幼馴染は負けヒロインですか?   作:音羽

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3年生設定。
少しミスがあったので上げ直しです。


プロローグ

 

 12月。

 問答無用の寒さを纏った風が吹き抜けるこの季節。クリスマスを目前にした世間様は、着実とその幸せムードに染まり始めていた。

 まあもちろん、全員が全員そんな幸せを味わえるわけではない。往生際が悪く、今でも尚なんとか当日までに恋人を作ろうと躍起になっている連中はいれば、全てを諦め当日は引きこもることを心に決めた連中もいる。

 

 そんな寒さも温かさもある世間の流れの中で、俺はある選択を迫られていた。

 

 それは俺のスマホに届いた3つのメッセージ。

 ほぼ同時と言っていいタイミングで届いたそのメッセージは、俺の()()()である女の子3人からのクリスマスのお誘いだった。

 

 女の子たちからのクリスマスのお誘い。

 この季節に、それだけ聞けば思わず舞い上がってしまいそうな話だが、実際にそのメッセージを受け取った俺の心はあまり喜んでばかりはいられなかった。一つ、大きな問題があるからだった。

 

 そう。大きな問題。それはここ最近、ずっと俺たち4人の間に存在し続けるものと深く関係のあるものだった。

 その問題というのは今回、3人同時に、それも個別に誘われたということ。

 つまりそれは、幼馴染3人の中から一緒に過ごす1人を選ぶということだった。2人の誘いを断り、たった1人の女の子とクリスマスを過ごす。そのたった1人を、俺は選ばなくてはならなかった。

 

 それぞれ送られてきたメッセージを読み返そうと、アプリを開く。そうして画面に表示されるのは、突然ごめんねという前置きと、三者三様の、しかし言いたいことは全く同じであろう3つの本文。

 

「クリスマス、まだ空いてるでしょ? せっかくだし、私と2人きりでイルミネーション見にいこうよ! 穂乃果、ウチであなたを待ってるから。だから迎えに来てね……?」

 

「この間も聞いたけど、あなたってクリスマスを祝ったことがないんだよね? だったら、今年はことりと2人で過ごしませんか? ケーキ作ってあなたのお家に行くから、2人きりでお祝いしよーよ! だからクリスマスはお家で待っててね」

 

「25日の予定はまだ未定でしょうか? でしたら折角のクリスマスですし、良ければ私とあなたの2人きりで遠出しませんか? クリスマス、駅で待っていますから」

 

 2人きりが強調されたそのメッセージで、彼女たちは暗にこう言いたいのだろう。

 

 自分だけを選んでほしいと。

 

 そろそろ、逃げるのは終わりにしろって。たった1人を選べって。俺は今、その選択を迫られている。

 

 もちろん、その選択をすること自体が嫌なわけではない。好きな女の子を1人だけを選ぶ。それだけなら別に問題はないのだ。というより、人としてそれくらいはしっかりと決めなきゃいけないことだ。

 そして誰かの想いを断りそれに応えないのもまた、ちゃんとやらなければならないこと。簡単なことではないけれど。

 

 しかし、問題なのは彼女たちの想いの強さ。

 

 それを知りながらそれを受け入れないのは、想像以上の恐ろしさがある。けれどこれは、想いを知りながらも今まで先送りにしてきた結果なのだ。

 だから今度こそ俺は覚悟を持たなくてはならない。自分を想ってくれる幼馴染を、傷付ける覚悟を。

 俺の気持ちは、もうとっくに決まっている。必要なのはその覚悟だけ。

 

 

 穂むらか。自室か。駅か。

 

 クリスマス、俺が行く場所は──。

 

 

 ****

 

 9月1日。

 平日である今日、どんなに遅くとも何処の学院も夏休みを終え、新学期を迎える始業式なんかを行っている頃だろう。

 ……いや、今の時間はもう正午を過ぎたところだ。ということは、もう既に始業式は終えているはずだ。

 なんて思うが、この国の夏休みとか新学期とかがどういうシステムなのかはなんとなくでしか覚えていないし、高校とかがその記憶通りなのかも全くわからないから、その予想が正しいのかどうかもよくわからない。まあ多分、小学校とそんなに変わらないとは思うけど。

 

「……しかし」

 

 始業式云々はどうでも良くて。そんなことより、今の俺は一つの問題に直面していた。

 その問題というのは、今日から俺が住む新しい家の場所がわからないということだった。

 我ながら間抜けな話だとは思うが、朝に東京に着いてから結構な時間が経つのに、それでも未だに家に辿り着くことが出来ていない。

 

「18にもなって迷子とは……」

 

 事前に母から送られてきた小さなアパートの写真を確認する。

 このアパートの賃貸契約をする時に、この建物についての色々な情報を知ってはいたが、実際に見たことはない。だから周りの特徴とかもいまいちわからなくて、何かを目印にして進むことも出来ない。つまり、今の俺がこの問題を1人だけで解決するのは絶望的だということだ。

 

「電話は……ダメだな、どうせ」

 

 この写真を撮った母からもっとわかりやすい情報を得ようとスマホを取り出すが、すぐに諦める。

 あの人は何日か前に()()()へ行ったから、今頃はまだ寝ている筈だ。あっちはまだ早朝だからな。

 

 しかし、本格的に困ったことになったな。

 この暑さの中、これ以上闇雲に歩き回るのは得策とは言えない。不動産屋に電話してもいいが、妙な恥ずかしさもあるから出来ればそれは避けたかった。

 

 ……やっぱり、迷惑を承知でも母に電話をかけるか? 早朝とは言え、あの人のことだ。恐らく出てはくれるだろう。

 

 可能な限りは母とは喋りたくないのだが、やむを得ない。これくらいは仕方がないで済ませてくれるはずだ。

 そう思って一度はしまいかけたスマホの履歴を開いたところで、ふと手を止める。

 

「海未……」

 

 小さく呟いた幼馴染の名前が、履歴に表示されていた。東京に来る前に電話したときのやつだ。

 

 そういや、東京に着いたら連絡しろって言われてたんだっけ。東京に着いたのが朝だったから、連絡は後にしようと思ってそのままだった。正直ここまで道に迷うとは思わなかったから、その間にすっかり忘れていた。

 

 そうだ。

 確か海未の家もこのアパートからそう遠くはないって聞いていたし、彼女なら恐らくこの場所もわかるだろう。

 もし彼女に来てくれれば、この家探しの冒険も終わりを迎えることが出来るはずだ。

 

 そう考えて電話しようと思うが、そこでまた手が止まる。

 というのも、電話をするだけなら良いのだが、今すぐ彼女に会うのには少し抵抗があるからだった。

 そこまで詳しくはないが、今の海未は人気者でそして有名人だ。そんな彼女と2人で歩くのはあまり良くないような気がする。それに俺が男っていうのもあって結構目立つかもしれない。 

 とはいえ、()()から1年も経っていないが、それなりの時間は経っている。

 彼女の人気の程がよくわからないが、所詮は女子高生だ。男と一緒だとしても、そこまで気にするようなものでもないと思う。なら俺もそんなことを気にしても仕方ないのか……?

 

 そんな風に幼馴染に電話をかけるか否かを悩んでいる時だった。

 

「あ……」

 

 俺のスマホが着信を告げる。

 そこに表示されていたのは、今まさに考えていた女の子の名前。園田海未だった。

 この電話に出るかどうか、少しだけ悩むがそれも一瞬。すぐに俺は受話ボタンを押した。

 

「……もしもし、海未?」

「こんにちは、(かなで)。中々連絡が来ないので電話したのですが、東京にはもう着いているのですか?」

 

 電話越しではすっかり聴き慣れた凛とした声が、奏という俺の名前を呼ぶ。俺が連絡をしていなかったからか、その声には少し心配の色も混じっているような気がした。

 

「あ、ああ。もう着いてるよ。後で連絡しようと思ってたんだけど……ごめん、すっかり忘れてた」

「忘れてたって、もう……。朝には着くって聞いていたのに全然連絡が来ないから、凄く心配したんですよ?」

 

 どうやら本当に心配されていたらしい。約束を忘れたのだから、普通は怒ってもいいものだと思うが……。

 

「あー、ちょっと色々あってさ……。ホント、ごめんな?」

「いえ、無事なら良いんですけど……色々、とは? なにか問題でもあったんですか?」

「ああ、うん。実は──」

 

 しかし、こうして俺を気にかけて電話までしてくれた以上、もう彼女が人気者だとかは気にしても仕方ない。そんなことを気にして遠慮なんかしていれば、どうせまた変な心配をかけるだけだろう。

 そう考えて俺は正直に海未に現状を説明し、素直に助けを求めることにした。

 

「家の場所がわからないって……どうしてちゃんと住所を確認しながら進まないんですか」

「大丈夫だと思ったんだけどな……。流石に考えが甘かったよ」

 

 考えが甘いどころか何も考えずに歩いてたから、実際はもっと酷い話だとは思うが……それを言うのはもっと恥をかくだけだから黙っておく。

 

「……本当にもう、しょうがないですね」

「い、いやでも、忙しいのなら別に……」

「いえ、大丈夫ですよ。今日は最初からそのつもりでしたから」

 

 呆れながらも、優しさのある声。それを聞いて俺は嬉しいような、恥ずかしいような、なんだかよくわからない気持ちになった。

 

「それで? すぐに迎えに行きますから、今何処にいるんですか?」

「わからん」

「そ、即答ですね……」

「勿体ぶっても仕方ないだろ」

「それはそうなんですが……。でしたら、周りの景色や建物なんかの特徴を教えてください」

 

 特徴……か。

 辺りを見渡すが、特徴的と言える程の情報が一切ない。

 もちろん何もないわけではないのだが、いかんせんありふれた景色すぎてどう伝えれば良いのかがわからない。かといって黙っているのもアレなので、取り敢えず目についた景色を伝えてみる。

 

「えっと、屋根のある建物がある」

「……あの、建物にはみんな屋根がありますよ?」

「あ、うん、ごめん」

 

 冷静なツッコミ。さすがは海未。この程度の冗談は通じにくい。

 

「えー、それじゃあ……空が青いな」

「奏? もっと特徴のある情報をください」

「すみません」

「……全く、本当に困った人なんですから」

 

 怒られてしまう。だがそれでも、海未の声色は変わらず優しいままだ。

 やっぱり、そんな彼女に少しむず痒さを感じてしまう。その優しさみたいなのに触れるのがどうにも慣れない。

 

「けど特徴的って言っても特にないんだよな。あったとしても、上手く伝えられないし……」

「そうですね……あ、それなら奏。近くに自動販売機はありますか?」

「自販機? まあ、あるけど……?」

 

 なんで自販機? 

 すぐそこにあった自販機に近付きながらそんな疑問を抱く。

 

「その自動販売機の釣り銭口の辺りに、住所が書かれたステッカーが貼ってありませんか?」

「え? あっ、ホントだ書いてる」

 

 そこに書いてある住所を海未に伝える。どうやら彼女の現在地からそう遠くはないらしい。

 いやしかし、こんなところに住所なんて書いてあるんだな。初めて知った……。

 

 ……ていうかここの住所がわかったなら、わざわざ海未に来てもらわなくても良いんじゃないだろうか。

 

「──わかりました。今から向かいますので、少しの間待っていてください」

「いや住所わかったからもう大丈夫だと思うし、ここからは俺1人でも……」

「それは駄目です!」

 

 俺のために不要な手間をかけさせたくないと思って出た言葉だったが、思いの外強く否定される。

 

「あなたと実際に会うのは小学校以来ですし……ちゃんと顔を見て話がしたいです」

「……あ、ああ。じゃあ待ってるよ、海未」

 

 少し恥ずかしそうに言う彼女に、こちらもまた恥ずかしくなってくる。

 

「はい、すぐに行きますね!」

 

 嬉しそうな声が聞こえ、電話が切れる。

 海未が今何処にいるのかはわからないが、あの様子だとそう時間は掛からなさそうだ。というか、走ってでもなるべく早くここにやってきそうな勢いだった。

 そんな数年ぶりに再会出来る彼女の姿を思い浮かべ、つい笑みが溢れる。

 

「…………」

 

 けれど、どうも素直に喜べない。

 もちろん彼女と再会出来るのは嬉しい。その気持ちに嘘はない。しかしそれと同時に、会いたくないという気持ちも俺の中には存在していた。

 ここで成功した彼女と、()()()で失敗した自分。そこには圧倒的な差があるはずだ。そんな今の俺を、彼女の前に晒したくはなかった。

 

 向こう。

 幼馴染と別れたのが小学校を卒業してすぐのこと。そしてそのまま母に連れて行かれ、俺はここから遥か遠くの場所……海外、オーストリアで生活することになったのだった。

 そこで暮らし始めて数年。俺はついに向こうにいる理由を完全に失い、今日東京に帰ってくることとなった。少し前まで母もここにいたのだが、俺がここで再び生活するための基盤を整えるとすぐに向こうへ行ってしまった。だから俺は今日から1人暮らしをすることになる。

 

 色々と思うところはあるが、それでも久しぶりに会う幼馴染の顔を想像すれば、自然と楽しみな気持ちも増えていく。

 複雑な感情を抱きながらも、それらはなるべく見ないふりをして。俺はこの暑さの中1人静かに幼馴染の到着を待つことにした。

 

 

 ──そうして待つこと十数分。

 

「──奏くんっ!」

「え?」

 

 邪魔にならない所に立ってスマホを弄っていた時だった。

 ここに海未が着けば、まず俺の名前を呼ばれるのはわかっていた。しかし俺の名前を呼んだのは、海未ではない女の子の声だった。

 

「ことり……?」

「久しぶり! 奏くん!」

「うえっ!?」

 

 どうしてことりがいるんだ?

 そんな俺の動揺なんて気付かず、ことりは俺に勢いよく抱きついてくる。そんな彼女の後ろから海未が遅れてやってくる。その表情はなんだか複雑なものだった。

 

「こ、ことり!? なんでここに……てか苦しいからちょっと離れて……!」

「あ、ごめんね……! あなたに会えたのが嬉しくて、つい抱きついちゃった……えへへ」

 

 そう言って本当に嬉しそうに笑う女の子は、間違いなく俺のもう1人の幼馴染だった。

 

「ついって、お前……いや、それより。どうしてことりも一緒なんだ?」

「えっとね、実は──」

「私が誘ったんです」

 

 ことりの言葉を遮って、それまで黙っていた海未が口を開く。

 

「あなたとの電話を切ってすぐに、偶然ことりと会ったんです。そこであなたに会いに行くことを説明して、折角だからと一緒に来たんです」

「そうなのか……。いやホント、突然だったからびっくりしたよ。海未だけじゃなくて、ことりとも今日会えるとは思ってなかったからさ」

 

 そう言うと、2人は柔らかな笑みを浮かべてくれる。よく電話越しに想像していた2人の笑顔は、実際目にするととても魅力的だと思った。

 彼女達と最後に会ったのは小学生の時だが、それからもよく連絡は取り合っていて、今の容姿についても写真を送り合っていたからお互い認知している。それに俺は彼女達の()()()の動画も見ていたから、数年ぶりの再会といっても新鮮さは薄い。

 けれどこうして会ってみると、2人はあの時よりも遥かに女の子らしくなっていて少し落ち着かない。

 

「あー、えっと」

 

 だから案の定、緊張して何を喋ればいいのかが分からなくなる。2人とは頻繁に連絡をしていたとはいえ、数年の壁はやはり大きいようだった。

 

「……取り敢えず久しぶり。ことり、海未」

 

 なんだか会話としては順序がおかしいが、とにかく再会の挨拶ぐらいはしておく。さっきは普通に喋れていたはずなのに、今の挨拶は途端にぎこちなくなってしまった。

 そんな俺を見て、ことりと海未はまた笑みを溢した。

 

「うん、おかえりなさい。奏くん」

「おかえりなさい。奏」

 

 おかえり。

 2人に送られたその一言で、結局ここが俺が帰ってこられる唯一の居場所なのだと思い知る。

 数年ぶりに会った幼馴染からの出迎えの言葉に、俺が真っ先に感じたものは、再会の感慨深さよりもそんな悔しさだった。

 

「ただいま」

 

 けれどもそれを受け入れ返事する。何を思っても全ては今更だった。

 

「……さて。流石に暑いですし、立ち話はこれくらいにしてそろそろ行きましょうか」

「うん、そうだね。行こう、奏くん」

「ああ」

 

 そのまま俺たちは3人でアパートへと向かう。この3人で歩くことが出来ることに、俺は帰ってきたのだと改めて実感した。

 

 

 

「──それじゃ奏くん、向こうの学院じゃ大人しかったんだ?」

「ああ、流石にな。環境の違いもあるし、それで目立つのもなんか怖かったからなるべく静かにするようにしてたよ」

「わざわざそんな意識をしなくても、あなたは変に悪目立ちするような人じゃないでしょう? 気にしすぎも良くないと思いますが……」

 

 歩き始めて数分。その道中、話題は今までの俺のことが中心だった。

 連絡はよくしていたとはいえ、俺は自分の話をあまりしてこなかった。そんな俺に、2人も電話口では深く聞き出そうとはしないでいてくれた。俺が自分の話に乗り気じゃないのを察してくれていたのかもしれない。

 しかし、こうしてようやく会えたのだ。

 2人ともやっぱりずっと気になっていたのか、今までの俺の話を聞きたがった。そんな彼女たちに俺も、今更隠すようなこともないから聞かれたことには全て正直に答えた。そして今は、海外の学院での生活について話をしていた。

 

「まあ確かに、自分でも気にしすぎだとは思ってたけどさ。でもやっぱり、最初は日本語しか喋れなかったし、向こうで生活し始めた時は無条件で目立ってたからな……」

「ああ、そういえば……引越したばかりの頃の奏、よく話してましたね。誰が何を言ってるかが全くわからない、と」

「あっ、ことりもよく聞いたよ、それ。その時の奏くん、自分のお母さんにすっごく怒ってたよね。なんてとこに連れてきてくれたんだーって」

 

 小学校を卒業したと思えば、次は海外での生活。文化も常識も違うのに、いきなりそんなことをさせられれば文句の1つや2つ出てくるものだ。

 だから向こうで暮らし始めた最初の数ヶ月は、よく海未やことり達に色々と話をしていた記憶がある。

 なんてのも、そんな文句を人に話したって無意味だと気付いてからは、全く話さなくなったけど。

 

「途中からはあまり聞かなくなりましたけど、結局ドイツ語はどれくらい使えるようになったんですか?」

 

 オーストリアの公用語はドイツ語だ。そこで暮らすということは当然、その言語の習得は必須だった。

 今考えても、俺が向こうで1番苦労したのがその勉強だろう。当時は英語すら(ろく)にわからなかったし、その上でドイツ語を1から習得するのはかなり大変だった。

 

「流石に何年もいたからな。生活するのに困らないくらいには使えるよ」

「へぇ、そうなんですか……すごいですね」

「それじゃあ奏くん、もうドイツ語は喋れるようになったんだ? 外国語が分かるなんて、かっこいいね!」

 

 そんな風に褒められるが、実際はそこまで立派なものでもない。読み書きにしても会話にしても、なんとか使えるだけで上手く使えるわけじゃない。数年暮らしていれば自然と身につく最低ラインだろう。

 それでもちゃんと勉強はしていたのだ。だからこんなふうに褒められるのは素直に嬉しかった。

 

「けど逆に日本語が怪しくなってるんだが……まあでも、これから思い出していけばいいか。もう俺は何処にも行かないんだし」

 

 そしたら今度は折角覚えたドイツ語を忘れていきそうだけどな。

 笑いながらそう言うと、海未もことりも優しく微笑んでくれる。けれどもその笑みには嬉しさとか悲しさとか、そんな複雑な感情が混ざっている気がした。

 

 多分、彼女達は何かを察しているんだと思う。こうして急に帰ってきたのだから、まずは理由を聞くものだと思うのに。俺が電話で東京に帰るという話をした時も一切の詮索がなかった。

 ……それに、さっきから()()()の話が全く出てこない。むしろ敢えてその話題を避けているような気もする。俺が向こうに行くことになった理由で、そして帰ってくることになった理由でもあるその話題に2人が触れないことで、俺は彼女達が俺に気を遣ってくれているのだと気付かされる。

 その優しさに俺が返せるものといえば、気付かないふりをすることだけ。せめて暗い雰囲気にならないよう、向こうでの生活を笑い話にするだけだ。

 

 そうしてアパートに着くまでの道のりを、俺の下手なドイツ語を披露したり、2人の学院での話を聞いたりしながら歩く。色々な気持ちを抱きながらも俺は、久しぶりに幼馴染達と過ごせるこの時間に確かな喜びを感じていた。

 

 

 ****

 

 あれから数時間。すっかり日も暮れ、昼のような暑さも薄まった夜の道を俺は1人で歩く。

 目的地はコンビニ。取り敢えず今日の夕飯を買うためだ。

 1人暮らし初日からコンビニなんて海未が知れば怒りそうなもんだが、こればっかりは仕方がない。今日引越したばかりで、当然冷蔵庫には何も入っていないのだから。それに別に、これから毎日コンビニで済ませるわけではないのだし、咎められるようなことでもないだろう。……まあ、その割合は高くなるだろうけど。

 

 あの後、海未とことりにアパートまで案内してもらい、そのまま2人と一緒に部屋に入った。ワンルームの小さな部屋だったが、生活するだけなら特に問題のない部屋だ。

 そこで俺たちは、何をするでもなくただ無意味にダラダラとしていた。そんなことが出来るのも随分と久しぶりのことで、小さなことでも再会したという事実を感じられて嬉しかった。

 

「──そうだ、奏くん。私にも新しい連絡先教えてほしいな」

 

 ことりにそう言われて、俺は海未にだけ教えて他の誰にも教えていなかった自分の新しい連絡先のことを思い出す。

 ここに帰ってくる時、向こうで使っていたスマホは使えなくなるから機種ごと新しく契約したのだ。といっても、母が東京にいる間に用意してくれたから俺はそれを向こうで受け取って来ただけなのだが。

 そのことをすっかり忘れていたが、俺もことりからの連絡はいつでも取れるようにしていたかったからすぐに彼女と連絡先を交換した。

 

 それからすぐに、もう遅くなるからと2人は帰っていった。送って行くと言ったが、長旅で今日は疲れてるでしょうと言って海未は微笑みながら断ったのだ。なんだか今日の彼女は俺を気遣ってばかりだと思ったが、俺はその気持ちを素直に受け取り、また明日放課後に会おうと約束をして2人と別れた。

 

 ……まあ、俺に放課後なんてないんだけども

 

 別にこの辺りの学院に編入するわけじゃない。もちろん、最初はそのつもりではあったが、母からしばらくは何もするなと言われてそれに従うことにした。だから明日も明後日も、俺は自由の身だった。正直、それは望まぬ自由なのだが……なんにせよ、今はここでの生活に慣れることが第一だ。それ以上のことは深く考えても仕方ない。

 

 

 そうして歩くこと数分、目的のコンビニが見えてくれば自然と足が止まる。コンビニなんて、随分と久しぶりに見る存在だった。

 向こうにはこんな時間でもやっている便利な店なんてものはまず存在しない。昔の俺にはコンビニなんて何処でもある当たり前のものだという認識があったが、海外生活が長いとこんなものにも物珍しさを感じてしまう。というか、思い返してみると今日は久しぶりの東京に感動してばかりだったな。……道に迷ってからはそんな余裕もなくなったのだが。

 

 ふと気づけば、コンビニなんて見つめて不自然に立ち止まっているからか、すれ違う人たちから不思議そうな視線を貰っていた。

 その視線でコンビニ程度で感動している自分の馬鹿らしさに気付き足を進める。その時だった。

 

「──奏くん?」

 

 今日1日で何度も聞いた俺の名前を、今日初めて聞く声が呼んだ。俺はその声の主を確認しようと顔を上げる。そこに立っていたのは予想外の人物だった。

 

「……穂乃果」

「やっぱり! 奏くんだよね!?」

「お、おう……どうしたんだ、こんなとこで……?」

「そこのコンビニでお買い物してたの。そしたら奏くんっぽい人がいたから、思わず走ってきちゃったんだ」

「……なるほど」

 

 少し興奮した様子の彼女は、高坂穂乃果。ことりと海未の幼馴染の女の子。俺とも小学生の頃から面識はあるが、会うのはもちろん、こうして話をするのも久しぶりだった。

 

「えっと……久しぶり、だな」

「うん、久しぶり! でもそっか、もう東京に帰ってきてたんだね」

「ああ、ちょうど今日戻ってきたよ」

 

 随分と元気のある穂乃果とは対照的に、俺は彼女との突然の再会にかなり動揺していた。それもさっきのことりの時とは比べ物にならないくらいに。

 

「そういえば、海未ちゃんが言ってたっけ。奏くんが帰ってくるってことりちゃんと楽しそうにお話してたよ」

「そ、そうなのか……」

 

 穂乃果とは、海未たちと同様に俺が海外に行くまではよく一緒に過ごしていた。俺が向こうに行ってからも、しばらくは普通に連絡を取り合っていた。しかし、ある時期から自然と疎遠になっていったのだ。俺の記憶では何か特別な事情とかがあったわけではないと思うが、時間が経つに連れて段々と電話の頻度が減っていった。

 しかし、全く連絡を取らなかったわけではない。大した話はしなかったが、年に1回か2回は電話をしていたはずだ。

 でも確か、去年に至っては1度も連絡をしなかった気がする。これも別に深い理由とかはないが、それ故に穂乃果とは1年以上も話をしていない。だから彼女との今の関係は、幼馴染と呼べる程の親密さはなかった。

 

「けど穂乃果、よく俺ってわかったな。俺はお前の写真とか動画とか見てたからすぐにわかったけど、お前は違うだろ?」

「ううん。実は私もことりちゃんたちに今のあなたの写真を見せてもらってたんだ。だからすぐに奏くんだってわかったよ」

 

 そう言って穂乃果は楽しそうに笑う。その様子からは、緊張などは感じられない。久しぶりの会話に気まずさを感じているのは俺だけなのだろうか?

 

「でも奏くん、こうして実際に見ると大っきくなったね。昔は穂乃果の方が見下ろしてたのに、今じゃ立場が逆転しちゃってる」

「まあそりゃ、あの時は小学生だし……。それに俺も男だからな。中学生の時に急に伸び始めたんだよ」

 

 まさに数年ぶりの再会という感じの会話をしているが、俺の心はなんだか落ち着かない。それでも穂乃果の方から話をしてくれるから、言葉に詰まるようなことはなかった。今のところ、ぎこちなさもなく、自然に会話が出来ている。

 ただ1つだけ。緊張を抱きながらも、どうしても俺から彼女に伝えておきたいことがあった。海未とことりには()()が終わってから伝えたのだが、疎遠だったこともあって穂乃果には言えてないままだった。

 偶然とはいえ、こうして会えたんだ。今を逃せばもう2度とこの言葉を贈る機会はないだろう。

 

「……そういえば穂乃果。お前にはまだ言ってなかったな」

「え?」

 

 そう思って俺は、ずっと心に残っていた言葉を伝えることにした。それは。

 

「ラブライブ、優勝おめでとう」

「あ……うん! ありがとう!」

 

 ラブライブ。今この国で人気のスクールアイドルたちにとっての祭典。そこで穂乃果たち『μ's』というグループは優勝を果たしたらしい。

 これらの情報は全部ことりや海未からの電話で知ったものだから、これ以上深くは知らない。それでも2人から定期的に連絡があったから、彼女たちが相当な努力をしていたのは知っている。

 だからこそ目の前いるこの女の子が、多くの人に賞賛されるべき素晴らしい人間だというくらいは理解できているつもりだ。

 

「スクールアイドルってのはあんまりイメージ出来ないけど、それでもお前たちが凄いことを成し遂げたのはわかるからさ。だからホントに、おめでとう」

「あはは……なんだか、あなたに褒められるとすっごく照れるね。それに、みんながいたから出来たことだから……でもありがとう、奏くん」

 

 感謝と共に、輝かしい笑顔を見せてくれる。そんな彼女の心の中には、どんな思い出があるのだろうか。きっと楽しいものばかりではなく、色々な苦労があったことだろう。

 しかし、それらがどんなものであれ、今の穂乃果の笑顔は本当に輝かしいものだ。そんな彼女を見ていると、なんだか今の自分が恥ずかしくなってくる。この気持ちは一体なんなのだろう?

 

「けれど、凄いって言ったらあなたもだよ!」

「……えっと、何が?」

「ピアノだよ、ピアノ。あなたが海外に行ったのはその勉強のためなんでしょ? 奏くん、昔からすっごくピアノが上手だったもんね」

「……ああ、そうか」

 

 そう言われて、この気持ちの正体に気付く。

 これは……ただの嫉妬だ。思えば、今日海未に会いたくないと思ってしまったのも似た感情からきたものだったのだろう。

 

「穂乃果、ピアノの賞とかはあんまりわからないけど、当時の奏くんがこの辺じゃ敵なしだったのは覚えてるよ」

「敵なしって……本来、音楽はそんな風に争うようなものじゃないと思うけどな」

 

 確かに、俺は昔からピアノをやっている。母がその道の有名人だったから小さな頃からかなり高度なレッスンを受けていたのだ。そのおかげか、ピアノに関して言えば俺の成長はかなり早かったと思う。そして当時の俺もまた、そんな自分の実力を確かなものだと信じて疑わなかった。

 

「電話じゃあんまり詳しく聞けなかったけど、向こうではどうだったの?」

 

 少し不安そうな顔。もしかしたら穂乃果も、なんとなく察しているのかもしれない。それでも、こうして聞いてくれた。変に気を遣ったりしないで、真っ直ぐに聞いてくれたのだ。

 だから俺も正直に答えることにした。というか最初から、聞かれれば素直に答えるつもりだったのだから。

 

「向こうは、広かったよ」

「……そっか」

 

 自分の居られる場所はなく、何も結果を残せなかった。

 そう言うつもりが、つい濁した言い方をしてしまう。けれどそんな物言いでも察してくれたのか、穂乃果は優しく微笑んでくれる。

 彼女は、一体いつからこんなに賢い女の子になったのだろう。昔はもっとこう、少し抜けたところがあった女の子だったのに。今では少し大人びた雰囲気を感じる穂乃果の笑顔に、俺はまた恥ずかしさを覚える。

 

「……穂乃果。折角だし、連絡先を交換しないか」

 

 穂乃果は優しい。ことりも優しい。海未も優しい。俺にとってはそれだけでもう充分だ。これ以上は必要ない。

 だから俺の話はここでお終い。再びピアノを上手く弾けるようになるとか、大きな結果を残せるようになるとか、そんなものは一切ない。なくていい。俺にそんな物語は必要ない。

 

 

 俺たちはお互いの連絡先を交換すると、流石に遅いからと今日はここで別れることにした。完全に忘れていたが、俺は夕飯を買いたかったのだ。空腹でそろそろ限界だった。

 

「あ、そうだ! また一緒にいられるんだし、今度2人でお出かけとかしよーよ!」

「そうだな……久しぶりに2人でどっか行くのもいいな。そういうの、ようやく出来るようになったんだし。近い内に行くか」

「本当っ? 約束だよ? 忘れないでね?」

「もちろん。また連絡するからさ」

「うんっ……! それじゃ、またね!」

 

 そう約束をして、穂乃果は俺が来た道を嬉しそうに歩いていく。何処かに行くという約束も、こうして帰ってきたからこそ出来るものだった。

 想定外ではあったが、ここで穂乃果と再会出来たことで俺の心は少しだけ軽くなった気がした。

 

 これから増えるであろう彼女との時間に期待しながら、俺は今度こそコンビニへと足を進めた。

 

 

 ****

 

 ()とそこで別れてからの私の足取りは、思わずスキップなんてしちゃいそうなぐらいに軽かった。

 

「──奏くん」

 

 彼の名前を呟くと、自分でもおかしいくらいに心がドキドキするのがわかる。でも仕方ないよね。だって、ホントに会えるなんて思ってなかったんだから。

 

「かっこよくなってたなぁ……」

 

 久しぶりに会った奏くんは、昔と比べて顔つきがちゃんと変わっていたし、背もかなり伸びていた。小学生の頃は結構可愛い顔をしていたのに、今ではすっかり男の子って感じがする。そんな彼の容姿は、ことりちゃんに見せてもらった写真の何倍もかっこよかった。

 もちろん、容姿だけじゃなくて声も良かった。奏くんのその少し低めの声を最後に聞いたのは、確か1年以上前のことだったと思う。だから久しぶりに、それも電話越しじゃない彼の声が聞けてすごく嬉しかった。

 

 でも穂乃果、少しだけ彼に嘘吐いちゃったな。

 さっきはあたかも偶然会ったかのように振舞っちゃったけど、本当は奏くんに会うつもりでそこのコンビニに行ったし、彼が今日帰ってくることも、まるで忘れてたみたいに言ったけど本当は海未ちゃんに聞いたときから一度も忘れたことはなかった。でも彼とお話したのも久しぶりだし、流石に恥ずかしくて正直には言えなかった。

 ……っていっても、実際に会えたのは本当にたまたまだけど。

 ただ奏くんのことだからご飯はコンビニとかのお弁当を食べると思って、それで彼に会えることを期待して海未ちゃんから聞いてた奏くんのお家から近いところのコンビニに行ってみたら、本当に会えちゃった。

 

「まるで運命みたい……なんちゃって」

 

 自分で言ってて恥ずかしくなっちゃう。

 私、彼と会えてすっかり興奮しちゃってたから、おかしなこと言ったりしなかったかな……。奏くん、変に思ってないといいけど。

 ……そういえば穂乃果、結構失礼なこと聞いちゃったかもしれない。ピアノの話をした時の奏くん、明らかに顔色が変わったのに海外ではどうだったのかなんて。それが奏くんにとってよくない話だっていうのはすぐにわかるべきなのに、私、悪いことしちゃったな。

 

 けど奏くん、ピアノ駄目だったんだ……。

 はっきりとは言わなかったけど、それでも彼に何があったのかなんてすぐに想像出来た。だって、向こうは広かったなんてすごく悲しい顔をして言うんだもん。そんなの、流石の穂乃果でもわかっちゃうよ。

 ……そう考えたら、さっきまでの高揚は自然と収まってきた。彼が帰ってきたことは、きっと彼自身にとって嬉しいことばかりじゃないんだよね……。

 

 当時からピアノのことなんて穂乃果は全然詳しくなかったけど、それでも奏くんが小学生の頃は色んな人に期待されていたのは覚えているし、凄い才能を持っていたのはわかる。そんな彼が海外では通用しなかっただなんて、なんだか信じられないよ……。

 

 奏くんがそうして挫折をしたのはとても悲しいことだし、関係ないはずの私もなんだか悔しい気持ちになる。

 だからこそ出来るのなら、もう1度ピアノを弾いてほしいって思う。だってピアノを弾く彼はかっこよくて憧れだったから。けれど、それが彼を傷つける原因になるんだったらもう弾いてほしくないとも思っちゃう。

 少しだけ複雑な気持ちを抱えながら、私は夜の空を見上げる。

 

「……でも、今日から一緒にいられるんだよね」

 

 私は昔からずっと、奏くんのことが好きだった。だから彼が海外に行っちゃった時はとっても悲しかったし、最初の頃は海未ちゃんにもことりちゃんにも負けないくらいよく電話をしていた。……色々あって、ある時期からあんまり電話出来なくなっちゃったけど、それでもずっと彼のことを想い続けてた。海未ちゃんよりも、ことりちゃんよりも。他の誰にも負けないくらい、私は奏くんのことが好きだった。

 

 私の物語(ラブライブ)は終わって、そして彼の物語(ピアノ)も終わった。だから今度こそ、2人の時間が欲しいって思ってもいいよね。

 

 

 今頃はコンビニでお弁当を買ったところだと思う奏くんのことを想えば、また自然と足取りが軽くなる。奏くんと過ごせる明日からの日常が今から楽しみだった。

 

 

 




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