『お兄ちゃん』
目覚めて聞いたガラテアの第一声がそれだった。
昨日まで眠ったままだった少女が目を覚ましてくれたことは嬉しいのだが、第一声から俺を困惑させてくるのは止めて欲しい所ではある。
「お兄ちゃんでは無いんだけどなぁ……」
『お兄ちゃん……?』
思わずお兄ちゃんであることを否定すると、ガラテアは不安そうな顔をしてこちらに問いかける様に聞いて来る。
俺の事をお兄ちゃんと呼ぶガラテア。
そして夢の中で俺の事をお兄ちゃん判定して来た本物のお兄ちゃん。
あれ? もうこの時点で外堀は無くなってるからもう自分が認めるだけで完全にお兄ちゃんという事になってしまうのではないだろうか?
「お兄ちゃんです。はい」
『お兄ちゃん!』
という事で、取り合えず俺は自分の事をガラテアのお兄ちゃんという事にしておいた。
ガラテアもなんか知らないけど嬉しそうだし、まあいいか。
その後しばらくガラテアは俺の周りで『お兄ちゃん、お兄ちゃん』と言いながらクルクル回っていたと思ったら、今度は寝る前に机の上に置いていたデュエルディスクの中へと入っていく。
「あれ? そう言えばガラテアのカードは何処に置いたっけ?」
ふとした疑問。
ユニコーンが俺に向かって『オルフェゴール・ガラテア』のカードを投げ渡してきた所まではしっかり覚えている。しかし、その後ユニコーンと綱引きしたり『
それでもガラテアは変わらずここに居る事を考えると、少なくとも依り代である『オルフェゴール・ガラテア』のカードはすぐ近くにある事は確かだ。
もしかしたら手癖でデッキに混ぜてしまったのかもしれないな。
「おーい! いつまで寝てるの!! 学校遅刻するわよ!」
「あ、やべ」
突然開けられた部屋のドア。
その前に立つ俺のオカンの声を聞いたらそんな考えも一瞬で吹き飛んでしまった。
寝間着から学校の制服へと最速で着替えた後、机に置いていたデュエルディスクを定位置である左腕に、デッキケースを腰に装着する。
部屋から一階のリビングへと移動し、オカンに改めて「おはよう」と挨拶をする。父ちゃんはいつも通り既に仕事へ行ってしまったようだ。
いつも通りの朝のルーティン。
オカンに「おはよう」と言い、顔を洗って、朝飯を食って、学校へと行く。
今までと何も変わらない、何気ない朝の一幕。
『お兄ちゃん?』
ああ、そうだ。こうして精霊が傍に居る時は朝のルーティンに加えて彼・彼女達の俺にしか聞こえない声を聞きながら朝を過ごすこともあるな。
さっき部屋で俺のデュエルディスクの中へと消えて行ったガラテアはVRAINSに出て来る自我のあるAI、イグニスがやっていた様にデュエルディスク上部に付いている液晶画面を兼ねたソリッドビジョン
……誰に教えてもらったんだか。ガラテアはこの場所が気に入ったのか、そのまま『お兄ちゃん』と声をかけて来る。
そうやって居られると、ガラテアが横にならない様に無意識のうちに腕を持ち上げてしまう。これは結構疲れるから自分で浮かぶなりして欲しい所だ。
「行ってきまーす」
その時、俺は真っすぐ学校へ向かったために見えて居なかった。
俺の後ろでは顔を引きつらせながら
☆
今日は何だか様子がおかしい。
そう感じたのはいつ頃だろうか。
登校中に前を歩いていた俺の知らない同級生が変な顔で俺の方へと振り返って来た時?
俺が教室に入った途端にクラスメイト全員が騒めいた時?
授業中に「……端末はマナーモードか電源をオフにするように」と普段はどの先生もしないような注意をして来た時?
よくつるむクラスの友人に「お前……どうした? 悩みでもあるのか? 話ならいくらでも聞くぞ?」と謎の憐みの表情と共に声をかけられた時?
いや、違う。
俺が異変に気が付いたのは放課後、部活動中に島に掛けられた一言が原因だった。
時は放課後。
場所はデュエル部部室。
周囲の様子が何だか妙な気がしなくもないと思いつつも気にし過ぎだろうという事で一人納得しながら部活動に励んでいた。
いつもなら俺の勝ち確ダイレクトアタックの瞬間に分かりやすい程悔しがる島なのだが、今日はそれも無く淡々とデュエルが終了した。
「なあ世良さぁ……お前って……あー、その……何だ?」
「いや、お前が何だよ」
いつも変だが今日の島はいつも以上に変だ。
ハッキリと物を言う所が良くも悪く島の特徴だというのに、さっきからやたらと歯切れが悪い。
「んん゛! お前ってさ! ……妹萌なの?」
「は?」
島は気合を入れ直すためか咳払いをした後、声を張り上げたかと思えば、結局最後の一言は俺の近くへと顔を近づけて耳打ちをして来た。
だが、俺は島が何を言っているのか分からない。いや、言っている意味は分かる。しかし、今、この瞬間、どうしてそんな話題になるのかが分からなかった。
「どうしていきなりそんな話になるんだ?」
「え? もしかして何とも思ってないのか? お前すげぇな……ナチュラルにそれなのかよ……」
「だから何が……」
「それ」
島はそう言うと、俺の左腕付けているデュエルディスクを指差してくる。
そこにはデュエルが終わり、カードを置くスペースが収納されて待機モードとなっている俺愛用のカード収納式旧型デュエルディスクがあるだけだ。
強いて違いがあるとすれば、何が楽しいのかガラテアが未だに上半身だけの状態で居る事だが……
『お兄ちゃん?』
「それ!! それそれそれそれ! それだよ!!!!」
「うわ、うっさ」
突然叫び出す島の奇行に驚く。
島は「それ」と何度も俺のデュエルディスクを指差して強調してくるが、そこにはガラテアが居るだけで……あれ? なんかおかしくないか?
「……なあ島」
「なんだよ」
「……もしかして……今の声聞こえてた?」
「そりゃ騒がしい工事現場とかなら兎も角、デュエルディスクのスピーカーから普通に聞こえるくらいの音量だから聞こえるに決まってるだろ」
「…………………………………………マジ?」
「マジ」
マ、マジで?
え、本当に?
それだとすると、知らない同級生が突然振り向いてきたのも、クラスメイトが騒めいたのも、先生が注意して来たのも、友人が変な目で見て来たのも、さっきは言わなかったけどいつもクールな財前さんの雰囲気がいつも以上に
「……」
「あー……世良よぉ。その……俺もデュエルディスクのサポートAIの音声を変えて遊ぶこともあるし……あんまり気にするなよ。まあ、サポートAIの3Dモデリングまでしてデュエルディスクのソリッドビジョンシステムで投影までさせちゃう熱意は少しどうかと思うけどな」
「は?」
ちょっと待て、島はガラテアの声だけでなく、姿まで見えているのか?
ソリッドビジョン? 一体島は何の話をしている? ガラテアはカードの精霊で、その姿を見ることが出来るのは精霊と親和性がある一部の人間だけで……。
「は? は? は? は? は?」
「いやこえーよ。お前、まさかそんなに無意識のうちに……引くわぁ……」
カードの精霊である『オルフェゴール・ガラテア』がデュエルディスクの機能を使って人間界に疑似的に実体化していた……?
「ち、違う! これはガラテアが勝手に!」
「名前まで付けてんのかよ……」
おあああああああああ。
このままじゃ何を言っても墓穴を掘ってしまう!
ていうか、何でガラテアはこんなことが出来るんだ!
精霊の中にはそのモンスターの特性と相性によっては人間界の物に限定的に干渉する事が出来るのは知っている。人間界にある俺のPCにメールを送って来たサイバース族のマスカレーナが正にそうだ。
確かにガラテアは機械族だから同じ機械のデュエルディスクとの相性は良さそうだし、イヴという一人の人間をひっそりと学習して形成されたガラテアの人格はAIとよく似た成り立ちをしているかもしれないけど……って、条件としてはもしかして結構揃ってるのか……?
い、いやでも……いくら精霊としての相性が良かったとしても、ガラテアの力だけでこんな事まで出来るとは到底……
その時、夢の中での光景が俺の脳裏を過る。
―なら少年、今から君もこの子のお兄ちゃんだ。
あ、あいつかああああああああああああ!!
妹狂いのあの男が施した何らかの一押しによってこんな事になってるんだ!
思い返してみれば、姿を消す時は自身のカードの中に入るような素振りを見せていた今まで付き合って来た精霊達とは違い、ガラテアはデッキがセットされている訳でも無いデュエルディスクの中へと入って行った。
さらによく思い返してみれば夢の中でもガラテアはデッキケースでは無く、デュエルディスクの中へ入っていった様だった。
なら、朝から見つからなかった『オルフェゴール・ガラテア』のカードは見つからなかったんじゃなくて、俺のデュエルディスクと一緒になっちまったって事!?
ガラテアのお兄ちゃんとして外堀を埋められる所か盛り土し過ぎてもはや城壁になろうとしているこの状況。
『……お兄ちゃん?』
「……はぁ……」
まあ、大変な事になった気がするが……純粋にこちらを心配している様な顔を向けて来るガラテアを見ると、許してしまえるのは俺がお兄ちゃんだからなのだろうか?
オカン「……妹が欲しかったのかしら……」