“生”を求めて   作:にわとり肉

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第参話

 アサナトスにとって、人が大勢集まる場所というのは地雷原と同義である。よって、彼女は積極的に人混みを避けるべく行動する。故に、誰も見向きもしない空き教室は、彼女にとって憩いの場といえる。

 

 「この前、あなたのトレーナーが私を尋ねてきたんです」

 「へぇ、……私のこと聞いたってことか」

 

 そう呟いた、いつもはなるがままにしている銀髪をポニーテールにしてまとめ上げている彼女は、わざわざ毎日手作りしている弁当の、冷たくなって固くなった白米を口に放り込んだ。一方の隣に腰掛けるスフィダンテは、すでにカフェテリアで腹拵え完了である。

 

 「大したことは話していませんよ、話す気も無いです」

 「ほーん、減るもんじゃなし」

 「嫌なものは嫌です」

 

 真顔で帰ってきた返答に、片眉を吊り上げた彼女は、ひとつため息を吐き、空となった弁当箱を、そっと机に置き、古めかしいソファーに思い切りもたれ込んだ。

 背を伸ばし、閉じられた膝の上で手を合わせているスフィダンテは、薄氷のような薄い笑みを浮かべ、

 

 「しかし、正直意外でした。あなたは即刻契約解除してしまうような人だと思っていましたから」

 

 と、天井を見上げながら言い放たれた言葉は、まるで、薔薇の棘のようであった。

 

 「変な奴だから気に入った」

 「私のトレーナーさんの元生徒と聞いています。だからこそ、でしょうか」

 「知るかい、あいつはあいつよ」

 

 そう言ったアサナトスから、スフィダンテは目を背けずにはいられなかったのであった。すると、ふと、アサナトスは何かを思い出したかのように、手のひらに拳をポンと乗せた。

 

 「あぁ、そういえば。お前も出るんだったな、ホープフル」

 

 それを梅雨知らず、可愛らしい布袋に弁当箱を詰め、立ち上がったアサナトスは、顔を伏せるスフィダンテの方を向いた。

 

 「受けて立つぜ(・・・・・・)

 

 その瞬間、ピクリと栗色の毛に覆われた耳が動いた。

 

 「____……」

 

 彼女の記憶の中には、アサナトスが部屋を去るまで、自分がどのように応対していたのか、かけらも記憶には残らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「アサナトスさんや、あなたは何故練習してくれんのです。もうホープフルまで二ヶ月きってるよ」

 「縛り」

 「……」

 

 新品の机、新品のソファー、新品のデスク。全てが新しいトレーナー室。アサナトスの生息域に新たに追加された場所である。トレーナーのお小言が玉に瑕であるが、聞き流していればなんの問題もない。

 しかし、トレーナーにとっては問題がありすぎる。

 

 「“三強”の一角が出てくるのよ!?スフィダンテ!世代最強!!勝ち目は!?」

 

 トレーナーの内心はこれだけでは無い。“世代最強”は伊達では無いスフィダンテの対抗ウマ娘たるアサナトス。彼女がまったくもって練習用コースに足を運んでいないのはもはや周知の事実となっていたのである。これで負けようものなら、彼女の名前に泥が塗りたくられかねない。そんな危惧もあるのである。

 しかし。

 

 「いけんじゃね」

 「……」

 

 ああいえばこう言い、頑なに練習しようとしない。トレーナーの意を汲もうともしない。天上天下唯我独尊。せっかく夜なべして作ったトレーニングメニューはデスクの上で腐っている。

 最近寒くなってきたと感じるのは、季節の変わり目だからということだけではないと、若きトレーナーは既に実感できていた。

 そんな縮こまった心を唯一解いてくれるのは、

 

 「んなことよりもよぉ、攻略つまってんだろー、一緒にやろうぜえ」

 「……」

 

 最近急速に心を開いてくれた、ソファーの八割を占領する彼女なのである。

 

 「よくこれを裸ノーダメージできるよねぇ」

 「試行回数稼げばな、大体トレーナーは当たり過ぎなんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 繰り返すが、アサナトスにとって人が集まる閉鎖的環境は危険地域と同義である。しかし、彼女は学生である。故に、教室という閉鎖空間に足を踏み入れなければならない。

 白銀の長髪に赤い瞳。否応ナシに人の視線を引くその姿が故に、一度教室の引き戸を開ければ、中にいるものの視線が、夜の電灯に惹かれる羽虫のように吸い込まれるのである。

 たとえ授業中であってもちらつき、ただでさえ鋭敏なウマ娘の感覚器官は、容易にそれを感知してしまう。それが、彼女が集団を嫌う一つの要因である。

 そして。二つ目の要因。

 

 「お前がアサナトスか」

 「……どなた」

 

 それは、人が多いと突っかかってくる輩と遭遇する確率が高いということである。

 久しぶりに出た授業中は寝て過ごし、昼休み。さっさといつもの空き教室に逃げようとした瞬間、これである。

 一方、机に突っ伏す彼女を見下ろす、黒々とした髪を後ろで一纏めにしたウマ娘は、きりりとした吊り目を、さらに吊り上げ、

 

 「“ゲッカビジン”。お前と同じ“三強”の一角である」

 

 と、慎ましき胸に手を当て、たからかに宣言した。

 そして、ぼうっと見つめてくるアサナトスに対して向けたのは、唾棄の視線であった。

 

 「ずっと会いたかったぞ、お前のデビュー戦の後から、ずっとな」

 「さいでっか、昼飯食べさせてくれ」

 「一眼でわかった。手加減していたな、お前」

 「ひとのはなしはききなさい」

 

 どんどん眉間の皺が増えていくゲッカビジンに対して、どんどん眉毛がハの字に変わっていくアサナトスは、心底面倒臭そうに口を開く。

 

 「大体なー、手加減じゃねえし、縛りだし」

 「同義だ。正々堂々全力の勝負を行う。それがレースだ。お前はそれを汚したのだ」

 「そりゃあお前の主観だろうに」

 「そうだ、主観だ。だからこそ、私はお前を許せんのだ」

 

 まったく譲らないゲッカビジンに辟易したアサナトスは、ため息を一つ吐き、頭をがしがし掻きながら立ち上がり、やる気のない赤い瞳で見下ろす。

 いつの間にやら、彼女達の周りには、野次ウマ娘により人垣ができていた。

 

 「主義主張の軋轢が起きれば、必然的に戦いが起きるのはわかるだろう。故に、私はお前に戦いを申し込む」

 「はあ」

 「模擬レースではなく、正式なレースだ。“朝日杯FS(フューチャリーステークス)”そこで、私はお前を叩きのめしてやる」

 

 確固たる意志のこもった瞳が、諦観に満ちた瞳を射抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「えー!?ホープフルやめる!?なんで!?」

 

 夕方の日差し差し込むトレーナー室にて、コーヒーを嗜んでいたトレーナーに舞い込んだ情報は、口内のコーヒーが霧状に噴射されかかるには至らないも、彼女を驚愕させるには十分であった。

 

 「あなた、スフィダンテとの勝負よ!?友達なんだから、なんか思いれあると思ってたけど」

 「いつでもできるからいいよ。同じG1だしそっちに変えてもいいっしょ」

 「いや、適正だったり……」

 「勝つからもーまんたい」

 

 口撃の応酬。しかし、赤い瞳は少しも楽しそうではなかった。

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