…僕は、明里のようになりたかったんだな。
時計は、朝の5時を指し。
窓の外から、白み始めた空の光が入り、部屋を優しく照らし始めて。
薄く照らされた彼女の寝顔を見ながら、そう思った。
明里は、いつも。
ただ、桜の花が落ちていく速度の言葉や。
「大丈夫」という、ありふれて、ささやかで、幾度も聞いたはずの言葉にも、
明里は願いや想いを込めて、いつも、僕に贈ってくれた。
僕はそれに支えられ、彼女がいなかった間も、ずっと求めていたと思う。
いつか、僕もそんな素敵な言葉を紡げるようになって。
君に、返したかったんだと思う。
…明里が言った通り、僕らは似た者同士なのかもしれない。
けれど、
明里の言葉は、その想いを伝えるために紡がれたものであって。
僕のそれは、自分が生き抜いていくための道具でしかない。
それだけは、決定的に違った。
想いが自然に、丁寧に織り込まれたような、明里が紡ぎ出すひとつひとつの言葉が。
その声も、発する場所も、時も、言い表されたものも含めて。
君の言葉が、どうしようもなく、好きだったんだ。
そんな言葉なら、絶望的な距離だって乗り越えられる…と。
どんなに遠く離れたって、そんな言葉さえあれば大丈夫なはずだって、きっと信じてた。
でも、僕の言葉はどう足搔いても、そんな風にならなくて。
何も届けられていないようにしか、思えなくて。
勝手に、自分に失望して。
僕は、言葉を送るのを、やめたんだ。
…君のような言葉を目指すのは、もう、諦めようと思う。
傍にいる、ことでしか。
大事なことは何一つ、僕は伝えられないのだと。
自分ができることは、本当にそれくらいしかないのだなと、苦笑いしながら悟った。
あの日だって、今日だって、君に会いに来ることくらいしか、僕はできないんだ。
でも、思えば…
あの日だって、今日だって、君は待っていてくれた。
僕が会いに行けば、君は待っていてくれる、と。
…今までも、もしかしてそれだけを信じて進めばよかったんじゃないか。
遠回りして、無駄に複雑に物事を…世界を捉えてしまっていたんじゃないだろうか。
岩舟での、雪の朝。
あの時、閉まりゆく扉の前でだって。
「また会いに来るよ」とだけ、君に声をかけ。
君の、僕の、不安や、悲しい予感を拭い去って。
君も同じ春を夢見ていると、信じて。
ひたすらそれに向かって、進んでいれば…
…あぁ、そうだ。
もう、それだけで、いいじゃないか。
カーテンの隙間から、夜明け空に一つだけ、未だ燦然と輝く星が見えた。
日が昇り、人々が目覚め、世の中が回り始まってしまったら。
その輝きに眩んで、見えなくなってしまうけれど。
あの星が、本当に無くなってしまうわけでは、ないんだ。
もし明里が、あの遠くの星まで離されて、見えなくなってしまったとしても。
僕はただ、そこに向かって進めばいいだけなんだ。
現実的な難しさや、温度も空気も無い宇宙空間の隔たりは、関係なくて。
彼女が待って、くれるなら。
僕はそこに向かうだけ、なんだ。
それだけで、僕の人生が終わっても、もう、良いんじゃないか。
…これからも、ずっと。
もしまた、どれだけ離されてしまったとしても。
また、君を追いかけて。
君の隣を、目指そう。
それでも、君を見送る前に。
僕なんかの言葉であっても、伝えなければいけないことがあるような気がして。
それが、どんな言葉なのか。
未だ繋がったままの彼女の左手の温もりを、感じながら。
その星を見つめ、考え始めた。