入るように促した。
「……ちょっとお手本を見せますね。お兄さんもゲートに入ってみてください」
「お願いいたします」
「俺も見えるかなぁ…?」
流石に無理では? と思うが一応ゲートイン。
思ったより狭いなーと思いつつ端末の遠隔操作でゲートを開き――――。
――――瞬間、何か濃厚なチューをしているスズカが脳裏を過った。
「ぶっは!?」
「!?」
「こんな感じです」
テロい……。こんなの見せられて冷静にスタートするのは無理すぎる…。
「やり方は……えっと、それにとにかく集中すること、ですね。領域で周囲をのみ込むには自分に意識を向けさせないといけないですが……」
どんだけチューしたいんだ。
尻尾をばっさんばっさんしているスズカはまあさておいて、あんまりあっさりやられたので、真面目にゲートでお茶を飲み始めたグラス。
「効果は……私のやる気が出ます」
いや多分これ周りを出遅れさせる効果だろ……。
エアグルーヴとかルドルフとかにぶつけたらどんな反応になるのかは正直見たい。
「とはいえ、適当にやっただけなので私とお兄さんのことを知らない人には多分違和感がある程度ですよ?」
「……へ、へぇ」
知ってるからこそ、か。
言われてみれば知ってるウマ娘―――スズカの領域ははっきり見えるし、スぺちゃんとかグラスもまあ分かる。が、過去のシンザンのレース映像とか見ても「なんか領域出た?」くらいにしか分からない。
つまり俺とスズカの関係を知ってる相手にだけ発動するテロ攻撃……知ってたら余計に効果高そうだな…。
「とはいえ、グラスは普段はおっとりした大和撫子なわけですし」
「領域にするだけの下地はある、のか…」
自分の長所を領域にするのではなく、普段の自分らしさを領域で引き出す。
最大の力を発揮するためのルーティーンとしてはどちらも正しいということだと思う。
「……とりあえず、やってみるか」
「―――はい」
半信半疑。でもまあスズカにはできるわけで……。
とにかくやってみることに。
――――――――――――――――
『さあ東京優駿、日本ダービーのファンファーレです!』
来てしまった……。
皐月賞を終え、約1月。
領域で何やら遊んでいたスズカと対照的に、グラスの領域は難航した。練習ではかなりの確率で発動できるのだが、スズカに言わせると「切っ掛け」が足りないとかなんとか。要は発動条件が曖昧すぎてダメということだろうか。
『さあ、1枠2番キングヘイロー! ここまで6戦3勝、皐月賞では惜しくも2着でしたが、その力は誰もが認めるところです! 4番人気です!』
史実では(鞍上が)掛かって逃げてしまい着外に沈んだキングヘイロー。
遠目に見ても入れ込みすぎているように見えてしまうのは先入観からだろうか。
『注目の3枠5番、1番人気、スペシャルウィーク! 皐月賞では同着の2着となりましたがこの日のために厳しいトレーニングを積んできたと陣営も自信アリ!』
観客席からでも気迫を纏っているように見えるスペシャルウィークに、隣のスズカも少し楽しそうな雰囲気。やっぱり運命的な何かはあるのだろうか。
「お兄さん、スぺちゃん気合が入ってますね」
「スズカはスぺちゃん応援か?」
「うーん、そうですね……同じチームとしてグラスは応援したいですけど――――」
ちょっと迷うような仕草を見せつつも、スズカは言った。
「お兄さんに応援してもらうのは羨ましいので」
「……お前な」
ふんす、と拗ねたようなスズカだが、なんやかんやでグラスも応援してくれているのは知っている。あんまり関わりのないエルコンドルパサーには同じリギルでも思い入れがなさそうだが。
「………うまぴょい伝説の時、『俺のスズカが』って言ってくれてもいいんですよ?」
「どうした急に」
ご本人様から妙な許可が……てかそれ公開告白では?
嫌だぞ、世界三大恥ずかしい告白にカウントされたりしたら。
『4枠6番、セイウンスカイ! 5番人気です! 皐月賞ウマ娘ですが、この人気が展開にどう影響するのか!? 今日もやはり逃げるのか、彼女の作戦にも注目です!』
皐月賞勝ったのに5番人気――――セイウンスカイの実力どうこうも無くはないのかもしれないが、逃げでのダービー不利という考えはやはり根強いのかもしれない。ネットで見たらスズカは例外、または怪物扱いだし。
静かに闘志を燃やすセイウンスカイは十分に調子が良いように見える。が、それでも人気上位にならないのに納得してしまうくらいには明らかに面子がおかしい。
『7枠15番、エルコンドルパサー! NHKマイルカップで鮮烈な勝利を飾り、勢いのままにダービーに挑みます! 2番人気です!』
手を振って現れるエルコンドルパサー。
不敵な笑みに相応しい、ただならぬ気配。サイレンススズカ亡き後、国内に敵なしと宣言し、国内レースを走らずに年度代表馬になった“彼”の魂を受け継いだだけのことはあるのだろう。
『8枠16番、昨年のジュニアチャンピオン、グラスワンダー! 先日は惜しくもエルコンドルパサーの二着となりましたが、ここダービーで再起を誓います! 3番人気です!』
『さあ、早くも“黄金世代”との呼び声も聞こえ始めた彼女たち。スペシャルウィーク、エルコンドルパサー、グラスワンダー、セイウンスカイ、キングヘイロー。今年のダービーは誰が勝つのか全く分かりません!』
『これほどメンバーの揃ったレースは、ダービーであってもそうはないでしょう。果たして夢を叶えるのは誰になるのか、注目です』
「グラス、集中できているみたいですね」
「だな」
最早半ば祈る領域。
ダービーのスペシャルウィークは強い。とにかく強い。
某レジェンドのダービージョッキーへの執念が宿っているのではないかと思わせるその気迫、仕上がり、断じて容易い相手ではない。
が、ダービーと春の天皇賞、ジャパンカップにすら勝利したスペシャルウィークが苦手としたのがグラスワンダー。エルコンドルパサーだけでも容易い相手ではないのに、そこにグラスも加わると軽くイジメな気もするが―――。
『さあ2400メートル彼方、栄光はただ一つ! 日本ダービー、今スタートです!』
まずまず揃ったスタート。
出遅れずに飛び出したグラスワンダー――――その領域、正座したグラスがお茶をしばくシュールなものに、エルコンドルパサーが若干笑いのツボに入ったのか微妙に出遅れたもののすぐに立て直す。
『誰が行くのか、セイウンスカイは無理にはいかないか! 内からキングヘイロー! キングヘイローが行った! なんとここで逃げますキングヘイロー!』
掛かってしまったのかというくらいの勢いで逃げるキングヘイローに、少しやりにくそうにしながらも控えるセイウンスカイ。皐月賞でも途中まではハナを譲っていた以上は控えるのもできないわけではないと思われるが、やはり得意のトリックは活かしにくいのかもしれない。
『スペシャルウィーク、エルコンドルパサー、グラスワンダーは中団! エルコンドルパサーの背後をグラスワンダーがぴったりとマークしている!』
スペシャルウィークとエルコンドルパサー、どちらをマークするのか――――正直強さ的にはどちらでもいいのだが、スペシャルウィークの枠順が内であり、エルコンドルパサーが外である以上は実質的に一択。
オーラを漲らせて背後に陣取るグラスワンダーに、エルコンドルパサーの笑みも若干引きつって見える。
(ちょっ、グラス!? ――――いきなり笑わせてきたり、容赦なさすぎデス!?)
(エルが強敵なのは分かっています。だからこそ―――――全力で行きます。そして、スぺちゃん、貴女にも勝たせてもらいます)
(……とはいえ、これは)
(スローペース、ですね)
「――――キング逃げ上手くね?」
綺麗に超スローペースに落とし込んでいる。
これで逃げ向きの勝負根性があれば展開は完璧では。残念ながらウマソウルの方のキングヘイローは逃げに向いてないみたいだけど。
「そう、ですね…?」
頭サイレンススズカなスズカには難しすぎたのか、微妙な顔。たぶん「せっかく気持ちよく逃げるチャンスなのに…」とか考えていそうである。
とはいえこのままではセイウンスカイの思うツボ。そう考えたらしいエルコンドルパサーがペースを上げた。
『ゆったりとしたペース、なんというスローペースでしょうか。キングヘイロー逃げています、何処で仕掛けるのかセイウンスカイ! 第三コーナーを回ってエルコンドルパサーが早めに仕掛けた! その背後にぴったりとグラスワンダー! スペシャルウィークも上手く外に出た!』
第四コーナーでキングヘイローにセイウンスカイが並びかけ――――抜き去った瞬間。
(――――くっ、そんな!?)
(悪いけど、貰っていくよ――――)
――――――『アングリング×スキーミング』
領域――――ダービーという大物に釣り針をかけ、今まさに釣り上げんとするセイウンスカイの小舟。それを、煽るように強烈な突風が吹き荒れる。
巨大な鳥――――コンドルが、優雅に、しかし力強く飛んでいく。
飛翔するコンドルを胸に宿し、更なる加速を見せるエルコンドルパサーがセイウンスカイの領域を塗りつぶさんばかりに先頭を奪いとる。
『さあセイウンスカイがキングヘイローを捉えた――――外からエルコンドルパサー! エルコンドルパサー先頭に立つ!』
(―――――高く、もっと高く――――どこまでも! エルが世界最強デース!)
――――『El Condor Pasa』
(さすがですね、エル――――ですがこの勝負――――勝ちます!)
――――『精神一到何事か成らざらん』
薙刀のような、必殺の意志と末脚の切れ味でグラスが一気にエルコンドルパサーに並びかける。
『グラスワンダーだ! グラスワンダーが更に外からエルコンドルパサーに並びかける! 両者どちらも譲らない! ――――内からスペシャル! スペシャルウィーク! 一気に上がってくる!』
(来ると思っていましたよ、グラス――――けど! 勝つのは私デス!)
―――――『プランチャ☆ガナドール』
今度はプロレス。ネットを使って更に高く飛翔するエルコンドルパサーの領域とともに、エルコンドルパサーがグラスをじりじりと引き離す。
(――――まだです!)
(っ!?)
だが、グラスの根性――――追い比べでの底力は並ではない。
領域を重ね掛けしたエルコンドルパサーの速さでも引き離せない執念の走りで、半バ身もない差のまま高低差のある200mの坂に差し掛かり――――。
―――――――――
スペシャルウィークの目には、半ば力尽きて沈みながらも顔を上げないキングヘイローの姿が見えていた。領域を吹き飛ばされてもなお走るセイウンスカイの姿が見えていた。
強い、と素直に想う。
みんなが夢を諦めたくなくて、最後の一瞬まで全力で駆け抜けている。
なんのために走るのか――――二人のお母ちゃんのため、スピカの皆のため、憧れのスズカさんに追いつくため。
理由は沢山あって、でもそのどれもが正しいとトレーナーさんは言ってくれた。
『理由なんて、いくつあってもいいだろ。―――スズカなんて何の理由で走ってても不思議じゃあないしな。あとゴルシ』
――――勝ちたい。ダービーで。
スズカさんに憧れ、日本一という称号に近いだろうこの特別なレースで。
他のどのレースより、全ての他の勝星よりも手に入れたいのだと誰かが叫ぶ。
けれど、遠い。
抜け出したと思った先、遥か前方で競り合うエルちゃん、グラスちゃんに本当に追いつけるか―――疑問が、絶望が心を包みそうになる。
なんとか闘志を奮い立たせるために顔を上げた先、前方の二人の更にその先で―――ゴールでこちらを見つめるスズカさんと目が合った気がした。
「――――スぺちゃん」
追いつきたい――――。
今はまだ叶わなくとも。あんな風に、誰かに夢を与えられる走りを! 私がそうしてもらったように、私もスズカさんのようになりたい…!
(私たちの……お母ちゃん達と、私の夢――――日本一のウマ娘……このレース……この勝負だけは―――――)
―――――星が流れる。
夢を叶える流れ星か、あるいは夢そのものか。
流れ星を見上げ、勝利を誓うスペシャルウィーク――――その本来の領域が“変わる”。
憧れるだけだった自分から、夢に向かって―――夢と共に駆け抜ける姿に。
―――――『シューティングスター』
―――――『日本■■■』
『内からスペシャルウィーク! スペシャルウィーク猛烈な追い上げ! エルコンドルパサー先頭だがグラスワンダー一歩も譲らない! エルコンドルパサー! グラスワンダー! スペシャルウィーク! スペシャルウィーク追いすがる! 残り200!』
「ま、だだぁぁあ――――ッ!」
「ゃあああああっ!」
「――――――はぁあああああっ!」
『エルコンドルパサー粘っている! エルコンドルパサー! エルコンドルパサーか!? だがスペシャルウィーク残り半バ身で並――――ばない! スペシャルウィークあっという間に交わした! スペシャルウィーク! スペシャルウィークだ!』
『夢を叶えたスペシャルウィーク! 此処に新たなダービーウマ娘の誕生です!』