“ケン”という男の話   作:春雨シオン

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――――終わるときまで、一緒に。


第七幕 黄金のような剣

 ケンは頭の中の声に誘われるまま、右手の短刀を握りしめた。後はこの刃を、モードレッドの白い首筋に突き立て、横に滑らせるだけでいい。雪のような肌から鮮血が噴き出し、この手は赤に穢れるだろう。だが、それが何だというのか。ブリテンを、アルトリアを、助けられるというのなら、この手がどれほど汚れても構わない。まだ何も知らぬ無垢なるモードレッドを、殺したって構わない。

 

 

そうだ、そうだ! 殺すべきだ!

 

 

 再びあの『声』が聞こえ、ケンの心をドス黒い色で塗りつぶす。ケンはこれが、長い人生の中で初めての殺人だった。榊原鍵吉であったころ、土佐藩の浪士3人に襲撃されたこともあった。信長に仕えていたころ、忍や敵方の武士にさらわれることもあった。それでも彼は、今までに一人として殺したことがなかった。

 

 そんな彼は今、主君のために人を殺す。大義のために人を殺す。

 

 

 

 ―――右手の刃は、太陽の光を反射して輝いた。その光は、あまりに見慣れた鈍色ではなく。

 

 

 

 ―――黄金に、輝いていた。

 

 

 

 

「―――!」

 

 

 

 

 

 

『こちらこそ、是非にお願いしたい! 私についてきてくれますか?』

 

 

『ふ、ふざけないでくださいよ! 何ですか今の技、反則です反則!!』

 

 

『あなたの料理は、いつ食べても絶品ですね!』

 

 

『え、えっとですね。ふ、ふふ二人っきりの時は、アルと呼んでくれませんか……?』

 

 

『―――私は、今改めて思いました。ブリテンの民を守護したいと。ヴォ―ティガーンは間違いを犯しましたが、その精神は本物だったのです。ならば私は、暴力でなく愛によって国を護る。混沌ではなく秩序によって民を束ねる。』

 

 

 

 

 

『―――あなたも、ついて来てくれますか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アル―――――?」

 

 

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

失敗した。

 

 

 

 

もう、心のどこにも殺意はない。こいつの心は愛で満ちた。黄金のような輝きで満ちた。

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

まあ、いい。

 

 

 

 

 

不愉快極まりないが、別にいい。この先いくらでも、機会はある。

 

 

 

 

 

楽しみにしておいてやる。お前がいつ、人を殺すのか。何度目の人生で、人を殺すのか。

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

愛。

 

 

 

 

 

殺意に勝てるものがあるとすれば、愛だけか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケンの手から、短刀が零れ落ちる。黄金のそれは日の光を反射し、ケンの瞳にぬくもりを届ける。かつて主の蛮行により、砕け散った黄金の剣。誰よりも早く彼を見初めた、勝利を示す選定の剣。

 

 

 

 ―――カリバーンが、地面に転がった。

 

 

 

「……? ッ!! てめぇ、何でてめえがこれを持ってやがる!!」

 

 

 ケンの力が緩んだことで、モードレッドはすぐさま跳ね起きた。そしてそのまま、地面に転がったカリバーンに手を伸ばす。

 

 

 ―――だが。それは一体、どんな奇跡だというのだろうか。

 

 

「な、に……?」

 

 

 ―――何の力もかかっていないはずなのに、カリバーンが独りでに動いたのだ。モードレッドの手から逃れるように地面を滑り、尻餅をついているケンの目の前で止まった。

 

 

「カリバーン……? ……そう、か。お前が、助けてくれたのか?」

 

 

 ケンは震える手を伸ばすと、その柄を握りしめた。モードレッドの時とは違い、カリバーンは微動だにしなかった。それどころか、より一層輝きを増したようですらある。

 

 

「……ありえねえ。そんな、そんなことがあっていいはずがねえ。」

 

 

 その光景を見ながら、モードレッドも震えていた。自分の底から湧き上がってくる気持ちがなんなのか、それに名前を付けられなかった。これは怒りか?それとも感動か?あるいは恐怖なのか?だが一つだけ、はっきりしていることがある。

 

 

 

 

 ―――カリバーンは自分ではなく、目の前の男を選んだ。

 

 

 

 

「てめえ、てめえは……。何者なんだ? 何でカリバーンを持っている? 何でカリバーンに選ばれている?」

 

 

 モードレッドは、震える膝で立っているのが精いっぱいだった。突きつけられた現実を、受け止めることが困難であったからだ。

 

 

「……俺、は。俺は……。」

 

 

 

 

 ――――ただの、料理人だ。

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 思わず聞き返したモードレッドは、その言葉を理解してすぐに怒りを発露させる。あまりに高まった感情は、魔力が雷として放出される。赤い雷が彼女の周りを奔り、髪が逆立った悪鬼のような姿になる。

 

 

「―――ふざけんな!! てめえ、オレの事を舐めてんのか!!」

 

 

 激情のまま、モードレッドは尻餅をついたままのケンに斬りかかる。赤い雷を纏ったそれは、たやすくケンの頭をかち割れるだろう。 ―――彼女に、その気があればの話だが。

 

 

「……。」

 

「……ふざけんなよ。なんで、防御しねえんだよ……。」

 

 

 モードレッドは腕を……いや、肩を震わし問いかけた。今にも剣を取り落としそうな彼女を見て、ケンはゆっくりと話し始めた。彼の懺悔と、決意を。

 

 

「―――俺は、お前を殺そうとした。いつかブリテンの敵になるであろうお前を殺し、ブリテンを護ろうとした。 ……愚かにも、俺だけの判断で。」

 

「……なら、何で直前で日和ったんだよ。あそこからなら、何度だってオレを殺せたはずだろうが。」

 

「……。」

 

「答えろ!!」

 

 

 叫ぶモードレッドに動じることなく、ケンは答えた。

 

 

「……アルトリアの事を思い出した。」

 

「アルトリア―――!? おい、何でてめえそれを知って―――!」

 

「俺が彼女の最初の臣下だからだ。彼女がカリバーンを抜いたその日、俺はそこにいた。そして、仕えさせてもらった。」

 

「最初の―――って、ちょっと待ちやがれ!じゃあ何でてめえがカリバーンに選ばれてやがる!!」

 

「……俺はブリテンの王になる者に仕えたかった。だからカリバーンのある場所で待ち続けた。何の気なしにカリバーンに触れようとした時、マーリンが現れた。」

 

「マーリン――!」

 

 

 モードレッドが教えを受けた師に伝えられた、クソッタレの魔術師。目の前の男の台詞の一つ一つが、モードレッドの記憶を呼び覚まし、彼の言葉が真実であることを伝えていた。

 

 

「マーリンは言った。『君がカリバーンを抜けば、君が王になってしまう』と。俺はあくまで王に仕えたいのであって、王になりたいんじゃない。」

 

「だからずっと、待ち続けた。アルトリアが、カリバーンを引き抜くその時を。」

 

「……。」

 

 

 モードレッドは黙りこくってしまった。与太話もいいところなケンの話を、それでも真剣に聞いていたのは、カリバーンがケンを選んだのをはっきりこの目で見たからだ。

 

 

「……なら、何でオレを殺すのを躊躇してんだよ。そうだ、ふざけんな! 父上の最初の臣下なら、父上の敵を排除すんのは当然のことだろうが!! いくらでも殺せるチャンスがあったってのに、何躊躇ってやがんだ!!」

 

 

 殺そうとしたことではなく、殺さなかったことに激怒するモードレッド。これこそ、彼女の歪みの正体。全ては王であるアーサーのためにあり、王の糧になることが善。王の邪魔になるものが悪。彼女のものさしは、彼女の中に存在しないのだ。

 

 

「それは―――」

 

 

 自立、とは自分で立つと書く。自分の中のものさしで、善悪を判断して行動すること。それこそが自立の条件であり、それが出来ないものはロクデナシである。その理論に従うのならば、ここにいるのは二人のロクデナシということになるだろう。

 

 

「―――アルトリアがそれを、望まないからだ。」

 

 

「―――!」

 

 

 

 モードレッドは、自分の身を震わせるこの感情の正体をようやく理解した。その名を、『感動』。彼女が生まれて初めて、自分の同類と出会ったことへの感動。

 

 

 

「―――てめえ、名前は?」

 

「……ケン。」

 

 

 モードレッドは、つうと一筋の涙を流した。

 

 

「そうか。なら、ケン。オレをアーサー王のところまで連れて行ってくれ。」

 

「……話を聞こう。」

 

 

 真剣な瞳でケンを見つめ、まるで少女漫画のワンシーンのような大胆で直球の告白を行うモードレッド。その瞳に戯れの様子がないことを確かめた上で、ケンは続きを促した。

 

 

「オレはアーサー王の姉である、モルガンの子供だ。つまり、オレには王位継承権がある。」

 

「……確かにアルトリアに息子が生まれない限り、次の王位につく可能性はあるな。」

 

 

 息子が生まれていたら、殺していたかもしれないが―――。その言葉は、今になってはケンの脳裏にひとかけらも浮かばなかった。モードレッドは深く頷き、話を続ける。

 

 

「オレは次のブリテンの王にふさわしい存在になるために、ありとあらゆることを学んだ。剣術に政治、処世術なんかをな。」

 

「それで次は、アーサー王のもとで働いて覚えをよくしたいと。なるほど、悪くない。」

 

「お、おう……。それはそうなんだが、何か訳知り顔されてんのムカつくな。」

 

 

 ケンはモードレッドの話を切り上げ、自分の最も知りたかった疑問を投げる。

 

 

「母親がモルガンなのはわかった。では父親はどうした? お前の言う王位継承権に近いのは、モルガンの夫である男のはずだろう?」

 

「ああ、そりゃオレが物心つく前に死んだらしい。だからオレは、父親の顔なんて知らねえ。」

 

「そうか、それは悪いことを聞いた。」

 

 

 

 ―――なるほど、大体掴めてきた。

 

 

 

(モードレッドは恐らく、アルトリアの実子だ。姉妹の間に出来た不義の子であることを隠すため、父親は死んだということにされたのだろう。)

 

 

 ケンがすぐにこのように推測したのには理由がある。ケンがここ、ブリテンに生まれ落ちる前に、とある経験をしていたからだ。ケンがかつて仕えた女性は、皇帝となった自分が女性であることに苦悩していた。女性の生き方と、皇帝の生き方。二つの間に板挟みになった彼女は、最終的に皇帝の生き方を選んだ。

 

 すなわち、性転換の薬を飲んだのだ。仙人由来だというその力は絶大で、彼女はどこからどうみても眉目秀麗のナイスミドルになっていた。もっとも、本人はそれを全く望んでいなかったのだが。

 

 

 ともかく、ケンは性転換をする技術があるというのを知っていた。そのため、モルガンがアルトリアを性転換させたという可能性にたどり着いたのだ。

 

 

(そんなモードレッドがアーサー王に反旗を翻すほど、アルトリアを憎むことになった理由とは何だ? 何が彼女をそうさせた?)

 

 

「……そういえば、アーサー王の事はどう思っているんだ? 俺は近くで見ていて、よくやっていると思うが―――」

 

 

 何気なく切り出したケンだったが、それに対するモードレッドの食いつきようはすごかった。

 

 

「はぁ!? ふっざけんなてめえ如きがアーサー王を気安く語ってんじゃねえ!!」

 

「ど、どうした急に。」

 

「いいか、アーサー王ってのは完璧な王だ! よくやってるなんてちゃちな誉め言葉なんかでいい表せる御方じゃねえんだよ!!」

 

「す、すまない、悪かった。」

 

「チッ、次言いやがったらぶん殴るからな。」

 

 

 なぜか怒られながらも、ケンは思考をやめない。少なくとも今の時点では、アルトリアの事を憎むどころか尊敬しているようだ。 ……いや、もはやここまで来ると崇拝の域か。

 

 だが、深い愛というのは裏切られたとき、強い憎しみへと変わるもの。ひょっとすると、モードレッドの心を裏切るような出来事が起きたのかもしれない。

 

 

(常に彼女のメンタルを気にかける必要があるな。)

 

 

「……んなことよりもよ! オレをさっさとアーサー王に会わせろよな!」

 

 

 とてもではないが、人にものを頼むような態度ではないモードレッドがケンに言う。しかしそれを、ケンは拒むことはしなかった。もとより、モードレッドは身内にするつもりだったからだ。

 

 

「―――いいだろう。お前をアーサー王に取り次いでやる。」

 

「――! へへっ、話が分かるじゃねえか!」

 

「だが、お前が騎士として認められるかどうかは別問題だ。取り次いだ後のことは、アーサー王に従うがいい。」

 

「わーってるよ! そんなもん、父上が間違えるわけがねえからな!」

 

 

 ケンは立ち上がり、モードレッドをキャメロットまで案内する。その後ろを意気揚々とついて行くモードレッドはきっと、自分の力で道を切り開いたことを誇らしく思っているに違いない。実際には、その道はケンの策略に過ぎないことを知らぬまま。

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうだった?」

 

 

 ケンは王城から出る道中でモードレッドに声をかけるが、彼女の顔はどこか浮かない。それどころか、ケンを睨みつけてくる。

 

 

「……その分だと、何か納得いかないことがあったみたいだな。だがそれはアーサー王の言う事、従わないなどと言わないだろうな?」

 

「……わかってる。わかってんだよ、んなこと。」

 

 

 モードレッドの反応を見るに、命令に従わないというのはおそらく選択肢にないのだろう。だがそれが、納得できるかどうかというのは別の話というだけだ。

 

 

「―――だからって、何でオレがてめえなんかの従者にならなきゃなんねえんだよ!!」

 

 

 ――――Phase1、完了(コンプリート)

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

 

 

 

 

 

「……え? モードレッドという騎士を、ケンの見習いにしてほしい?」

 

「ああ、そうだ。中々見どころのある奴だからな、俺のもとで鍛えてやりたい。」

 

 

 ケンはモードレッドを城の外に残し、アルトリアに話を通しに来ていた。最初はケンの遅い帰りを心配していた彼女は、帰ってきたと聞いて顔を輝かせたが、突然の申し出に困惑しているようだった。

 

 

「……ひょ、ひょっとして女性だったり?」

 

「ああ。だが、何と言うか……心は男というか、自分は男と思っている女性というか……。」

 

「なーんだ、それなら安心ですね! 全然オッケー、もーまんたいです!!」

 

 

 喜んだり疑ったり、また喜んだりと忙しいものだ。まあひとまず許可が下りたため、ケンはモードレッドを迎えに行った。仮にアルトリアがモードレッドの地雷を踏んだのなら、俺の足もその上に重ねなくてはならない。足に力を込め、地中深くまで押し込まなくてはならない。覚悟を決めながら、ケンは玉座の間の扉の前で立ち止まった。

 

 

「さて、それでは謁見だ。くれぐれも、失礼のないようにな。」

 

「わーって……いや、承知した。行こう。」

 

 

 口調を整えなおしたモードレッドは、頭をすっぽりと覆い隠す鎧兜の姿で頷いた。アルトリアが余計な心配をしないようにという配慮だ。

 

 

「アーサー王、モードレッドを連れてきました。」

 

「―――入ってくれ。」

 

 

 モードレッドとアルトリアの会話は、うすら寒さを感じるほどに事務的で簡単なものだった。だがその温度のないやりとりこそ、二人が各々の理想的な姿であることの証だ。王は当然のように騎士を使い、騎士は当然のように王に従う。それこそ、理想的な主従というものだ。

 

 

「―――以上だ。何か質問はあるか。」

 

「いいえ、アーサー王。これより我が命、貴方様に捧げます。」

 

「―――そうか。ではしばらくは、そこのケンのもとで学びを深めるといい。必ずやお前の糧になることだろう。」

 

「はい。貴方の命令であれば、そのように。」

 

 

 アーサー王は、ケンの方を向いた。

 

 

「また貴方の仕事が増えてしまったな。だが、どうか許されよ。」

 

「貴方様の責務に比べれば、この程度。」

 

「頼もしい返事だ。よし、それでは下がるがいい。」

 

「はい。行くぞ、モードレッド。」

 

「……はい。アーサー王も、どうかご健勝で。」

 

 

 ケンとモードレッドはこうして部屋を出て、先ほどの会話に繋がるというわけだ。

 

 

「まあそう言うな。やってみれば、意外と料理人の仕事も楽しいかもしれん。」

 

「……チッ、やるって言ってんだろ。オラ、さっさと案内しやがれ。」

 

「わかって……ゴホッ!ゴホッ、ゲホッゲホッ!!」

 

「おいおい、風邪でも引いたってのかよ。オレにうつすんじゃねえぞ。」

 

「……すまない。少し、ほこりっぽかったからな。」

 

 

 

 ―――ケンはまた、嘘をついた。咳き込む口を押えた手のひらについた、血が混じった痰をハンカチでこっそりふき取った。自分に迫るタイムリミットが、まだ先であることを祈りながら。

 

 

 




「……なんか、びっくりしちゃった。いきなり話の感じが変わるんだもん。」

「……。」

「……。」

(二人とも黙っちゃった。ここが、重要なところってことかな?)

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