朝、小さく息を吐いて跳ね起きる。そして何よりもまず鏡へと向かう。以前は別のことを考えながら鏡を見ていたが、今は違う。確認だ。
顔が潰れていない。鼻がある、歯も残っている。一回だけでは安心できず、何度も、何度も……カルカ・ベサーレスは蘇った日からずっとこうして朝を過ごしている。ふと、鏡を見れば血まみれな自分がいるような気がして……あの紅蓮の日以降、安心できずにいた。
「お前さん方の主君は大丈夫かね? 人前では出さないようにはできているが、心が折れているような気がするな。
言葉とは裏腹に平坦な口調でセシルは言う。いくら蘇生術でも、心のケアまではできない。今の彼女に必要なのは精神に作用する術だろうが、それで治るという保証はない。
「そうですね……。貴方の魔法でどうにかできませんか?」
「忘却させるような術はあるが、記憶がぶつ切りになって、精神に支障を来すおそれがある。完全に嫌な記憶だけを斬るような真似は保証できんよ」
どうにもセシルはケラルトに試されているような気がしてきていた。第9位階魔法が使えると知られたときからずっとだ。世捨て人でいた期間が長すぎて、物事を隠すようなことが下手になっていた。
ただ、話した内容に嘘はない。そんなことを実験するのは流石に躊躇われるし、試したことは無かったのだ。
「大丈夫だ! 民のために立ち上がれる方だからな! それとも私の言葉を疑うか?」
「疑うというか、これからのあんた達を心配しただけだ」
「む、どういう意味だ?」
「この前も同じ話をした気がするんだが……これからどう立ち回るか、ということだ」
この3人が仲間として上手く回っていた理由、それが分かる気がした。いささか……というよりかなり頭が悪いレメディオスが一種の清涼剤になっていたのだろう。
「お前から聞いた話では、既に新しい王が立っているのだろう? そこに蘇りましたと言って、のこのこやって来たら良い方で対立、悪ければ偽物ということで処刑や暗殺だ。だから、これからどうするのかという話になる訳だが」
「うっふっふ。だから、蘇生の後、南部まで運ばれたというわけです」
「むぅ、私なら聖王女様が戻ってきたら歓迎するんだがな……」
カルカの治世は良くも悪くも問題無かった。確かに中には喜ぶ者もいるだろうが……既に権力の座に就いている新王と契約や約束事をした者の方が圧倒的に多いだろう。
そしてそれは、悪いことではなく普通のことだ。変化する情勢に民衆や商人も対応しようとしているのだから。
「私がどうしましたか?」
一旦落ち着いたのか、身なりを整えたカルカが2階から降りてきた。格好はケラルト同様、地味な服装に変えているが、それでもその美貌は際立っている。
「あんたというか、あんた達の話だな。これからどうするかってね。いつまでもここにいるわけにはいかないだろ。後、俺は文無しだからな」
セシルはあけすけに答えたが、あくまでこちらの世界の金の話であって、ユグドラシル金貨ならまだまだインベントリに入っている。といっても長い年月で大分目減りしてしまっている。これ以上は使いたくないというのが本音だ。
「このまま、聖王国に留まれたらどんなに良いでしょう。正直なところ、聖王国の民のためにできることがしたいのですが……今の私の存在は邪魔でしかありません。それに、カスポンド兄様と争うのは……」
「避けたいか……国を出るにしてもあてはあるのか?」
「身を立てる方法はともかく、行き先としてはリ・エスティーゼ王国しかないでしょうね。地続きですし、船も出ています」
東にはスレイン法国もあるが、間にアベリオン丘陵が広がっており貿易は断絶している。国を出る場合、行き先は最初から決まっていた。
「納得いかん。なぜ国を追われなければならないのだ」
「いるはずのない人間だからだろ。あんたはどうするんだ。こっちでは社会的にまだ死んでないだろ」
「……まぁ出奔には抵抗があるが、カルカ様の傍が私の居場所だ。今度こそ二人を守り抜く。もちろんお前にも来てもらうぞ訓練兵」
「……いや、まぁ着くところまでは行くつもりだったけど、あんた本当にいい性格してるな」
いい性格をそのままの意味で捉えたのか、レメディオスはふふんと笑った。本当に飽きない女騎士である。この調子だとセシルはずるずると、一味から抜け出せないような気がした。
夜になり、明日出発というところでセシルはカルカを見かけた。窓を開けて夜の星空を見上げているようだった。
「邪魔するぞ」
「セシルさん……」
「怖いか? 眠るのが……」
「いいえ、そんな……いえ、怖いです。あの日のことは意識を失っていたというのに、なぜか全て覚えているんです。足が焼けるのも、顔が潰れるのも……」
「そうか……蘇生は余計なことだったか? あの時、俺はレメディオスの意思だけ汲んであんた達を蘇らせてしまった」
「いいえ、ありがとうございます。あんな形で死ぬなんてごめんですよ。ただ……怖いです。あの日のことも、それをあっさりと覆してしまった貴方も……こんなことを言ってはいけないんでしょうが……」
「それが正常な反応だよ」
セシルは思う。プレイヤーは積極的にこの世界の物事に干渉していいのかと。だが、自分は聖人でもなんでも無い。誰かを助けたくなるし、排除したくもなる。一体どうすれば良いのか。
あの迷わない女騎士が羨ましかった。
「邪魔したな」
セシルの方こそ眠れそうになかった。