時は過ぎゆけど、悩みの種は尽きまじ。例えそれが無縁そうな人でも、一つや二つの悩みは抱えているものだ。そうレメディオスのごとき人間であっても。
彼女のエ・ランテルにおける生活はご機嫌そのものだった。書類仕事は妹に投げて、修練所で見習いたちを叩きのめす日々。体は動かせるし、魔導国に聖王国の剣技を広めるのは、ちょっとした意趣返しのようで面白い。
あまり褒められたことではないが、精神的成長をしてもレメディオスは体育会系の人間なので、新人たちからはかなり手厳しい教官だと見られている。
そんな素晴らしい日々にも傷がつき始めた。
「あれ……私の分は……」
「いや、まさか姉様がこちらに来るとは思ってなくて……」
「俺の分を食えばいいだろ。茶だけ追加してくれ」
お茶時に冒険者組合に顔を出してみた時のことだ。レメディオスの分は自然と用意されていなかった。それもそのはずで、お茶は大抵ケラルトとセシル。忙しくなければカルカが加わる程度だ。レイナースはこのあたり一線を引いていて参加しない。
来ない人間には用意していない。トラブルとさえ言えないような小さな出来事だったが、レメディオスは頭を抱えてしまった。そういえば……セシルと何日会話が無かっただろうか?
恋する乙女……という歳ではないが、これは良くない。非常に良くない。
ならば自分の得意なフィールドで交流しよう。幸いセシルは余程煮詰まっていない限り、体を動かす時間を作る。場所は修練所が完成したことで、今は使われていない冒険者組合の裏手にある小さな空き地だ。利用者数も少なくて、二人きりの時間が作れる。そう勢い込んで行った先では。
「〈加速〉! 〈疾風加速〉! 〈疾風走破〉! こ、こんな感じです。まだ上に〈疾風超走破〉もありますけど、私には使えません……すみません! すみません!」
「いや、謝らなくていい。大いに参考になる。元々
「うへへ……こ、これでも元は〈疾風走破〉が二つ名だったんですよ……」
「つまり、それだけで二つ名になるほど習得が難しい武技なんだな。やる気が出てきた。反復横跳びとかシャトルランで習得できないかな」
セシルがクレマンティーヌから加速系の武技を教わっていた。レメディオスとしてはイラっとすることに、クレマンティーヌの動きは完璧で文句のつけようがない。狭い場所で三段階の武技を使い分けるとは相当器用だし、なによりレメディオスには〈疾風走破〉が使えない。
これは聖騎士であることから来る違いに過ぎないが、レメディオスの手にあった木刀が音を立ててへし折れた。何か大事なものを取られた気がしたのだ。
レメディオスは結局声をかけずにその場を後にした。
こういった状態になった騎士が行くところと言えば? そう酒場である。エールがなみなみと注がれた木製マグを手にレメディオスは立ち席でぼうっと突っ立っていた。
結構な見た目のレメディオスだが、顔は険が強い。加えて有名人でもあるから、お近づきになりたいという男も現れないでいた。
「私だって……」
続きは心の中で言ってエールを一気に飲み干した。注文した代わりはすぐに用意されたが、いくら飲んでも酔える気がしないまま。
彼女とて分かっていた。“現状”が誰のせいなのか。言うまでもなく自分自身だ。
はっきり言って現状を持て余す。実は上手くいってないわけではないのだ。知恵が回る妹が差配し、優しい主君が支えてくれる。新しく入ってきた後輩は慎み深く、できることをしていた。そんな中で自分も適任な場所にて働いている。誰も邪魔などしていない。
ただ、それが書類仕事から逃げ出したためという一点によって成り立っている。
つまり自分が感じていることは、仲間はずれにされた子供のようなものだ。いやもっと色っぽい話だろうか。一人の男がいることが聖王国時代と大きく異なっている。
「もう少しカラッとした関係だと思っていたのだがなぁ」
かつては主君と妹と関係があるのではないかと疑われていた。それがなぜか一人の男を共有する関係となったが……カルカよりもケラルトよりも愛されたいと思っていなかったはず。
なのに胸が痛い。自分よりも多くの時間を共有する仲間たちを羨ましく思う。
「お姉さん。ここいいかね?」
「あっちへ……」
行けと言おうとしたレメディオスは目をみはった。安ワインの瓶を片手に話しかけてきたのは、ちょうど今考えていた男だったから。セシルは肩をすくめた後、向かいに立った。
「……どうしてここに?」
「お前を気にかけて。それに満更知らない仲でもあるまいに」
酒場などどこにでもある。それなのにレメディオスがいる場所を正確に把握して来たのは、セシルがレメディオスを良く知っていることの表れ。
思わず嬉しくなってしまったが、子供っぽい精神を発露して少し拗ねたように顔を背けた。
「別にお前が気にかけることはあるまい。どうせ私は書類仕事一つできない女だ。剣を振るうしか能がなくて、訓練所でも鬼扱いのな」
「またそういう事を言う。書類仕事はできないからじゃなく、やろうとしないからだ。それで自分でも気付いているからここに飲みに来てる」
正確に言い当てられて、レメディオスは渋い顔になった。まったくこの男は女への興味など顔には出さないくせに、行動はしっかりしてくる。
「忘れられがちだし、実際森にひきこもっていた時間は長いが……俺はお前たちよりも年上だからな。それなりに勘は働く。悪かったよ、日頃お前が来ないと決めつけていたこと。カルとケラも同じ気持ちだろう……これに関してはお前の方が付き合いが長いな」
「謝るな。もっと惨めになる……私は私が一番嫌うことをやっていたと気付かされる」
レメディオスは戦士だ。程度の差はあれ戦士は直接戦わないものを文弱の徒とみなす傾向にある。妹が神官であるレメディオスは、むしろその傾向が低い方にあたるだろうが……それでも思っていたのだ。一度くらい試してみればいいものを、と。
それを自分に当てはめるとどうだろう? 一文字も見ることなく書類仕事から逃げていた。もちろん得意なことをやった方が効率がいいのは確かだ。しかし、そこから人間関係へと問題が発生することを受け入れられず、この様だった。
悲痛な顔を見てセシルはくすくすと笑った。
「レメは可愛いところがあるよ。ここからどうするのか、悩んでいるかと思ったが……杞憂というよりおせっかいだったな。えらいえらい」
「ええい! だからといって子ども扱いはやめろ! 大体、私が子どもでないことを一番知っているのはお前だろう! まったく……とりあえず今日は飲むぞ」
レメディオスはセシルの持っている瓶を奪い取り、ラッパ飲みした。色気のない間接キスである。
それから一夜明けて……
「ここから……ここまでを書き写せばいいのか? しかし、認められるだの、考えられるやらはっきりとしないやつだな」
「とりあえず姉様は言われたとおり、書き写しからお願いします。はっきりしないのは……大人の事情というやつですから」
「我々は大人だが」
「ふふふ、レメが加わったことで色んな角度からものを見れそうですね。ありがとうございます、セシルさん」
「俺はなにも……やってはいないな。うん」
姉妹が並んで仕事をしている。その光景をカルカとセシルは、それぞれ違う目線で見守る。カルカは微笑ましく、セシルは呆れるようだったが、奇妙な優しさは共通していた。
レメディオスも元々読み書きはできるのだ。いずれ、本格的に手伝えるようになるかもしれない。
「それはそうと、セシルさん……私とケラのことも見ていてくださいね」
「俺の目は二つだが、三つ見ろときたか。それにしても読み書きねぇ……」
レメディオスが加わっても、冒険者部門の文官不足は変わらない。なんとかしないとと思いつつ、とりあえず三人と一緒に仕事をすることにしたセシルだった。
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