『さあ先行争い! 行った行った、サイレンススズカが飛び出して、大外からは一気にサニーブライアンが競りかけてくる!』
『どうやらハナを奪わせない作戦のようですね』
観客席からは悲鳴と歓声がどちらも上がる。
特異なマイペースで走るスズカに対して、オーバーペースのサニーブライアン。その軍配はどちらかに上がる、ということもなく。
わずかにサニーブライアン有利で競り合ったままコーナーに差し掛かる。
「どうやら乾坤一擲、スタート直後のスパートで抑え込むつもりかな」
「キョウエイボーガン……いや、まだか」
「フーン。大丈夫なの、トレーナー?」
「わからん」
「ぇぇ~?」
流石のサニーブライアンでもあのペースでは持たない。が、スズカが掛かるようであれば最終的に逆噴射してスローに持ち込んだサニーブライアンに抜かれる可能性もある。一応、抜く練習はタイキシャトルとの併走で鍛えられている……とは思うが。
不気味なほど落ち着いて走るスズカを徐々にサニーブライアンが引き離し、斜行を取られないよう十分に距離を取ってから前を塞ぎにかかる。
『さあ、ハナを奪ったのはサニーブライアン! サイレンススズカはわずかに控える形。フジノビザン、ダイサンデー、マチカネフクキタルも前から行った! メジロ、メジロブライトはやはり後方から!』
『ここからスローペースに持ち込もうというところでしょうか』
『さあ、サニーブライアンがサイレンススズカを封じ込めようというところ! サイレンススズカが加速する素振りを見せますがサニーブライアン行かせません!』
わずかにサニーブライアンが減速した、その瞬間だった。
スズカが僅かに加速するような素振りを見せ、サニーブライアンは慌てて加速しなおし――――フリだけで抜きにかからなかったスズカに、サニーブライアンは歯を食いしばる。
そうして再度サニーブライアンが速度を緩めた瞬間――――スパートをかけたスズカが外から一気に交わした。
「――――おおっと! 今度は行った! サイレンススズカ、サニーブライアンを交わして先頭に立つ!」
「掛かってしまったかもしれません。少し息を入れるタイミングがあればいいですが」
(……このっ! ダメだ、完全にもってかれた。抜き返せない!)
本当はもっと消耗させるはずが、速度を緩めた瞬間の気のゆるみを狙われた。
それでも必死に食らいつき、有利な内側を死守する。ここなら進路妨害を取られないようにそうそう内には来れないはず。
『サイレンススズカ、ハナを奪い返した! だがまだ先頭争いは続いている! 二番手集団は大きく離れて固まった状態! ブライトの位置は後方三番手!』
『前二人はかなりのハイペースですね。最後まで持つのか心配です。対して後方はややスローでしょうか』
『三番手にはフジノビザンが上がってきています! ブライトが中団まで上がってくる! さあ四コーナーに入って直線コースに入る! サイレンススズカが先頭を奪いましたがサニーブライアンも一歩も退きません!』
『さあ、直線コースに入った! 前二人は苦しい! 後方から一気にメジロブライト! 外からシルクジャスト! サイレンススズカここまでか!』
(負けない。このために、ずっとこの時のために――――私は!)
サイレンススズカの走りを研究し、その息の入れ方を真似た。同時に息を入れれば、最後に物をいうのは根性。全てを賭けて走るのなら、競り勝てると信じて。
『―――――ここでサイレンススズカとサニーブライアンが加速した! 両者一歩も譲りません! わずかにサイレンススズカ前に出た! 後方からはシルクジャストが抜けた! だがまだ離れている! 前二人に追いつけるのか、最後の争い! 残り400を切った! 高低差200mの坂! 試練の坂だ! 坂を登る!』
――――――――――――――――――――
先頭が見えないのはひどく窮屈で、もっと前に、先に、誰もいない場所まで一息に駆け抜けていきたいと本能が叫んでいる。
そんな中、脳裏を過ったのは数週間前のトレーナーさんの顔。
『いいか、スズカ。サニーブライアンが勝つにはなんとしてもハナを切ってスローペースに持ち込むしかない。俺たちにとっては最悪の展開だな』
『……えっと、じゃあ抜かされないように…?』
『いや、あっちからするとスズカにハナを奪われたら勝ち目がない。超ハイペースが得意にも見えないし、死ぬ気で競り合ってくる。そうしたら共倒れだ』
『………どうしましょう』
『とりあえずハナは譲る。で、適当に引っ掛けてから抜き返す』
『引っ掛ける、んですか…?』
『頭脳戦とか絶対スズカにやらせちゃ駄目なヤツだが、今回は展開が分かり切ってるからな。中盤で抜くフリをして気が緩んだところを一気に抜き返す。講師はタイキで』
『Yes、任せてくだサーイ!』
『後は勝負根性だ。そのあたりサニーブライアンも自信があるところみたいだが――――まあとにかく今はこの言葉を贈ろう「我慢した方が気持ちいい景色が見れる」ってな』
なるほど。
確かに雨とかで走らなかった後に走るとすごく気持ちが良いし、朝お兄さんに会うと会えてなかった分だけ嬉しくなる。
『今までずっと、プールやら山登りやらやってたのはこの時のためだ。枕でも尻尾リンスでもいいから、辛くなったら楽しいことを思い出せ』
最終直線、最後の力を振り絞る瞬間。
脳裏に浮かぶのは思い出の草原。どこまでも続く緑の中、遠くで手を振っているあの人を目掛けて――――。
「見えた――――静かで、どこまでも綺麗な――――私の、私だけの―――」
瞬間、地面が揺れているように思うほどの大歓声が静かに感じられ。
観客席で叫んでいるトレーナーさんの姿が、はっきりと見えた。静かに輝く、私だけの――――。
『―――――ぶちかませ、スズカッ!』
「先頭の景色は――――譲らないッ!」
「ま、けるかぁ―――ッ! 一着だけが、欲しいんだァ!」
『―――――ここでサイレンススズカとサニーブライアンが加速した! 両者一歩も譲りません! わずかにサイレンススズカが有利か!? 後方からはシルクジャストが抜けた! 前二人に追いつけるのか、最後の争い! 残り400を切った! 高低差200mの坂! 試練の坂だ! 坂を登る!』
(もっと、もっと、もっと――――――速く! 一歩でも、先に!)
(こ、んのおォ! なんで、なんで垂れない!? あれだけ飛ばして、なんで加速できる!?)
『サイレンスまだ逃げ! サニーブライアンは伸びが苦しい! 後方喘いでいる感じ!』
(見ていてください。トレーナーさん。これが、私たちだけの――――!)
(あっ)
『抜けた! サイレンススズカが抜けた! サニーブライアン失速! だがこれは二着は確保できるのか!? シルクジャストと二着争い! サイレンスだ、サイレンスだ! サイレンススズカ、今ゴール! 異次元の逃亡者、見事に無敗の二冠達成! 秋の京都へ伝説は続いていきます!』
…………
……
…
辛うじて三着を確保し、違和感を覚えた左足に目をやって、溢れてきた涙が地面に落ちる。
「…………走れ、なかった…っ、こんな、こんなところで――――」
最後の瞬間、左足に覚えた違和感。
もしサイレンススズカに引き離されなければ、1着が取れそうならそのまま駆け抜けていただろう。しかし結果は三着。
これ以上力を入れれば取り返しがつかないことになるという直感に、死力を尽くしても二着しか取れないだろうという冷たい現実に、最後まで全力を出し切ることが叶わなかった。
「サニー、お前足が…!?」
「ごめん、トレーナー。勝ちたかった。勝ちたかったのに。……こんな、負け方…っ」
駆けつけたトレーナーに支えられて、足を浮かせても感じる違和感。
「バカ、そんなこと言ってる場合か!? 俺にとっては、お前の身体が一番大事だ!」
「私は勝ちたかった! 脚が折れても! それでもダービーの一着が欲しかったのに!」
心を折られた。圧倒的な加速に、ハイペースの消耗を見せない走りに。
トレーナーに抱きしめられて、胸の中で涙を流す。
「……かちたかった、よぉ」
「ごめん。ごめんな。次は絶対勝たせてやるから」
「うん。…………あきらめないから」
――――――――――――――――――――
「―――――お兄さんっ!」
「スズカぁ!?」
軽やかに観客席に飛びこんで、スズカが抱き着いてくる。
火照った身体はかなり暑苦しいものの、レースの勲章だと思えば気にならない。
「帰ったら、ご褒美……下さいね」
「いや、あのなスズカ。とんでもなく目立ってるから後で……」
「……褒めて、くれないんですか?」
「――――よく頑張ったな、スズカ」
「はいっ」
嬉しそうに笑うスズカに、じわじわとダービー勝利の実感がわいてくる。
なんとなく二人で笑い合い、もう一度抱き着いてきたスズカが顔を埋めてきた。
「これが――――私の欲しかった景色」
――――――――――――――――――――
サニーブライアンの脚は軽傷だったらしい。
本来ならば骨折からの屈腱炎での引退だったはず。運命は変わった。変えられる。
やはり、一番可能性が高いのは―――。
「秋天で、スズカの大逃げを阻止する」
強制的にペースを落とせば、骨折しないかもしれない。
そんなことができるかもしれないのは、やはりウマ娘世界では外国馬問題のないエルコンドルパサーくらいか。
なんとなく、そんな乗り替わりみたいな真似をしてスズカが調子を崩したりしたら目も当てられないが。
それに、とりあえずは菊花賞か。
多分ペースを調整すればなんとか3000も走れないことはない……はず。
現実逃避気味にそんなことを考えていると、スクール水着を着たスズカが尻尾リンスを手に脱衣所から出てきた。
「お兄さん、はい」
「………はーい」
「~♪」
鼻歌……うまぴょい伝説? を歌いながらご機嫌のスズカに連れられて、風呂へ。
と、何故かスズカがこちらの服に手をかけた。
「お兄さん、お風呂はちゃんと服を脱がないと……」
「知っとるわ! というかまず男女一緒にお風呂に入らないからな!」
「? 昔から入ってますよね?」
「お前な、自分の年を考えろ……もうお子様じゃないんだぞ」
「お兄さん、恥ずかしいんですか?」
「恥ずかしくない方がおかしいんだよ! やめろ、脱がすな! ベルト外すな!」
とりあえずゲート難の馬と同じように尻尾を引っ張って風呂場に誘導する。
何故かまんざらでもなさそうなスズカに、温度を調整したお湯をかけてから丁寧に尻尾をシャンプーしていく。
「そういえばお兄さん」
「何だー?」
「うまぴょいってなんですか?」
「………なんだろうな!」
「うまだっちは…?」
「分からんなぁ!」
「すきだっちは分かるんですけれど……」
「へ、へー」
さらさらしたスズカの尻尾を丁寧に洗って、リンスをつける。ご機嫌すぎて妙に腕に絡んでくるのが洗いにくいが、耳を見ていれば気持ちいいのかどうかすぐわかる。
「お兄さん、どうですか。私の尻尾」
「えっ、綺麗だけど……」
「匂いですよ。せっかくお兄さんが選んでくれたのに」
「ああ、そっちね……」
嗅げと申すか。
スズカ……いや、ワキちゃん。
「まあ、スズカに合った匂い……だと思うんだが」
「はいっ。私も好きです」
「それで、お兄さん」
急に真面目な顔で(スク水だけど)振り返ったスズカに、一応表情を引き締める。
「今日、一緒に寝ましょう?」
「帰れ」
「ウソでしょ……お兄さん、私、無敗の二冠ウマ娘なのに…?」
「お前、学生。俺、教師」
むしろ何故いけると思ったのか。
そっちのほうがウソでしょである。
「じゃあ添い寝でも良いです」
「何も変わってないが」
「膝枕でも」
「何が変わったんだ」
「じゃあ、無敗の三冠ウマ娘になったら好きなご褒美…くれますか?」
「…………公序良俗に反しない範囲で」
「じゃあ、今回は枕で我慢します」
「………あっ。待て、本気で俺にスズカの枕を使えと…?」
眠れなくなる気しかしないんだが。
が、スズカはイイ笑顔を浮かべて頷いた。
「はい。……それとも、臭いですか?」
「……無いけど」
なんとなくお兄さま(ライスのトレーナー)とかお兄ちゃん(カレンチャンのトレーナー)もこんな苦労してるのかな、と遠い目になる。
「お兄さんだと思って、大事にしますね」
「………はぁ」
そして、最後の一冠。
クラシック最終戦、菊花賞に向けた合宿が始まる―――。
「強敵揃いではありますが。来年は私も必ず頂点を――――」
「はんにゃか、ふんにゃか………フンギャロ――――菊花賞は大吉です! 負けませんよ、スズカさん――――!」
新たにリギルに加わったグラスワンダー。
菊花賞に向けて飛躍するマチカネフクキタル。
「必ず、もう一度這い上がってみせる……」
「……長距離、そしてメジロの悲願である天皇賞……負けるわけには、参りませんわ~」
負傷しつつも復帰を誓うサニーブライアン。
人気を得つつもここ暫く勝ちに恵まれないメジロブライト。
「無敗の三冠……カイチョーと同じ、強くてカッコいいウマ娘になるんだ!」
「次のご褒美……どうしましょう」
それぞれの想いは交わり、舞台は夏へ――――。
誤字報告頂いたので一応。
東京レース場に高低差200mの坂はありませんが、誤字でもないんです…