古典落語の名作、人情噺「芝浜」にインスパイアされて書きました。アプリウマ娘のナイスネイチャと、URAシナリオの育成目標通りに小倉記念まで辿り着いたときの様子をイメージしています。きっと、あのレースの前にはこんな会話があったんじゃないかと思っています。
さすがにクロスオーバーではないと思っているのですが、もし該当するようならご教示頂けると嬉しいです。
ずっと読み専だったので小説など書いたこともなく、これが人生初作品となるのですが、書いたからには晒してみせます。お目につきましたなら、どうぞご笑覧ください。
「自分が信じられないかい?」
(だって、私みたいなモブがキラキラして良いわけがない)
「でも君は、ここまで勝ち進んでいるじゃないか」
(あんなのは只のまぐれで、実力なんかじゃ)
「大丈夫!君なら勝てるよ!」
(…私に期待なんかしたって、何も出やしないのに───────
盆を過ぎて間もなく9月に差し掛かろうという週末、ナイスネイチャは普段と変わらぬ午前5時に、スマートフォンのアラーム音で目を覚ました。
異なると言えば、ここはビジネスホテルの一室。G3競争 小倉記念に出走するため、福岡県北九州市まで遠征に来ていたこと、そして久しぶりに寝覚めの悪い夢を見たことだった。
その日見た夢など、大抵は目覚めてすぐに記憶から消えるものだが、それがネガティブな内容であると引き摺ずることがしばしばある。今朝の彼女も、ご多分に漏れず暗澹とした心持ちであった。そんなモヤモヤを飲み込むように、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出してグッとあおった。
「期待には応えたいけれど、私のキャラじゃあないんだよな・・・」
と独り言ちながら、日課であるランニングに向けて身支度を整え始める。
起き抜けにぼぉっと時を過ごしたことで、顔は洗えても髪の毛は纏めるまでしかできなかった。戻ってきたら朝食前にどうせシャワーを浴びるのだと、半ば投げやりであった。
それでもシューズの紐を締め終えた頃には、今朝のコース取りにすっかり気が向いていた。本人にその自覚は無いが、如何な状態であってもルーティンを崩さず、一定以上のコンディションを維持できる精神力が彼女の最大の武器であった。
小倉駅前から海沿いに伸びる国道199号線を走り、門司港レトロの街並みを覗いて帰ろう、道順は昨日の移動中からそう決めていた。
飛行機の座席に配布された旅案内に写された風景は、彼女のやや大人びた趣味にピタリと嵌まるものだった。
また、学園のある府中もナイスネイチャの実家も海とは縁遠い場所柄なので、爽やかな朝日と海風を感じながら走りたいという願望にもピッタリなコース取りだ。
そのようなウマ娘ならでは憧憬に思いを巡らせながら、ホテルエントランスへと降りた。ところが。
「えっまだ真っ暗じゃん!?もう5時半なのに!?」
普段ならとっくに日が差す時間のはずが、街灯の煌々とした光がロビーのガラス越しに目に飛び込んできた。
意外にも日本とは狭いようで広く、小倉は関東よりも30分ほど日の出が遅い。フロントマンが日の出の時刻を教えてくれるまで考えも及ばないことであった。
父方の祖父母に顔を見せに行く以外、飛行機を使う長距離移動の経験が無い彼女には、緯度の差を日の出入りで感じる経験もまた無かったのである。
「199号沿いは街灯がございますし、歩道も走れるように整備されています。それにあと10分少々で日も昇りますから、安全かと思いますよ。お客様と同じように今ぐらいから走られるウマ娘さんは、結構いらっしゃいますから。」
「いやービックリしましたけど、それを聞くと安心しました。どうも有難うございます。」
ルーティンを崩すのも憚られたので、どうせ日の出も間もないならとホテルを出ることにした。
目の前の通りを国道に向けて歩くと、すぐに6車線の立派な道路が見えた。工業地帯が近いためか何台ものトラックが行き交ってはいるが、5メートルはありそうな幅広の歩道には、自転車とウマ娘の兼用レーンが青く描かれている。なるほど、確かに安全なようだ。
「さーて、それじゃいっちょ一汗かきますか。」
交差点の開けたスペースで軽く腱を伸ばした後、予定通り門司港方面に駆け足を始めた。
ペースは時速30キロメートル程度。門司港までの10キロメートル強なので、信号待ちを考えても30分程で辿り着くから、文字通り朝飯前と小さな観光の両取りにはちょうど良い距離感であった。
走り始めて5分もすると、左手に海が見えてきた。波の音が耳に心地よく通る。潮の香りに僅かに混じった石油の香りが、港に栄える街の様子を感じさせる。
対岸に見える街の明かりは下関か、存外離れていないのだなとその時気が付いた。
そうした内に、眼前の山際が明るくなり始めた。
「ようよう白く成りゆく山際、少し明かりて・・・」
期末テストのために暗記した古典が頭に浮かんだ。
(枕草子、紫式部・・・あれ、清少納言だっけ?)
一着を競うでもなく、ただ足を蹴りだしながら徒然と物事を浮かべている時間が、彼女は好きだった。100メートルほど前を走るウマ娘さんも、きっと似たようなことを考えているのだろうか。
門司港駅ではなく門司駅を通り過ぎる頃には、幅広の高規格道路はいかにも田舎道といった対向2車線に姿を変えた。
ここからは路側帯が走行レーンとなり、少し危ないかとも思われた。
しかし空は一層明るくなり、普通車がちらちらと通り過ぎるばかりで、学園の周囲を走るのと然程変わらないと思いなおすのに時間はかからなかった。
何より、海岸線がずっと続くものだから、海風を浴びながら走るという目的を存分に果たせるのが楽しかった。
そして何やら円筒形をした巨大なコンクリート製の建物のあたりで、とうとう門司港レトロまで2キロメートルと案内板が告げた。
「どれ。スパート、かけてみようか。」
速度制限があるので本バ場のようにはいかないが、ゴールまでの2,000メートルをそれまでよりも力強く駆け抜けた。予定通り、出発から35分。少し高鳴った鼓動が、汗の浮かぶナイスネイチャのこめかみに気持ちよく響いた。
目的地とした門司港レトロ街はまだ早朝ということもあって人気は無かった。
古めかしいレンガ造りの建物が並ぶ中、ひと際大きな洋館があった。旧三井倶楽部と表されたそれは、かつて社交場として利用されていたらしい。
海鳥の鳴き声も聞こえる。古き良き大正時代の港町を想起させるには十分な佇まいだった。
適当に目についた自動販売機で飲み物を買い、岸壁に据え付けられたベンチに腰かけた時には、太陽もすっかり顔を見せていた。
ただただ静かに、カモメの歌声に耳を傾ける。朝日が照り返して、水面がキラキラと輝いている。クールダウンと呼ぶには、それは大変に贅沢な時の流れだった。
やがて呼吸も落ち着いた頃には思考もはっきりとしてきた。そうすると、今朝の夢の記憶が前触れもなくぶり返してきた。
(どうせあと一歩届かないのが私だ。自分などが主人公のはずがない。)
ネイチャにとってこれが初めての重賞レースである。
その名の通りの素晴らしい
出来ることなら、こんな鬱屈した思考はさっさと吐き出したいのだが、自分の柄ではない。とはいえ、このような心持ちで今日のレースに勝てるのだろうか。
あの人には話をしておくべきか。いや、これは私の問題だろう。
そのようなことを考えていると、
「朝早くからご苦労様。やっぱり、ここに来てたんだね。」
「っひゃい!?」
自転車を片手押しに、彼女のトレーナーがそこにいた。
「飛行機乗ってる間に、こういうの良いねと言ってただろう?だからきっとここまで走って来てるんじゃないかと思って、レンタサイクルを借りてみたんだ。」
期待していなかったと言えば嘘になる。しかし、突然の声掛けには驚かされた。
「いやっ、そう思ったなら昨夜のうちに言うなりLANE入れるなりしとけばいいのにっ。いくら何でも急すぎてビックリしたよ。」
「ごめんごめん。僕も海岸沿いの道を走ってみたかったんだけどね。せっかくのレース前に、変に付き合わせてルーティンを崩して欲しくはなかったんだ。それに。」
「そ、それにぃ…?」
「サプライズってわけじゃないんだけど、こういう場面じゃないと言えないこともあると思って。」
「えーっと…それってどういう…?」
「今までもそうだったんだろうけど、言い出せなかったことや溜め込んでたものがあるんじゃないかい?僕だって伊達にトレーナーをやってるんじゃないからね。なんとなく、わかってきたんだよ。」
聞けば、物心ついた頃には父親は居らず、孤軍奮闘する母親の手助けをしながら育ったという。そのような環境にあった彼女は、年相応以上に高い精神性を獲得したが、同時に自身の抱えるものを、特に「保護者」のような立場の誰かに預けるということには乏しかった。
故に、時に自身を茶化すように振る舞い、時に自問自答を重ねることで、そうした感情を自己消化してきたのだった。
「初めの頃は、自分自身を冷静に見つめられる聡明な子だと思っていたんだ。だけど、君の言葉や振る舞いを見ているとただ聡いって訳じゃなさそうだと考えるようになってね。そして今回の重賞初挑戦。特に夏合宿に入ってから、確信に変わったよ。」
「何をそんな…」
「君はずっと何かを恐れている。」
「っ…」
「ここには僕以外、ナイスネイチャを知っている人は誰もいない。だから、話してみてよ。」
もはや彼女には申し開きをする以外の道はなかった。
「…あぁ~。うまく折り合いつけられてたと思ってたんだけどなぁ。所詮は私も、一介の女子中学生に過ぎないってことですかね。まんまと見透かされてたわけだ。」
「言ったでしょ?僕は君のトレーナーを、伊達や酔狂でやってないんだよ?」
「…前にも話したことがあると思うんだけど、やっぱり私はキラキラしていいポジションじゃあないんじゃないかって、どうしても思うんだ。他の子と、テイオーとか、マックイーンとか、主人公のような才能を持った子たちと比べると、なんて自分には華がないんだろうって。でも、そうやって予防線を張って、負けた時の言い訳を準備して、負けるかもしれないという思いに蓋をしたって何も変わらないって、分かってはいるんだけどね。」
昨年のメイクデビューの2ヶ月ほど前だったはずだ。トウカイテイオーの3着となった学内対抗戦の後、珍しく彼女が感情を露わにしたことがあった。その当時もほぼ変わらぬ内容を言葉にしていたことを、トレーナーは思い出していた。
「まだ、自信が持てない?」
「正直言うと、まだ、ね。私だって、こうして地元を離れてトレセン学園に入って、重賞に出走できるまで勝ち上がれているって自負はあるよ?それでも、もっと上の存在がいるんだって考えると、私の積み上げた努力なんて何の価値もないんじゃないかって。」
「それでも、今日まで勝ち上がって来れてるじゃないか。」
「いや、でも、それだってまぐれだったかも知れないじゃん。
「…うーん。そうかぁ、僕の指導力では君を実力で勝たせてあげられてなかったのかぁ。」
わざとらしい言い回しだったが、今のナイスネイチャには鋭く刺さる言葉だった。
「ぃゃ、そういうわけでは無いんだけれど…」
「それとも、他の子たちの調子が悪かった?努力が足りてなかった?」
「そんなわけない!私だって、みんなだって、その時できる最善を尽くしてる!」
「そうだよね。君と一緒に1年半やってきてるんだ。当然わかってるよ。」
彼女の気の付かぬうちに、核心に向けて話柄が向けられていっていた。
「君はテイオーに負けたとはいえ、重賞レースに出られるだけの力はあると自覚している。それは僕と一緒に研鑽を積んだ結果であって、君が下してきたり負けてきたりした他の子たちも、皆同じように力を尽くしていることも分かってる。それでも自信を持てないというのなら、それは…。」
そう、これまで重ねた自問自答で、本当はこの感情が何たるか見当はついていた。けれど、それは自身で出す答えとしてはあまりに傲慢で、尊大なものではないかと目を背けていた。
「…本当は、こんな私に期待してくれている人たちを、私が負けることでがっかりさせてしまうんじゃないかと思うと、それが堪らなく怖いんだ。去年もらったお手紙には、私が何着になったって関係ないって書いてあったけど、走るからには私だって1着になりたいし、みんなもそれを望んでるはずなんだよ。だけど…。」
「勝てなかったとき、みんなの望みを裏切ることになるのが怖いと?」
「うっ…はい…その通りです…」
「なるほど…ネイチャは優しいね。」
本人が言うように、ややもすれば傲慢であると言えなくもない。しかしながら、自身に向けられた期待や声援に最大限答えてあげたいという願いからくる恐怖は、正真正銘優しさの証であった。
「僕が君ぐらいの年頃だった時分は、応援されたら燃え上がるだけで、負けたら応援してくれた人たちを悲しませるんじゃないかなんて考えたこともなかったな。アスリートとしてと言うよりも、人として立派で、素直に尊敬するよ。」
「い、いやいや。そんな褒められるような考えじゃないですよこれ…?」
「っふふ。確かに、僕以外の人に話したら、君の言うように「なんて不遜なウマ娘だ!」って反感を食らったかもしれないね。」
「トレーナーさん、意地悪すぎでしょ。」
「まあでもね、君のその優しさは無理に変える必要はないよ。ただ、自分はそういう性分なんだと、君自身を受け入れられればそれで良い。同じように僕たちも、君を応援する誰かも、きっと変わらずナイスネイチャというウマ娘を応援し続けるから。」
返す言葉が見つからなかった。ただ、自問自答の果てに得た答えの、さらに裏にある答えなのかもしれないと自然に思えた。
「だから、僕は君のトレーナーとして今日も応援するよ。大丈夫。君ならきっと勝てるよ。」
「あー、その…」
思わず、期待しないでという言葉が出そうになったのを、グッと飲み込んだ。
同時に、これが夢で交わした会話と全く一緒だということにも気が付いた。
「いや、ありがとう。頑張るねって素直に言うことにするよ。また夢になるといけないから。」