結局、あの人は私の運命の人なんかじゃなくて、単純に利害の関係で一緒になっていただけなのだ。とエノキノミソニは思った。
もう走れないとトレーナーに告げた後、言われた言葉が反響する。
「走れなくなったお前はいらない」
ショックとかそういうものが身体を突き抜けていく。何度も何度も反響して、彼女の体に突き刺さる。
足が痛い。
その痛みが分からなくなるくらい、歩き続けている。
どこまで来たのだろう。どこから来たのだろう。何故歩いているのだろう。
エノキには分からなかった。
誰かに言われた気がする、そんな絵画があった気がする。
でもエノキには分からなかった。それを探すために歩いているわけではない。
遁走ともいえるこの徘徊で、誰かにぶつかる。
「……大丈夫ですか?」
その人の顔を見上げると、彼女は長身で、同じ学園の学生で、まるで天使のような輪を頭にしていた。
思わずエノキは助けを求めた。
「助けてください~~~!!!」
彼女は笑って、「いいですよ」と応えた。
サードディグリーとエノキノミソニが出会ったのはそれが初めで、いや、もしかすると学園では何度か出会っていたのかもしれないが、関わり始めたのはそれが最初だった。
今でもたまに、サードさんから人手が足りないときなんかに呼ばれたりする。
エノキは休学中暇なので、毎回彼女のところに出向いた。
「それで、今日お呼びになったのはどういう要件で~?」
「それが」とサードは言い淀む。
「呼んだのはワガハイだ」
彼女の奥に居た、小麦色の肌をした女子が出てくる。サードの話に出てくる、彼女と共に走っている友人だ。
「ワガハイの名前はロードオブウォーだ」
「エノキノミソニ、折り入って頼みがある」
エノキは首をかしげて彼女の返答を聞く。
「ワガハイに絵を教えてほしい」
サードはちょっと戸惑いながらエノキに目を向ける。
「……そういうことなんですよ」
エノキノミソニはぐっと縮こまった。
「……あの、やっぱり難しいですか」
縮こまった後、飛び上がるようにして告げた。
「「いいよ~ん!!!」」
サードもロードも目を点にして驚いた。
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「……でこれがコンクールに出す絵なのだが」
ロードはキャンバスから布を剥がし、エノキに見せた。
「タイトルは、ワガハイの故郷、ドバイ」
「昔、と言っても15年前程度だが、ドバイを史上最大の砂嵐が襲った事があった。ワガハイが幼い頃、本当に幼い頃に、飛行機で飛ぶ前に遠くから見えた砂嵐を描いてみたのだ」
その絵は砂嵐、というよりは何か強大な力に破壊されるかの如く、ぐちゃぐちゃになった街並みが描かれていた。
一人、ぽつんと何かを持って立っている人がいる。
「……この人は?」
「父だ」
ロードは帽子に触れ、話し始めた。
「長々と話すつもりはない、砂嵐に襲われた、ドバイで最後の生き残りが、父だったというだけだ」
エノキノミソニは想像した。荒れ果てた街、砂まみれの世界で、一人取り残されたらどんな気分なんだろう。
この絵は、それを表現しようとしている。
「まるでお父さんの遺影みたいですね」
「そうか」
ロードオブウォーはその言葉に納得したようだった。
「ワガハイは、父の残した呪いから逃げなければならないのかもしれないな」
「呪いですか」
エノキノミソニはただそう聞き返した。
「家の呪いだな」
神妙な顔をして、ロードは目を閉じた。
「で、どうだ? コンクールに送れそうか?」
「そうですね」
「あなたの感情がそうだというのなら、これでいいのだと思います」
エノキは正直に、思ったままに話した。
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「いやー、ミソニちゃん凄かったねぇ、ドバイワールドカップ」
サードとロードのトレーナー、水橋がビデオ電話で話しかける。
「まるで何かから吹っ切れたみたいに、2人だけで走っちゃってたよ」
「特に、ロードちゃんの帽子が飛ぶシーンなんかは、凄かった」
水橋は酒に酔った勢いに任せながら話している。
「こっちじゃバー以外でお酒飲めないからさぁ」
「水橋さんは直で観なくてよかったんですか?」
「だって、勝つって信じてるもん」
ヘラヘラと水橋は言う。
「そういえばさぁ、ミソニちゃん覚えてるかわかんないんだけど」
水橋は思い出したかのように、何の気もなしに言う。
「君のトレーナー、元トレーナーだね、解雇されたよ」
「えっ」
「担当に暴言吐いて謹慎、それを破って解雇だってさ」
「なんて言ったと思う?自分の担当に”バカ女”だって」
「聞いてたけど。かわいいウマ娘にバカ女なんて言うやつ、全員地獄に落ちちまえって思ったから、スッキリしたわ」
「ぷっ」とエノキは吹き出してしまった。
「こういう時なんて言うか知ってる?」
「うーん」
「”ざまあみろ”だよ、水に落ちた犬は打て、これ、中国のことわざね。」
「ふーん」
水橋は彼女の反応を見て、思うところがあったようだ。
「……ミソニちゃんさ、やっぱり君はもうちょっと悪い子になるべきだよ」
「悪玉(ヒール)みたいにさ」
「世の中を支配できるのは悪い人なんだ、その人たちに支配されたくないなら、こっちも悪い人に成んなきゃ」
「……理屈はわかりますよ」
「うん、だからさ、もっと悪い子になろう」
「帰ったら、一緒に悪いことをしようよ」
エノキにとっては、その言葉はなんだか実感の湧かない約束をされたような感じだった。
「そういう言葉も、呪いなのかもしれないですね」
エノキは呟いた。
空が晴れている。
空の向こうの、どこか知らない誰かに向けて、エノキノミソニは舌を出してみた。
「ざまあみろ」
そんな言葉を誰に向けていったのか、エノキにも分からなかった。
きっと、それはもしかして、自分に向けられていたのかもしれない。
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