────3時間前。
吹き抜けるような青空には、太陽が燦々と輝いている。
されど、その陽光が齎すのは灼熱の苦痛ではなく、爽やかな暑さ。
飾らずに言うのであれば、適度に過ごしやすい夏の日という訳である。
「んふふー、今日もー! お出かけっですわー!」
そんな陽光の下で、鼻歌を歌い、腕を大きく振りながら、ティアメープルは上機嫌に歩みを進めていた。
風に揺れる水色のスカート。薄手の紺のシャツを着込み、流れるような金髪をサイドテールに纏めてめかし込んだその姿は、先日のジャージ姿の時と同じ人物とはとても思えない程の化けっぷりである。
時折後ろを振り向き、その度にだらしのない笑顔を浮かべながら歩く様子も、今の格好であれば可愛らしいと言って差し障り無いであろう。
「メープル。君は出かける度に無駄に元気になるね……」
そんなティアメープルの背後を、頭の後ろで腕を組み歩いているのはタイダロス。
服装はやや大きめの黒い半袖のパーカーシャツと紺のデニム。少々野暮ったいと言える組み合わせだが、恐るべき顔面偏差値の高さで無難にそれを着こなして見せている。
歩くペースがやや遅いのは、宿敵であるティアメープルとの同行という行為に未だ慣れていないからであろう。
「フフッ。タイダロスとお出かけする為なら、意識不明の重体からでも回復してみせますわ!」
「単なる外出にどれだけ執着してるのさ……あと、君の場合本当に回復しそうだから怖いんだけど」
そんな風にとりとめのない会話を繰り返していた2人であったが、暫く歩みを進めていくと、不意に彼等の頬を涼やかな風が撫でた。
無意識に風の出所へと視線を向けてみれば、そこには指紋1つ無い程に綺麗に磨き上げられた大きな回転式の自動ドアと、ドアの上に金属のオブジェで書かれた『シノビックデパート』という文字。
「……デパート? メープル、ひょっとしてここが君が来たかった場所なのかい?」
前回のゴクドゥーランドがあまりに色物であったが故に警戒していたタイダロスにとって、このデパートというチョイスは一周して意外なものであった。回転式の自動ドアの前で立ち止まり首をかしげつつ尋ねると、ティアメープルは自動ドアに入りながら返事を返す。
「そうですわ! 今日は折角ですしタイダロスに色々と────」
そして、そのまま自動ドアの回転に流されて店内に入ってしまうティアメープル。
タイダロスは若干困惑しつつ、しかし、その場に立ったままティアメープルを無表情で見送り……やがて、自動ドアが1周してティアメープルが戻ってきた。
「た、タイダロス! どうして来ませんの!? あ、もしかしてドアに入るタイミングが判らないのかし────」
「……」
更にもう一度、自動ドアの回転に流されていってしまうティアメープル。
タイダロスが再びそれを見送ると、またもう1周してティアメープルが戻ってきた。
「ですから、どうして来てくださりませんの!? お願い、私を置いて行かないで────」
「……」
差し伸べられた手をスルーするタイダロス。再び自動ドアに流されていくティアメープル。
この後、同じの遣り取りを2度程行い、最後は警備員に注意されて謝ってから、2人はようやく入店をした。
「────もう! ひどいですわひどいですわっ! どうしてあんな意地悪をしましたの!?」
「ごめんね。つい、人は何処まで愚かになれるのかを見てみたくなったんだ」
「思いのほか邪悪な理由でちょっと反応に困りますわ!?」
半泣きになりつつ、後ろからタイダロスの頬をもちもちと捏ねるティアメープル。
タイダロスは暫くの間、抵抗する様子も無くされるがままになっていたが、ティアメープルの息遣いが荒くなってきた辺りで、猫の様に体を捻る事で拘束から抜け出した。
そして、デパートに設置された『人差し指一本で逆立ちをする謎の忍者の銅像』の台座に寄りかかりつつ尋ねる。
「それで、実際のところ今日は何が目的の外出なのさ? 食材の買出しなら近所の商店街の方が安いよ。ちなみに今日はダビデ精肉店の鶏肉が特売だね」
「いつの間にか、タイダロスが私よりも近所の商店事情に詳しくなっていますわ……そうではなくて、今日は貴方の娯楽品を買いに来たのですわ!」
「僕の娯楽品?」
ティアメープルの言葉に、何を言っているのか理解出来ないという様子で首を傾げるタイダロス。
幾ら1ヶ月を共に過ごす契約を結んでいるとはいえ、宿敵である自分の私物……それも日用品ではなく、娯楽のための品物を買い与えられるとは思ってもいなかったのだろう。
そんな状況が飲み込めていない風なタイダロスに対し、ティアメープルは我が意を得たりとばかりに満面の笑顔を向ける。
「そうですわ! だってタイダロスときたら、お家に居る間は、家事をする以外は新聞を読む事とテレビを見る事しかしないのですもの!」
「情報収集は大事からね。自分で情報の取捨選択さえきっちりすれば、テレビと新聞は本当に便利だと思うよ」
「自慢気に言ってはダメですわよタイダロス! 無味乾燥な日々では心は育ちませんわ! 幸せになる為には、娯楽と言う心の肥料が必要ですの! だから」
ティアメープルは、ビシリという擬音が鳴りそうな勢いでタイダロスを指差す。
「────―今日は、私がタイダロスにありとあらゆる娯楽を買い与えて、貴方を娯楽漬けにしますわ!!!!」
声のボリュームが上がった事で衆目を集め、周囲からヒソヒソと囁かれている事など気に留めず、笑顔でそう宣告するティアメープル。
その宣告の対象とされたタイダロスは、俯きながらティアメープルに近付いて行き、その両肩を掴んだ。
「その欲望への誘い……ティアメープル。君、素質有るからメリーバッド帝国が復興したら働いてみない?」
「向いていませんし復興させませんし働きませんわよ!?」
タイダロスの間近での微笑に頬を染めつつも、そこはやはりきっちりと断るティアメープル。
その返答に若干残念そうに眉尻を下げながら、ティアメープルの肩から手を離したタイダロスは、デパートのエスカレーター付近にあるフロアマップに視線を写しつつ口を開く。
「冗談はさて置き、買ってくれるって言うならありがたく貰うよ。幸せ云々はどうでもいいけど、欲しい物は割とあるからね」
「まあまあまあ! それは良い事ですわ! 欲しいものは私が全部買ってあげますわよ!」
「食い気味だなぁ……それで、予算はどれくらいなんだい? その範囲で」
「はいどうぞ。100万円ですわ」
ポンと差し出された札束。
満面の笑顔のティアメープル。
こいつ正気か? という表情を浮かべるタイダロス。
互いの間に短くない沈黙が流れ……暫くすると札束を受け取らないタイダロスに対して、ティアメープルがソワソワと落ち着かない様子を見せる。そして、直後に何かを思いついたかの様にバッグに手を入れ────
「200万円ですわ!!」
「違うよ!? 足りないとかそういう事じゃないから!!」
焦りながらティアメープルが追加で取り出した札束を取り上げ、最初に取り出した札束と合わせて無理矢理彼女のバッグに戻すタイダロス。
「つ、突っ込み所が多すぎるけど……まずなんでいきなり札束とか取り出すのかな!?」
「それだけあれば、大体の物は買えると思いますの」
「買えるだろうね! 交通整理に外人特殊部隊呼ぶみたいな真似だけどさっ!!」
ティアメープルのあまりにあまりな発言に、手を額に当てて呻き声を上げるタイダロス。
それでも、一度深呼吸をして冷静さを取り戻すとティアメープルの目を見て尋ねる。
「……というかメープル。そもそも君、そのお金どうしたのさ。ジャージ着て雑草食べてる無職が軽く出せる金額じゃないよね」
「お部屋に有った物を幾つか骨董品屋さんに持ち込みましたの。思ってたよりも値が付きませんでしたけど」
「……え!? ちょっと待って! あのゴミの山、そんなに価値があるものなのだったのかい!?」
「ゴミじゃありませんわ! 財産ですわ!!」
「まさか本当に財産だったとは思わないよっ!!」
衝撃の事実に、今まで自身がティアメープルの部屋の掃除や整理をしていた時の事を思い出し、冷や汗を流すタイダロス。丁寧な取り扱いを心掛けていたため、破損や紛失はない筈だが、それでも『もしや』と思わずにはいられない。
一般人であれば、ここで急いで部屋に戻るのであろうが……タイダロスもメリーバッド帝国において最高幹部だった少年である。首を振って、精神力で焦燥を抑え込む。そして、周囲の目から逃れるようにティアメープルの手を引いて歩き出す。
「注目を集めすぎた……とりあえず、適当な店に行くよメープル。まずは2階の100円ショップにでも行こう」
「……! タイダロスが自分から私の手を握って……!」
「変な事行ってないで早く!!」
無理矢理手を引くタイダロスと、手を引かれるティアメープル。
それは、奇しくもゴクドゥーランドの時とは真逆の光景。同じなのは、笑顔を浮かべているのがティアメープルだけという事だけであった。
エスカレーターに乗り2階を目指している途上で、タイダロスは溜息を付く。
後ろには、エスカレーターの段差でタイダロスが自分と同じ目線になっている事を喜ぶティアメープルの姿。
先程の行為がタイダロスを困らせようとしてのものであれば、タイダロスも悪意を以って返すであろうが、彼女の呑気な様子からは悪意を微塵も感じないのだから困りものである。
「はぁ、全くもう」
「あら、溜息なんて付いてどうしましたのタイダロス? お楽しみはこれからですわよ!」
「はいはい……ああ、そういえば」
そこで、タイダロスはふと思いついた事を尋ねる。
「メープル。君の実家って、随分とお金持ちなんだね。あれだけ価値のある物を仕送りしてくれるなんて、娘思いのご両親じゃないか」
「────」
「……メープル?」
だが、常であれば直ぐに返事を返してくるティアメープルからの返事が無い。
それを訝しみ、再度尋ねたタイダロスに対して、ハッとしたようにティアメープルは口を開く。
「え、ええ。そうですわね。小さい頃から大事にされてきましたわ」
「そうだろうね……そして、その結果が無職かぁ」
「む、無職って言わないで欲しいのですわ! その! モラトリアムとかそういう風に言って欲しいですわ!」
「ははは。モラトリアムは10代までだよ、ティアメープル」
ティアメープルの言動から感じた僅かな違和感。感情を喰らう魔人であるタイダロスは、それを確かに感じ取っていた。
だが、タイダロスはそれに触れる事をしなかった。
触れる事が出来なかった訳ではない。意識的にせよ無意識にせよ、踏み込もうとしなかったのである。
エスカレーターが2階へと到着し、100円ショップが見えてきた。
あと、ついでに『天井に片手で張り付きぶら下がっている謎の忍者の銅像』も見えてきた。