アストロナウト   作:戸口

11 / 33
冬の言葉たち

『ちゃんとご飯は食べた?オープンキャンパスはどうだった?』

 

ホテルの部屋の中、携帯電話越しの母の声が響く。

 

「夕飯はもう食べたよ。

 オープンキャンパスも面白かったし、その…見に来てよかった。

 大学行くのが楽しみになったよ。」

 

僕はそれどころじゃなくて、返事はひたすら適当になっていた。

 

『それならよかったわ。

 じゃあ明日、気を付けて帰ってきなさいね。』

 

「うん。大丈夫。それじゃあ、おやすみ。」

そう言って微かに震えた指でボタンを押し、電話を切る。

 

「貴樹くんのお母さんの声、懐かしいなぁ…

 小学校の、卒業式ぶりかな?」

ベッドに腰かけた明里が呑気に足をハタハタと振りながら、明るい調子で言った。

 

「そういえば、そうなるのかな…」

少し、無理をして笑った。

 

何で彼女が、ホテルの、この部屋まで来てしまったのか。

僕自身、未だに整理できていない。

 

=======================

 

新宿駅でのことだった。

 

僕らは時間を忘れて喫茶店で話し続け、気が付けば窓の外は暗くなり、18時を過ぎていた。

明里に時間は大丈夫か尋ねると、もう少し大丈夫だから…と。

その喫茶店で、そのまま軽い夕食を食べながら、更に話し。

19時過ぎにようやく喫茶店を出て、二人並んで新宿駅に向かった。

 

 来月にはもう、三年生になっちゃうんだね。

 

 大学生になるって、どんなことなんだろう。

 

 私も志望校が東京だから、二人とも受かったら、いつでも会えるね。

 

その短い道のりですらも、つぶさに話を続けていた。

新宿駅の改札口が近づくにつれ、寂しさも募ったけれど。

 

 本当に、いい日だった。

 明里を、笑顔で見送って。

 来年、ちゃんと、桜を見に行こう。

 

そんな浮ついたことばかりに、頭は埋め尽くされていた。

 

けれど、新宿駅の入り口に近づくと。

構内、改札口の方向から…脅すような、敵意をむき出しにしたような声が聞こえてきて。

頭が冷え、胸の中がざわつきはじめた。

 

構内を進み、改札口の前に目に入ったのは、駅員や周囲の人に取り押さえられる、呂律の回っていない若い男性二人組と。

傍に、顔の右側を腫らし、床に膝をつく白髪の男性。

 

野次馬が現場を中心に円を描いて立ち、遠巻きにその行く末を見守る。

周囲から聞こえるひそひそとした話し声によると、

人身事故の電車の遅延に苛立った若者が駅員に当たり始め、それを横から咎めたおじさんが何発か殴られた…

そんなことらしかった。

 

後は何事も無く、見送りさえできたら。

最高の、最上の一日で終われたのに…

 

最後の最後で、何でこんな嫌なものを見なくちゃいけないのだろう。

残念で、仕方が無かった。

 

明里が乗る電車も遅延していたため、

その現場から離れた柱に二人もたれ掛かって、運行再開の連絡を待った。

 

「きっと、すぐ動き始めるよ。」

「…そうだよね。」

 

そんな風に、彼女を励ましたけれど。

一時間経った20時過ぎになっても、駅員は懸命に代り映えの無い状況をハキハキとスピーカーで伝え続け。

改札の周りはその回復を待つ人々も、タクシーを手配する人々も多くなってきた。

明里の顔にも、疲れと不安の陰りが見え始める。

 

「終電、間に合うかな…」

 

明里は、弱気な言葉を零す。

その心寒さは、遠い昔、僕が岩舟に向かう途中にあったものと、似ていたと思う。

 

「長引かないだろうけど、終電近くになるようなら、小山辺りまで車で迎えに来てもらう、っていうのは?

 最悪、俺のホテルに泊まれば、大丈夫だよ。」

 

咄嗟に、彼女を安心させたい一心で言ったつもりだったけれど。

下心の塊のようなセリフになってしまったように思えて…言うんじゃなかったと後悔した。

明里も流石に、その言葉に驚いた様子だ。

 

「ごめん、今のは、忘れて欲しい…」

恥ずかしさにたまらず、すぐ謝った。

 

気まずい、沈黙。

 

人身事故や、あんな喧嘩なんて、無かったら。

綺麗に今日が、終わったのに…

後悔ばかりが、頭の中を駆け巡る。

 

「…携帯電話、借りていい?」

 

不意に、彼女から。

いいよ、とポケットから取り出し、手渡す。

きっと親に電車の遅延のことを連絡するのだろうと、思っていた。

 

「もしもし、お母さん?

 今、まだ東京にいるんだけど、人身事故で電車が止まってて…

 再開も遅くなりそうだから、友達の家にこのまま泊ってもいい?」

 

東京の友達が、近くに住んでいるのだろうか。

 

「うん、うん…

 わかった、じゃあ、明日のお昼ご飯までには帰るから。

 おやすみ。」

 

随分と短い通話で了承を貰えたのを見て、

僕の母親ならあと五分は説明が必要だったな…なんてことを考えていた。

 

通話を切った明里が、携帯を僕に手渡しながら。

 

「泊ってきても、いいって。」

 

明里は目を合わせず、俯いたままにそう言った。

 

「そう…なんだ…」

 

頭が、真っ白になって。

それくらいしか、言葉が出せなかった。

 

 

僕はそれから明里の手を引き、何かの目から逃れるように、足早にホテルに向かった。

 

あのホテルの立地はこの辺ではまだマシな方とは言え、治安が良いとは言えない。

さっきの駅のこともあり、もう、あんなことにも巻き込まれたくない。

そういう危機感と。

 

明里と二人で、あの部屋で過ごす。

嬉しいけれど、いけないことをしてしまっているようで。

誰にも見られたくない、悟られたくない。

そんな背徳感や緊張感、気持ちの高ぶりが、自然に僕らの足を急がせた。

 

 

受付のお婆さんには話は通そうと思ったものの、数分待っても姿を現さず。

「…もう、中に入ろうか。」

そう言ってそのまま、自分の部屋に明里を連れて入った。

 

  …これで朝までは、この部屋は、僕ら二人だけのものになってしまったんだ。

  …今夜、ここに僕らが二人いるのは、誰も知らないんだ。

 

部屋のドアを開いた時、僕の心はそんな考えと、期待や興奮ばかりが心中を熱く蠢いていた。

ほんの少しだけ、お婆さんへの申し訳なさも。

 

部屋に入ると明里は上着を着たままドサッとベッドに腰掛け、

その直後、携帯に母からの着信が来て、今に至る。

 

=======================

 

僕が母からの電話を終えると、明里はシャワーを浴びると言って、バスルームに入っていった。

 

彼女がシャワーを浴びる音も。

彼女が中で、再び衣服を着る、布の擦れる音も。

ドライヤーで髪を乾かしたり、小さく歩くだけの足音すら。

中から響く音の何もかも、たまらないほど煽情的だった。

 

明里は着替えが無かったから、使っていなかった館内用の浴衣を貸して。

その浴衣になった明里は少しばかり露出度が高く、微かに水気の残る艶やかな髪も、年頃の男子には危険すぎる代物だった。

 

続いて、僕もシャワーを浴びる。

浴びている間、ずっと、彼女を抱くべきなのだろうか。

もしかしたら、扉を開けたら。

…もう、あられのない姿の明里が、待っているかもしれない。

そんな妄想ばかりを、膨らませていた。

 

寝巻代わりに持ってきていたジャージに着替え。

…意を決して、バスルームのドアを開いた。

 

そうして僕の目に映ったのは、

ベッドのヘッドボードにもたれかかりながら、僕に目もくれず楽しそうにお笑い番組を見る明里の姿だった。

 

余りにもリラックスしているその姿に拍子抜けして、残念なような、ほっとしたような。

そう思いながら、僕が窓際の椅子に座ろうとすると。

 

「こっちに来て、一緒に見ようよ」

 

そう言って位置をずらし、狭いシングルベッドの窓側半分を空けてくれた。

躊躇したが、断るわけもなく、その半分に入る。

 

彼女の体温が残る布団に、また緊張や興奮が高まってきたけれど。

そのままお笑い番組を少しと、ちょっとした旅行番組を並んで観ていたら、そういった性欲もなだめられていって。

それでもやっぱり、ふとしたことで高まったり、また頭を冷やしたりを繰り返しながら、少しずつこの状況に慣れていった。

 

同じ部屋の中、ちょっとした生活のような時間を過ごす中。

僕はぼんやりと、これからのことを思い描き始めた。

 

…いつか。

 

いつか、僕が働いて、金を稼ぎ、借りたり、或いは買った部屋で、明里と一緒に暮らして。

おはよう、いってきます、ただいま、おやすみ、と毎日交わして。

二人でテレビを見て、食卓を囲んで、笑ったり。

買い物しに行ったり、洗濯したり、掃除したり。

今みたいに同じベッドで、布団の中から伝わる熱を、共有したり。

…他の誰にも見せたことない部分まで、晒し合ったり。

 

そんな風に、いつかずっと彼女と一緒にいられる日が、来るのだろうか。

そんな風になりたい、と。

テレビを見ながら、そんなことをずっと、考えていた。

 

 

そうこうしていると、明里が小さな欠伸をした。

「そろそろ、寝ようか。」と声をかける。

 

「うん、流石にちょっと、疲れちゃった…」

 

その返事と共に僕は立ち上がり、テレビと、部屋の照明を消し。

二人して、同じベッドにもぐりこんだ。

 

半開きのカーテンの外から差し込む街の灯りが、うっすらと部屋を照らす。

僕と明里は、仄かに見えるお互いの顔を、黙って、眺め合った。

 

 

 

どれくらい、時間が経っただろう。

また、ほんの数十秒しか、経っていないような。

何分も、そうしてしまっていたような。

 

どこか、窓の外、遠くから。

車の走る音や、コツコツと響く靴音。

どこかのお店から漏れるBGM、人々が賑やかに笑う声。

 

明里の、呼吸。

僕の、呼吸、鼓動。

微かな体の動きに、布団が擦れる音。

 

 

急に、別の世界に来てしまったような。

僕らだけの、夜になった。

 

明里もずっと、僕のことをひたすらに眺めて。

僕は次第に、また堪え切れない感情に襲われ始める。

 

…抱き寄せて、しまいたい。

その華奢な肩も、浴衣から覗く胸元も、その眼差しも。

もっと。

…全部、感じたい。

 

「手、握ってもいい…?」

 

囁くような、彼女からの声。

 

僕が小さく頷くと、二人の間にあった僕の左手を、彼女の左手が優しく握った。

触れ合う手の温もりが、肌触りが、更に僕を高ぶらせる。

 

「ありがとう、貴樹くん」

 

彼女は柔らかく、微笑んで。

 

「わざわざ東京まで、来てくれて。

 会いに来てくれて。」

 

手の感触も、その言葉も。

僕を堪らない気持ちにさせて。

 

「明里…」

 

抱いて、しまおう。

その衝動のまま、右腕を彼女に伸ばし始めた、矢先。

 

「ごめんね。」

 

熱く浮かれていた頭が冷え、右腕が止まる。

何を、何が、何の…ことだろう。

 

「私ね、貴樹くんのこと、忘れようとしてたんだ。」

 

明里の声が、震えている。

 

「もう、会えないんだって、思ってた。

 もう、一人で生きていかなくちゃいけないんだ、って。」

 

瞳から、冷たそうな涙が、一粒零れた。

昼間に溶けてなくなったはずの寒さや不安が、僕の胸を再び包んでいく。

 

「貴樹くんは、私のこと、忘れないでいてくれたのに。」

 

 僕だって、とっくに諦めて。

 忘れようと、してた。

 

「また手紙を送ってくれて、ありがとう。」

 

 あの手紙は、そんなんじゃない。

 全部投げやりで、君のこともうろ覚えで。

 諦めて楽になろうと、しただけで。

 

「それに、また桜を一緒に見たいって、書いてくれて。本当に。」

 

彼女が、言葉を続けるごとに。

胸を、抉られるような。

 

「二回もこうして、会いに来てくれて。

 私は、待ってばかりで。」

 

なんで、そんなことを。

僕なんて、それなら。

 

「いつも、何もしてあげられなくて、ごめんね。」

 

「そんなことない!」

 

何もしてないことなんて、ないんだ。

何がそんな風に、思わせてしまったんだ。

 

「俺のことを、待ってくれた。

 今日だって、あの岩舟の時だって。

 それに、それに…

 引っ越した栃木から、手紙をくれたのは明里だ。

 卒業式で、あんな別れ方をしたのに。

 大体、俺だって…」

 

抑えようと、したけれど。

込み上げた言葉は、そのまま溢れてしまった。

 

「僕だって…明里のことを諦めたくて、去年、手紙を出したんだ」

 

喉の奥から熱くて。どうしようもない言葉が、溢れてくる。

 

「明里のことももう、忘れかけてて。

 本当に、たまたま、いない寂しさを思い出して…

 もう、引き摺っていられないほど、辛くなって。

 もう全部捨てたくて、投げやりに書いたんだ。」

 

素敵だったはずの一日を、穢して、壊している感触。

 

「手紙だって、偶然が重なって、ようやく出せただけで。

 僕は、本当は、何も…

 全然、僕一人じゃ、何もできなくて、弱くて。

 ただ…運が良かった、だけなんだ。」

 

涙が目に滲み。

思わず、彼女から、目を逸らした。

自分が見るに堪えない存在にしか、思えなくて。

彼女の眼差しから、逃げてしまった。

 

なんてことを言ってしまったんだ。

こんな、僕の汚い、ずるい部分のことを、何で…

 

でも、明里が自分を否定してしまうのが、耐えられなかった。

明里が卑下されるような存在なのだとしたら、僕なんて、何なんだ。

 

そういった想いが、とめどなく湧いて。

でも、明里を肯定してあげられるような言葉も、上手く出てこなくて。

僕は、自分を下に出すことしか、できなくて。

 

「こんな僕で、ごめん…」

 

何で僕は、こんなことしか言えないんだ。

 

また、自分だけ楽になろうとして。

重い物を、暗いものを、抱えたくなかったんだ。

 

そんな後悔ばかりが胸に渦巻き、内側を擦れて傷つけていった。

 

僕は、僕のことを、こんなにも。

自分のことが、こんなにも、嫌いだったのか。

 

明里を一度、容易く手放してしまった自分が。

想いも伝えないまま、諦めてしまった自分が。

呼吸が苦しくなるほど、胸が締め付けられて。

僕はこんなにも、僕が、嫌いだったんだ。

 

「…それでも。」

 

明里が、小さく語りかける。

 

「あの手紙は、貴樹くんが出してくれて。

 写真まで撮って、贈ってくれた。

 私に思い出させてくれて。

 こうして、会いにまで、来てくれた。」

 

滲んだ視界のまま、明里を見る。

彼女も泣いているような、気がする。

 

「私のこと、覚えていてくれて、ありがとう。」

 

その言葉は、僕が受け取るには、眩し過ぎて。

涙は、もっと止まらなくなって、溢れてしまった。

 

何か、言わなくてはいけないはずなのに。

胸も、喉も、押し寄せる感情に詰まって。

言葉にならない嗚咽しか、出せない。

 

「私ね、小学校卒業して、栃木の中学に入った後。」

 

目も開けられないまま、瞼の闇の中、明里の声が続く。

 

「知ってる人も全然いなくて。

 でも、周りの人には友達とか、もう小学校の頃のグループで繋がってて。

 最初の内、本当に一人っきりだった。

 話しかけてみたいなって思っても、勇気が出なくて。

 話しかけられても、上手く答えらなかったりして。」

 

彼女の言葉は、どうしてこんなにも、優しくて。

 

「でも、貴樹くんだったら、どうしただろう…って。

 思い出しながら、真似し始めたら、

 とりあえず上手くやり過ごせるようになって、気付いたら、友達も少しできて。

 こうすれば、一人でも生きていけるんだって、分かって。

 凄く、助けられちゃった。」

 

明里は静かに、子供に絵本を読み聞かせるような柔らかさで、そのまま話し続ける。

 

「高校に入った時も。

 塾とか、部活とか、他にも新しい何かに飛び込まなくちゃいけない時も。

 無意識に、そうしてやっていけるようになってて。

 …思えばずっと、貴樹くんに助けられてたんだって。

 つい最近、気付いたんだ。」

 

彼女は両手で、僕の左手を握り締めた。

 

「貴樹くんは強くて、守りたいものを守れるだけの、強さがあるから。

 どんな風でも、私に会いに来てくれたのは、奇跡みたいに凄いことだから。

 もう、そんなに、泣かないで。」

 

その言葉に、どれだけ救われただろう。

 

僕こそ明里に、何もしてあげられていないような、気がしていたけれど。

こんな僕でも、明里に何か、与えられていたんだ。

そう、思うと。

少しだけ、自分を好きになれたような気がした。

 

「ありがとう…」

 

そのたった五文字を発するのが、精一杯で。

この言葉があってよかったと、強く思った。

 

こんなにたくさん、言葉を貰ったのに。

どう返してあげたらいいのか、やっぱり、わからなくて。

僕こそ明里に、いつも助けられていたはずなのに、それが何なのか、わからなくて。

やっぱり、惨めさだけは残った。

 

そこから僕も、少しだけ、話した。

 

文通が途絶えた、後。

時折海岸に行って、本州の方角を見ては、途方もない遠さに絶望してしまったことや。

会いに行こうとも考えたけれど、中学生の自分には、何の手段も思いつかなくて。

自分の手紙が迷惑なものなんじゃないかと、思えて。

それでも、明里の手紙が来ないか、いつも、期待して。

段々と怖さが勝って、手紙が書けなくなったこと。

 

自分で話している最中も、

僕は、明里のことではなく、自分の寂しさのことばかりを話していることに気づいて、また自己嫌悪に陥ったけれど。

明里は静かに、それを聞いて。

 

「私たち、似た者同士なんだね。」

たったそれだけの言葉で、笑って、受け入れた。

 

それからも、手を握り合ったままに。

お互いのこれまでの寂しさや、寒さを、分かちって、慰め合って、温め合って。

ありがとう、とか、ごめん、とか。

そんな言葉が、何度も何度も、行きかった。

 

今まで話したことのない、悲しさや、孤独や、冷たいことばかりを話して。

凍えそうな不安や、離れていきそうな予感に包まれ、苛まれたけれど。

互いの手の温かさと、拙い会話で、一つずつ溶かしていった。

 

僕にはただ、明里が傍にいてくれたら。

春のように温かで、幸せな時を過ごせていたけれど。

寂しさや、孤独や、やりきれなさや、別れのような。

冬の気配からは、全部目を逸らしていたのかもしれない。

 

互いが傍にいるだけで、僕らは何も、怖くなかったから。

全て分かち合えたように、満たされてしまったから。

僕は大切なことを、何一つ、言葉にできていなかったんだ。

 

大事な瞬間に言葉を紡いでくれるのは、いつも明里のような気がして。

僕から何か、彼女に伝えられたことがあっただろうか。

そんなことを、朧げに考え始めた。

 

 

段々と胸の内も温かく、安らかになって。

次第に交わす声の大きさも速度も、小さく緩やかになり。

冬の終わりを感じさせる温かさに、体中が包まれ始めて。

ゆっくりと瞼が重くなり、いつの間にか、眠りに落ちていた。

 

薄れゆく意識が、途切れる寸前。

夢の中だったのかも、しれないけれど。

 

大好きだよ。

 

そう、聞こえたような気がした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。