思想が強すぎる単独強襲刀剣無双リコリス【完結】   作:難民180301

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第5話

✕月○日

 結社を倒すだけではダメだ。それだけでは理想の世界は訪れない。

 

 田中は今日より本当の道を進む。おっぱいが見せてくれた、太平へ至る本当の道を。

 

 楠木司令に電話で相談してみたら、前向きに検討してくれるらしい。やった。

 

 あとは念のため、山岸先生ともよく話をしないと。

 

 

✕月○日

 結社の攻撃を受けている。

 

 田中にはよくわからないけど、原価とか円安とかを通してリコリコの収支を悪化させ、経営破綻に追い込もうとしているらしい。たきなが言ってた。

 

 こればっかりはどこかに殴りこんで解決はできない。今日から田中は可能な限り節制する。

 

 リコリコは対結社の最前線だけど、それだけじゃない。たくさんのお客さんを笑顔にする最高のお店なんだ。結社の侵略に負けるわけにはいかない。

 

 とりあえず田中の食費は全額節制とする。

 

 

✕月○日

 ごはんを狩りに出ようとしたら、先輩とたきなに止められた。で、なぜかミズキさんに叩かれた。殺す気か、って。理不尽。

 

 口惜しい。本当ならお風呂の水道光熱費も削りたいけど、接客業だから身だしなみには気を遣わなきゃいけない。食費さえ削れないならどうやって貢献すればいいんだろう。

 

 

✕月○日

 たきなに褒められた。いっぱい頭を撫でてもらえた。嬉しい。

 

 洗脳された人たちを説得するお仕事をした。そのとき、田中は弾代がゼロ円で使いやすいらしい。

 

 ただ、田中ばっかりずるい、と絡んでくる先輩はめんどくさかった。

 

 

✕月○日

 千束先輩が強すぎる。

 

 今更だけど、鉄砲の弾を避けるって人としてどうかと思う。無敵じゃんあんなの。

 

 先輩が敵陣につっこむと、強そうな男の人たちがばったばった倒れていく。見ていて気持ちよかった。

 

 でも、たきなに撫でられながらドヤ顔してきたのはいらっときた。

 

 田中も負けずにがんばる。

 

 

✕月○日

 無念だ。痛ましい死をモチーフにした田中の新メニューがボツにされた。がんばって考えたのに。

 

 採用されたのはたきな考案のホットチョコパフェだった。あれはあれで斬新な形なので、負けを認める。

 

 

✕月○日

 たきなのがバズった。超忙しい。クルミちゃんのお皿破壊フェスティバル。

 

 

✕月○日

 忙しきかな

 

 

✕月○日

 我々の勝利だ。

 

 喫茶リコリコは開店以来の大幅な黒字を達成。結社の攻撃を正面から跳ね返した。

 

 

✕月○日

 真島さんとバッタリ会った。

 

 結社の洗脳が解けたみたい。この前撃ったお詫びといって、ジュースをおごってくれた。おいしかった。

 

 千束先輩がちょっとしゅんとしてたけど、たきなと話して元気になってた。田中には真似できない。たきなはすごい。

 

 

✕月○日

 脳が痺れている。

 

 世界観が変わった。やはりおっぱいが教えてくれたことは正しい。

 

 結社は人だ。

 

 震えが止まらない。

 

 

後日追記

 昨日、結社が攻撃を仕掛けてきた。

 

 あとちょっとで千束先輩の心ぞうがビリビリされて壊れるところだった。ただでさえ先輩には時間があまりないのに、なんてひどいやつらだ。たまたま田中が山岸先生のとこに来ていたのは運が良かった。

 

 でも、田中は何しに来てたの? って怪しまれたのはヒヤッとした。

 

 バレたら千束先輩に嫌われる。巧みな話術でごまかしといた。

 

 先輩を狙った結社は悪だ。しかし間違いなく人である。

 

 世界観が変わっても、田中の使命は変わらない。

 

 計画を急がねば。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 残暑が過ぎ、そこかしこでセミに代わってトンボが飛んでいる秋口。

 

 喫茶リコリコは再び経営の危機を迎えていた。

 

「このままでは……」

 

 奥の座敷に集まったリコリコメンバーが、クルミのタブレットに注目している。表示されているのはリコリコの経済を示したグラフで、収支を表す折れ線は損益分岐点を悠々とくぐり抜け、鮮烈な赤に輝いている。タブレットを操作していたたきなが眉をひそめ、その心情をクルミが代弁した。

 

「赤字だな」

「依頼で得られる報酬を合算してもこれです。弾薬や移動にかかる経費はどうしてたんですか?」

「DAからの支援金があんのよ。こいつらのリコリス活動費って名目で」

 

 ミズキいわくのこいつら。つまりファーストリコリスの千束と、ついでに田中へたきなは目をやる。また何かろくでもないことを考えているのか、田中は深刻な表情でタブレットを睨みつけている。

 

「独立していると言いながらお金はDAに出してもらっていたと」

「楠木さんみたいなこと言う〜」

 

 千束のバツの悪そうな笑みを見て、たきなは奮起した。このままではリコリコが潰れてしまう。私がなんとかせねばと。

 

「分かりました。以後私が、リコリコの経理をします! まず田中!」

「……えっ、はい?」

「私たちは攻撃を受けています。結社が原料の市場価格や景気を操作することで、私たちを狙い撃ちにしているんです」

「な、なんと! 田中知ってる、兵糧攻めとかそーゆーやつ!」

「お、おいおい」

 

 クルミが止めに入ろうとするのを一睨みで黙らせ、たきなは続けた。

 

「私たちは全力でこれに立ち向かいます。協力してくれますよね?」

「無論です! 田中にできることなら何でもやるのです!」

「よし」

 

 うわぁ、と千束たちがドン引きしているがたきなは構わない。下手に思想を飛躍させて突飛な行動に出る前に、その方向性を誘導するのが扱い方としては合理的なのだ。厳しい収支の改善のために嘘も方便と割り切って、たきなは田中を味方につけた。

 

 こうしてたきな主導のもと、リコリコの経済改革が始まる。

 

「田中。冷蔵庫はすぐに閉めて。洗い物はなるべくまとめて。水道の出しっぱなしは厳禁です」

「りょーかいです! 田中も可能な限り節制に努めるのです!」

 

 まずは簡単かつ細やかな節約から。神経質なまでの指示にも田中は素直に従い、無駄な浪費を一つずつ潰していった。

 

「完全に飼い慣らされとる……」

「千束、人聞きの悪いことを言わないでください。田中は協力してくれてるんです」

 

 その忠犬のような働きぶりに千束が眉をひそめているが、たきなにそんなつもりはない。言い聞かせて力を貸してもらっているだけだ。

 

 しかしたきなは一つ忘れていたことがあった。

 

 素直で従順でも田中は田中であり、強すぎる思想が常に行動を歪めている奇人なのだ。田中が節約について「何でもする」と言えば、田中の基準においての何でもするを意味する。

 

 それを思い知ったのは経済改革翌日の昼下がり、まかないの時間である。

 

「そろそろ良い時間ですね」

「そうだな。今日の当番は田中だったか」

「田中ー、ごはーん!」

「はいはーい」

 

 千束に呼ばれ、厨房から今日のまかない当番、田中がやってくる。両手にお盆を載せており、その上では五つのどんぶりが湯気を上げている。

 

 どんぶりの中身はきつねうどんだった。三角のおあげとたっぷり盛られた薬味のネギで見た目もいい。そういえば期限の近いうどん玉があったな、とたきなは思い出す。

 

 その日の当番によって個性が出るまかないだが、田中はとにかく普通だ。ときどきの冷蔵庫の中身に合わせて無難かつ経済的な品を出す。かつてまかないに迷走したたきなとしては複雑な気分である。

 

 ミズキと、中二階でダラけていたクルミも降りてきて、どんぶりと箸を受け取っていく。

 

「おー、うまそうだな」

「いただきまーす!」

「お好みで天かすととろろ昆布もありますよ」

「田中、どこへ行く?」

 

 リコリコにうどんを啜る音が響く中、田中は天かすと昆布の袋をカウンターへ置いてから、外へ出ていこうとしている。なぜかリコリコの制服から私服のパーカーに着替えていた。

 

 ミカの呼び止めに振り返ると、田中は胸を張る。

 

「田中には元手ゼロのごはんのアテがあるので。これからはまかないも朝も夜も田中の分はけっこう。浮いた食費をお店に使ってほしいのです」

 

 千束がうどんを啜りながら、たきなにジト目を送った。ほら言わんこっちゃない、と言わんばかりだ。

 

「何? そういえば朝も抜いていたが……まさか炊き出しか? やめなさい、アレは本当に困った人が頼るものだ」

「もちろんです」

 

 ミカと千束、たきなが顔を見合わせる。田中がホームレスだった頃に頼っていた困窮者向けの炊き出しにたかるつもりかと思えば、そうではないらしい。だとすると何を食べに出るのだろうか。

 

 元手ゼロの食事があるなら確かに節制の役に立つ。参考になれば、とたきなは軽い気持ちで聞いてみる。

 

「では何を食べに行くんです?」

「食べにというか、狩りに」

「……はい?」

「この時期は、トンボがたくさん飛んでいるのです」

 

 店の空気が凍った。ミカ、千束、たきなは言葉の意味を咀嚼するのに苦戦している。トンボ、狩り、ごはん。

 

 その沈黙を了承と受け取ったのか、田中は悠々と店を出ていった。

 

 数秒後、ようやく意味を理解したたきなたちは一斉にうどんを吹き出す。

 

「ぶっふぉ!? けほっ、た、田中ァ!」

「うひゃ!?」

 

 店を飛び出し、田中の背中に千束が組み付く。羽交い締めにするとたきながすかさず田中の足を持ち上げ、店内へ収容した。吹き出した拍子につゆが鼻に逆流し、千束とたきなは涙目だ。

 

「がはっ、ぐえっ、うぇっほ……」

「しっかりしろミズキ!」

「こんなことで死なれても泣くに泣けんぞ!」

 

 ミズキは変なところに入ったのか死にそうなほどむせていて、クルミとミカが必死で介抱していた。

 

 座敷に正座させられた田中は何が何だか分からないというようにキョロキョロしている。首から下げたUSBを握って上目遣い。

 

「な、なぜに……?」

「田中ァ、貴様……私らの勘違いだよな? 何しようとしてたって?」

「だ、だからトンボを狩りに。美味しくないけどお腹はふくれます」

「ア・ホ・か!」

「えっえっ、でもでも野草だけじゃ栄養バランスが……」

「そーゆー問題じゃありません常識で考えてください」

「常識で? あっ、もちろん誰にも見られないように狩るのです。当番はちゃんとしますし。あと、田中のお給料は全額カットでお願いします。節制のために何でもしますから!」

「っスゥー……」

 

 おいこれどうすんの? と言いたげな視線が千束から飛んできて、たきなは頭を抱えた。確かに協力してほしいとは言ったがここまでやれとは求めてない。

 

 たきなはこの後、クルミのタブレットで図示しながら田中にかかる食費や給料が支出全体で見ればいかに微々たるものであるか、そこを無理に節制することで生じる健康被害および福利厚生リスクなどを長々と説明し、どうにか田中の超協力姿勢を矯正することに成功した。

 

「なるほど、そういうことならりょーかいです」

「なんでそこまで積極的なんですか……」

「リコリコは結社に抗う希望の刃。これを失うは世界の損失。断固阻止」

「ドンマイ、たきな」

 

 苦笑する千束に肩を叩かれ、たきなは崩れ落ちた。よく考えればセルフで飛躍する田中を外から焚き付ければ、暴走するのは明らかだ。しかも本人に一切悪気はないのだからタチが悪い。

 

 危険物につき取り扱い注意、とたきなは改めて肝に銘じた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 喫茶リコリコは店の経営、民間の依頼、そしてDAが対処しない規模の裏の仕事の三つで収入を得ている。田中にはすでに店と民間の仕事を割り振っていたが、この機に裏の仕事も回すことになった。無論、暴走を止めるため千束かたきなとペアを組んでだ。

 

 初回は千束とたきなの働きを見学させる。

 

 場所は寂れた廃ビル、目的は海外の麻薬組織の末端員の無力化だ。角に隠れて目標を確認した千束が、飛び出して引き金を引く。

 

「フゥー!」

「ぐああっ!」

「おーっ、千束先輩カッコイイ!」

「そうだろそうだろー!」 

 

 発射された非殺傷弾は標的の男たちを打ち据え、ついでに後ろの窓ガラスも豪快に破砕した。壁には弾痕が刻まれ、事件の痕跡が克明に残される。たきなは小さくため息をついた。

 

「田中。このように現場を壊すと、クリーナーを使う必要が生じます。そうなると膨大なお金が飛ぶ。どうすればいいか分かりますか?」

「ええと、クリーナーさんを使わないように、できるだけキレイに仕事をする、ですか?」

「そうです。こんなふうにやるのはダメですよ」

「ちょっとー! 人をダメな例扱いすんなしー!」

 

 同日、次の任務。人身売買組織の幹部の無力化と捕縛。

 

 敵の護衛と撃ち合いになり、千束は持ち前の回避能力にものを言わせて全避けしつつ、豪快に非殺傷弾をぶっ放している。非殺傷性のために精度を犠牲にした弾が現場に弾痕を刻みまくっており、遮蔽物に隠れた田中がその様子を指差し、いいの? と言いたげにたきなへ視線を送る。

 

 いいわけがない。たきなはボララップ──非殺傷ワイヤー射出装置で千束を拘束し、ついでにターゲットも拘束した。

 

 二度の見学を終え、ついに田中の出番がやってくる。

 

 同日夕刻、この日最後の任務。国内のテロリスト向けに武器を流している銃商人の捕縛。

 

 商人のアジトは港湾の廃倉庫で、前情報によるとターゲットは商人一人だけ。田中の初陣にちょうどいいとたきなは見ていたが、現場に着くと事情が違った。

 

『護衛を雇ったようだ。依頼の情報が漏れたのかもしれないな』

 

 インカムからクルミのうんざりした声が響く。こういった裏の仕事では稀にあることだ。

 

 たきな、千束、田中の三人は二階のキャットウォークに身を隠しつつ、現場の状況を俯瞰する。

 

 寂れた倉庫には木箱やパレットの山がいくつも放棄され、その合間を武装した屈強な男たちが巡回している。見える範囲で十数人。倉庫の中央には廃材を積み上げた簡易のバリケードが築かれて、その前にずんぐりした二メートルはあろう巨漢が巍然と佇んでいる。ターゲットがいるとすればあのバリケードの向こうだろう。

 

 その状況にたきなは歯噛みする。敵の数はまだしも、装備が厄介だ。田中の初陣などと言ってる場合では──

 

「田中、どう?」

「五分あれば」

「よしっ、じゃあレッツゴー!」

「はぁい」

「えっ、ちょっ、二人とも!?」

 

 たきなが止める暇もなく。

 

 千束との短いやり取りを経て、田中はキャットウォークから一階へ飛び降りた。猫のように音もなく着地すると、滑らかな足取りで遮蔽物に身を隠しながら、巡回中の男たちへ接敵していく。

 

 一人目。宙に舞い上がり、くるくると回転しながら踵を男のコメカミへめり込ませる。短い悲鳴を上げて男は倒れた。

 

 二人目、背後から接近し背中を抉るような肘打ち。エビ反りになった男は、泡を吹いて倒れる。

 

 三人目と四人目は、まず蹴りで一人を昏倒、もう一人の金的を潰し、かがんだところへ喉への蹴り上げ。ダメ押しに背中へ膝打ち。

 

 以下、淡々と不意打ちで数を減らしていく。取り回しのいい散弾銃や短機関銃を装備した男たちは、引き金を引く暇を一切与えられず、流れ作業のように処理されていった。

 

 しかし最後の一人──バリケード前の巨漢だけは相手が悪い。

 

 分厚いベストとやけに着ぶくれした迷彩服、フルフェイスヘルメットにネックガード、関節部にはカウル状のプロテクター。これでもかと防弾、防刃装備を身に着けている。田中のマチェットが通じるとは思えない。

 

 さらに武器も強力だ。独特の直線的なフォルムとドラムマガジンを有するそれは、近距離での火力に特化したフルオートの散弾銃。近接主体の田中との相性は最悪だ。

 

 田中は論外、千束の非殺傷弾やたきなの9ミリパラベラムも通じないだろう。一度撤退して装備を整えなければ。

 

「千束……!」

「大丈夫だって。ほら見て?」

 

 たきなの焦りとは裏腹に、階下の戦場は動いていた。

 

 バリケードに直近の木箱の陰から、田中が何かを投げる。きん、と静かな倉庫内に金属音。9ミリの実包の音だ、敵の銃から抜いていたのだろう。

 

 異常に感づき警戒していたのか、巨漢は弾かれたように散弾銃を向ける。

 

 瞬間、田中が飛び出した。

 

 逆方向へ照準していた巨漢は、矢のように駆ける田中に反応が遅れる。二秒弱で巨漢の懐へ。散弾銃を構える腕の下をくぐり抜けながら、田中は体全体を捻るように回転させ、一本のマチェットを切り上げる。

 

 巨漢の右前腕が、血飛沫を上げて宙を飛んだ。

 

「は?」

 

 銃を取り落とし、絶叫する男。

 

 田中はマチェットを血振りしてから袖口にしまう。散弾銃を拾い上げ、膝立ちになった男の背中へ至近距離で発砲した。前のめりに吹っ飛び、倒れた背中へもう一発接射。巨漢は沈黙した。

 

 銃を捨てると、バリケードの中へ慎重な様子で入っていく。男の絶叫が響き、ぶつりと不自然に途切れる。

 

 程なくぐったりした男の足を引きずって田中が姿を現し、たきなたちへ手を振った。作戦完了の合図だ。

 

 階下へ降りたたきなと千束は、白目をむいて泡を吹く男たちを拘束し一箇所へ集める。散弾銃を防弾ベストに受けた巨漢はきちんと生存しており、止血の後、ターゲットと他の男たちもろとも依頼人へ引き渡した。

 

 帰り道、ミズキの車。助手席に千束、後部座席にたきなと田中が座っている。

 

 非現実的な光景に混乱していたたきなは、やっと我に返った。

 

「いや、おかしくないですか? 田中、変ですよ」

「お、たきながやっと喋った。うんうん、たしかに銃使ったのはらしくなかったねぇ」

「どうせ死なねーならあの方がはえーでしょ。田中は死を忘れない。痛苦に歪む顔を目に、臓腑から漏れ出す汁と糞便の腐臭を鼻に、溢れ出る血潮の苦味を舌に、呪詛と悪罵と断末魔を耳に、肉を裂き骨を断ち、命の灯火を握りつぶす感触をこの手に刻み、死にゆく誰かがいたことを生涯忘れないために刃を──」

「それはもう知ってます」

「あっ、はい」

 

 田中は殺したことを記憶に刻むために近接武器を振るう。だから死人が出ない非殺傷任務ならこだわりはないのだろう。とっくに知っていることを長々と語られたくはないので容赦なく切った。

 

 たきなが受け入れられないのはそこではない。

 

「防刃繊維は普通、切れないでしょう」

 

 田中は最後の一人を無力化するにあたり、敵の腕を切断した。止血処置のついでに見てみると、間違いなく分厚い防刃繊維とプロテクターもろとも断ち切っていた。どう考えてもありえないことだ。

 

 問われた田中は、きょとんとしている。

 

「たきな、もしかして見てなかったのです?」

「何をですか?」

「ほら、こんなふうに」

 

 マチェット、太郎か次郎のどちらか一本を取り出して、両手で握ると、

 

「両手持ち!」

 

 これで分かるよね、とでも言うように笑った。

 

「……?」

 

 両手持ちだからどうした。そもそも防弾・防刃に広く使われるアラミド繊維だけでも同質量の鋼鉄線の七倍の強度があって、現代では他にもスペクトラ繊維やガラス、金属板などのより堅牢な特殊素材が複雑な製法で加工され、最新の装備は機関銃の弾さえ通さない頑強さがあるので、刃物が通るなど万が一にもありえないし、そういった繊維やプロテクターもろとも成人男性の腕を両断するなど現実的に考えておかしいわけで──

 

「たきな、弾切るやつのやることを真面目に考えたって仕方ないよ?」

「……なるほど」

 

 たきなは思考を放棄した。

 

「そんなことよりたきな、たきな! 田中の仕事はどーでしたか? 全員非殺傷で痕跡はあんまりなし! 問題ねーでしょ?」

「それは、はい」

 

 敵に一発も撃たせていないため弾痕はゼロ。最後に田中が使った散弾銃の薬莢や、切断した腕の血痕程度なら依頼人が負担してくれるらしい。想定外の事態にもかかわらず損害と無駄な支出は皆無。文句のつけようがなかった。

 

 素直に完璧でした、と称賛するつもりだった。

 

 しかし田中がこちらに身を乗り出して、何かを期待するような上目遣いをしているので、しぜんにその頭へ手が伸びた。

 

「さすが、えらいですね、田中」

「……うへ」

 

 へにゃ、と笑う田中。

 

 一方、千束は不満顔だ。両手を胸の前でぶんぶん振っている。

 

「田中ばっかりズールーいー! たきな、私もえらいよ、いい子だよ!」

「無駄弾撃ちまくる人はえらくないです」

「んいぃーっ! 次! 次はちゃんとやるから!」

 

 宣言通り、次の日の千束は非常によくやった。

 

 命中精度が悪いなら近づけばいい。回避能力のゴリ押しによって敵の弾幕をかいくぐり、至近距離で非殺傷弾を打ち込む。それも今までのように「大体でいいのよ、大体で」と言っていた大雑把な照準ではなく、相手のみぞおち、金的、肝臓など、急所へ的確に打ち込んで一人一射で無力化し、弾薬費を最小限に抑えた。

 

「撃たせ過ぎです」

「ぐぬぬ!」

 

 しかし痕跡を抑えるには、敵に撃たせてもいけないのだ。

 

 次の任務で千束は完全に本気を出した。クルミに現場の見取り図をスマホへ送信してもらい、敵の裏を取って近接格闘のみで無力化。発砲は敵のも含めてゼロ、痕跡も皆無の完全ステルス。非の打ち所のない仕事なので、ドヤ顔で駆け寄ってくる千束をたきなは撫でるほかなかった。

 

「ふっふーん! 見たか田中ァ!」

「ぐぬぬ」

 

 ここに正のループが成立した。

 

 田中が仕事を完遂したきなに褒められる。自分も褒められたい千束が本気を出す。褒められる千束を羨み、田中がまた完璧な仕事をする。たきなは駆け寄ってくる二人のファーストリコリスの頭を撫でるだけで、裏の仕事の収支が劇的に改善していくのだ。

 

「なんですかこの人たち……」

 

 戦術と呼ぶのも怪しい、非常識な個体戦力によるゴリ押しで敵を圧倒していく二人に対し、たきなは感心とドン引き半々の心持ちだった。リコリスの頂点であるファーストリコリスは全員化け物じみた力を持つとされるが、それにしてもこの二人は度が過ぎているように思う。

 

 とはいえ、たきなも二人に任せきりではない。

 

 ある日、都内某所のバーから依頼があった。店に仕掛けられた時限爆弾を解体してほしいとのことだが、警察ではなくリコリコに頼るあたり何か裏がある。クルミに確認を頼むと案の定、店のケツモチをしている中華マフィア同士の抗争がことの発端らしい。

 

 それでも高額の報酬を目当てに現場のバーへ向かうと、薄暗い店内からバーテンダーと中華風の男たちがこちらを睨みつけてきた。床には分かりやすくぽつんと、いかにも爆弾らしい物体が放置されている。

 

「報酬は用意していますか」

 

 バーテンの男が分厚い封筒をこれみよがしに掲げた。報酬があるなら言うことはなく、たきなは仕事に取り掛かる。

 

「では始めます」

「たきながんばー」

「オペみてーです」

 

 二人に見守られ、たきなは手早く爆弾を解体していった。

 

 優秀なリコリスのたきなにとってこの程度造作もない。念の為工程を解体直前で止め、先に報酬の交渉を始める。

 

 想定通り、依頼人たちはごね始めた。

 

「さあ、終わったら帰るアル」

「報酬がまだですが」

「ほれほれぇ!」

 

 迫る千束に対し、中華風の男二人組が発砲。しかし千束は巧みな近接格闘によって即座に銃を奪い、余裕綽々に返してみせる。

 

 激高した男が弾倉の中身を撃ち尽くすが、千束に当たるわけがない。店が壊れてもあっちの落ち度なので気にしない。

 

「ほあちゃー!」

「ああ、かわいそう」

 

 千束の威嚇に合わせ、それまで空気だった田中が前へ出た。マチェットを一本抜刀し、ゆらゆらと男たちへ近づいていく。

 

「仕事にお金を払わないのは悪いこと。鉄砲を撃つのも悪いこと。きっと結社の洗脳を受けているに違いない。二度と引き金を引けないように、指を落としてあげるのです。それとも手首、腕、足、目、舌、鼻? 全部が良ければそれも結構。痛みで洗脳が解けるかもしれねーです」

「うおう」

 

 千束が後退って道を開けた。想定外だ。田中が若干暴走している。

 

 千束だけでなく、中華風の男たちやバーテンも田中が一歩進むごとに店の奥へ引いていく。たきなからは見えないが、おそらくスイッチが入ったときのあの形相をしているだろう。

 

 中華風の男が、千束に取り上げられた銃を拾い上げる。あ、と思ったときには発砲していた。

 

 銃声、田中の腕がブレるたびに激しく火花が散る。切断された銃弾がカウンター奥のボトルをいくつも破壊した。

 

 弾倉が空になりスライドがロックされても、男は壊れたように引き金を引き続けていた。顔は恐慌で歪んでいる。

 

 田中が無言でもう一振りマチェットを抜く。最近判明したことだが、マチェットを二本抜くのは殺傷のスイッチだ。そのまま身を低く沈めて戦闘態勢をとる。

 

「哀れなる罪人に安息のあらんことを。痛ましかれかし、惨かれ──わっ、何するのです先輩!?」

「落ち着けぇ! ほんっと貴様は忘れたころに暴走するよなぁ!」

 

 千束が後ろから田中に組み付いた。

 

「でもでも先輩、この人たち悪そうな匂いするのです! 生かしておいたら、いずれDAに存在を消されてしまいます! 彼らの権利と尊厳を守らなければならない。衷心からの哀悼を、痛ましく惨たらしい忘れ得ぬ死の弔いを、この田中が全力で捧げるのだ。だから先輩!」

「やかましい! 弔いって言えば何でも許されると思うなよ!? たきな、今のうちに報酬!」

「……いえ、田中にも一理あります」

「は?」

 

 田中の言う悪そうな匂いというのはまったく理解できないが、この店は中華マフィアにシノギを入れる、いわば反社の資金源だ。それに加え仕事の対価さえ払わないのは紛れもない黒、犯罪者に他ならない。殺人が許可されているリコリスとして、犯罪者は即射殺せねばならない。

 

 たきなは納得し、愛銃のセーフティを解除した。

 

「田中、やりましょう」

「御意」

「ちょーいちょいちょいちょぉーい!? たきなさぁん!?」

「千束は早く田中を放してください」

「クリーナー代! 今節約してんでしょー!?」

 

 たきなはハッとした。今はリコリコの存続のため少しでも支出を減らす必要がある。田中と共闘すれば、バーテンと中華マフィアの男たちの死体処理でクリーナーにいくら取られるか。それに田中の凄惨な手法では割増料金は確実。

 

 銃を収め、こほん、と咳払いするたきな。

 

「報酬を払わないつもりなら、この田中を解き放つことになりますが」

「払う、払うよっ!」

 

 効果は劇的だった。バーテンの男が土下座する勢いで頭を下げながら封筒を差し出してくる。

 

 受け取ったたきなは中身を軽く検め、さりげなく爆弾解体の最終工程をさくっと済ませておく。もみくちゃになっている千束と田中を引っ張って、そそくさと退店していった。

 

 帰り際、千束がげっそりした顔で肩を落とす。

 

「こういうとこが似てるんだよぉー」

「似てませんよ。支払いを拒否する反社なんて、リコリスなら射殺を考えるのが普通です。ですよね田中?」

「田中はただ、親切で言っただけですよ?」

「あー、うん、そだね。やべーなこいつら……」

「何か言ったのです?」

「なんにも! さあ早く帰ろう!」

 

 千束はたきなの背をばしばし叩き、田中の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。乱された髪も気にせず田中はへにゃっと笑っている。

 

 たきなは何か不当な評価を受けたような釈然としない気持ちを抱えつつ、リコリコの経営に思考を戻した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 喫茶リコリコは空前のブームを迎えた。

 

「田中ァ!」

「はい先輩! お待たせしました、ご注文をおうかがいします」

「田中っ!」

「りょーかい! 三点で2,600円になります」

「田中ー」

「ゲームは後! クルミちゃんも手伝って!」

 

 一階も二階も満席の店内を、千束とたきな、田中が忙しなく行き交う。厨房とカウンター内ではミズキとミカがひっきりなしのオーダーを必死でさばいている。田中は座敷から出てきたクルミにも増援を要請して、ホールの業務に戻る。ミズキから完成したスイーツを受け取って、座敷の客へ運んだ。

 

「ホットチョコパフェお待ちどうでーす!」

 

 客たちはパフェの威容に息を呑み、恐れ慄きながらスマホ撮影を開始する。その写真にSNSでいいねがつき、またリコリコの収入が増えるだろう。

 

 ブームの原因はたきな考案の新メニューである。元の人気メニューである錦木千束スペシャルエレガントパフェは千束の機嫌次第で原価が跳ね上がるため、それに代わるコスパの良い新メニュー開発が急務だった。

 

 田中の新メニュー、「痛ましいパフェ」はミカいわく保健所に見られたら即日営業停止な見た目として却下され、他方、たきなの「ホットチョコパフェ」は見事に新メニューの要件を満たした。提供を開始するや否やSNSでバズり、売上の最高記録を毎日更新している。

 

 喫茶店の売上、民間依頼、裏稼業。収入の三本柱を大きく強化することに成功し、リコリコの収支は黒字へ傾いた。

 

 何度も仕事をこなすうち、田中の信用も向上。民間依頼はほぼ一人で、裏の仕事も、クルミの事前チェックで暴走の危険のなさそうな依頼と確定した場合のみ田中一人で行かせてもいいことになった。

 

 十月末。ハロウィンが迫るこの時期は、普段の依頼に加え季節の催し関連の仕事が多く入る。たきなたちはそれぞれ分担して仕事をこなしていった。

 

 そうして順調に収益を上げていくと、余剰分を設備投資に回すことに。ミカは店の雰囲気向上のためレコードプレイヤーを、ミズキとたきなは業務効率のため食洗機、クルミは駄菓子、千束には手作り非殺傷弾の原料などが経費で購入された。

 

 もちろん田中にも権利はあった。収益改善に貢献したし、そもそもお金がかからない子なので、ちょっとは甘やかしてもいいかとたきなは考えて、

 

「田中、何かほしいものはないですか?」

 

 と聞いた。

 

 すると田中は、マチェットを丁寧に砥石で磨きながら、

 

「日の本の太平と安寧、そして死者への報い」

「そうですか。お金で買えるものがあれば言ってくださいね」

「承知」

 

 という感じで話が終わった。

 

 仕事用に他の近接装備など買っても田中には無駄でしかなく、手入れ道具は元から経費で出されている。余剰分はとりあえず非常時に備えプールしておくことになった。

 

 そんなこんなで忙しく過ごすうち、たきなのパフェブームが収束に向かい始める。ブームで得た新規顧客を定着させる戦略へシフトしようかというとき、たきなはついに気がついた。

 

 きっかけはクルミがPCから閲覧していた、SNSの書き込みである。例のパフェを笑顔で給仕するたきなの写真に対し、

 

『笑顔でうんこ持ってて草』

 

 たきなのホットチョコパフェは、言われてみれば排泄物だった。味は高評価だが、一度気づくともうダメだ。

 

 厨房で配膳を待つホットチョコパフェを前に、たきなはうなだれる。

 

「もう、このパフェやめます……」

「気づいたかー。まあ人気なんだからいいじゃん!」

「田中はすごくいい見た目と思うのですが」

「田中の感性で良いと言われても……」

「ミズキさん、たきながひでーんですけど!?」

「そらそうだろ」

 

 田中がぷんすこしていると、店の電話が鳴った。たきなが出る。相手は山岸で、どうやら千束が今日の健診に行ってないそうだ。千束に電話で確認してみても急用と言ってすぐに切られた。何か怪しい。

 

「あ、田中は配達に行かねば」

「私は千束の様子を見てきます」

 

 たきなと田中は店をミズキたちに任せ、それぞれの目的地へ向かった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「真島が家に来たぁ!?」

 

 数時間後、リコリコ店内にミズキの驚愕の声が響き渡る。千束はなんとも言えない顔で、たきなは苦々しげにうなずいた。

 

 千束が健診をすっぽかす理由となった急用とは、真島の来襲だったのだ。千束のセーフハウスに現れた真島に戦意は乏しかったようだが銃を持っていて、千束の手元には愛銃がなかった。千束に銃撃は効かないものの格闘戦のみで制圧するには相手が悪く、膠着状態に陥っていたらしい。

 

「殺ったか、たきな?」

「残念です、目の前にいたのに……」

 

 真島はリコリス襲撃や警察署襲撃の主犯だ。当然出会い頭にたきなもぶっ放したが、軽くいなされ逃亡を許してしまった。声に悔しさをにじませるたきな。

 

 千束はそれに取り合わず、どこか考え込むように首元のチャームへ目を落とした。

 

「あいつもこれ、持ってた」

 

 たきなたちは息をのむ。そのフクロウのチャームは、優れた才能を持つ子どもたちを支援するアラン機関の印であり、支援された証だ。凶悪犯の真島さえ支援されるものか、と騒然とする。

 

「どっかで拾ったんでしょー、吉さんがあんなやつを助けるわけない。ねえ先生?」

「ん、ああ、そうだな……」

 

 カウンター内で俯いていたミカはどこか歯切れが悪い。視線を宙に泳がせ、「ああ、そういえば」と話題を変える。

 

「田中のやつが随分と遅いな。何か聞いてないか?」

「あ、そうだ。いないじゃん」

「いつもならしれーっと会話に混ざってくるのにな」

「組長さんに配達に行ったんですよね? 何してるんでしょう」

 

 田中は日暮れ前に店を出た後、閉店時間を迎えた今まで帰ってきていない。外はもう真っ暗だ。

 

 真島の訪問に気を取られていたリコリコメンバーは、全員同時に嫌な予感を覚える。まさか発作的に思想が宇宙的な飛躍を遂げ、想像もつかない奇行に走っているのではと。

 

 連絡を取ろうにも、田中はちょっとした外出ではスマホを持ち歩かない。今回も置いて行っていた。

 

 本格的に心配になってきたそのとき、

 

「田中が戻りましたー。遅くなってすみません」

「田中ァ!」

「あ、千束先輩。健診行きました?」

 

 絶妙なタイミングで戻ってきた。行きはコーヒー豆入りの紙袋を抱えていたが、今はカルピスの缶を手にしている。

 

「いや、それどころじゃなかったんだわ。それより田中の方はどうしたの? 遅かったじゃん」

「真島さんとおしゃべりしてました」

「……は?」

 

 たきなは耳を疑った。何食わぬ顔ですごいことを言われた気がする。

 

「だから真島さんですって。延空木の近くでばったり会って、洗脳が解けたって言うから、おしゃべりしてたのです。仲間思いの良い人でした。これお詫びに、って奢ってもらいましたし」

「何やってんの田中!? いや真島もだけど!」

「敵にもらったものを飲むなんて……! 田中、ペッしなさい、ペッ!」

「変なの入ってたら分かりますよう」

 

 田中はカルピス缶を庇うように身を引いた。

 

 タブレット端末をいじりながら、クルミが笑う。

 

「ははっ、やるなぁ田中。確認が取れたぞ。延空木周辺のカメラを洗った。見てみろ」

 

 たきなたちがおそるおそる画面を覗くと、見覚えのある路地の自販機の横に、並んで立つ田中と真島の姿があった。画質も荒く音声までは拾えないようだが、ジュースを片手に並び立つ姿は敵同士の距離感とは思えない。

 

 クルミはくつくつ笑いながら、

 

「このまま仲良く大団円、なんてな」

「そんな都合の良いことあるわけないでしょう。まったく、田中? 相手に戦意がなくても、敵と談笑なんて非常識ですよ」

「はーい。あ、今千束先輩が目、逸らしたのです」

「ぎくっ」

「千束? もしかして千束まで……?」

「ちょ、ちょいちょい! 私まで巻き込まないでくれますぅー?」

 

 たきなはなんだか頭が痛くなってきた。

 

 とりあえず田中のフリーダムな動きはある程度仕方ないので、釘を差せるほうに差しておくことにする。

 

「千束。私からの電話は必ず三コール以内に出てください。出ない場合は危険と判断して次のワンギリですぐに向かう通知とします! 嫌ならすぐ出るように」

「お、おう。つまりどこにいても来てくれんの!?」

「それと他のセーフハウスに移ってくださいね。あと田中はスマホをちゃんと携帯してください普通に不便です」

「えーあそこ一番気に入ってんのにー」

「また遊びに行きますから。田中は聞いてますか?」

「カルピスおいしい」

「ほんとー!? 同棲!?」

 

 目をキラキラさせる千束の横で、田中はこくこく無心にカルピスを傾けている。たきなはむっとして缶を取り上げ、田中が「んあー!」と情けない声をあげた。

 

 その様子をクルミとミズキがニヤニヤして見守っている。

 

「二人同時に相手するとは……やるなあ、たきな」

「あんたほんとにセカンドかよ」

 

 取り急ぎ今日の健診は明日済ませることを千束に約束させ、たきなは仕事に戻る。

 

 そして翌日の健診で、たきなは知った。

 

 千束の余命が、もう長くないことを。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 がしゃん、とガラスの破砕音。それに何か柔らかなものが落下するような低い音が続いた。

 

「……?」

 

 山岸医院の玄関へ駆込もうとしていたたきなは怪訝に眉をひそめ、足を止める。数瞬を思考に費やし、音のした方向へ走る。

 

 たきなは千束の身を案じてここへ来た。昨日キャンセルされた健診へ今日行くはずだった千束だが、またも電話に出ない。真島襲来の件もあり、昨晩決めた取り決めの通り緊急事態と判断。取り急ぎ愛銃に初弾を装填しセーフティをかけた状態で、健診が行われる医院までやってきたのだ。

 

 あの破砕音は戦闘で生じたものではないか。真島や真島の一派がまた仕掛けてきたのではないか。焦燥に駆られ、たきなは医院の裏手へ回り込む。

 

「ぐ……なぜ……」

 

 はたしてそこにいたのは、苦悶の声を上げ窓を見上げる看護士の女性だった。体の片側はガラス片でズタズタに裂かれ、片方の腕があらぬ方向に曲がっている。交通事故に巻き込まれたような有様だが、服装と壊れた窓を見るに医院から落ちてきたようだ。

 

 たきなはあわよくば情報を得ようと、負傷した看護士へ近づいていく。

 

「大丈夫ですか? 何があったんですか?」

「ちっ……!」

「ちょっと、ケガを──」

 

 しかし看護士はたきなを見るなり舌打ちを漏らし、思いがけず機敏な動きで走り出す。困惑するうちに道の角を曲がり、姿が見えなくなった。

 

 訳が分からないが、考えるのは後だ。今は千束の安全確認が最優先と判断し、たきなは医院の表へ回り、中へ。

 

 千束の姿を求め一室ずつ見ていくと、すぐに異常な部屋が見つかった。出入り口の扉の取っ手と鍵の部分に、巨大な爪痕のような切断痕が斜めに走っている。

 

「千束っ! と、田中、山岸先生?」

「先生、先輩は何されたのです!」

「今診てるから待つのよ!」

 

 千束はその部屋で、手術着の前をはだけた状態で手術台に寝かされ、胸に電極のようなものを装着されていた。それを囲むように田中と医院の主、山岸が険しい顔で何かを言い合っている。部屋の窓は破壊されており、先程の看護士はこの部屋から落ちたものと思われる。

 

 三人へ近づいていくと、それに気づいた田中が涙目で縋ってくる。

 

「千束先輩が襲われました! 結社のエージェントにっ!」

「なっ」

 

 また妄想をこじらせて、とはたきなには思えなかった。

 

 田中のただならぬ剣幕と、目の前の千束の状態があるからだ。並みのテロリストならダース単位で制圧できるファーストの千束が、ぐったりと横たわって胸に電極を刺されている。その下に機械じかけの心臓が稼働していることを考えると、不吉な連想をせずにはいられない。

 

「誰か手を貸して!」

 

 山岸が声を上げると、スタッフが駆けつけ、指示を受けながら千束の体を担架に乗せて運んでいく。

 

 追おうとしたたきなと田中だが、山岸が制止した。それから口早に、千束が眠剤を注射され眠っていてじきに目覚めること、人工心臓の件は今から調べることを言い置いて、たきなと田中を待合室へ追いやった。

 

 待合室のベンチでそわそわしながら、たきなはリコリコへ連絡を入れる。千束が何者かに襲われ意識不明。すぐさまミズキが運転する車でミカとクルミが飛んできた。

 

「千束の容態は!?」

「分かりません。ですが心臓に何かされた可能性があります」

 

 顔を見せるなり声を荒げるミカに、たきなは感情を押し殺した声で答えた。ミカは真っ青になり、待合のベンチにどっかり腰を下ろす。険しい顔でクルミとミズキも腰をかけ、リコリコメンバー勢揃いで山岸の診察を待つ。

 

 重苦しい沈黙の中、クルミが苛立たしげにつま先をぱたつかせる音だけが響く。

 

 数時間にも思える時間が過ぎ、建物に西日が差し出した頃、ようやく山岸が待合室へ顔を出した。

 

「勢揃いね」

「千束は!?」

「大丈夫よ。心臓に細工された形跡はないわ。詳しく話すからついて来なさいよ」

 

 詰め寄るたきなとミカをなだめつつ、山岸は「こっち」と歩き出す。

 

 案内された先は病室だった。ベッドに千束が寝かされている。外傷はなく血色も良い。至って健康に見えた。ベッドサイドには電極とケーブルのはみ出たアタッシュケースのようなものが置かれている。

 

 たまらずベッドの傍へ、たきなとミカが駆け寄る。

 

「千束……!」

「だからすぐに目覚めるってよ。それより問題はこっち」

「これは?」

 

 山岸がアタッシュケースを指差すと、クルミが訝しげに電極ケーブルを見やる。

 

「千束を襲った女が残していったものよ。うちにあるのとよく似た人工心臓用の充電デバイス。だけどそれはリミッターが外されてる。使えば急激な高電圧による過充電で充電ができなくなるか、最悪破壊されていたわ」

 

 絶句するたきなたちへ、山岸は冷静に続けた。最近になって派遣された新人の看護士が、山岸に断りなく千束の健診を行い、ビタミン剤の注射を装って眠剤を投入。千束に充電器を装着し、あわや心臓を壊す寸前だったと。

 

 つまり危ない橋を渡ったものの、千束は無事らしい。たきなたちの張り詰めた表情が徐々に緩んでいく。

 

「山岸先生が止めてくれたんですね」

「違うわよ。ちょっとそこのヒーロー、何をさっきから黙ってんのよ」

「……」

「田中?」

 

 その場の全員の視線が、一点に集中した。

 

 待合室でもこの場でも一言も発さず、焦点の合わない目で虚空を見つめる茶髪おさげの少女。田中である。

 

「急に『巨悪が匂い立つ』とか言ってよ、今日は使わない予定の部屋に飛んでったのよ。そしたら部屋の鍵ぶった切って、中にいた女を外に蹴り飛ばしてよ。その子がいなきゃ危なかったかもね」

「マジかよ、お手柄だな田中ァ!」

「お前は千束を助けたんだ。えらいぞ田中」

「……」

 

 ミズキに背中をバシバシされ、背伸びしたクルミに頭をナデナデされる田中。

 

 一方、たきなは忸怩たる思いだった。話を聞くに、あの走り去った看護士の女こそ千束を狙った犯人に間違いない。あの時点では引き金を引くに足る理由はなかったものの、せめて不審人物として捕えておけばと思わずにはいられない。

 

 とはいえ、田中は確かにお手柄だ。悔やむのは先送りにして、たきなも田中の頭に手を伸ばし──ふと気づいた。

 

「田中はここで何を? 今日は定休日でしたよね?」

「……」

「おーい、田中?」

 

 クルミが田中の顔の前で手を振る。ミズキが田中の尻を叩いた。

 

 何度かそうしていると、少しずつ田中の目に光が戻ってきた。

 

「ん……えっ? あ、はい。当然です。ただでさえ短い先輩の命を、もっと短くするなんて非道は許せるはずもなく──」

「田中っ!」

「えっえっ、み、ミカ先生?」

「ただでさえ短い命? どういうことですか?」

 

 ミカの怒声。しかしすでに遅かった。田中はまずいことを口走ったと遅れて気づいたのか、両手で口を抑え顔を青くしている。

 

 大きくため息をつき、頭痛をこらえるように眉間を抑えるミカ。田中の活躍を称える明るい雰囲気は秒で消え去り、通夜のごとく重たい空気が漂う。

 

 山岸とミカは幾度か視線を交わすと、どちらともなくうなずいて、ミカが口を開く。

 

「千束の人工心臓は長くは保たない。せいぜい成人まで……あと二年が限界だ」

 

 千束の余命を知ったたきなは、頭が真っ白になった。

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