思想が強すぎる単独強襲刀剣無双リコリス【完結】   作:難民180301

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第4話

9月23日

 今日は千束先輩の誕生日。先輩の家で誕生日会をやった。ミカ先生のケーキがおいしくて、みんな楽しそうに笑ってた。

 

 田中も楽しかった。

 

 でも時間がないのを嫌でも実感する。

 

 早く結社を見つけるのと並行して、また山岸先生や楠木司令に相談しといた方がいいかも。

 

 千束先輩にバレたら絶交は確実だ。こそこそがんばる。

 

 

✕月○日

 今日はパトロールのやり方を教えてもらった。

 

 保育園、組事務所、日本語学校、警察署、その他たくさん。結社の魔の手は日常のあらゆる場所を狙っている。喫茶リコリコの一員として彼ら彼女らの平和を守れることを誇りに思う。

 

 情報収集はミズキさんとクルミちゃんに任せて、田中はできることをがんばるぞ。

 

 

✕月○日

 驚がくの事実が判明した。手と脳が震えて止まらない。

 

 喫茶リコリコが結社の攻撃を受けている。店長兼局長のミカ先生はすでに結社に洗脳されていて、結社のエージェントと内通している。

 

 その証拠を千束先輩が掴んだ。なんと、最大戦力の千束先輩を拉致して洗脳、リコリコを内部崩壊に陥らせる恐ろしい作戦を企てているというのだ。ミカ先生とエージェントは明後日、BAR FORBIDDENなるお店で作戦の打ち合わせをするらしい。

 

 信じがたいことだけど、千束先輩、たきな、クルミちゃん、ミズキさんが話していたから間違いない。田中に話してくれないのはたぶん、まだまだ未熟と判断されたからに違いない。

 

 でも聞いちゃった。聞いたからには動かざるを得ない。千束先輩を拉致なんてさせない。

 

 いざカチコミだ。

 

 

✕月○日

 日の本を乱す結社を田中は許さない。

 

 悲しいお知らせがあった。真島さんが警察署を襲ったらしい。同志たちがカメラに映った真島さんの顔を確認しにきた。優しい人たちに罪をなすりつける結社のやり方は大嫌いだ。

 

 ミカ先生や千束先輩は絶対に結社には渡さないぞ。

 

 

✕月○日

 カチコミは今夜実行される。

 

 千束先輩とたきなが店内に殴り込み、クルミちゃんとミズキさんでバックアップ。仲間はずれの田中は今、車の後ろに隠れてこのページを書いている。もしピンチになったら助太刀するつもりだ。

 

 あの二人ならきっと大丈夫だろうけど。

 

 

同日追記

 エージェントは始末され、ミカ先生は正気に戻った。やったぜ。

 

 千束先輩がしょんぼりしてたのが心配だったけど、元気になってくれた。今日は千束先輩の家でお泊り。さっき珍しくおっぱいを触らせてもらえた。

 

 先輩は変わった人だ。いきなり「空は青くない」みたいな哲学を語りだすから、「空は青いです」って当たり前のことを、ムキになって長々語ってしまった。今になってちょっと恥ずかしい。

 

 千束おっぱいの先輩は、日の本の太平で出来ていた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 喫茶リコリコは和風喫茶店だけでなく、民間の困りごとを依頼として受け付ける、地域のなんでも屋さんめいた一面がある。

 

 先日の襲撃事件で一度は流れたものの、田中もそちらの仕事を初めて請け負うことになった。初日は得意先への顔見せで、付き添いはたきなだ。秘密結社と戦う建前があるので、田中には「日常に結社が潜んでいないかパトロールする」と教えている。

 

 たきなは春、千束に案内してもらったのと同じように田中を町へ連れ出した。

 

「こんにちは子どもたち。田中は田中です。よろしくね」

「たなかはたなか?」

「自分のことみょーじで呼んでる! 変なねーちゃんだ!」

「誰が変だ貴様らも田中にしてやろーか、ああん?」

「にげろ!」

 

 知能指数の水準が近いのか、最初の保育園では園児たちと言い合いになり、あいさつもそこそこに鬼ごっこが始まった。

 

 走り回る田中の首根っこを捕まえて、次の組事務所へコーヒー豆の配達へ向かうと、

 

「おお、たきなちゃんと田中ちゃんかい。田中ちゃんは店以外で会うのは初めてだな」

「ですね。この間は配達が遅れて失礼しました」

「気にすんな、事故だったんだろ? ケガがなくて何よりだ。これからもよろしく頼むな」

 

 と、先日の襲撃による遅配を詫びつつ問題なく挨拶を終えた。すでに店で常連として顔を合わせているのは組長だけでなく、次に警察署で顔を合わせた阿部も同様で、特筆することはなかった。

 

 多少問題が起きたのは日本語学校だろう。講師のアシスタント、日によっては臨時講師を請け負う。

 

 マルチリンガルが標準的なリコリスの例にもれず、田中もたきなや千束のように英独仏露はネイティブレベルで習得している。それなら早速と先方の教師に促され、田中は外国人向け日本語教室の教壇に立たされた。多数の英語話者たちの青い瞳が田中に注目する。

 

「き、緊張してきました」

「田中なら大丈夫です。予習もしてきたんでしょう?」

「そりゃもうたくさん」

 

 最初は固くなっていたものの、田中は事前に教科書を読み込み指導内容を把握しており、授業はスムーズに進んでいった。雲行きが怪しくなってきたのは中盤からだ。

 

「Excellent! you are already pretty fluent, so let me teach some more practical words. Repeat after me, 哀悼」

『アイトー』

「ん?」

 

 田中の言葉を生徒たちが復唱し、たきなは首をかしげる。何か違和感があったような。

 

「供養」

『クヨー』

「ちょっ、田中?」

「死を悼む」

『シヲイタム』

「待ってください田中、田中っ!」

 

 フォロー役に控えていたたきなが割って入る。しかし田中は構わずホワイトボードに日英の単語を書き連ね、死、供養、悼み、弔意などの単語がみるみる白いボードを埋めていく。

 

 生徒たちを振り返った田中は、目をかっと見開いて感情の抜け落ちた無表情をしていた。

 

「Alright, the next one is one of the most common phrase to show respect to the departed. Repeat after me . 『痛ましかれかし、惨かれかし』」

『痛ましかれかし、惨かれかし』

「田中ァ!」

 

 生徒たちは困惑しながらも、なぜかまったく澱みのない完璧な発音で復唱した。たきなはすかさず田中を後ろへ下げ、思想の滲み出た教育内容を修正すべく指導を引き継いだ。

 

 帰り道、たきなは困った思想犯にこんこんと言って聞かせる。

 

「いいですか、田中。個人的な思想は自由です。でも教える内容は教科書通りじゃないといけません。それ以外のことは教えないように」

「で、でもせっかくなら実用的な日本語を」

「ダーメーでーす! 教科書通りに、これはクライアントの要望です。分かりましたか?」

「分かりました……」

 

 田中はしゅんと俯いて、たきなの指摘を受け入れた。その様子にたきなが満足そうに頷く。

 

 たきなは田中の言いくるめ方を心得ていた。思想の是非に少しでも触れるとスイッチが入るためそっち方面の言及は避け、実務的な方向から攻めれば田中はあっさり納得するのだ。

 

 そうして田中が外回りデビューを終え、リコリコの経営により広く関わりだした頃。

 

 リコリコは閉店の危機を迎えた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 喫茶リコリコ、夜半。定刻通りに店を閉め、従業員たちが更衣室で着替えていると、唐突に千束が言った。

 

「田中ァ。お風呂入ってきたら?」

「えっ」

「千束、今日の一番風呂はボクの……むぐぐ」

 

 どうかして聞きつけたクルミが更衣室を覗きながら不平を漏らすと、千束が俊敏にその口を塞ぎにかかる。

 

 田中はたきなと顔を見合わせると、不思議そうに首をかしげた。

 

「はあ。クルミちゃんが良いというなら、いただきますが」

「おう、いけいけ」

「むぐー!」

 

 クルミは眉を寄せて思い切り不満顔だったが、田中は勢いに押されて更衣室を出ていく。微かな足音が聞こえなくなると、ようやく千束はクルミを解放した。

 

「ぷはっ、おい何のつもりだ?」

「大事な話があんの。ミズキは?」

「カウンターで晩酌中ですね」

 

 どうやら相当深刻な話らしく、晩酌中のミズキを更衣室へ引きずり込み、念入りに外のクリアリングを行ってからやっと千束は話し出す。いつにない神妙な顔つきで千束が語ったのは、

 

「リコリコ閉店の危機です」

 

 ということだ。

 

 千束は今日の昼、店長であるミカのスマホの通知画面を偶然目撃した。届いたメッセージの内容は、明後日にミカが何者かと千束の今後について話し合う予定であり、この何者かはDAの司令官、楠木であると。

 

「楠木だとなんで分かる?」

「そうですよ、司令とは限らないでしょう」

「いーや、先生を誑しこんで私をDAに連れ戻す計画じゃわ」

「自慢ですか。結構ですね、必要とされてて」

「あぁ、そうじゃないよたきなぁー!」

 

 たきなはイラっときた。左遷された上に正面からもう必要ないと言われた自分へのあてつけかと。千束の性格を考えるとそんなわけないと分かっていても、カチンと来るものは仕方ない。

 

 千束がたきなに媚びる感じでスリスリしていると、クルミが当然の疑問を口にする。

 

「それがなんで店の閉店と関係してくるんだよ?」

「小さいとはいえ一応DAの支部だからねぇ、ファーストリコリスのこいつがいないと存続できないのよ」

 

 リコリコは業務も指揮系統もDAとは別だが、一応支部の扱いを受けている。支部には戦力と現場指揮権限を認められたファーストリコリスが不可欠で、千束が連れ戻されると潰れてしまうというわけだ。

 

 たきなとクルミは、まったく同じ疑問を持った。

 

「田中がいるじゃないですか。千束がいなくなって、も……田中……」

「そうだよ、あいつもファーストなんだろ? たな、か……」

 

 そして同時に口をつぐんだ。

 

 確かに田中はファーストだが、あの田中である。唐突に陰謀論に傾倒しリコリスを辞めてホームレスになる田中である。権限と戦力がいくらあっても、支部を任せられるかといえば答えは明らかだ。

 

 田中はノーカン。四人の思惑が一致し、田中はなかったことにされた。

 

「じゃ、私が戻りますよ」

「うええん、そんな寂しいぃー」

「たきなはお呼びじゃないんだろ」

 

 クルミのデコにお盆の制裁を与える。良い音がした。

 

 店がなくなればたきなは養成所に戻され、ミズキは出会いの場がなくなり、クルミは潜伏場所を失う。全員困るのは確かなので、取り急ぎクルミに情報収集をしてもらう流れになる。

 

 クルミがタブレットを操作する横で、たきなは尋ねた。

 

「田中には秘密にするんですか?」

「悪いけどそうなるかなー。結社の陰謀だー、とかいって暴走したら手がつけられないし」

「まあ確かに……でもちょっとかわいそうですね」

「うー、私だってほんとは嫌だよ……」

 

 千束が口を尖らせる。

 

 ただでさえあやふやな情報を、独自解釈と理論の飛躍に定評のある田中に与えたらどうなるか。千束もたきなもまったく予想がつかない。ここは心を鬼にして内緒にしておくのが安全だろう。

 

 クルミは程なくミカと何者かの会合場所を特定し、四人はミカの企みを妨害または阻止する方向で動くことが決まる。 

 

「……」

 

 足音も気配もない怪しい人影が、更衣室の外で聞き耳を立てていたことなど、まったく知るよしもなく。 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 閉店の危機発覚の翌日。

 

「千束はいるか」

「おー、フキいらっしゃーい!」

 

 喫茶リコリコに珍しい客がやってきた。DAに所属するファーストリコリス、春川フキ。その相棒であるセカンドリコリス、乙女サクラの二人だ。

 

「説明は不要だな。見せたいものがある」

「見んかーい!」

 

 フキは言葉少なにカウンターへ座り、たまたまそこに居たクルミのタブレットを拝借。記録メディアを差し込むと映像が再生され、たきなは息を呑んだ。

 

「署内の監視カメラの映像だ」

 

 作業服の男たちが屋内で自動小銃を乱射しており、昨夜起きたと報道されている警察署襲撃の映像だという。

 

 しばらく映像を見ていると厨房からミカが現れ、フキたちを迎える。無邪気に団子を注文するサクラの一方、フキは赤面をごまかすように声を荒らげた。

 

「千束ォ、どうだ、どいつだ!?」 

「あーあー、そんな叫ばなくても」

「あっ、この人じゃねーですか?」

 

 カメラが切り替わり、映し出された緑髪の男性が指さされる。見覚えのある顔貌にたきなと千束は身を乗り出した。

 

「こいつこいつ! ねえたきな!」

「ええ、間違いありません」

「ですです」

 

 その男性は、相次ぐリコリス襲撃事件の首謀者にして、昨夜警察署を襲った犯人。真島である。数週間前千束を襲った際に名前と顔が割れたものの、目撃者であるたきなと千束の画力が原因でDAに共有できなかった。フキたちは今回の映像から、裏付けのためにやってきたのだろう。

 

「これが真島か……待て、誰だ今の」

 

 眉根を寄せていたフキは、ハッとして振り返る。サクラも遅れて弾かれたように振り向いた。

 

 そこにはしれっとした顔で会話に混じる、茶髪おさげの少女の姿が。

 

 田中である。

 

「こんにちは、フキ先輩と乙女さん。田中です」

「うわっ、あのときのバケモン!」

「……本当にここで働いてんのか」

 

 サクラは嫌そうな顔でのけぞり、フキは忌々しげに睨み返す。

 

「先生に迷惑だけはかけんじゃねえぞ」

「はいっ、田中は身命を賭して役割を果たします」

 

 苦虫をダース単位で噛み潰したような顔で舌打ちを漏らし、立ち上がるフキ。そのままサクラの首根っこを掴み、引きずっていく。

 

「用は済んだ、帰るぞサクラ」

「えっ、でもまだ団子が」

「こいつと同じ空間にいたくねえ」

「そりゃそうですけど、団子ぉ〜」

 

 二人が去ると、店内は若干気まずい空気に包まれた。二人を見送る田中の後ろ姿はどこか寂しげで、一房のおさげが力なく垂れた尻尾のように見えてしまう。ミズキがいたたまれなくなったのか、店内のタブレット型テレビの電源を入れた。

 

 無理もない反応だ。フキ率いるチームは田中の捕獲任務を請け負うも、常軌を逸した田中の熱意によって失敗させられている。多少は塩対応にもなろうというものだ。

 

「変な空気にしてごめんなさい……」

 

 田中がとぼとぼ奥へ戻ろうとすると、その頭に千束が手を伸ばし、わしゃわしゃと撫で回す。

 

「気にすんなって、フキがカリカリしてんのはいつものことだろぉー?」

「気にしてねーです。こんなん慣れてますし、平気ですし。表の掃除してきます」

 

 田中は千束を振り切り、逃げるように外へ出ていった。あちゃー、と見送る千束。

 

 たきなはその様子に、今更ながら罪悪感を覚えた。結社のことで話を合わせているのもそうだが、例のミカの会合のことを仲間はずれにしていることもだ。千束とミズキ、クルミも同感なのか、非常に悩ましげな視線を店の外へ送っている。

 

 しかしたきなはぐっと堪える。どんなに普通の少女らしくしても田中は田中なのだから、暴走を避けるためにも情報は伏せておくべきだ。

 

 そうして痛む良心にフタをして、ミカの会合の日時がやってきた。

 

 一行は帰宅するフリをしつつ、クルミのみ外出と言い置いて、会合場所へ車で移動。無事、ミカの会合の相手と内容を突き止めることに成功する。

 

 すでに人知れず暴走中の思想犯リコリスが、後部座席に潜伏していることには誰も気づかぬまま、一行は解散するのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

ーーー

 

 

 

 錦木千束は焦点の合わない瞳をテレビ画面に向けている。気晴らしのために再生している名作アクション映画はまったく内容が入ってこず、吹き替え声優の迫真の演技が鼓膜の上を滑って消えていく。

 

「……」

 

 ミカのスマホを盗み見た二日後の深夜、千束の心にかつてないほどのモヤモヤが蟠っていた。

 

 ミカの会う相手は楠木司令ではなかった。吉松と呼ばれるリコリコの常連客であり、ミカの友人であり──そして千束が長年探していた、命の恩人でもあった。

 

 千束はかつて、アラン機関に命を救われている。類稀な才能と使命を持つ子供と機関に認められ、難病を抱えた心臓を人工のそれに移植・置換されたのだ。

 

 その感謝をずっと伝えたかった。だから二人の会話から吉松が恩人と判明したとき、千束は再会の喜びを胸に、精一杯感謝を伝えた。

 

 しかし吉松にも都合があったのだろう。期待していたような、感動的な雰囲気にはならなかった。

 

『アラン・チルドレンには役割がある。ミカとよく話し合うことだ』

 

 別れ際に吉松の残した言葉が、チクチクと千束の心にささくれを作っている。

 

 アラン・チルドレン。機関に支援され、救われた子供たち。彼ら彼女らには何か世の中の役に立つ才能があり、それは使命とも言われる。千束にもそれがあるのだ。

 

「私の役割、才能かぁ……」

 

 そんなものが分からなくても十分だった。分からずとも誰かの役に立てるし、誰かの救世主になれる。そう思って千束は進んできた。

 

 ただ、吉松の口ぶりや表情を思い返すと、不安になってしまう。自分は使命が分からないまま、道を違えているのではないかと。

 

 ミカに相談しても『それは千束自身で決めることだ』と返ってくるだろう。昔からそうだったし、千束もそう思う。しかし考えても答えは出そうにない。

 

「なんなんだろなぁー……ん?」

 

 モヤモヤしたまま大きく伸びをすると、呼び鈴が鳴った。

 

 ミカの会合に乱入したのが21時、解散し帰宅した今はてっぺんを回っている。訝しげにインターホンで応対すると、モニターに少女の姿が映し出される。サイズの大きなパーカーを着た、茶髪おさげの少女。

 

 田中である。

 

 梯子を登り、ダミー部屋兼入り口の階へ上がって、扉を開けた。

 

「田中ァ。今何時だぁ、おい?」

「ごめんなさい。千束先輩の顔が無性に見たくなって。ご迷惑ならすぐに帰ります」

「ったくもー、どんだけ先輩が好きなんだよ。上がってけ」

 

 苦笑して招き入れる。一人でモヤモヤを抱えているよりは後輩の相手をしたほうがマシだろう。仲間はずれにした負い目もあったかもしれない。

 

「ココアでいい?」

「カルピスぶどう味をロックで。お水はミネラルウォーター、比率は原液と水1:3でお願いするのです」

「おっけーホットコーヒーね」

「苦いの嫌ぁ! すみません調子乗りました!」

 

 奇跡的に冷蔵庫に存在した普通のカルピスを淹れてやると、田中はへにゃっと笑った。

 

 ソファに隣り合って座り、流しっぱなしの映画を見ながら口を開く。

 

「で、ほんとは何しにきたの?」

「え、言いましたよね? 顔が見たくなったのです」

「……まじでそんだけ?」

 

 こくこく頷く田中を見て、千束は思い出した。

 

 田中はこういうやつだ。人が不安を感じたり、何か抱え込んでいるとき、なぜかそれを嗅ぎつけ近くに寄ってきて、寄り添おうとする習性がある。ルームメイトだった頃から変わっていない。

 

「変わんないな、田中は」

「そーですか?」

「そうだよ。十年前からずっと使命のためにがんばってる。なんだっけ、日の本を平和にするってやつ」

「是。秘密結社を倒し、日の本に真の太平と安寧をもたらす。もって田中の背負う死者に報いる」

「うおう」

 

 急に思想が滲んできて千束は引く。

 

 しかし田中のこういうところが、今は羨ましい。自分の使命を疑わず、どんなときでも全力疾走するところが。

 

『アランチルドレンには役割がある』

『お前の使命は何だ』

『何の才能があるんですか』

 

 千束の頭の中をぐるぐる回る言葉。これらにも田中なら即答できるんだろう。

 

 そう思うと自然に、心のもやもやした部分がこぼれ出た。

 

「すごいな、田中は。私には使命も役割も、自分の才能も分かんなくってさ。そんで今、らしくもなくクヨクヨしてるわけなんだけども……あーあ、何言ってんだろな私は」

 

 吐き慣れていない愚痴は、実にとりとめもない。何を言いたいのか千束は自分でも分からない。ただぽろぽろと口が動いただけで、返事を期待したわけでもなかった。

 

 が、反応は劇的だった。

 

 突如、手を強く掴まれる。田中は千束の手を両手で握りしめ、身を乗り出していた。ブラウンの瞳がすぐそこにあり、熱い視線に千束はたじろぐ。

 

「ちょーいちょいちょい、近い近い」

「何者も空の青きを否むこと能わず」

「……なんて?」

 

 何が田中の琴線に触れたのか、スイッチが入っていた。

 

 えげつない言葉の濁流が千束の脳に押し寄せる。

 

「空の青きが如き自明の理を否むは千束先輩といえど不可能である。使命も才能も役割も分からない? 否、貴女は貴女である限りそれらをすべて知悉し、十全に体現している。なぜなら錦木千束の使命と才能と役割は、錦木千束であるからだ。したがって貴女はこの世に生まれたそのときから今に至るまで、使命と才能と役割を果たしていない瞬間は刹那としてないのだ。貴女は存在するだけで世界を一歩太平に近づけ、呼吸一つで闇を払い、一声で人心を癒やす。貴女の優しさと前向きさとひたむきさと純真さと可憐さと綺麗さと率直さと健気さと高潔さと清純さ、思いやりと慈しみ、一所懸命で純粋無垢で天真爛漫で豪放磊落で自由奔放な振る舞いに救われた者たちがどれだけいるか、考えたことはあるだろうか? いくつの曇った心が貴女の太陽よりも眩しい笑顔に照らされ、生きる喜びを思い出したか考えたことはあるだろうか? たとえば井ノ上たきな。彼女は同志を救うための勇気ある判断を命令違反と処断され、居場所を追放された。世界を呪い自刃に果てるほどの絶望と悲哀に苛まれたことは想像に難くない。ともすれば憎悪を募らせた心を結社に侵され、罪人に堕ちていても不思議ではなかった。しかし今の彼女は折につけ幸せに笑み、日々の悲喜こもごもを噛み締め、生を謳歌している。当人の強さもあったろう。だが田中は確信している。貴女の表裏のない純真な好意が、温かな慈しみが、彼女の心を導いたのだと。他でもない田中もそうだった、ミカ先生とて同じくだろう。細かに数え上げればきりがないほどの幸福を貴女は人々に与えていて、それは確かに日の本を太平と安寧へ近づけている。なぜか? 人の世を形作るものは大仰な思想や統治の仕組みではなく、畢竟、一人一人の心であるからだ。錦木千束は、錦木千束として思いのままに生きる。ただそれのみで真の太平を引き寄せる。死を振りまくことでしか貢献できぬ人非人(にんぴにん)の田中とは比較にさえならぬ、世界で唯一の尊い才能にして、役割にして、使命。それが錦木千束なのだ。貴女がかの恩人に憧れ、人を助ける救世主たらんとしていることは承知しているが、然様に憧憬を叶えんとするひたむきな貴女の生き様こそが、救世である。自然体のままで世を救い、太平に献身するその有様は神がかりという他なく、早くも錦木千束を見出したアランアダムスの慧眼には脱帽を禁じ得ない。貴女が生まれ、このように幸せに息づいていることは宇宙創成以来の奇跡であり偉業であるといってもまったく過言ではないのだ。この田中が天地神明に誓って、重ねて断言する。錦木千束の才能、役割、使命、それは錦木千束である。貴女は貴女らしく思いのままに過ごすことで、救世を成している。これは空の青さよりも明々白々な、何人(なんぴと)たりとも否定し得ぬ事実である。ここまでは分かるだろうか?」

 

 千束は俯いて震えていた。田中を直視できない。顔に血がどんどん集まって熱くなっていくのが分かる。

 

 思想が強い。強すぎる直球の千束全肯定思想が脳みそへ怒涛のように押し寄せて、モヤモヤもクヨクヨもまとめてふっ飛ばしてしまった。

 

「えっえっ、千束先輩? 耳真っ赤ですが、大丈夫です? 熱?」

「田中ァ!」

「はいっ!?」

「こっち見んなあっち向け!」

 

 当惑した田中が、ゆっくりと背を向けると、千束はその小さな背中に飛びついた。

 

「千束先輩?」

「こんのっ、田中のくせに生意気言いやがってよぉ。尻揉むぞ?」

「だ、だって千束先輩が変なこと言うから」

 

 田中には大したことを言ったつもりはないのだろう。千束が当たり前のことを分からないというから、当たり前の理屈を説明した。その程度に思っている。

 

「ありがとう、田中」

「はあ」

 

 嫌いになれない。思想が強すぎてたまに何を言ってるのか分からないし、ついていけないときもある。それでもかわいい後輩だと思わざるを得ないのは、田中のこういうところを知っているからだ。良くも悪くもまっすぐで常にエンジン全開、アクセルベタ踏みの思考回路。たまに振り落とされても嫌いにはなれない。

 

 本当に生意気で困った後輩である。

 

 ようやく顔の熱さが落ち着いてきた頃、千束はからかい混じりに言った。

 

「田中。おっぱい触る?」

「触ります」

「おっほ、食い気味。思春期の男子かお前は」

 

 今はとても気分がいい。

 

 背中から回した手を解いて向かい合い、好きなだけ触れ、と胸を突き出す。

 

 ふに、と。田中の指が控えめに触れて離れる。

 

「この田中、もはや一片の悔いもなく……」

「ヘタレか! いいからもっと触るんだよほらほら!」

「みゅ」

 

 田中の頭を力ずくで胸に押し付ける。変な鳴き声とともに田中は体を強く震わせ、それきり糸が切れたように動かなくなる。

 

 心配になって体を離すと、田中は目の焦点が合っていない。恍惚とした表情でここではないどこかを見ているようだ。

 

「そうか、そうだったのか……日の本を太平に導く唯一の道筋……人とは、世界の歪みとは……」

「田中ァ! 人の乳で悟りを開くな、戻ってこーい!」

 

 体を前後に揺すっていると、遠い彼方に向けられた目に少しずつ正気が戻ってくる。

 

 かと思うと唐突に、田中はむっとした顔をする。

 

「先輩! 女の子なんですから、もっと自分の体を大切に! 安売りはダメ!」

「お、おお? もしかして乳で常識悟った感じ?」

「どーゆー意味ですか。田中は元々常識人です」

「嘘つけ」

 

 こうしてぎゃーぎゃー言い合いながら夜が更けていく。すぐに正気に戻ったこともあり、千束は田中の悟りを深刻には考えない。まさか乳ごときで思考を宇宙に飛ばしたとは想像だにしなかった。

 

 午前三時頃、寝落ちした田中にタオルケットをかけながら、千束はぽつりと呟く。

 

「ニンピニンなんかじゃないよ、君は」

 

 それから間もなく千束も寝落ちし、二人そろって朝の開店に遅刻するのだった。 

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