「……聞こえてる?」
「聞こえてるなら、返事してよ。ねぇ……」
▽
「……SQ」
目を開けると、SFチックな部屋の中にいた。
……俺は自室にいたはずだ。なのに、どういうことだ?
意識を失う前後で、全く一致する物がない部屋を見て、目を覆いたくなる。
しかし、幾ら逃避をしようとしたところで現状は変わりはしない。ただ、話し合いの声が聴こえるだけだ。
「SQ」
ぐるりと眼球を動かす。
俺は今、円状の部屋の中にいるようだ。部屋の丸い机があり、囲むようにして十数人の人間がいる。
街中で見かけたら振り返ってしまうくらいに、皆特徴的な衣装を着ている。
……現実離れした光景が広がっていることが分かっただけだった。
なんで、俺はこんな場所にいるんだ?
俺、普通に自分の部屋にいたよな。いや部屋にいなかったとしても、断じてコスプレ会場に行ったりしていない。
どう考えても今の状況に結びつかない。
不安に思い下を向くと、豊かな双丘があった。
「……胸?」
自分から出た声はいつもよりも高い。慌てて下を向くと、そこにあるべきものがない。
「……SQ」
……つまり、どういうことなんだ?
ぎょっとするが、それでも状況は変わらない。
頬をつねってみるという古典的な方法を取ってもみたが、ただ痛いだけだった。
「……SQ!」
間近に聞こえてきた大声に驚き、思わず肩を震えた。
SQ? さっきから聴こえてはいたが、SQってのは何のことだろう。
不思議に思って辺りを見渡すと、周囲の人たちの目線が俺に向けられていることに気が付いた。
呆れたような目、気まずそうに逸らされる目、怒ったような目。反応はまちまちだったが、好意的なものは一切感じられない。
その中でも目立ったのは、隣に立っている人のものだ。赤いヘアピンのその人は俺の顔を見て、SQと再度唱えた。
「SQ、聞いてる?」
……どうやら、SQというのは、俺のことを指していたらしい。
周囲からの視線を一身に受けた俺は、気まずさのあまり、目を逸らした。
「どうしました?」
俺が言葉を返すと、その人は口を開く。
「今日コールドスリープされるのは君に決まった。言い残したことがあるなら、聞くよ」
「え……? こ、コールドスリープすか?」
思わず声が裏返った。
コールドスリープ。あまり知識はないが、肉体を凍らせるとか冷凍保存するとか、そんな物騒な単語だったのは覚えている。
唐突にコールドスリープすることを強要され、しかも己の肉体は女と化している。
──これは夢なのではないか?
現状を踏まえ、結論を出す。
SFが好きだったというわけではない。興味のない分野だったし、女になりたいという観望も持ち合わせていなかったはずだ。
だが、今の状況が現実であると考えるよりは、断然可能性は高い。そもそもここが現実というには違和感がある。現実味がないし、なんだか夢心地だ。そう、これはやはり夢だろう。
……いや、でも、夢だとしても死にたくはないが。
「待ってください、俺まだ死にたくないです」
「コールドスリープだから、死ぬ訳ではないよ」
つまり凍死しろってことだろう。
そう思っていただけに、ヘアピンの人の言葉には驚いた。
「もしかしてコールドスリープするの初めて? 確かに最初は怖いかもしれないけど、慣れれば何てことないから」
「疑いが晴れればいつでも解凍することは出来る。それなのに足掻き続けるということは、だ……やっぱりSQはグノーシアなンじゃない?」
いけしゃあしゃあと言ってのけるそいつを睨むと、馬鹿にするような笑顔が返ってきた。
「この人、怪しくないですか? コールドスリープすんのはこの人でいいと思います」
「ラキオは人間だと確定しているよ。騒動の最中、船内に留まっていたからね」
「ハハッ! 残念だったねSQ!」
……そういうことは早めに言ってほしかった。
安全圏にいる人間だと分かれば、もう少し対応を考えていたというのに運が悪い。
「なら、俺よりも寡黙なやつにしませんか?」
俺は周囲を見渡した。
俺にヘイトが向かっているというのなら、周囲へと疑いの矛先を向ければいい。
「この人とかさっきから一言も話してませんし、これからの議論で役に立つとは──」
しかし、努力虚しく、周囲の不審そうな目が増えていくだけだった。
「もうすぐ時間なんだ。今更コールドスリープさせる相手を変更する時間はない」
そう言われてしまえば、打つ手もないように思えてきた。
「……」
部屋の中にある丸い机の上。そこに投影されたホログラムには、ここにいる人たちの顔が映し出されていて、その画像の横には数字が書かれている。
拮抗してはいたが、それでもSQと書かれた女の数字が一番大きかった。
この身体の持ち主であるSQはこんな顔なんだな、と半ば現実逃避のように見ているが、そんなことをしても現状は変わらない。
俺は、一番多く投票されたからコールドスリープされる。
「……なんで?」
「SQ、負けは負け」
そう告げられ、腑に落ちないままに息を吐いた。
「私が、SQのコールドスリープを見届けるよ」
そう告げるヘアピンの人に、周囲の人も異論はないようだった。
「それじゃあ各自解散、空間転移には各自部屋にいるように」
場を取り仕切っていたその人の一声で、この場にいた人たちは散り散りに去っていった。
……俺はどうすればいいんだろう。
コールドスリープ、投票なんて言葉を聞いた為、もう少し厳しい扱いを受けると思っていたんだが、そんなことはなさそうだ。
他の人たちは雑談で盛り上がっており、俺のことなど気にも留めていない様子。この分なら、コールドスリープしなくてもいいのかもしれない……などと考えていると、声をかけられた。
「行くよ、SQ」
……流石に逃げることは許されないらしい。
慌てて頷き、先導された道を歩く。
どうやら進む先は下り道のようだ。黙々と歩く人の背を見るが、全くこの状況への理解は追いつかない。
「あなたの名前、教えてもらっていいですか?」
俺がそう尋ねると、前を行くその足が止まる。
「私はセツ。自己紹介は済ませていたと思っていたけど……」
「それは……ど忘れです」
「……そうか」
怪訝そうに俺を見るセツさんは、首をかしげながらも歩き始めた。
余計なことを言ってしまった気もするが、問い詰められはしなかった。別に問題がないってことだろうか。
「着いたよ」
そう告げられ、足を踏み入れた部屋は異質だった。
先程までいた部屋は白い色合いだったが、この部屋は黒く、少し寒々しい印象を受ける。
そんな部屋の壁面には、引き出しのようなものが所狭しと並んでいる。
セツさんは機械を操作して、そのうちのひとつを取り出した。
壁に収納されていたそれは、ポットだったようだ。大の大人でも入れそうなそれは、コールドスリープの際に入るものなのだろう。
取り出してなお、機械を操作し続けるセツさんを見る。ただ待つことしかが出来ないのは、正直飽きてくる。
「忙しい中すみません。ちょっと質問良いですか?」
「いいよ」
快く返されたので、俺はさっそく質問することにした。
「何で俺はコールドスリープすることになったんですか?」
「一番多く投票されたから。それ以外の理由はないよ」
「そもそも、何で俺たちは疑い合っているんですか?」
「え、そこから?」
きょとりと、相手の目は見開いた。
「え、君、もしかして……何で議論してるのかも分からないまま参加していたの?」
その言葉に頷くと、相手は信じられないとばかりに俺を見る。
「……はあ、こういうケースもあるんだね」
呆れているのだろう。セツさんは肩を下げて、ぶつぶつと何かを呟く。
しかし、その後に俺を見据えて口を開いた。
「私たちが議論をしているのは、この船に紛れ込んだグノーシアを探す為だよ。グノーシアは人を欺き、人を消す。彼らを排除する為にコールドスリープという手段を取った。あと、そうだな……」
セツさんは分かりやすく、現状を説明してくれた。
その結果、分かったことがある。
俺が遭遇している状況は、人狼ゲームと似通ったものだった。
俺が人狼……グノーシアだと疑われて投票され、吊られた。それが今の状況だったらしい。
どうせ人狼をなぞるのなら、それまでの展開もやるべきだったんじゃないか。
そこまで考えて、少し思い直す。
俺の脳じゃ、これが限界だったのかもしれない。そもそもやったことも少ない議論を再現するのは難しい。落とし所として、議論が終了した後という
……それだったら敗北という形よりか、勝利後の夢の方が見たかったが。
「分かった?」
「はい、だいたいは」
人狼というゲームであれば、投票された人は吊られるか村を追放をされる。
コールドスリープという手段は、殺されるよりかは穏当なものなのだろう。お前グノーシアだからぶっ殺す、とならなくてよかったのかもしれない。
流石に夢の中でも殺されたくはない。いや、コールドスリープだってしたくはないが……まだマシか。
「こちらからも質問構わないだろうか」
「俺に答えられる範囲ならいいですよ」
俺の質問に答えてくれたのだから、こっちもそれに答えるべきだろう。
そう考えて、セツさんを見た。操作を止めたセツさんは、眉根を寄せる。
「……変なことを聞くようだけど──SQ、君……記憶喪失だったりする?」
「……」
何を言っているだろう。
訳が分からずにセツさんを見ると、厳しい顔になっていた。
「投票を終えるまで、俺という一人称ではなかったよね。どうしたの?」
「あー……」
セツさんの言葉で、やっと自分がやらかしていたことに気がついた。
この夢の中のSQとやらは、どうやら『俺』とは言わないらしい。
それはそうだ。俺の常識に当てはめると、だいたいの女は、アタシや私なんかが一人称だった。『俺』はあまり一般的ではない。
怪しまれるのも当然だろう。
「あ、あはは……グノーシアから逃げるのに必死で、その前後の記憶があやふやで……一人称すら思い出せず……」
「それは、大変だね」
「はは、大変ですね」
気まずい空気を払拭しようと笑うが、どうも空振りしているような気がする。
途端に会話はなくなり、カタカタと叩く音だけが周囲に響く。そして、黙ったままで数分が経過すると、セツさんが手を止めた。
「準備が出来た。ポットに入って」
その言葉に促され、恐る恐るポットに足を踏み入れる。
これが俺の墓場らしい。
いや、コールドスリープって言っていたし、死ぬわけでもないのかもしれないが。でも、グノーシアとやらが勝ったら、俺も存在を消されてしまうのだろう。
……いや、夢だからこの後なんてどうでもいいけどな。
「おやすみ、SQ」
「はい、あの……この後頑張ってください。応援、してます」
俺がそう告げると、目の前の相手は困ったように笑った。これもまた、普段のSQからは想像つかない言葉なのかもしれない。
「SQ、最後にひとつだけ言わせてもらう。君は一人ではない。抱え込まず、周囲の人を頼っていいんだよ」
なんだろう。俺はそんなにも不安そうに見えたのだろうか。
苦笑しそうになるが、善意からの言葉に嬉しく思ったのも事実だった。
「肝に銘じておきます」
俺が頷くと、蓋を閉じられた。
周囲の音すらも聴こえない、真っ暗な空間。そして圧迫感も相まって、暗所恐怖症や閉所恐怖症だったら耐えられないだろう。
……俺はどちらでもないから大丈夫だが。
そんなことを考えながら、目の前を見る。
展開に全くついていけなかった。全体的にトンチキだったし仕方ない。
それでも、明日には全部忘れるような……そんな、取り留めのない夢だ。
夢だからこそこんなSF空間はおかしいと感じるのだろうし、それこそずっと夢心地だった。現実感がない。
目が覚めれば、いつも通りの日常ってやつが続くはずだ。そうであってくれないと、困る。
焦燥感を前に目をつぶり、祈るように両手を重ね合わせた。
直後訪れた急激な冷気に意識が遠のき──ふと、眩しさに目を開ける。
「──というわけで、グノーシアを探すための議論を行なう」
そこは、俺の部屋などではなかった。
眼下に広がる白く部屋は、ついさっき俺がコールドスリープすることを告げられた部屋だった。
それに、グノーシアを探す議論を始める? もうその会議は始まっているはずだろう。
「……どういうことなんだ?」
呆然と呟いた言葉に、返事はなかった。