憶持のオーバーロード   作:wash I/O

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第10話 言葉を得た(ツアー)

「……とまぁ、そういうわけだ。

 おまえならこれで理解できる、と思うが、不足があれば補うぞ。」

 

 エドモンのギルド拠点遺構直上の崖上で、真横で(うずくま)って黙って耳を傾ける白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)ツァインドルクス・ヴァイシオンことツアーに、アインズは一連の顛末を語って聞かせた。

 

「では、今ボクらの会話が通じるのは……」

 

「真下に<ロゼッタの石碑(ピエール・ド・ロゼッタ)>があるからさ。」

 

「なるほど。それで此処でなければいけなかったのだね?」

 

「そういうことだ。」

 

「で、さっきの話の中に出てきた、<翻訳>の力を世界中(せかいじゅう)へ行き渡らせる……」

 

「ああ、世界級(ワールド)アイテム<巫女(ヴォルヴァ)の布告>も既に手中にある。今はナザリックの宝物殿だ。」

 

 ツアーは不思議に思う。

 

 アインズはどうして自分を此処へ連れ出してこんな話をしているのだろうか。

 存外この世界(せかい)の住人に気を(つか)っているところもあることは承知しているが、本質的には我儘気儘な骸骨だ。世界級アイテムとやらをとっとと石碑に貼り付けて、元に戻すのを遠慮する理由がアインズにあるとも思えない。

 

「……後回しにすると言いにくくなるから先に言っておくが。」

 

 アインズらしからぬその口調に、ツアーの目玉がついアインズの方へとぎょろりと向かう。

 

「<巫女の布告>を手に入れる途上で、同じくそれを欲しがった……竜王(ドラゴンロード)とかち合ってな。」

 

竜王(ドラゴンロード)

 どんな?」

 

「おまえを白金の竜王、と呼ぶのに擬えば、黒鉄の竜王(ブラックスティールドラゴンロード)、かな。知らんけど。」

 

「それで?」

 

「殺した。」

 

 気後れしていることを悟られるのを嫌って、アインズは強いてサラッとそう言った。

 

「ふーん。それで?」

 

「……は?」

 

「いや、続きは?」

 

 何これ?

 

「……オレがこんなことをおまえに訊くのも妙だけどさ。

 普通、隣で話してる奴が同族の何者かを殺したことを告白したら、もう少し何か他の反応がないか?」

 

「……そうかな?」

 

 忘れていた。

 そもそもコイツは妙な竜王なんだ、気を揉んで損した!

 

「あー、気にしないんだったらいいんだ。本題に戻ろう。」

 

「そうだね、アインズの前に不用意に飛び出して殺される者のことをいちいち気にしていたら微睡む暇もなくなるからね。」

 

 嫌味……なんだろうか、コレは?

 

「……ゴホンッ!ともかく、だ。

 今や、この世界の住人が言葉を取り戻すか否かは、オレの一存に委ねられたことになる。」

 

 アインズは、相変わらず崖から放り出した両足をぷらぷらさせ、斜め上の空に視線を向けながら話している。その様子がツアーには奇妙に思えてならなかった。

 

 

 

「位階魔法をこの世界に持ち込んだのは、八欲王だったか?」

 

 なるほど……そういうわけか。

 本題に入ったアインズの第一声で、ツアーには大凡の見当がついた。

 

「位階魔法の導入は少なからずこの世界本来の摂理を掻き乱し、おまえを含む竜王たちが操るところの<始原の魔法(ワイルドマジック)>の行使にも今()って悪影響を与えているとか。合っているか?」

 

「ああ、そうだねアインズ。キミの言う通りだ。」

 

「だとすれば、言葉を元に戻すことは、本質的には八欲王がやったことと同じだ。

 おまえの言葉を借りれば……」

 

「世界を(けが)す者。」

 

 ツアーは敢えてアインズの発言に割り込んで、彼が言わんとした自身の言葉を補った。

 ふふ、とアインズが笑ったのが聞こえる。

 

「本当にキミは記憶が保持できないのに随分と根に持つんだね。」

 

 ツアーは、いつぞやナザリックに居候を申し込んだ際の、アインズの諧謔の利いた随分なご挨拶を思い出しつつ呆れた声でそう言ったが、応じるアインズはいつになく真剣な声色だ。

 

「それもあるが、おまえはオレの真意を読み違えている。」

 

「……そうなのかい?」

 

「そもそも、おまえに世界を汚す者だ、と思われることを避けるために、オレがオレ自身の考えを変えると本気で思うか?」

 

「思わない。」

 

「……即答せずに、少し悩む振りくらいはして欲しいものだな、ツアー。」

 

 ツアーには、アインズが楽しそうにそう言う背景がよくわからない。

 だが、アインズが酔狂や冗談で自分をここに招いたのでない、ということはよくわかった。

 

 驚くべきことではあるが、比類なき傲慢な骸骨、アインズ・ウール・ゴウンは、それが何であるかはまだ(ばく)として不明ではあるものの、確かに、何かを迷っている。

 

「どこから話せばいいか悩ましいし、そもそもおまえに説明するのが難しい話になるが、聞いてくれるか?」

 

 何事も問答無用に進めるきらいのあるアインズが「聞いてくれるか」とは珍しいこともあるものだ、とツアーは目を細めるが、

 

「キミの話はいつも興味深い。喜んで承ろう。」

 

と歓迎の意を示す。

 

 それを受けてアインズは、しばし考えをまとめるかのように沈思黙考した後に語り始めた。

 

「今回のからくりに気づけたのはピー……おまえの城をいきなり吹き飛ばしたアイツだ、よもや忘れてはいないよな?……ピーの仲間が調べてくれたからなんだが、本来、あいつらがそれをオレに知らせる義理はないんだ。アイツらはピーのNPC(しもべ)なんだからな。

 

 だからオレは訊いたんだよ。

 何でそんなことをわざわざオレに知らせるのか、ってな。

 

 それとも関わってくるが、オレたちが元居た世界では、こちらみたいに言葉は通じなかったんだ。これも妙な話だよな。ユグドラシルから来た奴がこちらの世界を無分別に言葉が通じるように変えたのに、オレたちの元の世界では、国が違えば言葉が通じないのが当然だったんだ。まぁ、魔法的な解決策がなかったわけでもないんだが、話をするには少なくともどちらか一方が相手側の言葉に合わせる必要がある。

 ピーたちも、オレとは違う国生まれでな。本来言葉が通じないんだ。言葉が違うとものの考え方も違ってきて、決して不可能ではないけれども話をするのも存外(ほね)が折れる。だがあいつらは、わざわざその面倒を背負ってまで、オレに知らせてくれたんだ。

 まぁ、結果的に面倒を解決した、というか、させられたのもオレなんだけどな。まぁ、それはどうでもいいわな。

 

 あ、すまん。

 多分おまえにはわかり辛い話をしてると思うが、ついてこれるか?」

 

 正直に言えば、今回の事態が生じるまでツアーは言葉が通じない、などという状況を想像したことすらなかったのが事実だ。だから、アインズたちの元いた世界では国が違えば言葉が通じない、という話は理解の範疇外ではある。

 

 が今は、それが何を意味するか、については身を以て理解している……つもりだ。

 

「難しいけれど、ついていけているとは思う。

 気にせずに続けてくれ。わからないところがあったらこちらから尋ねよう。」

 

「ああ、そうしてくれ。

 

 オレはどうしても気になったから連中に訊いたんだよ。

 どうしてオレにそれを知らせるんだ、と。

 そしたら言われたんだよ。

 

 オレは、遅かれ早かれこの状況に苦しむだろう、ってな。」

 

「アインズが……苦しむ?」

 

 ツアーにはたちまちにその具体的な状況が思い浮かばない。

 

「ナザリックの(みな)とは言葉は通じているのだろう?」

 

「もちろん。」

 

「では、どうして彼らはキミが苦しむ、なんてことを心配するんだい?」

 

 アインズは相変わらず空の彼方に目を向けたまま、どうやって説明したものか、と一時(いっとき)思案している様子だった。

 

「ここが一番おまえには説明が難しいところなんだが……オレの生まれた国は、振り返ってみれば妙な国でな。余所の国から入ってくるものをやたらと有難がるわりには、他の国の人間と話をするのが大の苦手だったんだ。

 そもそもユグドラシルを作ったのがオレたちの国、ということもあって、オレの国の連中はユグドラシルでは圧倒的な多数派だった。だが、ユグドラシルそのものは他の国からそこに参加する者を拒んではいなかったから、オレたちとは言葉が通じない余所の国のプレイヤーも少なからずいた。ピーや、<ロゼッタの石碑>を造ったエドモンなんかがそうだ。

 そしてオレの国の連中の多くは、オレも含めて、言葉が通じない他の国のプレイヤーとの付き合いを面倒臭がって、基本的にはその存在を無視していたんだよ。今思えば何でそんなつまらないことを、と思わなくもないが、とにかく当時のオレたちにとっては、自分たちの国の言葉が通じない奴と敢えて会話をしようなんてことは想像の埒外だったんだ。

 ピーの仲間はオレたちのその傾向を、呪い、とまで言ってのけたが、言い得て妙だ。かく言うオレ自身今もそうで、オレは連中と話すのにアルベドに手伝ってもらってあいつらの言葉を使ったんだが……」

 

 アルベド、と名を口にするときのアインズの口調が、そこだけ不思議と愛情を宿した響きを持つことに、思わずツアーの頬が緩む。

 

「おまえには想像もつかんだろうがオレはどぎまぎしっ放しで、喋り終わった後には緊張の糸が切れてぶっ倒れたほどなんだ。」

 

「アインズ……がかい?」

 

 ツアーには、アインズに苦手なことがあり、しかもそれに混乱して倒れるなどという情景が、アインズに言われるまでもなくまったく思い浮かばなかった。

 

「そうだ、笑うだろ!」

 

 言いながら本人もふふふ、と自嘲気味に笑っている。

 

「……正直に言えば、だ。

 連中は心配してくれたが、オレ自身は今のところ言葉が通じない問題は気にしてなんかいない。実際、あいつらに言われるまで、オレはこうなっていることに気づいてすらいなかった。ユグドラシルの時分と同じさ。言葉が通じない奴と無理に付き合う必要はない、と考えてしまうんだな。目先のことだけを考えるなら何も問題はない。

 

 だが連中は、それがオレにとって永遠に続くことを案じてくれていたんだよ。

 

 ナザリックの仲間がいるから平気だ、と言いたいところではあるが、永遠に大丈夫か、と訊かれると、流石に不安にもなる。その、永遠に言葉が通じない相手の中には、他ならぬツアー、おまえも含まれているんだからな。」

 

 ツアーは嘆息する。

 アインズが、自身が世界を汚す者になってしまうことを躊躇している、と考えたのは、確かに早合点が過ぎたようだ。以前から知っていたことではあるが、この骸骨は、恐ろしく我儘気儘ではあるが、同時に、空恐ろしいまでに深く物事を考えている、と。

 

「オレは以前おまえに、存外この世界(せかい)が気に入っている、と言ったことがあると思う。

 

 オレ自身、どうして自分がそうなのか、はあまり深く考えていなかったんだが、今回のことがあって改めてよくわかった。オレは、この世界のいろんな国や種族の連中が、それぞれにいろいろと考え方や生き方は異なっていても、同じ言葉で相通(あいつう)じることが出来るのが気に入っていたんだ。

 

 だから、連中の言っていることは正しい。

 今は平気だが、オレは……永遠にはこの状況に耐えられないと思う。」

 

 なら、何も迷うことはないんじゃないか、とツアーは思う。

 しかし、今なおアインズが空の彼方を見据えたままであるのを見ると、根はより深いのだろう、とも。

 

「ところがな。

 

 そのピーの仲間……名前が思い出せんな……そいつ自身は別にこのままでも構わない、と言うんだ。

 

 理由が傑作でな。

 必要があれば今暮らしてる街の言葉を学んで覚える、って言うんだよ。長く見積もっても残る寿命は五十年あるかないかだし、それ以前に、連中だって記憶力に制約があるのにだ。」

 

 ツアーの目がまん丸に見開いた。

 言われてみればそれも一策ではあり得るのに、少なくともツアー自身は異変以来、評議国代議員たちの言葉を学んで身につけるなどという可能性を(つゆ)とも考えなかったからだ。

 

 そこに気付いてしまえば、とても奇妙に聞こえたアインズの生国の人々の言葉が通じない者に対する態度も、少なからず理解できる。

 この世界の人々の言葉を一から学んでまで理解し合おうと思えるか、と問われれば、悠久の生を与えられた自分に挑んで出来ないことなど何もない、と思われる一方で、本当にそこに挑むかどうかは別問題だ。否、怠惰な自身の性向を考えれば、明日から、明後日からと、学びの着手を未来永劫先延ばしにするのは間違いあるまい。

 

「あいつらは、そんなの当然だ、言葉が通じないときはそうするもんだ、みんなそうして来たんだ、と言うんだ。が、同時に、オレが生まれた国の人間が、オレも含めてそれを大の苦手にしていることもよく知っていて、それでこの話をオレに知らせてくれたんだよ。」

 

 ここに至って、ツアーはアインズが何に逡巡しているのか朧気ながら理解出来た……気がした。

 

 ピーとその仲間たちは、言葉が通じないという異変に対し、自分たちが変わることで対応するのが当然だ、と言っているように聞こえる。対してアインズの、そしてツアーの手元には、今、世界の側を変えることで事態に対応する手段がある。

 

 そのピーたちの助言によって手にした手段を用いて、自分の都合だけで世界に改変を加えるか、を問われてアインズは呻吟しているのだ。

 

 ところが!

 

 

 

「でな、ここからが本題なんだ。」

 

 え、まだ本題じゃなかったの!

 

「デミウルゴス、いるだろ?」

 

 ツアーの脳裏に、あの忌まわし気な薄い笑みを浮かべる最上位悪魔(アーチデヴィル)の姿が思い浮かぶ。ひたすらアインズ・ウール・ゴウンのみに曇りなき忠誠を誓い、恐るべき狡知を振るう腹心。その徹底して合理的な思考様式は、必ずしもツアーの嫌うところではない。

 

「ああ、ボクより切れ者の、だね?」

 

「……オレそんなこと言ったか?

 まぁ、事実だけどな。

 

 あ、ちょっと待ってくれよ。」

 

 よっこらしょ、と意味もなく口にしつつ立ち上がったアインズは、天を仰いで大きな声で叫んだ。

 

「デミウルゴス!

 盗み聞きするのは結構だが、これからおまえが一番嫌う、おまえの真意に触れる話をするから聞くのが嫌なら耳を塞いでおけ!」

 

 ……え!

 何それ?

 

 唖然とするツアーを余所に、再びよっこらしょ、と声を出しつつアインズは、今一度崖先にぷらりと両足を垂らして腰掛けた。

 

「待たせたな。

 

 ……デミウルゴスがな、今の状況が(つら)いんだと。」

 

「あの彼にも(つら)いことがあるんだね。」

 

 やはりツアーには、その具体的な状況が思い浮かばない。

 

「まぁそう言ってやるな。

 あいつはああ見えて意外に繊細で傷つき易いんだ。少なくとも前世ではそうだった。」

 

「ウルベルトくん、だね?」

 

 ツアーは折りに触れアインズから楽しげに語られた黄金の日々の物語を反芻する。アインズの思い出話はどれもとても面白く興味深い。それが最早手の届かぬ失われた遠い過去であることをアインズ自身がまったく気にしていないように、少なくともツアーからは見えることが不可思議に思われるほどに。

 

「デミウルゴスが、今回はいつにも増して随分と手の込んだことをしてくれてな。

 当然あいつはオレよりも先に今回の事態に気づいていたんだが、それを敢えてオレに報せずにいて、そのくせ挙動不審を演じてオレの関心を惹きやがったんだ。」

 

「……どうにもよくわからないなぁ。」

 

 ツアーは、嫌に人間臭いその行動と自身の思い描くデミウルゴス像が合致せず、首を傾げた。

 

「わからなくて当然だ、オレだって理解に苦しむんだから。

 だが、存外理屈は単純なんだ。

 

 デミウルゴスが調子悪そうにしてたら、当然オレはあいつに訊くわな、大丈夫か?どうしたんだ?って。それでもあいつはいろいろと空惚けて見せて、言うに事欠いて一言も発さずに達すること七度(ななたび)だとよ、聞いてらんねーよな。」

 

「……?」

 

「あ、すまん。今のは忘れてくれ。

 

 とにかくだ。いろいろとはぐらかした挙げ句に白状して言うには、悪魔であるデミウルゴスとしては、言葉が通じなくなって人間を言葉で騙したり惑わしたり操ったり苦しめたり出来ないのが(つら)いんだと。」

 

「ふーん、そういうものなのかね?」

 

 ツアーは、アインズの生まれ故郷の人々の性向以上にデミウルゴスが辛いと訴える話が実感を以て理解出来ずにいたが、続くアインズの言葉は身も蓋もないものだった。

 

「相変わらず素直な獣だな、おまえは。

 嘘に決まってるだろ!」

 

「え?」

 

 再びツアーの目が真ん丸に見開かれる。

 

「つまりはこういうことだ。

 デミウルゴスは今回の事態に気づいた時点で、ピーの仲間と同じ結論に達していたのさ。オレ……アインズ・ウール・ゴウンは、言葉が通じなくなったこの状況に耐えられない、とな。

 

 だが、あいつはさらにその先を読む。

 仮にこの事態を解決する手段がみつかったとして……デミウルゴスは(かたく)なにオレが万能だと信じているから、解決できない、なんてことはそもそも考えていやがらない……オレはその実行を躊躇(ためら)うだろう、と。オレはこの世界が気に入っているが、この世界を自分好みに変えようとはしないだろう、とな。

 

 だが、そうすれば結局言葉が通じない状況に、いつかオレが悶々とする日がやって来ることをあいつはわかっている。だから、オレの搦手(からめて)から攻めてくるのさ。」

 

「搦手?」

 

「そう。デミウルゴスは、オレがあいつを含むNPC(しもべ)たちにとことん甘いのをよく知っている。」

 

 嗚呼!

 とツアーは得心する。

 

 そうだ、思えば自分はまったく同じことをアルベドに告げたではないか!

 アインズは好き勝手をやっているようで、随分とキミたちに気を(つか)っている、と。

 

「だからあいつはこう考える。

 オレがオレの利益に叶うことを承知していながら敢えてやろうとしないことをオレにやらせるには……」

 

「待って、アインズ待って!

 ちょっとこんがらがってきた!」

 

「心配するな、オレもだ。」

 

 (ようや)くアインズがツアーの方を振り返ってパカリと骨の口を大きく開けて笑った。

 

「オレは、言葉が通じるこの世界が好きだ。

 今、その言葉が失われ、元に戻す手段は手中にある。

 だがオレは、世界をオレ好みに改変しよう、とまでは思わない。

 しかしオレは、言葉が通じなくなったこの世界に、いつか必ず倦むときが来るだろう。

 

 ではオレに、世界を自分好みに変えよう、と決断させるためにはどうすればいい?」

 

「デミウルゴスのため……という理由があればいい。」

 

「正解だ、ツアー!」

 

 今更だが、なんて連中なんだこいつらは!

 呆然とするツアーを余所に、不意に立ち上がったアインズが両手を横に開きながら叫んだ。

 

「わかるか、ツアー?

 愛がな……愛が重いんだよ、とてつもなく!」

 

 ああ、そうだろうね。

 

「他人に愛されることを渇望しつつ満たされない者が大半であるこの世界で、贅沢な悩みであることは百も承知だ。それに、元を糺せばNPCをああいう(ふう)に創ったのはオレ、オレたち、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンだ。文句を言う筋合いでないのもわかっている!

 

 だがな。今回の石碑捜索の道半ばで散った恐怖公の眷属は(せん)ニ千(にせん)じゃ効かないんだよ。眷属、ってのは有り体に言えばゴキブリなんだけどな。でも言葉が通じて、つまり、心が(かよ)って、オレが声をかけて直接(ねぎら)いでもしようものなら、泣いて喜ぶ可愛いやつらなんだ。

 しかもあいつらは、アインズ様の御為(おんため)に!と言いながら嬉々として死んでいくんだよ。それがあいつらのフレーバーテキストに規定された存在理由そのものなんだ。逆にオレが酷使を躊躇って役目を与えないと、自分たちは何のために生まれたんだと呪詛を吐きながら寿命を迎えるんだよ。今更もう()めてくれ、オレのために死なないでくれ、なんて言えっこないだろ?あいつらが望む魔王(ロール)を続けながら、うむ、よきにはからえ!と応じる以外、オレに何が出来る?」

 

 最早ツアーにはアインズにかける言葉がみつからない。

 

「そしてデミウルゴスだ。

 

 あいつはオレよりもオレのことをよく知っている。オレが真に何を望んでいるかオレの心の奥底を覗き込み、オレが気持ちよく、迷いなく、何の躊躇いも後ろめたさも感じることなくそこへ至ることに、至上の歓びを見出しているややこしい悪魔だ。

 

 そのデミウルゴスが言うんだよ。

 

 この世界であらゆる存在と言葉が通じるのは、理想の支配者、アインズ・ウール・ゴウンを迎えるべく用意された世界だから、とな!

 

 オレがこの百年ずっと……オレはこの世界を護りたいわけじゃない、神様になんかなりたくない、と言い続けてきたことはわかってるよな、ツアー?」

 

「……ああ、承知しているよ。」

 

 それは、ツアーにとっては、この我儘気儘で恐るべき強大な魔力を有する人物を、常に警戒しつつも決して嫌いにはなれない理由でもあった。

 

「だが、オレはもうそう言い切る自信がないんだ。

 

 本当はそうしたいんじゃないか?

 そうしたいのに自分でそれが認め難いから、何やかやと理屈を並べて自分の本心と向き合うことから逃げてきたんじゃないのか?

 

 デミウルゴスはそれをわかっていて、オレがそういう葛藤をすっ飛ば(バイパス)して、気楽に本当に望んでいるところへ自然と落ち込むように誘導している。生真面目なコキュートスを煽って、オレたちがこの世界に介入することが必ずしも悪い結果ばかり生むわけじゃない、と証明して見せる手間までかけてな。」

 

 ローブル聖王国とアベリオン丘陵亜人連合の間の武力衝突抑止にコキュートスが果たした役割などツアーの知るところではなかったが、仔細を語られずともその実直な人柄……蟲柄(むしがら)を思えば何があったかは大方想像はつく。

 

「困ったことに、それがあいつがオレに捧げる愛なんだよ。

 その愛には、応えてやりたい。これもまたオレの偽らざる本心だ。

 

 だが、そんなオレにも譲れないものはある。

 それを確認するためにおまえに会いに来た、というわけさ。」

 

「……?」

 

「ああ、すまん。最後の部分は端折り過ぎだったか?

 

 オレは、仲間たちに対するそれとは別の意味でおまえを信用している。おまえはオレと差しでやりあえるほど強く、いささか妙なところもあるが聡明で、何より、オレとはまったく違った視点でこの世界を見続けてきた。

 

 オレの仲間たちは素晴らしい仲間たちだが、突き詰めればオレが望まないことは決してしない。おまえだけが、オレが望まないことであっても、それがおまえにとって望ましいことであれば、躊躇わずに語って聞かせてくれる存在だ。

 

 オレがどうすべきか教えてくれ、とは言わん。

 オレの話を聞いて、おまえがどう思ったかを聞かせてくれ。

 

 おまえの望む通りにすることは敢えて約束はしない。だが、おまえの考えを取り込むことで、オレの思いだけが際限なく共鳴(ハウリング)し続けるナザリック地下大墳墓(エコーチェンバー)よりも、少しだけましな決断に到れるだろう、と考えたんだが……迷惑だったか?」

 

 何てことだ!

 ツアーは深い眩暈を覚えている。

 

 突如、それまで通じていた言葉が通じなくなる事態に困惑したのはツアーとて同じことだ。どちらに転ぶにせよ、何らかの手は打つ必要があるだろう、と新たな傀儡の錬成を始めてこそいたが、この世界の他の存在と自身の間に横たわる圧倒的な時間感覚の差もあって、存外のんびりと構えていたことは否めない。

 が、アインズは恐るべき速度で問題に立ち向かい、幸運にも助けられてのことかとは思うが迅速に解決の方策を見出した上で、しかも、それのみならず自身の存在のより根源的な部分へ深い問いを発し、その答えを求めて自分に会いに来たのだ。

 

 嗚呼、端倪すべからざる者!

 

「まぁ、今更迷惑もクソもないよな。」

 

「迷惑ではないよ。むしろキミにそういう(ふう)に言ってもらえるのは光栄だね。」

 

 ひとまずそう答えてからツアーもまた、一時(いっとき)これから話すことを思案する様子を見せた。

 言葉が通じなくなったこともあって、()()をアインズに相談することなど考えもしていなかったのは事実だが、こんな話を聞かされたからには、正直に話す以外の選択肢はツアーにはない。

 

「まずはアインズ、御礼(おれい)を言わせてもらうよ。

 <翻訳の神秘>の謎を解いてくれてありがとう。」

 

 思いもよらぬ素直(すなお)な謝辞に、アインズは所在なさげに意味もなく骨の手で自身の後頭部を掻いた。

 

「礼ならピーの仲間に……思い出した!

 さんきゅー(Thank you)、ポールあんど(and)マリアだ!」

 

「さんきゅー?」

 

 聞き慣れぬ音韻にツアーが首を傾げる。

 

「ピーたちの言葉で、ありがとう、の意味さ。今回の件でいろいろ調べてくれたピーの仲間がポールとマリア。あの二人の機転がなければ、流石のオレもここまでうまく事を運ぶことは叶わなかった。礼は気が向いたらあいつらに直接言うんだな。

 憶えていれば、さんきゅー、と言ってやるといい。おまえから英語を聞いたらきっと驚くぞ!」

 

 照れ隠し紛れにアインズはそう応じた。

 

「……そうだね。今手掛けている傀儡が完成したらそうするよ。流石にこの姿で彼らを訪ねたら驚かせてしまうだろうからね。」

 

「別にその姿で飛んで()っても構わんと思うが……新しい傀儡を造っているのか?」

 

「まあね。もう少し時間が掛かりそうなのだけれど。」

 

 そう応えながらツアーは、アインズがポールとマリアに指摘されたという話を反芻する。

 

 アインズほどの力を有する者が異なる言語を話す相手との会話に苦しむ、というのは他人事として聞く分には滑稽極まりないものだが、この翼を一振りすれば辿り付けない場所など何処にもないのに、傀儡がないことを言い訳に事態の解決に乗り出すことに逡巡していたのは自分も同じことだ。

 

 この世界では比肩する者のない、竜王であるにもかかわらず。

 

 そして……。

 

 自分が竜王である、ということの真の意味が明らかとなった今なればこそ。

 

「アインズ、ボクにもキミに聞いてもらいたいことがある。構わないだろうか?」

 

「時間はたっぷりある。()かいでか!」

 

 アインズは、同じようなノリで悪魔(デミウルゴス)の告白に耳を傾けて心底困惑させられたことに懲りていないのか、能天気にそう応じた。

 

 一方のツアーは、自身の中で最後の葛藤を覚えている。

 なかなかに告白し(づら)い話ではあるが、最早話さずにはいられない。

 

 否……自分はこれを誰かに聞いてもらいたかったのだ。

 

 そして、アインズにとってツアーがそうであったように、ツアーにとってもまた、こんな話を出来る相手はアインズ以外には考えられなかった。

 

「言葉が通じなくなったことに気づいたのは、アーグランド評議国の代議員たちが慌てて駆け込んで来て、わーわーと騒ぎ立てたからだ。」

 

「まぁ、そうなるわな。国は大丈夫なのか?」

 

 ツアーとアーグランド評議国の関わりについては何度もその実態を聞かされては呆気に取られてきたアインズではあるが、細かいことはすっかり忘れてしまっているので、ついつい百年前の鈴木悟の常識でらしからぬ気遣いをしてしまう。対するツアーも、そんなアインズには既に慣れっこだ。

 

「彼らは彼らで阿呆ではないからね。何とかやっているよ。

 ともかく異変に気づいたボクは、ひとまず他の竜王と(はな)してみる必要があると思ったんだ。」

 

「……おまえにしては常識的な判断だな。」

 

 こいつ……ボクを何だと思っているんだ?

 まぁいい。そこは目下問題ではない。

 

「そこで、比較的話の通じる青空の竜王(ブルースカイドラゴンロード)スヴェリアー・マイロンシルクを訪ねたのだけれど……言葉が通じなかった。」

 

 パカリ、とアインズの骨の口が開く。

 

「は?

 同じ竜王なのに……か?」

 

「評議国の代議員たちは、種族が同じであれば話が通じているように見えたからね。ボクも竜王とであれば会話出来ると軽く考えていたんだけれど。他、いくらかの竜王を訪ね歩いてみたけれど、誰とも言葉は通じなかったんだ。

 

 アインズ、これが何を意味するか、キミならばわかるよね?」

 

 うーん、とアインズは唸っている。

 

 アインズが元居た世界について、ボクが今ひとつ実感を以て理解出来ないのと同様に、彼もまた今ボクが抱えている問題を理解出来ないのだろうか。

 

 あるいは、真を衝くことでボクを傷つけまい、としてくれているのか。

 

「ボクの考えはこうだ。

 本来、竜王はそうだったんだよ。」

 

 アインズは、顎に手を当てて首を傾げている。

 

「……すまんな、ツアー。言わんとすることがよくわからない。」

 

 ツアーには、アインズが敢えて本心を隠して嘘をついているようには見えない。

 もう少し言葉を尽くして説明する必要がありそうだ。

 

 それは、ツアーにとっては自身の内面に生じた傷へと深く潜る行為にも思えた。

 が、最早立ち止まることは出来ない。

 

「そのエドモンというプレイヤーがこちらにやって来て、<ロゼッタの石碑>の力を用いたのがいつのことなのかはわからないけれど、ボクが生まれるよりも以前であることは確かだ。ボクは、言葉が通じない世界、などというものを想像すらしたことがなかったからね。」

 

「やはりそうだったか。」

 

「だけど、それはいつかの時点で為されたはずで、ということは、それ以前、というものもあったはずだ。」

 

「当然……そういうことになるわな。」

 

 アインズは、ツアーの言葉をただ言葉通り、<翻訳>の力がいつこの世界に持ち込まれたか、についての証言として聞いているようだ。ツアーは、更に深く自身を抉る。

 

「ずっと、不思議に思っていたことがある。

 アルベドから聞いたかも知れないけれど、ボクの両親、兄弟は(みな)、八欲王に殺されたんだよ。」

 

「!」

 

 アインズが身を乗り出して、言葉も発さずに驚いているところを見ると、どうやら聞いてはいなかったか、聞いてもすっかり忘れてしまっているようだ、とツアーは判断する。

 

「ああ、誤解しないでおくれよ、アインズ。

 

 アルベドにも同じことを言ったのだけれど、ボクら竜王にとって肉親や同族の死は他の種族ほど大きな意味を持たないんだ。これを契機に、ボクがユグドラシルプレイヤーからこの世界を護らねばならない、と考えていたことは事実だけれどね。

 

 同様に、キミが黒鉄(くろがね)の竜王……ボクもそいつのことはよく知らないけれど……キミが竜王を殺した、と聞いても特段何とも思わない。」

 

「そうなのか……で、何が不思議なんだ?」

 

 未だアインズは、ツアーの語るところの含意に気づく様子はない。

 

「キミのその反応さ。

 

 キミたちに直接創造されたという……つまり自身は血縁上の父母を持たないアルベドですら、ボクがこの話をしたときに一瞬目の色を変えたんだよ。

 

 およそ言葉を発するに足る知恵を有する存在で、肉親や同族の死を重く捉えない者はいない。ボクら竜王を除いてはね。ボク自身、どうやらこれが他種族から見ると存外奇妙に見えるらしい、ということに気づいたのはかなり後になってのことなんだ。」

 

 やはりアインズは、顎に手を当てて頭を捻っている。

 ここは、自分の言葉で説明する他ないのだろう、とツアーは腹を括った。

 

「ボクが言いたいのはこうだ。

 そもそも竜王は……(しん)の竜王は、キミが常々言う通り、(けもの)なんだよ。

 

 エドモンが<ロゼッタの石碑>の力を使って、初めて竜王は言葉を得たのさ。」

 

「な……!」

 

 流石のアインズもツアーが何を言わんとしているかに漸く思い至り、これには返す言葉がないらしい。骨の両手を何かを掴まんとするかのように前に突き出したまま絶句していた。

 

「野鳥を見るといい。彼らは(ひな)甲々斐々(かいがい)しく世話するが、これは本能に命じられてやっていることだ。一度巣立った若鳥は、最早自身を育てた親鳥を顧みたりはしない。無論、彼らには彼らなりの情愛なり絆なりが存在するのかも知れない。いや、確実に存在するだろうけれど、彼らはそれを語る言葉を持たないし、そもそも語る必要がない。

 

 竜王もまた、有する力が突き抜けて強大であることを除けば、それと同じだったのさ。エドモンが<翻訳の神秘>を大盤振る舞いするまではね。

 

 アーグランド評議国のボク以外の評議員も含め、どうして竜王たちは(みな)、世界に対して関心が薄く、共に語らって事に当たる姿勢に欠けるのだろう、とずっと不思議に思っていたのだけれど、何のことはない、それが竜王本来の姿で、そんなことを考えているボクの方が他の竜王たちからすればおかしかった、というのが真相さ。」

 

 アインズは、確かにツアーは妙な竜王だ、とは思っていた。

 思っていたが、無論、それはこのような意味ではなかった。

 

「おまえ……大丈夫か?」

 

 ああ、ここに来てアインズらしい気遣いだ、とツアーは微笑む。

 きっと、ここをデミウルゴスにつけこまれていいように踊らされるのだろう。

 

「ふふ、アインズ。その気持ちに対してだけ、ありがとう、と言っておくよ。

 

 だが、それは不要な気遣いというものだ。ボクは竜王らしからぬ考え方をしてはいるが、竜王であることに違いはない。生きていく上で、他の生き物から何某(なにがし)かを奪う必要がない存在はこの世界におよそ竜王だけだ、と思っているが、そんな存在が自分以外のことに興味関心を持つはずもないだろう?」

 

「だが、おまえはこうして……」

 

「そこだよ、アインズ!」

 

 ぐわっ、とツアーは巨躯を起こし、前肢の鋭い爪でアインズを指差した。

 差されたアインズは微動だにしないが、ツアーをじっと見つめて続く言葉を待ち受けていることが、ツアーにはよくわかった。

 

「竜王は、自分だけですべてが完結している存在だ。

 洞窟や森で微睡み、独り黙考しているのが本来の姿だ。

 

 が、ボクは少なからずこの世界の遍く存在に関心を持ち、少なからず関係を築き、今後も少なからずそうありたいと願っている。

 

 ボクが今このボクであるのは、言葉あればこそだ。

 すべての竜王がそうでないことからすれば、これは決して普遍的なことではないのだろう。

 

 だが、これだけは明らかだ。

 <ロゼッタの石碑>がなかったら、ボクはボクには決して成り得なかったんだ!」

 

 よもやこんな話を聞かされると思っていなかったアインズは、ただ立ち尽くし、同時に、自身の中に無自覚な甘えがツアーに対してあったのではないか、と反省すらし始めていた。

 

 七百年以上生きてきた、アインズに比肩する力を有する竜王。

 相談相手にもってこいだ、と考えたものだが、ツアーにはツアーで、思うところも悩みも、アインズとはまったく異なる形ではあれ決してないわけではなかったのだ。

 

 その点を見落としていた。

 アインズがそうであるように、ツアーとて(かみ)ではないのだから。

 

「そういうわけだから……」

 

 いつになく声を(あら)らげていたツアーがその調子をいつものそれに戻し、ゆっくりと再びアインズの隣に頭を置くように蹲った。

 

「<翻訳の神秘>を元に戻すか否か、については、ボク自身の利害に関わるから意見は差し控えたい、というのが偽らざる本心だよ。

 ポールやマリアがそうであるように、流石にこの異変が数ヶ月も続いた今では、(ほか)の者の言葉を学ぼうとしたり、あるいは何か他の解決策を模索している者だって既にいるはずだ。ボクの都合で彼らが新しい世界で優位に立てるかもしれない機会を奪うのは、身勝手に過ぎるからね。」

 

 これを聞いたアインズは、しばし腕組みをし、うんうんと唸りながらツアーの頭の横を()ったり()たりしていた。ツアーには、時折こうしてアインズが見せる芝居がかった本質的には無意味な所作が、故意なのか()なのか判断がつかない。

 

 ぽんっ!

 

 ややあって唐突に手を打ってアインズは立ち止まった。

 ぷい、と頭を振ってツアーを見る。

 

「腹を括った。

 オレの勝手で元に戻そう。」

 

 ツアーの目がじっとアインズを見つめる。

 対するアインズは、逆に再び空を見上げて目を(そら)した。

 

「おまえと話すのに、毎回ここに来ないといけないのは面倒臭い。」

 

 ツアーは何も言わない。

 しばしそのまま沈黙の時が流れ、ややあって目を(そら)したままのアインズが問う。

 

「不服か、ツアー?」

 

「アインズ、それは間違っている。」

 

 ツアーはアインズをじっと見たまま即答する。

 アインズは敢えて何も言わず、空を見上げたままツアーの続く言葉を待った。

 

「キミ、の勝手じゃない。

 

 ボクら……の勝手だ。」

 

 アインズがばっと素早く振り返ってツアーを見る。

 

「その決断に、名を連ねさせてもらうわけにはいかないのかい?」

 

 ツアーはいつになく優しい声色でそう問うた。

 問われたアインズは、頬の筋肉を欠きつつも、でありながら器用に顎を引き、口角を釣り上げた笑みを作って見せる。

 

「もちろん歓迎するとも、ツアー!」

 

 やおらアインズは、再び崖の(ほう)へと向き直り両の手を斜めに振り上げて大きな声で叫んだ。

 

「世界よ、聞くがいい!」

 

 誰の耳に届くでもない魔王の宣旨。

 

「オレたちは、オレたちの勝手でおまえたちに再び言葉をくれてやろう。

 不服あるものはかかってこい、いつでも相手になってやる!

 

 何事も憶えてはおれぬオレではあるが、

 このことだけは、決して忘れはしまい!」

 

 続いてツアーもまた。

 

「世界よ、聞いておくれ!」

 

 やはり誰の耳に届くでもない竜王の咆哮。

 

「ボクたちは、ボクたちの勝手で<翻訳の神秘>を蘇らせる。

 異議は聞くが、聞くだけだ。

 

 その代わりにボクは改めて誓おう。

 世界を(けが)(もの)あらば、その(もの)たちからボクが世界を護ることを。」

 

 ふふふ、とアインズ。

 

「大きく出たな、ツアー。」

 

「アインズも……口にしないだけで腹は括ったのだろう?」

 

 ふふ、ははは、わははははっ、と次第に二人の笑い声は大きくなっていき、やがて遥か彼方からも微かに感じ取れる鮮烈な緑色の光を放って止まった。

 

 

 

「ボクは飛んで帰るよ。途中、捜し物もあるのでね。」

 

 ツアーはそう言い残し、別れの挨拶もしないままに黒鉄(くろがね)の竜王とは比較にもならない恐ろしい速度で飛び去った。

 ああ、アレを撃ち落とすのは背後からのモモンガ(キャノン)では無理かもな、とアインズは独り笑う。

 

「……結局、伝えそびれてしまったな。」

 

 自身の下僕(しもべ)たちにはなかなかに相談し難い悩みを覆蔵なくツアーに打ち明けたアインズではあったが、一つだけ、どうしてもツアーに話せなかったことがある。

 

 モモンガ砲戦術を思いついたとき、その避け得ぬ危険(リスク)として危惧していたのは、竜王の飛翔に追いつけないことでも、ましてや、そのまま人工衛星になってしまうことでもない。

 

 竜王を屠った快楽に酔いしれて暴走してしまわないか。

 狂気の無差別殺戮機械(キリングマシーン)と化してしまいはしないか。

 

 が、これは結局杞憂に終わったのだった。

 

 黒鉄(くろがね)の竜王を死霊系即死魔法で屠っても、何の報酬もなかった。

 ユグドラシルプレイヤー、ピーを<心臓掌握(グラスプハート)>で葬ったときと同様に。

 

 そして、それは何を意味するか。

 

 アインズたちユグドラシルプレイヤー同様に、

 <始原の魔法>を操る真の竜王もまた、この世界においては(まが)い物の(せい)だ、ということ。

 

 流石のアインズも、自身が本来獣であり言葉を得て初めて今の自分たり得た、との気づきを躊躇い混じりに告白したツアーに、これを告げてさらに傷口を広げるような真似は出来なかった。

 

「あいつはオレなんかが気遣わなくても聡い。

 そのうち自分で気づくだろうさ!」

 

 オレだって、自分で自分の存在が何であるかに自ら辿り着けた。

 その過程があったればこそ今の自分がある。

 

 ツアーもそうあるべきだし、そうあることを望むに違いない。

 

 

                    *

 

 

 予定していた通り、地下聖堂の王(クリプトロード)を召喚しギルド遺構の守護を委ねたアインズは、パンドラズ・アクターに命じて<巫女の布告>を届けさせた。

 

「父上……ひとつ疑問が。」

 

 世界級アイテムをアインズに手渡しながらパンドラズ・アクターが問う。

 

「……何だ?」

 

(わたくし)の……」

 

「おまえの?」

 

(わたくし)の……独逸語はどうしてこれまで<翻訳>を免れていたのでしょうか?」

 

「……は?」

 

「<ロゼッタの石碑>の効果で、皆様には日本語に聞こえていてもおかしくなかった、と思うのですが。」

 

 言われてみれば確かに。

 逆にアインズが問う。

 

「……おまえは、(みな)におまえの台詞が翻訳されて聞こえていて欲しかったか?」

 

「いえ。それでは(わたくし)に与えられた設定が果たせませんので。」

 

「それが答えじゃないか?」

 

「はい?」

 

「おまえが独逸語で話すとき、相手に伝えたいのはその音であって意味するところじゃないだろ。

 エドモンの石碑は話し手の意図を聞き手に伝えるもの、とされていたから……それでじゃないか?」

 

 意識していたわけではないが、思えばツアーに教えた「さんきゅー」も翻訳されることなく発音通り伝わっていたようだ、とアインズは今更ながら得心する。

 対するパンドラズ・アクターは、どうしたことか安堵した様子で胸を撫で下ろしていた。

 

「安心いたしました。

 <翻訳>を元に戻すことで、(わたくし)の独逸語が皆様に聞こえなくなりはしないかと、心配で心配で。」

 

「いや、そこは別にいいんじゃないか?」

 

「!」

 

 パンドラズ・アクターが、傍目からは黒い穴でしかない目を見開く。

 

「父上がかくあれ、とお望みになったことで御座いますよ!」

 

「……おまえ。

 今のオレはそうじゃない、とわかって言ってるだろ?」

 

Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みとあらば)!」

 

「聞こえてるよ!

 独逸語で!」

 

「それはぁ……(よろ)しゅう御座いましたぁー、んぁーアインズ様ァ!」

 

 得意の敬礼を執るパンドラズ・アクターと、神々しくも緑色の光を放つ骸骨。

 

「……ったく、無駄な行数を使いやがって。

 さて、とっとと終わらせるか。」

 

 

 

 黒光りする<ロゼッタの石碑(ピエール・ド・ロゼッタ)>に白く光り輝く<巫女(ヴォルヴァ)の布告>を近づけると、どこからともなく懐かしい声が聞こえてくる。

 

 太初に(ことば)あり、(ことば)は神と(とも)にあり、(ことば)は神なりき。

 

 タブラさん、よしてください。そんな大袈裟なことじゃないですよ。

 友だちと話せるようにしておく、ただそれだけのことです。

 

 決断というのは、何かを決めることではなく、そうあり続けようと誓うことなんですよね。

 

 死獣天朱雀さん、もちろんそのつもりですとも。

 ギルド長を引き受けたときから何も変わりません。少しその範囲が広がるだけです。

 

 背負(しょ)い込めど背負(しょ)い込めど、我が暮らし楽にならず。

 

 ヘロヘロさん、独りで背負(しょ)い込むつもりはないので大丈夫ですよ。

 みんなが遺してくれた仲間たちが、ちゃんとオレを支えてくれますから。

 

 正義降臨!

 

 たっち・みーさん、正義の味方なんか気取るつもりなんてないですよ。

 というかセバス、何とかしてもらえませんか?

 

 私に魂を差し出せば、世界の半分をおまえにやろう。

 

 ウルベルトさん、半分は自分で持ってくつもりなんですか?

 残念ながら世界はオレを含めたみんなのものですよ、今後も当てにはしてますが。

 

 やっちゃいなよー、モモンガさーん!

 

 ペロロンチーノ、おまえは煽ることしか出来んのか!

 ま、いつもそうして背を押してくれることには感謝してますけどね。

 

 今この瞬間も、至高の四十一人が共にあることを改めて実感しながら、アインズは世界級(ワールド)アイテムを発動させた。光輝くだけの白紙であったその紙面に<ロゼッタの石碑>のフレーバーテキストが恭しく浮かび上がり、途絶えて久しかった<翻訳の神秘>が今再び世界を包み込んでいく。





<次話予告>

「な、なんてことだ!」
「……いったいこれはどういうことで御座いましょう!」

 漆黒の英雄(モモン)たちを驚愕させる衝撃の出逢い。


 憶持のオーバーロード最終話『憶持のオーバーロード』


 よりにもよって、示し合わせたかのように()()()と同じところに堕ちるとは!


 そしてアインズたちの冒険は未来永劫続いてゆく……。
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