「捨て艦」という言葉がある。
その名の通り、艦娘を使い捨てのように扱う非道の戦術の事だ。
岸波は、今この瞬間、沖波を捨て艦として認識した。
実の姉のように甘えていた………長波と朝霜と共に、絶対に生きようと誓った第三十一駆逐隊の家族である駆逐艦娘を。
「岸ちゃん………。」
「……………。」
思いっきりぶん殴られても、文句は言えない場面だった。
岸波は、俯きその瞬間を待った。
だが、沖波は………その岸波の頭を優しく撫でて来た。
「沖姉………?」
見上げた岸波が見たのは、泣きそうな表情で………しかし、はにかみながら笑みを見せて来る駆逐艦娘の姿であった。
「ありがとう、岸ちゃん。最後まで………私を頼ってくれて。」
「あ………。」
沖波は岸波から離れると、振り返って南方棲戦姫を睨みつける。
そして、息を吸うと………今までに無いような怒号を発して一直線に突撃していった。
「たあああああああああああっ!!」
「……………。」
その後ろ姿に手を伸ばしかけた岸波は、拳をギュッと握りしめると振り向き、第十七駆逐隊の元へと向かう。
そして、絶句したままの彼女達に告げた。
「今の内に撤退する。」
「………な、何を言いよるんだ、われは!?」
何とか喋る事が出来た浦風が、怒りの言葉を投げつけて来る。
「沖波を置いていくのか!?」
「このままだと浜風が死ぬわ。手遅れになる前に行くわよ。」
「何、馬鹿言いよるんだ!?われは鬼か!?悪魔か!?」
「じゃあ、他に誰が足止め役をやるのよ!?私は中破!貴女達は改二じゃない!沖波が一番、適任なのよ!!」
「………っ!?」
信じられないような物を見る浦風に対し、正論で黙らせる岸波。
一方、瀕死の浜風を支えている谷風が、何とかしようと考えを巡らせる。
「と、とりあえず、みんなで戦えば………!」
「それで勝てる相手ならば、とっくに指示を出してるわ!」
「で、でもよ!ここで諦めたら沖波が………!」
「貴女は、第十七駆逐隊の仲間を殺したいの!?」
「だけど!元々の原因は………岸波がっ!?」
「違う………!!」
思わず岸波を非難しかけた谷風に対し、真っ青な顔をした磯風が海面に手を付きながら震える声で叫ぶ。
「私が………私が単縦陣を指示しなければ………!私が、全て………!」
「………立ちなさい、磯風。時間が惜しい。全ての責任は私が負うから、一直線に泊地に帰投するわよ!」
「……………。」
それだけを言うと、岸波は先頭に立ち、主機を一杯にして撤退を始める。
浦風と谷風は唇を噛みながらも、浜風を担ぎ、岸波を追いかけて行った。
最後に磯風が青ざめた顔のまま、追いかけていく。
背後で派手な爆発音が何回も響き渡ったが、岸波達は一度も振り返らなかった。
絶対に………沖波の事は見ずに………逃げ帰った。
――――――――――――――――――――
リンガ泊地では、船渠(ドック)入りを終えた艦娘達が、信じられない顔をして待っていた。
岸波から無線を通じて伝わってきた内容が、提督やあきつ丸を通して、全て広まっていたからだ。
最初は、何かの冗談かと思った。
岸波が、第三十一駆逐隊の仲間で最も慕う姉である沖波を、捨て艦として利用して逃げ帰ったなんて、誰も想像できないからだ。
だが………報告通りに、5人の艦娘が帰って来た事で、最悪の報告が事実である事になる。
それでも、艦娘達は問わずにはいられない。
「ね、ねえ!?沖波は!?」
「置いてきたって、嘘よね!?」
「そんな………、ねえ、岸波………!?」
「岸波さん!沖波さんは今………!?」
「正しい報告をして欲しいであります!?」
その全ての質問に答えず、岸波は陸に上がると、後ろの第十七駆逐隊の面々に、浜風を船渠(ドック)に向かわせるように指示を出す。
億劫そうに淡々と指示を出す様子に、皆が絶望感を覚える。
岸波がやった事は、事実なのだと。
それでも………。
バキッ!!
「何やってんだよ!岸波ぃっ!!」
事実を受け入れられずに、いきなり岸波の顎に、思いっきり拳を叩き込んだ存在がいた。
第三十一駆逐隊の仲間である朝霜だ。
彼女は怒りの形相で拳を振るわせており、更に殴り掛かろうとした為、後ろから長波に羽交い絞めにされて止められていた。
それでも、手足をジタバタさせながら叫ぶ。
「お前にとって、沖波はそんな存在だったのかよ!?捨て艦で犠牲にしてしまうだけの存在だったのかよ!?姉のような艦娘じゃなかったのかよぉっ!!」
「……………。」
「落ち着け、朝霜!旗艦の苦しみが分からないヤツが、状況も理解できずに非難を………っ!?」
だが、そこで長波と朝霜が、まとめてぶっ飛ばされる。
岸波が急に起き上がり、反撃の拳を思いっきり朝霜の顔面に叩き込んだのだ。
朝霜は、思わず凝視してしまった。
悪鬼のような顔をしながら、大粒の涙を流している岸波の姿を。
「ええ、そうよ………!」
握りしめた爪の力で掌から血が出る程、拳を握りしめた岸波は、咆哮する。
「私は沖波を、捨て艦として使い捨てにした最低最悪の「姉殺し」の艦娘よっ!!所詮、私にとって第三十一駆逐隊は、その程度の存在でしかなかったのよ、朝霜ぉっ!!」
「こんの………大馬鹿がーーーっ!!」
あまりの2人の威圧感に、誰も止められる者はいなかった。
岸波と朝霜は、派手に取っ組み合いをして、もめにもめて、こじれまくって、絶縁する程にまでなった。
沖波に関しては、葛城達が慌てて助太刀に行ってくれたが、現場に駆け付けた彼女達が持って帰って来たのは………沖波のもがれた左腕だけであった。
(沖姉は………私の事をどれだけ恨んだのだろう………。)
たった1人で戦い、どれだけの絶望を味わい、どれだけの恨みを持って沈んでいったのだろうか。
(何が旗艦よ………。何が陽炎先輩みたいになる………よ。)
自分の実力も知らずに夢ばかり追い求めて、最終的に知ってしまった現実は、岸波から全てを奪った。
夢も自信も家族も信頼も己の意志も全て………。
(もう………どうでもいいわ………。)
これが、後に「怠惰艦」と呼ばれ、忌み嫌われるようになる岸波のトラウマであった。
彼女は………旗艦として振る舞う事等、もう一生無いと思った。
だが………今………。
――――――――――――――――――――
『……………。』
夜が更け、呉の工廠(こうしょう)の音もまばらになって来た中、全てを話し終えた岸波は、深く溜息を付く。
仲間達は皆、只、静かに黙っていた。
それを確認した後で、岸波は静かに頭を下げる。
「ごめんなさいね。第二十六駆逐隊の嚮導艦が………姉のように慕っていた艦娘を、捨て艦として使った………「姉殺し」で。」
「岸波………。」
覚悟して言ったとはいえ、ドス黒い物を吐き出してしまった………そう思った岸波は、仲間達を直視出来なかった。
きっと、みんな失望しているだろうと思ったからだ。
だが、最初に飛び出した言葉は意外な物だった。
「成程ねぇ。岸波の過去はよーく分かったよ。………でも、それがどうしたの?」
「え!?」
驚いた岸波は、思わず顔を上げる。
発言者は望月であった。
彼女は眼鏡のフレームを上げ直すと、岸波の目を見て喋る。
「岸波は、誰かに断罪して欲しいの?それとも逆に許して欲しいの?悪いけど、それはここにいる誰にも出来はしないよ?」
「わ、私は………。」
「ついでに言えば、その権利は朝霜や長波にも無い。リンガのみんなにも無い。出来るのは只、1人………岸波が命令した、沖波だけじゃないの?」
「で、でも沖姉は………!?」
「そう、この世にいない。………だから、あたしは過去話を聞いた上で、これだけを宣言するよ。第二十六駆逐隊補佐として、「今の岸波」に付いていく。」
「!?」
いつものダウナーのような雰囲気が信じられない位に力強く喋る望月の姿を見て、岸波はたじろぐ。
この過去話を聞いて、自分の意見を全く変えない仲間がいるとは思わなかったからだ。
「わ、私は………捨て艦を使ったのよ!?」
「つまり、あたしも捨て艦として使うかもしれないって脅してるわけだ。………上等。岸波がいなければ、あたしは生きていないからね。」
「え、ええ………!?」
それだけを言うと、自分の意志を示すように望月は前に進み出て、岸波の両手を強引に包み込むように掴む。
すると、その上から両手が被せられる。
山風であった。
「あたしは死ぬのは嫌だけど………、望月と同じで、岸波に救われた命だから………。」
「そ、そんなのでいいの!?また、私は………!?」
「逆に安心かな………。岸波はもう、絶対に捨て艦は使わないって意志が………伝わるから。」
「何処にそんな保障が!?」
「朝潮に「繰り返させない」と誓った所。提督の命令にも逆らった姿は、信頼できる………。」
ずるい考えだけれどね………と少しだけ舌を出して笑うと望月と一緒に横を振り向く。
次に重ねられた手は薄雲であった。
「岸波さんは、私の我儘を許してくれたよね。出会ってなかったら、私は艦娘としての一歩を踏み出せていなかった。」
「アレは………元々は、ぼの先輩が………。」
「曙ちゃんも感謝してたよ?岸波さんは、元々お人好しで素敵な艦娘なんだから、薄雲は一緒に居たいかな。例え、それで最期を迎える事になったとしても。」
「………貴女達、おかしいわよ?」
「だとしたら、岸波さんの嚮導のせいだよ?ね、朧さん。」
更に朧の手が重ねられる。
彼女は力強く言う。
「アタシは救われたとか、そういうレベルじゃない恩恵を岸波ちゃんに貰ったよ。」
「成り行きでしょ………?」
「運命だと信じたいかな。岸波ちゃん達と歩もうと思えたからこそ………大切な物を失わずに済んだんだし。」
「朧………。」
「咎人だって言うならばアタシも同じだから、悩んだら気軽に聞いて甘えてよ。………朧にも恩返しをさせて。」
母親らしい笑みを見せる朧の横から初霜が手を入れて来る。
身長が低めだったので、若干重ねにくそうだったが、何とか乗った。
「私が最初に岸波さんと出撃した時は、衝撃的な事をしましたよね?」
「えっと………舞風を庇って腕を折って、無理やり骨を繋ぎ直した事?」
「アレだけの強い意志を持っている岸波さんが、次に見た時には仲間を沢山増やしていました。貴女は、やはり旗艦の資質があるのでは無いのでしょうか?」
「それは………考え過ぎよ。」
「では、そんな貴女を最初から見てくれていた人に聞いてみるのが一番ですね。」
最後に、初霜の反対側から舞風が手を一番上に重ねる。
彼女は満面の笑みを見せると労わるように言う。
「ありがとう、岸波。やっと、私達に全てを話してくれて。」
「………聞いていて、気持ちのいい話じゃないでしょ?」
「始めに言ったよ?第二十六駆逐隊が、本当の意味で結束するには必要だって。」
「でも………。」
「心の内をさらしてくれただけでも、嬉しいかな。岸波は自覚してないかもしれないけれど、私にとっては、それだけ知る事が出来るまで長かったんだから。」
「みんな、本当に………本当にこんなのが嚮導艦でいいの………?」
岸波の辛そうな言葉に、一番付き合いの長い舞風が、また代表して答えた。
「覚悟はしていたって言ったじゃん。………後は、岸波が私達に対して、覚悟を決められるかどうかだよ。私達6人を、信じる覚悟。」
「信じる………覚悟?」
「岸波が、あの時失ってしまって、今一番必要な覚悟。………出来る?」
「……………。」
望月、山風、薄雲、朧、初霜、そして舞風。
こんなに温かく力強い手に包まれた自分は、幸せ者だと岸波は感じてしまった。
沖波は多分、こんな自分を許しはしないだろう。
だが………、それも含めて、岸波は覚悟を決めるべきなのかもしれないと感じた。
この6人の命を、担いでいく覚悟を。
いや………今度こそ、この7人で助け合っていく覚悟を。
「繰り返しになるけれど言うわね。私のやった事は決して許されない。それでも、私は………やっぱり、前に歩んでいきたい。多分、みんなに出会って、私は変われているから………これからも、もっと変わっていきたい。」
『……………。』
静かに岸波の目を見てくれた、仲間達の顔を見渡すと、彼女は決意と共に話す。
自分の覚悟を………望みを。
「だから………お願い!第二十六駆逐隊の一員として、改めて力を貸して!」
その言葉を受けて、仲間達は皆、笑みを見せてそれぞれハッキリと答える。
「モチ!」
「うん………!」
「勿論!」
「OK!」
「はい!」
「行こう、岸波!」
言葉はバラバラでありながらも、各々の最高の返事をしてくれた第二十六駆逐隊の面々の対応を受けて、岸波はやっと笑みを浮かべる。
「………本当にありがとう、みんな!」
過去を知り、今をどう生きるか決め、未来への意志を示し、新たに絆を深めた7人は、力強く重ねた手を、星空の輝く夜空へと掲げた。
これが、岸波にとってのリスタートになる事を願って。