まだ夏合宿が始まる前の休日、朝の自主トレを終えて。
なんとなく冷房の効いた部屋、特に理由もなく密着してくる(たぶん安心するとかそんな理由だろうが)スズカと二人でレース映像を見ながらのんびりしていたらふとトイレに行きたくなり。ぴったり膝上に陣取っているスズカに声を掛ける。
「――――スズカ、ちょっとトイレ」
「あ、はい。どうぞ」
くるり、とこちらの首に抱き着いて背中側に回るスズカ。子泣き爺か何かかな? 引っ張って降ろそうとするが、当然力で勝てるわけもなく。なんでウマに背中に乗られてるんだろうか俺は。
以前はなんとか言い聞かせてトイレの前で待たせていたのだが―――。
「スズカ――――」
「お兄さん、よくトイレって怪談でも出てくるじゃないですか。花子さんとか」
「まあそうだな」
「だから、不安なんです。ふと目を離した瞬間に、お兄さんがどこかに行ってしまうんじゃないかって―――」
「――――あとお兄さん、前にトイレに行くって言って桐生院さんとカラオケに行きましたよね?」
「それもう5年くらい前だぞ」
――――死ぬほど根に持たれてる!?
だって桐生院さん可愛いじゃん!
当時中学生くらいだったワキちゃんを連れて行くわけにもいかないし……カラオケとか実質デートじゃん? 実情はアレだけど。
「スズカ、普通トイレは恥ずかしいものなんだぞ……」
「お兄さんこの前お風呂に一緒に入りましたよね?」
くっ、男のトイレに付いてきて何が楽しいんだ……いや目に見える範囲にいないと寂しさ大爆発するだけで特に深い意味もないんだろうけど。原作スズカだってここまでじゃない――――としたら原因は俺になるわけだが。
――――蘇るのは、さびしいと泣くワキちゃんを甘やかして連れまわし、幼少期ならまあセーフか……とトイレまで一緒に行ってしまった記憶!
原因は俺だった。
というか勝手にそんなことになるわけはないので、残念ながら当然であった。
……背負ったままで用を足すのは無理があるのでトイレに座り。その膝上に我が物顔で座るワキちゃん。コイツ……だが何にも考えてなさそうな無邪気な顔を見てると怒るに怒れない。無限に走りにいくサイレンススズカさんとどっちが厄介かは人によるなこれ…。
しかしなんて管理主義と相容れなさそうな――――……あれ?
アニメのスズカさんはアレだけど、ワキちゃんってもしかして管理主義適性高い?
むしろ寂しがり屋過ぎて管理されたい…のか?
「スズカってもしかして管理されるの苦じゃない?」
「お兄さんになら別にいいですけど……そもそもお兄さん、私の嫌がることしないですし」
そうかな………いや、そうかぁ?
割と好き放題してる気がするんだけど……普段の甘やかしはともかく。練習の時だってスズカが怪我しないようにかなり制限してるし。
「練習の時は、お兄さんが私だけ見てくれてるからすごく好きです」
「好きなレースにも出させてやれないし……」
本当は秋天とか出たかったのは知ってるんだぞ。
話を聞く限り、史実での出走レースには不思議と感じる『運命的な何か』、逆らい難い強制力というか、魅力があるらしいし。
「じゃあお兄さん、代わりにいっぱい告白して下さいね?」
そっちの方が嬉しいです、と微笑むスズカ。
なんでコイツこんなに優しいんだろう、なんてことを思っているとスズカは静かに抱き着きながら言った。
「……私も、いつも思ってますよ。お兄さん、どうしてこんなに優しいのかなって」
「―――…スズカが好きだから、かな」
好きな子に見栄を張りたいとか、笑顔でいて欲しいとか、色々と理由は浮かぶけれど。
結局のところスズカが好きだから、なのだろう。
「――――はい。私もです」
――――――――――――――――――
「――――新婚なんて三年くらいで冷え込むってマジなんだろうか」
「とりあえず学生時代からずっと惚気を聞かされてるんだけど……」
「お前の場合実質同棲で何年経ってるんだよ」
というわけで実はトレーナーとしては同期のお兄さま、お兄ちゃんと三人で飲みに来た(アプリのお兄ちゃんとお兄さまとの共通点が多いので心の中では先輩扱いだが)。
ちなみに飲み会をスズカに話したら「じゃあ今日はうまぴょい禁止です」と無慈悲な宣告をされたが許してくれた。……実のところそれでこっちが折れると思ってた節があるが、俺がいない間は寮でスぺちゃんと過ごすらしいのできっと大丈夫だろう多分。
「えっ、なんやかんや昔から一緒に寝てたし……十数年くらい?」
「お前それもうほぼ妹みたいなもんじゃん……」
「業が深いよねー」
だって俺の場合前世の関係であんまりこっちの幼少期関係ないし…。
「むしろ子どもができたら愛情が移るって言うよね。まあまだ関係ないだろうけど―――」
「おいなんで固まってんの? おい」
「いや全然大丈夫だが? 今後の家族計画を考えてただけだし」
((こいつやってるな……))
「まあお前らの場合、お前が浮気しなければ当分熱々なんじゃねーの?」
「そ、そうだよな……!」
「うん、日ごろの感謝を忘れずにね」
「それはもちろん」
というわけでお酒が進む。
正直お酒には弱いのだが、飲まないとやってられない。
「で、お兄さまはいつ結婚すんの?」
「いや普通に生徒と結婚させようとするな」
「いや俺誰とは言ってないけど」
「……え? あっ、嵌められた!?」
ふはははは! お兄さまと呼ばれればライスを想像するしかあるまい! だがそれをライスがどう思うかな?
「お兄ちゃん」
「お兄ちゃん言うな。悪く思え、俺がターゲットにされないためにはこれしかなかったのだ」
スッ、と取り出されるのはボイスレコーダー起動済みのスマホ。
瞬時に取りに来るお兄さまだが。
「悪いが既にクラウドに保存しちゃった」
「あまりにも非人道的すぎる……! くそっ、何が望みだ!? 奢りならお前金あるだろ!」
確かに自慢の愛バたちが次々とGⅠ勝利を叩きだしているのでちょっと目を疑う金額が振り込まれている。CMに出まくっているスズカには勝てないが、それはそれとして。
「仲間ふやしたい」
「犯罪者予備群仲間かな?」
「(カレンの攻勢を考えると正直もう一人くらい生贄がいると助かるんだよなぁ)」
「よし、ライスちゃんに送りつけよう」
「おっけー」
「やめ……ヤメロォ! ライスの前では優しくてカッコイイお兄さまでいたいじゃん! ライスの夢を壊すとかお前ら人間じゃねぇ!」
((いや多分喜ぶと思うけどなぁ…))
とんでもない性癖を大公開されたとかならともかく、普通に結婚相手として意識されてるくらいなら喜ぶと思う。
「じゃあ公開しない代わりに性癖教えろ」
「そうだそうだ」
「くっ、こいつら……じゃあライトハローさんとか」
「……(割とガチなのがきた)」
「……(割とライスと遠いのが来た)」
「おい黙るな。というかそっちも語れ!」
仕方ない。
向こうが真面目に言ったのなら、こちらも応えねば無作法というもの。とは思ったが先にお兄ちゃんが言った。
「じゃあ俺。むっちりした巨乳」
「……(また微妙にカレンチャンが困りそうなのを)」
「……(なんかダイワスカーレットが頭に浮かぶんだが)」
性癖と担当は一致しないということだろうか。
まあ一致してたら困るけど。仮にも生徒とトレーナーなんだし。
「で、お前は……まあ絶壁貧乳甘えん坊の妹か」
「無邪気で寂しがり屋な年下義理の妹でしょ」
「いや俺常識の範囲内で巨乳の方が好きなんだけど」
アヤベさんくらいが一番好き。
それ以上ってなるとなんだろう……なんか違うというか。
「いや……え? なに、それ大丈夫なの…?」
「お前のうまぴょいが心配だよ俺は」
いやでもワンチャン、元々のスズカさんより走る量が少ないだけ胸あるかもしれないし。どっちにしても貧乳に変わりないけど。
でもワキちゃんの場合可愛いは正義。
「令和の光源氏も胸はどうしようもなかったのか……」
「なにその嫌すぎる称号」
「自分好みの走りと性格に仕上げた新時代の光源氏系トレーナーって」
「いやもとからあんな感じだからな!?」
確かに結果的には寂しがり屋を助長させた気もするけど!
……いや、俺が居なければスズカさんになったと思えば全面的に俺が変態にした…?
「やっぱり俺って存在していて良かったのか不安になるな……」
「いや急に凹みすぎだろ………迎え呼んどこうぜ」
酒が入ったからだろうか。
あるいは気の置けない友人といるからかもしれないが、普段言えなかった不安がぼろぼろとこぼれる。
「個人的にはスズカが怪我なく元気に走ってくれればって思ってたんだよ……でも欲が出て……」
「え、性欲?」
「クラシック三冠」
「あ、真面目な方か」
マジで人の事をなんだと思ってるのか。
「スズカなら……ワキちゃんなら、勝てるんじゃないかって……サイレンススズカを超えて、誰も手が届かないような――――」
「とりあえず水飲め」
ジョッキで出された水を一気飲みして、テーブルに控えめに叩きつけつつ言った。
「でもなぁ! サイレンススズカだぞ、俺がいなくたってスズカなら三冠くらい取れらぁ!」
「お前のそのサイレンススズカへの凄い信頼はなんなんだ……」
「すぐ来てくれるってさ」
「じゃあ世界一になったらな、俺のスズカだーって言えると思ってたんだよ」
「いやお前の愛バだろ実際」
「そこは誰も否定しないと思うけど」
………
……
…
「でもなあ、サイレンススズカだぞ……」
「いや、またリピートしてるぞ」
「完全に酔っぱらってるね」
「サイレンススズカなら世界一くらいなぁ、とれらぁ……!」
「トレーナーは大事だぞ」
「はい氷水」
でもスズカだし……。
たとえ俺なんかがいなくても、怪我さえなければどこまでも逃げ切れる。それくらい、あの走りは心に残っているんだ。
終わってしまった夢の続きを見られたのは嬉しい。
けど、そのおこぼれを手柄にして、可愛い嫁を貰って……。
俺は、俺は、怪我を防げた以外はあいつの成長を妨げただけなんじゃないだろうか。もう必要ないんじゃないかって、そう思う。
「じゃあ、レースが無かったら私は要りませんか…?」
「―――んなわけあるか! スズカが居なかったら俺なんて寂しくて死ぬわ! 寂しい時に頭を擦り付けて甘えてくるのが最高に可愛くて――――――…え?」
ちょっと待って。
なんか今スズカの声が聞こえたような――――。
ちょっと驚いた顔のスズカが、何故か隣に座っていた。
………あれ、俺いま何喋ってた?
一気に酔いがさめた気がするところで、じわじわとスズカの顔に喜色が広がっていく。かわいい。じゃなくて。
「俺今なんか言った?」
「スズカがいないと寂しくて死んじゃうって言ってました」
むぎゅっと嬉しさを表現するように抱き着いてくるスズカ。かわいい。じゃなくて。
「気のせいじゃないかな……」
「じゃあちゃんと言って下さい。……私のこと、どう思ってますか?」
「かわいい……じゃなくて」
「じゃないんですか…?」
う、ぐぬぬ…。
とはいえここまで聞かれたからにはもう言うしかない。
「幼気なワキちゃんを騙して嫁に貰ったというか…」
「………否定はしませんけど。……でもお兄さんは忘れちゃったかもしれないですが、私は覚えていますよ」
え?
何を?
「お兄さんが、私を見つけてくれたこと。私が気持ちよく、楽しく走れるように頑張ってくれたこと。私を育てるために悩んで、試行錯誤してくれて――――ずっと、寄り添ってくれたこと」
「私がここまで走れたこと、くじけずにゴールを目指せたこと、私が今、とっても幸せなこと――――私は、貴方のお陰だと思っていますから」
「だから――――これからも、よろしくお願いしますね。お兄さん」