思想が強すぎる単独強襲刀剣無双リコリス【完結】 作:難民180301
◇月▼日
色々、あった。ありすぎた。
真島さんがどっか行ったのと、一番大きなことは千束先輩の心臓だ。ミカ先生が吉松さんからもらってきてくれた。これで千束先輩は大丈夫だ。
田中は何一つ成し遂げられなかった。真島さんを送り出すことも、吉松さんを説得することも、リリベルの人たちをごまかすことも、任せられたことを何もできなかった。
やはり田中の結論は正しい。実践のタイミングを慎重に見極めよう。
◇月▼日
素晴らしい事実が判明した。
山岸先生によると、新しい人工心臓は今のより倍以上は長く保つらしい。それだけ時間があれば救世には十分だし、千束先輩のやりたいこともたくさん出来る。もしかすると永久に壊れない心臓が作られて、千束先輩が孫とひ孫と玄孫に囲まれ150歳でたきなに看取られる将来も来るかもしれない。
明るすぎる未来に田中、感無量。
◇月▼日
リコリコは今日から通常営業。
千束先輩は急に未来が広がったのにピンときてないみたいで、難しい顔で考え込んでた。でもたきなと話すとすぐに元気になって、「ワイハでも行くか!」と言い出した。クルミちゃんが旅券を作って、明日の健診が済んだらすぐ出発するらしい。
すごく困った。田中も連れてかれちゃう。
タイミングがどうのこうのと言ってられない。明日やるべきことをやってしまおう。
◇月▼日
クリーナー、お腹の中身、千束先輩の未来、597名の弔い、日の本の先行き。すべてよし。
この田中に出来ることはもはやない。役割は今日で終わり。
田中は田中を成就する。
長生きしてね、千束先輩。
・
・
・
◇月▼日
・・・
ーーー
結果として、真島討伐作戦はすべて丸く収まった。
延空木上層部の非常扉から侵入したたきな、千束、田中の三名は、独断で制御室奪還を試みていた春川フキ率いるアルファ隊と合流。電波制御室を無事奪還し、最強のハッカーウォールナット謹製のUSBを端末へ差し込んで、事件とリコリスのカバーストーリーを公共の電波で流布。リコリスとDAの秘匿は守られ、リリベルは任務の意義を失い撤退していった。
戦いを終えたリコリス一行は、制御室から第二展望台への帰路を歩んでいる。
「あ、あの! 私たきなにずっと言いたいことがあって……ありがとう、あのとき助けてくれて。それと、ごめん」
「何のことですか?」
「えっ?」
道中、突如としてアルファ隊の隊員──蛇ノ目エリカに謝罪されたたきなは、きょとんとして聞き返した。感謝はともかく、謝られる心当たりがなかったからだ。
同じくアルファ隊、乙女サクラが意地悪げに笑う。
「代わりにアンタが追い出されたおかげで、まだDAにいられるんすよ、コイツ」
「ああ、そういうことですか」
たきなは遠い昔のように春のことを思い出す。敵の人質になったエリカを助けるため、たきなは司令を無視して敵を皆殺しにし、その責を問われリコリコへ左遷された。後に組織的な保身も背景にあったと判明したが、そもそもたきなの行動の原因はエリカが人質に取られたことだ。
「司令にちゃんと話すべきだった……」
「たしかに。ひどいやつだ」
「えー!? そうだけど、そうなんだけど!」
左遷直後なら思うところもあったろう。しかし新しい居場所を見つけた今では、声にからかいの色がにじむ。エリカにも伝わったのか、眉をハの字にしつつも肩の荷を下ろして安堵したような表情だ。
気安く話していると、たきなは不意に視線を感じる。
振り返ると、田中がいた。ぼっちだった。
一行の先頭でフキと千束が駄弁り合い、その後ろにたきなたちがいて、田中はしんがりで気配を消していた。警戒しているというより、単に寂しそうに俯いて、とぼとぼ歩いている。
「田中、こっち」
「……うへ」
「えっ」
「うおお!?」
手招きすると、小走りで寄ってくる。その頭を慣れた手付きで撫でるたきな。へにゃりと笑う田中に、エリカ、サクラは慌てて距離を取った。
「た、たきな、危ないよ! その子田中だよ!?」
「そうっすよ、だってそいつ──」
タイミングが良いのか悪いのか、一行は制御室への通路から、第二展望台に差し掛かっていた。
床と展望ガラスは乾いた血液と、未だにぬらぬらと汁気のある臓物に塗れている。死体というより肉塊と呼ぶべき塊が点々と散らばり、その間をリコリスたちが撒き散らした吐瀉物が埋めている。筆舌に尽くし難い猛烈な臭気が鼻をついた。
先頭の千束とフキは顔をしかめ、できるだけ汚れの少ないルートでエレベーターへ向かう。
エリカとサクラはもはや吐くものもないのか、顔を青くして口を抑えるだけだった。
「こ、ここをこんなにしたの、ソイツなんすよ? イカレてますよマジで……」
「まあ、若干やりすぎとは思いますが。田中もちゃんと考えてやってるんです。ですよね、田中」
「……うん」
田中は一つうなずいたきり、俯いてUSBを握りしめ、口を閉じる。強い思想を語る気はないようだ。
ある程度田中の考えを理解しているたきなは、目前の惨状を不気味に思う一方、不思議でもあった。
たきなを含むほとんどのリコリスは、射殺や爆殺された死体を前に取り乱すことはない。なのに田中が斬殺した死体には恐怖する。死体が意味するものは同じ「死」であるはずなのに、どうしてこんなにも印象が違うのか。
思案を切り上げて、たきなは一行を促す。
「早く行きましょう。長居はしたくありません」
「ええ……」
「たきな、たくましくなったんだね……」
地獄のような展望台を踏み越え、エレベーターに到達。千束とフキと合流する。
後は下へ降りて、それぞれDAとリコリコへ帰投するだけだ。一時出向扱いの田中もリコリコでいいだろう。千束が真島に使った多くの非殺傷弾の費用を考えると、たきなはもう頭が痛くなってくる。
「下へ参りまあす。あーっ! 私のバッグ!」
そうしてわずかに気の抜けたタイミングで、エレベーターガールと化した千束が外へ駆け出す。
なぜか、とても不自然なことに、床の汚れていない箇所に横合いからぼとりと、サッチェルバッグが投げ出された。千束はそれを拾い上げ、フキは苛立たしげな声を上げる。
「おい、千束ォ……」
「見て、これ。たきなにもらったやつ!」
バッグには、たきなが贈った犬のキーホルダーが付いている。間違いなく千束のものなのだろう。
しかし旧電波塔で落としたそれがなぜここに。
疑問に思うと同時、銃口がエレベーターに向けられる。
真島だ。無力化し、クリーナーに回収されたはずの真島が、悠々と千束に向けて歩きながらこちらへ銃口を──
銃声とマズルフラッシュ。かと思うと、視界が白く埋め尽くされる。
「くっ……!」
「うわぁ!?」
防弾エアバッグだ。フキが自身のバッグに仕込まれたそれを展開し、フルオートの射撃を防いでいる。初弾と数発は後ろに抜け、サクラが悲鳴を上げた。
扉が閉まり、射撃も止む。ゴンドラが自動で下へ動き出し、千束と真島が取り残された。
「千束ぉっ!」
とっさに開ボタンを連打するも、意味はない。
「全員無事か!」
「っぶな! おいコラ! こんな狭いとこで刃物振り回すなよ!」
「えっ、ごめんなさい」
サクラの前に位置した田中が頭を下げている。手にはマチェットが握られていて、サクラの背後に複数の弾痕が刻まれていた。
エアバッグから逸れた弾を田中が切ったのだろう。
「サクラ。そいつはお前を守ったんだ。ちゃんと礼を言っとけ」
「えっ!?」
サクラは田中を見、背後のガラスを見る。サクラの体を中心に左右へ偶数個の弾痕が散らばっていた。バツが悪そうに口を尖らせるサクラ。
「……助かったっす」
田中はへにゃ、と笑った。
それから間もなくエレベーターが停止し、電力が遮断されたとフキに通信が入る。予備電源でエレベーターは動くものの長くはもたないため、急ぎ下へ撤退するよう指示が下った。
当然、たきなは固辞した。たとえ千束でも、真島を一人で相手取るのはリスクが高い。何しろほんの数時間前、千束の非殺傷弾を体中に撃ち込まれ拘束されたにも関わらずすでに起きて歩いているような男だ。千束なら何とかしてくれると楽観することは到底できなかった。
「好きにしろ」
元よりたきなは喫茶リコリコの指揮下で動いているし、与えられた仕事を終えていた田中もそれは同じだ。フキたちに見送られ、二人はエレベーター上部の脱出口から離脱。縦穴から通風孔を経て非常階段へ這い出し、第二展望台へ駆け上がる。
非常扉に鍵がかかっていたが、障害にはならなかった。
「えい」
ぎゃり、と耳障りな金属音を響かせ、両手持ちしたマチェットで鍵をドアと壁の一部ごと田中が叩き切る。
扉を開いて中へ踏み入ると、そこは勝敗の瀬戸際だった。
吹き抜けに落下していくスマホに、必死に手を伸ばす千束。その背中に銃口を向ける真島。
千束は視界外からの銃撃は避けられない。
考える前に体が動いた。慣れ親しんだウィーバースタンスから、瞬時に狙いをつけ、引き金を絞る。機械のように精密な射撃によって、真島の拳銃が弾き飛ばされた。
「青い方かよ、早かったなァ……!」
「真島さぁん!」
その間にもう、田中は真島に向けて突進していた。身を低く沈め、両手持ちのマチェットを腰だめに構えている。
真島が短機関銃の銃口を向けるが、すでに距離は詰まっている。
田中は突進の勢いそのままに、体を地面と水平にして跳んだ。
「先輩の前なので今はこれでっ!」
ドロップキックだった。体をくの字にして真島が吹っ飛び、吹き抜けに落下する。
展望ガラスは防弾ではなくとも分厚い特別製だ。割れて落下死はしまい。
かと思われたが、がしゃん、と破砕音が響く。
「あーっ! スマホ落ちたぁ!」
「千束、どういうことですか!?」
手すりから吹き抜けを見下ろすと、割れたガラスの穴に千束が手を伸ばし、悲鳴を上げている。スマホが落ちたらしいが、そこまで重要なことか。
「アレないと延空木が爆発するんだって!」
「はあぁ!?」
「おおお落ち着くのです二人とも! クルミちゃんっ、クルえもんに頼めばなんとかなります!」
「クルミっ!」
『無茶言うなよハッキングは魔法じゃないんだぞ!?』
インカムからノイズ混じりの悲鳴が聞こえる。
そのやりとりをあざ笑うように、真島の声が響く。
「ハハッ、あと十秒で時間切れだ。どうにかできるならやってみな」
真島は展望ガラスに張り巡らされた骨組みにしがみついていた。たきなに銃を弾かれた方の手はしびれているのか、片手一本で宙吊りになっている。その下には奈落のような闇が大口を開けていた。
「真島さんっ!」
「真島ぁ!」
田中が吹き抜けに降り立ち、千束と共に真島へ近づいていく。もう片方の手を出せというように手を差し伸べるが、真島は口角を釣り上げ獰猛に笑う。
「じゃあな」
あ、と声を上げる間もなく。
手が骨組みを離れ、真島は奈落へと姿を消した。
事態を受け止めきれず、固まる三人。そうしている間にも時間は流れ、爆破予定時刻となる。
延空木の周囲に、大輪の花火が咲いた。激しく、しかしどこか牧歌的な爆発音が耳に響く。
『……完成セレモニー用の花火を爆弾に見立てていたようだ』
「あんにゃろー……」
爆破を騙ってまで千束と二人きりで、何をしたかったのか。たきなには、真島の真意は図りかねる。
ともあれ、延空木と真島をめぐる一連の事件は、こうして終幕を迎えたのだった。
ーーー
ーーー
喫茶リコリコ、深夜。
もうじきてっぺんを回ろうかという時間帯、店長のミカを除くリコリコメンバーが総出で帰還した。
「ああー疲れた……もう動けん……」
「ち、千束? 大丈夫ですか? まさか心臓がもう……」
「だーっ、普通に疲れただけだっつーの!」
「ボクも疲れた。田中ー、何か甘いものをくれ」
「ぶはーっ、仕事終わりの一杯は格別だわ!」
「クルミちゃんはホットチョコの残りで、ミズキさんのツマミはウインナーでいいですかね?」
「うむ、頼むわ」
真島討伐作戦を終え、やっと帰ってこられた。ミズキがウキウキと一升瓶を取り出し、田中は厨房で甘いものとウインナーを用意して、カウンターへ置く。たきなは千束のそばでおろおろと胸に耳を当てようとしている。
リコリコの日常が戻ってきた。千束は座敷に寝っ転がって、ほっと息をつく。
色々なことがあった。吉松との対立、真島との対決、リコリスの隠蔽とリリベルとの対峙。
真島の計略で全国報道されたリコリスだが、クルミとラジアータの情報操作によって『延空木完成を記念し今冬公開予定の、女子高生たちが延空木内で謎のクリーチャーに遭遇するゴア描写マシマシの新作映画のプロモ映像』だったことにされた。表向きは都の予算でグロ映画を作っていたことになるので、現時点で都庁はクレームでパンク状態になっているらしいが、クルミは「知らん」とにべもない。
その後、千束との戦闘の末延空木から落下した真島だが、結局死体は見つからなかったそうだ。どこまでもしぶとい男である。
真島の真の目的だった「DAによって保たれる平和の破壊」は、阻止された。あの映像が本物だったと気づいている少数の日本人に、疑念の種を植え付けたことで、依頼は達成されたとは本人の談だが、そこまでは千束の与り知らぬことだ。
DAの事後処理が落ち着けば、真島を取り逃がしたことで楠木司令が苦情を入れてくるだろう。目に見えた展開だ。千束の頬が緩む。
「たきな、人前で乳を触るなってば」
「動いているか確認しないといけません」
「耳当てても分かんないでしょー?」
「だから余計に確かめないといけないんです!」
「ちょ、ちょいちょいっ、動くなくすぐったいってぇ!」
たきなとじゃれ合っていると、リコリコの扉が開く。
最後の一人、ミカが帰ってきた。ひどく沈痛な面持ちをしている。片手に杖、もう一方の手にはやけに見覚えのあるケースが──
「せ、先生? それ──」
それは、吉松が持っていた、人工心臓を収めたアタッシュケースだ。
ミカはケースをカウンターに置くと、平坦で、しかしどこか強い感情を押し込めた声音を絞り出す。
「千束。二年後、手術を受けるんだ」
「え、いや、なんで、それ……」
「シンジとは──吉松とは、縁を切った。もう二度と会わない、と約束させた」
リコリコに重たい沈黙が満ち、千束は胸が張り裂けそうな気持ちだった。
ミカは、千束が生き方を自分で選ぶことを良しとした。吉松は、千束が殺しの才能を生かした生き方をするよう望んでいた。きっと二人は対立し、口論になって、その末に心臓を譲り受けたのだろう。
自分のせいで仲違いをさせた。
「千束」
「千束先輩」
目を伏せる千束の両手が、左右から握られる。たきなと田中だ。相棒と後輩のぬくもりを受け、沈んだ心が持ち直す。
「ありがと、たきな、田中」
落ち着いた気持ちで、ミカと向き合った。
「分かった。吉松さんとケンカしてまで、先生が手に入れてくれたんだもん。新しい命、使わせてもらうね」
「……ありがとう」
声を張っているわけではない。むしろ声量は囁き声に近いにも関わらず、その一言の節々から迸る強い思いに、千束たちは圧倒された。一体吉松とどれほどの苛烈な
が、それでも千束の行く末を案じる気持ちだけは、何よりも明瞭に伝わっていた。
「それはこっちのセリフ! ありがとう、先生」
微笑むミカと見つめ合っていると、千束は照れくさくなり、顔を逸らす。
「たきな、たきな!」
「田中、田中っ!」
相棒と後輩が手を取り合って喜んでいる。ミズキはうまそうに一杯飲み干し、クルミはホットチョコを頬張りながら不敵な笑みを浮かべていた。自分よりも周りの方が喜んでいるようで、千束はなおさら照れくさい。
「嬉しそうにしちゃってまあ……そだ、田中。ちょっとそこに立って」
「はい?」
ふと思い出して、千束はスカートのポケットに手を入れる。その中身を田中へ放り投げた。
田中は飛んでくるものを無意識に切る習性がある。千束の目にすら映らない高速でマチェットが振るわれ、それは真っ二つに断ち割られた。
「な、何です今の? あっ、フクロウ!」
「千束、いいんですか?」
あわてて田中が拾い上げたのは、フクロウのチャームだった。アラン機関の支援を受けた証。吉松との唯一のつながり。たきなと田中は目を丸くしていた。
「いいの。ヨシさんとはもう会わない。そうなんでしょ、先生?」
「ああ」
縁を切った、約束させたとミカは言った。千束はその言葉を信じているし、旧電波塔でのやり取りを経て、分かり合えないことは痛いほどに理解できた。
「決別、ってやつ」
吉松との縁はこれで終わり。
田中が守った残り二年と、ミカが勝ち取った新しい命で、千束は新しい人生を歩む。
ーーー
千束の人工心臓のメンテナンスと充電を担当する山岸に、新たなそれを検めてもらうと、大幅に耐久性が向上していることが分かった。従来品の倍以上保つらしい。
そう聞いても千束にはぴんと来ない。あと二年と割り切っていた命が、二十年以上に延長されたことを、どこか他人事のように受け止めていた。
どんな顔をすればいいのか分からない。そんな気持ちが顔に出ていたのか、たきなと田中が左右に寄り添ってきて、口々に言った。
「今まで諦めてきたこと、全部すればいいじゃないですか」
「そうそう。先輩は思うがままに生きる。やりたいこと最優先で」
諦めてきたことを全部、思うがままに。そんなふうにしている自分を想像すると気分が上向いてきて、ウキウキとワクワクが溢れんばかりに湧いてきた。
「ワイハ行くかぁ!」
南国へ喫茶リコリコの出張店舗を開く。現地でカフェと人助けの仕事をやりつつのんびり過ごす。今までのようにやりたいこと最優先で濃密に過ごすのも悪くないけれど、せっかく時間があるのだから、ゆっくり生きてもいいかもしれない。
リコリコメンバーは唐突な提案に戸惑いつつも、全員賛成。クルミが人数分の旅券を確保し、出張の段取りが整っていく。
人工心臓は万が一にも紛失しないよう、地下に新設した堅牢な金庫に安置された。どれほど堅牢かというと、戦車でも破壊できず、田中の両手持ち攻撃でも切れない代物だ。解錠には六桁の暗証番号二つに加え千束とミカの指紋と虹彩認証が必要という徹底ぶり。むしろうっかり開け方を忘れて困りそう、と千束はひそかに思っている。
こうして新たな門出を迎える千束だが、すべて順調とはいかなかった。
「なんだよ田中ァ、行かないの?」
「ちょっとどうしても外せない急用が……すみません。用が済んだら合流します」
「待ってますから」
田中は出発の二日前、同行をキャンセルした。それなら全員合わせるかとクルミが提案するも、「それは申し訳ないので」と強く固辞され、田中以外で先に発つこととなった。
そしてもう一つは、千束の定期健診。現行の人工心臓のメンテナンスと充電に際してだ。
心臓に関することは万事問題なかった。しかしそれとは別に、極めて重大な情報が発覚したのである。
診察室、レントゲン撮影した心臓の状態を山岸が説明していたときのことだ。
「現行の心臓は今のところ健在よ。最長で二年、激しい運動を毎日やっても一年半は確実に保つわよ」
「なかなかしぶといですなぁ、ヨシさん」
「執刀医はそっちで用意してるのよね? 至れり尽くせりじゃない」
「そうなのよー、気が早いっての」
すでに執刀医はクルミが手配しており、向こう二年間のうち必要が生じれば、最優先で千束の手術を執刀する内容で契約しているらしい。千束が生きるために盤石の態勢が整っている。千束からすればちょっと大げさじゃないか、と思わないでもない。
それを聞いた山岸は、ほっと息をついた。
「これでようやく、あの子の無茶振りも落ち着きそうよ」
「あの子って?」
「田中のことよ」
頭が痛そうに眉間をおさえ、長い長いため息をつく。
「あの子はほんっとうに、毎年毎年……何回ひっぱたいてやろうかと思ったか」
「え、何? なんで?」
「『千束先輩に田中の心臓をぶち込むにはどうすればいいのです?』ってよ。しつこく聞いてきてたのよ、あいつ」
絶句している間に、山岸はつらつら語った。
田中は数年前、どこで聞きつけたのかは分からないが、千束の人工心臓のメンテナンスを担当する山岸に相談を持ちかけてきた。今の心臓が耐用年数を迎えた後、自分の心臓を移植するにはどうすればいいか、と。
荒唐無稽な話だった。大前提として移植には移植を受ける患者の合意が必要になる。千束が合意するはずはないので諦めるのよ、と山岸が言うと、
『いざとなったら不意打ちで昏倒させるからじごしょーだくでおっけーです!』
と田中は答えた。
百歩、いや千歩譲って事後承諾だとしても、心臓のドナーになりうるのは脳死判定を受けた患者だけで、生体移植などありえないと反論すると、
『田中はどこをどう刺せば人が死んだり生きたりするか知っています。その気になれば、意図的に脳だけを死なせることもできるのです!』
と、答えた。つまりいざとなれば、自傷によって脳にダメージを与え、無理やりにでもドナーになると。
「追い返したのよ、そんときは。医者をナメんなって言ってよ。そしたら次の年も同じ話をしにきて、その次も……まあ根負けよ」
山岸は、田中に心臓移植に関する簡単な教えを授けた。実際の事例、脳死判定の詳細、費用。言うことを事細かに、前のめりになってメモを取る姿勢に山岸は絆された。医院で出来る範囲の適合条件をテストし、田中の心臓はドナーとしての医学的諸条件を満たすことが分かった。
それを契機に、田中の計画──本人いわく「千束先輩に心臓をぶち込む最高で完璧な計画」は具体性を帯びていった。去年の千束の誕生日以降、DAの楠木司令にも相談。腕のいい医者と設備の整った病院を手配できないかと持ちかけ、「前向きに検討」の一言で躱されていた。
十一月前後には、必要な費用が用意できた、と連絡があった。移植は国外で行えば数億はくだらないが、国内でドナーが見つかれば数百万で済む。リコリコの余剰資金と田中の給金を合わせれば足りる額で、もし足りないなら『何でもして』補う、と田中は意気込んでいた。
が、金とドナーを用意しても、患者の合意と生体移植の壁は超えられない。
その点をいかにクリアするかと悩んでいた折、真島事件が発生。
様々ないきさつで人工心臓が手に入り、千束は今後数十年は元気に過ごせる。田中のはなから無謀な計画は完全に頓挫したため、山岸も心置きなくネタバラシ出来たのだという。
千束はゆっくり、じっくりと後輩の考えを受け止めていく。
「ふーん、なるほど……私が襲われた日、医院に居たのも?」
「そ、口説かれてたのよ。事後承諾で生体移植してくれるブラックジャックを紹介して、ってよ。アホかって話よ」
「ほっほーう」
千束の声が一段、低くなった。
山岸の言うとおり、田中の計画は荒唐無稽で無理無茶無謀でアホそのものだ。
それでも千束には、田中が微塵の疑いもためらいもなく、百パーセント本気で動いていたことが分かった。正しいと思えば一直線、やりたいこと最優先の千束をしてちょっとは落ち着いて考えろ、と思わざるを得ない暴走特急の後輩。悪気なく、先輩をただ助けたいからと必死だったのだろう。
だからこそ、千束は田中が腹立たしい。自己犠牲を本気で企んでいたことが。
「田中ァ……!」
ハワイ行きをキャンセルした理由も分かった。計画が立ち消えて口が軽くなった山岸から今日話が漏れ、千束が怒ると考えたのだろう。つまり、田中は怒られたくなくて逃げているのだ。
怒る理由が増えた。
「あの子、私が怒っても聞かないのよ。一回お灸を据えといてくれる?」
「おまかせあれ」
悪い笑みの山岸と結託し、千束は困った後輩への怒りを研ぎ澄ませる。とりあえず、出会い頭に組伏せてお尻百たたき、と心に決めた。
その決意を胸に、ミズキの車で店へ舞い戻る。
だがしかし、田中の逃げ足は速かった。
「お待たせしましたぁー! みんなの千束ちゃんが帰ってきましたよー! そして田中ァ! 隠れてないで出てこいやぁ!」
「あっ、千束ちゃん。おかえり」
「おかえりなさい!」
「おかえり。田中ちゃんはまた何かやらかしたのかい?」
愛しいリコリコへ帰りつき、ぶっ壊す勢いで扉を開けると、常連客たちが歓迎してくれる。ミカもにっこりとほほえみ、付き添いのたきなも嬉しげで、ミズキもうるさそうにしながら笑っている。
しかし田中の姿はどこにもない。クルミもいないが、この時間ならまだ寝ているのだろう。
「たっだいまー!」
常連たちへ一人ひとり絡んでいく。
ひとしきり店内を駆け回ると、手でひさしを作り、中二階から肝心のターゲットを探しにかかる。
「で? 田中の小娘はどこに隠れてんのかなー?」
「ああ、田中なら今朝早くに出かけたみたいですよ。例の急用でしょう」
「は?」
逃げやがった。
百叩きじゃすまさねえぞと決意を新たにしていると、たきなにも言うべきことがあると思い至る。奥の座敷、クルミの押し入れがあるスペースに連れ込んで、声をひそめる。
「たきな。何か謝んなきゃいけないことあるよね?」
「……え? 何の話ですか?」
白を切るたきなに、良い笑顔で千束が迫る。
「田中の心臓、私に入れるつもりだったんでしょ?」
思い出すのは旧電波塔で、退いていく吉松を追撃しようとしたたきなに、田中が長い耳打ちをしていたこと。おそらく田中はあのとき自身の計画を打ち明け、千束が助かるならとたきなは納得したのだろう。
だとすれば千束は気分が悪い。計画の強引さもそうだが、何より田中を犠牲にすることにたきなが納得したのだとしたら、甚だ腹立たしい。
犯人を追い詰める探偵のように説明していく。すると、次第にたきなの顔から表情が消え、般若もかくやな形相に変じる。
「なんですか、それ」
「た、たきなさん? もしかしなくても、怒ってます?」
「当たり前ですっ! そんな無茶苦茶な計画聞いてません! ていうか千束は、私がそんなのに賛成したと思ってたんですか! ふざけないでください、田中と千束のどっちかなんて選べるわけないでしょう!」
「そ、そっか……じゃあ、あのとき田中はなんて言ってたの?」
田中の計画は本当に知らなかったらしい。怒り心頭のたきなの声は客席にまで届き、常連客たちが目を丸くしていた。
だとすればあの耳打ちはなんだったのかと聞くと、
「楠木司令と山岸先生のコネで、心臓のドナーと医者とお金はもう全部用意してあるから、安心しろって……千束が移植に合意する見通しも立ってるからって……他でもない田中が言うから、信じたんです……」
千束の怒りゲージが一段階上がった。
つまり田中は例のアホな計画のうち、もっとも重大な部分をボカシて伝えたのだ。すなわち、ドナーとは田中であることを。
千束とたきなはしばし見つめ合うと、固く手を取り合った。二人の心は、あの田中とかいう困った生き物をお仕置きしたい一念で完全に一致している。
たきなの怒声が効いたのか、押し入れが開いてクルミが起きてきた。寝起きのぼさぼさ頭だが、目つきは鋭く、手元の小さな何かを睨みつけている。千束とたきなはそれを認め、目を見張る。
「クルミ、おはよー」
「……ああ、おはよう千束、たきな」
「おはようございます。それ、田中のですよね。なぜクルミが?」
「分からん。今起きたら枕元に、書き置きと一緒に置いてあった」
クルミが持っているのは、メモ用紙と黒い円筒形のUSBだった。
それと共にクルミが差し出してきたメモ用紙を見ると──千束は言葉を失った。驚愕のあまり何も言えなくなる。
『このデータを悪くないように扱ってください。お手数ですが、どうかよろしくお願いします』
「あいつはこういうことをするヤツだったか?」
「ううん、ない。絶対ない」
田中は死人を忘れない。それを記録したUSBは、防水をしっかりしているからといって風呂場にも持ち込むほど大切にしている。相手がクルミとはいえ、他人に渡すはずがない。
「あいつは今朝ここを出たんだよね?」
「は、はい。三時間ほど前です」
「待って……あーもう、スマホ通じないし! もしもしフキ?」
スマホですぐに連絡を取るも、電源が入っていないらしい。矢継ぎ早にDA本部の友人、フキに連絡する。
「そっちに田中行ってない?」
『あ? 来てるわけないだろ。居れば騒ぎになってすぐ分かるからな。何なんだ突然──』
「ごめんっ、緊急事態っぽいから後で!」
通話を切る。
リコリコメンバーはミカをカウンターへ残して、後の四人は奥へ集合。顔を突き合わせる。
「うちのペットが逃げたんだけど!」
田中は失踪した。
ーーー
同時刻、都内某所、廃ビルの一室。
田中はむき出しの荒れたコンクリート上に正座し、下着姿になっていた。傍らにリコリスの赤服が丁寧に折りたたまれており、正面には愛用のマチェット、太郎と次郎が抜身で置かれていた。
「クリーナー、よし。USB、よし。お腹の中身、よし。千束先輩の将来、よし。日の本の太平、よし!」
日記帳を開き、丁寧な指差し確認。それが済むと服の上に日記を置いて、太郎と次郎を逆手に持ち、切っ先を腹部に向ける。
やるべきことはすべて終わった。後は使命を果たすだけだ。
日の本を太平へ導く本当の道を見つけた田中に、葛藤や躊躇は欠片もない。気分は晴れ晴れとして、世界のあらゆるものが尊く輝いて見える。自身の行動がもたらすバラ色の未来が目に浮かぶようだ。
「痛ましかれかし、惨かれかし」
慣れ親しんだ言葉を最期に言い遺し。
田中は切腹した。