老化を止め、修行を進めていくうちに肉体、精神、魂の在り方、器が強化されていくのを感じた。記憶の世界よりも、この世界では鍛えた時の効果の上昇率は大きいようだ。
「なんぞ、やっぱり神の恩恵なんぞ必要ないではないか。カカカッ!」
そろそろ相手が欲しくなってきた。
世界を見て回るか。
こうして世界中を旅した。
のんびり歩き、海底を泳ぎ、海の上を走り、木々を飛び回り、とにかく動き続けた。
こうしているうちに多くの人や神、怪物たちを観察していて気がついたことがある。
「カカカッ!思った通りじゃわいのう。大きな出来事が起きた時は大体が神が原因じゃわいのう。怪物が生まれるのも、直接的にしろ間接的にしろやっぱり神が関わっている。こりゃ、後のオラリオのダンジョンの誕生も……」
「おい!そこの地を這う人間!奇妙な面をしおって…不躾に見てくるその無礼な目線、神に対する不敬なり!!!!殺s…《第一のジュルス》ブァ…」
「人も神も、変わらんわいのう…
というか神は天界とやらにいるのではないのか?
まだ地上世界と天界が別れてない時代が今なのかもしれんのう…」
ということは、だ。
「この混沌の世界から神共が肉体を捨て去り天界とやらに引っ越す時が来るというわけか?
その術を身につけて、いつでも天界に行けるようにすれば後の神を追って死合いに行けるわけだわいのう!!!
それに最近我に集まってきた、気とは違うこの祈りや畏れ、念のような"何か"、信仰心か神力というやつか?
これで自らの全てを置き換えた存在が神という生き物か!!!なんと詰まらない生き物だわいのう!!いっそ憐れだ!カカカッ!」
肉の器は必要だ。これあってこその武術だよね!
この気持ちを軸に持っておけば、つまらん生き物に変化したりはしないだろう。
この世界でも拳魔邪神と言われだしたのは嬉しい。ただ笑えるのは神共もそう認識しだしたことだ。奴らは余りにも期待ハズレでイライラするが、神に関しては醜態を記録しといて未来で洗いざらいぶちまけて信用とやらを吹き飛ばしてその様を肴に酒でも飲むことで収めよう。
我の、いや俺の、武人の生き方は言うなれば弱肉強食と人間賛歌だ。俺は!人間は!ここまで強いんだぞ!お前には負けねえ!って自らの肉体と技で証明するものだ。
そこに神によるファルナという不純物は要らない。
武とは人間のものだ。人間が見出し、練り上げて繋いできたものだ。
であれば、我が拳魔邪神の名を残し、ファルナを必要としない武人達を増やしていけば人間の地位や力、矜持は自ずと上がる…はずだ。
知らんけど。
という方針でいこう!!!
いつかは冒険者じゃないオラリオの住民たちを門下に入れて、やたらと強い子供やおばちゃん達を量産したいね!!
なんなら宗教っぽくしてもいいかも!少〇寺的なノリで(笑)
でも強いと分かれば無理やり眷属にしようとするかもな。
でもまぁその時は…
「簡単だ、殺せばいいわいのう」
未来の弟子たちには簡易神殺し(天界送還)くらいはしてもらわんと。
もちろん俺は神殺し(真)です(ニッコリ)
というかあの大穴、捨てるのに便利だからだって言って神どもが怪物たちや人間たちの骸を捨ててゴミ捨て場扱いしてるんだが、大丈夫か?
なんか負の念っぽいのがやたらと立ち込めてるぞ…
や、まさか…ねえ?
原作ダンまちのダンジョンも絶対神が原因だと思うの()