駅の時計が、12:45を指していた。
太陽が煌々と輝いて、雲が薄いものがちらほらと見える程度。
朝見た天気予報でも、今日は悪天候の心配はなさそうだった。
13時に、東口の交番前。
昼食は互い済ませて落ち合い、とりあえず新宿御苑に行き、その後はその周辺を散策することにしていた。
少しノープラン過ぎたかもしれないけれど、僕は勿論だが、明里も東京に来ることはそうそう無いらしいので、ある程度はそうするしかなかった。
もうすぐ、明里に会える。
携帯にも、電話は無い。
予定通り、来るはずだ。
期待も、不安も、胸の中にある。
それでも何故か、自分がやけに冷静なのが気になる。
僕はまだ、何かを掴めていないような、信じられていないような。
自分が何を感じているのか、何に怯えているのか。
…僕は結局、自分のことが大して分からないんだな。
そう思った、ところだった。
「貴樹くん、ですか…?」
不意に背後から、小さな声。
振り返ると、薄いベージュのコートを羽織った、セミロングの。
茶色の鞄を、肩にかけて。
目が、合って。
頭が、真っ白になって。
「久しぶり、だね。」
懐かしい、声。
夢を見ているような、気分だ。
「うん、本当に…。」
ほんの、数秒間。
何も言わず、お互いを見つめて。
その間だけで、僕の中にあった、不安や、恐れ、悪い予感とか。
そういったものが全て、跡形もなく消え去っていった。
僕は、ここに来たかったんだ。
そんな言葉が、心に浮かんだ。
思い返すと、僕は。
明里と上手く話せるか、でもなく。
行き当たりばったりな予定に対して…でもなくて。
心のどこかで、本当は会えないんじゃないか、と。
それだけが、怖かったんだと思う。
運命のような得体のしれない大きなものがきっと僕らを隔て、悪戯に弄ばれるのだろうと。
僕らの間にはいつもそうやって、願えば願うほど離そうとする力が、働きかけるのだろうと。
どうせ本当は、会えないのだろう…と。
そういった強い予感が、あの雪の日からずっと、僕に纏わりついていて。
会えないことが自然で、当たり前のことで。
会えてしまう未来なんて、思い描けていなかったんだ。
明里はいつの間にか、僕のコートの袖の先端を強くつまんで。
彼女も、僕が本当にここにいるのか、確かめているようだった。
信じていいものなのか、恐る恐る震えた手で、でも、しっかりと掴んで。
僕の瞳を真っ直ぐ捉えて、離さなかった。
「雪が降らなくて、よかった。」
僕は相当、高ぶっていたと思う。
前以て考えていた会話の切り口や話題なんて、どこかに行って。
まだ会って一分も経っていないのに、そんなことを口走ってしまった。
それでも。
「本当に、そうだね。」
明里は笑って、そう返してくれた。
その瞳には、あふれ出しそうな瑞々しさがあった。
僕もきっと、そうだった。
そうして互いに見つめ合った後、しばらくして、僕らは二人、揃って小さく笑った。
僕の言葉に、明里の言葉が返ってくる日が来るなんて。
明里が目の前にいる日が、また来るなんて。
僕は、信じていなかったんだ。
遠い日に感じた別れの気配や会えない予感が、
冗談のように、あっけなく無くなってしまったものだから。
何て酷くて、タチの悪い。
何て幸せな、冗談だろう。
それがおかしくて、笑ってしまったんだと思う。
信じていなかった反動か、急に目に映る世界の全てが、奇跡のように見えてしまうくらい。
それぐらい、僕は幸せだった。
それ以上の表現をする意味なんて、無いくらい。
僕は温かさで、ただただ満たされた。
それから僕らは横並びに、他愛の無い会話をしながら、ゆっくりと新宿御苑へと歩き始めた。
種子島から東京に来るまでの道のりや、
新宿に昔来た時の思い出のことや、
小学校があった、参宮橋付近の思い出話。
文通の中で互いに勧めた小説や音楽の感想とか。
最初はぎこちない会話もしばしばあったものの、
新宿御苑に着いた頃には、会話の中にあった距離も、春の陽気に溶けてなくなっていた。
園内は東京とは思えないほど緑や花に溢れ、その背後に時折見える高層ビルや街並みとの絶妙なアンバランスさが、非日常な景色を作り上げ。
その中を二人歩いて、同じ美しさを瞳に映し、言葉を交わした。
目に映る一つ一つのものから発せられる輝きは、世界が僕らを祝福してくれているような気さえする。
想像していたより人が多く、桜はまだ半開なのは残念だったけれど。
「来年戻ってきたら、ちゃんと満開の桜、見に行こうね。」
そう約束ができただけでも、来た価値が十二分にあった。
むしろ、今日が満開じゃなくてよかったとすら思う。
来年、戻ってくる楽しみが増えたから。
そうして新宿御苑をざっくりと歩いた後、二人気が向くままに街を歩き回った。
気になった洋服やアクセサリー、怪しげな香水のお店を覗いてみたり。
小さな古本屋で、昔図書室で一緒に読んだ本を見つけ、語り合ったり。
僕一人だったら、何とも思わないであろうものが。
明里と二人で見るだけで、急に意味や大事な役割があるかのように見えて。
彼女が傍にいることがどういうことなのか、その度に身に染みていった。
16時過ぎ、目についた小さな喫茶店に入り、僕はコーヒーを、明里は紅茶を頼んだ。
明里は茶色のバッグから、最近に気に入ってる本や、僕に送らず没にした写真を何枚か取り出して、話題にしてくれた。
その中に一枚だけ、僕のピースの写真も混ざっていたが。
「これ、気に入ってるんだ。あまり貴樹くんっぽくないところが。」
「それは父さんがどうしても何かやれって言うから…
やらなきゃ撮らないって言われて、仕方なくやっただけだよ」
やっぱり恥ずかしかったけれど、ピースを指示したカメラマンに、今更感謝したくなった。
歩きながらでも、充分話し続けていたのに。
僕らは飽きもせず、その喫茶店でも、ひたすら話し続けた。
たくさんのことを話したはずだけれど、内容はぼんやりとしか覚えていなくて。
代わりに彼女の笑顔や、話しかける声や、仕草ばかりが、僕の脳裏に焼き付いていった。
僕の言葉に、明里が応え。
明里の言葉に、僕が応える。
その行為自体が、僕らにとって重要だったんだと思う。
…明里と共にした小学校生活は、一年半くらいだっただろうか。
あの頃はこんな幸せが毎日あったと思うと、何て満たされた日々だっただろう。
僕らの恐れや、不安は、微塵も無くなって。
僕らはもう、何の憂いも迷いも無く、来年の春を目指して進んでいけるだろう。
…今日は何て、いい日だったろう。
窓ガラス越しに見える夕焼けに、この一日の終わりを寂しく思いながら、そう考えた。
それだけで、その日が終わると、思っていた。