視界の全面をクラッキング・ドラゴンの炎が埋め尽くした時に聞こえて来たガラテアの声。そして突如感じた横からの衝撃によって突き飛ばされた所までは覚えている。
そうなると、今はアバターをクラッキング・ドラゴンに無理やり消去されて現実世界に引き戻されたのか?
「むぐぅ……」
あれ? 息が出来ない?
それに目を開けているはずなのに何も見えない?
必死に目を開けようとも前は見えず、どれだけ口を開けようとも肺に入って来る空気の量は微々たるもの。まるで顔全体に何かを押し付けられて圧力を加えられているかの様だ。
まさか……あの攻撃のフィードバックによる影響!?
ヤバイヤバイバイ……ハノイの騎士がヤベー奴らだとは思っていたが、こんなに重篤な影響を身体に及ぼすとは思っていなかった。舐めていたつもりはなかったがこんな事になるなんて……
「あいたたた~いきなり突っ込んで来て押し倒すとは……ラッセさんも大胆ですねぇ」
「んぐぐ……ん?」
窒息死しない様に少ない空気で何とか呼吸をしながらも聞こえて来た声は聞き覚えのあるものだ。
「もう! いつまでそうしてるんです……かっ!」
「おわ!」
ぐるりと身体がひっくり返されると同時に仰向けに倒れた状態になった俺の瞳には現実世界ともLINK VRAINSとも違う街並みの空が映し出されていた。一番決定的なのはビルに掲示されている広告に書かれた文字だろう。
「……精霊界?」
それはかつてマスカレーナによって連れてこられたサイバース精霊界の物だった。
「どうやら怪我も無いようですね」
「マスカレーナ?」
「はい! そうですよ~」
仰向けになったままの俺を覗き込むようにして見下ろしてきたのはペルレイノから人間界に帰って来てすぐに精霊界に戻って行ったマスカレーナだった。
「いやはや……ラッセさんを助けるために
「えっ、何それこわ……って、そうだガラテアは!」
あの一瞬で俺の事を突き飛ばして精霊界に飛び込ませたのはきっとガラテアだろう。
彼女の本質はカードの精霊だが、LINK VRAINSではしっかりデータとして存在しているため、クラッキング・ドラゴンによる攻撃は命に係わる可能性がある。
「彼女ならそちらに」
「ああ、良かった……そっちも無事だったか」
マスカレーナが指を差した方向に向き直ると、そこには出会った時と同じ大きさになっているガラテアと……
「『トロイメア・グリフォン』?」
そこにはガラテアによって頭を撫でられているトロイメアの魔物の一体、『トロイメア・グリフォン』がそこに居た。グリフォンは俺の事をちらりと見ると、その姿を紫色の結晶、紫宵のジャックナイツのコアへと変容させる。
ガラテアは紫宵のコアを両手で受け止めると、以前夢の中でユニコーンの元となった黄華のコアがガラテアの中に吸い込まれて行ったのと同じ様に紫宵のコアもまたガラテアに取り込まれて行った。
一体いつガラテアはグリフォンと出会っていたんだろうか。もしかして、俺から離れて何かを見に行っていたのは、そこにグリフォンが居たからだったりするのだろうか。
ていうか、ガラテアがド突いたにしてはやたらパワーがあった気がしたのは、グリフォンの仕業だったからか……。まあ、あいつのお陰で助かったから文句は言えないが、これは現実世界で目覚めたらフィードバックのせいでむち打ちみたいになってるかもしれないな……。
そんな事を考えていると、ガラテアはトコトコとこちらに歩いて来ると、俺の手を握る。
「お兄ちゃん、私、が、守る、よ」
「お、おう……あれ?」
いつもは「お兄ちゃん」の一言だけで意思疎通を図っていたガラテアが、片言とは言え、しっかりと文章で意思を伝えることが出来ている。
ガラテアの見た目の様子は今までと変わりない。しかし、何か原因があるとしたらやはり紫宵のコアをその身に宿した事だろうか。
それなら……
「おやおや? しばらくお会いしない内にラッセさんに妹ちゃんが!」
「ああ、これには色々と事情が……」
マスカレーナが茶々を入れてきたことによって俺の思考は中断される。彼女と別れてから起こった出来事を簡潔に伝えて今の状況を説明するも……
「なるほど~。そういう経緯でラッセさんに妹ちゃんが出来たという訳ですか」
「……もうそれでいいや」
精霊に関する事も全部話すことが出来る相手であるのに最終的な結論がこうなってしまうのだからもう俺はガラテアとの関係をこれ以上説明することは出来ないのかもしれない。
マスカレーナがガラテアに「お姉ちゃんですよ~」と、手をワキワキさせながらにじり寄るが、ガラテアは俺の後ろへサッと隠れてしまう。
そんなガラテアの行動にショックを受けているが、マスカレーナは気を取り直してこちらに話しかけてくる。
「あ、そうそう。ラッセさんに一つ謝らなければいけない事があったんでした」
「なんだ突然?」
マスカレーナはそう言うが、俺に心当たりは全くない。
マスカレーナと行動している時も、もちろんそれ以前やそれ以後だって彼女が謝らなければならないような事をされた覚えは全くなかった。
「いやー、実はですね……どうやら私がラッセさんに送ったメールがネットワークの管理者を自称する連中に捕捉されていたみたいでして」
「え……それって……」
「ハノイの騎士と名乗っていましたっけ? あの白いコスした変な人達」
「はぁ……そう言う事だったのか……」
『I:Pマスカレーナ』と言うサイバース族のカードを所持している事をハノイの騎士が察知した原因はマスカレーナのカードデータが添付されたメールをハノイの騎士が探知していたからと言う訳か。
「ごめんね!」
:P
「その顔は謝る気ないだろ」
「そもそも! ラッセさんのパソコンのセキュリティが貧弱すぎるのが原因なんですよ! すぐに気が付いた私が向こうからのアクセスを遮断していなかったら今頃あなたの個人情報からぐふふな趣味までマルっと全て筒抜けになっていたんですからね!」
「一般人は凄腕クラッカーに攻撃を受けることを考慮してパソコン使わないし……てか、なんてこと言うんだ」
謝って来たと思ったら今度はプンスカと言わんばかりに逆切れをするマスカレーナ。一般的なセキュリティソフトは使っているが、本気のクラッカーを相手にしてどうにかするのは無理だろう。
……ハノイの騎士側に俺の趣味まで全部バレるとか、嫌過ぎる……。
「と言う事は、奴らに俺の本名や住所までは知られていないのか」
「ふふん……ラッセさんは私に感謝してくださいね。サービスでその後に仕掛けられた攻撃も全部防いでおいたのでもう安心ですよ」
「それは普通に助かる」
ハッキングの知識を何も持たない俺にハノイの騎士による攻撃を防ぐ手段は無い。そこは素直にマスカレーナに感謝しなくてはならないだろう。
まあ、基本的にハノイの騎士はネットワーク世界でのみ活動をしている様子が伺える。それが奴らのプライドなのか、はたまた何らかの掟なのかは分からないが、現実世界で危害を加えられる可能性は低いだろうと考えている。
とは言え、知らない奴に個人情報を握られるのはいい気分ではない。
「まあ、それはいいか。マスカレーナが対処してくれたなら大丈夫だろう」
彼女の手助けもあり、これ以上の情報の流出の危険は取り合えず考えなくていい。
後は、無事に現実世界に帰ってしばらくLINK VRAINSにログインしなければ万事解決だ。
俺はマスカレーナに感謝と別れを告げ、以前ここに来た時と同じようにログアウトの処理を行おうとするが……。
「……あれ?」
「どうかしたんですか?」
「……ログアウト出来ない……」
「え? そんな事があるんですか?」
普通はあり得ない。
ネットワーク世界に閉じ込められる危険性と言うのはLINK VRAINSを運営するSOLテクノロジーもよく分かっており、ログアウトに関する確実性と安全性は常に気を遣っている部分だ。
だが、今はそれが出来ないでいる。単純なバグ、なんて事はあり得ない。となると、考えられるのは外的要因によるものという事。そして、そんな外的要因として一番可能性が高いのは……
「ハノイの騎士のジャミングか」
俺が精霊界に入るまでに対峙していたハノイの騎士が原因と考えるのが自然だろう。
「まさかハノイの騎士の妨害が精霊界にまで及ぶなんて……」
「精霊界とはいえ、このサイバース精霊界はLINK VRAINSと表裏一体ですからね。彼らのジャミングが一定範囲内に有効なものであるなら、今この場所でも有効なのは不思議では無いですね」
「そうか……」
なら、精霊界の中でハノイの騎士のジャミングの範囲外まで出て行けば良いだろう。しかし、そのジャミングのエリアがどこまで続いているのかも不明だ。
他にも、ハノイの騎士が自分から消えるまで精霊界に引きこもる事も考えたが、どうも俺達の世界と精霊界では時間の流れが違うらしく、ここでどれだけの時間を過ごせば良いのか見当もつかない。
最悪そう言った手段も取れるが、一体どうした物だろう……。
「はいはーい! それなら今LINK VRAINSに居るハノイの騎士をどうにかしてしまえば良いんですよ!」
「まあ、それはそうなんだが」
この世界でのあらゆる揉め事はデュエルによって解決することが出来る。基本だな。
ハノイの騎士にデュエルを仕掛けて障害を排除する。選択肢としては当然思い浮かんでいたが……。
「ラッセさんにご迷惑を掛けたお詫びと言っては何ですが、良いものを差し上げましょう!」
「! これは……」
俺はマスカレーナから受け取った起死回生の一手を握りしめながら、LINK VRAINSへと帰還する。
☆
「……消え去ったか……なにッ!」
「ごほっ! ごほっ! おえ……ここまで再現する必要あるのか?」
精霊界からマスカレーナを引き連れLINK VRAINSに戻って来た俺はクラッキング・ドラゴンによる攻撃の余波である煙に巻かれながら再びハノイの騎士と対峙していた。
思っていた以上にLINK VRAINSでは時間が経っていなかったようであの攻撃の本当に直後だったらしい。
「どうやったかは知らんが、まあいい。もう一度攻撃すれば良いまでの事。クラッキング・ドラゴンよ!」
「おい」
ハノイの騎士がクラッキング・ドラゴンに攻撃の指示を出す寸前、俺はデュエルディスクを展開しながら装着した左腕を構えて見せる。
「ほう? この私にデュエルを挑むというのか? ハノイの騎士であるこの私に?」
「……」
「良いだろう。その勝負、受けて立つ。私が勝った暁には貴様が持つサイバースを頂くとしよう」
ハノイの騎士はクラッキング・ドラゴンを消し、地面に降り立つ。
同じ目線の高さとなったハノイの騎士は自身が持つデュエルディスクを起動し、いつでもデュエルを始めることが出来る態勢へと移行する。
「デュエル!!」
ハノイの騎士は高らかにデュエル開始の宣言をする。
しかし……。
「おい、貴様! 何をグズグズしている! まさか怖気づいたのか?」
俺はデュエル開始の宣言もしなければデッキから手札となる五枚のカードすら引いていない。
「貴様ぁ……私を愚弄して……」
そんな俺は手では無く、口を動かし始める。
「
「なに?」
「男性、36歳」
「お、おい待て……」
「妻子持ち、IT企業社員」
「貴様まさか!?!?」
「始めは会社の命令でSOLテクノロジーに対する妨害行為のためにハノイの騎士に潜り込むが、最近は日々の鬱憤晴らしと充実感から休日はハノイの騎士として精力的に活動を行うようになる。その成果が実り、ハノイの騎士のリーダーであるリボルバーからクラッキング・ドラゴンを預かるまでになる……か。大した奴だねぇ」
「……」
俺はマスカレーナから預かったメモデータを読み上げただけなのだが、相手のアバターの顔色はその心情を読み取ってどんどん青くなっていっている。
もちろんこの情報はマスカレーナが手に入れた情報である。情報屋で運び屋でカードの精霊である彼女は本当に何でも出来るなと感心してしまう。
『デュエルディスクのメモ機能を使って日記を書くのは止めておいた方がいいですね~』
「日記でぶっちゃけ過ぎだろ、アンタ」
「ッ!」
相手の反応から分かる通り、これまで語って来た情報は全て真実なのだろう。
「わ、私を脅す気か?」
「そうですけど!! 何かありますか!!」
チェーン確認は大事。
『凄くカッコ悪いのに清々しいのが逆に良いですね、ラッセさん』
「うるさいぞ」
元はマスカレーナの案やろがい。
彼女に呟き声で悪態をつきながらも俺はハノイの騎士(社会人)から視線を外さない。相手は無法者のハノイの騎士。どういった行動をとって来るかしっかり注意しておかなければならない。
「さあ、早くログアウトのジャミングを止めて俺の前から消えるんだな」
「ぐぐ……しかし、私はリボルバー様の為にも……」
「良いのか? こちらにはアンタの奥さんとアンタの子供のメールアドレス宛にこの情報をリークする用意があるぞ?」
俺は追加でマスカレーナから渡されたハノイの騎士(おっさん)の家の電話番号、奥さんのケータイのメアド、さらにその子供のケータイのメールアドレスを読み上げる。
「汚いぞ! 妻と娘を人質に取るなんて!!」
『なんか言ってますよラッセさん。これじゃあどちらが悪者か分かりませんね』
「あーあー聞こえなーい」
人質に取るとは人聞きの悪い事を言う。
俺の休日とLINK VRAINSの平和を脅かしたハノイの騎士には当然の報いだ。これくらいしてもバチは当たらないはず。
「……ものか……」
「え?」
何やらボソボソと話し出すハノイの騎士(妻子持ち)。
「構うものか! 私を正当に評価して下さったリボルバー様の為なら私の社会的地位がどうなろうと知った事ではない!!」
「……まじかよ」
『ありゃりゃ。これはもしかしたらまずい方向に吹っ切れてしまったかもしれませんね』
ハノイの騎士は顔の上半分を隠す仮面を付けているため、その表情を完全に見ることは出来ないが、恐らくその瞳は狂気に染まっていることだろう。
自分の全てを捨てられるほどに尊敬されているリボルバーと言う男は本当にどれだけ凄い奴なんだか。
「どうせ会社は私の働きを正当に評価はせぬ! 妻と娘からは最近邪険にされていて未練もないわ!!」
「突然悲しい事言うのやめろよ……」
『うわぁ……』
ハノイの騎士(36)は悲痛な叫びを挙げながら改めてデュエルディスクを構えて来る。その鬼気迫る様子に相手をするつもりが無かった俺ですらデュエルを受けてしまいそうだ。
「くっ……もはや戦いは避けられないか……」
別に一人のおっさんを本気で地獄に落とそうとは思っていなかったため、俺もデュエルで決着を付ける事を決意する。
「行くぞ!! デュエッ……」
しかし、ハノイの騎士は最後まで言葉を発する事は無かった。
ハノイの騎士のアバターは何かに切断されたかの様に二つに分離し、上半身は地面に向かって落ちて行く。
上半身が地面に落ちたことで見えるようになった向こう側に居たのは、大きな鎌を振りかぶった姿勢を取るガラテアだ。
『お兄ちゃん、の、敵、排除』
「『わぁ……』」
俺とマスカレーナの声が重なる。彼女の顔は見て居ないが、きっと俺と同じ表情をしている事だろう。
「う、後ろから奇襲とは……卑怯な……」
地面に横たわったままのハノイの騎士の上半身がそんな事を言っていたが、すぐにアバターは消滅していった。
思いもよらぬ所からの助太刀はその一撃を以って全ての問題を解決したのと同時に、今までやっていた茶番劇が徒労に終わった事を意味していた。
『お兄ちゃん、大丈夫?』
「ガラテア……偉いぞ!」
今後はいきなり実力行使を行わない様にガラテアに教えないといけないなと思いつつも、今回の件に関しては本気で助かったと思っているので俺も本気でガラテアを褒める事にしたのだった。
俺に褒められて嬉しかったのか、ガラテアは手に持った大鎌をクルクルと回して放り投げてキャッチしてはまたクルクル回してと気分良さそうに遊んでいる。
本来ガラテアの大鎌にはめ込まれているはずの蒼穹のコアがその時は黄華の輝きを放っていた。
『この情報どうしますか?やっぱり公表しちゃいますか?』
「……このことは俺ら二人の心の中に留めておこう。あれじゃあ余りにも……不憫だ」
『……そうですね……』
※始めからデュエルするとは言っていない