かつて一世を風靡し、12年間にも及ぶサービスの末終了を迎えたDMMO-RPG『ユグドラシル<Yggdrasil>』その最後の瞬間にまで残っていた一部の人々は異世界へと転移することになった。
彼……セシルもその一人だった。実際には寝落ち寸前までボーッとしていたら、その世界に来ていたという方が正しい。当初は混乱していたものの、原始の世界で様々な冒険をした。しかし、それも遥か昔のこと。
人間の世界が安定するにつれ、セシルは人間社会についていけなくなっていた。謀略を始めとした腹芸はもともと一般人であるセシルには不可能だったし、『ユグドラシル』から引き継いだ強さに対する様々な感情は重荷だった。
そうして彼は自身のギルドが……最終日にログインしていたのはセシルだけだった……ギルドホームとして使っていた〈翠晶の森〉に良く似た森に引きこもるようになった。
それから幾星霜……〈
それが打ち破られたのは人が滅多に来ることもない森に、けたたましい叫び声と騒々しさが迷い込んできたところから始まる。
「待て! この亜人がぁぁぁぁ!」
久しぶりに聞く人間の声にセシルは驚いた。というかこれは人間の声なのだろうか。怪鳥のごとき高い声は女性のものだが、そこには狂気が多分に含まれていた。
木の枝の上に座るセシルにも気づかずに二人……いや、二匹の亜人が駆けていく。あれは確か
白の鎧を身にまとっているが、それでも先の亜人達よりも速い。余程鍛錬を重ねた戦士なのだろう。
セシルは優れすぎている目でその女戦士を観察していた。目は落ちくぼみ、くまが出来ている。頬もややそげている上に、口角からは泡を吹き出しそうだ。
「カルカ様の正義のために!」
あっという間に亜人に追いついた女戦士は良くわからない口上とともに、バフォルク達を唐竹割りにした。辺りに血の匂いが立ち込める。
それを確認すると、女戦士は木にもたれかかるようにして眠りについた。どうやら、あの調子で狩りにも似た生活を送り慣れているようだ。
セシルはほんの気まぐれから、地上に降りることにした。
火がパチパチと小気味好い音を立てて、燃えている。その音に気付いたのか女戦士は、目を覚ますなり剣を横薙ぎに振りかぶって来た。
「なっ」
女戦士は瞠目していた。セシルが剣先を指で挟んで止めていたからだ。そこで驚愕のあまり、ようやくセシルをまじまじと見る気になったらしい。髪は白いが、短く綺麗に切られている。同じ白のサーコートは前が開いており、胸甲は黒色の艶やかな金属でできている。
「何者だ! 貴様っ!」
「むしろ、こちらが聞きたいのだが……俺はセシル。この森に住む……まぁ世捨て人だな。そちらは名乗らないのかい」
「……私は聖王国の筆頭聖騎士、レメディオス・カストディオだ。世捨て人だと? 貴様、この世の中でふざけているのか?」
「聖王国? 世の中? なんとも世の流れはいささか変わったらしいな」
セシルはレメディオスという聖騎士の勢いにドギマギしながらも、自分がこの森で過ごした年月を思った。随分と人間社会は複雑になっているらしい。
「そうだ! 今やカルカ様の正義を忘れた輩が溢れかえり、民もこぞってそいつらを礼賛する始末だ!」
「よく分からんが……火にかけてあるスープを飲めよ。ずっと一人だったから味は知らんが」
世捨て人であるセシルにとって、レメディオスの熱意は新鮮だった。どちらかと言えば珍獣を見る目だが、陰謀に疲れて世を離れた人間にとっては正直過ぎる人間は面白かった。
「……で、筆頭聖騎士様とやらが何だって一人なんだ」
「ふん……かつては騎士団長だったが、今は違う。独自に動けと言われている。だから! 民が誰も泣かないようというカルカ様の正義のために、南部にまで来て亜人どもと戦っているのだ!」
あー、とセシルは納得した。要は腫れ物扱いされて、処分されかかっているのだろう。かつて見た人間社会からそれぐらいは推測できる。
セシルは知らないが実際、レメディオスは本来、聖王国北部にいるはずの人間だ。それが南部にまで来ているとなると、余程居場所が無いのだろう。
「そのカルカ様の教えと言うのを守ろうとしているのか……」
「そうだ。弱き民に幸せを、誰も泣かない国を……そのために私は戦っている……」
温かい飲み物を飲んだためか、次第に落ち着いてきたようだ。それにしてもその教えには亜人は含まれていないらしい。いかにも人間種らしいな、と苦笑する他無い。
「おい、貴様……少しは腕が立つようだな……お前も戦え……正義のために……」
次第にレメディオスは眠りに沈んでいった。セシルは苦笑して、腰に佩いた直刀を一度鳴らした。傲慢で奇妙な人間だと、そう言っているかのようだった。