思想が強すぎる単独強襲刀剣無双リコリス【完結】 作:難民180301
○月✕日
DAで暮らし始めて今日で十年。千束先輩以外の友達はいまだゼロ。部屋も先輩が出ていって以来ずっと一人で使ってる。
なんでぼっちなんだろう?
この田中、自分で言うのもなんだけど優秀な子だ。八歳でファーストになったし、任務達成率は100%だし、人柄もたぶんいい。見た目は司令いわく「良くも悪くも特徴がない」らしいけど、まあ悪くはないと思う。
なのにみんな田中を遠巻きにする。辛い。
今日は死を悼んでもう寝よう。
○月✕日
京都からセカンドの子が転属してきた。井ノ上たきなちゃん。クールな黒髪美人で射撃の腕がえげつない。
フキ先輩のチームで活動するらしい。
チームで任務、いいなあ。田中はずっと単独強襲しかやってない。
今日も死を悼む。
○月✕日
井ノ上さんばっかりずるい。
井ノ上さんが任務でやらかしたんだけど、なんと千束先輩の喫茶リコリコに左遷っぽい。実質栄転じゃん超羨ましい。毎日千束先輩と会えるとか天国。
と思ったけど、よく考えたら田中も毎日会おうと思えば会えるな。暇なとき店に行けばいいだけだし。でも地味に遠いんだよな。
それとたぶん、これから忙しくなる。井ノ上さんが情報源の鉄砲屋さんもろとも皆殺しにしちゃったので、鉄砲が千丁くらい行方しれずになった。違法な鉄砲を使った犯罪、すなわち田中たちの仕事が増える。
これはチャンスだ。
ばしばし活躍して司令に直談判してやろう。一人ぼっちはイヤですって。
死を悼む。
○月✕日
今日は非殺傷任務を四件こなした。
横流しされた鉄砲をいくつか回収できたけど、例の千丁とは無関係。有益な情報もなし。
疲れた。
○月✕日
最悪。しんどい。
任務から帰ってきたら、井ノ上さんと千束先輩が模擬戦でフキ先輩たちをボコったと聞いた。千束先輩とはすれ違いになって会えなかった。
最近任務が忙しくてリコリコに行く暇もない。
ああ、千束先輩の乳触ってちょーちょいちょいちょいって言わせたいなあ。
○月✕日
痛ましかれかし、惨かれかし。
サードの子たちがたくさん死んだ。地下鉄を襲撃する悪漢どもを迎え撃ったものの、爆破されて生き埋めになったそうだ。
田中もそっちに参加させてもらえれば、いくらか力になれたのに。
おっぱい先輩に会いたい。
○月✕日
千束先輩おっぱいに会えた。司令が田中の任務の補助を喫茶リコリコに頼んだらしい。井ノ上さんもいた。
かっこいいところを見せられたと思う。捕縛対象を無力化した後、いらない戦力たちの死を悼んでいるところに先輩たちがやってきた。
だけど先輩に「死を悼むな」とかいう内容の説教を食らってしまった。いくら先輩でも無理を言いすぎだ。
死は痛ましく惨たらしくなければ悼むことができない。
痛ましかれかし、惨かれかし。
○月✕日
意味が分からない。
任務に失敗した、ということにされた。
この前の先輩たちと出くわした任務だ。無力化した捕縛対象が発狂しちゃって尋問どころじゃないとか。で、なぜか田中のせいで発狂したことにされた。だから任務失敗だって。
田中は何もしてない。無力化した後死を悼んで先輩たちとちょっと話をしたくらいだ。
部屋を出たらサードやセカンドの子たちが田中を遠巻きにして何か言い合ってる。きっと田中の悪口だ。
司令から直接謹慎処分をもらった。個人的な思想を任務に持ち込み対象の精神を破壊した? 思想って何のことか分からない。
田中は真面目に仕事をしてるだけなのに。
もうやだ。
同日追記
リコリコに行ったら慰めてもらえた。
千束先輩は神。井ノ上さんは美少女。ミカ先生のお菓子は美味しいし、ミズキさんだけ買い出し行ってて会えなかったけど、なんかリスみたいにかわいい幼女が増えてた。誰も目を合わせてくれないDAより、喫茶リコリコの方がよっぽど天国だ。
ただ、みんなそろって田中のことを「思想が強すぎる」と言ってたのはよく分からなかった。
田中に思想と呼べるほどの考えはない。強いてあるとすれば死を悼む気持ちだけど、こんなの誰でもある。
痛ましかれかし、惨かれかし。
痛ましい彼氏がなんだって? と千束先輩はいつも言う。違うってば。
ーーー
「たきな、今からでも戻った方がいいよ?」
東京郊外、とある廃倉庫の非常階段を二人の少女が駆け上がる。
それぞれ赤と紺の学生服を身に着け、幼い顔立ちもあいまって女子高生らしい二人だが、これは擬態に過ぎない。彼女らは独立治安維持組織DAによって養成された暗殺者、リコリスである。変哲のない学生鞄には拳銃と予備弾倉が詰め込まれ、身体能力も一般の女子高生とはかけ離れている。
赤い制服の少女、
「いいえ。DAからの直接依頼をないがしろにするわけにはいきません」
リコリスである二人だが、所属はDAとは異なる。喫茶リコリコと呼ばれる特殊な部署に努めており、そこでは喫茶店経営のかたわらで民間の細々とした要請に応えつつ、時折東京本部から回される仕事をこなす。
今回二人が廃倉庫へやってきたのもDAからの要請だ。
「『現地で交戦中のリコリスを援護せよ』。この程度こなせないと思われるのは釈然としません」
「いやいや、戻ったほうがいいってのはそういう意味じゃなくって──」
銃声が響く。二人は言葉を切り、反射的に身を低くした。
音は倉庫の内側からだ。「うわ、もうやってるぅ!」と千束が足を早め、たきなもそれに続いた。
事前情報によると、廃倉庫の三階広場で違法な組織同士が銃火器の取引をしている。東京本部のリコリスが現場の制圧と主犯の捕縛のため交戦しており、これを援護するのがたきなと千束の役割だった。
たきなはくしくも銃取引にかかわる任務で元の立場を追われており、DAからの評価のためにも、この仕事にかまない理由はなかった。
『悪いことは言わんから今回は見送れ』
『そーそー、夕ご飯食べらんなくなるわよ』
なぜか喫茶リコリコの責任者と従業員は顔をしかめてたきなを窘めてきたが、そう言われると逆に意地にもなる。たきなは鞄に仕込んだ銃把を意識しながら、現場へと急いだ。
そして間もなく、千束たちの言葉の意味を知ることになる。
「とりゃー!」
千束が階段から非常扉をぶち破り、中へ侵入。クリアリングを欠かさずに薄暗い通路を進んでいくと、銃声が大きくなっていく。
大きな金属扉に差し掛かり、千束とアイコンタクトでタイミングを合わせる。1,2,3と数えて一息に扉を開け、中へ跳び入る。
そこには地獄が広がっていた。
「……えっ」
「うえぇ、遅かったかあ」
集荷場だったのか、天井の高い広々とした空間。そこが見渡す限りの赤と黒に染められている。
その色の源もまた無数に転がっていた。スーツやシャツ、ミリタリージャケットなどをまとった雑多な塊が床にひしめいている。首や腹からとめどない噴流のように血が流れ出し、大きな血溜まりが連結して一面の血の海を形成していた。
その赤色をよく見ると、ピンクや灰色、朱色や黄色などが入り混じり、裸電球の弱い光をぬらぬらと照り返している。リコリスとして優秀な頭脳を誇るたきなには、それらが傷口からはみ出した大腸であり、小腸であり、脳漿、髄液、脂肪、千切れた肉片であることが理解できた。
呆然と立ち尽くすたきな。足がふらつくと、不意に足裏に柔らかな感触がする。
足をどけた先には、こぼれたゼリーのような白いゼラチン質があった。
ああ目玉ですね、と認識したとたん、猛烈な吐き気がこみ上げる。
「うっ……」
「たきな!」
リコリスの意地と、胃が空いている夕方であるタイミングも幸いしたのだろう。どうにか吐き気をこらえ、涙でにじむ目を千束に向けた。
「なんなんですか、これ……?」
「田中の仕業だよ。こうならないように止めるのが私たちの仕事だったんだけど……この短時間でこれなんだもん、無理無理」
諦めたように首を振る千束。
すると、連続した銃声が響く。一発一発が間断なく連なるそれは、たきなも覚えのあるもの──機関銃の音だ。
音の発生源に目をやると、死体と血の海の向こう、電球の光が届かない闇の中でマズルフラッシュが明滅している。
「くるなあああぁぁあ!!」
巨漢が腰だめに銃を乱射していた。
銃口の先には、刃物を両手に構えた少女の姿がある。
射撃を受けたなら遮蔽物で射線を切るか、撃ち返すのが普通だろう。しかしその少女は一切の躊躇もなく弾幕に向かって突進していた。周囲の床が抉れ、捲れ上がる中をまっすぐに。
秒間数十発もの激しいリコイルで弾丸の大半は外れるが、数を撃てば当たるはず。少女の行動は無謀な自殺行為にしか見えない。
すると出し抜けに、少女の腕と刃物が不規則なタイミングでブレる。そのたび少女の目前で火花が弾け、きいん、と硬質な音が響いた。
「は……?」
たきなの脳が理解を拒んだ。何してんだあの子。
「ひ、ひええああ!?」
「痛ましかれかし、惨かれかし」
なんなく接近し、男の懐に入った少女が何かをつぶやく。
同時に男が電撃を食らったように強く痙攣した。一拍遅れ、首から血が噴水のように迸る。
銃撃をかいくぐって近づき、刃物で頸動脈を切ったのだ。
それだけでも十二分に非現実的だが、少女の奇行は止まらない。
「な、何を……!?」
「痛ましかれかし」
少女は崩折れた男の死体に馬乗りとなり、刃物を振るった。
腹が横一文字に切り開かれる。その傷口に手を突っ込み、引き抜くと、その手には内臓らしきピンクの肉塊が握られている。
その工程を素早く、淡々と、機械的に繰り返す。またたく間に血と臓物が撒き散らされ、血の海の面積を増やしていく。
この少女は何をしているのか。対象は既に沈黙している。何のつもりなのか。
たきなが呆然自失としている中で、赤い制服がひらめいた。
「なーにやってんだ田中ァ!」
「惨かれかし……いだぁ!?」
千束だ。
千束は少女が男にとどめを刺す前から走り出していた。その勢いで通り過ぎざま、思い切り腕を振るって少女の頭をひっぱたいた。
「死人を弄ぶなむやみやたらと血を撒き散らすな! ったく相変わらず無茶苦茶するなぁキミ!」
「あっ、おっぱい先輩。おひさ!」
「誰がおっぱいだコラ!」
少女が立ち上がる。その拍子に引きずり出している最中だったハラワタが手から滑り落ち、べちゃりと血のしぶきを上げた。千束が顔を青くして一歩後退る。
「つーか任務はどうしたの? 主犯を生け捕りにするって聞いたんだけど?」
「もちろんこの田中、抜かりなく確保してますとも。たしかこの辺に……あった」
血と臓物と死体の積み重なる中を無造作にうろつき、手を突っ込む少女。死体の下から引っこ抜いたそれは、スーツ姿のひげを生やした男性だった。上等な仕立てのスーツと指輪やネックレスなどの装飾品からして、身分の高い男なのだろう。
その男は両踵と両肘に穴を穿たれ、目はうつろで焦点が合っていない。動く力と正気が失われていた。
「ほら、ちゃーんとリーダー格は捕まえてます。田中は偉いでしょ?」
「手足の腱切っちゃったかぁ。手当て急いで、うちらは報告しとくから」
「りょーかい」
千束に言われたとおり、少女は背負った鞄から布や止血帯を取り出し手当てに取り掛かる。
一方、千束はその様子とたきなとの間で視線を巡らせると、インカムを立ち上げながら少女へ背を向けた。
たきなのインカムと目前の千束から音声が同時に届く。
「先生聞こえる? 手遅れだった、着いたときにはもうめちゃくちゃ。主犯はちゃんと捕まえてる」
『遅かったか……分かった。たきなは大丈夫か?』
「たーきなー? 大丈夫ー?」
千束が目の前で手を振っている。その後ろで元の色が何色だったかも分からない血みどろの少女が、死体のように黙り込む男を淡々と手当てしている。周囲には足の踏み場もないほどの血、臓物、死体、ときどき空薬莢。嗅覚がようやく目の前の光景に追いついたのか、生ゴミの袋から漂う匂いを何十倍にも煮詰めたような悪臭を感じる。
血と硝煙の匂いに慣れているたきなにとってさえ、この現場はあまりにも非現実的が過ぎた。現実感が急速に薄まり、体がふわふわと軽くなっていく。
「たきなぁ!?」
この日たきなは初めて、ストレスによる失神を経験した。
ーーー
「何なんですかあのリコリス!?」
「おおう、元気そうだな。朝ごはんは食べた?」
「……喉を通りませんでした」
翌日、喫茶リコリコにて。
前日に早退し大事をとって今日も昼まで半休をもらっていたたきなは、出勤して即千束に詰め寄った。店長のミカはカウンターの向こうでさもありなんとばかり苦笑を浮かべている。
「どんな戦術をとれば現場をあんな風にできるんですか。ていうか千束とミカさんはああなることを知ってたんですか?」
「ああならないように、補助しに行ったんだよ。まあ田中の仕事が速すぎて意味なかったけど。まずは着替えてきたら?」
ごもっともである。たきなはそそくさと更衣室で着替えながら、昨日の現実とは思えない無残な現場と少女を思い浮かべ、振り払うようにぶんぶん頭を振った。
着替えてからホールに戻ると、千束が心配げに覗き込んでくる。
「顔色悪いよ。無理そうならもうちょい休んどく?」
「いえ。それより……」
「昨日のアレが気になるかー。あの子、田中っていうんだけど」
千束はあらかじめ分かっていたようにスラスラと、たきなの気にする情報を話した。
DA東京本部に所属するファーストリコリス、田中。従順かつ忠実で任務達成率は十年間100%。しかし対象の殺傷を前提とした任務では、クリーナーが精神を病むほど猟奇的に仕事をこなす。
「DAはなぜそんな人物を野放しにしてるんでしょう」
「任務達成率100%ってのがウケてるんじゃない?」
適当な言い分を補足するように、ミカが口を挟む。
「それもある。きつい任務でもとりあえず田中を放り込めばなんとかなる、と上層部の一部は考えているようだ」
上層部は犯罪者の尊厳やクリーナーの心労には頓着しない。困難な任務を完遂する手練が手元にあることのほうが重要で、東京本部もその意を汲んでいるという。
「つっても、普段は非殺傷任務だけっぽいよ? 昨日のはファーストの人手が足んなくて、そういうときうちにフォローの依頼が回ってくんの。できればクリーナーの人が病まないようにって」
「ヤツは千束の言うことには従うからな」
なるほど、とたきなはうなずく。
納得はできる話だ。日本が誇る世界一の治安を維持するために、リコリスの仕事は多い。しかし優れた戦力や現場指揮能力を持つ、千束やフキのようなファーストは少ない。現場を地獄に変える田中のような問題児でも、確実に仕事を果たす上に上層部の覚えもいいとなれば、DAは使うしかないのだ。
ただ、新たな疑問も湧いた。
「千束と田中さんはどういう関係なんです?」
「元ルームメイトの後輩です。千束先輩にはDAに来たばっかりの頃めっちゃ世話になったのです」
「へぇ……」
「うわぁ!?」
千束の悲鳴でたきなも遅れて気づく。誰だ今の声。
気づくと、リコリコのカウンターに赤服のリコリスが腰かけていた。ふわふわした茶髪を一房のおさげにくくり、良くも悪くも特徴のない女の子らしい顔立ち。首から印鑑サイズの黒い円筒をチェーンで下げている。
たきなはその顔を初めて見るが、声で分かった。一見すれば純朴な少女であるこの人物は、あの倉庫の暗がりで返り血にまみれていたリコリス。
話題にしていたファーストリコリス、田中当人がそこにいた。
「びっっくりしたぁ、心臓止まるかと思った!」
「千束先輩のは元々動いてねーでしょ」
「それもそうか、ってやかましいわ!」
「まったく、気配を消して入ってくるんじゃない」
「すんません、つい。えーとみたらし団子セット一つ、あと千束先輩指名で」
「ここはキャバクラかっての」
へにゃっと笑う田中。注文を受け団子を用意し始めるミカ。千束はツッコミを入れつつも気心の知れた風に隣の席へ腰掛ける。
「なに、任務放り出して先輩の顔見たくなって来たの?」
「いやそれが、予定してた任務が吹っ飛んだのですよ。あ、そっちの人は初めまして、田中は田中です」
「……井ノ上たきなです。任務が吹っ飛んだって?」
昨日の振る舞いを見ているために多少警戒してあいさつを返す。
そんなたきなとは裏腹に、田中は弱りきった声を出した。
「任務失敗です。罰として謹慎喰らいました、はあ」
「どういうこと?」
千束とミカが眉をひそめる。
訥々と、肩を落として田中は語った。
昨日の任務において、田中のタスクはニつ。取引中の組織の末端メンバーの殲滅、および敵首領の生け捕りだ。田中はそのどちらも現場を徹底的に汚す無駄を犯しつつ、成し遂げてみせた。片付けはクリーナーに任せ、生け捕りにした首領を回収班に引き渡し任務を終えた。
問題が発生したのはその後だ。
「捕縛したおじさんの頭がおかしくなって、尋問どころじゃねーそうです。そしたら楠木司令が──」
『ヤツを狂わせたのはお前の悪癖のせいだろう。死体を弄ぶのはやめろと何度も言ってきたな? 任務は達成しているからと調子づき、個人的な思想を仕事に持ち込むからそうなる。しばらく自分の行動についてよく考えてみることだ』
「ひどくね!? 田中のせいじゃねーですよね!?」
「いやー田中のせいだろ?」
「うむ」
「ですね」
「えっ」
憤慨する田中に対し、千束、ミカ、たきなは即答した。間違いなく田中のせいだ。
たきなの脳裏に、口にするのも憚られる阿鼻叫喚の現場の情景がよぎる。捕縛対象は手足の腱を切られ、身動きできない状態で血と臓物に埋もれ、仲間たちが解体される様を目の前で見せつけられたのだ。気が狂うのもうなずける。
田中は子供っぽい顔つきをくしゃっと歪ませた。
「ひどいよう……田中は真面目に仕事してるだけなのに……なんで……?」
「ちょーちょいちょいちょい!? 泣かなくていいじゃん、ね、先生お団子早く!」
「ほら、甘いもの食べて元気出せ」
甘い。
千束とミカの態度が甘いように、たきなには見えた。
なんでも何も、現場をあんな風にする悪癖をそのままにしておく方が悪いだろう。重武装した複数人を圧倒できる力がありながら、いたずらに死体を──と、そこで思い出した。
田中は機関銃の弾を斬り落としていた、ように見えた。もしや弾を避ける千束の同類なのではないか。
たきなは思い立ったらすぐ行動する性分である。そっと髪ゴムを指につがえながら、田中の後方に回る。
「ああ、お団子おいしい、おいしいよう……」
「たくさん食べな。先生のおごりだ」
「おいおい、何を勝手に」
「ねえ聞いてくださいよ、ひでーんですよ。リコリスの誰も田中と口をきかねーんです。先輩がいなくなってからずーっと一人部屋で、任務は単独強襲ばっかり……なぜに?」
「なんでってそりゃ、思想が強すぎるからでしょうよ」
田中は夢中でお団子をパクつきながら愚痴を吐いている。スキだらけだ。この位置、このタイミングなら必ず当たる。
髪ゴムを射った。
瞬間、田中の腕がブレる。遅れて頬に風圧を感じた。
気づくと、田中はお団子を頬張りながら腕を振り上げていた。その手には黒いつや消し塗装をされた大ぶりのナイフ──マチェットを保持している。
床にはたきなの髪ゴムが真っ二つになって落ちていた。
千束と田中が目を丸くしている。
「た、たきな……?」
「あっ、ゴム!? ごめんなさい、田中、つい……」
「やっぱり、田中さんは千束の同類なんですね」
「たーきーなー! 気になるのは分かるけどとりあえず撃って確かめるのやめい!」
うがーっと腕を振り上げる千束をいなし、たきなは納得する。やはり田中は弾が見えている。弾道を見極め、視認できないほどの高速でマチェットを抜き、ゴムを切り落とした今のような芸当が弾丸でも可能なのだ。
しかし田中はバツが悪そうな顔で、ゆるゆると首を横に振った。
「田中のこれはただの反射だから、褒められたもんじゃねーです」
「反射、ですか?」
「うん。たとえば何か食べてるとき、変なとこに入ったらむせるでしょ。それと同じ。飛んでくるもんを無意識で切っちゃうのです」
「部屋に蚊が入ってきたときとか超便利なのよー、この全自動虫退治機」
「便利グッズ扱いやめてー」
反射、無意識でそんなことが?
たきなの疑問に呼応するように、事態は動いた。
田中の真横から、放物線を描いて白い何かが飛んでくる。田中はそれを一瞥すらせず、腕だけが別の生き物のように動き、飛来物を切り払った。
すると白い液体が飛び散り、田中のおさげにした茶髪を白く汚す。
「ぶえっ」
「すまん、話が聞こえて興味を惹かれてな。ほい、タオル」
「クルミ!?」
投げられたのはコーヒーフレッシュ、下手人はリコリコの小さな居候兼従業員、クルミだった。
やけに用意がいいことに、とことこと駆け寄って田中にタオルを渡している。
「ありがと、いや、この場合はよくもやったなって言うべき……?」
「後者でいいんじゃないか」
少しも悪びれないクルミに、田中も千束もジト目をよこした。
「わ、悪かったって。それよりどういう仕組みなんだ? 頭の中に対空レーダーでも入ってるのか?」
「……さあ。でも大したもんじゃねーですよ。大口径弾とか特殊弾頭に反応したら逆効果だし。千束先輩みたいに全避けがベストです」
「えー、私は田中のそれ好きだぞ? ゴエモンみたいでかっこいいじゃん!」
「田中はマトリックスみたいに避けてみたいのです」
たきなはクルミと顔を見合わせ、思いを一つにした。無意識にしろ意識してやるにしろ、ファーストリコリスは弾丸を見切るのが必須条件なのだろうか。非常識な連中である。
タオルで白い脂肪分を拭き取った田中は、クルミに目をやって首をかしげた。
「田中は田中ですが、あなたは? はじめましてですよね」
「うん? ボクは、あー、DAの……ここの従業員だ、うん」
「ふーん?」
「そ、そういうわけだ。いや、本当、急に悪かったな、それじゃ」
クルミは突如しどろもどろになって、ぎくしゃくと二階へ姿を消していった。
クルミはDAから姿を隠している身である。DA所属の田中と話し込むわけにはいかなかった。だったら最初から出てこなきゃいいのに、とたきなは呆れた。
そうこうしているうちに田中はお団子セットを食べ終え、一通りの愚痴を吐きつくし、満足げに席を立つ。
「あーおいしかった。おっぱい先輩の千束にも会えたし、田中は大満足!」
「いろいろ間違えてんぞ田中ァ」
「謹慎中は暇だろう。また来るといい」
来店時の鬱屈とした表情が嘘だったように、田中は晴れ晴れとした顔をしている。
抜いたマチェットを制服の袖口に仕舞い、きちんと支払いを済ませ、千束たちに見送られて出ていこうとしている。
「あの!」
「うん?」
その前に、たきなは呼び止めていた。
気になることは躊躇なく指摘するし、質問する。そうできるのがたきなだった。
「なぜわざわざ死体を傷つけるんですか? 急所を狙えば無力化は容易なはずです。昨夜のようにに死体を弄ぶのは、人としてもリコリスとしても、極めて非合理的だと思います」
「ちょっ、たきな……!」
びしっ、と空気が凍った。千束は慌てて手をわたわたさせ、ミカは目元を覆って天を仰いでいる。
田中は無表情だった。感情の抜け落ちた人形のような顔で、瞬きの一つもせずじっとたきなを見返している。
その視線を正面から受け止めていると、田中は口を開いた。
「死を悼むためである」
「はい?」
「この田中、日の本の和を穢す大逆の徒を処刑することに否やはない。しかし我々は死に慣れてはいけない、忘れてしまうから。死を受け入れてはいけない、悼むことができないから。健全なる人心によって成立する人の世を保つに供養の精神は欠かせない。死を思ってこそ人は人であることができるから。なかんずく死によって太平に貢献する我々は死への慣れを厳に慎み、陳腐化と日常化に立ち向かい、すべからく衷心からの追悼を捧げるべきである。故にこそ、死は陰惨でなければならない。陰惨で凄惨で無残で残酷で、血と臓腑と糞便の悪臭に満ちた醜悪な死が、真なる追悼に必要なのだ。弾丸は死を遠ざけ、硝煙は死を覆い隠してしまう。刃による痛ましく惨たらしい死こそが死者への手向けになりうる、忘れることができないから。忘れず覚えていることに如く弔いがあろうか、いやない。故に死は痛ましく惨たらしくあらねばならない。不本意であれ日の本の糧となった命を忘れないために、哀悼痛惜の赤心を失わぬために、ひいては日の本の太平と安寧のために。痛ましかれかし、惨かれかし。ここまでは分かるだろうか?」
「え、あの」
「難しく考えずともよい。死者への尊厳に理解があるのなら、ただ思い、唱えればよい。さすれば真の手向けと弔いの何たるかを魂が咀嚼するだろう。復唱せよ。『痛ましかれかし、惨かれかし』」
田中の思想が、言葉が、するすると触手のようにたきなの内側へ入っていく。
情報の濁流に理解が追いつかない。ただ、唯一分かりやすく印象に残るフレーズが記憶に刻まれる。
痛ましかれかし、惨かれかし。
「い、いたまし、かれ──」
「すとぉーっぷ!」
「痛い!」
すぱーん、と。千束が田中の尻を引っぱたく音で、たきなは我に返った。
「うちのたきなを危ない宗教に勧誘しない! 痛ましい彼氏はもういいから!」
「宗教じゃねーですよう! 千束先輩もさあ、復唱せよ。痛ましかれかし、惨かれかし──」
「するかあ!」
千束に追い立てられるように田中は退店していく。涙目で出ていくそのさまはいっそあわれだった。
程なく戻ってきた千束は、どこか夢見心地のたきなの目を覗き込む。
「おーいたきな、戻ってこーい」
「ち、さと。私は……」
「ん、大丈夫だね」
たきなは寝起きのようにぼうっとする頭を抑える。田中の抑揚のない言葉を聞くうち、気づけば意識のレベルが落ちていた。
千束はゆっくりと言い聞かせるように、二つの注意点を告げた。田中の言うことに聞き入らないこと。田中に死について聞かないこと。
「悪気はないんだけど、あの子洒落になんないくらい思想が強いのよ。十年前からずっとあの調子なの」
「気の毒だが、あれじゃ一生一人部屋の単独強襲専門だな」
ミカがため息まじりに言うと、かといって指摘するとあのスイッチ入っちゃうし、と千束が顔をしかめる。
悪い子ではない、が、いい子ともいえない。ひたすらに思想が強すぎるファーストリコリス、それが田中だという。
たきなはしばし考えて、
「ファーストって変わり者が多いんですか?」
「なんで私を見ながら言うのかなたきなさん?」
純真に首を傾げた。
ーーー
その夜。
「ううむ、よく考えろと言われてもな」
リコリス棟の自室にて、田中は一人日記帳と向き合いながら思案していた。
田中は今回の捕縛対象発狂に何の負い目も感じていない。現場を汚した自覚はあるが、死を悼むために必要なら仕方がない。自分に非は一切ない。
では何がいけなかったのか。何が原因で謹慎処分を受けたのか? 田中は深く考える。
一時期現場の汚れに罪悪感が湧き、それを処理するクリーナーのお手伝いをしたことがある。すると楠木司令は『クリーナーの人格に悪影響が出るからやめろ』と田中を注意した。つまり、任務のためなら現場はいくらでも汚してもいいというわけだ。凄惨な死をどれだけでも手向けにしていい、と楠木は言った。正確には言ってないが、少なくとも田中はそう解釈した。
では結局、何が悪かったのか? 田中には分からない。
「ううむ、こんなときは……死を悼もう」
田中は首から下げた黒い円筒からキャップを取り外しつつ、スマホを取り出す。円筒の一端はUSB端子になっており、アダプタを経由してスマホと接続した。
防水ばっちりの円筒型USBに収蔵されているのは、大量のテキストデータだ。スクロールしていくと、漢字、キリル文字、ハングル、簡体・繁体字、アラビア文字などあらゆる言語で人名と年齢が羅列されている。
それは田中が殺してきた人々の名前だった。リコリスとして知ることが許されていない詳細な情報も含め、すべて調査し、記録し、記憶している。名前を見ただけで田中は日時から顔、声まですべて思い出し、悼むことができた。
その数は十年で実に五百名余り。
一文字ずつねぶるように読みながら、死を悼んでいく。
いつものルーティン。
しかし敬愛する先輩と言葉を交わした高揚からか、それとも任務に追われず考える時間があったからだろうか。今日ばかりは新たな発見があった。
「えっ……うそ、そんな……こんなことって……!?」
その発見はとるに足らない小さなもの。
しかし思想は飛躍する。ただでさえ強すぎる思想を持つ田中は、ごく小さな発見をきっかけにすさまじいレベルで思考の次元を飛ばした。
「気づいてしまった……田中だけが世界の真実に、気づいてしまった……」
恍惚とした顔でしばし固まる田中。
数秒後、再起動。日記帳から一ページ破り取り、鉛筆でメッセージを綴る。
「よし!」
書き上げた文面を指差し確認すると、パジャマから私服のパーカーに手早く着替え、紙は二つ折りにしてポケットへ。
それから愛用のマチェットを両袖口に仕込むと、部屋を出た。二度と戻らない覚悟で。
向かう先は楠木司令のデスク。
「田中はがんばるぞ。みんなが死を悼む優しい世界のために!」
田中の表情はかつてないほどに熱い使命感で燃えている。気分は晴れ晴れとして、世界のあらゆるものが尊く輝いて見える。自身の行動がもたらすバラ色の未来が目に浮かぶようだ。田中の心中に躊躇は疑念は欠片もない。
思想が強すぎる単独強襲刀剣無双リコリスの脳みそに、ブレーキなどあるはずもないのだ。
ーーー
翌朝、DA東京本部を統括する司令官、楠木のデスクに一枚の紙切れが放置されているのが見つかる。
そこには鉛筆で、以下のように走り書きされていた。
『退職願
拝啓
楠木司令へ
世界の真実と田中の使命に気づいたので、リコリス辞めます。お世話になりまして候。
敬具
田中より』
「……田中を呼び出せ、大至急だ」
すぐさま部下に命じるが、呼び出しには応答せず部屋ももぬけの殻と判明した。謹慎中の田中に任務はなく、外出届も出されていない。
つまり田中は、失踪したのだ。
ふざけた怪文書一枚残して。
「田中ァ……!」
楠木は額に青筋を浮かべ、忌々しげな声を絞り出した。