意識が彼方に飛んだ艦娘達は、雲の中を高速で飛んでいるような感覚を抱く。
しばらく飛行していたその目は、やがて霧の中へと降下し、海上で1人と1隻が相対している所を映し出す。
深海棲艦側は、強力な砲塔を駆使して、獲物を舌なめずりする南方棲戦姫だ。
そして………もう片側は………。
「参った………なぁ………。」
(!?)
ダイレクトに流れ込んでくる声と感情を受けて、岸波を始めとした艦娘達は驚きを抱く。
ずり落ちそうな眼鏡を掛けて、荒い息を吐きながら単艦で姫クラスを見上げているのは、沖波であった。
他に仲間はいない。
武装は爆雷も魚雷も無くなっており、右手の連装砲だけだ。
それに加えて所々傷だらけで、左腕に至っては、制服が破けておびただしい血が流れており、指先はもう動かなくなっていた。
「あはは………感覚、もう無いわね………。船渠(ドック)入りしても………治るかしら?」
(この状況は………。)
使い物にならなくなった左腕を、だらんと下げて苦笑いを浮かべる艦娘を見て、岸波達は悟る。
沖波は、浜風達を助ける為とはいえ、岸波に捨て艦扱いされた後、たった1人で戦い、こうして自分の身を犠牲にしてでも足止めをしていたのだ。
(沖姉………あんな滅茶苦茶な命令をわざわざ………っ!)
その健気な姿を見て、岸波を始め、リンガの艦娘達は悔恨を抱く。
そして、その姿は、敵深海棲艦にも何か思わせたのだろうか?
最初こそ舌なめずりをしていた南方棲戦姫は、やがて真顔になり、沖波に問いて来る。
「哀レダナ。」
「そうかしら………?」
「深海棲艦ノ私ガ言ウノダカラ、哀レダ。味方ガ逃ゲル為ニ「捨テ艦」ニサレテ、ボロボロニナッテモ、誰モ助ケニ来ナイ。哀レ以外ノ何ダト言ウ?」
「そうかも………ね。」
(……………。)
艦娘達は、初めて南方棲戦姫の言葉に賛同してしまった。
岸波が………いや、岸波達リンガの艦娘達が彼女にした仕打ちは酷過ぎる物だ。
それを本気で哀れに思った姫クラスは、感傷的になって沖波に問いかけて来た。
「………コチラ側ニ来ナイカ?」
「え………?」
「沖波、コッチニ来テ、艦娘ニ復讐ヲシナイカ?」
(!?)
本気で心配している敵艦の言葉を受け、岸波達に電気が走る。
南方棲戦姫は、沖波を深海棲艦に引き込もうとしている。
萩風………駆逐水鬼の時に、岸波が1つの可能性として恐怖をした選択肢を。
それに対し、沖波は奇妙な顔で聞いてくる。
「私が………復讐を?」
「痛イノダロウ?腕ガ………身体ガ………心ガ………。」
「………嘘じゃないかも。」
「全テハ、岸波ヲ始メトシタ艦娘ノ仕業ダ。コチラニ来レバ、身体モ治ルシ、心モ楽ニナル。」
「……………。」
「コッチニ来イ、沖波。オ前ハ、艦娘ヲ呪ウ権利ガアル深海棲艦ダ。私ト共ニ………。」
「あ、あの………!」
本気で心配しているのだろう。
様々な誘い文句で勧誘しようと敵艦の言葉が飛んで来る。
しかし、沖波はそれを遮ると言う。
「沖波………?」
「あのね………ありがとう。でもね、その言葉には応えられないの。」
「何故ダ?」
「……………。」
怪訝な顔をする南方棲戦姫に対し、沖波は静かに目を伏せると顔を上げて言葉を紡ぎ始める。
「まずね………リンガの提督は、武骨だけどしっかり者で私達の事を考えてくれるんだ。」
「何?」
「それでね………あきつ丸さんは、秘書艦で事務仕事をテキパキとこなして………夕雲姉さんは、大人っぽくて落ち着いていて………葛城さんは、度胸があって私にとっては頼りがいがあって………白雪さんは、ヘビの肉を使ったカレーがとっても美味しくて………弥生さんは、小さな身体なのに闘争心が豊富で私の先生なんだ。」
(沖姉………?)
急に笑みを浮かべながらリンガの艦娘達の良い所を話し始める沖波に対し、岸波達は唖然としており、南方棲戦姫はジッとその顔を見ている。
「磯風さんは、勇ましいのに私を褒めてくれるし………浦風さんは、母性があってみんなを包み込んでくれるし………浜風さんは、みんなの事を良く見ていて緊張をほぐしてくれるし………谷風さんは、盛り立て役のムードメーカーなんだよ。」
「ソレガ………ドウシタ?」
南方棲戦姫は苛立ち始めるが、笑顔で話す沖波の口調は変わらず優しい。
彼女は、一旦息を吸うと最後に取っておいた3人に付いて喋る。
「そして、第三十一駆逐隊。長波姉さんは、お姉さんとして強いし、私達の事を一歩下がって見てくれる良さがある………朝ちゃんは、カッコいいエースで、どんな時でも前向きで勇気をくれるよ!」
「ダカラ、ドウシタ!?」
「最後に岸ちゃんは………!第三十一駆逐隊の尤も頼れる旗艦!常に最善を考えて、大切な仲間を守る為に何をすればいいのか、ちゃんと判断してくれる!悩む事も多いけれど、夢に向かって真っすぐ歩いてくれるんだよ!」
「正気カ!?オ前ヲ捨テタ外道ダゾ!?」
「……………。」
沖波による、リンガの艦娘達の自慢話を聞かされ、思わず海面を砲塔ユニットで叩いた敵艦は、怒りに満ちた顔で叫ぶ。
もしかしたら、深海棲艦は深海棲艦なりに、彼女を正気に戻そうとしてくれているのかもしれなかった。
だが、そこで沖波は、もう一度目を伏せ俯くと、真剣な顔で姫クラスを見ながら言った。
「だから………貴女には悪いけど、私の「家族」を侮辱するのは許さない。」
(沖………姉………!?)
もしも岸波達がその場にいたら、泣き崩れていたかもしれない。
沖波は右手の連装砲を、南方棲戦姫に向けた。
「敢えて貴女の言葉を使わせて貰うよ。「ここから先は通さない」。泊地をやらせはしないし、家族のみんなに手出しもさせない。」
「ソレガ………オ前ノ馬鹿ゲタ答エカ!」
敵艦は両腕の砲塔から、羽虫の攻撃機を3匹ずつ6匹出して飛ばす。
「駆逐艦如キデ、何ガ出来ル!?頭ノネジガ狂ッタママ沈メ!」
攻撃機が爆撃を始めると共に、沖波は、主機を機関一杯にして、最大まで加速して攻撃を躱す。
南方棲戦姫は、続いて魚雷を左腕の砲塔ユニットで叩き飛ばして来る。
「沈む前に撃てば!」
沖波は、魚雷が海面から見えなくなる前に連装砲を連射して、正面から襲ってきた物を起爆させる。
派手に波が立つ中、姫クラスは仕上げに両腕の砲塔ユニットから、有りっ丈の紅蓮の砲弾を放つ。
魚雷が爆発した時の水柱で視界が封じられた沖波に、回避する手段は無い。
いや、最初から回避するつもりは無かった。
「左腕は………あげるよ!!」
右手の連装砲を防御に使うと、壊れる可能性が高かった為、それは考えなかった。
彼女は、もう動かなくなった左腕を眼前に掲げ、より主機を加速させる。
紅蓮の弾丸は、沖波の左肩を吹き飛ばし、左腕を明後日の方向に持って行った。
他にも脇腹や太ももを掠って更に血が噴き出す。
だが、艤装が奇跡的に生きてくれたので、彼女は止まらなかった。
「チィッ!?運ノイイ奴メ!?」
南方棲戦姫は、後ろに下がりながら、もう一度両腕の砲塔ユニットを沖波に向ける。
紅蓮の砲弾を、今度こそ急所に喰らわせて、終わらせようとしたのだ。
「一発だけでも………いいからぁっ!!」
「終ワレ!哀レナ駆逐艦!!」
至近距離まで接近して、右腕の連装砲を振りかざす沖波と、砲塔ユニットで迎撃を狙う南方棲戦姫。
次の瞬間、肉薄する距離で砲撃が飛び交った。
(沖姉ーーーっ!?)
全ての一部始終を見ていた岸波達は絶叫する。
沖波は砲弾によって腹を貫かれ、背負っていた艤装が大爆発を起こしたのだ。
だが、姫クラスは………。
「アガァアアアアアアアアアッ!?」
左の肩口に連装砲を受け、血が噴き出していた。
これでは、重い左腕は持ち上がらず、海戦能力は半減するだろう。
「貴様、貴様、貴様ーーーッ!?最初カラ、コレヲーーーッ!?」
「こ………れで………泊地………行けない………ね。良………かった………。」
口から大量の血を吐きながらも、満足した表情の沖波は、痛みに暴れる敵艦の右腕に突き飛ばされて、仰向けに倒れて沈んでいく。
そのまま轟沈していく艦娘の声が、何故か岸波達に聞こえて来た。
(良かった………。私でも………みんなの役に立つ事が出来て。リンガや………第三十一駆逐隊のみんなを………守れて………。ああ、でも………もしも、願いが叶うならば………。)
その沖波の感情を聞き取った瞬間、壮絶な光景を目の当たりにした艦娘達の意識が、また彼方へと飛んでいく。
雲の間を突き抜けて空へと飛びあがった岸波達は、雲海の上に備わった、光の粒子で出来た円形のサークルの上に立っていた。
丁度岸波を中心に、海戦で戦っている艦娘達がまばらに散っている形だ。
「こ………こは………。」
膝立ちになりながら、涙を流していた岸波は、空から光が舞い降りて来るのを見る。
それは人の姿を成し、やがて、岸波の前に立つ。
大人しそうな外見をした眼鏡の艦娘は………。
「沖………姉………!?」
「良かった!ちゃんと岸ちゃんと会話できてる!海の神様に感謝だね!………本当は長波姉さんや朝ちゃんとも会話をしたかったけれど、1人しかダメだって言われたから………。」
岸波を含め、誰もが見間違えるはずがない。
それは、先程まで海戦で死闘を繰り広げていた沖波であった。
だが、その失われたはずの左腕は付いており、身体は少し光っていた。
幻想的な姿ではあるが、逆に艦娘達は、もう沖波が存命していないという事を実感させられる。
「なん………で………。」
「ん?」
「何で………私と会話をするって決めたの………?朝ちゃんとかの方が………!」
涙が止まらない岸波に対して、沖波はちょっと困ったような表情を浮かべると、少しずつ言葉を話していく。
「岸ちゃん………気にしているかなって思って。」
「気にしてるって、沖姉を捨て艦にした事?………当然よ!私のせいで………私のせいで、沖姉はあんな痛みと苦しみを!!」
「わ!?落ち着いて、岸ちゃん!そんな床?を拳で叩いたらケガしちゃうよ?それに、ここに来たのは、私の話を聞いて欲しいって思ったから………。」
サークルの上に何度も拳を叩きつけて、肩を震わせて泣く岸波の姿を見て、沖波は慌てて支える。
そして、ゆっくりと立ち上がらせると、彼女は笑顔を向けた。
「まず、岸ちゃん………強くなったね。」
「強く………?私は………。」
「強くなったよ。第二十六駆逐隊の嚮導艦になって、こんな立派になったんだから。」
「……………。」
岸波は、沖波の顔を見る事が出来ない。
彼女の優しい姉としての目を、見る事が出来ない。
どうしても、自分のやらかした事が頭によぎる。
「やっぱり、強く無いわ………。私は………。」
「そんな岸ちゃんだからこそ、伝えたい言葉があるんだ。」
「呪いの言葉でも怨嗟の言葉でも、何でも言って!」
「………じゃあ、遠慮なく言うね。」
思わず叫んでしまった岸波に対して、沖波は少しだけ真面目な顔をすると、ハッキリと告げた。
「私は、貴女を許します。」
「え………?」
第二十六駆逐隊を始めとした艦娘達の目が見開かれる。
岸波も思わず、沖波を見てしまった。
彼女は、やっと目が合ったと笑みを浮かべながら告げる。
「岸ちゃんを、許すって言ったんだよ?」
「なん………で?」
「岸ちゃんが、私を捨て艦にした事、ずっと気にしているから。でも、半分は私自身の意志だったし、そもそも恨んでないからね。」
「……………。」
「だから、もう囚われなくていいんだよ?私の存在に。私に出した命令に。岸ちゃんは、岸ちゃんらしく………。」
「嘘よっ!!」
岸波は思わず大声で叫んだ。
頭を押さえ、再びうずくまってしまう。
「これは夢よ!私の抱いた都合の良い夢よ!許されるはずのない夢なんだわ!!」
折角の許しの言葉を………岸波自身は受け入れられなかった。
ここで岸波は、初めてハッキリと自覚してしまう。
沖波の存在は、関係無かったと。
自身が怠惰艦になり、駆逐隊結成に消極的になり、憧れの陽炎のような存在になる事が許されないと思ったのは、沖波が岸波を許していなかったからではない。
岸波自身が、岸波を許すことが出来なかったからなのだと。
「私は………最低最悪な艦娘よ!長月先輩が言っていた!沖姉を………言い訳に使って、沖姉が許してくれないからって、勝手に決めつけてごまかしていた!私は………本当は………!」
魚雷を受けて派手に沈みたいと、本気で岸波は思った。
だが、膝立ちになり、岸波と同じ目線に立った沖波は、本当に軽くその頬を叩くと彼女に告げた。
「誰だって、罪からは逃げたいんだよ?だから、岸ちゃんが逃げたいのは、本当に仕方ない事。でも、そうだね………もしも、今の私が信じられないのならば………身近で信じられる事を思い出そう?」
「え………?」
大粒の涙を流す岸波は、沖波の言葉に思わず顔を上げた。