エ・ペスペルの領主館で働く侍女ミナ・ウイットモア・ライル・ペタルウィンドはここに住まう人々を変だと思っている。名前通りミナは貴族の出身だが、男爵家の四女など高位貴族にメイドや侍女として仕えて、稼ぎの足しにされる存在だ。
六大貴族のぺスペア侯が治める領地であったここでは、そうした同僚は大勢いる。リ・エスティーゼ王国が魔導国に膝を屈して領土を割譲されたとき、逃げるという選択肢もあったのだが……ペタルウィンド領はエ・ペスペルと隣接しているので諦めた。
アンデッドが治める土地に住まうことを恐れはした。だが、ソーントンをはじめとする文官たちが残るという賭けに出たので、ミナもそれに倣った。
煮るなり焼くなり好きにしろという心持ちである。しかし、意外や意外。魔導国が派遣してきた領主は人間だった。補佐官も武官も人間である。しかも彼らは横柄さなど見せなかった。というか人間的にぺスペア候よりマトモだ。
ミナはカルという領主補佐官付になった。
『ただのカルです。無茶をいうことはありませんから、そんなに固くならなくて大丈夫。セシルさんも良い人ですから、この館のことも色々教えてくださいね』
『はい……カル様』
ミナはカルカの放つ雰囲気に圧倒された。姓がないというのは気になるが、お姫様というのはこういう人を指すのだろうと思う。
残った使用人一同が集まった紹介でも彼らは姓を名乗らなかった。魔導国には姓を付ける習慣がないのかとミナは思った。ある意味正解ではある。
『侍女やらの給金安くないか、ケラ』
『王国の標準に比べても少し安いですね。修正しておきます。あと各種手当も予算を組みます』
セシルたちは時折、進んで損をする。これもミナには理解不能だった。ミナにとって領主とは己の父とぺスペア候のことである。彼らは一様に意地汚く、平民の境遇など頭に入ったことすらないだろう。
だが、セシルたちは違う。彼らは魔導国がうちだす方針の範囲内で、できるだけ街を栄えさせようとしている。この違いはどこから来るのだろう? これには魔導国の給金が固定式なのも関係しているが、当然にセシルたちの善性が大きい。私腹を肥やそうとすればいくらでもできる立場だ。
そんなこんなでいつの間にかエ・ペスペルは大きな変革期を迎え、離れていたミナの同僚たちも戻ってくるようになった。
「変わった領主様だよね。セシル様たちって」
「まぁ色んな意味で、そうね。歓楽街なんかも作っちゃったし」
侍女やメイドの休憩時間は確保されている。そこで話題になるのは新しくできた店、それと職場環境の話になる。領主館はまるで立場が逆転したようなところだった。
領主代理と補佐官たちは深夜まで働き、侍女たちは定時であがることができる。主従の逆転現象だ。
「それで毎日平然と動いてるから、もう根本的に違うわ」
「それにあんなに夜更かししてるのに、カル様たちもお綺麗よね。レメ様なんか化粧してないらしいけど……」
「えー!? それであんなに肌つやつや!?」
「ミナはどう? カル様付きでしょう?」
「えーと……実はね、ここだけの話ね。美容魔法っていうのがあるらしいの……」
「美容……魔法……」
美容魔法は結婚に悩んでいた時期に、カルカが開発したオリジナル魔法である。ミナは夜にそれを目撃してしまっていたのだ。
「なにそれ、羨ましい」
「私も魔法が使えれば……!」
位階魔法を使うには素質が必要であり、駄目だった場合どうしようもない。彼女たちは手に入らない才能を前に歯噛みするしかないのだ。
そして意外なことに彼女たちにとって一番の憧れは……
「レイナース様って格好いいわよね」
「分かるわ……キリっとしてて、ちょっと整えきれてないところが素敵よね」
「元々、帝国の方らしいけど貴族らしい気品も見えるわ……アレで騎士なんだからデキすぎよ。憧れる……」
ある程度近しい存在だからかレイナースは人気があった。エ・ペスペルの騎士は領主に従って出て行ってしまったので、そうした人気も集めているのだろう。
同じ騎士でもあるレメディオスはあまり騎士らしくない。というか鬼教官の印象が強くて別枠扱いになっている。街を積極的に警護しているので、民衆には人気があるのだが。
こういう時話題にならないのはセシルである。聞かれたらマズいのもあるが、優しい領主以上のものが出てこない。なぜアレで三人から慕われているのか分からないとさえ思われている。
女子会は姦しく続いていく。こうしたところまで把握されていると知らぬまま……
「というところが館内の様子ですね。真に話題に上がらないのは私ですが、セシルさんも相当ですね」
「まぁお前たち以外に好かれようとは思ってないから、そこは別にいいよ。それにしてもミナの実家、ペタルウィンド領の話は本当なのか」
「裏どりができていなければ、話題にあげませんよ。正確には周囲を取り囲む小領主たちですね。この手の代物が入ってくるのはほとんど防げません。ただでさえ、鉱夫という形で流入している人間が多いのですから」
「“ライラの粉末”か。魔導国に対して麻薬を広めようとは恐れ入る。命が要らんのかね?」
執務室でセシルとケラルトは二人だけで話し合っていた。黒い内容の話だからであるが、そのうちレメディオスあたりが感づくだろう。
“ライラの粉末”はかつて王国と帝国で蔓延していた麻薬だ。その元締めたる八本指は魔導国の支配下にあるはずだが……供給源がなくなってだぶついたのだろうか。
「ミナ自身はシロなんですよね」
「シャドウデーモンを張りつけてみたが、そのようだな。まぁ流石にそこまで馬鹿ではないということだ。ともあれ、中毒者には悪いが、供給源を断たねばならん。検問を設けるにしても、正規の道は通ってこないだろうな……」
「またセシルさんが動かれます?」
「以前、俺の活動は控えると言ってなかったか? 実際、ここの仕事もあるし」
セシル本人が動けば大体の事態は解決できる。だが、ケラルトはかつてそれを劇薬と呼んだ。後任がそのように動ける人物かどうかは未知数なのだから。
「王国に抗議し、八本指からルートを聞き出して、レメの守備兵団とデス・アサシンを使う。血の雨が降るな……ミナにはカルから説明させよう」
こうして、事態は動き始めたのである。八本指からの情報提供は異常に早かったという。
男は額に汗しながら獣道を進んでいた。楽して金を稼ぎたい稼業ほど人使いが荒くなる不思議だ。もちろん報酬はいい。そうでなければ男も喜んで運搬に精を出さない。
小領主というのは馬鹿なもので、金が手に入ると聞いた“ライラの粉末”を大量に仕入れていた。だが、自領の少ない農民に流行らせたところで労働力が低下するだけだ。
そこで大都市であるエ・ペスペルに流していたのだ。実はこのルートは以前からあったものである。
だが……森の空気が変わる。時刻は夜。ただでさえ見えづらい周囲が歪んで見える。これはどういうことかと思った矢先、土と肉の臭いがした。男の感覚はそこまでだった。
デス・アサシンは隠密能力が低めのアンデッドである。とはいえ、ここまでレベル差があれば、ある程度は誤魔化せる。ローブの臭いが玉に瑕だが、攻撃力はその分高い。
「まったく。私がアンデッド兵を指揮するとは、なんの冗談だ……」
守備兵団が男の死体を回収していくのを見ながら、レメディオスは呟く。だが確かに何日も見張りをするのはアンデッドにしかできないことだ。こうして運び屋は次々と狩られて逝った。
領主館では治癒魔法で中毒の寛解ができないか話し合われ、カルカが自室で悲しげに後ろを振り返った。
統治ではこのような悲劇は当たり前のように起こる。ミナは膝から崩れ落ちた。
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