「えへへ〜♪ 倉沢くんの背中〜♪ ギュー♪」
酔っ払いのアホがいた。俺の背中に。しかもこれ、会社の上司。めっちゃ…というわけじゃないけど、地味に重い。
「あ〜!今、人のこと重いって思ったでしょ!女の子にそういうこと言っちゃいけません!分かった⁉︎」
人の心を読むな。あと女の子って歳でもないだろうに…なぜこうなったかは、数時間前に遡る…
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その日は休日で、俺は居酒屋で一人飲みを楽しんでいた。元々酒は強い方だったし、二、三軒ハシゴしてもそこそこ余裕はあるほどだった。
俺がこの時いた居酒屋はいわゆる穴場というやつで、休日にも関わらず人はそこまで入っているわけでもなかった。
居酒屋なのに、静かな雰囲気で酒を楽しめるという理由から俺はちょくちょくここを利用していた。
そんな感じで、一人で酒をちびちび飲んでいると、隣に誰か座ってきた。他に席空いてんのになんでわざわざ俺の隣に…と思ってチラッと視線を向けるとそこにいたのは、俺の会社の上司だった。
「倉沢くん。隣、いい?もう座っちゃったけど」
「あ、島池さん。お疲れ様です。いいですけど、なんでここに…?」
「なんとなく飲みたくなって…ここ、前から知ってはいたんだけど、入ったことないからせっかくだと思って」
俺の上司ーー島池さんは物静かな人で、あまり人と喋らない。同僚とも事務的な会話くらいしかしてなかったように思う。
もちろん、俺に対してもプライベート的な話というものは一切したことがない。
そんな人が、わざわざ俺の隣に座って話しかけてくるなんて意外だなと驚きつつ、ちょっとした優越感も味わっていた。
端的に言うと、島池さんは美人なのである。
遠くから見ていると、どんな仕草も絵になるような人で、デスクワーク中にロングの髪をかき上げる仕草を見たときなどは、年甲斐もなくドキッとしたものだ。
だから俺は内心、テンションが上がっていた。上司とはいえ、こういう綺麗な人とプライベートでお近づきになるのは、やぶさかではない…むしろ大歓迎だった。
そんなことを考えてるうちに、島池さんが頼んだビールが運ばれてきて、彼女と乾杯することになった。
「今日は休日だけど…お疲れ様」
「あ、お疲れ様です」
島池さんがビールをあおる。その姿を見て、ちょっと色っぽく感じてしまった。いかん、こんな下卑た視線を向けると気づかれるかも…
「倉沢くんもここでよく飲むの?」
「あぁ、いえ。俺はたまにですよ。いっつも飲みにきてるわけじゃないです」
そうなんだ、と呟きながらまた一口、ジョッキに口をつける島池さん。
「でも偶然だね。一人で飲みにきたら、まさか部下がいるなんて」
「あ、はい。すごい偶然ですね。俺も上司が来るなんて思ってもみませんでした」
俺は当たり障りのない返事をする。客観的に見て俺自身、変にキョドってないかすごく気になる。
「そう…一人で楽しんでるとこごめん。邪魔だったら出て行くけど…」
「い、いえ、そんな…!むしろ島池さんみたいな綺麗な人とご一緒できるなんて、光栄の極みです!」
あっ、やっちまった。酔いが回っていたのか、なんか口説いてるようなこと言ってしまったぞ…
「ふふっ…ありがとう。なら遠慮なく、隣で飲ませてもらうね」
俺のそんな口説き文句(?)を特に気にする風でもなく、島池さんはビールを飲み干していく。
内心ではどう思ってるか分からないが、とにかく大人の対応をしてくれて助かった。あんま変なことは口走らないように、気をつけないと…
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…なんて俺の心配は杞憂に終わった。なぜなら…
「倉沢く〜ん、聞いてる〜⁉︎ わたし、全然胸が大きくならないんだけど⁉︎ これってどーいうこと⁉︎」
隣に酔っ払いがいたからだ。というか、島池さんだった。ヤバい。この人、酔っ払うとこんな感じになるのか…
しかも俺が反応しにくい話題ばかりふってくる。一歩間違えれば俺がセクハラ認定される。俺は乾いた笑いを浮かべて適当に誤魔化すしかなかった…
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「えへへ〜♪ 倉沢くんの背中〜♪ ギュー♪」
で、話は冒頭、今現在に至る。控えめで慎ましやかな胸が俺の背中に当たる。おんぶしてるから仕方ないんだけど。
「ね〜、倉沢く〜ん?このまま帰るんでしょ〜?わたしも一緒にお持ち帰りして〜?」
とんでもない爆弾を投げ込んできた。社会的に死ぬ可能性があることは、できる限り避けたいお年頃。
「あ、いえ。ちゃんと家まで送りますよ。それで住所は…?」
「え〜⁉︎ やだやだ!倉沢くんのお家行きたい!お泊まりするのー!」
大人の姿をしたガキがいた。今までこの人に抱いていた憧憬の念のようなものが、俺の中で音を立てて崩れ去っていく…
明日からこの人とどう接すればいいんだろ、俺…
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結局、島池さんは頑として自分の家の場所を口にしなかったので、仕方なくお持ち帰りした。その辺にほっぽり出すわけにもいかんし…
「ん〜!倉沢くんのベッド〜!フカフカ〜!良い匂い!」
この人、ついには人の布団をクンカクンカし始めたぞ(諦め)。おそらく残念な美人とは、こういう人のことを言うのだろう。
「ね〜、倉沢くんも一緒に寝ようよ〜。いいでしょ〜?
ダメでしょ(即答)。今の島池さんはダメだ。頬は上気して、服もはだけてる。端的に言ってエロい。間違いが起きるといけないので、俺はやんわりと断ることにした。
「すみません。俺、ちょっとシャワー浴びてくるんで…」
「む〜…仮にも上司の言うことに逆らう気?君はぁ、あたしの部下なんだからぁ、あたしの言うことを聞かなくちゃいけないの!」
島池さんの口から、上司にあるまじき言葉が飛び出してきた。今さらだけど、酷い酔っぱらいようだ。もう勝手に寝付くまでほっとこ…
…と思った瞬間、急に腕を引っ張られてバランスを崩し、俺はそのままベッドに倒れ込んだ。
「えへへ〜♪ つっかまえた〜♪ あたしの言うことに逆らう君がいけないんだぞ〜?」
え、ちょ、ヤバ…!思ったより力強いんですけど…!ていうか、俺も酔っててあまり力が出ない…!おかしい、俺は酒に強いはずなのに…!
「ね、倉沢くん…今日はあたしの話し相手してくれてありがとね。すっごく楽しかった。会社では誰ともほとんど喋らないからなんか新鮮で…」
…多分、これは島池さんの本音だろう。喋ったと言っても、お互いの近況をボチボチ話した程度だったんだけど。
それでも楽しかったって言ってくれるならまぁ、一緒に飲んだ甲斐はあるってものd……
チュッ。
ん?なんか唇に柔らかいものが当たったような…
「ふふふっ♪ いい子の倉沢くんに、あたしからご褒美あげちゃいましたー♪」
は、え?今のって、もしかしなくてもキ、キス…
「ギュー…今日はこのまま一緒におねんねしましょうね〜…ふふふ♪」
腕をしっかりホールドされ、逃げようにも逃げられなくなってしまった。
いや、それより唇に残る感触が気になって仕方ない。マジか、これ?夢なら早く覚めてほしい。
もう半ばヤケクソで、俺は島池さんを両腕でしっかり抱きしめた。今にして思えば、俺も相当酔っていたんだろう。
「わかりました。今夜はこのまま寝ましょう。絶対、離しませんから…」
「ホント〜?ありがとう…」
しばらくすると、島池さんの寝息が聞こえてきた。それを聞いているうちに、俺の意識も暗闇に落ちていった…
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次に目を覚ました時には朝になっていた。うちの窓は東向きなので、朝日が入ってきていつも眩しい。
「ん〜…もう朝…?まだ寝足りない…」
モゾモゾと隣で動く気配がする。あれ?俺って一人暮らしだよなと思いつつ、隣を見ると、俺の上司もとい島池さんがいた。
あ、え?なんでここに島池さんが…?と一瞬思ったが、俺は昨日の夜のことを瞬時に思い出していた。
……いや、別にやましいことはしてないし。単に同じベッドで隣で寝た(意味浅)だけだし、セーフセーフ。
とりあえずそっと離れようとした時、彼女は目を覚ました。
「……え?あれ?なんで倉沢くんがわたしの家に…?」
脳内で警報がけたたましく鳴る。とりあえず誤解を解かねば。じゃないと最悪、通報される羽目になる。
「あ、えっと、おはようございます…これはですね、色々理由がありまして…」
昨日から今に至るまでの経緯を、俺は覚えてる範囲で懇切丁寧に説明した。
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「ごめん…色々やらかしちゃったみたいで…」
「いえ、お気になさらず。俺も酔ってましたし、おあいこです」
紳士っぽく振る舞うが、多分格好はついてないだろう。俺の両頬には真っ赤な紅葉がついてるはずだから。
「その、昔からお酒を飲むのは好きなんだけど…飲んだ後の記憶があまり残ってなくて」
島池さんは飲むと記憶を無くすタイプらしい。まぁ幼児退行した記憶が残ってたら、島池さんは冗談抜きで恥ずか死ぬだろうから、無くして良かったのかも。
「ま、まぁそういうこともありますよ。それよりウチのシャワー使います?昨日はそのまま寝ちゃいましたし」
「倉沢くんも浴びてないでしょう?わたしは家で浴びるから気にしないで。とりあえず、もう帰るから」
そそくさと帰り支度をする島池さん。酒が残っているのか、まだ顔が赤い。
「あ、なら途中まで送りますよ。この辺近所ですし、とりあえず島池さんが分かるとこまで…」
「ありがとう…でも大丈夫。携帯のマップを見れば、自分で帰れるから。これ以上、君に迷惑かけるわけにもいかないし」
そんなわけで、俺は島池さんを玄関で見送ることにした。まぁ外はとっくに明るくなってるし、一人でも大丈夫だろう。
「それじゃあ、お疲れ様です。お気をつけて」
「うん、お疲れ様……その、昨日のハグとかキスとかは、ノーカンってことで。それじゃ!」.
そう言って島池さんは出て行った。
というか、その辺だけ覚えてたのか…一番忘れてて欲しかった部分を…
まぁいいや。起こってしまったものはどうしようもないし、このまま時間に身を任せて、お互い忘れることが賢明だろう…
…忘れられるかな?あんな衝撃的な体験。少なくとも今の俺は忘れられる自信ねぇ…
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