“ケン”という男の話   作:春雨シオン

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――――どうか、見届けて。


第六幕 滅びの芽、未熟な騎士

 円卓会議の後、食事を終えた円卓の騎士たちは、再び自分の仕事に戻るべく支度を始めた。その中の一人であり、先ほどモードレッドの事を発言したトリスタンにケンは話しかけた。

 

 

「サー・トリスタン。そのモードレッドという騎士は、今どうしているんだ?」

 

「……確か、どうしてもアーサー王に謁見したいと言っていました。私が円卓の騎士であるので、何とか取次ぎを図ってほしかったようです。もっとも私一人の判断で謁見を許すわけにもいかないので、ひとまず断っておきましたが。」

 

「なるほど……。それなら、後でアーサー王に聞いてみるとしよう。俺ももとは、ごり押しで仕えさせてもらった身だからな。本当にモードレッドが仕えたいと願っているのなら、力を貸してやりたい。」

 

「成程。相変わらずお優しい方だ。そう言う事なら、王都に滞在すると聞いているので、会ってみてもいいかもしれません。」

 

「感謝する。……おっと、忘れるところだった!はいこれ、いつものお土産。大事に食べるんだぞ。」

 

 

 そう言ってケンが手渡したのは、小さな箱型のバスケットだ。トリスタンは顔を綻ばせ、嬉々としてそれを受け取る。周りを見渡してみれば、全ての円卓の騎士がそのバスケットを持たされている。

 

 

「ああ……、私は嬉しい。中身は、いつもの物なのですか?」

 

「ああ。ハンバーガーと、ビスケット。ハンバーガーの方は今日の夜にでも食べることだな。ビスケットの方は日持ちするから、ゆっくり食べても大丈夫だ。」

 

 

 そのバスケットを大事そうに懐に入れると、トリスタンは改めて別れを告げるとキャメロットを去っていった。その後ろをベディヴィエールがついて行き、その後からケイ、ガレス、パーシヴァルが出て行った。ランスロットが出ていく前に、ケンは声をかけた。

 

 

「ああ、ちょっと待ってくれランス。俺も久しぶりにギャラハッドに会いたい。」

 

「……そうか。君と一緒だとギャラハッドの機嫌が良くなるから、なんだか複雑な気分になるのだが。」

 

「まあ、焦る必要はないさ。ゆっくり時間をかけて、打ち解けていけばいい。」

 

「……そうだな。私からも、歩み寄る努力が必要なのだろう。」

 

 

 話しながら馬小屋に向かうケンとランスロット。響く靴の音に気づいたのか、馬に飼葉をやっていた少年が振り返る。

 

 

「サー・ランスロット。もう出発の時間で……」

 

「ようギャラハッド!久しぶりだな!」

 

「ケンおじさん。お久しぶりです。」

 

 

 白いくせっ気で片目の隠れた髪型をした少年が、ランスロットの馬の世話をしていた。彼はランスロットのように鎧は着ておらず、質素な平服で仕事をこなしていた。彼は多くの騎士見習いのように、ランスロットの従者として彼の馬を世話していたのだ。

 

 

「ああ、食後の運動をしてらっしゃる。それよりどうだ、最近の調子は?」

 

「サー・ランスロットのもとで、しっかり勉強させていただいています。」

 

「それならよかった。これはお前の分のお土産だ。中にはいつもの食事と一緒に、心ばかりだが小遣いを入れておいた。お前がこっそり剣の修行をしていたのは見てたからな。それほど上質なものには手が出ないだろうが、なまくらくらいなら買えるだろうさ。」

 

「―――! ありがとうございます、おじさん。」

 

 

 ギャラハッドはほんの少し、よくよく目を凝らしてみないとわからないほどほんの少しだけ微笑を浮かべると、『荷物を取ってきます。』と言って走り去っていった。ケンはそれを微笑ましく見ていたが、彼の肩をがっしりとつかむ手が二つ。

 

 

「ケン……!!貴様、この裏切り者!!」

 

 

 もちろん、ランスロットである。まるで血涙でも流さんばかりの勢いで、激しくケンの両肩を揺さぶる。

 

 

「ズルい!!ズルいぞ畜生!!!いつの間にか、よくお小遣いをくれる優しい親戚みたいになって!!!そんなの、絶対懐かれるじゃないか!!!」

 

「そ、それはすまん。 ……いかんな、俺もつい甘やかしてしまっているようだ。今度の修行では、少々厳しく教えてやらなければな。」

 

私も小遣いをあげれば懐かれたりしないだろうか……?いや、それよりもさらに厳しい修行を……。

 

 

 ぶつぶつと呟き始めたランスロットをひとまず放置し、ケンも馬の様子を見てみることにした。彼の生きた時代は、ほとんどが馬の活躍した時代だ。必然的に馬の世話をする機会も増え、ケンは馬についての知見も深かった。

 

 

「……毛艶がいいな。筋肉や骨にも異常はなさそうだし、流石にランスロットのものだけあって、いい馬だ。ギャラハッドもちゃんと世話が出来ているようだし、安心かな。」

 

「今戻りました、サー・ランスロット。いつでも出発できますよ。」

 

 

 そうこうしているうちに、ギャラハッドが旅支度を終えて戻ってきたようだ。ケンは二人がしっかりと馬に乗ったのを確認すると、門まで見送りについて行った。

 

 

「それじゃ、次会う時まで息災でな。『男子三日会わざれば、刮目してみよ』。お前の成長に期待している。」

 

「はい。おじさんもお元気で。」

 

「……。」

 

 

 未だお父さんと呼ばれることを諦めていないランスロットだったが、それを完全に無視するギャラハッド。一応上司だから従っているという様子がありありと映っている。もし対等な相手だったならば、一人で先に行ってしまっていたかもしれない。

 

 

「ほら、早いところ行きますよ、サー・ランスロット。」

 

「はは、これは道のりは険しいな。」

 

「クッ……!だが私は諦めないぞ……!!」

 

 

 決意を新たに馬を歩かせる親子を見送り、ケンはキャメロットに向かって踵を返す。王都の道を少し歩けば、キャメロットの門が見えてくるはずだ。

 

 

「ケンさんケンさん!ちょっとうちの魚見てってくれよ!」

 

「いーや、まずは俺んとこのパンだ!あんたから教わったフォカッチャってのが、上手く出来たんだぜ?」

 

「すまん親父さんたち!アーサー王がお待ちなんだ!」

 

 

 城下町を歩けばたくさんの店が立ち並び、その店主たちからケンはいちいち声をかけられる。だがこれは、彼らにとっては重要なビジネスチャンスなのだ。なにせケンの身分はアーサー王お付きの料理人。彼が食事をした、彼が材料を仕入れた、彼がその価値を認めた―――。どんなに小さなことでも、アーサー王の威光がついて回るため、どの店もあやかろうと必死なのだ。

 

 

 いつもならケンは一つ一つの店をじっくりと回り、使えそうな食事を吟味したり、調理や食材の保存法についてあれこれ口出ししたりと交流しているのだが、今回ばかりはそうもいかない。

 

 

(モードレッド―――。アーサー王物語のことなんて、エクスカリバーくらいしか知らない俺が、名前だけは聞いたことがあるような気がする騎士候補。)

 

 

 モードレッドというのが、一体どんな役割を持った人間なのかはわからない。それでも知名度が高い以上、何かしらの重要な役割を果たしたはずなのだ。例えばブリテンの危機を救う英雄であるのかもしれない。

 

 

(―――あるいは、ブリテンを滅ぼす()()なのかもしれない。どちらにせよ、手元に置いておくべきだろう。)

 

 

 一番いいのは味方として引き入れることだが、最低でも敵対しないようにしたい。そう思いながら、ケンはひとまずアルトリアの許可を得るため、キャメロットに急いでいた。

 

 

 ―――だが、そこに不穏な影が一つ。深々とローブを被った人影が、路地裏からケンの姿を見つめていた。その影はケンの進行方向で待ち伏せていたようで、走ってくるケンが自分の目の前に来たその瞬間、建物の角から飛び出した。

 

 

 道のど真ん中に突然飛び出したため、ケンとその影は正面衝突。ローブを着た人の方は吹っ飛ばされる―――はずだった。

 

 

 

「……何?」

 

「おっと、すまない。怪我はないか?」

 

 

 ケンがその人物と衝突する瞬間。体をひねって力を受け流したのだ。正面衝突するはずだった力は横に逸れ、結果としてどちらも吹っ飛ばされることはなかった。ケンの足さばきと、咄嗟の状況判断が優れていた。それをローブの人物が理解するのにはしばらくの時間を要したが、それでも予定のやり方が失敗したことだけはわかった。

 

 

「すまないが、先を急ぐ身なんだ。怪我がないのなら失礼する。」

 

 

 そう言って再び走り出そうとするケン。ローブの人物はとっさにその服の裾を掴み、ギリギリのところで引き留めた。怪訝な顔をしてケンが振り向くと、ローブの人物は顔を覆うフードを取り、その素顔を晒した。その瞬間、ケンが息を呑んだのは仕方のないことだろう。なにせ、その人物はアルトリアの生き写しの如くそっくりだったからだ。

 

 

「お前がケンだな? 俺の名はモードレッド。ちょっとばかしオレに付き合ってもらうぜ。」

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 ケンはモードレッドに連れられるまま、キャメロットを出て森に入っていた。いつの間にかモードレッドはローブを脱ぎ捨てており、どこから持ち出してきたのかわからない立派な鎧を身に着けていた。そんな臨戦態勢のモードレッドが何も言わずにズンズンと進んでいくのに、ケンもただ黙ってついて行った。そしてその足が、少し開けた場所で止まった。

 

 

「……おし、この辺でいいだろ。」

 

 

 何かを決めたらしきモードレッドはケンに向き直ると、おもむろに長剣の切っ先を向けた。何の飾り気もない無骨な剣だが、それ故に冷たい殺意を感じる。

 

 

「てめえには、オレがアーサー王に仕えるための口利きをしてもらう。本当ならぶつかって詫びの代わりに働いてもらうつもりだったんだが。てめえが躱しやがったせいで台無しじゃねえか。」

 

「……こんなことをしなくても、俺はお前を推薦する気だったんだがな。―――考え直すなら早いうちがいい。早まるな。」

 

 

 ケンの言葉を聞き、モードレッドはチンピラ感全開で嘲笑する。

 

 

「ハッ! 声が震えてねえところだけは認めてやるよ!」

 

 

 言い放つと、モードレッドは魔力を自分の逆方向に噴射することでロケットのようにかっ飛ぶ。人間の脚力を遥かに超越したスピードを可能にする魔力放出の応用だ。このスピードのまま斬りかかれば奴は死ぬだろうから、後ろを取るだけの移動だ。

 

 

 ―――後はそこから、がら空きの背中に叩きこんでやればいい。背中を見つめながらそう考えていたのが、傲慢であったことをモードレッドはすぐに理解した。

 

 

「―――何だ。意外に優しいのだな。」

 

「何ッ!?」

 

 

 首筋に落とそうと振り上げた剣を握る右手の手首を、ケンががっしりとつかんでいた。背中に目がついているとしか思えないその反応速度に驚きながらも、モードレッドはすぐに手を振りほどき距離をとった。

 

 

「……チッ。やっぱり力負けするか。まったくどうなってるんだ俺の体は。」

 

 

 少しだけ顔を歪めるケンを見ながら、モードレッドの思考は止まることがない。彼女はなぜ自分の動きが見切られたのかではなく、次にどうするべきかを考えていた。反省など、死んでからで十分だからだ。

 

 

(……何をしたのかは知らねえが、やることは変わりねえ。)

 

 

 今、モードレッドとケンは3メートルほど離れた位置にいる。この距離を一瞬で詰められることはない。その上、仮に相手に抵抗されたとしても

 

 

「―――縮地。」

 

 

(―――はっ?)

 

 

 ありえない。そう、ありえないのだ。音も無く、人間が3メートルもの距離を一息に飛ぶことはありえない。だがそれは、現実としてここにある。モードレッドの目の前に、ケンの姿が存在する。何が何だかわからないまま、それでも防御しようと剣を持つ手を咄嗟に持ち上げたモードレッドは、素晴らしい剣士だと言わざるを得ない。

 

 

 ―――だが、それ故にわからなかったのだ。この時代、この島に、存在するはずのない『技術』のことが。

 

 

(―――手首を、掴まれた?)

 

 

 そう感じた。だが、それが何だというのか。手首を握ったところでモードレッドを制圧出来たわけではない。ただ力の差で圧倒し、振りほどいた後に仕切りなおせばいい。先ほどの組合で力の差は歴然だ。ここから制圧されるなど、天地がひっくり返りでもしない限りありえない。

 

 

 

 

 ―――そう。天地がひっくり返らなければ、()()()()()()()のだ。

 

 

 

 モードレッドは、確かに見た。自分の世界が、ぐるりと回転するのを。天に向かって伸びるはずの木々は空色の大地に向かって伸び、頭上にあったはずの太陽はいつの間にか足元にある。なんだ、これは。何が起こったというのか。

 

 

 何もわからないまま、世界がもとに戻ったとき。モードレッドは腹ばいに地面に転がされ、掴まれていた手は背中に回っている。

 

 

 ―――そして何より、モードレッドのうなじには、冷たい刃が当てられていた。

 

 

 

 

 

「―――さて、話を聞いてくれるよな?」

 

 

 モードレッドの剣技は生存のためのもの。生き延びるためならば、騎士道精神など関係はない。未だ未熟なその騎士は、苦々し気に頷いた。

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ―――危なかった。

 

 

 自分の腕に組み敷かれたモードレッドを見下ろしながら、跳ねる心臓をなんとか落ち着かせる。今は逆らわずに大人しくしているが、ほんの少しでも気を抜けば、また例の魔力放出とやらで抜け出すだろう。今こいつが抵抗しないのは、仮に動けばこの刃が首に突き刺さるという共通認識があるからだ。いつでも首を刈っ切る準備をし、油断してはいけない。

 

 

「……おい。」

 

 

 あからさまに不機嫌そうな声が、尻の下から……失礼、踏みつけにしているモードレッドの方から聞こえてくる。その声に敵意はあっても殺意がないことを確かめ、話を聞く。

 

 

「なんで、オレは負けた? てめえがオレをこうやって、無様に転がしやがったあの技はなんだ?」

 

 

 ……なるほど。今モードレッドは、()()しようとしている。なぜ負けたのかを知り、次に活かそうとしている。それなら、教えない理由などどこにもない。

 

 

「―――初めの一太刀を防いだ時のは、ほとんど勘だ。」

 

「はあ? てめえ、ふざけんのも大概に――」

 

「ふざけていない、事実だ。直感と言い換えてもいい。」

 

 

 そう、あれはほとんど直感だった。モードレッドがアルトリアにそっくりだったものだから、彼女と同じことが出来るのではないかと思っただけなのだ。

 

 幾度となく人生を繰り返し、様々な経験を積んだことにより、自分の技術はかつての自分とは比べものにならない。一度の人生では修得に至らなかった縮地も、中国に生まれ武術を学んだ際、『気』と呼ばれる力の使い方を覚えたことによってようやく修得に至った。それでもなお、沖田の速度には及ばないと確信している。あいつはやはり、途方もない天才だった。

 

 

 話を戻すと、自分は『経験』によって強くなったが、それだけでは乗り越えられない壁がある。それが『身体能力』だ。例えどんなに体を鍛えても、死ねばすべては無に帰る。自分は何度も何度も転生を繰り返すうちに、まるで脳味噌を入れ替えているみたいだと感じるようになった。自分の脳が動きを覚えていようと、それに体がついてこない場合も多々ある。

 

 

 今回のモードレッドに関しても、魔力放出による飛来はほとんど見えなかった。故に、経験から来る直感に頼る必要があった。

 

 

 モードレッドの目的は自分の口利きでアーサー王に謁見し、その騎士として仕えることだ。つまり、『自分を殺すわけにはいかない』。ここまでは推理出来る。そのためにとる手段が暴力というのは少し短絡的だが、ひょっとしたら個人的な恨みでも買っているのかもしれない。

 

 ともかく、『不殺』という条件から、『魔力放出の勢いのままに攻撃する』という線は消える。あのスピードなら、ほんの少し触れただけでも車にはねられたようなダメージを受けるだろう。故に、魔力放出を使ったのは『モードレッドは、自分の視界から姿を消したかったからだ』と推察できる。

 

 

 

「……。」

 

「少し難しかったか?」

 

「ちげぇよ! ……ただ、そこまでがっつり見破られてんのがムカついただけだ。」

 

 

 返事をするということは、話を聞いている証拠だ。そのまま続ける。

 

 

 

 姿を消したのならば、視界の外から攻撃してくるのは当然の理屈。後は音に集中すればいい。モードレッドはしっかりと鎧を着こんでいたから、ほんの少しでも動けば音が鳴る。そこから大体の位置を掴み、歩く後姿を見ながら目に焼き付けたモードレッドの身長や腕の長さから、どこに手首があるのかを判断。後は自分を信じて掴むだけでいい。

 

 

 

「……。」

 

「どうだ? 少しは参考になっただろうか。」

 

「……ぜんっぜんだ。つーかんなもん、信じられるわけねえだろ!どうせなんかの魔術でも使ったんだろうが!」

 

 

 

 魔術。魔術か。それを言われると弱い。なにせ自分は、魔術にはとんと弱いからだ。長い人生、いわゆる魔術師と呼ばれる者たちに出会った事も少なくない。今の人生でも、マーリンという大魔術師に出会っている。だがどうも、彼らに教えを乞う気になれなかった。

 

 

 理由は単純、嫌な奴らだからだ。自らの目的のためなら、その他の一切を踏みつけにしてもかまわないというそのスタンスが、どうしても相いれなかった。故に自分に魔術の素養は一切ないし、使ったこともない。

 

 

 

「……まあ、高度に発展した技術は魔法と区別がつかない、だったか? さっきから長々と説明したのも、要は長い間生きてきたら、自然と気配が読めるようになりましたってだけのことだ。それに、俺には才能がなかったから、こんなにも長い時間がかかってしまったが、アーサー王はとんでもないぞ。あっという間に修得してしまった。」

 

 

 何気なく発したその言葉に、モードレッドは強く反応した。

 

 

「ッ! アーサー王ッ!? おい、それマジなのか!?」

 

「お、おお……。あの方は一瞬で……もう予知と言えるレベルの直感を身に着けた。話をよく聞いてみると、いろいろ転がってるヒントを自然と集めて自然と頭の中で構築して、結論にたどり着くんだそうだ。まったく、俺がそれが出来るようになるまで、どれだけかかったと思ってるのか……。」

 

 

 その力が最初に発現したのは、自分に染みついた匂いから夕食のメニューを当てたことというのは黙っておこう。本人の名誉のためにも、この足元のファンガールのためにも。

 

 

 

父上……。やっぱり、すげえ……。

 

「ん、何か言ったか?」

 

「う、うるせえ! 何も言ってねえからな!」

 

「そうか、ならいいんだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――嘘だ。俺は今、嘘をついた。

 

 

 

 『ん、何か言ったか?』……。白々しい。一言一句、聞き逃さなかった。質問したのは、聞こえなかったと相手に意識させるためだ。

 

 

 

 そして今の情報で、確信したことが一つある。『叛逆の騎士モードレッド。ブリテンの滅びの原因の、生殺与奪の権を今、俺は握っている』ということだ。

 

 

 

 アーサー王物語で覚えている断片的な話。アーサーという王様。マーリンという魔術師。円卓の騎士という集団。

 

 

 ―――そして、『アーサー王は自らの息子と殺し合い、相討ちになって死んだ』という、悲劇の結末。

 

 

 今までずっと思い出せなかったその名前。アーサー王の息子という、断片的な元凶の情報。そのために俺は、アルトリアに息子が出来ることを恐れた。

 

 

 彼女からの好意に答えなかったのも、ただ単に妻であるギネヴィアに悪いというだけでなく、そのためでもあった。もし彼女を受け入れ、男子を授かったならば。俺は王位の簒奪を恐れ、我が子を喰い殺したというサトゥルヌスのように、自分の子供を手にかけることになっただろう。

 

 

 

 だが今、モードレッドがアルトリアのことを『父上』と呼んだことで、すべての点が線でつながった。

 

 

 

『叛逆の騎士の名はモードレッドだ。』

 

『モードレッドはブリテンの滅びの原因になる。』

 

 

 

 

『―――滅びの芽は、摘むべきだ。』

 

 

 

 

 ふとモードレッドの顔が、あの人物と被って見えた。

 

 

 ――――明智光秀。

 

 

 俺が殺すべきだと考えながら、終ぞ決心の出来なかった男。あの人のことを殺すには、俺はあの人のことを知りすぎた。あの人の苦悩を、あの人の葛藤を、あの人の決意を、知りすぎた。

 

 

 故に本能寺に火は放たれ、信長様の覇道は終わりを告げた。あんなにも哀しい笑顔を、俺はあの方にさせてしまった。

 

 

 

 

 頭の中で、ドス黒い何かが囁く。耳を通さず、鼓膜を震わせず、直接脳に語り掛けた。

 

 

 

 

 

今なら、殺れるよ。

 

 

 

 

 

 そうだ、今なら殺せる。俺はモードレッドの事情など何も知らないし、周りに目撃者もいない。次やり合ったら勝てるかどうかわからない相手が、今は俺の刃にかかる寸前になっている。

 

 

 

 

殺せ。

 

 

 

 

 そうだ。殺すべきだ。

 

 

 

 こんな機会はもうないぞ。

 

 

 

 そうだ。これは滅びに抗う、最後のチャンスかもしれないんだ。

 

 

 

 

 

ブリテンのためだ。アルトリアのためだ。

 

 

 

 

 

 そうだ。あいつもきっと、ブリテンを守るためだと分かってくれるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 殺せ。殺せ。殺せ。早く殺せ。残酷に殺せ。一思いに殺せ。凄惨に殺せ。美しく殺せ。まがまがしく殺せ。清らかに殺せ。悪のために殺せ。正義のために殺せ。意志のために殺せ。理屈によって殺せ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、その右手に、力を込めて……。

 

 

 

 

 

 

 俺は、声に、誘われるまま―――――。

 

 

 

 

 

 右手の刃を、握りしめた。

 

 


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