「浜風ちゃん、イ級が1隻行きましたよ!」
「はい………!」
北の泊地特有の寒さが身に染みる海上で、浜風は抜錨していた。
右手に連装砲を、左手に機銃を持っていた彼女は、こちらに向かってくる小さな深海棲艦に向ける。
敵艦は中破をしており、魚雷を撃つ力は残っていない。
後、もう少しで互いの砲門の適正距離に入る。
(仕留めなければ………!)
生き残る為には、確実に撃沈しなければならない。
だが、幸いにも、浜風はそれだけの練度を十分備えている艦娘だ。
近づいた所で、撃てばいい。
いつも、頭を使わなくてもいいくらい、繰り返して来た単純作業。
ところが………そこで敵艦が適正距離を誤って、ヤケクソで撃ってくる。
(!?)
口から放たれた砲弾は、遥か手前で着弾して水柱を立てる。
何の変哲もない、海戦の上では愚行とも言える行為。
しかし………「今の浜風」にとっては、ボディブローのように一番効いてしまう行為であった。
「あ………ああ………!?」
砲弾が着弾した途端、彼女の脳裏に、「あの時」の記憶が思い起こされる。
その瞬間、北方の海は、南方の霧の中の海に書き換えられ、紅蓮の砲弾が自身を呑み込み、爆発する映像が何度も流れる。
「違う………違う!アレは南方棲戦姫じゃない!只の駆逐艦よ!!」
首を振って苦い記憶を吹き飛ばそうとするが、トラウマは連鎖していき、自身の周りに多数の紅蓮の砲弾の幻が降り注がれる。
そう思った瞬間、夾叉弾に縛り付けられるかのように、恐怖が巻き起こり、浜風から冷静な判断能力を奪っていく。
「浜風ちゃん、適正距離!撃って!」
「うあっ!?」
浜風は見た。
前方から再び主砲を撃とうと口を開いた駆逐艦が、舌なめずりをする姫クラスの………南方棲戦姫の幻に置き換わるのを。
浜風は見えてしまった。
目の前にもげた左腕が………自分を逃がすために捨て艦という道を選んだ、沖波の左腕が無残に転がるのを。
「わ、私は………嫌ぁああああああ!?」
感情が滅茶苦茶になった浜風は、戦意を喪失し、後ろを向いて逃げ出す。
イ級にとっては背中が隙だらけであったが、横から砲弾が素早く飛んできて、爆発させられる。
不思議な透明感のある、青髪のロングヘアの艦娘が、素早く砲撃をしたのだ。
彼女は敵艦が全滅したのを確認すると、海面に手を付き胃液を吐き出している浜風の元に向かっていって、状態を確認する。
「大丈夫、浜風ちゃん?」
「う………うあああぁ………。」
PTSDによる恐怖と、自身の情けなさに思わず涙する浜風を労わりながら、その艦娘は電探で通信を送る。
「高雄さん、こちら五月雨です。浜風ちゃんは………今日もダメでした。」
「そう………やっぱり、中々上手くいかないわね………。とにかく、お疲れ様。提督から話があるから、彼女を連れて帰投してきて。」
「はい。………浜風ちゃん、行こう。」
そう言うと通信を送った艦娘………五月雨は、浜風を担ぐようにしながら帰投していく。
北方に出来た泊地………単冠湾泊地に………。
――――――――――――――――――――
磯風達は、途中の大湊までは、船の定期便を使って行く事を横須賀の提督に許可された。
というのも丁度、秋刀魚漁に行く艦娘達が、この船を使っていた為、ついでに同乗させて貰えたからだ。
秋刀魚漁に行くのは、曙・ヴェールヌイ・村雨・大潮の4人。
彼女達は、大湊で潮や阿賀野、神鷹等の艦娘達を誘って、秋刀魚漁を行う漁船の護衛をする代わりに、自身も釣りを堪能しようという契約を毎年結んでいる。
もしも、岸波が呉の明石に弟子入りをしていなければ、釣り好きの彼女も連れていく計画を立てていたらしい。
そんな10人の艦娘が集う漁船に揺られながら、磯風は船室で何度も溜息と付いていた。
「はぁ………。」
「何よ、いきなり辛気臭い顔しちゃって。アンタ、姉妹艦に会いに行くっていうのに、それは無いでしょ?」
「すまない………。」
同じ船室で、ライフジャケットを着て、釣り竿の手入れをしていた曙に言われ、磯風は謝りながらも、また溜息を付く。
その様子を見て、曙も嘆息してしまう。
「変な癖、伝染させないでよね。………浜風の件、そんなに気にしてるの?」
「気にしない方が、おかしいだろう。まさか、あの時の後遺症で、重度のPTSDに掛かっていたなんて、予想していなかったからな………。」
思えば、南方棲戦姫の砲撃が直撃した時点で、察するべきだったのかもしれない。
その後、彼女を逃がすために沖波を捨て艦にしてしまい、岸波を中心にトラウマを残してしまった事も。
そして、何より………その沖波が遺したのが、もげた左腕だけであった事も。
「トラウマを残すだけの素材は、沢山あった。だけど、それに気付けなかった時点で………。」
「自分を責めるのは否定しないけど、過去は変わらないわよ?あたしも、先輩達が轟沈した件で、似たような症状に陥っていたから分かるけど、結局の所は、今を変えるしかないんだから。」
「そうだな………。」
このままではいけないと思い、話題を切り替えようとした磯風は、春風を見る。
横須賀の提督達の配慮のお陰で、本来の落ち着きを戻す事が出来た彼女は、お茶を丁寧な佇まいで、電達に配っていた。
「春風。姉妹達の異常事態というのは、どういう物なのだ?」
「そうですね………上手く説明しにくいのですが、神風御姉様も、朝風さんも、松風さんも、旗風さんも、昏倒してしまっているのです。悪夢を見ているのか、かなり苦しそうに呻いていて………。」
「………その原因は分かるか?」
「詳細は、分からないのです。昏倒する直前に、単冠湾泊地から抜錨していたのですが………4人共小破して戻って来た数日後に、次々と倒れてしまって………。」
「その時春風は?」
「わたくしは、船渠(ドック)入りしていたので、抜錨していなかったのです。」
「成程………。」
今の話を整理すると、春風以外の4人が抜錨して海戦をした時に、何かが起こったという事だ。
………とすると、戦った深海棲艦が関わっているのかもしれない。
「何か手立てがあれば、いいのだが………。」
「あると思いますよ?」
「何?」
意外にも腕を組んで考え込む磯風に対し、電が応えた。
彼女は、春風に入れて貰ったお茶を飲みながら、静かに答えていく。
「その根拠は何処にあるんだ?」
「電達みんなで、単冠湾泊地に赴いている事が根拠なのです。何の考えも無しに、向こうの司令官さんは、横須賀から艦隊を要請しません。無駄足になってしまいますからね。」
「つまり………討伐すべき対象が分かっているという事か。でも、それなら、真っ先に春風に伝えていれば、暴走も無かったはずなのだが………。」
磯風は頭を捻る。
何というか提督含め、単冠湾泊地の環境が、どうなっているのか分からない。
その考えを察したのか、春風が再び磯風に告げて来る。
「あの、磯風さん。誤解の無いように言いますけれど、わたくし、あの泊地の司令官様を、信頼していないわけでは無いのですよ?」
「ん?黙って出て行ったのにか?」
「それは、その………単冠湾泊地が司令官様だけの意志だけで、運営できる場所では無いので………。」
急に口ごもる春風に、磯風は益々分からなくなってしまう。
提督の意志だけで運営出来ないという事は、その上の存在が干渉して来ているという事だろうか?
クエスチョンマークを浮かべまくる磯風の姿を見て、曙が少しだけ笑って言う。
「ま………実際に会ってみて、聞いてみるのが一番よ。百聞は一見に如かずって言うでしょ?」
「分かった。そうする事にしよう。」
ここで悩んでいても仕方ないと思った磯風は、姉妹艦の居る泊地へと少しでも万全の状態で赴けるように、艤装の準備をし始めた。
――――――――――――――――――――
曙達とは大湊で別れる事になり、そこからは自力で航行して北上していく。
複縦陣を取った磯風達は、左手前から漣・早霜、磯風・電、春風・夏雲の順番で並んでいる。
その中で、後方の春風が電探で聞いてきた。
「あの………横須賀から気になっているのですが、何故、わたくしの艤装には、ドラム缶が2つ付いているのですか?」
「夏雲が、修理をする為の用具が入っている。もしもの時に、彼女が応急処置を施してくれるから、大切にしてくれ。」
峯雲がいないため、誰かが夏雲の修理用具と補給用具が入っているドラム缶を持たないといけなかった。
それで悩んだ挙句、神風型の凹型フレームに括りつけるのが一番だという結論になったのだ。
括りつける為の錨付きの鎖は、秋刀魚漁に赴く村雨から、予備を2つ借りて対処している。
「雷が酷いな………。」
天候は暗雲。
雷雨が鳴っており、余り宜しくない。
これが訓練ならば、最高の天気だが、実戦だと潜水艦等が見えにくい為、非常に危険だ。
その為、常に電探だけでなく、ソナーも起動しながら、敵艦の動向を探っていた。
「そう言えば磯風ちゃん。」
「どうした、漣?」
「単縦陣が使えないのは、事実なの?」
「………ああ。」
磯風は素直に答える。
旗艦でありながら、一番攻撃力の高い単縦陣が使えないのは、致命的ではあった。
しかし、彼女もまた過去のトラウマに悩まされているのだ。
自身の不用意な具申によって、沖波の命を奪い、岸波や浜風に傷を残した事に………。
「他の艦隊との共同訓練でやってみようとするのだが、どうしても口から言葉が出ない。恐怖と悔恨に駆られ、代わりに胃の中の物をぶちまける事もある。………私は、まだ弱い艦娘だ。」
「うーん、陣形に制限があるのは確かに致命的だよね。旗艦を電ちゃんとかに交代したら?」
嫌味とかそうではなく、漣は真面目に言ってきている。
仲間の命を預かる以上、もしも命取りになったら後悔してもしきれない。
しかし、そこで電が言ってきた。
「漣ちゃん。気持ちは分かるのですが、第二十五駆逐隊の旗艦は磯風ちゃんなのです。その場しのぎをしていては、いつまで経っても彼女は伸びないのです。」
「まぁねぇ、旗艦って色々と経験しないといけないからねー。でも本当にヤバい時は、交代も視野に入れといてよ?」
「分かった。………ん?迎えか?」
雷雨の中を、不思議な透明感のある、青髪のロングヘアの艦娘が航行してきた。
彼女は、笑みを浮かべながら手を大きく振ると、磯風達の艦隊の前で止まる。
「初めまして!白露型6番艦の五月雨です。宜しくね!」
「五月雨………君が初期艦の1人か。横須賀から出向してきた第二十五駆逐隊の旗艦、磯風だ。宜しく頼む。」
挨拶をした五月雨は反転すると、付いて来て………と言い、艦隊を単冠湾泊地へと導いてくれる。
磯風達は、彼女に従いながら航行して、やがて夜に到着した。
その頃には雷雨は晴れていたが、月の見え無い新月の夜であった。
「流石にこの季節になると、北方は肌寒いか。」
特有の寒風に、身を震わせながら上陸した磯風達は、建物を見て回る。
新設された泊地だからか、他と比べると建物が立派で、幾つも立っていた。
装備品保管庫に艤装を置いて、庁舎へと案内された磯風達は、執務室の前に立つ。
「提督、五月雨帰投しました。第二十五駆逐艦隊の方も一緒です。」
「あ、お疲れ様ー!入って来て!」
随分気さくな女の声が聞こえたので、磯風は違和感を覚える。
ここは女性提督が、管理をしているのだろうか?
そして、五月雨が扉を開ける。
「ん………?」
磯風は妙な光景を見る。
執務室には、机が置いて有り、横に青を基調とした服を着た、黒のボブヘアーに赤眼の女性が立っていた。
横須賀の愛宕と服が同じという事は、もしかして………。
「貴女は………高雄さんですか?」
「ええ。高雄型1番艦、重巡高雄よ。この単冠湾泊地の秘書艦をやっているの。………とりあえず、まずここの提督に挨拶をして。」
「はい、宜しく………。」
高雄から机の向こうに座っている提督に目を移した磯風は固まる。
狐色のセミロングの髪を、大きな白いリボンでツインテールにした少女が、不格好な提督の白い帽子を被りながら座っていたからだ。
その提督の正体は………。
「ヤッホー、磯風。久しぶりね。」
「………何をやっているんだ?陽炎?」
「何って………提督よ、提督!」
陽炎型ネームシップ陽炎。
あの第十四駆逐隊の嚮導艦を務め、数々の鎮守府で秘書艦を務めた艦娘が………何と提督として君臨していた。
第1部の岸波編で謎に包まれていた、残りの第十七駆逐隊の居所が明らかに。
そして、まさかの形での、岸波の憧れの陽炎の登場です。
全体的に、PTSDの厄介さを語る回になりました。
どんな勇猛な艦娘でも、ふとした事で戦えなくなる。
その可能性は、常に秘められてる………そう私は思っています。