憶持のオーバーロード   作:wash I/O

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第4話 バベルの災厄

 その災厄は全世界同時的に、かつ唐突に始まったのであるが、事の性格上、まったくそれに気づかなかった人々も少なからずいて……否、この世界において極々標準的な牧歌的な暮らしをしていた人々には事変の発生を知る機会すらなかったろうから、気づかなかった人の方が多数派であったやも知れない……しかも、それは極めて主観的な体験であって銘々によってその受け取り方も様々であったろうから、なかなかに第三者的な目線でこの出来事について語ることが難しいものであった。

 

 ここでは、その日の朝の<(あけ)薔薇(ばら)>の面々を襲った混乱(パニック)を追うことで、事象を追体験してみよう。

 

 

 

 ん?

 

 ギンは、定宿のいつもの給仕が頼まずもがなに淹れてくれる朝食前の一杯の茶を待ちつつ、読みかけの本に視線を落としていたので、見る者を恐れさせる真紅の角膜を隠す日除け眼鏡(サングラス)をまだかけてはいなかった。

 

 ので。

 

 違和感を表明すべく見開かれたその赤い目は否応なく目立った。

 

 ところが、その目線を送られたリキウスはリキウスで、驚くのはオレの方だと言いたげに目をまん丸に見開いていた。

 

 そもそもギンが驚いたのは、彼に少し遅れて食堂に姿を現したリキウスが、旧王国領で書き物一般に用いられるところの文語調で朝の挨拶をしてきたからである。

 

(ギン)(うじ)、本日もお日柄(よろ)しく、祝着至極と存じ居り御座候(ござそうろう)。」

 

 なんの……冗談だ、コレは?

 

 なのでギンは、

 

「ドウシタンダ、リキウス。ソノ()(もの)ミタイナ言葉遣(ことばづか)イハ?」

 

と問うたのだが、問われたリキウスは目をまん丸にしつつこう答えたのである。

 

(かく)申される吟氏(ギンうじ)にてこそ常ならぬ砕けた言葉遣い、いと(あや)し。(これ)、親しき仲にも礼儀ありと問うべきに御座候(ござそうら)わず()?」

 

 あん?

 

 リキウスの表情に、驚きのみならず困惑と、それ以上に彼らしくもない狼狽を感じ取ったギンは、どうやらこれは冗談ではないようだ、と判じた。さて、どうしたものかと一瞬考えた後、手にしていた書物に今一度目線を落とす。

 

 読める。

 意味がわかる。

 

 パンパン!

 

 唐突にギンは柏手を打った。ややあって厨房の方からいつもの給仕が姿を現す。

 

(ギン)(こー)、待て、茶、まだ!」

 

 ……こちらもこちらで妙な具合だ。

 

 ギンは、右手を高く挙げて中空に文字を書くような仕草(ジェスチャー)をする。説明の便宜で何か書きながら議論したいときに、普段は宿の外にその日のお薦めの定食(メニュー)などを掲げる画架(イーゼル)を借り受けることがあり、これはその要求の合図(サイン)だ。

 

「待て、行く、すぐ!」

 

 ややあって、給仕は画架に支えられた黒板と天然石灰の白墨(チョーク)を届けてくれた。礼を口にしたいのは山々だが、リキウスの様子から推し量れば、今、自分が何か給仕に声を掛けることはさらなる厄介な反応を引き出し兼ねない、と直感的に察したギンは、ただ手振りで給仕に謝意を示してから、すぐさまリキウスの注意を自身の手元に引き寄せた。

 

<我が言葉、如何様(いかよう)()こゆる()。>

 

 ギンは、帝国自由都市風の書き言葉で問いたいことを黒板に書き込み、リキウスに白墨を手渡す。厨房の辺りから「何やってんだ?」と言いたげに顔を半分覗かせる給仕の気配を感じるが、今は相手にしている余裕がない。

 

<粗雑に過ぎ、書き下す(こと)(あた)()。>

 

 なるほど、少なくとも旧王国語を用いての読み書きには問題がないようだ。

 

 ギンは、帝国の初等学校に学び、加えてリ・エスティーゼ王国に長く暮らした母ガガーランからも手習いを受けたため、源流(ルーツ)(おな)じくしつつもかなり作法に差異のある旧王国流の文章法と帝国風のそれの、両方に通じている。

 

 試しに、ギンは帝国風の書法で同じことをしてみる。

 これは彼にとっての口語に近い。

 

<わいのべしゃり、どないきこえよん?>

 

(まさ)(かく)の如く聞こゆべし。

 心穏やかに聞くに耐え()、甚だ不快(なり)。>

 

 これは!

 

 ギンは幼少の砌、父に聞かされた御伽噺そのままではないか、と驚く。

 

 ここではないどこか遠くの国でのお話。人々は自分たちは何でも出来るのだと思い上がり、天まで届く高い塔を建てることを思いつく。その大工事が果たせるかな雲に届こうかとした頃、天に住まう神々はこれに一計を案じ、人々の言葉を乱し相通じることを封じた。途端、互いに意を解することが出来なくなった人々は大混乱に陥り、ほどなくして塔は崩れ去ったという。

 

 その塔の名は、バベル。

 

 父ゴ・ギンによれば、この物語は今から三百年ほど前、牛頭人(ミノタウロス)の国に現れ数々の発明品の原案(アイデア)のみを多く示したことから今日(こんにち)<口だけの賢者>の名で知られる賢人が、人々の思い上がりへの戒めと、言葉が相通じることに対しては感謝を捧げるべきであるとする教訓として、諸国へ広めた物語だということだったはずだが、今起こっていることはまさにそれではないのか?

 

 <バベルの災厄>。

 

 この日始まる異変が、誰からともなくそのように呼び習わされることになるのはそのような背景があってのことになるが、その含意を解することが出来た者は、ギンを含め決して多くはなかった。

 

 極端に異なる出自を有する父母の元に生まれ育ち、また、父母共に聡明で読み書きにも通じていたギンは、国や種族が異なれば用いる文字が異なることに幼い時分から気づいていた。ふと湧いた興味から、父に尋ねたことがある。

 

「父上ハ帝国ノ、母上ハ王国ノ言葉デ()()キサレルガ、父上ノソレハソモソモ帝国ノ人間ニ(ナラ)ッタモノ。武妖巨人(ウォートロール)ノ文字、()言葉(ことば)、トイウモノハナイノデスカ?」

 

 ギンは、自身が混血(ハーフ)であることを承知しつつ、それでも自身の存在源流(アイデンティティ)としては武妖巨人を強く意識していたのでこれを問うたものであるが、父は愉快に笑いながら答えた。

 

 武妖巨人(ウォートロール)には文字を扱う文化がない。世代を越えて語り継ぐべき事柄は、詩の形で(そら)んじられるのが常であると。そして、(ギン)の家名は、武妖巨人(ウォートロール)の文化文脈としては傍流となる知識の詩を()じることに長じた家系であることに由来しており、ゴ・ギンが生まれた村を離れて流浪の武者修行の果てに帝国闘技場へと辿り着いたのは、元を糺せば自身()を好んだ父には家業が受け入れ難かったからなのだ、と聞かされた。

 

()(この)ミツツ、ソウイッタ(こと)ニモ関心ヲ()セル()ハ、俺ト祖父(じぃさん)()所取(ところど)リヤモ()レンナ!」

 

 これを横で聞いていた母ガガーランは、

 

「そういうアンタも私からすりゃ妖巨人(トロール)らしからぬ思弁家だよ。

 そこはアンタ似で、ガガーリンの武辺は私の子だからさ!」

 

と突っ込みを入れ、父母は顔を見合わせてガハハハと笑ったものだった。

 こういった逸話(エピソード)を思い出す都度、ギンは、母ガガーランは実は人間ではなくて、しばしばキーノ小母(おば)さんが揶揄(からか)ってみせたように正真正銘の妖巨人(トロール)だったのではないか、などと考えてしまうことがある。

 一方、これらを鮮明に思い出せるということは、武辺一辺倒に見えた父は、存外知識の詩を()()()才に長けていたのやも知れない。

 

 おっと、思い出に心囚われて目下の問題を見失ってしまった!

 

 いったい何が起こっているのか。

 

 このような生い立ちであるギンなればこそ思い当たることがある。

 この世界の住人の大半の者は、一つの文化圏に生まれた後はその文化圏を離れることなくその内部で生涯を終える。だから、自分の見知った文字や習慣とは異なるそれが、存在することを想像したことすらない者も多い。

 さらにその傾向を後押ししているのが、誰もそれがいつからそうであるのかを知らず、そもそも天地開闢以来ずっとそうであった可能性すらあるが、この世界においてはすべての言語を操る者同士の会話は、望むと望まざるとに関わらず勝手に翻訳されて聴こえてしまう、という()……誰が呼んだか<翻訳の神秘>である。

 

 歴史上のどこかの時点で発生しそれぞれの文化圏において継承されてきた各々の言語の間に、会話が成立してしまうにも関わらず実際には大きな差異があることについては、特に声高にそれについて語られることはほとんどないものの、ある程度の見識を備え異文化圏との交流のある生活を営む者であれば、気づかない者はおそらくいない。聞こえてくる音声と、会話相手の口の動きにあからさまなずれが生じるし、源流を(おな)じくする帝国、旧王国のような場合を除き、文字・書き言葉体系が国家や地勢分断を越える都度大きく変化することもこれを裏付ける。

 一方で、会話能力を身につけた文化圏でその一生を終える……極々ありふれた普通の……人々にとっては、たまたま出会って会話した異文化圏出身者の発する言葉が、実は未知の力によって翻訳されて聴こえているのだ、と自覚するきっかけはまずない。それは、丸いものが丸く見えるのと同様に、主観体験としては自然極まりないもので、今この世に生きる者すべてが生まれた日から今日(こんにち)に至るまで、まったく変わらない事実だった。

 

 例外的に、これを強く自覚させられる一連の人々がいる。

 

 一つはガ・ギンがそうであるように、異なる文化圏に出自を有し、かつ、読み書きに通じた父母を有する混血児(ハーフ)。彼らは両親から言葉を習う過程で、父母がまったく異なる言語体系を読み書きしつつ、それでも音声会話は通じることに遅かれ早かれ気づかされることになる。

 

 そしてもう一つは魔法詠唱者(マジックキャスター)。彼らが何らかの位階魔法を発動すると、一部の例外を除き魔法と一対一対応した特別な音韻となる<異言>が発声されるが、こちらの世界の住人にはその意味するところが理解できず、通常の会話の中でその音韻を真似て発することも、まったく不可能でこそないが極めて難しいものとなる。

 ところが術者(じゅつしゃ)本人には、発動の瞬間に<異言>が自身の理解できる言語として聴こえており、彼らは通常の会話の文脈で自身の(わざ)に触れる際は、そちらの()を使って会話することができる。たとえば、<火球(Fireball)>を放つ術者(じゅつしゃ)の口からは「Fireball」との<異言>が聴こえるが、本人は「火球」と発言したつもりでおり、これを振り返って語る際も「火球」の()を用いる、といった具合に。

 魔法詠唱者たちはこれを、世界を貫く翻訳の力が位階魔法本来の真名に働いて自身の意識と接続されるもの、と解しており、彼らが魔法使()()ではなく()()()と呼ばれるのは、実にこの<異言>を口にするところを他者から見た様子に由来している。

 

<俄に信じ(がた)き事なれど、<翻訳の神秘>が働かぬものと存じ居り(そうろう)。>

 

 ギンはリキウスに自身の気づいた事態の実相を伝えようとそのように板書してみたが、リキウスの表情から狼狽の色はたちまちには消えなかった。

 

 信仰系魔法詠唱者であるリキウスは、自身が魔法発動に際し<異言>を発していることに気づいていないはずはないが、混血児の場合とは異なり、こちらについては「それはそういうものだ」という浅い理解で済ませている者が大半であることは想像に難くない。非日常の体験である魔法詠唱と、日常の会話に生じた異常をいきなり関連づけて考えろ、と求めるのは無茶振りに過ぎるだろう。

 

吟氏(ギンうじ)()が発する言葉を(かい)するや否哉(いなや)?」

 

 雄弁ではあるが筆まめでないリキウスは、筆談がもどかしいようでそう尋ねる。思わずギンは、

 

(わか)ラナクハナイガ……」

 

と口頭で返事をしかけるが、あからさまにリキウスが不快そうな表情を浮かべるので、

 

大凡(おおよそ)の意味は掴めども、違和感(いわかん)(ぬぐ)えずに()(そうろう)。>

 

と板書する。

 

 これは、地味に大騒ぎになるのではないか、とギンは溜息をついた。

 

 自分たち<朱の薔薇>は銘々過分に来歴の異なる集団(チーム)であり、これほど極端なすれ違いが市中のあちこちで起こるとも思えないが、とは言え、画架を貸し出してくれた宿の給仕の発する言葉もまた、リキウスのそれとは随分異なる聴こえ方をしたところからすると、リキウスのような曲がりなりにも読み書きができる旧支配階級出自の者と、読み書きができない給仕のような一般都市民、はたまた農村部では、旧王国と帝国程度には異なる言語を使っていて、そのことに今日(こんにち)まで自覚がなかった可能性がある。

 自身と同じ出自集団の中で会話している限り異常に気付かず、そこから一歩出た途端にこの異常に気付かされるのだとすれば、部分的に意味が通じなくはないとは言え、その社会的影響は決して小さくはないはずだ。

 

 ことによっては混乱(パニック)に陥った市民による暴動騒ぎがあるやも知れぬ!

 

 そして、それはそれで心配ではあるが、まずは何より自分たち<朱の薔薇>の意思疎通が問題だ。何か起こるにせよ起こらぬにせよ、仲間(うち)で言葉が通じないことには対処のしようもない。

 ギンとリキウスの間ですらこれほどの違和感があるのだから、三百年以上の(なが)きに渡って宛てなく旅してきた真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)のイビルアイ小母(おば)さん、そもそも出自不明の双子忍者(クゥイア・クゥイナ)とは、果たして意思疎通が可能なのか?

 

 食堂から発せられる何やら不穏な気配に気づいたのか、キーノとクゥイア、クゥイナが上階(じょうかい)から降りてきて、ギンの心配が杞憂でなかったことが明らかになる。

 

(なれ)()川止女天(つとめて)與利(より)奈尓加(なにか)散和加牟(さわがん)。」

 

「「……エッ?」」

 

 ギンとリキウスは、キーノから発せられた言葉……であるに違いないのだ……に顔を見合わせて絶句した。言葉が通じていてすらどこか通じていない感がなきにしもあらずの彼女と、これでやっていけるのだろうか。

 

「キーノ小母(おば)サン、私ノ言葉ガ(わか)ルカ?」

 

 駄目元でギンは問いかけてみるが、彼女にはどのように聴こえたものか、

 

奈何鹿(なにすとか)!」

 

と大きな声を上げて顔を真っ赤にしている。

 

 どうやらキーノは何が起こっているのかわかっていない……というよりも、おかしなことが起こっていることにまだ気づいてすらいないようだ。これは説明に骨が折れそうだ。

 

 と思いきや、続いてクゥイアから発せられた言葉はより深刻であった。

 

Je ne comprends pas(わからん)...」

 

 最早ギンもリキウスも声を発することすらなかった。まだ音韻的に自分たちとの共通点を微かながらも感じなくもなかったキーノの言葉に対し、クゥイアの発言は、むしろ呪文の詠唱(スペルキャスト)に近かった。力なく二人の視線が泳ぎ、何となしに隣で黙ったままのクゥイナを捉える。

 

 軽く曲げた両手を左右に開き手の平を上に向ける手振り(ジェスチャー)

 

(コイツハ……(もと)カラワカランナ。)

 

 ギンは、とまれ腹拵えが必要だ、と再び柏手を打ち、給仕の視線を捉えて食事の手振りを見せた。

 

 

                    *

 

 

 この顔ぶれであんなに気まずい食事をしたのは初めてのことだな、とリキウス・アインドラは嘆息した。

 

 辛うじて意図が通じなくもないリキウスとギンを除き、<朱の薔薇>は意思疎通を封じられた状態だ。元より、リキウスを除いて口数の多い面々ではないが、それでも食事どきにはあれやこれやと雑事を言い交わしたし、最近ではキーノが不意に昔話をしてくれることも増えてきていたように思う。疎ましく思わなくもなかったクゥイアの歯に衣を着せぬ物言いも、こうなってしまえば喪失感を覚えずにはいられない。

 

 気まずい黙食を終えた後、ギンが(くだん)の画架を使って改めて自身の状況理解について説明をおこなった。

 集団(チーム)として概ねの共通理解に至るには三時間ほどを要した。その大半の時間はキーノを宥めるのに費やされた。最初の二時間、彼女は給仕を含む皆が申し合わせて自分をからかっているものだと感情的に主張して譲らず、ようやく納得して本格的な筆談議論が始まってからの一時間は、世代差のみでは説明のつかない文章下手が露呈した彼女がしばしば(へそ)を曲げ、これを(なだ)めるのもまた一苦労だった。

 ともかく市中を一廻(ひとまわ)りして様子を見よう、と意を決したときは既に昼前。緊急事態に備え、念入りに手話(ハンドサイン)を打ち合わせた上で行動開始したのは、流石<朱の薔薇>の面目躍如といったところではある。

 

 街では目立った混乱は起きてはいないようだが、そこかしこから不穏な空気が漂っていた。

 

 ギンが事前に予測して見せた通り、貴族家の末であり体系的な教育を受けた経験のあるリキウスと、エ・レエブルの支配層に当たる参事会議員の豪商たちが交わす会話には、まるで何事もなかったかのように支障はなかった。ギンも、混乱を避けるため自身が発言することこそ憚ったが、意識を集中して聞いてさえいれば話にはついてこれているようだ。

 これが<朱の薔薇>の普段のお得意先となる中間層の商人相手となると、予めギンに強く注意を促されていたにも関わらず、リキウスはギンに対してそうであるように、商人たちの発言に対してもたちまちには不快な表情を隠すことが出来なかった。商人たちの(ほう)もリキウスの言をずっと訝しげな表情で聞いており、意図が正しく伝わったかどうか確信が持てない。

 

 リキウスは、自身を正義の人、無私の人、と思い込むほど幼くはなかったが、自分なりに公明正大で偏見のない人間だ、とは考えていた。貴族家の血を引きながらも町衆に対して傲慢に振る舞ったことは一度たりともないし、並の神官戦士(パラディン)であれば問答無用に<悪霊退散(ターンアンデッド)>を仕掛けるであろうド・クロサマー王国で出会ったデイバーノックと名乗る死者の大魔法使い(エルダーリッチ)との間に、束の間の友情すら培うことが出来た。

 

 が、ここに至ってリキウスは、そういった自己評価に揺らぎを生じさせている。

 

 今起こっていることが、ギンが主張する通り大昔から変わらず存在したとされる<翻訳の神秘>の力に何らかの理由で生じた異変であるのか、について、リキウスはギンほどに確信を抱いているわけではない。が、仮にギンの言う通りなのだとすれば、彼は生まれて初めて周囲の人々の意図、ではなく、生の声を聞いていることになるのだろう。

 そして、理性の部分が如何に「これは何らかの異常によるものだ、銘々の人々に悪意などあろうはずもない」と訴えていても、感情の部分が、彼からすれば濁り整わぬ音韻と洗練されない言葉遣いに、育ての親であるガ・ギンに対してすら本能的な悪感情を(いだ)かせていることを、リキウスは否定できなかった。自身の理性が、かくも脆いものであろうとは!

 だがしかし、それは他ならぬギンも同様のようだ、ということにも彼は気づいている。余人(よじん)はギンの厚い(つら)の皮に阻まれて読み取ることが出来ないだろうが、ギンもまた微妙な表情の変化として、リキウスの発する言葉を聞く都度、どこかで鼻につくような苛立たしげな様子を隠し切れてはいない。リキウスが今のギンの言葉を軽薄単調なものとして嫌悪してしまうのと同様に、ギンもまたリキウスの言葉を慇懃無礼に感じているのではないか。

 

 そういったことを内省しつつ、同時にリキウスは危惧もしている。

 エ・レエブルの住人の中ではかなり理知的な部類に入るであろう自分たちですらこうなのであるから、都市の支配層と中間層、被支配民の間に、何か適当な火種さえ放り込まれれば一騒動(ひとそうどう)起こるのは間違いない。

 

「……そういう次第ですのでビョルケンヘイムさん。不安な気持ちはわかりますが、館の護衛の話は受けられませんし、他の冒険者(ベンチャー)へ依頼することも遠慮いただきたい。今は、優位な立場にある者こそ自省して、街の(みな)を刺激することは避けるべきです。」

 

 エ・レエブル参事会の一人で、彼同様に古い貴族家の血筋を引く豪商に、リキウスはそう釘を刺した。

 

 <朱の薔薇>は市中の様子を確認するとともに、不測の事態の発生に備えて市の有力者の館を廻り、彼らが理解しているところの状況を伝えて決して軽挙妄動しないように、と説いて歩いた。

 多くの有力者はそもそも事態の発生に気づいておらず、リキウスの語りに訝しく耳を傾けつつも、あの<朱の薔薇>がわざわざ説いて歩くほどのことなのだから協力はすべきだろう、という態度を示した。

 

 例外的だったのが口入れ屋(人材派遣業)の類を営むビョルケンヘイムで、幅広い階層の人々と交わりを持つ彼は今朝の早い段階から異変に気づいていたのだが、彼はこれを下層民が不穏な企てをしつつ自身にそれを悟らせないために符牒で会話しているもの、と睨んでいた。

 以て、<朱の薔薇>が館を訪ねるや彼らが話を切り出すのを待たず、渡りに船とばかりに「都市に不穏の動きあり!」と館の警備の依頼を自ら申し出たものだ。意を尽くして説明すれば、すぐにビョルケンヘイムは自身の判断を恥じ入って協力を約したが、リキウスは自分たちの懸念が決して杞憂ではなかったことを思い知らされた(てい)になる。

 ビョルケンヘイムが決して軽率な人物ではなく、むしろ普段から積極的に幅広い階層の人々に直に接し、エ・レエブルの明日を真摯に考えている有志であることを<朱の薔薇>はよく承知している。無論、そこには市民の支持が自身の政治力の裏付けとなるがゆえの打算がまったくないわけではないだろうが、彼の活動が、参事会が見落としがちな下層市民に潜在し放置すれば揉め事の火種となりかねない種々の要求を、市政に反映する一助となっているのは紛れもない事実だった。

 その彼ですら、まずは<朱の薔薇>を囲って自身の安全を確保せねば、と考えたところに、リキウスは自身内省したところに重なるものを感じ、複雑な思いを(いだ)かざるを得なかった。

 

 師父ガ・ギンはこの事態を<地味なれど騒動に至るものと恐れ居り(そうろう)>と評した。

 

 最初に聞いた……厳密には板書されたものを読んだのだが……時点では意味がよくわからなかったが、今はリキウスもまったく同意だ。言葉が相通じるということに、これほどの重みがあることに、今日の今日まで気付けなかったとは……

 

「これは……本当に大変なことになるな。」

 

 思わず漏れた言葉に師父が応える。

 

「ダヨネー、本気(マジ)(マンジ)。」

 

 ……駄目だ。

 わかっていても、イラッとする!

 

 

                    *

 

 

 キーノは、すっかり変わって見えてしまっている日常の風景の中、仲間たちの背を見ながらついて歩いている。

 

 昨日までは、雑踏の中で聞こえてくるエ・レエブルの人々の十人十色の声に耳を傾けながら、自分は自分の出来ることを一つ一つ積み上げて、この世界における自分の居場所を踏みしめ続けていくのだ、と強く誓っていたつもりだったが、儚くもその思いは潰えそうなほどに萎んでしまっていた。

 

 誰の声も聞こえない。

 否、何か聞こえてはいるが、まったく意味がわからない。

 

 三百年を越える歩みの中で、孤独を感じることは一度や二度ではなかった。どんなに親密になった友であっても、不死者(アンデッド)である彼女を置いて逝ってしまうことに対しては、随分と早くに割り切りをつけたつもりでいた。

 が、今感じているほどの孤独を……人集る雑踏の中を歩いているにも関わらず、自分だけが言葉の通じぬ異時代人(エトランゼ)であるなどという孤独を覚える日が来ようとは、さしものキーノも想像すらしたことはなかった。

 

 この先これがずっと続くとしたら……

 

 いやいや、悪い方へ考えるのはよそう。思えば、十三英雄と共に旅した時代、世界を遍く絶望へ突き落とした魔神たちを前に、自分たちは決して諦めなかったではないか。生存そのものが深刻な危機に直面したあの時代のことを思えば、乗り越えれないことなど決してない。ないはずだ……とキーノは自分に言い聞かせてはみる……ものの、やはりそれとはまったく異質に思える今の状況に対する不安を拭い去ることは出来ない。

 

 今の今まで考えたこともなかったが、そもそも<翻訳の神秘>とは何であるのか?

 

 同様にこの世界の住人がその存在を疑いもせず受け入れている<位階魔法>について、これが当初はこの世界には存在しておらず、キーノがこの世に生を受け真祖吸血鬼として覚醒して永遠の時の旅人となるずっと以前、今日(こんにち)、八欲王の名で知られる異世界からの来訪者(プレイヤー)によってもたらされたものであることを、キーノは白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)ツアーから語り聞かされて知っている。

 ということは、<翻訳の神秘>も元々はこの世界には存在しなかったもので、どこかの時点で八欲王のような何者かによってもたらされたものなのだろうか。だがしかし、キーノの知る限り最も長い時間を生き続けているツアーですら<翻訳の神秘>は当然のものとして受け入れていたように思われ、その由来について言及したことはない。

 ツアーは、決して知識を出し惜しみする者ではなかったが、さりとて、然るべき段階に至っていない者に知識を押し売りして後進の自ら学ぶ機会を奪うような者でも決してなかった。なので、ツアーはその由来を知ってはいたが、少なくともキーノに対してはそれを語らなかった、という可能性はある。

 逆に、ツアーですらその由来を知らないのだとすれば……少なくともキーノがツアーから漏れ聞いた六大神との関わりには、ツアーが六大神との会話に困ったような下りはまったくなかったように思われる……ツアーが生まれたであろう七百年前には、<翻訳の神秘>はこの世界の住人に極自然なものとして受け入れられていたことになる。

 

 それが、今この時に突如失われるとは!

 

 そして、キーノの頭の片隅を離れないのは、キーノにとってもツアーにとっても実に長い時間の流れの中で、<翻訳の神秘>が失われるなどという考えもしない事態が今生じたことと、キーノの知る限りにおいて歴史上最強最悪の存在であろう傲慢な骸骨、アインズ・ウール・ゴウンが、今このときもこの世界で誰に知られることもなく我儘気儘に暗躍している事実は、果たして偶然なのだろうか、という疑問だ。

 

「偶然……なわけないよな。

 今度は何をやらかしたんだ、アイツは?」

 

 言語的立場はキーノと似た位置にいる双子忍者がキーノが思わず漏らした独白に反応してキーノに視線を向けるが、

 

Je(ジュ)ne() comprends pas(コンポンパ)...」

と、わけわからん、の手振り(ジェスチャー)

 

 だがしかし。

 

 ともすれば<神隠し>によるものだと(かい)されがちな容疑者不詳の殺人、経緯のわからぬ行き方知れずの大半がそうであるように、これもまたアインズにとっては濡れ衣なのである。

 

 

                    *

 

 

 我らが死の支配者(オーバーロード)アインズ・ウール・ゴウンが事変の発生を知ったのは、この日からかなり経ってのことになる。

 

 これは、ナザリックの面々が基本的にはナザリック外の出来事にあまり重きをおいていないゆえであるが、おそらくデミウルゴスあたりは、発生直後から何かあったことには気づいてはいたのだろう。が、さほどこれを重要視しなかったのか、はたまた何か他の思惑あってのことか、アインズに報告されることはなかった。

 

 そしてこの凶報は、思いもしなかったところからアインズにもたらされたのである。

 

 

 

 そのときアインズは、簡素な部屋着を纏って自室のすこぶる座り心地の良い寝椅子(ソファー)に深く腰掛け、心ウキウキにアルベドが湯浴み(シャワー)を終えるのを待っていた。これから何が始まるのかは言わずもがな。そして、まだ生乾きの髪に手拭い(タオル)を絡め、首から下には一糸纏わぬアルベドが姿を現したことでアインズの興奮は頂点に達したのであるが、突如違和感を覚えて固まった。

 

 <伝言(メッセージ)>?

 

 それはわかる。

 

 たとえ何をしているときであっても、アルベドとお楽しみの最中であっても、アインズに対する緊急連絡については何ら躊躇う必要はない、と常々下僕(しもべ)たちには言い聞かせている。のべつ幕なしアルベドといちゃついているわけでもあるまいに……いや、それも若干あるかも、だが……お楽しみの最中にニグレドから急報を受けるケースが恣意的に多いような気がしないでもないが、これは()()()というものなのだ、と割り切るようになって久しい。

 

 なので、今回もそれか、とアインズは一瞬思ったのだが、やはりそれでもおかしい。

 

 と言うのも、アインズに<伝言>してくるのは、基本的にはアルベドの姉であるナザリックの目ニグレド、外征部隊の助手を務める戦闘メイド(プレアデス)のナーベラル・ガンマ、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ、加えて控えるソリュシャン・イプシロンの四人しかいないはずだが、今、アインズのありもしない脳内に聴こえてくるのは明らかに男性の声だ。

 

 しかも。

 

(......Ainz-san(アインズさん)...Ainz-san! How do you read(聴こえるか)?)

 

 え……英語!

 

 ユグドラシルにおいては非公式ラスボスの二つ名を(ほしいまま)にし、こちらの世界に渡ってからは比肩する者なき大魔王アインズ・ウール・ゴウンではあるが、元を質せばその人格の基礎(ベース)は人間・鈴木悟に発している。

 二十二世紀に至っても、悲しいかなほとんどの日本人は外国語に滅法弱かった。ましてや、日本人の知性平均に対してかなり下位に位置した最終学歴小学校卒業の鈴木悟については何をか言わんや。

 

「アインズ様……いかがなさいました?」

 

 たちまちに我が身に貪りついてくるものか、と期待していた愛する至高の(あるじ)が、口をパカリと開いたまま立ち尽くしているのに気づいたアルベドが声をかけるが、アインズの心は引き続き聴こえてくる英語に困惑の()を深めつつあった。

 

Can you hear me(オレの声がわかるか), Ainz-san?)

 

「ウガァーーーー!」

 

 緊張が振り切れたアインズが頭を抱えて叫んだため、慌ててアルベドは(おび)えた様子の(あるじ)を優しく抱きしめ、豊満な胸の谷間にその頭蓋骨を受け止めた。

 

「大丈夫ですか、アインズ様!

 どうか、お気を確かに!」

 

「ア……アルベドォ!

 あ、頭の中に……頭の中に……」

 

 アルベドは両の手でアインズのこめかみをわしっと掴み頭蓋骨の中を覗き込むが、常と変わらずそこは空虚な空間だ。

 

「え……英語が聴こえてくるんだ!」

 

「……は?」

 

 金色の猫の瞳がまんまるになる。

 

「ど……どうすればいいんだー!」

 

「I'll call you back later と。」

 

「……え?」

 

「ですから、I'll call you back later(後でかけ直す)……とお返事ください。」

 

「あ……あ……」

 

アイル(I'll)。」

 

「あ……あいる?」

 

コーリューバッ(call you back)。」

 

「……こ?」

 

コール(call)。」

 

「……こーる。」

 

ユー、バック(you back)。」

 

「ゆー、ばっく……」

 

レイター(later)。」

 

「れいたー。」

 

(OK, Ainz-san. Thanks in advance(よろしく)!)

 

 ぷつり、と<伝言>が切れるのを感じてアインズは安堵の溜息をついた。が、同時に疑問が次々と波のように押し寄せて来て、がらんどうの頭蓋骨の中は大混乱だ。

 

 オレに<伝言>してくるなんて、誰なんだ?

 なんで英語なんだ?

 いったい何を言ってたんだ?

 辛うじて聞き取れたオーケー、からすると相手は納得して切ったようだが……いったいオレは何と答えたんだ?

 

 そして最大の疑問は!

 

「ア、アルベドォ!」

 

「はい!アインズ様!」

 

 名を呼ばれただけで声が躍るアルベドは、いまだ全裸のままアインズの頭を胸の谷間に抱え込んでいる。常のアインズであればそれだけでしどろもどろになりそうなものだが、今はそういう感性が働く余裕もない様子。

 

「おまえ……英語がわかるのか?」

 

「はい。ご存じありませんでしたか?」

 

「ご存じ……も何も。

 ……フレーバーテキストにはそんなことは一言たりとも書いてなかった……と思うぞ。」

 

 アルベドを含むすべてのNPC(しもべ)のフレーバーテキストには一通り目を通している……無論、記憶はしていない……アインズであるが、日本語以外の言語が使える、とされた下僕(しもべ)は、ネタ的に独逸語を弄ぶパンドラズ・アクターの他にはいなかったはずだ。

 

「お忘れですか?

 (わたくし)の創造主は、()()タブラ・スマラグディナ様で御座いますよ。

 

 そんなことよりも、アインズ様のお言葉で『こちらからかけ直す』と応じたからには急ぎませんと。」

 

「……かけ直す?

 オレ、そんなこと言ったの?英語で?」

 

「はい。」

 

「……でも、誰に<伝言(かけ)>りゃいいんだ?」

 

「それは、シズ・デルタにご下問あればたちまちにわかりましょう。」

 

とにこやかに答えながら、アルベドの表情がみるみるうちに蕩けていく。

 

 あぁ!

 

 英語で話しかけられただけでこんなにテンパッちゃって……

 もー、かわいいんだからぁ、()()()()ったらぁ!

 

 そして不意に真顔に戻る。

 

 あら、(わたくし)としたことが、アインズ、だなんて!

 

 未だ胸の谷間に顔を埋めて驚嘆の視線を自らに注ぐ(あるじ)の頭を抱え込みながら、アルベドは守護者統括として期待された怜悧な頭脳を取り戻しつつあった。





<次話予告>

「まさか百年以上経って、こんな真相を知ることになろうとは……」

 英語で<伝言(メッセージ)>してきた謎の人物からもたらされる衝撃の事実。アインズは自身の原点を振り返ることを余儀なくされる。

「オレが……日本人だから、だと?」

 そして下された決断とは?

Exactly(いかにも)!
 I am(我こそ) Ainz Ooal Gown(アインズ・ウール・ゴウン), the Overlord(死の支配者である)!」


 憶持のオーバーロード第5話『どぎまぎの初体験』


(わたくし)の創造主は、()()たっち・みー様で御座いますれば。」

 老執事(セバス)には気障(きざ)台詞(せりふ)がよく似合う。
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