浮遊感。
暗がりの中、どこまでも落ちていく。
テフラは歯を食いしばって、落ちる時の衝撃に備える。
そして。
「い、っでぇ! イタタ……。ぶ、無事かサキ」
「て、テフラ兄ちゃん? う、うん」
尻と背中から地面に叩きつけられるように転がって、激痛に身悶えた。
訳がわかっていない様子で目をパチクリとさせているサキは、しっかりとテフラに庇われたようで無傷だった。
とりあえず、サキを立ち上がらせたテフラは周囲の確認をした。
「……なんだ、ここ?」
後ろは、行き止まりの通路。
目の前には一本続く、ダンジョン特有の狭い道。
ただ、今までとダンジョンの雰囲気が様変わりしていた。
不安げに周囲を見回すサキが腰の服を掴むのに構わず、テフラは疑問を呟く。
先ほどまで木々に覆われていた天井が、青い光の線が走る岩の天井に変わっていた。
シダの生えていた湿った壁と地面は、つるりとした質感の金属に。
そして、テフラたちが降り立った横の壁には不思議な紋様があった。
ニシキの村で使われている魔除け紋に少々似ているそれは、不思議な青い輝きを見せてテフラたちを照らしている。
ダンジョンにはダンジョンのタイプというものがある。
基本的に最初から最後までダンジョンの内装は同じである。こんな風に、急に変わる事はなど起きないはずなのだ。
だが、テフラ達の目の前には確実に先ほどと雰囲気が違うダンジョンが広がっている。
どういう事だ? テフラは頭を悩ませる。
少なくとも、村の周囲のダンジョンは天井が木々に覆われた場所である。
こんな不思議なダンジョンを見たことも聞いたことがなかった。
『落とし穴』に落ちて、見事に帰還したことのある村の経験者に教えてもらった覚えもない。
宴会の席で聞いた様々な武勇伝でも覚えのない現象。
テフラはラカブのおっさんが居れば、この原因が分かったのかなと臍を噛む。
そして、道中で零していた言葉を思い出す。
「……これがおっさんの言ってた森の異変ってやつか?」
「あの、テフラ兄ちゃん。ごめんなさいなのです……」
思考に耽っていたテフラは、サキが涙目になっていることに気がついて慌てて宥める。
ようやく村で指導されていた、特に注意するべき『落とし穴の罠』に掛かったということに理解が及んできたようだ。
「お、おう? まぁ次から気をつけな? 一人でこの謎のダンジョンを攻略しないと行けないところだったからな」
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「ああー! 泣くな泣くな。大丈夫だから!」
ぐしゃぐしゃとサラサラとした金髪を乱雑に撫でた。
そうしてから、緑色の炎が揺らめく『帰還の洋燈』をポンポンと叩いて見せ、安心させるようににっこり笑って、視線を合わせる。
「でも、今回は平気だぞー。帰ろうと思えばいつでも帰れるからな。ラカブのおっさんに関しても平気だ。ダンジョン内で拾った奴をイッサが持っているからな」
だが、再びサキは顔を歪め涙をこぼして俯いてしまう。
「イッサにも、ごめんなさいしないとなのです……」
「?」
「せっかく、一緒に見つけたアイテムを使わせてしまうのです」
「あ! あー」
ようやくテフラは理解が及ぶ。
どうやらサキは、双子のイッサと見つけた『帰還の洋燈』を使わせることに罪悪感を感じているようだ。
「アイテムは使ってこそ意義があるって俺の親父とかラカブのおっさんも言ってるし、ほら……」
「ふぐっ……ぐずっ……」
「…………まぁそう言ってもあれだよな。嫌だよなぁ」
泣き止まないサキに、テフラは自身の頭を掻いて考える。
そして。
「しゃあねぇなぁ。……ほら、サキ行くぞ」
「……? ぐずっ、帰らない、のです……?」
現状は緊急事態である。すぐに『帰還の洋燈』を使うと思っていたサキは、テフラの言葉に涙をこぼしながら首を傾げる。
その様子にテフラはいたずらに笑って、サキの口の前に人差し指を立てた。
「少し探検して、いいアイテム見つけてビックリさせようぜ! なぁに、見つからなかったらすぐ帰ればいいさ」
「でも、わっ」
「ほら、行くぜー! ……何か嫌な感じもするしな」
「?」
テフラは有無を言わせず、サキの手を引いてダンジョンを歩き出す。
サキはそんなテフラの背中を見上げて、涙を拭きながらついていくのだった。
誰もいなくなった通路。
探索を決めたテフラであったが、実は『帰還の洋燈』をすぐに使うつもりだった。
しかし、一度手に取り、やめた。
なぜか嫌な予感がずっとしていたのだ。
虫の知らせのように、それはやめるべきだと直感が告げていた。
テフラ自身よくわからない感覚で迷ったが、サキのこともあったので進むことにしたのだ。
二人の横にあった壁の紋様が蠢く。
光が纏まり、形を変えていく。
それは人間の眼のような形になり。
────静かに二人の行方を眺めていた。
◇
通路が続いている。
真っ直ぐに、曲がり道や脇道なども存在しない道のり。
その中を、テフラとサキは手を繋ぎながらゆっくり歩いていく。
そして、分かれ道が視えてきた。
ものの見事に右と左の分かれ道だ。
「……モンスターの気配がしない」
テフラは首を傾げる。こんなこともあるのか? と不思議に思っているのだ。
分かれ道の場所で、そっと首を出し左右を確認して……息を呑んだ。
「まじか!? やったぜサキ!」
「?」
「こいつはすげぇや!」
左は、奥にほのかに謎の緑色の光が溢れる回廊に見えた。どこか神秘的な道。
普段であれば、気を惹かれる道筋だった。
だが、テフラにそちらに進む気は一切湧き上がらなかった。
なぜなら。
──右に黄金の光が溢れていたから。
黄金に輝く広間があった。
遠目に見ても、豪奢な宝箱や金塊や宝石が地面に散りばめられ、溢れかえっている。
欲に目が眩み、テフラは黄金の広間へ飛び出しそうになる。
その瞬間。
「あっ、だ、だめなのです!!!」
「どわっ!? ぐ、ぐぉぉ……」
ぐっ!!! と先んじたテフラの片足をサキが引っ張る。
テフラはツンのめって地面に倒れ、顎を強かに地面に打ちつけた。
一瞬白目を剥き、ものすごく痛そうに地面をのたうち回る。
「な、なんだぁ?」
「さっきの私とイッサみたいに、飛び出すのはダメなのです……」
ぞわり。
サキに指摘されて、テフラの背筋に悪寒が走る。
確かに今の行動は短絡的だったかもしれない。普段の自分は、こんな注意なしに飛び出すことをするだろうか? 黄金の魔力って怖い、テフラはそう思った。
慎重になったテフラは目先にある、金銀財宝輝く部屋をもう一度よく見る。
罠とかがなければ、問題ないと思って黄金を手に入れようと考えたのだ。
視界の中に、特に問題はなかった。であれば、と思って後ろにいるサキを振り返ろうと──。
「……サキ、ありがとう。あっちにいくのはやめとこう」
「何かあったのです……?」
「分からない。でも、目が──」
ちりちりと、テフラの体が総毛立つ。
「──目が離せないんだ」
体が固定されたように。
首が動かせない。
瞳が動かせない。
瞼を閉じれない。
手と足だけが前に進めと疼いてくる。
まるで、こっちに来いと黄金に言われている気がする。
気を抜いたら、這ってでも向こうに体が進みがっているのだ。
「サキ、俺を後ろに引っ張れ。頼む、急げ」
「う、うんなのです」
先ほどの分かれ道へと地面をずりずり引き摺られて、テフラの視界から黄金の輝きが消えた。
ゼッ、と肺に溜まった息がテフラの口から漏れた。
大きく瞬きをすると、乾いた目が染みる。
どっと全身から汗が流れ出る。
「っぶねぇ……。こんな罠聞いたことないぞ。あっちに行ったら一体どうなってたんだ?」
「ねぇ、テフラ兄ちゃん……」
不安げにサキが何か言いたそうにテフラを見つめた。
テフラは察して、頷いた。
「……ああ、帰ろう」
「うん」
こんな何が起きているか分からないダンジョン、先ほどの嫌な予感を振り切って、すぐにでも脱出するべきだと考えたのだ。
テフラは腰から『帰還の洋燈』を取り外そうとして──、
テフラとサキを見つめる、壁の瞳と視線が重なった。
反射。
木盾で壁を殴りつける!
「──いッ!?」
ばきんっ!! 頑丈に作られているはずの、木盾が一瞬で砕け散った。ただダンジョンの壁を殴ったってこんな風になることはまずあり得ない。
木盾の破片が舞う中、テフラは見る。
壁の瞳がニヤリと邪悪に笑うように形を変えた。
「サキ、逃げんぞ!! 捕まってろ!」
「ど、どうしたので、わっ!? テフラにいちゃ……!??!」
やばい。
テフラは本能的にそう思い、状況について行けていないサキを俵のように担ぎ上げ、本気で走る!
右の黄金側ではなく、左の緑色の光が見えた方へと駆け出す。
罠があるかどうかなど考えている暇はなかった。
なぜなら。
後ろから、光の瞳が。
光の瞳の持ち主が、ずるりと壁から這い出てきているから。
「ひっ」
担がれたサキが小さく悲鳴をあげる。
ずるり、音を立てながら壁から得体の知れない黒影の化け物が実体化してくる。
ドス黒い百足のような胴体。
足に当たる部分は、大量の黒影の人間の手。
頭頂部に一噛みで人間などひき肉に変えてしまうギザギザの乱杭歯。
そして何よりも恐ろしいのは、青く光る人を模した一対の瞳だ。
その瞳には、知性があった。
イヤらしく狂気を孕む、テフラ達の恐怖を楽しむ知性があった。
真っ向からそれを目撃したサキが、自身の恐怖の限界を超える。
「ぁ……。…………」
「おいサキ!? サキ、まさか気を失ったのか! くそっ……!?」
テフラ、一瞬の思考。
歯を食いしばって、躊躇する心をねじ伏せ。
走り出した慣性を殺さず、その場で前に跳びながら、片腕を素早く振るう!!
────サキと同じ年頃の時から愛用してきた手斧を、黒影の化け物に投擲する!
わずかでも隙ができればそれでいい。その間に『帰還の洋燈』を使って脱出してみせると、神経を集中させる。
だが、結果は。
木盾と同じく黒影の化け物に触れた瞬間、手斧の方がバラバラに爆ぜる。一瞬の怯みもなく、黒影の化け物はテフラに迫ってくる!
愛用した武器の無惨な姿にわずかに動揺するが、歯を食いしばって再び逃げることに専念する。『帰還の洋燈』を使う隙はできなかった。
体は軽くなったと、前向きに思考を向ける!
「ちくしょう……!」
絶対に勝てない。
アレには勝てない。
『掃除人』と同じ類の化物だ!
逃げなければ死ぬ!
テフラ達の生存本能が、そう訴えてくる!
逃げ込んだ先。
緑光を放つ場所は、長い巨大な回廊の作りになっていた。
そこを一心不乱に駆け抜けるテフラ。
そんな彼に気がつけというのは酷だろうが、その回廊には謎の壁画が描かれていた。
森が描かれていた。
その森を見下ろす巨大な尾根があった。
尾根の上に黒い砦があり。
そして。
尾根の砦の向こう。
巨大なカルデラ湖の中心には。
白銀に輝く美しい城が描かれ。
城を喰らう、巨大な黒い百足の姿があった。
一番最後に、空からそれを見つめる美しい女性が涙をこぼしていた。
だが、そんな壁画に目もくれずテフラは一心に走る。
目の前にあった宝箱だろうと蹴り飛ばしながら、一心不乱に逃げる!
背後からは不快な音、哄笑。
地響きのような足音。
黒影の化け物がけたたましい笑い声を上げながら迫ってきている!
後ろを振り返ることもせず、気絶したサキを担いでテフラは逃げる。
息を切らしそうになりながら、脇腹の痛みに苦しみながら。
そんな絶望的な状況で、テフラは。
──────ニヤリと強がりに笑う。
「へっへへ! 俺はニシキ村で一番ツイてる男テフラだぜ!」
緑光煌めく回廊の一番奥。
そこに、今一番欲していた物。
────階層を移動するための階段が見えた!
謎の黒影の怪物が、背中間近に迫っていることを感じながら。
テフラは足に最後の力を込めて、
叫び、跳ぶ!!
「尾根の神よッ!」
跳んだ先の階段。
アレがもしも幻影であれば、もう逃げ場はない。
ダンジョンでありがちな、悪辣な絶望。
ダンジョンでよく聞く話。
それでも、すでに跳んだテフラは笑う。
なぜなら。
ここは神々の娯楽劇場!
絶望的な状況で、人間の愛と知恵と勇気。
それを神々が鑑賞し、楽しむ幻想の世界!
どのみち人間のテフラに選択肢などない!!
「我らが村を見守る神よッ!」
肩に担いでいたサキを再び自分の胸に庇うように抱きしめ、
跳んだ体が、階段に触れる──。
「いざ、照覧あれぇッ!!」
結果は。
「あだっ!? んがっ!? イダダダダダダ!?」
────ちゃんと存在した階段を、ゴロゴロと転げ落ちていくのであった。
◇
人間のいなくなった階層。
黒影の化け物は先ほどの緑色が輝く回廊でトグロを巻く。
緑光が、徐々に青い光に染まっていく。
それは黒影の化け物の瞳と同じ色。
先ほどテフラが見向きも出来なかった壁画が、徐々に青に侵食される。
壁画が青色に虫食いされて、消えていく。
ギチギチ、ギッギッギ。
不快な音で、黒影な化け物が嗤った。
そして。
壁画の全てが青に飲み込まれそうになった瞬間。
唐突に『掃除人』が現れ、黒影の化け物を大鎌で細切れにした。
一瞬で血濡れのように真っ赤に染まるダンジョン。
ニシキ村の魔除けの紋様のような青の滲みがぶち撒けられ、『掃除人』が踏み躙る。
そして、青い染みは恨めしげな目を作ると、どこかへと溶けるように消えていく。
緑から青へ、そして唐突に赤に染まった壁は、再び緑へと色を変えていく。
消えたはずの壁画が、徐々に修復されていった。
『掃除人』が血糊を払うように、その場で大鎌をくるくると回す。
そして。
ガンッ! と大鎌を地面に打ち据え。
階段があった場所。
テフラが逃げ延びた場所を見て。
『