理事長代理の憂鬱
『――――さあ、遂にこの日を迎えました。チーム“ファースト”、迎え撃つチーム“リギル”! 一番人気はもちろんこのウマ娘――――公式戦無敗の10冠、世界最強、サイレンススズカ!』
『言わずと知れた日本の誇る“異次元の逃亡者”ですね。アオハル杯でもここまでチームの快進撃を支え続けています』
『二番人気はこのウマ娘――――ビターグラッセ! 普段は中距離を担当しているチーム“ファースト”の二枚看板の一人ですが、ここで“リギル”のエースサイレンススズカにぶつけてきました!』
『ここまでチーム“ファースト”の激闘を考えればこれも無策とは考えづらいですからね。果たしてどんなレースを見せてくれるのか楽しみです』
『三番人気は現役マイル王者グラスワンダー! 言わずと知れた薙刀の切れ味、ロングスパートから放たれる脅威の末脚に注目のウマ娘です!』
『今のところ同チームのサイレンススズカには勝利できていませんが、それでも巧みなマークでチームに貢献し、いざとなれば勝利をもぎ取れるだけの自力があります』
「――――行ってくるよ、トレーナー」
「ビターグラッセ……」
「“私たち”なら、きっと――――私が思っている以上のことが、トレーナーが思っている以上のことが、できるから」
ゲートで待ち受ける栗毛のウマ娘を見据えて、踏み出す。
リギル専制時代とも言える現状。彼らに一矢報いることができたのならば―――最強のウマ娘、サイレンススズカに勝利できたのなら。
応援の声が聞こえる。
それは、頑張るウマ娘を応援する、穴ウマを応援するような、あるいは判官びいきのようなものかもしれない。けれども、たしかに“ファースト”が勝ち取ってきたもので。
『各ウマ娘、ゲートに入って体勢整いました―――――アオハル杯決勝、最終第5レース――――今、スタートしました!』
―――――――――――――――――――――
――――理事長代理、樫本理子には悩みがあった。
かつての教え子を襲った悲劇、それを繰り返させないためにも“管理主義の徹底”が必要不可欠だと考えている彼女。それに真っ向から対立するような存在がいたからである。
(…自主トレーニングの容認、開始時刻の不徹底。休憩時間の他ウマ娘との無駄話の許可――――というかそもそも距離が近い! なぜ休憩時間に抱き着く必要が? というか日々の睡眠時間と睡眠満足度は本当に大丈夫なの…? 学園の自主性を重んじる方針は無責任というべきなのは間違っていない、はずなのに――――)
至極楽しそうにウッドチップのコースを走る、栗毛のウマ娘。
14戦14勝、GⅠ10勝―――無敗にして世界最強とされる大逃げウマ娘、サイレンススズカ。その、どこまでも管理主義に相容れなさそうなバグキャラ。
そして生徒が引退後即結婚というかなりアレなことをやらかした担当トレーナー。
これで生徒を不幸にしていたらあらゆる手を使って排除してやるところなのだが、何故だか彼女たちは幸せそうであった。
マイル王者となり、ライバルである黄金世代との更なる激闘に備える“怪物”グラスワンダー。
皇帝の後継者ことトウカイテイオー。
デビューが遅れつつも鮮烈な重賞勝利を飾ったヤマニンゼファー。
かつては過剰なまでの自主トレーニングをしていたにも関わらず、最近は何故かゆるい顔ではしゃいでいる姿が確認されているアドマイヤベガ。
管理主義ではない、が、放任主義というには何かしらの青写真に基づいていそうな彼。
彼を打倒しなければ管理主義の夜明けは無い――――いや、あれだけの成果を出しているのは認めている。が、それはそれとして他のトレーナーが同じことをできるかというと怪しいし、やはり怪我を防ぎ子どもたちの未来を守るには管理が必要。
(……やはり、実力で彼らを打倒するしかない――――)
正面から打ち勝ち、管理主義の必要性を認めてもらう。
幸い、意味不明な強さのサイレンススズカ以外は“皇帝の後継者”ことトウカイテイオーと現役最強の一角グラスワンダーくらい。……強すぎでは?
けれどこちらも粒ぞろいの娘が集められている。
ビターグラッセ、リトルココン。彼女たちであればあのリギルにも対抗できる――――と、信じている。
データを数値化してみれば2000mの中距離と3000mの長距離でレコードを叩きだし、スピードとスタミナを異次元の高さで両立するサイレンススズカ。BCクラシック、ダートで大差勝ちという意味不明なことをやらかしているので油断も隙も無く。
単純に底が見えないシンボリルドルフに対して、何故か『愛の力でパワーアップするウマ娘』とか言われていて、実際限界と見せかけて意味不明な加速をするサイレンススズカは本当にどう解釈すればいいのか分からないのだが。
(大逃げ故に駆け引きは一切なし、並の大逃げでは競りかけることすらできない巡航速度、競りかけられると発揮される底力、長距離をハイペースで走りきるスタミナ、トレーナーに依存することで常に担保されているメンタル――――)
つまり純粋に速さで勝つしかないけどその速さが頭おかしいという結論になる。
あの有マ記念でタイキシャトル、グラスワンダー、スペシャルウィークが全員敗れるあたり少なくともダービーウマ娘……それこそ今無敗の二冠であるトウカイテイオーでも連れてこないと勝負にならないとさえ思える。いや本当にどうやって勝てと?
とはいえ、幸い本家リギルとは別チームでの参戦になるのでシンボリルドルフ、ナリタブライアン、テイエムオペラオー、エアグルーヴ、エルコンドルパサー、マルゼンスキー、タイキシャトル、フジキセキ、ヒシアマゾン、サイレンススズカ、トウカイテイオー、グラスワンダーという無法チームの結成は避けられた。
……いや、本家もえげつなさすぎでは…?
最強の鉾と最強の盾の激突と言えなくもない“皇帝”対“異次元の逃亡者”に巻き込まれるのは堪ったものではないが、それだからこそ勝機がどこかにあるはず…………あるはず…。
(後は、マイル重賞を走ったことが無い“皇帝”と“異次元の逃亡者”の適性次第か…)
幸い、アオハル杯特別参加のドリームトロフィーリーグの面子には『現役時代に重賞勝利していない条件で参加する』という条件がある。
早々に芝/マイルでの出走を表明している彼女たちでもまさか長距離もマイルも走れるなんてことが――――あるかもしれない。
そうなると先に別チームを倒して仲間を増やすしかないが。
……一番粒ぞろいなのはチームスピカ。スペシャルウィーク、ゴールドシップ、ダイワスカーレット、ウオッカ、メジロマックイーンとチームリギル唯一の対抗バとも目されている。
が。彼女たちはむしろ管理主義寄りのリギルと違って放任主義の権化。
ちょうど怪我に無縁そうな頑丈なウマ娘が集まっているので問題なさそうだが、正直あんまり仲間に入れてもいい結果にはなりそうにない。むしろ彼女たちみたいな癖ウマは沖野トレーナーのような専門家が少数で見るべきであり、管理主義は他の大多数に適応できればいいと思う。
ゲート潜りや旋回癖など、実のところとびきり問題児なサイレンススズカを見た後だと強くそう思う。
打倒、サイレンススズカとそのトレーナー。
その先に新しい管理主義と、生徒の笑顔を――。
………
……
…
……実際話してみると、サイレンススズカのトレーナーは自主トレーニングは必ず自分の目で見て管理している(いないとスズカが泣く)し、開始時刻は徹底されている(すごくすごい走りたいスズカと脚を大事にしたいトレーナーがぶつかり合った結果)し、睡眠状況も把握している(というか一緒に寝ている)。休憩時間の無駄話もあんまりない(無言でいちゃついているだけともいう)。
あれもしかしてこの人管理主義なんじゃ…?
管理主義だったかもしれない…。
管理主義の究極はウマ娘と結婚することだった…?(錯乱)
―――――――――――――――――――――
理事長室―――。
サイレンススズカ、タイキシャトル、シーキングザパールの海外制覇の波に乗って日本のレースの地位向上を目指す計画の一端のためしばらく海外出張となる理事長のため、理事長代理になることが決まった樫本理事長代理(予定)に、俺はなぜか早速呼び出されていた。
いやまあ心当たりだけなら豊富なのだ。
現在進行形で隣でニコニコしている栗毛のウマ娘とかな!
「――――新しい管理プログラム、ですか」
「ええ。実のところ私は理事長代理として協力してくれる生徒の一部から管理主義を徹底し――――その成果を以て生徒たちが自主的に管理主義を受け入れてくれるのを望んでいます」
一部どうしても無理そうな子は貴方や沖野トレーナーたちに任せようと思っています、といきなりぶっちゃけた樫本理事長代理(予定)。
よかった不純異性交遊のことじゃなかった………一応結婚してるからセーフだとは思うが。
「けどそれだと特別扱いだと不満が上がるのでは?」
「ゴールドシップやアグネスタキオンを筆頭とするメンバーを見て、一緒に練習したいと思うのであればそちらに移るのも止めはしません。彼女たちも自主的に管理主義に賛同してくれるのが最終的な目標ですが」
……まあその、あの面子を見ると……うん。
「今のトレセン学園は『緩すぎる』。怪我の予防、才能の向上、その効果が管理主義にあると知ってもらいたいのです」
「……なるほど、"アオハル杯勝利で管理主義撤回”というニンジンをぶら下げてやる気を出してもらう一方で、実のところその管理主義の力を知ってもらいたい、と」
「無論、私は貴方達にも勝たせてもらうつもりですが―――それとは別に、必ず生徒たちのためになる結果をもぎ取らせてもらいます」
こうしてみると運動ダメダメな理子ちゃんには見えない――――とキメ顔をしている理事長代理に失礼なことを考えつつ。こちらも真面目な顔で頷く。
「ええ。とはいえその管理主義の詳細というか、ルールみたいなものは完成しているんですか?」
「どうぞ。これがその原案になります」
「拝見します」
既に渡された時点で嫌な予感しかしない分厚い冊子。
捲るとそこには睡眠時間から食事内容、休憩時間の無駄口の禁止、練習外での移動・間食・スマートフォンの使用制限などびっしりと細かい規定が。
いや、まずはトレーニング内容と食事内容を管理してゆくゆくは私生活をということらしいが。
「………!? お兄さん、これだと走りにいけないんじゃ…?」
「そうだね」
練習外でも走りたいスズカみたいな頭サイレンススズカには辛かろう。
ワキちゃんの場合は甘えてればある程度満足だから朝昼夕と一日三回くらい好きに走れば割と満足しているところがあるけど。……いや本家サイレンススズカさんだいぶやばいな…。
「えっ。トレーナー室でチューしちゃダメなんですか?」
「いやダメでしょ」
「うそでしょ……」
もっというと理事長室でべったりなのも普通にアウトだぞスズカ。
理子ちゃん困ってるからな。スズカへの視線は若干優しいあたり本当に生徒が好きなんだろうなとは思うが。たぶん俺は実績が無かったら蛇蝎の如く嫌われていただろう。
食事内容に関しては練習内容によってある程度融通を利かせられるみたいだが、これだとオグリキャップとかスぺちゃんとかミラ子とか辛いだろうなー。
うーん…。
うん。これミラ子ダメだわ。
というか、ミラ子を筆頭にゆるーい感じで生活している“普通”のウマ娘たちが耐えられないと思う。
いわゆるオープンクラス、全体の7%くらいはたぶん耐えられるだろう。やる気にあふれて実力もあり、走ることが楽しいクラス。
そして彼女たちをしっかり育てることは実際正しい。勝てない子は勝てない。それがレースだし、全員を救済するなんてのは夢物語だ。
才能あるけど晩成型でイマイチやる気が無い、そんなミラ子タイプのウマ娘がすごく心配になるが。恐らく施策としては正しい……と、俺は思う。何と言ってもやはりトレーナー不足だ。アプリトレーナーのような完璧超人はなかなかいないし、“
そうなるとなんとか安全かつ確実に経験を積み上げるなら管理主義の台頭はあり。というかアスリートなら自己管理は基本。……問題は、ウマソウルのせいか一筋縄ではいかないウマ娘が多すぎることだが!
そして多分、管理主義の影響で辞めていくウマ娘の多くは辞めるべくしてやめるのだとは思う。レースの世界は残酷だ。だが、この人はそれを見て心を痛める。
「………どうでしょうか。生徒の安全に十分配慮しつつ最大限実力を発揮できるよう調整したつもりですが」
……いい人なんだよなぁ、本当に。
なんでいきなりこんなに胸襟を開いてくれたのか―――まあたぶんスズカの実績のお陰だろうけど―――はさておき。でもなぁ…。
「―――正直、やる気も才能も覚悟もあるウマ娘を指導するのであれば問題ないと思います。しかしこれでは―――」
「………ですが、徹底しなければ緩みを生むでしょう。それが綻びになり……事故に繋がる」
……分かっていたことではある。
この人は事故というトラウマを抱えていて、何より自分を信じられていない。自分よりも管理されたルールの方が正しくて、安全で、生徒のためになると思っているからこうしている。管理する
「―――取返しのつかない怪我を負うよりは、まだ良いでしょう」
この誤りを正せるのは、きっと彼女の教え子しかいないのだろう。
「では軍隊ではないので練習時間以外の制限を減らした方が良いのでは? メンタルケアも重要だと思います。特に彼女たちの年齢では」
隣でめちゃくちゃ頷いているスズカを見ながら、理事長代理は僅かに思案し。
「……一理ありますね」
「では――――」
そんなわけで、わずかばかり緩和された新しいルールは予定通り発表され。
大部分のウマ娘とトレーナーたちを阿鼻叫喚の地獄に叩き込むのであった。
そしてスズカはちゃっかり生徒会相談役になった。
―――――――――――――
――――なんとか仕事も終えて夜。
結婚二日目。
脳内がうまぴょいで埋め尽くされている若い男と、その嫁。何も起きないはずはなく。
「……あの、お兄さん?」
「どうしたスズカ」
晩御飯の洗い物を終え、とりあえずお風呂にお湯をためながらソファに並んで座るいつもの光景、なのだが。
平然と人の上に座ってくる栗毛のウマ娘はどうすればいいですか。
尻尾さらっさらなんだけど。お尻柔らかいけど細いから骨を感じるんだけど。なんか甘い匂いがするんだけど。
……こういう時って、あれか。
うまぴょいしようや……って誘うか? いや、うまぴょい伝説のイントロを流せばいいのか? いきなりキスとかそういう空気でもないし……。
「………あの、お兄さん?」
「どうしたスズカ」
へにゃり、と少し困ったように耳を垂れさせたスズカは振り返って一言。
「………その、ちょっと苦しいです」
「ごめん」
無意識に抱きしめていた。
いやだって、今朝もなんやかんや怒られたばっかりだし嫌がられるかなーくらいは覚悟していたので。ちょっと緊張しつつもいつも通り甘えてくれるのが嬉しかったんだ。
「……なあ、スズカ」
「………はい」
「…………好きだ」
言いたいことは幾らでもあって。
この小さな身体で世界一のウマ娘になるまで走りぬいてくれたこと、いつでもこんな俺を信じてくれたこと、割と天然で走ること以外では優しいこと。走るのが好きすぎること。ゲート潜っちゃうくらいには寂しがり屋なこと。
なんでこんなに好きなんだろうと悩むことも無くはない。
なんでこんなに好きになってくれたのかは全く分からない。
「……ふふっ」
「いやあのスズカさん? その笑いは…?」
楽しそうに笑ってくれるのはいいんだけど。
スズカはそのまま身体の向きを変えて、胸元に顔を寄せて見上げてくる。……触れ合いそうなくらい顔が近づき。
スズカは蕩けるような笑みで、笑った。
「………お兄さん。可愛いですね」
「――――…なんで!?」
「だってお兄さん、いつもなんでも平気そうでしたし……私だけ一方的にお兄さんのことが大好きだと思ってたので」
「いやそんなこと無いが!?」
頑張って手を出さないようにしてただけだが!?
本棚に隠してある栗毛ウマ娘のグラビア写真集とか……いやまあ。
「お兄さんも、私がいないとダメですね」
「それはそうだよ。お前が居なきゃ、俺もトレーナーになってなかっただろうし……」
「お兄さん、もうちょっと偉そうにしてもいいと思います」
「スズカももっと偉そうにしていいぞ」
……。
俺からすると全部スズカの頑張りのお陰なわけで。
どうにも同じようなことを考えてそうなスズカと見つめ合い、どちらからともなく笑みを浮かべて抱き合って。
そのまま、溶け合うように唇が触れ合った。