思想が強すぎる単独強襲刀剣無双リコリス【完結】   作:難民180301

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第2話

□月▲日

 DAを辞めてきた。

 

 楠木司令には悪いけど、世界を牛耳る巨悪と戦うためには仕方がないことだ。田中直筆のまごころ込めた退職願で見逃してほしい。

 

 リコリスのお給金は銀行から慈善団体に全額寄付した。巨悪の懐から出されたお金なんて持っていられない。

 

 これで柵はみんななくなった。

 

 あるのは体と心、それから太郎と次郎のみ。厳しい戦いは避けられないだろう。

 

 それでも田中が逃げるわけにはいかない。悪として処刑されたかわいそうな人たちや、志半ばで死んでいった同志たちのため、そして千束先輩のため。

 

 覚悟しろ、秘密結社め。

 

 

□月▲日

 拠点確保。情報収集。

 

 結社の手がかりは見つからない。

 

 

□月▲日

 情報収集。収穫なし。

 

 

□月▲日

 収穫なし。

 東京のあちこちに洗脳された人たちがいる。きっと何か痕跡があるはず。

 

 

□月▲日

 同上。

 どこの炊き出しにもありつけず、セミでしのぐ。養成所のサバイバル課程の味がした。懐かしい。

 

 

□月▲日

 おじさんたちが優しい。ありがたい。

 おにぎりおいしい。

 

 

□月▲日

 最悪だ。

 

 情報収集をしていたら、千束先輩に出くわした。普段なら会えて嬉しいんだけど、今はダメだ。だって最近水浴びばっかりでお風呂に入れてないし。忙しいからと早々に別れたけど、いつもと距離感が違うのをめっちゃ怪しまれた。

 

 そういえば、喫茶リコリコには結社の手が及んでいるだろうか。

 

 先輩がいるなら無事と思いたいけど、DAの上層部が完全掌握されてるくらいだ。楽観はできない。

 

 一刻も速く結社の情報を集めないと。

 

 

□月▲日

 収穫なし。

 

 

□月▲日

 テロ屋さんたちに遭遇した。

 

 その人たちはサードリコリスをいじめているところで、かわいそうに、深く洗脳されて人を鉄砲で撃つことしか考えられないみたいだった。

 

 鉄砲を人に向けるのは悪いことだ。死んでしまうから。死を受け入れてはいけない。

 

 だから精一杯の凄惨な死を手向けた。

 

 情報部のツテはもう使えないから名前を調べられない。その分、忘れ得ぬ無残な死になるようがんばった。

 

 何人か逃げてくれたのは幸いだった。いつか洗脳が解けるといいな。

 

 痛ましかれかし、惨かれかし。

 

 

□月▲日

 痛い。

 

 リコリスに襲われた。フキ先輩のチームだった。

 

 寝てるところを麻酔銃で不意打ちされた。

 

 やはりDAは結社の傀儡と化している。いろいろと嗅ぎまわってる田中のことを消しに来たんだ。あのまま捕まっていたら洗脳されて殺りくマシンにされていたに違いない。

 

 同志たちはどうにか撒いた。でも今までの寝床には戻れない。新しい拠点を探さなきゃ。

 

 

□月▲日

 千束先輩に捕まった。

 

 今、喫茶リコリコの座敷でこれを書いている。先輩たちは顔を突き合わせて、ときどき田中の方を見ながら話し合いの最中。もしかしたらこのページが遺言書になるかもしれない。

 

 さっき、世界の真実を話した。もしリコリコまで結社の手中だったら田中は終わりだ。千束先輩に刃は向けられない。

 

 でも最期まで諦めない。先輩相手でも、命果てるまで弔いに尽くすことをここに誓う。

 

 ああ、ミカ先生が楠木司令と電話を。

 

 これはまずい。

 

 と思ったら、千束先輩が電話をぶんどって、え、田中のケガ?

 

 うちで飼う? ペットの話?

 

 ここに住む?

 

 誰が?

 

 

 

ーーー

 

 

 

 たきなが田中に再会したのは、喫茶リコリコへの依頼をこなした帰途、公園のベンチで一息ついていたときのことである。

 

「あれ、田中? 何やってんだろ」

 

 先に気づいたのは目の良い千束だった。視線を追うと、パーカーにショートパンツ、帽子を身に着けた田中が足早に公衆トイレへ入っていく。手には空のペットボトルを持っていた。

 

 一分と経たず田中は出てきた。手には水が満タンのボトル。

 

 怪しい。たきなと千束は顔を見合わせると、立ち去ろうとする田中の背を追った。

 

「やあやあ田中ァ」

「ひえっ、千束先輩、と、井ノ上さん……」

「どうも」

 

 会釈しながら観察する。夏場にもかかわらず長袖パーカーなのは、例のマチェットを袖口に仕込むためだろうか。ふわふわした茶髪のお下げは毛先が痛んでいる。目深にかぶった帽子とびくついた態度も相まって、怪しい浮浪者のような雰囲気だ。

 

 千束も同じように思ったのか、訝しげに眉をひそめる。

 

「もう謹慎解けたんだ。私服姿新鮮じゃん。で、何をこそこそやってんの?」

「た、田中に近づくなァ!」

「んん?」

 

 さりげなく千束が距離を詰めると、田中は弾かれるように跳び退いた。

 

 たきなたちが呆気に取られるうち、くるりと踵を返して、

 

「多忙な田中は失礼します!」

 

 自転車並みのスプリントで走り去っていった。

 

 あまりに怪しい。後ろ暗いところがありますと全身で示すかの如き田中をたきなたちは訝しみ、リコリコに帰り着くや否や話題にしようとした。

 

 しかし田中の件は、二つの事件のために棚上げされることになる。

 

 一つは先回り事件。都内各所の反社、犯罪者、海外の違法組織など、DAが標的としてマークしている連中が何者かに襲われている。中にはリコリスを派遣した時点で現場が制圧されていたり、手足の腱を切られ無力化されていたケースもあった。捕縛の後に尋問してみると「結社のことなど知らない!」と口を揃えており、何かの暗号と考えられる。

 

 仕事が減って助かると見る向きもあるが、放置してはDAの名折れ。時代遅れの義賊を特定しようと躍起になっているようだ。

 

「まさか、ねえ?」

「いやいや、ないでしょう」

 

 話を聞いた千束とたきなは一人のリコリスを連想したが、あり得ない。思想が強くても彼女は従順だ。長い付き合いの千束もすぐに「だよねえ、ないない」と首を振った。

 

 そしてもう一つが、

 

「リコリスが襲われた?」

「今月に入って二人目ですね」

「あんたらも気をつけなさいよー」

 

 リコリス襲撃である。単独行動中のリコリスが何者かに襲われる事件が、立て続けに起きていた。窓際部署に近い扱いの喫茶リコリコにDAは情報を出し渋るが、店長のミカや元情報部のミズキにはそこそこの情報網がある。リコリス襲撃は同じリコリスのたきなたちにとっても大事で、田中の怪しげな行動はひとまず流された。

 

 襲撃犯は何者か、何が目的なのか。先回り犯との関連は。何も明かされないままに三人目が襲われた。

 

 幸いにもその三人目のリコリスは生き残ったという。それは何よりとたきなたちが素直に安堵していたとき、喫茶リコリコにある依頼が入った。

 

「若い女の子のホームレス、ですか」

「ああ。訳ありのようだがあまり口を聞かないようだ」

「そこで年の近い私たちに相談にのってあげてほしい、ってわけね。お安いご用、ねえたきな!」

「……千束一人でよくないですか?」

「そんなこと言わずにさー!」

 

 都内各所で随時実施される困窮者向けの炊き出し、そこに最近、年若い少女が現れる。どう見ても未成年なので何とかしてあげてほしい、という某民間団体からの依頼である。

 

 コミュニケーション能力の高い千束だけで向かうのが合理的だと考えるたきなだったが、引っ張られる形で現場に向かう。

 

 テントが設置され、味噌汁のいい匂いが漂う夕刻の公園。

 

 たきなと千束が木陰で待ち伏せしていると、痩せた中年男性の列に小さな人影が混じっているのを見つける。明らかに異質なその人影はしかし男性たちに「なんだまた来たのか!」とか「おっちゃんのおにぎり一個いるか?」とか話しかけられ、恐縮してペコペコ頭を下げていた。歓迎されているようだ。しかしよく見ると、中には憐れみや心配げな目線を投げかける者もいる。

 

 ターゲットに間違いない。

 

 しかし目深に被った帽子と茶髪のおさげは、たきなと千束にとても見覚えがあった。

 

「田中ァ……」

「え、何やってんですかあの人」

 

 田中である。DAが誇る精鋭の暗殺者、ファーストリコリスの田中である。

 

 たきなは混乱した。田中はホームレスになったのだろうか。しかし孤児から暗殺者へと教育されるリコリスに解雇はない。重大な失敗をしてもたきなのように左遷されるか、養成所へ戻されるかの二択だ。家なき子になるのはあり得ない。

 

 が、田中はあり得ないことをしている。炊き出しの職員と男性たちに何度も頭を下げると、おぼつかない足取りで公園を出ていく。

 

 たきなたちは無言で後を追う。

 

 田中が人気のない路地裏に入ったのを見計らい、声をかけた。

 

「田中ァ!」

「あれ、先輩と、井ノ上さん?」

「そうだぞ、先輩だ。しまえしまえ、そんな物騒なもん」

 

 振り向いた田中は、小脇におにぎりを抱えながらごく自然にマチェットを抜いていた。尾行に勘付いていたらしい。

 

 腰に手を当てて千束が言うと、手品のようにマチェットが消え去る。袖口がタネだとは分かっていても目で追えない手際だ。

 

「一体何やってんだ貴様? まさか楠木さんとケンカして家出ってわけじゃあ、ないよね?」

「違うのです」

「では任務ですか? 詳細が明かせないというなら、これ以上は聞きませんが」

 

 何か複雑な任務の一環として家なき子を演じている。

 

 有り得そうな可能性をたきなが口にするが、田中は首を横へ振った。

 

「いーえ。任務じゃねーのです。これは使命。リコリスは辞めました」

「はい?」

「田中は世界の真実と本当の使命を知った。田中がやらねば誰がやる」

「待って待って田中、一回ストップ、タイム!」

「ああ忌まわしい悪の秘密結社め。日ノ本の和を穢し死の有り様を歪める悪逆無道の輩共……地の果てまで追い詰めて一族郎党根絶やしにしてくれる……」

「タイムって言ってるでしょーが!」

 

 田中の喉から忌まわしい呪詛が絞り出された。首から下げられた黒い円筒を強く握り、帽子の陰から爛々とした瞳が覗く。乱れた毛先やくすんだ肌の中で、瞳だけが異様な熱でぎらついている。

 

 千束は困惑げに「あー」と視線を彷徨わせると、田中に向けて一歩踏み出す。

 

「た、田中? とりあえずリコリコに来て、話聞くから──って逃げた!? 待てい!」

 

 田中は逃げ出した。踵を返し、恐るべき瞬発力でロケットスタートを決める。

 

 しかしいつかのような俊足は見る影もなく衰えていた。片足を引きずりながら必死で逃げるその姿はいつ倒れてもおかしくないほどに頼りない。路地を出ることすら叶わずつまずいて倒れ込み、追いついたたきなたちへ手のひらを突き出す。

 

「よ、寄るなぁ! やめて! しばらくお風呂入ってないのです!」

「言ってる場合じゃないでしょ! どうしたのその足!」

 

 近づくと確かに若干すっぱい匂いはしたが、たきなも千束も気にしない。

 

 それよりも足のケガだ。田中は左足の太ももに布切れを巻きつけ、その下から血が滲んでいる。奇しくも先日、殺し屋『サイレント・ジン』との交戦でたきなが負傷したのと同じ箇所だ。しかし銃弾の掠めたたきなのそれと違い、田中の負傷はより深い。

 

 太ももの外側、前と後ろに一箇所ずつ。貫通創だ。

 

「刺し傷ですね。血は止まっていますが、縫合が必要です」

「っつーわけで田中、手当てするから行くよ! ほら立って!」

「問題ねーのです! 大腿四頭筋と靭帯の隙間を狙ったんで、ほっとけばくっつくし、いざってときはアドレナリンで動けるのです!」

「は?」

 

 びっくりするほど低い声で反応したのは、千束である。

 

 慌てていた先ほどから一転、千束の冷たい目が田中を射抜く。

 

「田中ァ……自分で刺した、とか言わないよな?」

「え、あの……」

「どうなの?」

「た、田中が刺したのです……リコリスに襲われて、その、気付けとして……」

「田中ァ!」

「ひゃい!」

「黙って先輩の言うこと聞けぇ!」

「はいっ!」

 

 ごちゃごちゃ言う前に勢いで黙らせる、千束のゴリ押し戦術。従順に口を閉じた田中に肩を貸し、千束は立ち上がる。

 

 一方、たきなは混乱していた。リコリスを辞めた、世界の真実、秘密結社、自分で刺した、リコリスに襲われた──怒涛のように押し寄せる新情報を処理しきれていない。

 

「たきな、考えるのは後にしよ」

 

 その混乱を見越したように千束は言った。

 

 田中を背中におぶりながらスマホを取り出し、タップして耳に当てる。

 

「ミズキ、車回してもらえる?」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 喫茶リコリコ店内、夜半。

 

 客足が途絶え、閉店後の催しもないため店は早仕舞して、リコリコは珍客に対応している。

 

「あの、田中は本当に大丈夫なのですが……」

「いいから大人しくしなさい」

 

 田中である。乱雑に布切れを巻きつけただけの傷口に、救急箱で出来る範囲の手当てをミカが施している。

 

「殺し屋から浮浪児に、ねえ。あんたほんと変わってるわ」

「同感だ」

 

 ここまで田中を車で運んだ従業員のミズキは、晩酌に頬を赤くしながら言った。二階でだらだらと携帯ゲームをいじるクルミも同意しつつ、ちらりと田中へ一瞥をくれる。二人の視線は珍獣を見るそれであり、田中は手当てを受けながら釈然としないように口を尖らせた。

 

 そこへ、受話器を置いた千束が戻ってくる。田中のことをいろいろと聞くためDAの楠木司令に連絡を試みていたのだ。

 

「忙しいから後でかけ直すってさ。やっぱり今は特に忙しいみたい」

「リコリス襲撃の件もありますからね」

 

 DAは普段でさえ忙しい上に、今はリコリス襲撃の対応に追われている。いくら田中の案件でもすぐには連絡がつかない。

 

「そりゃそうだ、ってわけで田中ァ? きりきり答えてもらいましょうか」

「ちょうど終わったぞ。明日山岸先生のところへ連れていくからな」

 

 ミカによる手当てが一段落し、田中に注目が集まる。座敷の縁に腰掛けた田中は視線を巡らせ、店の出入り口を見やるが、そちらには千束が腕を組んで仁王立ちしている。反対に勝手口の方面はたきなが陣取っており、丸い瞳と目が合った。

 

 逃げられないと悟ったのだろう。田中は背筋を正して深呼吸すると、首から下げた円筒をぎゅっと握り、毅然と顔を上げた。

 

「『痛ましかれかし、惨かれかし』……。田中にやましいことは何もねーのです。何でも答えますとも」

「リコリスを辞めたって本当ですか?」

 

 まずはたきなから、もっとも気がかりな疑問が飛ぶ。

 

 田中は首肯した。

 

「どうやって? リコリスは簡単に辞められるものではないはずです」

「退職願を書いて、楠木司令のデスクに置いときました」

「……は、はい? 退職、ねがい?」

「はい」

 

 たきなは混乱した。

 

 千束ほか、ミカとミズキ、クルミは言葉の続きを待った。しかし田中が何も言わないので、それだけ? と戸惑い始める。

 

 千束がその空気を代弁した。

 

「田中、それだけ?」

「はい」

「それだけで辞められると思ったの? ていうかちゃんと受け取ってもらえたの? それだけでDAを出ていってホームレスやってたの?」

「はい」

「はいじゃねーよこのアホォ!」

 

 質問を重ねていくと、どうやら失踪してから三週間近く経っていることが判明した。先回り事件発生とぴったり時期が一致する。聞いてみると、田中は悲しげに目を伏せ、

 

「洗脳されたかわいそうな人たちなら、見つけ次第説得したのです……でも話が通じなくて」

「貴様かっ!」

 

 犯人が見つかった。犯罪者イコール洗脳されたかわいそうな人と認識し、暴れまわっていたようだ。

 

 千束が不意に首をかしげる。

 

「ちょい待ち、田中ってそこそこお金持ってたはずでしょ? それ使えばどこにでも泊まれたんじゃないの?」

「初日に銀行行って、慈善団体に寄付しました。あぶく銭なので」

「……」

 

 田中に向けられる視線の質が変わった。珍獣を見る目から、変な生き物を見る目に。

 

「り、リコリスに襲われたというのは?」

 

 気を取り直し、たきなが聞いた。

 

「襲われました。寝ているところに麻酔弾が飛んできて、斬り落としたら中の薬を浴びちゃって」

「で、気付けに足を刺したのか。はっはっは、面白いなこいつ」

「いや、ドン引きよ」

 

 クルミが笑い、ミズキは頬を引きつらせた。

 

 襲撃してきたリコリスはファースト率いるチームだったらしく、眠りこむフリをしつつ足を刺していた田中に、油断して近づいてきたところへ反撃。無力化したセカンドの体を盾にしながら撤退したという。

 

 そこまで聞くと、千束がほっと息をついた。もしもリコリスを殺傷していれば明確な敵対行為であり、越えてはいけない一線だった。それが守られたことに安堵しているのだろう。

 

 気がかりなことは大体聞けた。

 

 ただ、まだ核心には触れていない。野次馬めいた立ち位置のミズキとクルミはさて置き、千束もミカも察しているのだろう。その問いが田中のスイッチを入れてしまうことを。

 

 無論たきなも察している。

 

「どうしてですか」

 

 しかしそれを口にすることにためらいはなかった。

 

 リコリコに居場所を見つけながらも、DAに戻りたいと変わらず思っているたきなだからこそ、聞かないわけにはいかなかった。

 

「どうしてDAを辞めようなんて思ったんですか。DAはあなたを必要としています。実際リコリスが連れ戻しに来たのなら、分かってるでしょう。あなたの居場所はDAにあるのに──なぜ簡単に辞めようなんて思えるんですか」

「たきな……」

 

 空気が張り詰める。痛いほどの沈黙が落ち、ミズキが気まずげに表情を歪ませている。

 

 田中は微動だにせずたきなを見据えていた。その目はまなじりが裂けんばかりに見開かれ、まばたきの一つもしない。数週間前と同じ、スイッチが入った状態だ。

 

「日の本に、そして世界に、真の太平と安寧をもたらすためである」

 

 来た、とたきなは身構える。気をしっかり持ってまっすぐに見返した。

 

「DAは日の本の和を穢さんとする大罪人を事前に特定し、排除することで治安を守る。この理念に田中は深い理解と共感を覚え、命尽きるまで献身に務める所存であった。その果てに死を軽んじることのない理想の世界があると信じ、その実現こそが無きことにされた大罪人たちへの弔いになるとの信条があったからこそ、DAに忠誠を誓っていた。しかしこれは誤りであった。DAのもとで幾十、幾百の人命を大義に照らして処断したところで、我が理想の世界には至らない。むしろ世が乱れるばかりである」

「なっ……」

 

 田中はそこで言葉を切り、たきなは絶句した。

 

 明確なDAへの批判だった。DAでいくら働こうと治安維持はできない、と田中は主張しているのだ。

 

「何を根拠に──」

「ここに」

 

 田中は首から下げた円筒を取り外し、キャップを外した。USB端子だ。

 

 クルミの所有するタブレットを一台借りて、アダプター経由で接続する。セキュリティスキャンの後にファイルを開くと、テキストデータが展開された。

 

「これは人名と、国籍と……趣味特技、将来の夢? なんだこれは、履歴書か?」

「田中の処刑した罪人の記録である」

「ほう」

 

 クルミが面白そうに口角を上げ、たきなは息を呑む。千束、ミカ、ミズキは知っていたのか難しい顔で黙り込んでいる。

 

 一人のリコリスが十年間で殺してきた人物リスト──明らかな機密データだ。

 

「この田中、記録と記憶をもとに故人を偲ぶのを日課としている。故に気づくのが遅れた。数字だ。年度別に処刑した人数を見ていくと、初年度以外はほぼ横ばいか微増傾向である。分かるだろうか? 罪人が増えているのだ。一人の人命ごとに真の太平へ近づいて然るべきにもかかわらず、豈図らんや田中が刃を振るえば振るうほど罪人の数は増えていく。世は乱れ理想の世界が遠のくばかり。なぜか? DAは真なる巨悪を見過ごしている──悪の秘密結社を見過ごしているのである」

「……えっ」

 

 話が飛躍した。空の彼方までかっ飛んだ。

 

 座敷に座る田中は真顔のまま、大真面目だ。

 

「この世は巨悪に蝕まれている。日ノ本だけにあらず、人の世のあらゆる点に巨悪の影が蠢いているのだ。考えてもみてほしい、本来優しさと思いやりに溢れているはずの我ら人の子がどうして、我欲を優先し他者の幸福を害そうなどと考えるのか。どうして他者の失敗をあげつらい、成功を妬む貧しい心が生まれるのか、どうして矮小な違いをさも致命的な欠陥のごとく指弾し侮蔑する輩が現れるのか。人の子とは和を尊び、利他を是とする生物である。その本質に反する今日の有様に何者かの作為を見出さないことは、論理的な思考の上においてはあまりに無理筋であろう。そう、我々は巨悪──悪の秘密結社に侵略を受けている。結社の魔の手は遍く世に跋扈し、彼奴らは世の不安と対立を煽り、人心を食い物とし、風紀と治安に対し紊乱の限りを尽くしている。結社の所業そのものが目的であるのか、はたまた大なる野望の手段であるのかは詳らかではないが、結社の存在が和を尊ぶ我々人類への重大な挑戦であり、脅威であることは明白である。DAはこの脅威と戦わねばならない。だが太平に繋がらざる処刑を任務と称する現状に鑑みると、すでに上層部が結社の触手に絡め取られていると判断せざるを得ない。この田中が手にかけてきた多くの人命のように、結社の洗脳を受け、世を悪に染め上げんとしているのである。故に田中はDAを辞した。巨悪を滅し、田中の背負う死者たちが真の追悼を受ける理想の世に至るため、そして死にゆく誰かが忘れられることのない、日の本の真なる太平のために」

 

 しーん、と。そんな効果音が聞こえるような、どこかコミカルな沈黙が満ちる。

 

「あー、っと……」

 

 クルミはなんとも言えない声を発した。

 

 無理もない。田中が大真面目に語ったのは、現実的な数字からいっぺんに飛躍した、こてこての陰謀論である。フリーメイソンとかイルミナティとか、そっち系の。

 

 つまり田中は、十年間の仕事を思い返しているうち、陰謀論に取り憑かれ、勢いのままDAを脱走してきたことになる。リコリスとしては養成所戻りで済めばまだマシな、非行の極みだ。

 

 それでもたきなは「馬鹿らしい」と吐き捨てることができなかった。

 

 田中の飛躍しすぎた思想の中に、何か響く部分があったのかもしれない。千束も考え込むような顔で、じっとタブレットの画面を見つめている。田中が、リコリスが殺してきた人々の名前、詳細。

 

「……田中はDAには戻らねーのです。なんと言われようと、一人でも巨悪と戦う」

 

 それだけ言うと、田中はそそくさと座敷の隅へ後ずさり、手帳のようなものを取り出した。鉛筆が紙の上を滑る音が、静かな店内に響く。

 

 しばらく微妙な空気が漂う。

 

「先生、ものは相談なんだけどぉ」

 

 するとだしぬけに、千束が口を開いた。

 

「うちで飼えない?」

「……それしかないか」

「下手したら野生のサイコキラーになりそうだもんね。千束、アンタが面倒見なさいよ」

「扱いが猛獣だな。たきなはどう思う?」

 

 目的語を省いたやりとり。

 

 しかしクルミに問われたたきなにも、意味は掴めていた。

 

「いいんじゃないですか?」

 

 このとき、リコリコメンバーの気持ちは一つだった。膝を抱えて手帳と向き合う田中をチラ見しながら思うことはただ一つ。

 

『こんなのを野放しにするのは危なすぎる』

 

 思いが一致すると、千束が笑顔で手を叩く。

 

「よし決まり! お、いいタイミング」

 

 店の電話が鳴り、ミカがすかさず取った。

 

 千束が両手を差し出してちょうだいアピール。ミカが苦笑して受話器が受け渡される。

 

「もしもし楠木さん? うん、田中ならうちにいるよ。うちで受け入れちゃっていい? そこをなんとかー! あ、そうだ、そういえばリコリスに寝込みを襲わせたって本当? いやいや話が通じないからって奇襲はダメでしょ! 百針くらい縫いそうなケガしてんだけど!? そうそう──」

 

 こうして千束が直接話をして、後からミカも口添えした結果。

 

 最早DAでは制御不能と判断したのか、それともリコリス襲撃の対応で手一杯だった都合もあったのか。

 

 思想が強すぎる単独強襲刀剣無双リコリスは、喫茶リコリコへ異動となった。

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