思想が強すぎる単独強襲刀剣無双リコリス【完結】 作:難民180301
◇月▼日
喫茶リコリコで働くことになった。
昨日は衝撃の事実がたくさん明かされて驚くのに忙しかった。まさかリコリコが秘密裏に結社のことを探る、対結社の最前線だったなんて。
楠木司令もとっくに結社の存在には気づいていた。田中は独力で真実に気づいた功績を評価され、最前線へ栄転となったわけだ。
ただ、リコリコでも結社の尻尾は掴めていない。千束先輩やミカ先生にさえスキを見せないなんて、結社はものすごくかくれんぼが上手いみたい。まるで存在しない敵を相手に一人ずもうをしているようだ。
でも諦めない。
結社さえ倒せば、夢見た世界はすぐそこなんだから。
◇月▼日
喫茶店の仕事は大体覚えた。しばらくはそっちに専念し、足が治ってから裏の仕事、つまり結社の情報収集をさせてもらえる。それまではし伏に甘んじることにする。
千束先輩に同居を提案されたから、全身全霊で断った。
おっぱい先輩のことは大好きだし尊敬もしてる。でも一緒に住みたいかと言われると話は別だ。あの人部屋めっちゃ散らかすしなんだかんだと家事押し付けてくるし、そのくせごほうびにおっぱい頂戴と言ったら逆にこっちのお尻を揉んでくるし。
リコリコの隅っこに布団を敷かせてもらったほうがずっといい。
今、布団でこれを書いている。クルミちゃんが押し入れの中でパソコンをいじってる音がする。
夜ふかしは良くない。寝る。
◇月▼日
太郎と次郎はロッカーに入れておくことになった。
嫌だと言ったら、千束先輩に怒られた。怖い。
寂しい。
◇月▼日
クルミちゃんに秘密結社はアラン機関じゃないのかと言われた。
たぶん違う。だってアラン機関は千束先輩を助けてくれた。この前機関の人がお店に来てたけど、人のいいおじさんだった。きっと悪い秘密結社なんかじゃない。
◇月▼日
収穫はなし。
たきなと話した。千束先輩以外で、田中とちゃんと話をしてくれる同年代の人は初めてだった。仲良くなれてうれしい。
鉄砲屋さんを皆殺しにした件も、同志を助けるためにやむなくやったというのだ。仲間思いな超いい子だ。あと美人。
◇月▼日
閉店後ボードゲーム大会に参加。
クルミちゃんの強いすすめでTRPGというのをやった。
楽しかった。さすがリアルサンチゼロとかロールプレイが上手いとか、たくさん褒められた。
常連さんとも仲良くなれた、良い日だった。
◇月▼日
千束先輩とたきなが同棲を始めた。単独行動中のリコリスが襲われる事件が多発しているので、その対策として。
案の定、たきなが家事をみんな担当するらしい。じゃんけんで分担を決めたというから呆れた。鬼だあの人。
鬼おっぱい先輩にお口チャックのジェスチャーをされたから田中からは何も言えない。たきなは強く生きて。
◇月▼日
抜糸して傷が治った。
元々筋肉と靭帯の隙間に刺したから治りは速い。と言ってみたら怒られた。山岸先生怖い。
やっと結社を探す仕事に参加できる。
命大事にが基本方針らしい。何回も言われて耳タコだ。
命は誰にだって一つしかない。とても大事だ。
だから、なかったことになんてしちゃいけない。
◇月▼日
失敗した。
敵も味方も命大事に。これは非殺傷って意味だった。千束先輩はたまに言うことがすごく哲学的というか、恐ろしく思想的で分かりにくいときがある。命大事にが非殺傷だなんて誰にも分からない。たきなくらい分かりやすく言ってくれないかな。
あの緑もじゃ髪のテロ屋さんは真島さんというらしい。名前を知れたのは良かった。今度会ったときも洗脳が解けてないようだったら、これ以上罪を重ねる前に、ふさわしい弔いを手向けてあげたい。
理想の世界はまだ遠い。なのに先輩の誕生日は今年もまたやってくる。
早く使命を果たさないと。
ーーー
田中を野生に帰すのはあまりに危険である。
喫茶リコリコのメンバーと楠木司令の意見はその点で一致していた。当初は東京支部への帰還を求めていた楠木だが、田中がDAを強く警戒していると知り、リコリコへ収容もといつなぎとめておくことを渋々認めるほかなかった。
異動の手続きは楠木が引き受け、表向きには度重なる素行不良に対する人事処分、要は左遷とする方向で調整。残った問題は、田中をどう言いくるめるかである。
「千束が言えばどうにかなるんじゃないですか?」
「それならリアルスプラッターにするのもとっくに辞めさせてるよ。譲れない一線ってのがあんの」
というわけで急遽、リコリコは悪の秘密結社を密かに探るための秘密機関、との設定が作られた。田中はリコリコを拠点として表向きは従業員業務をこなしつつ結社の手がかりを探すことで合意。リコリコの特色である和服ベースの制服もすぐに支給され、リコリコに新たな色が加わった。
指導役はたきなと千束で半々。ミズキとミカも稀に、クルミは皆無である。
たきなは癖の強い田中の性格に当初は警戒していたが、すぐに必要ないと分かった。
「と、以上がレジ締めの手順になります。見てますから一度やってみてください」
「りょーかいです。ええと──はい、どーです?」
「いい感じです」
普段の田中は非常に素直で従順だ。一度教えれば大抵のことはすぐに覚えるし、分からない点はその場で聞く。驚くほど扱い易い人材だった。
「田中ァ!」
「はいはい、二番と四番のオーダーね」
「田中ァ!」
「クルミちゃんならさっきお風呂行きました」
「あんのリスぅ! 勤務中だぞコラ!」
元々顔見知りだったこともあってミズキとはすぐに馴染み、たきなが舌を巻くほどに以心伝心だった。
「店長、手が空いたのですが掃除でもしときます?」
「そうだな、店の前を頼めるか」
「りょーかいです」
客足が落ち着いても怠けることなく、かといって結社がどうこうと言って暴走するでもない。いたって常識的な振る舞いだった。
誰とでも普通に会話し、普通に仲良くなる。平時の田中は見た目通りに純朴な、どこにでもいる平凡な少女にしか見えない。少女の外見を都市迷彩に利用するリコリスとしては、教本に載るレベルの見事な擬態だった。
ただ、時折その擬態が剥がれることもある。
「うわぁ!? 何何、何斬ったの今!?」
「へ? あー、蚊がいたみたいなのです」
「みたいっておま、いいから早くそれ仕舞え!」
田中は飛んでくるものを生理反応レベルの反射で切り落とす習性がある。客がいるホールだろうが厨房だろうが、ある程度のサイズ感のある虫がいれば、無意識にマチェットをぶん回してしまうのだ。
この事実にたきなたちは震撼した。はたから見れば田中は突如刃物を振り回すやばい店員だ。かといって、密閉空間でもない限り、夏場にすべての虫をシャットアウトするのは難しい。
よって、千束の口からもっとも簡単な対策が命じられた。
「田中ァ! 店内は刃物禁止! 二本ともロッカーに入れてきなさーい!」
「そ、そんな殺生な」
田中は制服の袖口から二振りのマチェットを取り出し、我が子のように抱えて後退る。刃渡り三十センチ前後、マットブラックの分厚い刃と細い柄。和服ベースの制服の袖にはゆとりがあり、中に黒い棒状のシースと思しきものが見えた。当たり前のように制服を改造しているのを見たミカは、重たいため息をつく。
田中は涙目でマチェットを抱きしめながら、訴えた。
「太郎と次郎は田中の家族なのです! 家族は一緒じゃねーと!」
「た、たろうと、じろう? DAの支給品に名前つけてるんですか?」
「違います井ノ上さんっ! 太郎と次郎は田中がDAに来る前から一緒にいる家族で、お腹を痛めて生んだ大切な妹たちです! ロッカーに入れておくなんて考えられねーのです!」
「ちょーいちょいちょいちょい! 情報量でぶん殴るの止めてもらえる!?」
「太郎と次郎なのに、妹……? お腹を痛めて……?」
「たきなー! 考え過ぎるな戻ってこーい!」
たきなが混乱しているうちに、千束が先輩パワーのゴリ押しを発動。二本のマチェット──太郎と次郎は鍵付きロッカーに安置される運びとなった。そこは田中の譲れない一線ではなかったようだ。ちなみに丸腰でも反射はするが、マチェットの保持を前提とした動きなので空振りに終わる。刃物を振り回す凶行よりはマシな奇行に落ち着いた。
奇行といえばもう一つあり、休憩時間でのことだ。
田中はクルミに借りたタブレットを、座敷で一心不乱に見つめていた。あまりに夢中なので動画でも見ているのかと思えば、画面には例の、十年間で田中が殺した人名リストが表示されていた。
たきなには意味不明な奇行でしかない。
「それ、何してるんですか?」
「井ノ上さん、お疲れ様です。死を悼んでいる。田中は死者を忘れない」
「すでに存在を抹消された犯罪者たちでしょう。覚えているのが合理的とは思えません」
「理非の問題にあらず。人はみな死ぬ、これは万止むを得ん。しかしその死をなきことにしていい道理はない。故に田中が生涯をかけて覚えておくのだ」
「……そうですか」
「そうなのだ」
価値観の違いだろう。たきなは納得してその場を離れる。
すると、千束が信じられないものを見たように口をあんぐり開けていた。
「す、スイッチ入った田中と話してる……たきな頭いい?」
「別に難しい話じゃないと思いますが」
千束によると、田中の思想は十年前からちょくちょく聞くもののほとんど理解できないらしい。堅苦しい言葉選びが千束には合わないのかもしれない。
たきなは以降も半分ほどスイッチの入った田中と言葉を交わし、考え方自体はそこまで過激でもないことに気がついた。死んだ人をきちんと悼もう、弔おうというのはとても健全だ。
「たきなー、話を聞いてほしいのです。思うに正しき弔いの心とは──」
「はいはい、次の休憩まで待ってね」
田中は問答に付き合ってもらえるのが嬉しかったのか、気づけばたきなを名前で呼ぶようになっていた。千束はそれを意外そうに、ミカたちは微笑ましそうに見守る。
そうして田中が仕事を覚え、常連たちとも順当に親しくなり、ボードゲームにも参加して馴染み出した頃。
四人目のリコリスが襲撃された。
ーーー
「そういや田中ァ。あんた下の名前何なの?」
「あったけど忘れました。田中は田中です」
「忘れたぁ? そんなんじゃ男が出来たとき困るぞー?」
「困らねーですよ。仮に男の人とお付き合いしたら、その人は田中になります。結婚して子供が出来たら、男の子でも女の子でも田中と名付けます。結婚相手の人だけじゃなく、家系図の遡れる限界まで田中に改名してもらうのです」
「いやこわいって。田中パンデミックかよ」
朝、開店前の喫茶リコリコ。田中はテーブルを拭きながら、ミズキに対しかっ飛ばしたことを言っている。常連からは「田中語」と呼ばれている田中独特の言い回しで、特に考える意味はない。
「おはようございます」
「ぐもーにーん、朝から飛ばしてんな田中ァ」
出勤してきたたきなたちへ顔を向けるミズキ、田中。
「おはようございます」
「おはよ。聞いたよ、えらいことになってるわね」
「あー、私らはDAじゃないから大丈夫だよ」
「可能性はゼロじゃありません」
えらいこと。先日、DA所属のリコリスが襲撃された件である。田中の失踪に前後して始まった襲撃は今回で四度目を数え、三度目の事件をのぞき襲われたリコリスは殺害されている。治安維持組織の看板に泥を塗るような凶行だった。
たきなたちはDA所属とはもはや言えない立場だが、リコリスである。気を引き締めるたきな。
一方、もう一人戦意を──否、弔意を新たにする者がいる。
「痛ましかれかし、惨かれかし……そして日の本よ太平たれ」
田中だ。例のフレーズをつぶやきながら仮面めいた無表情になっている。
千束がどうどう、と手のひらを向ける。
「田中、ステイ」
「でも先輩、もうケガは治りました。同志もやられているのです。このままでは結社の思うつぼです」
「情報がないんじゃ動きようがないでしょ。それともアテがあるのかなー、ん?」
「ねーですが、悪そうな匂いのする方に行けば何かあるかもです」
「ああ、匂いね、カビみたいな匂いするよね、ってそんなわけあるかぁ! いいから大人しくせい!」
「はあい……」
田中はしょんぼりと肩を落とした。強引なようだが千束のこの勢いが田中にはよく効く。
その後、ミカはDAに襲撃事件の詳細を尋ねるも機密だからと拒まれ、代わりにクルミが調べることになった。クルミいわく、勝手に調べちゃうから、よー、とのことだ。
これに田中は目を丸くした。
「えっ? クルミちゃんってボドゲ無双する以外に取り柄があるのです?」
「ひでえ」
「ぶふっ、あははっ、く、クルミー! 言われてんぞー!」
「田中はもうリコリコの一員だ。話してもいいんじゃないか?」
クルミはDAを含む他勢力から追われている身だ。今やDA所属ではない田中になら正体を明かしていいだろう、とミカ。
クルミも田中の評価が不満だったのか、いささかむっつり顔で立ち上がり、胸を張る。
「ボクは電脳戦専門なんだ。お望みの情報をすぐに引き出してやるさ」
「でんのーせん。ほえー」
「なんだほえーって」
「いや、かわいい上にボドゲが得意でしかもパソコンもできるなんて反則だなぁと」
「ふん。褒めても何も出ないぞ。さーて仕事するか」
とか言いながら、満更でもなさそうな顔で二階へ上がっていくクルミ。押し入れの中に設置したマシンの元へ向かったのだろう。クルミは案外チョロい。
こうして田中の焦りとは裏腹に、事件はクルミの情報待ちのまま保留となる。
クルミの仕事は早く、翌日にはDAから情報を抜き出し、二日目には暗号化されたそれらを解析。襲撃犯の使った銃が例の紛失した千丁であることなどが判明する。
そして事態が大きく動いたのは、四日目の夜のことである。
「制服がバレてるってクルミが。これなら絶対わかんなーい」
女子高生に擬態するリコリスを、襲撃犯は制服で識別している。クルミの予想に従って千束はファーストの赤服にポンチョを羽織り、外出の支度を整えた。
「組長さんのとこに配達行ってきまーす。ついでに田中の顔見せも。行くぞ田中ァ」
「はーい」
「気をつけてくださいね」
田中は飾り気のないパーカーとショートパンツに着替えていた。仕事にも慣れケガも治ったので、外の仕事をさせても大丈夫だろうとのミカの判断だ。予定通り、千束に付いて出発した。
クルミが重大な情報と共に二階から転げ落ちてきたのは、その数分後だった。
「これは銃取引のときのドローン映像だ、これが流出して顔がバレてたんだ!」
襲撃犯はリコリスの制服どころか顔で判別している。そしてすでに襲われた四人だけでなく、あと二人のリコリスが顔バレしている。
一人は千束。
もう一人は田中だ。
「三人目のリコリスは生き残ったのは知ってるだろ。現場に居合わせた田中が襲撃犯を半壊させたみたいだ。おそらくあいつも狙われている」
「いかんな、これは……」
ミカの重苦しいつぶやきを合図に、リコリコは動き出した。
ーーー
「田中ァ、ここでの仕事で大事なのは?」
「命大事に!」
「正解! ちゃんと覚えててえらいぞー。敵も味方も命大事に。痛ましい彼氏はなしだかんね!」
人気のない夜道に、千束と田中が並んで歩いている。口にするのは千束が仕事をする上での基本方針だ。
命大事に。今回の配達はまだしも、いざ荒事に田中を連れ出したときに備えて、ケガが治る前から口すっぱく言って聞かせている。
田中も理解はしているつもりだった。だがさりげなく追加された新要素に、激しい違和感を覚える。
「はい……はえ? 敵も味方も、痛ましかれ? あの、先輩」
「あ、ごめん電話だ。もしもしもしもしぃ?」
しかし最悪のタイミングで事態が動く。
千束と田中が狙われている、とのミカからの連絡。
直後、背後からヘッドライトが迫り、田中は疑問を呑み込む他なかった。
襲撃犯の初手は前例通り車両による体当たり。田中はとっさに横へ跳びのき、千束はスタントマンの要領で車の上を転がり、受け身を取ったようだ。そのまま死んだふりをしてタイミングをうかがっている。
田中も轢かれたフリをするべきかと迷い出したとき、銃声が響く。
「こんな往来で!」
同時に、田中の眼前で火花が弾ける。無意識のうちに愛用のマチェット、太郎と次郎を抜き放ち、弾丸を斬り弾いたのだ。
田中たちを狙った車が道の先で停車し、痩身に緑髪の男が降りてくる。男の握るリボルバー拳銃からは微かな硝煙が上がっていて、おそらく射手と思われた。
「よう、ゴエモンもどき」
「いえ、田中です。こんばんは」
「じゃ田中。この前は世話になったなァ」
「それほどでも。洗脳は解けたのです?」
「ああ、バッチリだ」
銃声、火花。切断された拳銃弾が田中の背後で二つの弾痕を穿った。
「ハハッ、だよな! こんな銃じゃお前とバランスが取れねえ」
男の口元が嗜虐的な笑みで歪む。
それを合図にしたように、周囲に数台のバンが乗り付け、車内から武装した作業服姿の男たちを吐き出す。殺気だったいくつもの鋭い視線が田中を射抜く。
なんてかわいそうな人たちだろう。やはり洗脳が解けていない。人を鉄砲で撃たないと気が済まないらしい。彼らの尊厳と権利を守らなければ。弔いを受ける権利は誰にでもあるのだから。
しかし田中には迷いがあった。
千束は敵も味方も命大事にと言った。その意味が分からない。
「おりゃー!」
途方に暮れていると、千束が動いた。
ポンチョを男たちに向けて投げ広げ、拳銃から非殺傷ゴム弾をめくら撃ちする。幾人かの男たちに命中したのが見えた。
マガジンを空にするとリロードしつつ振り返り、田中の手を取って走り出す。
「ポンチョじゃダメかー。とりあえず逃げるよ」
「あ、あの、先輩」
「知り合いなの?」
「えっ、あ、こないだリコリスをいじめてるところに出くわしまして」
「あー、そういう」
口早な最低限のやり取り。疑問を口にしようにも状況が許さない。無事な男たちが背後から追いかけてくる。逃げて撒けるならそれでよし、制圧するにも夜道では巻き添えの可能性がある。とにかく移動が最優先だ。
男たちは執念深かった。千束と田中がしばらく逃げに徹し、暗いため定かではないが自然公園らしき広い空間に至ると、後ろからまたもヘッドライトが迫ってくる。
「しつこいなー」
「せ、せんぱ」
千束はおもむろに振り向き、迫りくる車体に拳銃を向ける。
ここでも田中は聞けなかった。車から痩身の男が身を乗り出し、千束を狙っていたからだ。
銃声。千束が体を横にずらす。空気が鳴き、プラチナブロンドの髪が一部弾ける。卓越した洞察力で射線と射撃タイミングを読む千束だからこそ可能な、弾丸を避ける絶技だ。
「うわっ」
後ろにいた田中に避けた弾丸が迫り、火花が弾けた。飛んでくるものを虫でも弾でも切り落とす田中だが、千束と違いただの反射行動なので本人もびっくりだ。
千束がすかさず撃ち返すと痩身の男に命中。車から転げ落ちる。
すると後ろから次々と車が押し寄せ、停車するや否や武装した男たちがわらわらと出て来て、千束たちの方へ向かってくる。
「いたぞ、あのリコリスだ!」
「人間と思うな! 絶対に殺せ!」
「ハラワタを引きずり出してやる!」
「よくも真島さんを撃ちやがったな、あのイカレ女!」
否、男たちは千束には目もくれず、血走った目と銃口を田中に向けている。距離があるため発砲はしていないが、有効射程距離まで近づいた時点で田中は鉛の雨に見舞われるだろう。
「田中ァ、モテモテだねえ」
「あのモジャ髪の人を撃ったの、千束先輩なのに……」
千束のジト目を受け、田中は世の理不尽を嘆息する。
あの男たちは田中がホームレスだった頃に遭遇したテロリストたちだ。せっかく逃げていったのに洗脳は解けず、むしろ憎悪と逆恨みを募らせて悪化しているように見える。躊躇せず人に銃を向けるその様は気の毒でならない。
ヘッドライトに照らされる男たちに目を凝らし、田中は自己流の脅威度チェックを始める。数は二十五名、練度はまちまち。装備は自動小銃が二十、拳銃が五、携行ロケット砲が一。小銃の口径は5.56、装弾数は三十発の一般的な箱型弾倉。作業服のふくらみからして予備弾薬は豊富。二十五名のうち自動小銃装備の二十名が田中に強い視線を送っている。
通常の立ち回りで対処可能と判断した。
「千束先輩、あの人たちは田中に任せてもらえねーでしょうか」
「おっけー。私はあのリーダーっぽいやつ捕まえとくね」
短いやりとりを経て二人は動き出す。男たちが近づいてきており、車から落ちたモジャ髪もいつ意識を取り戻すか分からない。判断に猶予はなかった。
だから二手に別れ際、千束が残した言葉で田中は大混乱に陥ってしまった。
「命大事に! 敵も味方も、だからね!」
「えっえっ」
千束としては軽い念押しのつもりだったのだろう。
しかし田中にとってそれは、複雑な哲学や思想の難問をいくつも鍋にぶちこんで煮詰めたような究極の問題である。
千束はモジャ髪の方に、田中は武装した男たちの方へ接近していく。道中で田中の思考はかつてない高速で回転する。
先輩の言葉の真意はなんだろう? 命が大事なのは自明だ。味方はもちろん、敵も大事だ。敵と戦う、命を奪う。奪った以上はその命を大切に弔わねばならない。つまり痛ましかれかし、惨かれかし。
『痛ましい彼氏はなしだかんね!』
しかしそうではないらしい。痛ましく惨たらしく、忘れ得ぬ死の他にふさわしい追悼の形があるだろうか。田中は必死で考える。加速する世界の中、男たちはすでに銃を構え田中に照準している。
極限状況下、田中の脳みそは千束の言葉を何度も反芻する。命大事に、しかし痛ましからざる形で。
これだ。田中はすべてを理解した。
「いいか、一斉に撃て! 所詮ナイフ二本で捌ける量には限りがある!」
田中が駆ける。すでに射程範囲内だが、男たちは田中を引きつけ確実な射殺を狙っている。そこへまっすぐ突っ込みながら、田中は真理を口にした。
「敵味方
「撃てェ!」
一斉に銃口が火を吹いた。
同時、田中は動きを変える。直進から左右へ不規則に体を揺らし、半身かつ前傾姿勢で被弾面積を減らす。ときにくるくると緩やかに、ときに激しく切り返し、急激な緩急で狙いを絞らせない。
だがいかに巧みな動きをしても数を撃たれると被弾は避けられない。
そういった不可避の弾丸のみ、反射によって切り落とす。マチェットの太郎を保持した腕は無意識下で上下左右へムチのようにしなり、鉛玉を裂く。刃の厚みに沿って弾道が逸れ、真っ二つにされた弾体が田中の後方へ抜けていった。
石畳が弾け、捲れ上がる。弾雨の中、田中は金属が切断されるオレンジの火花をまといながら、急速に距離を詰めていく。
「来るな、来るなぁ!」
「化け物が!」
確実を期して田中を引きつけていたのが仇になった。敵集団の一端へ、程なく田中が接敵する。
偶然か故意によるものか、そのタイミングは敵のリロードと一致していた。不意に落ちた静寂と夜闇に、男たちの怒号が響く。
「リロード!」
先程まで弾幕を張っていた十名が下がり、後詰めの十名が前に出ようとする。
しかしすでに田中はそこにいる。下がろうとしている男の懐へ入り、太郎を振り上げる。どっ、と肉を叩く音と共に、男の前腕が宙を舞った。
絶叫を上げる男に対し、すかさず次郎を突き入れる。深くは入れない。筋肉と骨の隙間を縫い、肝臓、膵臓、脾臓を刃先で抉る。確実に致命傷だが即死には至らない程度に、刺突をミリ単位で制御する。
血を吐く男を敵集団へ向け蹴り飛ばす。男の体で射線を切りつつ、落ちてきた前腕をボールのように蹴り出した。動揺する男たちの輪の中へ討ち入っていく。
そこからは早かった。自動小銃から拳銃へスイッチする暇さえ与えられず、男たちは急所を刺され、抉られ、次々に倒れていく。果敢にナイフで近接戦闘を挑んだ者は、切り落とされた仲間の腕の流血で目を潰され、五指を切断された後に腎臓を突かれた。田中の背中へ拳銃を撃った者は、銃弾を切り落とされ、すれ違いざまに腹部大動脈を抉られた。断たれた四肢と手指がそこかしこで宙を舞う。
決められた手順をなぞるように、田中は粛々と敵を制圧していく。その目には興奮も感慨もない。ただただ暗くて深い弔意──少なくとも田中が弔意だと信じている澱みがある。
時間にして一分足らず。
致命傷を負った男たちが倒れ伏す中央で、田中はしめやかにつぶやく。
「痛ましかれかし、惨かれかし」
「くそ……化け物が」
ぐるん、と田中が振り向く。
かすれ声の悪態を吐いた男の方へ近づき、馬乗りになって顔を近づける。このために、十年で鍛え上げた手先の感覚を駆使して即死を避けたのだ。
田中はたどり着いた真理を実行する。
「あなたのお名前を教えてください」
ーーー
千束と田中の襲撃事件は、結果として痛み分けに終わった。
田中が真理を実行する一方、千束の方は例のリーダーらしき男に不意打ちを受け、拳銃装備の五名にも囲まれ窮地に。そこへ駆けつけたリコリコメンバーによって千束は回収され、強引に包囲を突破しつつ田中も回収。クルミが機転を利かせたおかげで追撃も振り切り、無事喫茶リコリコへ帰還することができた。
リコリコの店内。正座したクルミは眉をハの字にして頭を下げる。
「ごめん、たきな」
「あれは私の行動の結果で、クルミのせいじゃありません」
クルミは今回の襲撃だけでなく、たきながリコリコへ左遷された遠因でもあった。しかしたきなは微笑を浮かべ謝罪を受け入れる。迷いなくそうできるほどに、たきなの心はリコリコに影響を受けていた。
クルミは安堵し、元最強のハッカー、ウォールナットとしての力をこれからも貸すことを約束する。手始めにもたらされたのは襲撃犯のリーダーの情報だった。
「早速だが、やつの名前が分かったぞ。『マジマさーん!』」
タブレットに映されたのはドローンからの映像。作業服の男たちが、水没したリーダーらしき男の名を呼んでいる。千束とたきなは間近で顔を見ており、名前と合わせて有力な情報といえた。
こうして今夜の騒ぎは、互いに損害を出しつつも情報面ではこちらが有利といえる結果で幕を閉じ──
「あのー、田中のこと忘れてないでしょうか……?」
「黙れ小僧」
「なんでぇ!?」
閉じる前に、まだ説教が残っていた。
座敷でミカに手当てされている千束。かなりの窮地だったにもかかわらず腕に多少の打撲程度で済んだのはさすがの立ち回りだった。
そんな千束のすぐ横で、正座させられている茶髪お下げの女。私服のパーカーに斑の返り血をつけたこいつこそ、今夜一番の問題児、田中である。
治療を終え、ミカがカウンターへ引っ込む。
すると千束はむすっとした顔で田中を睨んだ。
「ありがと、先生。さて田中ァ」
「はい」
「聞かせてもらいましょうか。なーんーで、あんなことしたの?」
「あ、あんなことって……?」
「クルミ」
千束が呼びかけると、クルミはタブレットを操作して田中の方へ向ける。
リコリコメンバーが現場にたどり着いた時点で田中の方の戦闘は終わっていた。
映像は、致命傷を受け倒れ伏す男たちと、その一人にまたがって何事かをつぶやいている田中を映している。クルミがまた操作すると音声が流れ出した。
『お名前を教えてください。お名前を教えてください。他にもたくさんあなたのことを教えてください。身長は? 体重は? 年齢は? 出身は? 特技は? 将来の夢は? 彼女はいますか? 趣味はありますか? 初恋はいつでしたか? 好きな異性のタイプは? 好きな食べ物と嫌いな食べ物は? 休日は何をしていますか? 最近調子はどうですか? お風呂で体を洗うときはどこから洗いますか? 鉄砲の使い方はどこで習いましたか? 結社に洗脳された記憶は覚えていますか? 何か悩みはありませんか? あなたのことをもっと知りたい。決して忘れないために。お名前を教えてください、お名前を教えてください──』
田中は同じ言葉を壊れたラジオのように繰り返している。
その光景は異様だ。初対面時の現場ほどグロテスクではないのに、映像の田中は、あのときよりもはるかに不気味でおぞましく見える。
一方、正座しながら映像を見る田中は、しょんぼりと肩を落としている。
「結局、何も教えてくれませんでした……ごめんなさい。先輩の言うとおりにやろうとしたのですが」
「えっ、千束?」
「ちゃうわ!」
まさか千束の指示か、と耳を疑うも違ったようだ。
千束は田中の肩に手を置いて、正面から目を合わせる。
「田中。敵も味方も命大事に。何度も言ったし、りょーかいですって田中も言ってたよね? なのにどうしてこんなことしたの?」
咎めるというより、単に分からないような響きがあった。千束もリコリスなので、田中が命のやりとりを経て死人を出したことに思うところはあっても割り切っている。怒っているわけではないのだろう。
実際不思議ではある。田中は嘘や生返事の類をしない。千束のモットーである『敵も味方も命大事に』を指示されてこういった奇行に走るのは意味不明だ。
田中はバツが悪そうにすっかり小さくなって、首から下げたUSBを両手で握りしめている。
「だ、だってだって……聞こうとしたらテロ屋さんたちが来て……分かんないからてっきりそういうことかと思って……」
「そういうことって?」
「すなわち弔いの心と見つけたり」
「うわっ」
急にスイッチが入った。たきなとクルミはドン引きする。
「敵味方問わず命は大事である。だからこそ奪った命は大切に弔わねばならない。しかし千束先輩は痛ましい死にあらざる弔いを指示された故、田中は弔いの基礎にして奥義、すなわち故人を忘れぬことと理解した。故人の名前、声、来歴、人品骨柄。生前の故人にまつわるあらゆる情報を記憶することで、確かにこの世にあったその人を心に刻み、折につけ思い返し、偲ぶ。これこそ弔いの完成形の一つであり、真理である。我々はどんな罪人も心に負わねばならない。この世に生まれながらの悪はなく、結社の洗脳を受け罪人に堕ちたといえど、人であることに変わりはない。人であるなら、忘れてはいけない。弔いを忘れたそのときこそ、人は人でなくなってしまうから。千束先輩いわくの『命大事に』とは、この弔いの心を示唆するものと解釈し、実行した。以上である」
店内に沈黙が満ちる。かと思えば、ミズキが晩酌をごきゅごきゅ飲む音が響いてそこまで静かではないことに気づく。
たきなは少しずつ田中の思想を咀嚼しながら、重要なことを思い出していた。
それは田中が田中であることだ。最近純朴な少女の一面ばかり見ていたから忘れかけていた。いかにも常識人らしく擬態している目の前の茶髪お下げの少女は、千束さえドン引きする奇人だと再認識する。
たきなが納得する一方、千束は頭を抱えていた。
「んいぃーっ! 何食べて育ったらこんなに思想強くなんのよー!?」
「かりんとうはよく食べてました」
「危ない薬の隠語か?」
「ちゃうわ!」
クルミの風評被害めいた疑問を切り捨て、千束は田中に向き直った。
「田中ァ! 命大事にってのはそーゆーんじゃなくて、えっとぉ……ううん」
「あ、あの、田中は何か間違えてしまったのですか?」
「いや、間違いというか、んーどう言えばいいんだこれ」
「解釈の違いです」
田中の言うことをようやく理解し、たきなが割り込んだ。
「田中。千束の言う『命大事に』は、非殺傷任務という意味です」
「えっ? ほんとに?」
「本当です。以後、リコリコでの仕事はすべて非殺傷任務と考えてください」
「りょーかいです!」
田中は千束の言うことを無視したわけではない。むしろ忠実に実行しようとした。あの不気味な質問攻めも、殺す相手を忘れまいと必死で心に刻もうとしていたのだろう。田中も解釈違いを違和感として察していたようだが、質問するタイミングがなかったらしい。
これで解決、とたきなが息をつく。
すると、わなわな震えて目を瞠っている千束に気がついた。
「た、田中マスターだ……! 取り扱い検定一級!」
「そんな資格もらっても困るんですが」
「ほんとにすごいんだって! そっかー、そういえばたきなと田中って似てるところあるからなー」
「嫌です似てませんやめてください」
「田中の扱いひどすぎじゃねーですか!?」
たきなは憤慨した。こんなのと似ているなど軽い名誉毀損である。
田中の思想は強すぎて行動を歪めがちだが、中身は案外普通である場合が多い。よく聞けば奇行の意図を察することなど訳ないのだ。
と反論してみると千束はぶんぶん首を横に振って、堅苦しすぎて何言ってんだか全然分からん、無理無理、と返ってきた。だから素で理解できるたきなは田中マスターなのだと。
そうしてたきなは非常に不本意ながら、田中取り扱いの第一人者になった。
ーーー
その夜。
「おいミカ。あいつもしかして、リコリスに一番向いてないタイプなんじゃないのか?」
「……気が付いたか。だから放っておけないんだ。私もミズキも、千束もな」
田中の思想を理解したハッカーが、店長とシリアスなやり取りをしていたというのは、余談である。
おまけ(楠木司令視点)
「あのバカ者が……」
DA東京支部、楠木司令のデスク。
部屋の主である楠木は、副官から手渡された報告書を睨みつけ眉間にシワを寄せた。現在進行形で要らぬ苦労を生みまくっている問題児を今すぐ呼び出して叱りつけたい衝動に駆られるが、それができれば苦労はしない。
その形相に慄きながら、副官がおそるおそる口にする。
「やはり田中なのでしょうか」
「田中だ。先回り犯は田中で間違いない」
言下に断言した。
楠木が睨みつける書類は、情報部からの調査報告書だ。内容は近頃DAを悩ませている先回り犯の正体について。
独立治安維持組織であるDAは、管理AI『ラジアータ』のビッグデータを利用した監視網によって、犯罪に至る可能性の高い人物や組織をあらかじめマークしている。そういった犯罪者たちの犯行現場へリコリスを派遣するのだが、なぜか何者かが派遣に先回りして犯罪者たちを無力化する事件が相次いでいた。
先回り犯の特定は困難を極めた。短時間で現場を制圧し姿を消す上、都内の監視カメラやドローンを避けるように行動するためだ。DAとしては組織の威信をかけてこの正義の味方気取りの何者かを探さねばならなかった。
そしてその正体の手がかりが見つかったというのが、報告書の趣旨だ。
一つは現場の状況。犯罪者たちが手足の腱を切られる、または打撃によって昏倒させられており、これは田中が非殺傷任務で多用していた手口だ。
もう一つが、
「切断された銃弾がすべての現場で見つかっている。ヤツ以外にありえん」
「な、なるほど……」
「で、ヤツの姿を捉えた映像というのは?」
「こちらです」
副官は脇に抱えていたタブレット端末を操作し、画面を楠木へ向ける。
そこに映っているのは、都内の監視カメラの映像だ。暗い夜道で暗視補正の緑がかかっている。
夜道の一端に、制服姿の少女が倒れていた。DA所属の暗殺者、リコリスの一人だ。
そのリコリスのもとへ、画面外から複数人の人影が駆け寄り、制服をまさぐっている。
「三人目のリコリス襲撃の際の映像です。男たちはリコリスの携帯端末を奪っていったようです」
副官がそう補足した。先回り事件と平行して発生している、単独行動中のリコリスが襲われる事件。その三人目の映像らしい。
端末を奪った男たちは、倒れたリコリスへ拳銃を向けている。映像には映っていないが、一人目と二人目も車ではねられた後、囲まれてから射殺されており、この三人目も同じ末路を辿るかに思われた。
しかしそうはならない。
唐突に、男の一人が激しくけいれんし始めた。体を海老反りにして、画質の荒いカメラ越しでも分かるほどに。
他の男たちは警戒して距離を取る。倒れたリコリスの包囲が解かれた。
数秒間体を跳ねさせていた男は、不意にがくりと崩れ落ちる。延髄に何かが差し込まれているのが見えた。
その背後に小さな人影が立っており、片腕にヒモ状の何かを巻きつけている。
男たちが発砲した。マズルフラッシュが暗い画面に点滅する。
人影は紐状のそれを腕にくっつけたまま、身を低くして男たちに迫る。左右へ不規則に切り返しながら距離を詰め、時折火花の閃光が弾けた。
そうして接敵してからは速かった。男たちの体を盾にし、切断した四肢を蹴飛ばして牽制し、スキを見ては裂けた傷口に手を突っ込んで中身を掻き出していく。
このまま全滅するかに思われた男たちだが、そうはいかない。
人影が痩身の男に斬りかかる。頸動脈への一撃を男は上体を反らして回避しつつ、発砲。
火花が弾ける。すぐさま踏み込み、人影が切払う。男の胸元を浅く切り裂く。
男は巧みに深手を避けながらコンバットナイフを取り出し、拳銃と合わせて応戦していく。他の生き残りたちは銃を構えているが、まごつくばかりで何もしない。人影の立ち回りによって射線が通っていないからだ。下手に撃てば味方に当たる。
時間にして十数秒、互角の攻防が続く。
そこへ強い光が割り込んだ。
車のヘッドライトだ。人影が跳び退いたところへワンボックスが乗り付け、男たちが飛び込むように中へ入っていき、またたく間に走り去った。撤退したのだろう。
取り残された小さな人影は、現場を振り返った。紐状の何か、ペースト状の何か、柔らかそうな何かが路面に点々と転がっている。襲われていたサードリコリスも返り血に染まっていた。
人影がカメラを見やる。特徴の乏しい、強いていえばどこか幼い顔立ち。
「田中だな」
田中である。楠木宛に怪文書を残してDAから失踪した、精鋭の暗殺者こと田中である。
「これが田中ですか。動きは初めて見ます。本当に銃弾を切っているんでしょうか?」
「でなければとうに死んでいる。無意識の反射で切り落とすらしい」
楠木は頭が痛そうに眉間を抑えた。
「反射というと、熱いものに触れて手を引っ込める動作のような? そんなことが……」
「理論上は可能、と学者は言っている。人が無意識に行う呼吸や歩行も、複雑な筋肉の動きを高度に自動化して成り立っている。であれば訓練によって、飛来物を切り落とす動作を自動化させることは可能である、とな。まあ眉唾ものだが」
眉唾ものでも、なぜか実際に出来ているのが田中だった。
副官は映像に対し妖怪でも見るような目を向けている。路面に散乱した何かが荒い画質で定かではないのは、この副官にとって幸運だった。
楠木は情報の詳細を問いただす。
「この映像のサードはどうだ。持ち直したか?」
「いえ、うわごとを呟くばかりで聴取には応じられないとのことです」
うわごと、と聞いて楠木の頭にはすぐに田中の口癖が浮かぶ。
痛ましかれかし、惨かれかし。馬鹿げた思想だ。胸の内で一蹴した。
「映像の撮影された場所を中心に捜索範囲を広げろ。なんとしても田中を見つけ出せ」
「承知しました」
こうして三人目のリコリス襲撃を機に田中は尻尾を掴まれ、先回り事件の犯人と同時に貴重な戦力として血眼の捜索を受けた。
幸いにも田中の寝床は程なく見つかった。都内の廃ビルの一つだ。
話が通じる相手ではない。ヤツの弱点をよく知るファーストの率いるチームを派遣し、引っ捕らえてから楠木自らが説教をする。そのつもりで楠木は、簡潔に任務を指示した。
「手段は問わない。迅速かつ確実に生け捕りにせよ」
このときの楠木は知らなかった。
田中が強すぎる思想をさらに飛躍させ、DAに対しすさまじい警戒心を抱いていたこと。
生け捕りにされかけたことでその警戒心が更に高ぶり、もはやDAでは制御不能なまでに田中の思想が堅固になってしまうこと。
そして田中の精勤ぶりを気に入っていた上層部に、異動についてめっちゃネチネチ言われること。
そんな未来など、楠木には知るよしもなかったのだ。