コツコツと小気味よく音を鳴らすのは石畳。
後ろ向きに器用に歩き、ヒールで音を奏でるのはティアメープル。
片目を瞑り人差し指を立てて、彼女は、既に疲れ切った風であるタイダロスに尋ねる。
「タイダロス。貴方は『楽しい』とはどういう事だと思いますの?」
「何さ唐突に……」
急に問いかけられたタイダロスは、あからさまに面倒臭そうに視線をティアメープルに向けて、それでも僅かに考え込む様子を見せた後、口を開く。
「そうだね、僕が思うに──」
「全然違いますわ!!」
「せめて最後まで言わせてくれないかなぁ!?」
「『楽しい』というのは、ここではないどこかを覗き見る事がその本質なのですわ」
「抗議すらもスルーされた!?」
タイダロスの言葉を聞き流しつつ、その背後に回り込んで頭を優しく撫で始めたティアメープルは、言葉を続ける。
「知らない土地、知らない街、知らない空、知らない世界──それらを、知っている世界からほんの少しだけ味わう事。それこそが『楽しい』という事なのだと、私は思いますの」
「味わうねぇ……」
体をよじり、頭に乗せられたティアメープルの掌から逃れたタイダロスは、やれやれとばかりに肩を竦める。
「随分と殊勝な価値観だね。知らない世界に近付くだけで楽しいのなら、その世界に行けばもっと楽しいって事なのに、それをしないなんて」
「フフッ、それではダメなのですわ。あくまで地に足を付けたままで、という事が大切なのですから」
「ふーん……まあ、君にとってはそういうものだって事は理解しておくよ」
興味無さ気にティアメープルの言葉に返事を返すタイダロス。
そんなタイダロスを愛おしそうに笑顔で見ていたティアメープルであったが……数分歩いてから、不意に彼女はその足を止めた。そして、まるで悪戯っ子のような笑みを浮かべると、勢い良くその右腕で正面を指し示す。
「そこで! 本日タイダロスさんに紹介するのがこちらっ!! ですわ!!!!」
「……いきなり大声ださないでよ。テンションの落差でびっくりするじゃないか」
「それはごめんなさいですわ!!」
文句を言いつつ、タイダロスが視線をティアメープルの腕が示した先に向けて見ると────そこには、巨大な鉄の龍。否。正確に言えば、無数の金属により形造られた、巨大な鉄の龍のように見える建造物が、堂々と屹立していたのである。
「────最高地点は地上120m! 落差111m! 最高速度200km! 最大角度120度! 全長3.5km! これこそが日本最凶と名高い、ゴクドゥーランドが誇るジェットコースター! 『漢の背中の昇り竜』ですわっ!!!!」
ドヤ顔で、豊かな胸を張りつつ説明するティアメープル。
その説明を聞いたタイダロスは、暫くジェットコースターを眺め見てから、小さく感嘆の息を吐いた。
「へぇ……これ、ジェットコースターなのか。確かに人間が作ったにしては凄い建造物だね。何かのモニュメントかと思ってたよ。相変わらずネーミングセンスはアレだけど」
単純な巨大さと、構造から想像できる凶暴性。それにもかかわらず、一つのモニュメントとして認識出来てしまう程の芸術性。
普段であれば皮肉の一つも言うであろうタイダロスすらも感心してしまう程の迫力と造形美が、そのジェットコースターにはあった。
そんなタイダロスの様子を満足そうに見つつ、ティアメープルは更に口を開く。
「この『漢の背中の昇り竜』は、ゴクドゥーランドの前身である壊滅したヤクザの組長の背中に彫られていた昇り竜を再現した──という設定のシロモノですわ! 圧倒的な速度と落下角度! 日常では決して味わえないスリルは、タイダロスさんを楽しませてくれること請け合いですわ!!」
「だから、何で設定がそんなにキワモノなのさ……ん? ならひょっとして、さっきの楽しい云々の話はこのアトラクションの説明の前振りだった?」
「否定はしませんわ!」
「回りくどい事するなぁ……あれ?」
ふと、何かに気付いた様子のタイダロスがそれを口にしようとした、その時である。
「よく来たな────いらっしゃいませだ、お客様」
腹の底に響くバリトンボイスと共に、ジェットコースターの方からてちてちと歩いてきた人影。
ずんぐりむっくりした2.5頭身の体型に、垂れ下がった大きな兎耳。
サングラスを掛けてアロハシャツを着たその人影は、例えるならばロップイヤー種の兎の様な可愛らしい姿をしていた。
「まあまあ! 見てくださいましタイダロス! ヒットマンウサギ妖精のナガドス君ですわ! ランドでも1、2を争う人気のマヤクコットですわよ!?」
「うわ、出たなマヤクコット……今度のもエラく渋い声してるし、頭はアフロだし」
喜ぶティアメープルと、嫌そうなタイダロス。
そんな対照的な2人に対し、ナガドス君は突如としてアロハスーツの胸元に手を突っ込むと、取り出した『何か』を両手で持ち、小脇に構えてから勢いよく2人へと突き出し────
「お客様ぁ!!
直後、ナガドス君の腹部に衝撃が走った。
驚いて腹部を見れば、そこには先程まで会話をしていたティアメープル……彼女の拳が手首まで腹にめり込んでいるという、衝撃の光景。そして、そのティアメープルの背中には、羽交い絞めするようにして彼女の動きを止めようとしているタイダロスの姿。
「メープル! 白昼堂々と事件を起こさないでくれるかな!? せめて、やるなら僕がいない所でヤってくれない!?」
「え……はっ!? 私とした事が、つい反射的に!?」
タイダロスの声で我に返ったティアメープルは、慌ててナガドス君に突き入れた拳を引き抜くと、深々と頭を下げる。
「ご、ごめんなさいですわ! 怪我はありませんかしら!?」
「……ん。あ、ああ、心配しなくていい。マツナガ=ドリームース。不死鳥のナガドス君とは俺の事だ。この程度で怪我などしない」
「不死鳥……え、鳥?」
実際、ナガドス君に怪我はなかった。
タイダロスの瞬間的に発した制止の声と、ライフル弾も防ぐ防弾仕様の分厚い毛皮が、ティアメープルの拳が内部にまで達する事を防いだからである。
ぽぷぽふと腹部の殴られた箇所を短い手で掃ったナガドス君。彼もまた、ハジキ君と同じく内心の動揺などおくびにも出さず、プロとして仕事を果たすべく、先ほど取り出した『何か』……丸めた用紙を広げ、それを代紋の様なマークが入ったボールペンと一緒に2人に差し出して、口を開く。
「さて、お客様……この『漢の背中の昇り竜』は身体への負荷が大きいアトラクションだ。だから、搭乗希望者には体調に問題が無い事を確認したうえで、この搭乗承諾証にサインをして貰っている。お客様達もサインをして貰えるか?」
「わかりましたわ……あの、ナガドス君。もしもさっきの件で怪我があったら、隠さずに連絡してくださいまし。必ず賠償させていただきますわ」
「俺は不死鳥だから大丈夫だ。詫びというなら、このコースターを全力で体験してくれる方が、嬉しい」
「……ありがとうございますわ。貴方、漢ですわね」
サインをし終えてから、笑顔で握手するティアメープルとナガドス君。
「……え? いや待って。何この遣り取り。さっき凄い勢いで取り出したのって只の承諾書だったの? なんで承諾書をあの勢いで出す必要があったの?」
タイダロスの問いに答える者は、この場にはいなかった。
…………
かくして、承諾書へのサインを終えた2人は待機する客の列へと並び……そして暫くの後、最凶と名高いジェットコースターへの搭乗の時を迎える事となった。
幸運か不運かは判らないが、先頭の席を横並びで確保したタイダロスとティアメープル。彼等の胸元で、安全バーが固定される。そして、頬に大きな傷が有る案内員による慎重すぎる程に慎重なチェック作業も終わり────いよいよ、機体が動き出した。
ゆるりと鋭角な坂を昇り始めた機体の中で、ティアメープルは楽しげにタイダロスに語り掛ける。
「いよいよですわ! 最凶のコースター、タイダロスも全力で楽しんでくださいまし!」
「うーん……」
「あら? どうしましたの? ……ひょっとして怖いんですの? もしも怖いのなら、私の手をギュッとしても構いませんわよ?」
「もう既に君に強制的に握られてるじゃないか……そうじゃなくて。ずっと考えてたんだけど、僕達にとってこの────」
けれど、タイダロスが何かを言う前に、恐るべき自由落下は始まってしまった。
轟音と共に風を切り、重力を上回る速度で落下し、上下左右に回転する。
搭乗者の半数以上が失神した事もあるという恐るべきジェットコースターからは、搭乗者達の絶叫が響き渡り────
「……」
「……」
数分後、『漢の背中の昇り竜』の降口に、タイダロスとティアメープルが立っていた。
同乗した他の客達が、ふらついたり、酷い者では嘔吐したりしながら出て行くのと比べて、彼らの足元は驚く程にしっかりとしている。
そんな2人の手にそれぞれ握られているのは、1枚の写真。
それは『漢の背中の昇り竜』の自動写真撮影サービス────急降下中の客の姿を写してくれるサービスにより撮られたもので、そこに写っている2人は
真顔だった。びっくりするほど無表情だった。
「メープル」
「……」
問い掛けに対して返事が無い事を気にすることなく、タイダロスは続ける。
「僕、思ってたんだけどさ、普通に音速以上の速さで戦ってた僕達が絶叫マシンで怖がる理由って……あるかな?」
「……」
「ビルの隙間を垂直に急降下して、そのまま落下速度以上の速度で駆け上がるのも訳無い僕達にとって、あのコースターの動きは慣れ親しんだ世界というか────」
「つ、次ですわ! 次のアトラクションこそは楽しい筈ですわ!」
タイダロスの言葉を遮るようにして、タイダロスの手を引き園内を進むティアメープル。
ゴクドゥーランドにはまだまだ沢山のアトラクションがある。しかし、この時点でタイダロスは予測していた。
────多分、駄目だろうなぁ。と。