「いやあ、ついに結ばれたんだね! 私も中々やきもきしながら行く末を見守っていたものだから、正直ほっとしているよ!」
「……やめろマーリン。どこで誰が聞いているかわからないんだ。」
ここはキャメロットから少し外れた土地。ケンはマーリン経由でいろいろと他国の作物を手に入れていたため、それをここで栽培していた。本来この時代のブリテンには存在しない作物も沢山あるため、あまり大々的には作れないのだ。それこそ、国民の食生活を豊かにするような量は作れず、もっぱらアルトリアの食事用―――あるいは祭りの際にふるまわれる料理に使う程度の量しか育たなかった。
例外として、ジャガイモだけはキャメロットで大量に栽培している。本来この時代には存在しないのだが、主食として最適なのでこのくらいは許してほしい。見ているか菌糸類。あなたのガバ時代考証は、意外なところで役に立ったぞ。
さて、そんな畑にやってきたマーリンは、ケンがアルトリアと結ばれた日から一か月ほど後に帰ってきていた。何をしていたのかはわからないが、まあ聞く必要もないだろう。
「まあまあ、私の千里眼でこの辺りに人がいないのは確認済みだから安心していいとも。それよりどうだったんだい、アルトリアの身体は?」
「……今度同じことを聞いたら首を落とすからな。」
自分の仕えている王を娼婦か何かと勘違いしている宮廷魔術師にすごみつつ、ケンは土をあれこれいじっていた。信長様のもとで刺激的な人生を過ごしていたためか、のんびり農民を……という気分にはならなかった。それでもこの時代に存在しない堆肥などを使って、農業の改良を図っていた。
それでも収穫高の低下を緩やかにする程度の効果しかなく、自分のところの収入だけではどうしようもない諸侯も現れ始めた。アルトリアはとうとうローマへの侵攻を決め、今は着々とその準備が行われているところだった。
「それにしても、君もよく働くものだね。そろそろ死期が近づいていると思うのだけど。」
「相変わらず歯に衣着せない奴だ。まあ、今はアルトリアもモードレッドも手が離せないからな。食事の時間でもないし、何もすることがない。そうなると、働いていないと落ち着かないんだ。」
「まるで仕事中毒だね。まあよほど無理をしなければ、命が縮まるようなことはないと思うよ。ピンピンコロリという奴さ。」
「へぇ、そんな言葉、この時代には既にあったのか。言葉ってのは面白いものだな。」
手に持っていた土を畑に戻すと、ケンは袋に入った荷物を抱えた。
「おや、もう終わりかい? それじゃ私も、そろそろお姉さんに甘える時間だから……。」
「待てマーリン。聞きたいことがある。」
ウキウキの足取りで歩き出すマーリンだったが、ケンに呼び止められて不機嫌そうに振り返る。彼に感情はないため、あくまで不機嫌そうな仕草というだけだが。
「このローマ遠征、どのくらいの年月が必要だと思う?」
「うーんそうだね。少なくとも、君が死んでから帰ってくることになると思うよ。」
「……もう少し何とかならなかったのか。」
あんまりにもあんまりなマーリンの物言いにケンは眉を顰めるが、彼の知りたいことはわかった。RTA走者のようなコミュニケーションは、マーリンと会話する上であまり気にしてはいけない。
「そうは言っても事実だしね。それに、君の方がよくわかっているはずだろう?」
「……それでもだ。人と会話するなら、慮った方がいいこともある。」
文句を言いながらも、ケンにさほど気にした様子はない。マーリンの言葉が正しいことの証拠だ。
「まあ君がそういうなら、君のことを考えた話をしようか。一つ提案なんだけどね、星の内海に興味はあるかい?」
「星の内海? なんだそれは。」
「魔術に明るくない君に詳しく説明しても理解できないだろうから、簡潔に説明しよう。この世界は地球という星を包んでいる布のようなものなんだ。これをテクスチャと呼ぶけど、物事には常に裏表があるものだ。その裏側が星の内海―――アヴァロンと呼ばれる、妖精郷なんだ。」
マーリンはさらに話を続ける。
「そこは何の苦痛も悲しみもない理想郷でね。本来ならどんな人間もたどり着くことが出来ない場所だが、私の手引きがあれば話は別さ。」
「……そこに俺を連れていきたい、と?」
「その通り。君は今まで王によく尽くしてくれたから、お礼みたいなものさ。最終的にはアルトリアもそこに行くことになっているから、君が先に行って待っているといいよ。」
「なんだか、話がうますぎるように感じるな。実際のところ、何か目的があるんじゃないか?」
「いやいや! 君たちの夫婦生活があまりに短いものだったからね? 私も少しかわいそうに思っただけのことだよ。」
あくまで柔和な笑みを浮かべていたマーリンだったが、やはり何かを隠しているような気がする。ケンはふと思い立ち、マーリンに問いかけた。
「ひょっとして、俺の転生のことを気にしているのか?」
「……相変わらず鋭いね。隠し事は得意だと思っていたんだけど。」
マーリンは相変わらず笑みを浮かべていたが、少しだけその笑顔に影が差したような気がする。ケンはさらに突っ込んだ。
「教えてくれ、マーリン。俺が転生すると、何か不都合があるのか?」
「うーん、その、まあそれもあるんだけど……。でも抑止力もあることだし、君がどんなに詳細な知識を持って過去に生まれたとしても、君一人で歴史が変わることはない。だからこそブリテンの滅びも、緩やかに滅ぶという選択肢をとったわけだしね。」
「あまり詳しいことは教えられないけど、これだけは覚えておいてほしい。ケン君、君を転生させる存在はね、君を死なせないことが目的じゃない。むしろ、君を死なせることが目的なんだ。」
「……何を、言ってるんだ? 死なせることが目的なら、とっくの昔に俺は死んでる。それを無理矢理蘇らせてるのが、その黒幕なんじゃないのか!?」
「おっと、これ以上は話せない。話してしまえば、君は必ずその黒幕を追うだろう。そいつを倒すことさえ出来れば、君の転生は間違いなく終わる。だがそれは、君も抑止力の標的になることを意味するんだ。君の話を聞く限り、2015年の段階でもそいつは生きているからね。」
「だ、だが人間1人や2人くらいなら抑止力は動かないんじゃなかったのか!?」
「うん。一人や二人では抑止力は動かないよ。その人物が滅びの原因でない限りね。 ……だけど黒幕は、今や人類史の深いところまで根をはってしまった。揺らぐことのない大樹のように……あるいは、どれだけ掃除しても湧き出てくる黴のように。それこそ黒幕がいなかったことになれば、人類史が根底からひっくり返りかねない。そうならないように抑止力は存在するから、君は世界の敵になりかねない。」
マーリンは一息つくと、厳かに口を開いた。
「……断言しよう。このまま生き続ければ、君は未来で最悪な死に方をする。」
いつもの調子とはまったく違う、刃のような温度のない言葉。その言葉はケンの胸を貫き、彼に冷や汗を流させた。
「とまあ、たまには魔術師らしく預言なんてしてみたけれど、どうだったかな?」
「……。」
「少し脅かしすぎてしまったかな。でも大丈夫、アヴァロンに行けば全て解決さ! 何の不安もない場所で、アルトリアと一緒に暮らせばいいじゃないか。」
「……すまない、少しだけ待ってくれないか。その、料理を作らなくてはならないから……。」
「まあ……大切なことだから、ゆっくり悩むといいよ。それこそ君が死ぬ直前にでも答えを聞きにいくからね。」
「……感謝する。」
ケンは何とか返事をし、背を向けて重い足取りで歩き出した。ようやく掴みかけた黒幕は、世界そのものに守られていた。そいつを狙えば、自分は世界に殺される。だがそれでも、自分の人生はきっと終わらない。また新たな肉体を得て、また新たな人生を続けるのだろう。
だが、耐えられるのか? ケンは自分の精神が、少しずつ擦り減っていることを認めざるを得なかった。どんなに沢山の人々と交流し、誤解や対立を乗り越えて仲を深めたとしても、自分だけが先に行かなければならない。このブリテンで出会った人々も、死ねば二度と会えない。それが正しいことなのだろうが、自分だけは覚えている。遺されたアルトリアのことばかり気にしていたが、自分も大して変わらない境遇ではないか。
―――無間地獄。思わずその言葉が頭をよぎる。終わらない生は、心を蝕み続けていた。
それに比べたら、マーリンの提案のなんと甘美なことだろう。果てのないトンネルの中で、明確に終わりを与えてくれる。その上そこには愛する人もいて、何も恐ろしいものはない。
本当はわかっているのだ。人間ならば、死ぬまで生き続けることが正しいと。アヴァロンに行くことは逃避だと。だからこの場はマーリンの提案を断り、キャメロットへの帰路を歩いている。だが魔術師は、自分が死ぬ直前に答えを聞くと言った。自分は果たして、その瞬間まで生を諦めないでいられるだろうか? 苦痛に抗い、生きることを選べるだろうか?
まるで足に鉄球をつけられたかのような気分で、ケンは歩いていた。その後ろ姿は、運命の鎖に縛られた囚人のように見えた。
―――――――――――――――――――――
「戻ったか、ケン。」
「はっ……。」
キャメロットへと戻ったケンはやるべきこともなく、かといって何かをする気にもなれず。ただぼんやりと時間を過ごした後、アルトリアから呼び出しを受けていた。部屋に入るとアグラヴェインを筆頭に文官たちが慌ただしく動いており、否応にも戦火の匂いを感じさせた。
「知っての通り、まもなく我々はローマ帝国への侵攻を開始する。貴殿には円卓のシェフとして、糧食の生産の監督と出立前には宴の準備を行ってもらうことになる。やってもらえるか。」
「……承りました。では早速、準備にとりかかります。」
堅実な――――逆に言えば、ありきたりでつまらない指示だ。ケンは部屋を出て、厨房へと歩きながら思う。信長様ならきっと、あっと驚くようなことをさせてくれるのだろうな――――。
(……!? な、何故俺はこんなことを考えている!?)
やさぐれている。思ったよりもはるかに、黒幕を追えないというストレスが心に負担を与えている。……しかし、これも無理のないことと理解してほしい。ケンはたった今、人生の目標を奪われたも同然なのだから。それこそ、モルガンに両腕を差し出したとしてもここまでは落ち込まなかっただろう。モードレッドを救えたし、何より再び転生すれば両腕が使えるからだ。
だが黒幕に関してはどうだ? この先、何度繰り返してもそいつは安全地帯からケンのことをあざ笑っているのだ。何度繰り返しても、そいつの首には届かないのだ。
(……いつぶりだろう。こんなにも、死ぬのが怖いのは。)
……どうせ、どうにもならないのなら。ずっとここにいたい。また誰も自分のことを知らない場所に行くのは、怖い。
それでも心を何とか押し殺し、糧食を作る料理人たちを監督した。戦場において、食の果たす役割は大きい。美味い食事というのはそれだけで士気を高揚させるし、兵士たちの健康状態を保つ上でも欠かせない。そのことに気づいていたナポレオンが保存食のアイデアを民間から募集し、缶詰が生まれたという話はあまりにも有名だ。
ケンは固く焼いたクッキーのような糧食―――有体に言えばカロリーメイトを作らせており、あれこれと指示を出しながら忙しく歩き回った。少しでも働いて気を紛らわしたかったというのもある。クッキーを焼く者、クッキーを袋に詰める者など分担して行われた作業により、大量の袋の山が出来上がる。これをリヤカーに積み、倉まで運ぶのを繰り返し、作業は日が暮れるまで行われた。
「ケンさん、今日はこの辺りにしよう。」
「……そう、ですね。」
「……? その、大丈夫か? なんだか顔色が悪いような……。」
心配する副料理長に曖昧な笑みを返しながら、ケンは踵を返した。今日はアルトリアの部屋に行く日、疲れを顔に出すわけにはいかない。部屋に行く前に、顔を洗うとしよう。
「……幸せですね。」
「そう、か……。」
今、俺はアルトリアと同じベッドで眠りについていた。アルは本当に幸せそうな声だが、どうしても負い目が優ってしまう。
「……すまない。俺がまともな体なら、お前のこと……。」
「……。」
どうしても心は後ろを向き、弱音ばかりが口をつく。アルトリアの顔を、まともに見ることが出来ない。だがその時、いきなりアルトリアの顔が目の前に現れた。
「どうして、謝るんですか?」
「え……?」
思わずアルトリアの顔を見つめてしまう。彼女のエメラルドの美しい瞳がまっすぐに俺の目を射抜き、思わず目を反らしそうになる。だが一方では、彼女から目を反らせなかった。あまりにも暖かい、笑顔だったから。
「私はずっと、民が幸せならそれでいいと思ってきました。それだけでは、いつか折れる日が来てしまう。でも私には、あなたがいてくれたんです。あなたがいてくれたから、ここまで来ることが出来たんです。」
「だから今度は、私があなたを幸せにする番なんです。今までずっと私たちを幸せにしてくれたあなただから、もうあなたの幸せを望んでもいいんです。」
「……だから、何かしたいことはないんですか? 例えば前の人生から、ずっと心残りだったこととか。」
「―――!」
そうだ、忘れていた。大切な、大切な記憶。
―――もし私が生まれ変わって、ケンさんの周りの、どんな女の人よりも、沖田さんがいい女の人だったら。
―――ワシの代わりに、お主が天下を獲れ。地獄からそれを眺めていようぞ。
―――どうか、平穏に。平穏に暮らしてほしい。平穏な暮らしが、何よりも尊いものだと気づいたから。
「……よかった。あったみたいですね。」
気づけば涙が零れ落ちていた。あんなに大切な記憶だったのに、いつの間にか失くしていた。長く、生きすぎた。
「……ありがとう……。ありがとう、アルトリア……。」
そうだ、死ねない。死ぬわけにはいかない。沖田の生まれ変わりにも会っていなければ、信長公のいうように天下もとっていない。
「もう、大丈夫ですか?」
「ああ……、ああ。もう、もう大丈夫。もう迷わない。俺、俺は、まだ生きて―――」
そこで気づいた。まだ生き続けるということは、アルトリアと別れるということだ。それを彼女はわかったうえで言っているのだろうか。涙まみれでしょっぱくなってしまった口で、何とか言葉を紡ぐ。
「……その、アルトリア……。俺が、生き続けるということは、もうお前とは……。」
「……ええ、知ってます。」
アルトリアは再び笑いかけてくれたが、どうしても寂しそうな印象を受ける。
「だから、私のお願いも連れて行ってくれませんか?」
「……お願い?」
「はい。私のこと、忘れないでください。私だけじゃなく、円卓の騎士やこのブリテンで暮らした人々のこと、忘れないでください。それだけで、満足ですから。」
「……。」
ケンは今度こそ、アルトリアの瞳を直視した。彼女の瞳に嘘の色はなく、本心からの言葉だと信じられた。強い決心の瞳を受け止め、俺はアルトリアの両手を包み込むように握りこむ。
「……約束する。絶対、絶対に、忘れない。これからどれだけ長い時間を経ても、皆俺の中にいる。」
「……よかった。それなら、安心して死ねます。」
そう言った彼女は、本当に安心したような顔をしていた。何度も死んで来た身だからわかるが、自分のことを知っている人がいてくれるというのは本当に安心するものだ。自分が生きてきたことを、肯定されたような気がする。
「さあ、安心したところで寝ましょう。ケン、また抱きしめてくれますか?」
「勿論。ぐっすり眠るといい。」
嬉しそうに胸に顔を埋めるアルトリアがたまらなく愛おしく、つい抱きしめてしまう。彼女の行為はひょっとすると、実年齢からすると幼いものなのかもしれない。でもそれでいいのだ。どんなに辛いことを経験しても、どんなに体が成長しても、誰しも子供の心を持っているものだから。どんなに未熟なところを見せたとしても、月の他に知る者などいないのだから。
「料理長! こっちの仕上げ終わりました!」
「肉焼き、あと5分です!」
「ソース味見お願いします!」
戦場と化した厨房において、俺のような病人に出番はない。それでも何かせずにはいられず、味見と監督を担当していた。指示を飛ばしながら、料理人が次々と匙を持ってやってくるのに対応する。
「これは酸味が強すぎる。こっちは塩をもうひとさじ入れておけ。」
「はい!」
次々と完成した料理が外へと運ばれていき、がやがやと盛り上がる騎士や兵士たちの腹にどんどん収まっていく。普段食べたこともないような美食の数々に、皆の士気はうなぎのぼりだ。
「おい! ポタージュはこんなもんでいいのか!」
「師匠! こっちのパイも試食お願いします!」
モードレッドとガレスも、本来する必要のない仕事だというのに汗を流してくれている。二人ともローマ遠征にはついて行かないそうなので、ありがたく手伝ってもらおう。
「……うん、合格だ。成長したな、二人とも。」
「よっしゃ! へへ、そんじゃ持ってくぜ。父上が待ってるからな!」
「あれ、モードレッド卿の御父上がいらっしゃるのですか? それならぜひ、ご挨拶を……」
「やべ……! そ、そんなことする必要ねーって! おら、とっとと行くぞ!」
モードレッドはどこかうかつだったが、それもここが安心できる場所ということの裏返しだろう。そう思うと、なんだか浮き立つような気持ちになる。初めて会った時にはあんなにもとげとげしかったのに、今ではすっかり牙の抜けた獣だ。
そんなモードレッドが歩き去って行ったしばらく後、料理人の一人が駆け寄ってきた。
「料理長! まもなく出立とのことです!」
「―――そうか。わかった、行くとしよう。」
これがきっと、今生の別れになる。人目があるからアルトリアの望んだ終わりではないかもしれないが、それでも素晴らしいものにしてやりたい。震える足に体中の力を込めて何とか立ち上がり、外へと歩みを進める。
「さーて、次はっと……。うわっ、お前何やってんだ!」
「モードレッド……? ちょうどいい、少し……肩を貸してくれるか?」
「え、か、かかかた!? お、お前それマジで言ってんのかよ!?」
「……? すまん、自分で歩くのがきつくてな。お前が嫌なら、無理にとは言わないが……。」
「そ、そうじゃねえけど……。あーもう、わかったよ!」
モードレッドが俺の腋の下に腕を通し、肩を貸してくれるのにありがたく世話になる。今の彼女は平服だから、体の感触がダイレクトに伝わってくる。こうしてみると、モードレッドもやはり女なのだと感じる。もっとも娘みたいなものだと思っているから、成長の歓びをひしひしと感じているだけだ。
「……たく、しゃきっとしろよな。父上のとこに行くんだろ?」
「ああ……。大丈夫、あいつの前に出たら、ちゃんとするさ。」
「―――あいつの前では、かっこつけたいからな。」
「……。」
そこからは、お互い口を開かなかった。俺も出来るかぎり体力を温存したかったし、モードレッドもしかめ面で話しかけてこようとすらしない。きっと彼女なりに、気を遣ってくれているのだろう。そう思いながら歩き続け、アルトリアがいる塔のてっぺんまでたどり着いた。
「ありがとう、モードレッド。少し、二人にしてくれるか?」
「……おう。」
モードレッドは踵を返し、歩き去っていった。その背中を見送り、俺は部屋の扉を開く。
「―――来たか、ケン。」
「―――ああ、アルトリア。これが多分、最後のお別れだ。」
沢山の騎士たちの前で、気を張っていたアルトリア。こちらを振り向くことなく、言葉を背中越しに投げかける。人々の前で王としてふるまおうとしているアルトリアの意志を感じ、すぐに跪いてその言葉に耳を傾ける。
「いろいろな……いろいろなことがあった。ヴォ―ティガーン、クエスティング・ビースト、サクソン人にピクト人、大量の巨人たち……。その間に、何度もあなたと食卓を共にした。」
「私が辛い時、いつだってあなたが傍で支えてくれた。私が嬉しい時、いつだってあなたが傍で共に喜んでくれた。」
「今まで全く二心なく、私に仕え続けてくれたこと。私は生涯忘れはしないだろう。」
跪き、目線はつま先を見続ける。幾度となく繰り返された別れといえど、いつになっても慣れはしない。俺の体が震えているのは、倒れ込みそうな体を地面についた手で支えているからだ。きっと、そうに違いない。
「―――ケン。」
「―――。」
違う。この『ケン』は、違う。王のアルトリアの言葉じゃなくて、少女としてのアルトリアだ。弾かれるように顔を上げた俺の目には、目を潤ませるアルトリアが映った。きっと俺も、似たような顔をしていたに違いない。
王にも、淑女にも似つかわしくない仕草で目元をゴシゴシと拭い、アルトリアは微笑した。その笑みがあまりに綺麗だったので、俺は不覚にも呆けてしまう。何か言葉を挟む暇もなく、アルトリアは口を開いた。
「―――貴方が、私の鞘だったのですね。」
彼女が何を伝えたかったのか、一瞬のうちに理解する。出会ったばかりのアルトリアに、最初に教えた話を言っているんだ。
『―――大切なのは鞘の方なんだ。剣は簡単には形が変わらないし、不用意に触れた者を傷つける。』
『俺は剣というのは、人間の
『……まあ、俺もとある人からの受け売りさ。覚えていたら、いつかいいことがあるかもしれないな。』
(―――覚えて、いたのか。)
嬉しい。心の底から沸々とこみ上げてくる熱を感じる。何か返さなくてはと思うよりも先に、口が先に動いた。
「―――アルトリア。お前もまた、俺の出会った素晴らしい王だった。きっと次に出会う誰かに、お前の事を語るだろう。」
「―――!」
アルトリアもまた、泣き笑いのようなひどい顔をしていた。それでも騎士たちには背中しか見えていない。俺しか知らないその表情は、次の人生へ持って行こう。大切な宝物がまた一つ増えた。
泣き虫の王様の背後から、気づけば朝日が昇りつつあった。黄金の輝きに照らされ、二人の時間は終わりを告げる。もう、それぞれの人生に帰らなくてはならない。
「―――さようなら、ケン。私の生涯で、最も大切な人。どうかあなたに、素晴らしい終わりが来ますように。」
「―――ああ。お前にも、ブリテンにも、素晴らしい滅びがあることを願う。さようなら、アルトリア・ペンドラゴン。誰よりも高潔で、正しくあろうとした王よ。」
二人は互いに背を向けた。王は彼女の言葉を待つ、大勢の人々の方を向いた。料理人は彼を待っている、終わりに向けて歩を進めた。二人の道はもう、交わることはないのだろう。それでもきっと、繋がっているものはある。その繋がりがある限り、きっといつかすれ違うくらいは出来るだろう――――。
――――――――――――――――――
「やあ、ケン君。すまないね、最後に見るのがイケメン花の魔術師お兄さんで。」
「……お前の……減らず、口は……止まらない、な……。」
キャメロットのどこかにある、小さな部屋の一つ。そのベッドに、一人の大男が寝かされていた。枕元には、女性と見紛うほど麗しく色気のある花の綿毛のような男が立っている。
「おっと、すまないね。今ちょっとだけ時間をゆっくりにしていたのを忘れていた。そろそろ体が慣れると思うんだけど……。」
「……やれやれ。最後の最後まで締まらない奴だな、マーリン。」
ケンと呼ばれた男の返答に掴みどころのない笑みを返したマーリンは、真顔に戻ると問いかけた。
「―――さて、それじゃ一応答えを聞いておこう。ケン君、アヴァロンに行く気はないかい?」
真剣なマーリンの様子に、ケンの顔つきも自然と真剣になる。かすれかすれの声だが、それでもはっきりと答えた。
「―――ああ。俺はこのまま死に、次の人生を生きる。まだ、果たしてない約束があるからな。」
「……そう、か。」
残念そうな、あるいは納得したような顔で、マーリンは頷いた。
「うん、まあ、そんな気はしてたんだ。義理堅い人だからね、キミは。」
「よくわかってるな。まあ、心はもう爺さんだ。年を取ると頑固になるものだから、諦めてくれ。」
「……。」
ケンはマーリンに更に言葉を続ける。
「どうした。そんなに俺の答えが残念だったか。」
「……いや、何故だかわからないんだけどね。今ボクの胸に、よくわからないものが渦を巻いているんだ。君が死に……より過酷な道に進むことに対する……そう、憐憫。憐憫を抱いている。でもそれだけじゃないんだ。もう無茶なお願いを聞かされることもないと思うと寂しいような気もするし、でも君が納得した道を選べたことを喜ぶような気もする……。あるいはすべてがまやかしで、ボクはやっぱり何の感情もないのかもしれない。」
「……。」
「あ、あはは。どうしてしまったんだろうね。人の死なんて、山ほど見てきたはずなのに。」
「……いいんだ、マーリン。」
「え?」
ケンは、孫を見る老人のような顔で微笑んだ。彼が最後に関わる
「お前が思いたいように思えばいいんだ。お前はとうとう感情を手に入れて、人間の仲間入りをしたのかもしれない。あるいは、ただの気まぐれなのかもしれない。」
「―――それでも俺は、お前の事を友だと思う。共にブリテンに生きた、仲間だと思う。」
「それだけは忘れてくれるな。それだけだ。」
「――――。」
魔術師は、いつものようにしようとした。笑ってごまかそうとした。しかし頬の肉はうまく動かず、舌を動かすのが精いっぱいだった。
「ふふ、そうやって数々の女性を落としてきたんだね。参考にさせてもらうよ。」
「……ああ。だがまあ、ほどほどにしておけよ。」
ケンはすべてわかっているというように笑った。彼の四肢は既に動かず、穏やかな死はノックを始めた。最後の挨拶をするべく、ケンは口を開いた。
「……そろそろ終わりだ。マーリン、皆によろしくと伝えてくれ。」
「―――もちろん。だがそう、本当に何もないのかい? よほどのことでなければ、今までのお礼に何かしてあげようと思うのだけれど。」
「……。」
してほしい事。死を前にした人間に言うことではないと思うが、ケンには一つだけあった。自分ではなく、死地に赴く彼らのために。
「……それなら、誰か戦場で死んだときに。三輪でいい、花を咲かせてほしいんだ。」
「花を……? それならお安い御用だけど、それでいいのかい?」
「……ああ。戦場は、寂しいからな。一輪は、家族のもとに。一輪は、王のもとに。そして最後の一輪は、天国まで持って行くんだ。そうすれば誰も、一人じゃない。誰も、寂しい思いはしないで済む。」
「……確かに。君の願いは、このブリテンが滅ぶその日まで続くと約束しよう。」
それを聞いて、ケンはまだかろうじて動く唇で笑顔を作った。もう何も、心残りはなかった。
「ありがとう、マーリン。もう見送りは十分だ。次の人生に旅立つとするよ。」
「……それなら、失礼するとしよう。さようなら、ケン君。」
マーリンは魔術を解除し、部屋のドアを開けて外へでた。ケンはとうとう一人になった。旅立ちの準備は整った。
「―――さようなら、ブリテン。滅びの決まった、ひとりぼっちの島よ。それでもここは―――そう、美しい場所だった。」
ケンはゆっくりと目を閉じ、柔らかな枕で眠った。決して覚めることのない眠りだった。それでもそれは、終わりではなかった。
「そう―――。これは、終わりではない。」
「君が死んだことで、君は次の人生に進む。新たな人々と出会い、新たな経験を積む。」
「それはきっと、人類の切り札になる。過去を求めた黒幕への、これ以上ないカウンターになる。未来へ進む者こそが、いつだって輝いているのだから。」
「―――さようなら、私のトモダチ。いつかきっと、君と出会う日が来るだろう。」
「……
魔術師は手に持った杖を一度だけ、床に打ち付けた。キャメロットの花という花が季節を忘れて花開き、そして一生を終えて散った。花びらたちは宙に舞い、風に吹かれて飛んでいった。花びらたちが消えた空はきっと、彼が見上げる空に繋がっているに違いない。